2023年9月27日水曜日

自立できない大人に対して

【質問】年齢性別不詳(旧質問箱からの転載)
ニート・子供部屋おじさん・彼女の家に居候して生活費も彼女持ちのヒモ・友達の家を転々としていたり実家暮らしで、遊び金だけバイトして稼いでるだけのフリーターなどをどう思いますか?

【回答】
どう思うも何も、僕自身が筋金入りのニートなので(笑)そして彼女一人に依存はしていないだけで、男女問わず多くの人のヒモであります(笑)今の寮に入るまではホームレスで友人宅を転々としたり野宿したりしていましたしね。

世の中「大人になっても働かずに養われていて自立できない人間が気に入らない」方はたくさんいるでしょう。

しかしもし自分が「大好きで得意な事で社会に貢献し、高い評価と多くの対価を得ている人」なのなら「働かない人(働けない人)たち」を可哀そうだと思うはずです。

それなのにわざわざそういう人たちをやり玉に挙げて責めようとする人は、恐らくお金のために嫌な仕事を責任持ってやっていて、それでも十分な評価と収入が得られず、生活保護受給者と大差のない生活しかできない状態なのではないでしょうか?

もしそうなら「こっちはこんなに嫌な仕事を我慢しながら働いているのに、ラクしやがって(不幸になれ)」と、働きもしないで生活できている人たちを腹立たしく感じるのは当然で、そのような人たちを責めることによって「自分は彼らよりはマシな人間だ」と、自分が奴隷的な仕事を続けるせいで失っている自尊心を回復せざるを得なくなっているのでしょう。そして働けない人を思いやれる心など完全に失っているのですね。

しかし誰しも病気や事故などで働けなくなったり、何かの事情で財産を失ったりする可能性は多々あります。またいつか誰しも歳をとって働けずに介護を受けるようになるでしょう。

「働いてよりお金を稼ぐことが人間の価値であり、働けない人・お金のないの存在は迷惑であり排除すべき」などと考える人は、もし鬱などで働けなくなって(お金のために嫌な仕事を我慢してしがみついていたら鬱になる可能性は大です)お金もなくなったら、自分が無価値で不要で迷惑な存在だと感じるようになり、自分を責めて人を頼れず、きっと自殺に追い込まれることでしょう。

また歳をとって介護が必要になったら迷惑だと思われながらお金のために嫌々世話をされ、財産だけ残して早く死んで欲しいと思われるようになるでしょう。

現代の価値観の社会では、多くの人にとってそのような生き地獄の如き未来が待っているのです。人間関係は完全に鏡であり、すべて自分に返ってくるのです。

現代は「お金を持たない人間は役に立たずで、社会の負担で迷惑なので排除すれば良い」などという「適者生存的な考え方」を多くの人が持つことにより、排除されることを恐れ、嫌な仕事も嫌々我慢しながらやって、嫌な人間になって心に愛を失い人に嫌われ、結局いつかは働けなくなって社会から排除されるのです。

それは支配者側にとっては非常に都合の良い状況であり、多くの人がそうして自ら彼らの奴隷となり、その支配体制を支える一員になっているのです。

僕はそんな地獄のような社会には生きたくないので、社会の価値観ごと変えてしまおうと思っています。価値観が社会システムを作っているのですから、価値観が変われば社会システムは必ず変わります。note記事「宇宙の仕組み」に書いた通り、自分の認識世界は主人公である自分自身が作り出しているものであり、全てはフラクタルにできているので自分が変われば必ずそれは連鎖するのです。

人の価値って一体何でしょうか? note記事人の価値とは?に書きましたが、人の価値は存在そのものなのです。すべての存在に意味と役割があり、価値のない存在などどこにもないのです。すべての存在・出来事は一つなぎであり、すべてが壮大な因果でつながっていて、独立して存在しているものなど何一つないのです。それなのに自分がただ他人から命じられた仕事をこなしてお金を稼いでるってだけで自立した人間だなどと考えるのは無知かつ横柄であり、自立を人生の目標にするのは大間違いだと僕は思います。

猫は人に飼われなくても生活できるのに、素直に人に甘えてくれて世話する喜びをくれます。一切働かず一日中食う・寝る・遊ぶだけですが、生きる喜びを素直に表現するだけで人を幸せにし、孤独を癒してくれます。あなたは誰かにとってそういう存在になれているでしょうか?それはお金稼ぎよりずっと大事なことだと思います。

note記事誰でも自信満々になれる方法に書いた通り、僕は例外なく出会いに感謝し、出会った人を例外なく愛し・尊敬し・感謝し・許すことを決めているので、どんどん人に愛され、自分自身を大好きになっています。

「こういう種類の人間(働かない人間など)は気に入らない」と出会う前から人間をカテゴリー分けして先に嫌うことを決めてしまう人は、過去だけでなく未来の出会いまで既に失っているのです。

もちろん「働かずに養われている人」の多くは幸せではないと思います。人生は成長のためのプログラムであり、ラクして成長はできませんから、ラクして生きているように見える人は不幸であり可哀そうなのです。

人は基本的に人を幸せにすることでしか幸せになれないようにプログラムされているのに、ラクをして怠惰に生きている人というのは基本的にエゴイストで、人を幸せにせず不幸になっているのです。人に何かしてもらって素直に感謝し喜べる人は人を幸せにしていると思いますが、多くの人は自分に与えられるものを当然と考えて感謝していません。

そういう人たちに対して説教などしても自尊心を下げて自己嫌悪に陥らせて「どうせ自分なんて…」と考えて悪い思考・行動がやめられず逆効果になりますから、自分自身が無償で人に貢献し、人を愛し人に愛され幸せに生きている背中を見せることで、「他人を幸せにすることなく自分が幸せになることなどできない」ということ(ワンネス)を覚らせなければならないのです。

