2022年11月8日火曜日

生まれの格差について(陰謀論)

【質問】20代前半・男性

初めまして。最近真也さんの発信を見させていただいている20代前半の男です。

答えづらい質問かもしれませんが、現在、世界では悪魔崇拝をしているグローバルエリート達による世界支配体制樹立が行われようとしています。彼らは戦争や食糧危機で人々に恐怖を煽ったり、個人情報を管理して言論統制や民衆の監視を行う社会体制を作ろうとしています。戦争や食糧危機等で人々に恐怖を煽り、個人情報管理等で監視社会に向かわせようとしています。この一連の流れも、この過程で失われる命や苦しむ大勢の人々も創造神のシナリオによるものなのでしょうか?

聞くところによると、彼らは資本主義のシステムによって人々を搾取するだけでなく、人身売買や違法取引、紛争等あらゆる悪行を裏で操り、それを数千年前から😈の啓示を受けて行ってきたらしいです。その過程で不条理に奪われた大勢の命の存在もシナリオ通りなのかなと気になりました。

また、ブラジル在住とのことでお聞きしますがブラジルでは貧富の差が激しく、多くの貧民がスラム街(ファベーラ)に住み着き、生きるために盗みを働いたりギャングになって人を殺したりするような現状があると思います。一方、私は日本人として少なくとも衣食住に困った経験はありません。このような明らかな生まれの差というのも、意図的に作られてるということなのでしょうか?

この世界は愛と勇気を試すフィールドであるのは理解しておりますが、流石に私のような日本で普通に暮らす日本人と、ブラジルで生きるか死ぬかの毎日を送ってる人間に同じ使命を課すのは中々酷ではないかと感じてしまいました。

駄文を失礼しました。

【回答】※12月3日更新
ご質問ありがとうございます。発信を見ていただいてとても光栄です。

はい。全て創造主のシナリオ通りです。

人生(=世界)はRPGですから、冒険を始める前からシナリオが用意されているのは当たり前です。すべての存在は全知全能たる創造主の一部であり、この創られた仮想現実のRPG世界に創造主が意図せず生み出された存在は一切ありませんし、意図せずに起きることも一切ありません。ドラゴンクエストのようなRPGの世界に、クリエイターが意図していない存在が出て来たり、意図していない出来事が起きたりすると思いますか?それを考えればわかることです。

答えにくいどころか、noteでも他の方からの同様のご質問「悲惨な世界も創造主の計画通りですか?」「愛の力の弱さに反吐」等でも既に再三お答えしていることなのですが、どうしてもご納得いただけないようですね。まぁ人間は基本的にそのように目覚め難くプログラムされているのですから無理もないことです。ですので今回は陰謀論的内容にもお答えする形で、創造主が創った壮大なシナリオをより詳しくわかりやすく解説したいと思います。いまだに全く目覚めようとしない魂の兄弟たちのために。

例えばドラクエのようなRPGの世界において、あなたは「魔物たちはクリエイターの意図なしに自然発生してしまったもので、クリエイターが退治できないために野放しになっており、そのために世界が悪に支配され格差社会になっている」などと考えるでしょうか?あなたのおっしゃることはそれと全く同じことです。もしそうなら創造主は全知全能ではないでしょうし、そんな非力な存在が世界自体を創ったということもありえず、世界は創造主が意図せず自然発生したものだということになります。しかし仮想現実が理由もなく勝手に自然発生するわけがありません。

RPGの魔物と同じく、この世界の悪魔・霊障も創造主から物語のシナリオ上与えられた役目を(無自覚に)果たしているに過ぎません。あなた自身も、僕も、世界を完全に支配しようとしているグローバリストたちも、この宇宙のあらゆる存在が創造主の一部であり、理由(役割)があって生まれてきているのです。

