2025年1月23日木曜日

キモい男性を引き寄せない方法

キモい人との接し方の続きです(遅くなってすみません)。 今回は女性が「なぜ気持ちが悪いと感じる男性ばかり引き寄せてしまうのか?(引き寄せないようにするには?)」を深掘りして考察・解説したいと思います。

まず大前提として「全ての出会いは創造主から課題として(シナリオ上必要だから)与えられているのであり、嫌だと感じる人と全く出会わないようにすることはできない」ということは念頭に置いておいて下さい。基本的には出会いを大切にし、無条件で愛を発揮することが大事です。ただ性的に本気で無理な男性から強引に迫られるのを女性が我慢する必要は全くない(最低限の慈悲は持つべきですが)ということは前記事に書いた通りです。

人間が生きられる環境に生きている限り、どれだけ清潔にしようと全くゴキブリと出会わないようにはできないのと同じで、女性が社会と関わる限り気持ち悪いと感じる男性と全く会わないようにすることはできません。

ただもし家にゴキブリばかりが異常に多く引き寄せられるのだとしたら、それだけの原因がその家の主である自分側にあるということであり、もしゴキブリが本気で嫌なのなら、それを引き寄せてしまう状況を嘆いたり引き寄せてしまう自分を嫌悪するのではなく、ちゃんと対策を実行しなくてはならないのです。

ゴキブリというのは不潔な環境を好み、人に忌み嫌われることで人に清潔な生活への心がけ・成長を促しているのであり、もしあなたがゴキブリみたいな男性にばかりタカられるのであれば、それは創造主があなたの成長課題(未熟さ・精神的な不衛生)に気づかせようとしてくれているということなのです。その成長課題とは一体何でしょうか?

どうしたらモテますか?に書いた通り、世間では多くの人が自信・自尊心を得るために「モテること(他人から好かれ・愛され・評価されること)」を価値とし、無理にモテようとして不幸に陥っています(しかもその自覚がありません)。不幸の元凶が「他者評価依存」にあるという点は男女とも同じなのであり、まるで「モテない=価値がない」かのように思い込んでいるのです。そしてそれこそが女性の「気持ちの悪い男性ばかり引き寄せてしまう」根本的な原因なのです。

ただ女性が男性より面倒なのは「私は別に大して美人ではないし、全然モテてはいないし、特別モテようともしていない」「好みではない人から好かれようとした覚えはない」「相手側から勝手に勘違いされ、しつこくされて困っている」などと表層意識では頑なに思い込んでいて、自分が「モテようとしている(他者評価に依存している)」という自覚を持つことから拒否している場合が非常に多く、「自分は全然モテようとなんかしてないのに、気持ち悪い人からばかり執拗に好かれて困っている」という被害者の立場を取ることで自尊心を守ろうとするので、なかなかその対策を伝えるのが困難な点です。

この件に限らず、問題の原因が自分にあるということを認められず、被害者意識を持ち、相手側に文句ばかり言っているうちは成長しようがないのです。人生というのは自分をプレイヤー(主人公)とするRPGであり、大枠のシナリオの中ですべてが自分(の成長)次第に創られているのです。全ての問題は主人公たる自分の成長のために与えられているのにも関わらず、自分に与えられている課題を相手(NPC)側の課題であって自分の課題ではないと考え自分が変わろうとしないのでは、成長することも課題が解決することも有り得ないのです。

「世の中から気持ちの悪い男性が消えてくれればいい」などと相手側(NPC側・設定側)に文句を言うのは、「世の中からゴキブリが消えてくれればいい」と言うのと同じで、それは単なる成長課題の拒否であり、実現するわけがなく、ただの愚痴でしかないのです。そして成長拒否というのは必ず不幸に導かれるように世の中は創られているのです。

実に多くの人が、不特定多数の人から自分の魅力を評価されることで自尊心を得ようとしていて、そのために無意識に(意図的な人も多いですが)自分を世間の好みに合わせようとしてしまっています。それなのに「自分が嫌いなタイプの人からだけは好かれたくない・評価されたくない」というのは通じないのです。それは食べ物を外に晒しておきながら「イケメンに限る」とか「害虫は食べないで下さい」とか書置きしようと無駄なのと同じことです。

他者評価依存が深刻で、自分で自分を評価できず、嫌いな自分を他者評価によって好きになろうとする女性=めちゃくちゃモテたくてたまらない女性に限って「気持ち悪い男性から好かれて困っている」という相談をしてきます。もちろん彼女たちも表層意識では気持ちの悪い男性たちからのアプローチを本気で迷惑だと感じているのでしょうけども、深層意識では「評価されて嬉しい」と感じているのであり、だから悩み相談してきてもどこか「これ見よがし」で「自慢気」で「アピール感」があるのです。しかしそれを自覚しておらず、例え自覚していて意図的に隠していたとしても隠しきれていないのです。「自慢話を聞いて貰って自尊心を上げること」が動機なので、こちらから対策などを伝えてもほとんど聞いていません。そして「自分に対して情熱的に迫って来る気持ちの悪い男性を見下すことによって自尊心を満たしたい」という自分の深層心理が、そういう男性を引き寄せているということに気づこうともしないのです。

もちろん女性が綺麗になろう・魅力的になろうと努力すること自体は素晴らしいことだと思うのですが、問題はやはり「他者評価依存」なのです。他者評価依存が強い女性の場合、外見だけでなく生き方の全てにおいて自分らしさよりも人に好かれること・評価されることを優先してしまっているのです。そのために他人に対して嘘・隠し事をするだけでなく、自分自身に対しても嘘・隠し事(自覚の拒否)をすることが常態化して意識することすらできなくなり、本当の自分らしさがどういうものかさえわからなくなっているのです。それでは自分に本当に合った人と出会い難くなるのは必然でしょう。

そして自分らしさを見失っている人というのは、好き嫌いで自分の認識世界を真っ二つにすることで「自分」の輪郭を保とうとする強い傾向があり、やたらと好き嫌いを激しく主張し、嫌いなものは絶対に受け付けようとしないために「許し・愛するという成長機会」が失われて人間的に成長せず、また好き嫌いの激しさから他人を傷つけて嫌われ、孤独に陥ってますます恋愛に依存するしかなくなるのです。

そして恋愛(男性)に依存する女性というのは、パートナーに対する感情・行動の要求が多く、満たされないと強い不満を示します。そしてまた「恋愛・結婚がなければ絶対に幸せになれない」という幸せの条件化思考が強過ぎるために、30代にもなると焦りが生まれ、結婚が目的化し、男性側にとって重たくなって避けられがちなのです。

そのように自分らしさを見失い、自分に自信がなくて傷つきやすい女性というのは「自分が好きになった人に自分から行こう」とするよりも、「できるだけたくさんの男性を引き寄せてその中から選ぼう」として、モテること=選択肢が多いことを価値とする傾向があると思います。そうなると必然的に「好かれたい=嫌われたくない」という意識が強くなるために断るのが苦手で押しに弱くなるのです。人生というのは愛と勇気を試すためのRPGですから、そのような自信のなさ・臆病さは不幸に導かれるのが必然なのです。

そうなるとまともな女性からは避けられるような「キモい男性」や「ヤリチン」たちから「押せばイケる」と軽く(価値が低く)見られて群がられ、それをモテていると勘違いして自尊心の糧にし、結局はいつもそのような男性たちの中から選んで付き合うのでロクなことにならず、毎回長続きしないのです。そして更に周囲の男性たちから軽く見られてしまうという悪循環を繰り返すのです。女性自身は毎回至って真剣に恋をしているつもりなのに、です。

恋愛初期にはその快楽による盲目さで相手を冷静に見れなくなっているだけで、そういう女性が選ぶ男性というのは、冷静な外野から見れば「気持ちの悪い男性」「ヤリチン(より多くの女性とSEXすることでしか自尊心を保てない男たち)」なのであり、当然それはそのうち自分でも見えるようになってきて、いつか生理的に無理になるのは必然なのです(大抵はその前に捨てられる方が先かも知れませんが)。「ヤリチン」はSEXの許容範囲の女性であれば誰に対しても最初は情熱的なのであり、それに舞い上がって相手を冷静に見抜けないのは、やはり「他者評価依存で、深い部分で自分を嫌悪していて自信がなく、情熱的に来られるのが嬉しいから」なのでしょう。そのように性によって自尊心を満たそうとする女性が、性によって自尊心を満たそうとする男性の餌食(踏み台)になってしまうのは必然であり、オードリー・ヘップバーンですらそうだったのですから、一般女性ではどうしようもないことなのです。