僕は働かずに生活していますが、それはお金を稼ぐために働いていないだけで、人を救う為に勉強し、その果実を人と共有し、また一日中人に奉仕して、人を幸せにしています。そうして多くの人に存在を喜ばれて愛され、助けられてそれを素直に心から感謝することでまた人を幸せにしながら幸せに生きているのです。

本当は僕らはもうほとんど働かなくても生きていける時代になっています。それなのにエゴで争い合い奪い合ってばかりいるからいくらあっても足りないようになっているのです。AIが進化によって本来僕らはどんどん働かなくてよくなっているはずなのに、仕事能力と稼いだ金を価値とする価値観のせいで、AIに仕事(存在価値)を奪われることに戦々恐々としています。それは本当にバカげた話です。

本当に愛があればみんなが助けてくれますから給料でお金を稼ぐ必要などないのです。結局多くの人は愛される自信がないから嫌な事をしてでもお金を稼いで自立を目指し、エゴ(我欲・保身・虚栄)まみれになって益々愛されない人間になってしまっているのでしょう。

特に女性がそうして自立を目指して人に愛されず婚期を逃してどんどん意地悪な人間になっていくのを見るのは辛いです。

だいたい仕事をするのにも人を頼れなければ大きな仕事はできませんし、他人でもできるようなつまらない仕事を嫌々奴隷のようにしなければならなくなります。嫌々仕事をしていて人から愛される人間・社会的に成功した人間などいません。

愛の存在要件は「他者の必要性」です。創造主は存在の全てであり、完璧な存在であるがゆえに他者が存在せず、必要ともしないために、存在意義がなく、愛を経験できないのです。だから創造主は愛を経験するために人間とこの世界を創り出したのです。

誰かの助けを必要とする人がいるから、それを満たしてあげることで愛は生まれ、自分にも相手にも存在意義が生じるのですから、人に頼られる(必要とされる)のは光栄なことであり、それを迷惑だなどと思って見下すから、自分が人に迷惑をかけて見下されることを恐れて人を頼れないのです。そうやって人を見下しているために、人に見下されることを恐れて嫌な仕事にもしがみつかなければならなくなっているのでしょう。

欲は悪いものですか?に書いた通り、エゴをなくせば良いというわけではありません。愛とエゴは磁石の両極のようなもので、片側だけでは存在し得ないのです。何かを欲してくれる存在がいるから、それを満たすことで愛は生まれるのであり、みんなが出会った人のエゴを自分のエゴよりほんの少し優先して満たすようになれば、現代社会のようにエゴは肥大化せず愛に満ちた社会になるのです。自分が主人公(勇者・メシア・菩薩)としてその連鎖反応の起点とならなければなりません。

どうかお金など無視して、無償で見返りを求めずに、あなたの大好きで得意なことで人を喜ばせてみて下さい。例え最初はお金を稼げず生活が不安定になり、例え国や誰かに養われることになってでも、長期的にはきっと人生が好転するでしょう。どっちみち人が嫌がる仕事は遠からずAIにとって代わられます。

みんな貧困を恐れますが、貧乏なんてゲームだと思えば楽しいものですよ。素直に人を頼り、無償で人に奉仕し、清潔を心がけ、本当に愛と感謝に生きている人は飢え死になんてしません。必ず幸せになります。僕は経験上それを確信しています。

季節が原因の希死念慮

【質問】年齢不詳・女性
私は気候と季節でメンタル左右されてしまいます。先週まで日本も物凄い暑さで終わらない日差しと湿度に絶望してたら今週に入ったら朝晩は寒いくらいです。直ぐに極寒の冬がくると思うと体がシンドくて生きてるのが辛いと感じてますが、希死念慮の対象が自然現象の場合はどうしたら良いでしょう?

【回答】
ご質問ありがとうございます。

僕も暑さ寒さは苦手ですし(それもサンパウロにいる理由の一つです)、暑さ寒さが大好きだという人はあまりいないと思います。ただ大抵の人は暑さ寒さを「しんどい」とは思うでしょうけど「死にたい」とまでは思わないでしょう。

季節の変わり目などに郷愁を感じるのはごく普通のことですが、それも鬱状態の人からすれば死にたいぐらいの気持ちになってしまうのでしょうね。「季節性鬱病」なんてものもあったりするぐらいですからね。あなたの年齢は存じ上げませんが、更年期障害が起きるような年代の方であれば猶更そのようになりやすいと思います。

気候は同じ地域に住む人に平等に与えられるものであり、もしそれが希死念慮の原因なのなら、同じ地域に住む人全員が死にたくなっていることでしょう。そしてあなたはもし年中快適な気候の土地で生活していたら心底幸せで死にたくなってはいないのでしょうか?

結局、季節変動はトリガーであってあなたの希死念慮の原因そのものではないのでしょう。暑さ寒さによって希死念慮まで行きついてしまうあなたは、少なくとも広義では完全に鬱状態にあるのだと思います。問題(課題)は決して暑さ寒さなどの自然現象側にあるのではなく、あなた側の鬱にあるのです。そしてそれはあなたが諦めたいだけで解決可能なものです。

鬱というのはそれぞれの形でそれぞれに与えられる、覚り(幸せ)に必要な過程(課題)なんですね。だからどうか鬱状態に陥っている自分を責めないで下さい。ただ乗り越えていけば良いだけなのです。不幸を経験せずに幸せは経験できません。幸せになるためには、まず現時点において不幸なら不幸であると認め、幸不幸は自分次第なのだと認めるところからです。

あなたのことはよく知らないので違っていたら大変失礼なのですが、あなたはきっと解決可能である自分の様々な問題(課題)に対し「自分には無理」と立ち向かわず逃げ続けているために、カルマ(課題)を解消できずに積み重ね、成長とは逆のベクトルに進んでいるために、死にたくなるぐらいの鬱(不幸)に導かれているのでしょう。そしてそんな自分からも目を逸らし責任回避したいために、鬱の原因を自分ではどうしようもない自然現象と生まれ持った生理・気質に転嫁しているのではないかと思います。