まず「宇宙の仕組み」に書いた通り、客観的世界は存在しません。ログインプレーヤー一人一人それぞれに自分を主人公とする世界・物語(シナリオ)が与えらえているのです。それが世界線によりP2Pのネットゲーム世界のように重なりあっているから一つの世界のように見えているだけで、本当はみんな別々の自分の主観的世界にいるのです。誰も自分の脳というパーソナルコンピューターの中の世界から一歩も外には出れないのです。


認識者の認識により事象が結実するという量子の仕組みは、ログインプレイヤー一人ひとりを主人公として成り立たせるために必要不可欠なシステムなのです。もし客観的世界が存在するなら成立し得ませんし、仮に成立するとしても、その仕組みに存在意義はありません。創造主は存在意義のないものは創りません。他人はみんな自分のNPCであり、自分自身の鏡のような存在です。このシステムは自分の認識(事象の結実)が世界線を共有する他人(他のログインプレーヤー)の世界に瞬時に連動するという仕組みが世界を一つであるかのように錯覚させています。本当は暗い部屋で独りぼっちでゲームをしているのに、そのことに気づかせず孤独を感じさせないよう、世界線(インターネットのようなもの)で他のプレイヤーとフィールドを共有させてくれているということです。実際はすべての存在が同一(ワンネス)であり、その他のログインプレイヤーも自分自身の鏡であることに変わりはないのですけどね。

だから夢と(仮想)現実は本質的に同じものなのです。インド神話に「世界はヴィシュヌ神の見た夢だった」とある通りで、あなたはヴィシュヌのアヴァターラ(化身)なのです。夢の中において直接知りもしない他人は完全に幻であり、ゲームの設定(伏線)みたいなもので、その不幸や悪事を創造主を恨み世を嘆く理由に使うのはナンセンスです。そして直接知る人の不幸は主人公であるあなたが救うべきものです。

夢の中でお金や権力や他者評価を得て何の意味があるのでしょうか?あの世に持っていけるのは魂だけなのですから、それを愛で満たすことのみが価値なのです。RPGの世界でどれだけお金を稼いでどんな素晴らしい能力やアイテムを手に入れても、他人から評価されること(他人から見下されないこと)や悠々自適な生活をするというエゴ(我欲の充足と保身の確保)を目指して世界を救おうとしないのなら永遠にクリアに辿り着くことはないのです。

この人生というRPGにおけるすべては、主人公の愛と勇気を試すため・魂の成長を促すためにあります。あなたはそれを既に理解しているようにおっしゃっていますが、ご質問内容から察するにまだ全く理解されてないように感じます。ニュースも歴史も神話も、あなたが認識できるすべてはあなたの人生という物語の伏線なのです。だから実際それが本当に起きたかどうかではなく、あなたの物語にとってどういう意味を持つかを考えることが重要なのです。history(his story)のhisとはどこかの権力者などではなくあなたのことですからね。今までの歴史はすべてあなたの物語の伏線であり、これからの歴史はあなたが創るのです。そして君が代の「君」もあなたのことなのです。この世界で出会うあらゆる人物が自分の鏡であり、自分が主人公の世界に他人事は存在しないのです。

人間は「何の問題もなく、ただみんな幸せな世界」を望みつつ、社会・時代など自分以外のものを言い訳にしてすぐ諦めるように基本設定されているので、あなたのような考えになることは予定調和です。しかし最初から何の問題もない幸せな世界が初期設定だったら、我々は幸せを感じることもできませんし、誰も成長しませんし「主人公が世界を救う成長の物語」というRPGの基本設定が成立しません。そういう世界はRPGのゴールであり、エンドロールなのです。せっかく始めたRPGが最初からエンドロールで何のプレイ要素もなかったらどう思いますか?何の障害・苦難・困難もなく、それを努力して乗り越えて成長することもなく、最初からずっと幸せというのはありえないことであり、もしありえたらそれはとても退屈で不幸なことなのです。


例えばドラクエの世界の中に生きている人が、クリエイターに対して「なんでこんなひどい世界を創ったのですか?世界は魔王に支配され、部下の魔物たちが暴れまわっています。戦いの中で悲惨な死に方をしている人たちもいっぱいいます。社会は差別と争いばかりで暗く、未来は絶望的です」などと設定やシナリオに文句を言っていたら、ゲームが進まないでしょう。