そのようにして「問題点のわかりやすいだめんず」(浮気癖、DV癖、ギャンブル・酒・薬物の依存症など)とばかり付き合ってしまう女性というのは、必然的に「問題は全部相手のせいである」という被害者意識を持ちやすく自分に原因があるなどということは完全に思考の枠外で、それゆえに人間的に成長することが難しく、同じ過ちを繰り返し、最後には「私は男を見る目がなく、だめんず好きな人間だから仕方がない」「どうせ男なんてみんなこんなもんだ」などという誤った悟り方をしてしまうのです。

そのような成長拒否によって不幸に導かれるのは当然で、知らず知らずのうちに「女性と真剣に付き合いたい(一緒に成長していきたい)」というまともな(自分にとって本当にベストな)男性との縁を自ら遠ざけ、本人はそれに全く気づけていないのです。相手と人間的な成長度に差があれば出会う可能性・交際に至る可能性・長続きする可能性が低くなるのは当然であり、自分が魂的に成長していなければ、自分に言い寄ってくる男性たちも魂レベルの低い人ばかりになるのが必然なのであり、自分にとって本当に良い相手を見抜くことも、好きになることも、好かれることもなくなる(お互い眼中になく、出会えていないも同然になる)のです。

そのようにしていつも問題を他人のせいにして魂的に成長しないまま歳をとると本当に悲惨で、恋愛や結婚だけでなく人間関係全般がうまくいかず、当然仕事もうまくいかず、自分も他人も世の中も嫌って孤独になり、ますます恋愛に依存(逃避)するしかなくなるのです。それで男性から性的に相手にされにくい年齢になると、求められさえすれば不倫だろうと何だろうとお構いなしになってしまいがちです。当然相手も同じく魂の成長を拒否している人なのですからうまくいくわけがありませんし、そもそも世界の本質はワンネスなのですから、相手の奥さんを不幸にする不倫で幸せになれるわけがありません。

そしてそのうち誰にも性的に相手にされなくなって自尊心の糧を完全に失い、相変わらず人間的に幼稚なままなので周囲から嫌われ続け、自尊心が壊滅的になり、精神を病んでしまうのです。それは自分がさんざん見下してきた「気持ちの悪い男性」と気づかない間に全く同じ(むしろそれ以下)になってしまっているということなのです。

他者評価依存が強い女性というのは、世間の好みに合わせて本当の自分を偽るだけでなく、相手を選ぶ際も愛よりエゴ(我欲・保身・虚栄)を優先し、世間体の良い・収入とステータスの高い男性の中から選ぼうとする傾向があり、結局は「問題点のわかりやすいだめんず」を捕まえてしまいがちなのですね。それには「自分の幸せを相手に依存し、ラクをして幸せになろうとする」考えが根底にあり、それは魂の成長拒否なのですから、この人生という魂成長プログラムにおいて幸せに導かれるわけがないのです。人生ラクをして幸せというのは有り得ず、一生苦労を乗り越え続ける定めであり、将来ラクをするための努力は報われないものなのです。

いくら出世欲があって仕事ができてハイステータスで高収入な人が相手だったとしても、もし魂的な成長を拒否している人なのであれば、出産・加齢などで嫁に女性的な魅力を感じられ無くなれば、浮気して嫁を邪険に扱うようになるでしょう(仕事がデキる人は結婚して中年になってもモテますしね)。それをお金・保身・世間体のために無理に我慢し続ける人生が幸せなわけがありません。そして結局離婚して慰謝料などをたくさんもらえたとしても、失われた人生は帰ってきませんし、お金で人は幸せにはなりません。

結局、今の自分が自分の哲学・行動によって幸せになれていないから、相手を幸せにしようと考えるよりも相手から幸せにしてもらおうという(強要する)感じになって、相手にとって負担になってしまうのでしょう。それは成長拒否なのですから、不幸に導かれるのが当然です。愛情を相手に押し売りし、そして相手からの愛を見返りのように求め執着するようではうまく行かなくなって当然です。愛は見返りを求めずただただ与えるからこそ尊いものなのです。

最近はインターネットの普及によって、自分の写真や動画を載せて人気を得てお金を稼ぐことが容易になり、性的魅力を商売にしている女性が増えていますが、「不特定多数の男性から好かれた分だけ収入・出世につながる」ような人気商売を長く続けている人の場合、必然的に自尊心の根拠を外見など人目に付く部分・いずれ衰える部分に置くことになり、人気・金・出世のために自分にも他人にも嘘や隠し事をすることが常態化するので、不幸な人生になる可能性はより高いと思います。またそのような人気商売では「気持ちの悪い男性」「ヤリチン」をより多く引き寄せるのは必然であり、また無碍に断れば出世できず収入も自尊心も下がるために断りにくい状況になるのも必然ですから、それは商売上の宿命(自業自得)だと思って受け入れ、うまくあしらっていく以外にないと思います。


ネットでは不特定多数の異性と知り合えるので「これだけ無数にいるのだから中には素敵な人もいるんじゃないか」と思ってしまいがちですが、ネット上で知り合った人と付き合おうとするのはとてもリスキーだと思います。リアル生活の出会いの中でうまくやれていない者同士が、ネット上で嘘や隠し事によって自分を実際より良く見せようとすることで素敵な出会いを求めて良い結果につながるということは考えにくいので。

そしてもし本気で幸せになりたいのであれば、自分の性的魅力を商売につなげるようなことは本当に若い間だけにして、早めに(具体的には20代後半までに)身を引いた方が良いかと思います。現在どれだけ女性として人気があろうと、いずれは容姿が衰えて人気が下がり、他者評価依存のために自尊心が下がり続けるのは目に見えていますからね。少なくとも生涯の生業にはしない方が良いでしょう。「自分が今まで多くの人から好かれて利益を得てきたのは、人間性よりも性的な魅力によるところが大きい」というのを認めて人間的に成長しなければ、幸せにはなりようがないと思いますので。

モロに人気商売でない普通の職場においても「気持ち悪い男性」「ヤリチン」から強引に来られるのを受け入れることで出世できる状況・拒絶しにくい状況というのはあることでしょう。しかしもしそれをキッパリと拒絶できないのなら、その原因はやはり「他者評価依存から来る自信のなさ」であり、「もしこの仕事で他人から評価されず、出世できず、辞めさせられたら収入が下がって生活できない・自尊心を維持できない・生きていけない」と執着してしがみついているからでしょう。

職場でのセクハラ・枕など「性の尊厳の蹂躙」が本当にイヤなのなら断ればいいだけであり、断れないなら辞めれば良いだけです。人間としての尊厳を犯されてまで仕事にしがみ付く必要は全く無く、そんなことをされるような仕事でもし出世できても幸せになれるわけがなく、辞めさせられたら逆にラッキーでしょう。もしそう考えられないなら、それはやはり他者評価依存であり、周囲に見下されないように見栄を張っていて、その見栄のために不必要な出費をしてお金がいくらあっても足りず、貧困による他人からの蔑視を過度に恐れているからでしょう。

そしてそのように貧困を過度に恐れるのは、他者評価依存ゆえに人に助けを求めることを「自立てきてない証拠・みっともないこと」だと考えているからであり、生活保護も「みっともないこと」だと考え、貧しい人を「迷惑だ・みじめだ」と見下して助けていないから(愛がないから)でしょう。やはり原因は自分自身にあるのです。そこを自分で認めて改めない限り、課題の解決・人間的な成長は有り得ないのです。

権力・金を持った人間から、性という人間の尊厳の根源を犯されてまで仕事(金・出世・人気)にしがみ付こうとするから、多くの人が権力・金に固執し、実際に権力・金を手にした人間がつけ上がって悪魔化し、それが連鎖して世の中全体も悪魔化してしまうのです。一見華やかに見えて多くの人が憧れる芸能界・マスコミ業界がまさにそのようになっているのは、昨今のニュースでもよくわかることです。