もちろんそれも含めてあなたにとって必要な経験・乗り越えるべき課題だから与えられているのであり、それは多くの人が同じですから、落ち込む必要はありません。ただより良い現在・未来を選択すれば良いだけです。

我々が出会うすべての問題(課題)は何か大切なことに気づかせるため・成長させるために創造主から愛によって与えられているものです。そして苦しみというのは、間違った方向に進んでいることに自ら気づかせるために与えられているものなのです。(直接教えてしまっては魂が成長しません)

人間の体というのは感情の楽器であり、どんな出来事(暑さ寒さ・悲しみや苦しみ)が生じてもそれぞれに美しい音色(感情)を奏でる人もいれば、死にたくなるような不協和音を生じてしまう人もいるのですね。

楽器で音色(感情)が出てしまった後からその音色(感情)を無理やり抑え込んでも自分も周囲も苦しくなるだけで、調律の乱れは整いません。また何かが起きる度にまた不協和音を出して自分も周囲も苦しめるだけです。

心の楽器の調律を整えるには、①体という楽器を整えること(健康に気を付け・体調を整えること)と、②考え方(思考・解釈の仕方)を整えることです。

どんな出来事に出会っても素敵な音色(感情)を発することができるように調律を整え、喜びも悲しみも全部含めて人生をオーケストラのように楽しめるようになることこそが魂の成長なのです。

あなたは年齢なりに体をきちんとケアされていますか?食事(特に食事量と精製糖や塩分や肉の取り過ぎ)に気を付け、毎日適度に運動することを楽しまれていますか?人それぞれ個性がありますし、肉体的なケアについてここで細かいことまでは書きませんが、特にあなたがそれなりの年齢になっているのであれば、十分ご自愛なさって下さい。体調が悪い時にポジティブに考えたり他人を思いやったりというのは困難ですから。

そして考え方(心)のケアはされていますか?究極の真理というのは愛でありワンネスです。魂成長のためのプログラムであるこの仮想現実世界は、真理(愛)に近づくほど幸せになるようにプログラムされています。暑さ寒さ程度のことで死にたくなるほど幸不幸が左右されてしまうあなたの考え方はどこかがズレているのでしょう。自分もみんなも幸せになるような考え方こそが真理であり、そのような考え方に向かって成長していたら、暑さ寒さ程度で死にたくなるところまでは行かないはずです。

自分に都合の良いものは赤ん坊でも愛せます。真に大人になるということは、自分に都合の悪いものも自分の成長のために愛によって与えらえれた課題だと感謝しながら乗り越えて行けるようになることです。与えられたものに感謝できない人に、創造主がより良いものを与えたくなるわけはなく、既に与えらたものまではぎ取られ続け、失うことでその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうのは必然です。

人間には自己防衛本能(エゴ)がありますから、誰でも自分が傷つかないために「自分は正しい」と考えていつでも自己正当化してしまうものです。そう、自己正当化というのはエゴなのです。エゴを乗り越えることが成長であり、エゴに捉われていては成長せず不幸になるのが必然です。

特に自分の能力に自信のない人は、「自分は正しい」ということを自信の根拠とするために(正しさに能力は要らないので)必然的に他人の間違っているポイントを探しては責めて愛さず、周囲からも嫌われて愛されず、不幸(鬱・希死念慮)へと導かれることになってしまいます。

人間が成長するのは、自分が間違っているということに気づけた時であり、それを傷つくことだと考えて喜べずにいつでも「自分は正しい」と意地になって、常に自分が傷つかないこと・プライドを守ることを優先してしまっては、成長するわけがありませんし、愛されるわけもありません。

「愛より優先される正義(正しさ)」こそがこの世の苦しみの元凶なのです。多くの人が、己を守るために正しさを主張して誰かを否定・批判して傷つけ、傷つけ返されて苦しめ合っています。その修羅道から離れるには「何が正しいか思考」を捨てて、愛(思いやり)に生きることです。

多くの人が「自分は正しい=価値がある」と思い込むために、自分自身の考え方の誤りが原因で自分が現在不幸になっていることさえ認められずに、水面下で無自覚に鬱になっているのでしょう。運命への呪いに書いた通り、自己正当化と被害者意識は成長拒否の最たるものです。人生という成長のためのプログラムにおいて、成長に反するベクトルは不幸に導かれるのが必然なのです。

反省してはいけないに書いた通り、決して自分を責めないで下さいね。それはみんなに共通した成長課題であり、覚り(真理)への道なのです。自分も他人も責めることなく許し、何か間違いに気づいたら、スティーブ・ジョブズのようにまるで最初から正解を知っていたかのような顔でただただ今現在正解だと思う方を選択すればいいのです。人生は答え(真理)に価値があるのではなく、そこに至る過程(経験)が答え(真理)を価値ならしめるのです。

人間は成長を楽しむためにわざと愚かに創られているのですから、失敗や過ちを恥ずかしいと思う必要は全くないのです。どんな過ちも、成長した後から見れば「あの時の経験(間違い)があったからこそ、今の自分がいるのだ」と失敗や過ちを犯した自分を愛せるようになります。そして己の過ちを認められた時には、既に成長しているのです。

あなたが具体的にどんなカルマ(課題)から逃避しているかはわかりかねますが、鬱の原因は自分自身と相手に対する愛情不足なのですから、ただ自分も相手も愛してそれを実践すればいいだけなのです。

自尊心を下げることは自分自身への愛に反する思考であり、「どうせ自分なんて・・・」と考えて悪い思考や行動がやめられなくなり不幸に導かれますから、決して自尊心を下げないで下さい。人生の苦しみを知り、他人の苦しみを思いやれるあなたは、愛で世界を救うために生まれた天使なのですから。

それでは、あなたの幸せを心から祈っています。

2023年9月25日月曜日

自己嫌悪・厭世観・希死念慮で辛い

【質問】20代前半・男性
はじめまして。人生相談があるのですが、お願いできますでしょうか。

死にたい気持ちや厭世観、自己嫌悪の気持ちが止まらないのですが、どうしたら器の大きいポジティブな人間になれるでしょうか?