そして世界を救うべく愛と勇気を発揮することなく、魔物に怯えてその支配に甘んじながら、ネットで魔物の批判ばかり書いては自分も戦っているという気分だけを味わい、その辛辣かつ汚い言葉で自らを汚し傷つけて自分(=世界)を暗くしながら、街でエゴ(我欲と保身)のためのお金儲けに一生を費やそうとするようなキャラだったら、クリエイター(創造主)はそのキャラを主人公にするでしょうか?そしてプレイヤー(神々)たちはそのキャラクターを主人公としてプレイしたい(導きたい)と思うでしょうか?


そういう設定に文句を言って今生で主人公として目覚めて世界を救う気のないキャラたちは他人が主人公の物語の脇役NPCとして自動運転のAI状態にさせられるは自明なのです。NPCの自由意志は幻であり、自ら選択している気分だけ味合わせてもらっていますが、その選択肢はヤクザの夜店の宝くじと同じで全部ハズレ(大同小異)であり、NPCとしてリスタート(輪廻転生)を果てしなく繰り返すことになります。ゴール(クリア)の設定が間違っているからこそのNPCということです。

あらゆる存在・事象に対する不平不満は、それを創った創造主への不平不満と同じであり、それは必ず悪業として自分自身に返ってくるのです。そして誰か別の主人公の物語の単なる伏線の奴隷となり、退屈で不幸な人生になるのが必然なのです。RPGの世界においては、菩提心(真理を覚り、衆生を救う存在になる決意)を起こすことがすべてのスタートなのです。力がなくてもお金やアイテムがなくても仲間がいなくても、まずは決意することが始まりなのです。最初からレベル最高でアイテムや謎の答えなどが全部与えられていたら愛も勇気も智慧も試されずゲーム要素がなくなります。非力で無知で何も持ってない時に起こす菩提心だからこそ尊いのです。そして必要なものは必要な時に与えられるのがこのゲームの醍醐味であり、何も心配は要らないのです。

すべての存在が創造主の一部であり、僕らは彼の創った壮大な神話の中を生きています。RPGが魔物に完全に支配される一歩手前のディストピアから始まって、そこから主人公が大逆転を起こして世界を救うシナリオになっているのは当前のことであり、僕はそういうシナリオ以外のRPGを見たことがないです。あなたという主人公のRPGもまさにそのようなシナリオになっているのです。

設定やシナリオに不平不満を言う事はNPCの典型的な思考であり、自分が世界を救う主人公であることに目覚めない限り創造主や神々の愛と導きを十分に受け取れないのです。自分(=世界)に与えられている課題なのに「もしクリエイターがいるのなら、クリエイターが問題を解決すれば良いのではないでしょうか?(もしできないならクリエイターなど信じません)」などと考えることがいかにナンセンスなことかに気づいて下さいね。課題を与えているクリエイター自身が課題を解決してしまったらゲームにはならないのです。ドラクエでクリエイターの堀井雄二さんがゲーム制作時点で魔物を全部倒して幸福な世界を実現し、プレイヤーにプレイさせなかったらゲームにならないでしょう。


あなたはブラジルなど遠い異国の地の貧困問題について心を痛めるほど優しい方なのかも知れませんが、結局はそういう不幸な人を救う為に恐らくは何もしていないわけで、それで「どうして創造主はこの問題を解決してくれないのでしょうか?酷くないですか?」と設定に文句を言いながら、他のNPCたちと同じように自ら社会システム・常識の奴隷となり、自分はきっと支配体制の最下層に落ちることはないだろうと安全圏にいることに安堵を感じつつ、エゴ(我欲と保身)のために嫌な仕事をし、グローバリストたちの支配体制に文句を言いながらも結局それを支える脇役NPCの一人となっているのでしょう。