この問題を他人事のように考えないで下さいね。自分の認識世界の主人公は自分であり、そこにおける全ての問題の「因」はすべて自分にあって自分次第なのです。だから世の中のどんなひどい問題であっても、自分の問題を解決することによって、それが連鎖していつかは解決されていくものなのです。

<対策>
世の中の問題は究極「愛の不足」が原因であり、それは逆に言えば全ての問題の解決策は「愛」なのです。もちろんこの問題も例外ではありません。

気持ちの悪い男性ばかりを引き寄せるのは「魂的成長の拒否」「他者評価依存」「自信のなさ・自己嫌悪」を原因としており、それは総じて「愛の不足」なのです。だから対策は愛によって己の魂を成長させていく以外にありません。

それは非常に本質的・根源的な話で、全部述べようとすると今までの記事を全部そのまま繰り返すことになってしまうので、今回は処方箋として記事のリンクを貼り、要点を説明させていただくだけにさせていただきます。

人生は魂成長のプログラムであり、課題が難しくなければ成長はしませんから、難しいのが当たり前です。でも本人に乗り越えられない課題は決して与えられませんから、それを信じて必ず乗り越えて行って下さい。頭だけで理解しようとせず、必ず実践から己の魂に学ばせて下さい。

誰でも自信満々になれる方法
問題は「自信のなさ・自尊心の低さ・自己受容の拒否・自分や他人を責める気持ち」ですから、この記事の内容を実践する事で本当の愛に目覚め、本物の自信・自尊心を手に入れて下さい。相手の本質がよく見えるようになり、押されても要らないものはきちんと断れるようになるでしょう。そして天に愛され、良縁にも恵まれることでしょう。
人は自尊心を上げてくれる人を愛します。でも卑屈な人から褒められたり何かされても嬉しくなれません。自尊心を高く持って、他人の自尊心も上げられる人になって下さい。

自分と他人の愛し方」「どうしたらモテますか?」「エゴ(欲)とは何か?」「人の価値とは?
他者評価に依存せず、自分も他人も心から許し愛せるようになって下さい。
自分らしさ(エゴではなく愛)を大事にして下さい。

そして損得勘定に捉われず、自分の好きで得意なことを通じて人に奉仕し貢献できることに幸せを感じられるようになって下さい。

モテなければ価値がないかのように考えないで下さいね。

お金の時代の終らせ方(新六波羅蜜)
一見関係ないようですが、大アリです。この新六波羅蜜を行じてみて下さい。きっとたちまち良い出会いに恵まれるようになりますから。お金・出世・権力・他者評価などを最上価値のように考えると、それらを持った人たちから嫌な事をより強制される世の中になってしまいます。どうか愛に価値を置いて下さい。

悪いカルマの解消法」「カルマの良化法
悪縁が続くのは、カルマそのものです。ここに書かれていることを実践して、カルマを良化して下さいね。相手を自分自身のように考える「人との接し方」はとても大事です。

世の中には「他者評価に依存しなくなること」というのを、「人目を気にしなくなること=他人の気持ちを思いやらずに自分の本音をぶちまけて他人に嫌われても平気でいられるようになること」のように誤解し、エゴに埋没することで本当に周囲から嫌われまくっている人が多いですが(特にアドラー信者)、人は愛を経験的に知るために生まれてきているのであり、人に嫌われて幸せなどということは有り得ないのです。真理というのは常に「自分も他人もみんなを幸せにするもの」なのです。その真理というのはワンネスであり、成長というのはその真理に向かったベクトルのものなのです。つまり常に融和(愛)のベクトルが成長なのであり、分離(エゴ)のベクトルは退化であるということです。そして真理に向かう成長というのは、出会った人ひとりひとりに同じ目線で同情しながら話を聞けるようになることであり、自分も他人も無条件で許し尊敬し感謝し愛せるように少しずつでも努力していくことなのです。

それでは、あなたが自分を心から好きになり、他人も世の中も許して愛し、良縁にも恵まれ、魂の成長を通じて幸せに導かれることを、心からお祈り申し上げております。

2025年1月19日日曜日

カッコいい車が欲しい

【質問】20代・男性 ペンネーム:ハイロ
私事ながらシンヤさんの発信やnote等を参考に、人への許しや小さな人助けを最近実践し始めて心に愛が育まれているのを実感しており、ありがたき所存です。

今回ご質問させていただきたいこととして、物を得るためにお金を稼ぐのはやはりダメなことなのかということについて伺いたいです。

私は車が好きで、今とても欲しい車があり(めちゃくちゃ高級車というわけではないです)それを手に入れるためにお金を貯めています。また、自然風景や景色を見るのも好きなのでその車を買った暁にはその車で色んなところへ行きたいなと考えています。当たり前ですが、車は買うにも維持していくのにもお金がかかるので、その分お金を稼ぐ必要が出てきます。

お金、ひいては資本主義というのは人の欲望を焚きつけて執着を強め、争いや奪い合いを引き起こす仕組みだと存じています。資本主義の中でお金や権威に執着して、他者を踏みつけにすることが正当化されている現状の社会にも嫌悪感があります。なので、幸福に生き、ためにはお金や権威、物への執着を手放し人を愛し救っていくべきだと感じています。しかし、上記のように私はまだまだエゴが強く欲しい物もあり、他者貢献要素ゼロのやりたいこともあります。

引き続き、このまま自分の欲しい物とやりたいことのためにお金を稼ぐという手段を取るべきか、生活に必要な物以外の物への一切の執着を捨てて自分と人を愛するために生きるかどうするべきでしょうか?物を欲しがるのはダメなんですかね?正直、情けない話ですがエゴのために生きていてカルマを積んで何かを誘発してしまうのではないかという不安を感じている部分もあります。しかし自分としては欲しいし、やりたいというジレンマがあります。一応物に対しても愛情は意識して大事に扱うようには心がけています。ご回答いただけると幸いです。よろしくお願い致します。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

ご自分の好きなように生きれば良いと思うんですけど(苦笑)。買いたい車があって買えるのならば買えば良いかと思いますし、金を稼ぐために生きて幸せなのならそうすれば良いかと思います(幸せではないからご相談されているんだと思いますが)。

あなたはまだ実年齢的にも魂的にも若いのであり、僕もあなたの年代の頃は思いっきりエゴに埋没しながら生きていました。悟りを焦る必要はありません。

僕らは経験するために生まれてきたのであり、答え(真理)に価値があるのではなく、過程(経験)が答え(真理)を価値ならしめるのです。だから経験する前に答え(真理)を頭だけで理解しようとして、それを自分に無理やり押し付けないで下さいね。

悟り(真理)というのは自分もみんなも幸せにするものです。だから悟りの道というのは幸せになる道であり、焦ったり、心から納得できていないことを無理やり自分に強いたりしたら、ただ苦しいだけで全然楽しくない(幸せじゃない)でしょう。

僕は「自分もみんなも幸せにする真理」を伝えているのであって、「本当に欲しいもの・本当にやりたいことのためにお金を稼ぐのはダメ」とか「生活に必要な物以外の物への一切の執着を捨てて自分と人を愛するために生きるべき」などということは全然言っていません。そのように誤解されるのは、僕が伝えようとしている真理を、あなたの勝手な思い込みで歪めて捉えているからだと思います。もしあなたの今の考え方・行動によってあなた自身もみんなも幸せにならないのなら、それはどこか悟り(真理)からズレているということなのです。

お金の時代の終らせ方に書いた通り、僕は魂の成長を促しているのであって、いきなり資本主義と正面から戦うような無茶は言っていません。ここに書かれている「新六波羅蜜」をどうか日々実践してみて下さい。いきなり完璧になんてできるわけないですし、もちろん僕も完璧にはできていません。他人と比べることなく、本当に少しずつでも自分の成長を楽しめれば良いのです。


決してエゴの存在そのものが悪いのではなく、それを暴走させて愛を失うのは良くない(自分もみんなも不幸にする)ということなのです。資本主義の悪い部分は、究極は「エゴを暴走させて愛を失わせる」という点にあるのです。僕はエゴをなくすべきだと言っているのではなく、「エゴよりも愛を優先しようと努力し続ける過程が悟りの道である」とお伝えしているんですね。それはエゴ(欲)とは何か?に書いた通りです。自分を「エゴに埋没した人間だ」などとイジメて自尊心を下げないで下さいね。