悲しくなったり、それを誤魔化すためにいつもイライラしてしまうのですが、もう最近は自暴自棄を止められずに、誰かと殴り合いでもしてしまいそうな始末です。(本当はとても小心者なのですが、突っ張ることで虚勢を張らないと自分が潰されてしまいそうで、それが今でも続いてしまっています)

誰でも自信満々になれる方法を読んで、試そうと思っても、いざ嫌いな人を前にするとイライラでそれどことではなくて、相手と距離を取って心を閉ざしてしまいます。誰かを傷つけたり、犯罪を犯すくらいなら、もう消えてしまいたいという気持ちが消えません。

【回答】
ご質問ありがとうございます。僕もあなたの歳の頃はまさにそんな感じでしたので、お気持ちはよくわかります。それは狭義の鬱ではなくても広義では完全に鬱状態であり、霊障に犯されている状態なんです。ただそれは成長(覚り)に必要な過程ですから、どうか落ち込まないで下さいね。

まず、自殺・安楽死するとどうなるか?に書いた通り、人の痛みのわかる魂に成長するには死にたくなる経験も必要なのですが、「いざとなれば死ねばいい」と自殺を問題解決の選択肢のようにして考えるのを止めて下さいね。そこに導かれるような悲惨な人生になってしまうので。

誰でも自信満々になれる方法は僕からの究極のアンサー(愛)であり、僕は100mを10秒で走るように言っているわけではなく、覚悟さえあれば誰にでもできることしか書いていないのですが、あなたと同じように「自分には無理です」っていう感想が結構多いんですね。

楽器の演奏と同じで、最初からできないのは当たり前です。そういう自分も愛しながら少しずつ続けて成長していくことを楽しむのが大事なのであって、最初からできないからといって、既にできている人と自分を比べて「自分には無理です」と諦めてしまっては話にならないのです。あなたの質問は僕からすれば、バイオハザードで「私はゾンビが怖いから逃げてしまうのですが、どうやったらクリアできますか?」と聞かれているような感じです。

僕は「絶対に逃げてはいけない」と言ってあなたを追い詰めているのではありません。RPGでも自分が弱っている時やレベルに相応しくない強敵に出会った時は逃げるべきです。でもいつまでも逃げていてはゲームが進まず、永遠にクリアできません。人生というRPGにおいて苦手な相手も、いつかは対峙して乗り越えていかなければならない課題なのだと認識して下さい。

人間関係は完全に鏡であり、あなたの苦手な相手は時間差のある拡大鏡です。宇宙の仕組みに書いた通り、あなたの認識世界のすべてがあなた自身の反映なのです。だから誰かを嫌うほど自分自身が嫌いになるのは当然と言えます。だから愛を無条件化していくことが大事だと常々僕は言っているわけです。

自尊心は幸せの根幹であり、あなたは自分自身を嫌っているから他人も嫌いになるのであり、あなたは相手が嫌な対応をしたくなるような態度を無自覚にしているのでしょう。そういう相手を嫌っていたら自分自身も嫌いになる無限ループに陥るのは当然です。すべての存在・事象は創造主なのですから、自分も他人も嫌いではすべての存在・事象があなたの敵になってしまいます。

人は「風の谷のナウシカ」の腐海の植物のように、己の心の水がエゴの毒で汚れているから、己の心の住民である相手は毒を生じるのであり、己の心を愛で満たして綺麗にしたなら、相手も毒を出さなくなっていくのです。

だからまずは自分も他人も責めず許すことです。あなたが嫌な人は嫌な人になるだけの心の傷を抱えているのです。あなた自身と同じように。本当は愛されたいのに止むに止まれず嫌な人になってしまっているのですから、その原因となっている心の傷にまず同情して思いやって下さい。

ただ確かに誰でも自信満々になれる方法」「宇宙の仕組みはこれからピアノを始めようとしている人に対してショパンの弾き方を解説しているような厳しさもあるので、まだ主人公としての目覚めが遠いNPC状態にいる魂の同志達に対しては、もっと容易で実践的な上達方法を伝えなければならないとは常々感じておりました。ので、その「もっと容易で実践的な上達方法」をお伝えしたいと思います。

僕に相談してくれたのですから、まずは僕を信じてただ実行してみて下さい。大事なことは、結果(見返り)を求めずにただ実行するということです。

1.お年寄りにインタビューする
2.自分大好きエピソードを重ねる
3.浄霊し、カルマを軽くし、己の信心
(感謝の心)を育てる

それぞれ解説していきますね。

1.お年寄りにインタビューする

ノートとペンを手に、ぜひお年寄りにインタビューしてみて下さい。(失礼ながら)できるだけ余命が少なそうな人が良いです。身近にいなければ公園や神社仏閣や老人ホームなどお年寄りがいそうなところに行ってみて下さい。何かの成功体験を聞かせてもらうためではないので、本当にどこにでもいそうな人で構いません。どっちみち今あなたに一番必要な人と出会いますから。

いきなりノートを取ろうとすると怪しまれるので、話しかけてある程度慣れてから「自分の人生勉強用に、何でもいいのでお話を聞かせて下さい。どこかに載せる訳ではありません」という感じでインタビューをお願いしてみて下さい。

まだ若く、しかも鬱で孤独に陥っている状態にあるあなたの人間関係はきっと狭く、付き合いがあるのは同年代の若い人が割合としては圧倒的に多いことでしょう。しかし若い時というのはどうしてもエゴが強く、それは反発しあうのが必然なんですね。それでお互いに責め合い、争い合い、奪い合い、マウントを取り合ったり意地を張り合ったりしてしまうものなのです。