まず、あなたが今現在直接知りもせず、また直接救うこともできない人より、今現在目の前のあなたが救える人を救って下さい。そうやってあなたのシナリオを前に進めるのです。

人それぞれ自分の人生の因果(カルマ・課題)ですらよくわからないのですから、見ず知らずの他人がどんな因果(カルマ・課題)故に苦しんでいるのかは知りようがありません。大切な事は、直接知り合った人のカルマを自分のカルマを写し出したものと考え、それを乗り越えることです。直接知りもしない人がどんな苦難に遭っていようとも、今現在それを気にして世を嘆いて創造主を恨むより、直接知っている人を救う事に集中して下さい。そして直接知りもしない人の不幸を理由に「創造主は非道だ・神仏など存在しない」などと考え、人生を創造主からの意地悪や罰ゲームのように解釈してはいけません。世界は主人公たる自分の認識が創るのですから、そのように解釈すれば本当にそのようになってしまいます。

そしてあなたが「日本はブラジルより状況が恵まれている」などと考えるのは幻想です。日本人のように衣食住は足りていても他者評価に依存させられているがゆえに劣等感・自己否定感に苦しんで自尊心を病み、孤独で不幸なのにプライドが傷つきやすくて他人に助けを求められず、頑固で人の話を聞かないような人たちを救って幸せにする方が、貧しさに苦しんでいる人を救うより難易度は高いのです。このRPGはそんなに簡単じゃないのです。

あなたはブラジルの貧民街に住む人たちがみんな不幸だと勝手な自分の常識で思い込んでいるようですが、日本よりは遥かに平均的な幸福度は高いのです。なぜなら多くのブラジル人は子供を無条件の愛で育て、子供は他者比較に関係なく思いっきり自尊心高く育てられるからです。そして貧民街の人達はみんなが貧しい分みんなが助け合って生きていて、多くの日本人のように他者評価に依存して富を奪い合ったり罪や過ちを責め合ったりマウントを取り合ったりする意識が低く、孤独な人が少ないのです。あなたが考えているほどお金と幸福度に相関関係はありません。

強盗になるのは全体の割合からすればごくごく一部の人達です。大部分の人は貧しくても強盗になどなりません。強盗になるのは貧しいからではなく、強盗が貧しさを言い訳に使っているだけです。人間のあらゆる悪い行動の元凶は自尊心の傷であり、一部分の親から十分に愛されず虐待を受けるなどして自尊心低く育った人が、傷ついた自尊心の回復のための手段としてギャングになってお金と力を手に入れようとしたり、暴力やドラッグや酒などで自分自身から逃避しようすることが原因なのです。

そしてそのように他人を責めたり傷つけたり支配したりして「自分は彼らよりマシな存在である」と傷ついた自尊心を愛によってではなくエゴによって回復しようとする人ばかりなことが、人類に共通した課題なのです。もちろん日本人も含めてです。みんな自分が自分より悪い・劣った人間を責めて蹴落とそうとして自ら地獄に落ちる「蜘蛛の糸」のカンダタになっていることに気づいていません。

実際、僕はブラジルでホームレスをしていてお金もまったくないので衣食住に事欠いておりますが、周囲の人に愛されて助けられ、とても幸せに生活しています。もし貧しい人を下に見て不幸だと決めつけているのなら、根本から考えを改めて欲しいです。あなたが直接経験して知らないことを自分の勝手な常識で決めつけていることに気づいて下さい。そして貧困や死などを過剰に恐れるから支配体制に追従せざるを得なくなっていることに気づいて下さい。

ネットゲームのごとくこのRPGはログインしている時点で主人公なのであり、他のログインプレイヤーのゲームの進捗(どこまで進んでいるか、どれだけ能力・アイテム・他者評価を持っているかなど)は一切関係ありません。基本的に他人との比較に意味はないのです。困難な環境が与えられているのはそれだけその主人公のゲームの難易度が高い(魂のレベルが高い=カルマが深い)というだけで、それを理由に創造主に不平不満を言うのはナンセンスです。