人生を「エゴのために生きるか・愛のために生きるか」の二者択一しかないかのように考えるのは極端であり、それによって「やっぱりエゴを捨てるのは無理だ」「愛でメシは食えない」「将来が不安だ」「他人から見下されたくない」などと考えて、エゴ(我欲・保身・虚栄)に埋没する短絡的な人ばかりだから今の世の中は荒んでいるのでしょう(そういう舞台設定のRPGです)。

僕はいつもこの世界をディズニーランドに例えるのですが、ディズニーランド(世界)はあくまでも「楽しませたい」という「愛」によって創られているのであり、訪れる我々も楽しむために来ているのです。それなのにディズニーランドの創始者(創造主)や経営者(神仏)が、訪れている子供(我々人間)たちに向かって「エゴを捨てろ・モノを欲しがるな」「これはみんな金稼ぎのためのくだらない虚構だ」「資本主義は悪魔だ」「欲しがることでカルマを積むな」とか言うわけないんですね(笑)


子供のうちは思う存分楽しませてもらって、いつか子供たちみんなを楽しませられる(幸せにできる)ような「魂の大人」に成長していけば良いだけなのです。

あなたの魂はまだ若く、お客さん(NPC)側として楽しみたい段階にあって、人を楽しませる側・救う側(主人公・魂の大人)になることを心がまだ拒否しているのでしょう。それは決して悪いことではなく、悟りには人それぞれシナリオがありプロセスというものがあるのです。

例えば、親が幼児に「物欲を捨てて愛に生きろ」などといって何も買い与えずに禁欲を強いるようでは子供の心(愛)が育まれないでしょうし、そんな親ではどうしようもないでしょう。それと同じことです。自分の心(愛)を我が子のように育ててみて下さいね。自分が本当に心の底から欲しいものなら自分にプレゼントして喜ばせてあげればよいかと思います。


「悟りとは何か?」に書いた通り、悟りというのは人それぞれシナリオ・過程があって、競争じゃないんですね。悟りの進捗を他人と比べて自尊心を下げる必要はないのです。僕らは成長経験・過程を楽しむために生まれてきたのです。


そして成長というのは自分の自由意思による自発的なものでなければ価値がありません。他人から何かを強制されることで成長してもその成長には価値がないのです。実際、創造主は魂の成長を「自発的に」楽しませるためにこの世の仕組みを創っているだけであって、成長を強制しているわけではないのです。

だからどうか人生を好きなように楽しんで下さい。ただ、それを与えてくれている創造主への感謝の気持ちだけは忘れないで下さい。そして少しずつでも創造主の分身である神仏のため・衆生のため・世の中のために「楽しませる側・救う側」として恩返しできる人間を目指して下さい。

質問文の冒頭から感じられますが、あなたはきっと己の愛を育み、以前よりずっと成長して幸せに導かれているのだと思います。それでもあなたはもっと自分自身と深く向き合う必要があるのではないかと僕は思うのです。

あなたはなぜそんなにもその車が欲しいのでしょうか?車は確かにあると便利ですし、今の時代では(場所によっては)ほぼ必需品であり、欲しいと思うことは普通のことです。しかし便利さをメインに求めているのであれば、値段が手ごろで乗り心地が良く燃費が良い車を選ぶはずです。それなのにあなたが「収入に相応しくない値段のカッコいい車」を欲しがるのはなぜでしょうか?それはその車によって自分を大きくカッコよく見せて、周囲から評価され女性にもモテたりすることで自尊心を得ようとする「見栄」があり、そこに執着しているためではないでしょうか?どうしたらモテますか?に書いた通り、根本的な問題は他者評価依存なのではないかと思います。


あなたは車が欲しいということだけしか書いておらず、本当にやりたいことが何なのかは全く書いていません。恐らくまだ具体的には何もないのでしょう。そして今の仕事もやりたいことではないのでしょう。だからそもそもの問題は物欲自体ではなく、嫌な仕事の我慢代で稼いでいることにあり、「人(社会)の役に立っている」という実感がなくやりがいがないために、働く理由(動機)付けとして何かを得ないと気が済まないということかと思います。

いくら収入が高くてもやりがいがなくて仕事が自尊心を下げる原因となっているのでは、稼いだお金で何を得ようと幸せになれるわけがありません。収入の高低(損得勘定)は無視して、人(社会)に貢献できる、やりがいのある仕事を選んで下さいね。やりたいことを仕事をすれば、やりたいことのために嫌な仕事でお金を稼ぐ必要はなくなります。本当に純粋に車が好きだとおっしゃるのであれば、車関係の仕事などいくらでもあるでしょう。

あなたからの先の質問罪悪感との向き合い方に書きましたが、あなたの最大の課題は「自尊心の低さ」であり「自尊心を回復する手段の歪み」だと思います。それゆえにまだエゴ・プライド(自己防衛)の殻が破れず、他人に対して優位を示そうとしてしまい、他人を思いやれる余裕があまりないのでしょう。それはあなただけでなく、今の世の中「そんな人ばかり」とも言える状況なので、それを理由に自尊心を下げる必要は決してありません。それはあなたに与えられている成長課題なのであり、自分が自発的に成長し続け、それを楽しめれば良いだけなのです。

繰り返しますが、人生は「経験して知ること」に価値があるので、どうしても欲しいのであれば、実際に買ってみればよいかと思います。そうすることであなたが本当に嬉しくなれるのか、苦労の割には自尊心が満たされず虚しくなるのかはわかりませんが、どちらにしてもあなた自身が経験して知りたかったことなのです。何事も本当に欲しいもの・やりたいことなのなら、実現してみて実感を伴って己の魂に悟らせるのが良いかと思います。


どうか誰でも自信満々になれる方法を日々実践してみて下さいね。その実践の中で本物の自尊心を手に入れ、「自尊心というものは、天の愛に感謝して感謝報恩に生き、自他に対して愛を発揮していくことによってしか満たされない・幸せにはなれない」ということを実感を伴って悟って幸せになっていただけるよう、心からお祈りしています。


2025年1月14日火曜日

時間の仕組みについて

【質問】年齢・性別不詳 ペンネーム:モノローグ

お疲れ様です。真也さんの質問箱やノートを最近読んでいて一つすごく引っかかるところがあったので質問させていただきます。 いくつかの質問の回答や宇宙の仕組みのノートで、「時間が過去から未来に一方通行に流れているとしたら外界の認識に微妙に時間がかかるので我々は常に微妙に過去を認識していることになり、それでは未来を変えることができないのでおかしい」と言った旨のことが書いてあるのを読みました。

私からすると、微妙に過去の物事しか認識できないなら未来を変えられないのでおかしいと言われても何かしっくり来ません。それなら我々はみんな微妙に過去を生きているということで特にそれ以上なにも考えることはないのでは?と思ってしまいます。というか、このことについて考えていると途中で頭がバグって考えが先に進まなくなります。この文章を書いている今もなんだかモヤモヤしています。

時間の仕組みについて、もう少しNPC目線の人にもわかりやすいように説明していただけませんか?よろしくお願いいたします。ひっそりと応援してます。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

その件については自由意志の仕組みと存在意義においてご説明させていただいている通りであり、僕にはそれ以上にわかりやすく説明することはできないです。

もし該当箇所の説明がしっくりこなかったとしても、その後の説明はほとんどがその補足になっているので、もしそれを最後まで読んでもしっくりこないのなら、一か所だけではなく全体的に理解できていないということだと思います。

そもそも僕が言いたいことは「人生とは自分をプレイヤー(主人公)とする魂成長のためのRPGであり、我々にはシナリオ・ルートの選択権(自由意志)があって、我々は一人ひとりが世界を救うというベクトルで愛を日々実践し、魂を成長させていかなければならない」ということであって、宇宙(時間を含む)の仕組みの説明はその根拠のようなものです。だから宇宙の仕組みなど理解されなくても、読んでくれた人が主人公意識に目覚め、愛に目覚めて下さるのなら何の問題もありません。

>特にそれ以上なにも考えることはないのでは?と思ってしまいます。というか、このことについて考えていると途中で頭がバグって考えが先に進まなくなります。この文章を書いている今もなんだかモヤモヤしています。

常識的な世界認識には明らかな矛盾点があるのに、それを「特にそれ以上なにも考えることはないのでは?」などと言って放置しようとするところがNPC意識なのです。それでもあなたがどこかひっかかっていて、色々考えてモヤモヤしてしまっているのは、あなたの意識が目覚めかかっているからなのでしょう。

宇宙の仕組みを理解するよりもっと大切なことは、日々愛(思いやり)を実践して育てていくことです。自分の名前すら憶えていられないほど知能が低かった周利槃特(しゅりはんどく)でも悟りを開けたのですから、宇宙の仕組みなど何も理解できなくても、日々愛(思いやり)を実践していれば、悟りは開けて幸せになれるのです。

逆にそういう日々の愛(思いやり)の実践という過程をすっ飛ばして主人公意識だけに目覚めると、単にエゴで自分本位に生きるだけの愛のない人になってしまったり、プレッシャーで苦しくなってしまったり、精神が分裂してしまったりして危険なので、今理解できないのなら無理してまでは理解しようとしないで下さい。


>もう少しNPC目線の人にもわかりやすいように説明していただけませんか?