もちろん歳をとってもそのまんまっていう魂のレベルの低い人も多いんですけど、全般的に見ればお年寄りというのは欲が下がって角が丸くなり寛容で優しくなっているものなので、あなたが好き嫌いなどのエゴを前面に出さなければぶつかる事は少ないでしょう。

お年寄りというのは往々にして周囲に話を聞いて貰えないことに不満を抱いているもので、もう死期が近づいているのにせっかくの自分の人生経験を若い人達に伝えられず、自分の存在意義に苦しみがちなのです。だからこそ、お年寄りというのはただ話を聞くだけでこちらを好きになってくれて、自分の経験を生かして貰いたいために話を聞いてくれた人を応援してくれるものなのです。

あなたには人を愛し愛されるという経験が圧倒的に不足しているために今の状況に陥っているのでしょうから、まずはあなたの心(仏国土)に、あなたを愛してくれる住民を増やすことが大事です。きっと彼らがあなたの大応援団になってくれることでしょう。

インタビューさせてもらう際に留意すべきことは、『感謝・尊敬・慈愛の念を持って真摯に接すること(決して見下したり憐れんだりしないこと)』と、『聞きに徹して(相手と違う自分の意見は言わない)相手の話を一切否定せず、肯定的・共感的に話を聞くこと(好き嫌い・良し悪し・正しい間違ってる・面白い面白くないなどを判断しないこと)』です。話を聞く目的をジャッジしたり改善したりすることから、経験と感情を共有することに置いて下さい。

相手は自分の鏡であり、悪い感情を向ければすべて自分に返ってきますからね。お年寄りを見下せば、自分が歳をとるのが苦しくなるだけです。必ず感謝・尊敬・慈愛の念を持って真摯に接して下さい。

そして自分の話は極力しない方が良いです。特に相手が鬱っぽい人の場合、自分と意見が違うというだけで、自分の意見が否定された=自分の存在が否定されたと感じてしまうものなので。あくまでもインタビューの主役は相手であり、相手と共感し肯定する時にだけ最小限自分のエピソードを話せば良いのです。

相手はあなたに替わってあなたにはできない貴重な経験をして、それを無料で共有してくれて気づき・学びを与えてくれているのですから、無条件で尊敬・感謝すべきなのは当然です。決して否定したり自分の意見で相手の話の腰を折ってはいけません。

そうして感謝・尊敬・慈愛の念を持って真摯に話を聞かせて貰えば、きっと素晴らしい気づき・学びが得られるだけでなく、人を許し愛することを覚えて、愛されて自尊心が高まることでしょう。

鬱で自己嫌悪と厭世観に満ち、希死念慮に陥っている人がモテるわけがありませんが、あなたがおばあちゃんたちの話を聞いてモテモテになれば、きっと若い女性からもモテモテになるに違いありません。人を愛し愛される経験を積めば、自己嫌悪・厭世観・希死念慮など霧散してしまうことでしょう。

そしてこの「人との接し方」はお年寄りだけではなく、あらゆる年代の人に対してもこうあるべき「人間関係の基本」であるということにきっと気づかされることでしょう。


2.自分大好きエピソードを重ねる

あなたはきっと他の大多数の人と同じように、他者評価に捉われていることでしょう。特に日本人は基本的にそのように育てられるのですから仕方のないことです。それは初期設定の課題であり、乗り越えなければ魂の成長はないのです。

他人の評価は一切関係なく、誰が見ていなくても、自分で「この人好きだなぁ」と自分を好きになれるようなエピソードを重ねていって下さい。

今のあなたに言っても通じるとは思えませんが、すべての存在はひとつ(ワンネス)なのです。エゴを動機に行動すると、マグマのように深い部分に自己嫌悪が溜まってどんどん自分を嫌いになってしまうのです。

欲は悪いものですか?に書いた通り、エゴをなくせば良いという話ではないのです。愛とエゴは磁石の両極のようなものであり、片側だけでは存在し得ないのです。何かを求める(他者の必要性がある)からこそ、それを満たすことで愛は生まれるものなのですから。

エゴで反発し合って嫌な人を排除しようとしても、それは磁石を削り落すのと同じでどんどん己を小さく孤独にしていくだけです。

人と人がぶつかり合うのは、必ず磁石の同極同士のようにエゴがぶつかり合うからなのです。

だから自分を好きになるには、相手のエゴという極に対し愛という極を向けることです。一切結果(見返り)を求めず完全に無償で自分のエゴより少しだけ相手のエゴを優先して満たしてあげるというエピソードを重ねることです。それが愛ですからね。

具体例として僕のエピソードを話しますね。

全財産を放棄してホームレス乞食を始めた頃、乞食の調子が良くなくて、晩御飯代を稼ぐのに3時間ほどかかったことがありました。ようやく手にした数百円分のレアルを手にして晩御飯を食べに行こうとしたところ、創造主の声を聞きました。「それを全部乞食にあげてごらん。きっと素敵なものが手に入るよ」と。

僕は「えーっ」と思いましたが、ご飯屋さんへの道の途中で僕と同じ歳の日系ブラジル人の乞食友達に会い、まだ晩御飯を食べれてないというので、創造主に言われるがままに持ち金を全部彼に渡してしまいました。彼は驚き「え?真也さんのご飯はどうするんですか?」と聞いてきたので、笑いながら「あ、僕は一か月とか断食したことあるし、一食抜くぐらい全然余裕だから」と答えました。

すると彼は泣きながら土下座して「ありがとうございます!このお金はいつか絶対返します!」と言いました。しかしアル中の彼は結局そのお金で酒を買い、翌日会ったらまた土下座して謝ってきたのでまた笑いました(笑)

まぁでもそんなことは僕には関係ないのです。僕は彼から感謝してもら貰おうとか、お金を返して貰おうとか、何か見返りを求めてしたわけではありませんからね。

またあなたや読者さんからの他者評価が欲しいために良い人アピールがしたくてこのエピソードを書いたわけでもありません。だからあなたや読者さんがこの話を信じず評価しなくても僕にとってはどうでも良いのです。