そして他のログインプレイヤーとは協力関係にあるのですから、自分のゲームクリアのために自分にはない高い能力を持っている人間からうまく協力してもらい、現在何かに困って行き詰まっている不幸なプレイヤーがいれば、自分の知識・能力で補ってあげるのがこのRPGのプレイ要綱です。他人に嫉妬して劣等感を持ったり、他人の罪や過ちを責めたり、能力の低い他人を見下したりしているような主人公では、世界を救ってみんなで幸せになること(ゲームクリア)などできるはずがありません。

あなたは衣食住が足りているという環境であるが故に、他人の不幸にも心を痛める割にはそれを救おうとすることなく創造主に不満を言い、支配者たちに反感を持ちつつも自分の衣食住を充実させながら安穏に暮らしたいというエゴのために自らその社会システムの奴隷となって、世界を救う主人公として目覚めようとはしていないのでしょう。

「そんなのみんなが同じで、それが常識なんだからしょうがないじゃないか!」と、そのように他人の思考や行動を勝手に常識化して言い訳にするのがNPC思考なのです。創造主と主人公の関係は一対一であり、他人(全員NPC)の言う事やる事(常識)は一切言い訳に使えないと知って下さい。「宇宙の仕組み」で読者に一番伝えたかったことは、人生=世界は自分を主人公とするRPGであり、客観的世界が存在すると考える事は幻想だということです。あなたはまだ気づいていないだけで、あなたの世界の主人公はあなたなのです。

このRPGにおいて、自分が主人公として目覚めることはとても困難に設定されています。みんな自尊心が低くさせられているからです。ネットゲームであれば、ログインした時点で自分が主人公だとわかっているわけですから数週間でクリアできてしまいますが、この人生という物語はそうはいきません。出会う人はみんなNPCであり、マトリックスのエージェントのようにあなたが主人公として目覚めることを妨害してきます。そして自分を客観的世界の脇役だと思って常識を疑うことさえせず、自分や他人の欠点や過ちを責めて大した存在ではないと考え、自分が世界を救う偉大な存在だということに目覚めようとはしません。しかしそれこそが創造主の用意したシナリオであり、そこからの逆転劇だからこそ人生というRPGは難易度が高く面白いのです。

さて、世界を救う主人公ってどんな存在でしょうか?イーロン・マスクのように現時点で有能かつ有名でお金持ちで権力を持っている人間でしょうか?そうではありません。そういう人間はエゴに埋没して金や名声や権力を追い求め、世界を救おうなんて本気で考えはしませんし、よしんば考えたとしても権力(強制力)を使って世界を救おうとしても絶対に救えないようにこのRPGは創られているのです。魂の成長のために生まれてきているのですから、真理を覚りそれを連鎖させていく以外に世界は救われないようにできているのです。

NPCたちはみんな「有能かつ有名でお金持ちで権力を持っている人間」が幸せで、「無能かつ無名で貧乏で何の権力もない人間」が必ず不幸せだと思っているのでしょう。また悲惨な生い立ち・環境で生きている人間が世界を救えるわけがないと考えているのでしょう。しかしそれは違います。僕らが自分など大した存在ではないと思わされているのは、そこから自分とすべての存在の価値に気づいていく過程が物語として美しく面白いからです。そのためには愛と勇気が最大限試されるからです。

みんな自分には世界を救うような能力もなく、そのキャパシティーもなく、その義務もないから誰も救わないのが当然(逆に足りないからと他人から奪ってでもキリなくお金を稼ぎ続けようとする)という考えになっていますが、自分に与えられている能力とキャパシティーの中で人を救うという考え方が連鎖しなければ、世界はただお互い奪い合うだけでどれだけあっても足りないようになり、いつまでも救えません。