あなたはその「NPCのままでいたい(眠ったままでいたい)」という思いが強いから、宇宙の仕組みを理解すること(目覚めること)を拒否しているのだと思います。僕がどんなに言葉を尽くしてわかりやすく説明したところで、あなたが主人公として目覚めることを拒否し、常識的な世界観に逃げ込んで他人の背中に隠れるようにして生きようとしているのであれば、理解できるわけがありません。

繰り返しますが、もしどうしても理解できない(したくない)のなら、無理に理解しようとする必要はありません。それはまだあなたにとって「少なくとも今は」理解しなくても良いってことなのですから。あなたはこのディズニーランドのような仮想現実において、まだ「無数にいるお客様(NPC)」の一人として楽しみたいのであり、その運営側になること(楽しませる側・救う側になること)を心が拒否しているのでしょう。あなたの魂はまだ若いために現在そういうプロセスにいるのです。

悟りというのは競争ではなく、クリエイター側は楽しませたくて世界を創っているのですから、NPCだろうと主人公だろうとあなたが楽しめればまずはそれでいいのです。春の訪れと同じように、時がくれば目覚めるでしょうから、焦る必要はありません。

ただもしあなたが人生を全然楽しめていないのなら、楽しみ方のガイドである僕のnote・質問箱の内容を試しに信じて実践してみて、「プレイヤー(主人公)」として目覚めながらこの人生を生きられるようになった方が楽しいのではないかと僕は思いますが。

単に多くの一般人がまだ知らない・理解したくないというだけで、量子力学では人間の感覚・常識に反する事実が何十年も前から次々に発見されているのであり、我々も我々の認識している世界も異次元(概念次元)にある情報の反映(仮想現実)であることは界隈では確実視されていて、それ以外に論理的に整合性の取れた仮説というのは存在しないのです。真理というのは人々の思い込み・常識とは関係なく超然として存在しているものであり、あなたがその説明にしっくりくるかこないか、信じるか信じないかは関係ありません。

説明動画の一例:https://youtu.be/FpucPugaYSs

>ひっそりと応援してます。

普通に「応援しています」で良いところを、なぜわざわざ「ひっそりと(具体的には何もしません)」などと付け加える必要があるのでしょうか?もし僕を堂々と応援したら、僕から寄付などを強要されたり、何かあったときに誰かから責任を問われたりするとでも思っているのでしょうか?それとも誰かエージェント・スミスみたいな人たちから「あんな奴を応援するなんて中二病だ」などとバカにされるのを恐れているのでしょうか?

僕の伝えたいことをもし少しでも理解していたら、「応援してます」とか「頑張って下さい」ではなく、「(主人公として)お互い頑張りましょう」になるはずで、僕はそう言われるのが一番嬉しいですし励まされます。あなた自身は頑張る側・応援される側ではないと思っているのですか?どうかもっと堂々と生きて下さいね。人目ばかり気にして他人の背中に隠れながらひっそりNPC人生を生きていても何も楽しくないと思いますよ。

それでは、あなたが日々愛(思いやり)を実践し、いつか目覚めて幸せに導かれることを心よりお祈りしております。

2025年1月11日土曜日

執着の乗り越え方

【質問】50代・女性 ペンネーム:aisha.ykato

はじめまして、noteの記事を大変興味深く読ませていただきました。

数年前にネットで確かスピリチュアル系の検索をしていたときに、こちらにたどり着いたのですが、そのときは難し過ぎて正直なところ読む気が起きず、ただなぜかページを保存だけしていました。それがつい先月に再度気になって読んだところ、まさに自分が必要としていた内容ばかりでした。本当に不思議です。今まで読んだどの本よりも気づきと共感と感銘を覚えました。そして質問や相談を無料で受け付けられていることもお金のない社会を実践されていることを尊敬します。(バシャールなど今まで色々な方々の考え方にも深く共感しましたが、結局はあまりの高額な料金に、やっぱりお金なんだ…と違和感を感じてしまいます)

貴重な智慧を共有してくださり、本当にありがとうございます。お蔭で人生観が変わりました。(インスタのフォローバックもありがとうございます!)

宇宙の仕組み(仮想現実と創造主)をはじめとし、全ての記事を読ませていただきました。まだ私には理解に難しい部分があり、何度も読み返しているところです。近い将来出版されることを心から願っています。

私も縁あって出会った全ての人を例外なく愛し大切にし、損得 (give and take)ではなく、見返りを求めず奉仕する人でありたいです。そして、周りの苦しんでいる人たちをポジティブな方向へサポートできるよう、真理を学び続けたいです。

さて、いくつか質問させていただきたいことがあります。

もしお返事いただけますと大変ありがたいです。

1. 霊障と許しについて
-人は複数の霊の集合体で、ネガティブな霊に支配されないよう、愛と勇気を持って突き進む(感謝し成長する)ことが大切だと理解しましたが、主人格の霊=自己意識とそれ以外の複数の霊たちとの違いとは何なのでしょうか?自分の意識=主人格は一つでたとえ死を迎えて肉体を持たなくても、自分の意識は消えることなく永遠に存在し続けると思っていましたが、複数の霊から成り立っているとなると、どれが自分の本当の意識なのでしょうか?(私は肉体は主人格の霊のみで成り立っており、あくまで外部の霊によってネガティブ/ポジティブな影響を受けているのかと思っていました)

-霊障によってネガティブな行いをしてしまったのかもしれませんが、自分の過ちを許すことは、責任転嫁や自分を甘やかすことのように感じて逆に罪悪感が増しますし、きっと相手からもさらに恨まれてしまうと思います。相手への誠意も持ちながら(怒らせずに)自分を許すことはできるのでしょうか。

離婚相手に対し、ずっと被害者意識と怒りを持っていましたが、なぜか少し前から、あの死にそうにつらいことがあったお蔭で、自分が成長して逞しくなって、周囲にも優しくなり、子どもたちとも一緒にいられることも当たり前ではなく、有難い気持ちで心から喜びを感じられたり、女性一人で子ども二人連れて中東に行き、切磋琢磨して何とかやっていける逞しい自分になれたことを、逆に感謝しないといけないと思えるようになったのです。

それに輪をかけて、Shinyaさんの記事を読んで、私が主人公のRPGで私を成長させてくれるために、自ら悪役を買って出てくれたことに、本当にありがとうと思えるようになりました。(思えなくなるときもまだありますが…)一方で、どんな理由があるにしても、結果的に私が子ども二人を連れて彼の元を去ってしまったことで、今もつらい思いをさせていることへの申し訳ない気持ちと罪悪感は変わらないのですが…

2. 捨てることについて
ブッダの教えで、覚るには、とにかく捨てることが大切だと知りました。最後は自分の存在の実感すらも。自分という気持ちも。モノに価値はなく捨てるに値すると頭では理解していますが、どうしてもまだ好きな洋服を買ったりと、物欲が強く、自分を飾ったりすることがやめられません。常に何かを得ようとしてしまいます。また、仕事でも、もっと自分が向上したい、貢献したいという気持ちが強く、これらも捨てるべきなのでしょうか。

リクエストしたい記事
-執着の手放しかた
お金や地位、物への執着が、心の平穏を失い、しあわせから遠ざかることだと頭では理解していますが、それらを欲する気持ちをどのようにコントロールし手放すか具体的な方法があれば教えていただきたいです。

-夢について
なぜ人は眠っている間に夢を見るのでしょうか?その真意は何なのでしょうか?