この話の大事なところは、僕自身が「なんてヤツだ。彼にどんな欠点があって過去にどんなに罪や恥を重ねていようとも、こんなことができる彼が悪い人間のわけがない。僕は彼が大好きだ。彼はきっと多くの人を幸せにする人間に違いない。絶対に生き延びるべきだ」と、自分自身を大好きになれたことなんですね。創造主の言っていた「素敵なもの」というのが「自分のことが大好きである」という「揺るぎない自尊心・自己肯定感」だったのです。誰からも評価されず誰に否定されようと、僕は僕自身を好きでその価値を知っているから関係ないのです。

もちろんその時はただ創造主に言われたからやったことなのですが、人のために何かをすると、それを例え相手にも誰にも評価されず何の見返りがなくても、自分で自分を好きになれる「自尊心」という最大の見返りが即得られるということが実感を持ってわかったので、今ではそういう一切結果(見返り)を求めず人に奉仕する(エゴを乗り越えて愛を発揮する)「自分大好きエピソード」を日々自発的に重ねているのです。

鬱というのは自尊心の病であり、人は鬱状態に陥ると、反芻思考で何度も嫌なエピソードだけを選択的に繰り返し思い出して自分も他人も世の中も全部嫌いになる高速回路みたいなものができあがってしまいます。その高速回路を断ち切って自分を救い出してくれるもの、それがこの「自分大好きエピソード」なのです。あなたの過去にそういうエピソードが一つもなくても、これから一つ一つ積み上げていけば良いのです。どんどん目の前の人に無償で親切にして、困っている人がいたら助けてあげて下さい。

誰でも自信満々になれる方法にも書いてますが、能力とその他者評価を高めることで自信を持とうとしても無理なのです。器の大きいポジティブな人間になりたいのなら、もっと人を無条件で愛することです。出会った人に対して例外なく慈愛・思いやりの心を持つことです。

コミュ障の人と接して感じる事は、コミュニケーション能力以前に愛(思いやり)に欠けていて、自分の都合ばっかり考えてエゴに埋没しているということです。そしてまたそれを当たり前だと思っているのか、自分には愛(思いやり)が欠けているという自覚もなく、相手の気持ちを考えずに相手が嫌がることをして嫌われるんですね。そして他者評価に依存しているがゆえに嫌われる度に逐一深く傷ついて自尊心を持てず精神的に引きこもっているのです。

コミュニケーション能力なんかより愛(思いやり)を育てることの方が大事です。心に愛(思いやり)がなくコミュニケーション能力ばかり高くても、きっと自己利益の為に相手を利用することしか考えない人間になり、結局は誰からも愛されず不幸になっていくのです。愛(思いやり)の心を育てるということは、エゴ(欲)とは何か?」に書いた通り、エゴを乗り越えて愛を発揮する(自分のエゴより相手のエゴをほんの少しだけ優先して満たしてあげる)経験を積むことなのです。


3.浄霊し、カルマを軽くし、己の信心(感謝の心)を育てる

これについては悪いカルマの解消法に既に書いていることなので割愛します。

あなたはあまりスピリチュアルなものを信じない方なのかも知れませんが、半信半疑でもとりあえず信じてやってみる、という姿勢がなくては、今あなた自身を不幸にしているあなたの常識に捉われたままになり、成長する機会が一切なくなります。

とりあえず信じてやってみて悪い結果になっても、必ず経験は手に入ります。そして経験(それを感じる感情)こそが僕らが生まれてきた意味であり価値なのです。

人間は成長のために敢えてわからないことだらけに創られているのですから、何も信じずに生きるということは不可能です。何も信じていないという人は自分が自分の勝手な常識を信じているだけであることに無自覚なだけです。そしてその常識というのはスピリチュアルを配した唯物主義・資本主義(金拝主義)であり、エゴのために生きるのが当たり前だという考えであり、それは悪魔教を信奉しているに等しいのです。

何でも疑ってかかる懐疑主義によっては決して真理(愛・幸せ)には至らないのです。まずは経験してみて、実感を通して何が真理で何が間違っているのかを知ることに意味があるのです。真理(答え)に意味があるのではなく、それを求める過程(経験)が真理(答え)を価値ならしめるのです。

創造主は信心というものを価値ならしめるために、あえて神を信じるに足りないもののように環境設定しています。その初期設定の常識に負けてはいけません。あらゆる常識は初期設定であり、それは必ず乗り越えるべき課題を含んでいるものなのです。常識が真理ならあなたという主人公の存在意義はありません。

最後に、あなたの歳の頃の僕もまったくNPC思考そのものでしたから、あなたが今のような状況に陥っている苦しみはよくわかります。しかしそれもあなたに必要な経験だから与えられているのです。同じ苦しみを味わっている人たちに心から同情できる人間になり、いつかきっと主人公として目覚め、周囲の人も主人公として目覚めさせられる本物のメシアになって下さいね。

それでは、あなたがあなたの望み通りポジティブで器の大きい人間になって、幸せになることを心から祈っています。

2023年9月13日水曜日

愛の条件を外すには?

【質問】30代・男性
自分を愛するとはどういうことですか?色々調べたのですが腑に落ちません。自分に対しての条件付けをするから、他人に対しても条件付けをしてしまう。自分を愛せないから、他人を愛せない。こういう条件を外せる方法はありますか?