あなたが人生で愛と勇気により目の前の二人の人間を救う事ができたなら、その二人もきっと他の二人の人を救うでしょう。それがたった50連鎖するだけで1000兆という途方もない数字になります。連鎖反応というのはそのように指数関数的に広がっていくものであり、一度火が付いてしまったらスチールウールの酸化反応のように誰にも止めることはできないのです。そしてその火付け役があなたという主人公の使命です。目の前の人と無償の愛で助け合う連鎖を世界の隅々まで行き渡らせるのです。メシアとはこの世の人間たちから救世主だと称賛される存在ではなく、創造主から称賛される存在なのです。メシアというのは他者評価ではなく自分の覚悟だということです。


そのためには特別な能力も大金も巨大な権威・権力も要りません。それらが多く与えられていないことを世界を救わない言い訳に使わないで下さいね。僕らは成長を楽しむため・お互いが助け合うためにわざと能力低く欠点多く愚かで過ちを犯すように作られているのです。

そしてあなたはグローバリストたちを悪魔そのもののように思っているようですが、この世界の魂はすべて同源(創造主の分け御霊)であり、いわば全員が同一人物です。つまりあなたも彼らとして生まれていれば確実に彼らと全く同じことをするということです。実際彼らを批判している今現在のあなたでも、彼らから大金と権力を餌に仲間に加わるように言われたら加わってしまうことでしょう。もしそうでないならとっくに世界を救う冒険へ旅立っているはずです。(僕は既にそうしていますし、例え何兆円積まれようと、どんな権力者にしてやると言われようと、僕の意思は微塵も変わりません)不幸な支配者を救うのが主人公の使命であり、支配者を絶対に幸せなものと考えて羨み、お金持ち・権力者を目指し、貧乏人を不幸と考えて貧困を恐れているようでは支配者たちは救えません。それどころかただ餌食にされるだけです。

人間というものは上位次元の存在のアバターであり、グローバリストも普通の人間に過ぎません。彼らは実際に会えば拍子抜けするぐらい普通に良い人達でしょう。あなたの周囲に屠殺場で働く人はいますか?彼らは家畜動物からすれば極悪人ですが、彼らの友人から見れば普通に良い人達でしょう。それと同じ事なのです。

屠殺場で働く人は「家畜は人間に食べられるために生まれているのだから、殺されても仕方がない」と仲間意識から切り離すことで罪悪感から逃れ、そして美味しい肉をみんなにたくさん食べてもらうことで「みんな肉を食べたがっているのだから、もし動物を犠牲にすることが罪だというのなら、肉を食べる人間は(及び動物実験による医薬品に頼る人間は)みんな同罪だ」と考えることで精神を保っているのでしょう。そしてそこはグローバリストたちも同じなのです。

グローバリストも我々と同じ人間であり、罪悪感から逃れるために無能な人たちを家畜と認識することで精神的に切り離しているのです。更に、エゴによって自分より無能な人を餌食にして富を得る社会システムにみんなを参加させることにより「みんな同じじゃないか」と罪悪感から逃れ、精神を保っているのです。しかしそれはとても不幸なことであり、彼らも主人公の救いの対象なのです。だから主人公はまず彼らの家畜になるのをやめるべきです。

ロスチャイルド家の現総代はインタビューにおいて(正確な内容は覚えていませんが)深刻な面持ちで「私は莫大な資産を持っても、ただ将来まで生活の不安がないというだけでみなさんと同じだ。少しも幸せではない。先代からの資産を減らしたら無能ということで一族から排除されるから仕方なく働いているだけだ」というようなことを言っていました。

現在の支配システム(時代・価値観)を作ったのは彼らではありません。支配者(悪役)としての宿命を持ってそういう家に生まれただけです。そして彼らはどれだけ途方もない資産を持っていても、先代の資産を減らさないためには先代よりも更に悪どいことをやらねばならないのです。