また、夢が自分の意識が作り出す連続性のあるもう一つの世界に感じて仕方がありません。見える景色、場所、状況や感触があまりにリアルで、ただの自分の作り話とは思えないからです。夢から気付きをもらうこともあります、夢の意味についてもっと知りたいです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。最初からこのような長文でご質問やリクエストをさせていただき恐縮ですが、可能な範囲でお答えいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

【回答】
ご質問ありがとうございます。noteを読んでいただいてとても嬉しいです。僕も文章が長い方ですし、質問文も長い方が事情が良くわかって助かります。

>バシャールなど今まで色々な方々の考え方にも深く共感しましたが、結局はあまりの高額な料金に、やっぱりお金なんだ…と違和感を感じてしまいます。

ホントですね。もちろん金を欲しがっているのはバシャール自身ではなく、それを自己利益のために利用しようとしている人たちなのでしょうけども。その点については他の宗教・スピに関しても同じですね。我々と別次元にいる神仏がこの次元のお金を欲しがるわけがありません。例えどんなに良い事を言っていたとしても、大金を要求したり何かを強要してくるような人には近づかないことです。


>全ての記事を読ませていただきました。まだ私には理解に難しい部分があり、何度も読み返しているところです。

何度も読んでいただけているとのことで、大変光栄です。

僕の書いていることの多くは、理解が難しいというよりも、受け入れるのが難しいんだと思います。人間に初期設定されている常識(思い込み)に反する内容ですから。人はそれぞれ「自分の考えは正しい」と思って生きていて、それに反する内容を受け入れようとするとプライドが傷ついてしまうので、心が拒否してしまうのは自然なことなのです。ましてあなたには50年以上にも渡って強固に築き上げてきたあなたの常識(思い込み)があるわけですから、難しいのは当然です。

みんな人生というRPGのプレイヤーですから、他人から答えを教えられると、心が反発するように人間は創られているのです。みんな自分なりに失敗と試行錯誤を繰り返して自分なりに納得しながら前に進まないと、人生を生きる意味がないのです。

>周りの苦しんでいる人たちをポジティブな方向へサポートできるよう、真理を学び続けたいです。

その思いこそが菩提心なのであり、それはとても尊いもので、心からそう思うきっかけに僕がなれたとしたらとても嬉しいです。ただ僕らは経験して理解するために生まれてきていて、真理というのは経験を通じないと深くは理解できないものなのです。もし真理が経験もなく文章を読むだけで理解できるものであったら、人生に意味はなくなります。

だから僕が伝えようとしている真理も、現段階でまだよく理解できていなくても、あなたなりに実践し経験を積む中で腑に落ちて理解して幸せになって欲しいのです。僕の記事の内容を信じて実践したからといって、僕からお金を請求されたりどこかの団体に勧誘されたりするわけじゃありませんし、得るものはあっても失うものは何もありませんから、まだ半信半疑であっても実践していただけると幸いです。きっと真理を覚って幸せな人生に導かれると思います。

信じる信じないの基準に書いた通り、真理というのは「それによって自分もみんなも幸せになるかどうか」でわかります。しかしそれは実践してみなければわからないものなのです。僕の記事の内容を「書いてあることは素晴らしいけど、自分にはまだ難しくてできない」と考えて実践しないのでは何にもなりませんし、それではいつまでも本当の意味で理解できるようにはならないのです。僕は記事の内容を読者から褒められたいのではなく、読者に内容を実践して幸せになって欲しいのです。


真理は実践しなければ本当の意味では理解できないものであり、またそれは100%完璧にできるものではないからこそ、我々は実践することで成長し続けることができるのです。もちろん僕自身も成長を目指している過程であって、他人様に言うだけのことはやってますが、完璧にできているわけでは全然ありません。あくまでベクトルを真理の方向に向けながら実践し成長し続けることが大事なのです。

>主人格の霊=自己意識とそれ以外の複数の霊たちとの違いとは何なのでしょうか?自分の意識=主人格は一つでたとえ死を迎えて肉体を持たなくても、自分の意識は消えることなく永遠に存在し続けると思っていましたが、複数の霊から成り立っているとなると、どれが自分の本当の意識なのでしょうか?(私は肉体は主人格の霊のみで成り立っており、あくまで外部の霊によってネガティブ/ポジティブな影響を受けているのかと思っていました)

いきなり高度な話をすると面食らうかと思いますが、本来的に世界はワンネスなのであり、本当は「自分」と「他者(外)」という境界線は存在しないのです。我々は初期設定で与えられている「分離意識」によって「自分」と「他者(外)」が別なものだと思わされているだけで、本来的には全てが一つなのです。

あなたが認識できるすべての存在があなた自身の反映なのであり、本当のあなた(統合意識・創造主意識)の内側のものだということです。だから霊障というのも人間からすれば「外」から貰ってくるように思えても、単にそれは創造主が物語上そう見せているだけで、本当はそうではないということです。人生という「自分をプレイヤー(主人公)とするRPG」は、ゲーム全体が自分自身なのであり、そのゲームの外側から貰って来る存在など有り得ません。ゲームの中の全ての存在・事象にはきちんとシナリオ上の意味があって、それはクリエイターからの愛によって自分に与えられているのです。

「一霊四魂」という言葉があるように、主人格(直霊なおひ)と他の人格(四魂・それぞれに役割がある)は不即不離であり、いわば同一のものなのです。

そして低我(エゴ)・霊障による邪念の揺さぶりに負けないように、自分の愛を実践し哲学を積み上げていくことが魂の成長なのです。人生が与えられているということは、そのようにして「自分はどういう存在か?」というのを更新(成長)できる機会を与えられているということなのです。

本来我々(本当の自分)は光(智慧)そのもののような存在であり、思念・概念的な存在なのです。ただそのままでは何も経験できず、成長もできず、「自分とはどういう存在か?」を更新できません。それが肉体と共に無明の闇(愚かさ、霊的・魂的穢れ)を与えられることで経験・成長機会が与えられ、自分という存在を更新する機会を与えられているのです。

それ自体がとてもありがたいことなのであり、我々はそれを心から願って生まれて来たのですけども、それも無明の闇に隠されているがゆえに思い出すのは困難なのです。そうして人は往々にして他人と比べて自分に与えられていないものを嘆き、人生が自分次第に創られていることにも気づかず、容易に被害者意識に飲み込まれて魂の成長を怠り、霊障を成仏させることができずに振り回され、不幸に導かれてしまうのです(だから難易度が高いのです)。

我々に与えられた無明(愚かさ・成長課題・カルマ)の最たるものが霊障であり、それが我々に愚かさ、霊的・魂的穢れとしてネガティブな方向に導く役割があって、それを乗り越えていくところに魂の成長があるということです。そしてそれが人生というRPGの設定の核なのです。このあたりの話は概ね憑依現象(霊障)について」「浄霊の効果の高めるには?などでご説明させていただいています。

霊障(霊的・魂的穢れ)は人生におけるカルマ(課題・シナリオ)を構成しているものであり、いわば映画フィルムのカラーのようなもので'す。そして魂というのは映写機の光のようなものであり、映すフィルムにカラー(カルマ)がなければ人生という物語は成立しないのです。しかしもし霊障をただ放ったらかしにしてカルマに振り回されてばかりいたら、人生は無明の闇に飲み込まれ、魂が成長せず、物語が悲劇にしかなりません。我々は魂を磨き続ける(無明・霊障を浄化し続ける・カルマを乗り越え続ける・愛に生きる)ことで、人生という「自分が主人公の映画」を色鮮やかで素敵な物語にしていくことができるのです。

霊的な穢れというのはあなた自身のシャドウであり、それはがん細胞のようなもので、外からやって来た異物ではなく、自分自身の一部なのです。霊障の因が自分自身にあると認めて許さず・愛さず・自己成長しようとせず、「これは外からもらったものであって自分ではない」と否定し、無理やり排除しようとすることで霊障は人格化し、「否定されたくない」と余計に猛威を奮うのです。このあたりの話は同じ過ちを繰り返してしまうをご参照下さい。