【回答】
ご質問ありがとうございます。僕の悪い癖で、後回しにしている間に回答がとても遅くなって申し訳ありません。

まず多くの人が「愛とは何か」についてぼんやりとしか考えておらず、ほぼ確実に誤解しています(それも初期設定通りで当たり前のことなのですが)。「愛」を「すごく好き」ぐらいの意味に捉えていて、「すごく嫌い」の対義語のように考えているのです。それで愛=性愛・家族愛のようにイメージしてしまっているのですね。

しかしそのような「二元的で条件付きの愛」というのは「エゴ」であり、それを「愛」だと勘違いしてしまっているところが、人間に初期設定された苦悩の元凶であり課題(無明=愚かさ)なのです。エゴというものは満たそうとするほどに肥大し、ますます渇いて永遠に満たされることはなく、とても苦しいものです。

人間は誰しも例外なく幸せになりたいように創られているのに、己のエゴを愛と勘違いし、エゴの充足を求めてばかりで永遠に満たされないという餓鬼道に陥り、魂(心のコンパス)が本当に地獄に向かってしまっているのです。


あなたの認識世界にいるNPCたちは、常識通り周囲の人達と同じようにエゴ(自己保存=我欲と保身)を満たそうとするために生き、死ぬまで決して満たされず、自ら愛より遠ざかり続けてしまっています。そこで主人公(勇者・メシア)たるあなたが本物の愛に目覚め、それを目の前から世界の隅々まで指数関数的に連鎖させてすべての魂を救うところが、人生というRPGのシナリオの骨子なのです。

最初からみんなが愛に満ちていたら物語は生まれず愛に価値は生じないのです。経験というのはすべてが二元的に創られたこの世界の両極を経験して感じることができるものであり、「存在」の意味(意義)・価値が生じるのです。

世界の真の姿は一つ(ワンネス)であり、自分や他人というのは幻の如きもので、本当はその境界線などは存在していないのです。僕らに与えられた自意識・分離意識・自己同一意識と個性が自分と他人とを別な存在だと認識させられているだけです。それがなければ人生という物語は生まれようがないのです。

そしてエゴの歯車の回転(我欲と保身→欲望充足と安心の確保)のために日々好きでもないのにやらねばならないことに追い立てられるようにして生きて人生を空費し、何のために生きているかさえわからなくなり、まるで幸せを諦めたかのような人生を送ってしまうのです。もちろん僕もかつてはそうして鬱になって死ぬことばかり考えていた脇役NPCの一人でした。

僕らは世界を好き嫌いで二分することにより、その主体者としての「自分(自らの存在は他の存在と分かれたものであるという分離意識)」というものを実感しようという、とても強固な本能が与えられています。それがエゴの本質の一つです。

僕はよく「存在」をトランプに例えます。どんなカードも裏返せば同じ柄であるように、すべての存在は個性を与えられているだけで同一なのです。ゲームに必要だからこそそれぞれのカードに個性が与えらえれているのであって、カードに個性がなくすべてがジョーカー(オールマイティーカード)だったらトランプは成立しません。そしてゲームの中でカードの価値の上下や好き嫌いはあっても、存在としての価値は同一(等価)であり、どのカードが一枚なくなってもトランプは成立しません。それは人間やその他の存在であっても同じ事なのです。

トランプを愛するということはその存在全体を愛するということです。そして自分を愛するということは、存在のすべてを愛するということとイコールなのです。

しかし人生というのは成長の物語であり、愚かで無力なところからスタートしなければ成長は経験することができません。それゆえ人間には光(智慧)の如き魂に、無明の闇(愚かさ)が初期設定として与えられているのです。

その初期設定の愚かさゆえに、人間は他人の個性(欠点や過ち)を責めて見下し価値の低い存在だと思うことで、自分はそれよりは価値のある存在であると思い込もうとします。それゆえに人生というゲームの中で価値が高いように見える人たちを羨んで嫉妬し、他人から価値の低い存在であると見下されることに傷つき、劣等感に苦しみ、自分も他人も愛せなくなるのです。このワンネスの世界において自尊心と他尊心(僕の造語であり、そういう言葉はないと思いますが)は連動し、同時にしか上がらないものなのです。

劣等感をバネにして己の能力を伸ばそうとすることも、若い時は大事なことです。しかしその能力を自己利益のためだけに使っても幸せにはなりません。すべての存在は同一なのですから当然です。本当に成長するということは、己の能力を全体利益のために使うことであり、自分も他人も無条件で愛せるようになることなのです。

完全無欠な存在は他の存在を必要としませんから、愛は生まれようがありません。愛というのは、自分や他人という存在に不完全性(欠けたもの)があり、それゆえに他者の必要性が生じ、それを補いあうことで生まれるものです。それは古事記のイザナギ・イザナミの神話にお互いの余った部分と足りない部分をつなぎ合わせて国土を生み出したという記述に象徴されています。

だから人間の不完全性には本来価値があり、人間の価値に上下などないのです。不完全性こそが愛という最も価値あるものを生み出すからです。しかし愛の価値を経験して知るためには、愛とは真逆の経験をする必要があります。それゆえ人間社会は、他人から何かを補ってもらうのにお金がかかり、より能力が高くてより他人の要望を満たせる人間がよりお金を稼ぎ、他人から何かをしてもらう権利(強制力=愛とは真逆のもの)を得ます。能力の低い人はお金を稼げず、エゴ(欲求)を満たして貰えません。そして人間としての価値まで低い存在だとみなされます。だから欠点や過ちがそのまま価値の低さとされ、みんな己の欠点や過ちを隠して他人の欠点や過ちを責め合って見下し合い、自分も他人も愛せなくなっています。また他人の不完全性・劣等感につけこみ、それを満たせるかのように装ってお金を稼ごうとします。

我々の人生というPRGはそのようなディストピアが初期設定なのであり、それは乗り越えるべき課題なのです。最初から愛に満ちた社会では、愛の価値を経験的に実感することはできません。

そのような初期設定の無明(愚かさ・課題)を乗り越えさせるものが、無条件の愛であり、「愛の無条件化」こそが「魂の成長」なのです。ではどうすれば愛を無条件化できるのでしょうか?