もしあなたがパチンコ連盟の長である最大手のパチンコチェーンの社長の息子として生まれたら、より収益を拡大すべくあらゆる悪どい事をやるはずです。できなければ無能として排除されますからね。絶対儲かるように出玉を管理し、あらゆる媒体を通じて宣伝し、ギャンブル性を高め、人気アニメを導入するなどして悪魔性を目立たなくして、店内を気軽に入れる雰囲気づくりに気を配り、流行らせて街中に出店拡大し、より多くの人を遊戯の中毒にさせ、サラ金業者と組んで高金利で金を貸し付け借金奴隷にするでしょう。そしてまた本来自分たちを取り締まるべき政治家や警察の上層部を要職に天下りさせたり裏社会の力で脅したりして逆に自分たちの操り人形にするでしょう。

グローバリストたちがやっていることも基本は同じです。陰謀論は荒唐無稽な話も多いですが、資本主義社会において陰謀自体があるのは当然です。今の資本主義経済は完全にギャンブルなのに、その胴元による我田引水的なコントロールと大規模な不正がないと考えるのは頭がお花畑なのであり、ただの賭博場のカモです。しかし不正を疑って文句を言いながらもそのギャンブル(経済・金稼ぎ)に人生を費やす気ならカモであることに違いはありません。


現代経済は椅子取りゲームであり、支配者たちはお金(ギャンブル)の仕組みを知らない・知っても逆らえない人達をそのゲームに強制参加させています。僕らは世の中がどんどん便利になっていくことに酔わされ、その音楽に踊らされている間にどんどん椅子が抜かれて社会が貧しくなっていることに気づきもしません。IT化などで世の中が10倍便利になっても、我々の仕事量が時間が10分の1になったわけでもなく、収入が10倍に上がったわけでもありません。逆に仕事量は増え幸福度は下がっているでしょう。社会の利便化によって富の独占が正当化され貧困化がごまかされていることに気づいて下さい。


そして支配者はこの矛盾が一気に露呈してゲームが終了することを恐れ、椅子を戻すのではなく人を減らすことでゲームを続行させることしか考えられません。コロナワクチンなど様々な人口削減施策はそのためにあるものです。設定上創造主にそういう役割をやらせられているのですから仕方のない事ですが、とても愚かなことです。しかし本当に愚かなのは、彼らの言いなりになってその陰謀にも気づかず(気づいていても文句を言うだけでレジスタンスを最初から諦め)残されたわずかな椅子を醜く奪い合って彼らのゲーム存続に貢献しているNPCたちです。

支配者たちは僕らがみんな同じ人間であること(ワンネス)に目覚めたら罪悪感に耐えられなくなりますし、罪を暴かれたらみんなから絶対に許されないだろうと確信しているので、自分でこの流れを止められないのです。「もし家畜動物たちが高い知性を手に入れて真実に気づき、勇気を持って我々に反乱を起こしたら」と考えれば、彼らの恐怖がイメージできるでしょう。だから彼らは大衆を常に無知で臆病にしておかなければならないのです。

そして彼らは罪悪感に耐え切れず死後の裁きを恐れているからこそ、悪魔を崇拝し悪魔に心を売ったことにして、同じグローバリスト同士で悪魔崇拝を流行らせて仲間意識を高め協力し合っているのです。グローバリストというのはそのように世の現実主義者たち(皮肉)にはとても信じがたいほどオカルティックなのです。そして彼らは世界中の人々のエゴを刺激してマネーゲームに陥れ、富を醜く争わせている間にお金をかき集めながら「お前たちも結局エゴのために他人を犠牲にしているのだから我々と同じじゃないか」ということで罪悪感を払拭し、あらゆる手段を通じてみんなのワンネスへの目覚めを全力で阻止しているのです。


しかしその彼らの意思は幻であり、本当は創造主のシナリオ通りなのです。そして悪魔がそのシナリオ通りに自分たちを崇拝させるように導いているのです。数十年で死ぬような人間・個性があって分離意識が強く言葉でしかコミュニケーションを取れないような人間に、こんなにうまく世界中を長年支配し続けることなど不可能です。グローバリストも悪魔も、みんな創造主の創ったシナリオ上、自分の役割を無自覚かつ忠実に果たしているだけなのです。悪魔が本気で世界を支配する気ならもっと秘密裏にやるでしょう。それなのにこれでもかってぐらい情報を公開して存在をアピールしながら世界征服を目指しているのは、悪魔の正体も悪役を演じている創造主自身(の分身)であり、本当は主人公に支配を止めて欲しいと願っているからです。