悪いことの因が自分自身にあると認めるということは、自分を責めるということではありません。それは成長課題なのであり、ネガティブな霊障がさせたことも自分の一部であると認め・許し・愛し、一緒に成仏することが大事なのです。


>霊障によってネガティブな行いをしてしまったのかもしれませんが、自分の過ちを許すことは、責任転嫁や自分を甘やかすことのように感じて逆に罪悪感が増しますし、きっと相手からもさらに恨まれてしまうと思います。

分離意識によって、他人に責任を転嫁して自分だけが許されよう・罪悪感から逃れよう・救われようとすれば、当然うまくいきません。それは「蜘蛛の糸」のカンダタそのものです。世界の本質はワンネスなのであり、自分と他人は同時に許さなければ許せないものなのです。答えはいつでも「誰も何も悪くないけど、自分が何とか(成長)しなければどうにもならない」です。

どうか罪悪感によって自分自身を嫌悪しながら罰して不幸になることで相手の懲罰感情を満たそうなどと考えないで下さい。自他を許し・愛し・幸せにできる人間に成長していくことで贖罪をして下さい。

反省してはいけないは読者からかなりの割合で誤読されているのですが、罪悪感を感じる相手には創造主の代理として誠心誠意謝って下さい。人は自分を責める気持ちが強いからこそ、責められたくなくて素直に謝れないものなのです。そしてただ単に自己正当化するばかりで、誰かに責任転嫁するような考え方が前面に出ていれば、相手の心も自分の心も反発するのは当然です。エゴ同士というのは反発するのが必然なのですからね。例え相手に許されなかったとしても、罪悪感・贖罪意識があることを相手に伝えられれば、何の謝罪もしないよりはずっと良いのです。こちらが謝罪・贖罪した上で相手がこちらを許せるかどうかは相手側の課題ですしね。そして罪と恥の存在意義に書いたように、どうか自分が背負った罪悪感の分だけ心から人を許し愛せるようになって下さいね。

そのように自分も罪を抱えているのにも関わらず、自分を害した相手に対して自分を「無辜の被害者」のような立場に置き、上から目線で相手を「しょうがないから許してやろう」などと考えても、それは本当の意味での「許し」にはならず、心の中では自分の罪の相対化のために相手を責め、それをただ表面上我慢しているだけなので、その我慢はマグマのように蓄積していつか爆発するのが自明なのです。

我々の魂は同源・同一のもの(ワンネス)であり、相手と全く同じ条件で生まれていたら相手と完全に同じ人間になっているのです。だから本当の意味で「許す」というのは、相手を自分自身(の過去世・未来世)のように考え、目線を完全に同じにし、「相手も自分と同じように止むに止まれぬ事情があってこうなっているのだから仕方がない」と相手も自分自身も許して愛することが大事なのです。とても「忍耐」の要ることですが、それはただ「我慢」するということとは次元が違うのです。

相手の非に思えることも、あくまでクリエイターがあなたの魂の成長に必要だから、その相手との出会いを通じてもたらされているものであり、それは常に愛によって与えられているのですから、愛によって解釈し、感謝しながら成長につなげていくことが大事なのです。もちろんそれはとても高度なことであり、僕自身も実際の人間関係の中では容易に忘れてしまいます。それは死ぬまで続く戦いなのです。

>離婚相手に対し、ずっと被害者意識と怒りを持っていましたが、

あなたのご離婚については詳細が書かれていないので何があったのか知る由もありませんが、離婚についてもご参照いただけると幸いです。相手のせいだと考えているうちは、許そうと思っても本当の許しにはなりませんし、自分の成長にはつながらないのです。

>モノに価値はなく捨てるに値すると頭では理解していますが、どうしてもまだ好きな洋服を買ったりと、物欲が強く、自分を飾ったりすることがやめられません。常に何かを得ようとしてしまいます。また、仕事でも、もっと自分が向上したい、貢献したいという気持ちが強く、これらも捨てるべきなのでしょうか。

エゴ(欲)とは何か?に書いた通り、悟りの道というのはエゴ(我欲)を無理に失くそうとすることではなく、エゴ(我欲)より愛(思いやり)を優先しようと常に努力し続けることなのです。

僕は「仕事での向上心や社会に貢献したいという気持ちを捨てるべき」なんてことは全然言ってませんし、そのように思われているのなら全くの誤解です。問題はあなた自身がそれを「捨てなければ」と思ってしまうほどに、己のエゴ(競争心・他者評価依存・執着)によって心が「苦しい」と感じていることです。

あなたの質問文全体を通じて感じられることは、まだ分離意識がとても強固なことです(人間の基本設定ですから当たり前ですが)。それによって競争心と他者評価依存が強いままで、とても勝ち気で負けず嫌いな感じがします。そして魂の成長というのは収入・社会的成功・他者評価とは無関係のものなのに、それさえも「誰か他人から評価されること」を価値としていて、すべてを見ている創造主ではなく他人からの評価を求めてアピールしている段階にあるような感じがします。だから苦しいのでしょう。

世の殆どの人にとっては分離意識を外して考えてみるということが全く思考の外にあって、この世界が仮想現実(魂成長のプログラム)だということも、自分自身が主人公なのだということも、まだ本当の意味では受け入れられないのでしょう。もちろん人間それが普通なんですけど、その普通(常識・思い込み・NPC意識)を乗り越えないと物語の主人公にはなれないのです。「別に主人公になどなれなくていい」と思うのかも知れませんが、そのようなNPC意識のままでは成長できず、悟り(本当の幸せ)には辿り着きようがないのです。

世間では多くの人が自分を他人と比べて「他人から評価されなければ価値はない」と深い部分で確信的に思い込んでいて、それが社会的に常識化し、それを外側から「異常である」と認識することさえできなくなっているのであり、それは社会病理なのです。そしてそれが「金・モノ・評価」への執着を生んで、愛よりエゴを優先するのが当たり前になっているのです。そして富や権力を他人にアピールして振りかざしたり、またそれができないからと卑屈になって「(誰かと比べて)自分は恵まれていない」と被害者意識を持ってしまうようになるのです。他者評価依存・被害者意識というのは人を不幸に導く(乗り越えるべき)人生のトラップなのであって、その意識を乗り越えて心から感謝できるようになっていかなければならないのです。感謝=幸せなのですから。

ほんの一部しか見ていない他人からの評価なんて本当にいい加減なものですし、人それぞれの考え方・性格や気分などによって左右される儚いものです。全ての面において他人より優れていて、他人から一生評価され続けるなんてことはありえませんし、そもそも世の中は自分を評価しない人・関心さえ持たない人・直接知り合うことさえない人がほとんどなのであり、外見や能力もいずれ衰え損なわれていくものですから、他者評価に依存する限り、人は絶対に幸せにはなりようがないのです。

分離意識・競争心・他者評価依存で生きると苦しいのは当たり前のことです。実に多くの人が自尊心を維持しようとするために能力や実績や主張の正しさによって自分がいかに周囲より優れているかを示そうとして周囲から嫌われ、孤独で幸せではないのに見栄のために幸せを装い、自分の間違いを自分で認めることを傷つくことだと捉えているがゆえに成長から遠ざかっているのです。そしてそれこそが不幸の原因(成長拒否)なのです。そもそも成長の目標というのを富と名声(他者評価)に置いていて、魂の成長には置いていないのでしょう。魂の成長プログラムである人生において、魂の成長と逆行する要素というのは不幸に導かれるのが必然なのです。

せっかくの仕事における向上心や貢献したいという気持ちも、動機にモノや実績や権力など何かを得ることによって自尊心を満たそうとするエゴが強くあると、そこに見栄・執着が生まれ、また過ちや欠点を自分で認められずに隠すようになって魂的な成長が難しくなりますし、結局手に入らないもの・失うものばかりで焦燥感が生まれて自尊心が下がり、心に愛を失って他人とうまくいかくなり、幸せから遠ざかってしまうものなのです。

世界の本質はワンネスですから、人間は損をしても得をしても脳がダメージを受け、自分を嫌いになって鬱になるように創られているのです(科学的に証明されています)。ですから損得勘定で生きること自体がもう既に不幸なことなのです。しかし同時に人は得をすると快楽物質が出るように創られているために無自覚なエゴジャンキーと化してエゴに埋没し、その損得勘定・エゴを基軸とした思考と行動が自分も周囲も傷つけていることに気づけないのです。