愛とは許しです。自分も他人も許せていないのにいきなり愛そうとするから無理が生じるのでしょう。だからまずは許すことです。ただ「許し」は「我慢」することとは違います。我慢というのは文字通り心を我(エゴ)で満々にすることであり、心の奥底で和解が成立していないのです。そして我慢はマグマのように蓄積するものであり、いつか暴発することが自明なのです。

どんな過ちも、その人なりの宿命(カルマ)があって、やむにやまれずやってしまっていることなのであり、本当はすべての魂が同一なのですから、あなたもその相手として生まれていたら絶対に同じ事をしているのです。それに対する許しがなくては、自分も他人も本当の意味で愛することなどできるわけがないのです。

例えばある人が自分の不幸を親のせいだと考えて許さなかったとします。しかしもしその親のせいでその子供が不幸になったのなら、そういう親に育ったのはそのまた親(祖父母)のせいでしょう。そしてその親(祖父母)がそういう風に育ったのは、そのまた親(曾祖父母)のせいでしょう。その原因追及の連鎖は創造主の天地創造・人間創造まで続くのであり、自分の不幸を親のせいにするということは創造主のせいにしているのと同じ事なのです。そしてそれは自分の親だけでなく、すべての不幸に当てはまり、誰を責めても創造主を責めているのと同じなのです。それでは創造主からの愛を受け取れなくて当然です。そして自分の不幸を他人のせいにして責める被害者意識は成長と真逆のベクトルであり、不幸に導かれるのが必然です。

罪と恥の存在意義に書いた通り、罪や恥というのは許し合うことでより深く愛し合えるよう創造主から愛によって人間にだけ与えられた課題であり、罪や恥・欠点や過ちを理由に人を許さず嫌うのなら、自分のことも他人のことも愛せなくなるのは当然でしょう。

簡単に許せる人を許し、簡単に愛せる人を愛しても成長などありません。許し難きを許し、愛し難きを愛するところに魂の成長があるのです。

会ったこともない他人の悪事をあげつらって人を許さない自分を正当化する人が多いですが、会ったこともない人は完全なNPCであり舞台設定の一部のようなものです。あくまでも実際に会った人を一人ひとり許し愛することです。出会う人はみんな自分の反映なのですから、それを許し愛することで自分を許し愛せるようになるのです。

宇宙の仕組みに書いた通り、あなたはあなたを主人公とする物語の世界の中を生きているのであり、客観的世界は存在しません。偶然は存在せず、あなたが出会うすべての人・出来事は創造主が何か大切なことに気づかせるために送られた愛のメッセージなのです。

どんなに嫌な人・嫌な出来事との出会いもネガティブに解釈せず、「もしこれが創造主からの愛によって送られたメッセージなのだとしたら、どういう意味があるのだろう?」と考えてみて下さい。

誰でも自信満々になれる方法は必ず何度も読み返してみて下さい。「どうすれば愛情を無条件化できるか?」僕の答えはほとんどここに書かれています。

人生は自分を主人公とする映画であり、出会う人はみんな監督たる創造主から派遣された共演者です。その物語に悪役はいても悪人はいないのです。あなたが嫌いな人も、人から愛されたいに違いないのに、あなたに何か大切な事を気づかせるために、敢えて悪役を無自覚に演じさせられているのです。映画には悪役も絶対必要なのです。それを嫌ったり避けたりしていては良い物語になるわけがありません。嫌な人だと思っていた人も実は良い人(仏)でした、というシナリオを成就させて下さい。今まで「嫌い」だった人も「苦手」から「攻略難易度の高い悪役」「レベルの高い悪役」のように言葉を心の中で置き換えてみて下さい。

相手を嫌っていれば、必ず態度に出て相手を疑心暗鬼に陥れ、確実に敵に回し、それは自分に返ってきます。自分自身が鏡のように相手を敵にしているのです。ですから最初はぎこちなくても、あなたが主役の物語に共演してくれている共演者の「存在」そのものに尊敬と感謝の気持ちを持って下さい。本気でそういう気持ちを持つことができるようになってくれば、ぎこちない笑顔も本物の笑顔になっていきます。

例え口論になっても、それはストーリー上(役柄上)のことであり、次に会った時は舞台の楽屋で共演者に会った感じで笑顔で挨拶して下さい。相手は最初面食らうかも知れませんが、気まずい思いをしなくて良くなって内心ホッとするはずです。愛の大切さに比べれば「どちらが正しいか」なんて議論は巨人阪神戦の結果ぐらいどうでも良い事です。酒の肴にはしても、それによって関係性を壊すなんてことはバカバカしいことです。

そして「六波羅蜜」を調べて行じてみて下さい。これはエゴを乗り越える上で大事な人生の修行法です。欲は悪いものですか?に書いた通り、欲(エゴ)は愛のマテリアルですから、自分のエゴより相手のエゴを少しだけ優先できる人間になって下さい。そうすればすべてがうまく行くようになりますから。

楽器の演奏と同じで、最初からうまくはいきませんが、「自分には無理だ」とベクトルを諦める方に向けないで下さいね。反省してはいけないに書いた通り、自分も相手も責めず、最初から完璧にはできない自分も愛しながら、毎日ほんの少しずつでも良いので続けて、日々成長を楽しんで下さい。

出会う人はみんな時間差のある拡大鏡です。あなたが心を開けば世界があなたに開かれます。無条件で出会った人を次々に尊敬し感謝し許し愛せるようになれば、「自分大好き」というパズルがどんどん完成されていきます。どうかあなたも「嫌いな人ゼロ作戦」を決行して、きっと幸せになって下さい。

コミュ障を克服したい

【質問】30代前半・男性 ペンネーム:脳汁 真也さんこんにちは。最近Xやnote、質問箱を見させていただいてます。 真也さんの考えはとても素晴らしく自分に取り入れようとするのですが、なかなか理解力不足でうまくいかないです。私は昔からいわゆるコミュ障です。友達も少ないですし、職場の...