殆どの日本人は「他者評価依存」の傾向が強く、それが執着を生み、ほぼすべての行動の動機を愛ではなくエゴにしてしまい、それを当たり前だと思って意識さえせず、心の奥底では自分も他人も嫌いになって鬱状態に陥っているのです。そしてそれこそがNPC意識(不幸の元凶)なのです。

本来的には、本当に腑に落ちて魂レベルで考え方が変われば、その魂を主として行動が変わります。しかし人間にとって執着から離れる(エゴによる情動に振り回されなくなる)というのはとても難しいことなので、行動(実践経験)によって自分自身を魂レベルで変えていく(エゴによる情動を愛に変えていく)という荒治療(修行)が必要なのです。だからこそ仏陀は「六波羅蜜」の実践を重んじたのです。

お金の時代の終わらせ方(新六波羅蜜)は是非繰り返し読んで実践していただけると幸いです。僕は決して仕事や財産を全部放り出すべきだとか無茶を言っているわけでは全然ありませんので、誤解しないで下さいね。執着を手放すには、エゴより愛を優先することであり、僕に言わせればそれは「新六波羅蜜」を実践することなのです。あなたがまだ執着が強いのだとしたら、それはまだエゴより愛を優先することの実践が足りないからなのだと思います。きっと僕が実践して欲しいと言っていることも「執着が強い今の自分には無理だ」「(頭で)悟れてから実践しよう」などと考え、後回しにして(拒否して)いるのでしょう。

この世で何かを物理的・権利的に手に入れようとしてばかりいても、手に入らないもの・失うモノばかりで悲しく虚しくなり、愛を失って周囲とぶつかってばかりになり、どんどん心が貧しくなってしまいます。物質的・権利的なものはすべて幻であり、次の人生に持ち越せるものは魂だけなのです。その魂を豊かにするためには、お金やモノや権利や他者評価を得ることではなく、己の心を愛で満たし、全てをありのままに愛し、それを行動に表すことです。それができれば全てがあなたの魂(仏国土)と一体化し、それは全てがあなたのものになったようなものなのです。そしてその真理に実践経験から気づいて心から納得して幸せになっていただきたいのです。

それと女性がより美しくあろうと努力すること自体は素晴らしいことなのですが、美(外見)や恋愛的・性的なことを生きる活力みたいにすることには年齢的な限界があり、あまりそこに執着が強いと歳をとるのがよりいっそう苦しくなり、不自然に老化に逆らうようになって無理が生じてストレスになり、他人にもストレスを与えて避けられ、自分を虐めて卑屈で孤独になり、諸々諦めることで活力を失くし、心身共により早く老けることになってしまうと思います。それこそエゴ(魂の成長拒否)による自滅なのです。

人は年配になるほど容姿や服装なんかよりも「人間性による本質的な美しさ」の方がより大事になってくるのです。それは生き様の反映なのですから、見栄を張ってわざわざアピールしなくても(しない方が)所作や言動の節々に表れるものなのです。もし不必要にたくさんの服を欲しがり、またブランド品みたいな高いモノを欲しがっているのであれば、それは他者評価を受けそうなものを身に着けることで他人から評価されて自尊心を上げようという意識(見栄)があるのではないかと思います。それはやはり他者評価依存なのであり、「魂の成長」「人間性による本質的な美しさ」とは逆行するものなのです。

そしてやはりエゴ同士というのはぶつかり合うものですから、表層意識では色々と見栄を張り合いつつも、深層心理ではお互いにそれを醜いと感じて深い部分でお互いを嫌いになってしまうのです。洋服などはあなた自身の価値とは何の関係もなく、そこに執着するほど心に愛を失って己の本当の価値を下げてしまいます。本当の価値が愛にあるという真理も、やはり実践経験から己の魂に学ばせ成長しなければならないのであって、頭だけで理解しようと思っても無理なのです。

どうか誰でも自信満々になれる方法に書かれていることを、頭だけで理解しようとせず、実践から魂に刻むようにして理解して下さい。自信・自尊心は幸せとイコールの存在であり、その自信・自尊心=幸せというのは「自分も他人も無条件で愛し抜く覚悟と実践」によってしかもたらされないものだと気づいて幸せになって下さいね。心からそう祈っています。


悟りとは何か?に書いた通り、悟りの道というのは競争じゃありませんし、他者比較・他者評価は関係ありません。あなたというプレイヤー(主人公)個人に与えられたシナリオ・設定があるのですから、他人とシナリオ・設定(能力)・経験・進捗などを比べる意味はなく、あなたが常に自分の現時点を基準として魂の成長を楽しみ続けられればそれで良いのです。創造主は全てを知っている存在で、完璧に情状を酌量してくれますから、信心を持って魂の成長さえ目指し続けていれば、後は何の心配も要らないのです。


執着を乗り越えるのに必要不可欠なものは「信心」だと僕は思います。あなたから信心について全く言及がないのは、恐らく多くの日本人が陥って常識化している「宗教嫌悪症」になっているからであり、宗教=怪しいもの・詐欺だと決めつけているからではないかと思います。そして信心を「どこかの宗教団体に所属すること=己の心の弱さから洗脳され、金を騙し取られること=負け」と勘違いしているのでしょう。そして創造主・神仏を心から信じていないからこそ、他者評価を価値として執着してしまっているのでしょう。

信心なくして「創造主・神仏から自分が主人公として今を生かされているということへの心からの感謝」など生まれようがありませんし、それなくして幸せになれるなどということもないのです。そして今を生かされているということへの信頼と感謝がなければ、いくら稼いでも不安がなくなることはなく、お金に執着せざるを得なくなります。そしてクリエイターと自分の存在に対して心から感謝できるように魂(哲学)を成長させられていないのに、何かに対して「感謝しなければならない」と感謝を無理やり自分に強いることは、必ず「嘘」が混じることになり、嘘を自分に強いることはそれ自体が苦しく不幸なことなのです。

僕が記事で語っていることは、すべて創造主から覚らされていることであり、もし僕を信じて下さるのなら、どうか創造主を信じて下さい。

<創造主からの伝言・さとり三カ条>
①偉くなろうとするな。(自他全ての存在が)尊いと知れ。
②特別になろうとするな。特別(主人公)であると知れ。
③日々愛を実践し、特別ではなくなること(差取り・ワンネス)を目指せ。

+幸せになろうとするな。幸せであると知れ(感謝報恩に生きよ)


>リクエストしたい記事 -執着の手放しかた
この記事こそが「執着の乗り越え方」なのであり、そもそも僕の記事は全体として本質(真理・愛)について書いており、それは執着の乗り越え方とイコールなのです。あなたがまだ執着に苦しめられているのは、頭で理解しようとするだけで実践から魂レベルで学ぼうとしていないからだと思います。誰でも自信満々になれる方法お金の時代の終わらせ方」「自分と他人の愛し方などをよく読み返して実践してみて下さい。

>リクエストしたい記事 -夢について
既に旧質問箱で回答させていただいたのですが、リンクが見つかりません。
夢だけでなく、全ての事象に意味があって、全てがあなたの人生の伏線なのであり、どう解釈するか?がとても大事なのです。全てが愛によって与えられているのですから、愛で解釈できれば、より正しく解釈できるようになっていきます。そこに魂の成長があるのです。

アヤワスカ中の経験であれば、それが夢のようであっても、僕はその意味をだいたい正しく読み解くことができるのですが、日常的に人それぞれが見る夢の意味を読み解くようなことは僕にはできません。夢というのは本当に色々あって、それぞれに意味があるので、その全てを読み解けるようになるような一貫した説明というのはできません(恐らく存在しません)。旧約聖書のダニエルみたいに夢解きができる人もいるのかも知れませんが、少なくとも今の僕にはできません。だから残念ながら夢についての記事は僕の中の優先順位としては低いです。せっかくリクエストいただいたのにすみません。

世界の救い方

【質問】 30代前半・女性 ペンネーム:Tipoo       職業:ピアノ・絵画講師 、アーティスト、フリースクールスタッフ              アヤワスカチャレンジャー 真也さん、こんにちは。 エゴによる悩み苦しみはかなり訂正されてきたんですが、今1つだけ願いがありま...