そうでなければジョージア・ガイドストーンなど出現するわけがありません。シナリオを知っている僕からすれば、滑稽過ぎていつも笑ってしまいます。


本当に賢い世界のトップエリートが911のようなあまりにも杜撰極まりなくまるで自分たちの存在を堂々とアピールしているかのような大胆な犯行の主謀などしないでしょう。彼らは無自覚に悪魔に操られているのです。

グローバリストは生まれた環境が我々と違うだけで普通の人間であり、彼らも悪魔に操られて苦しんでいて、それは主人公による救いの対象なのです。本当に幸せな人間なら悪魔などに頼って崇拝するわけがありません。メシア(主人公)の使命は、彼らを悪事とその罪悪感から救うことです。

彼らと権力や武力など力で戦おうとしても逆効果であり無駄です。ますます力で押さえつけられ暴力による支配が正当化されて体制が強化されることになるでしょう。この世のすべては自分自身の鏡なのですから、投げかけたものが自分に返ってくるのです。例え彼らの権力をテロなどの力で倒したとしても、また新たな権力支配が生まれるだけで何も解決しません。「権力」というのは相手に望まないことを強制する力です。その根源は人間みんなの中にフラクタル(相似形)に巣食う「他人を支配したい」という悪魔であり、それは悪魔崇拝者の祭壇にいるわけではありません。僕らがお金という権力分譲券を欲しがることでその悪魔は力を増すのです。誰もお金を欲しがらなくなればお金に力などなくなります。敵はグローバリストではなく悪魔です。僕らのRPGは天使と悪魔の代理戦争であり、とてもスピリチュアルな戦いなのです。だから力によって権力を打ち倒そうとしたりシステムから変えようとするのではなく、みんなが自分の中にあるエゴを乗り越えて無償で助け合い愛し合う価値観革命を世界の隅々まで行き渡らせなければならないのです。

愛が天使であり、エゴが悪魔なのです。そしてそのエゴの連鎖(利害関係の一致)が正義を装った巨大な悪魔を生んでいるのです。もしみんながイメージするような純粋な悪が存在するならそれはみんなが嫌がるので決して連鎖しません。エゴと愛は磁石の両極のように不可分であり、どちらか一方だけを失くすことはできません。僕ら一人一人が自分のエゴを乗り越えて愛を実践するようになり、それが連鎖することで世界は救われるのです。グローバリストから奴隷・家畜扱いされている僕らが、彼らから奪われて残されたわずかな富でも分け合って助け合って幸せに暮らせることを実践して見せ、そしてグローバリストたちの罪を許して彼らを悪事とその罪悪感から救う事で、僕らがみんな同じ人間であることに目覚めさせなければならないのです。


わかりますか?主人公はみんなに「本当は我々全員が同一の魂(ワンネス)であり、みんなを幸せにしない限り、決して自分も幸せになれない」ということに目覚めさせなければならないのです。我々がみんな尊い神であるということに目覚めさせるということです。そうすれば彼らはその富を等しく分配するに違いありません。それが古事記の「岩戸隠れ」の神話が教えているところであり、堕天使ルシファーは天照の荒魂ってことです。天使(愛)と悪魔(エゴ)は裏表一体であり不可分のものだと知って下さい。


今はまだお金(権力の分譲券)の力は絶大です。それはみんなが欲しがり、嫌な事を我慢してでも・他人から奪ってでも稼ぎたいと考えることによりその権力は増していき、どれだけ稼いでも我欲も保身も満たされず不満かつ不安で、そうしている間にどんどんお金というシステムを牛耳っている支配者たちの力を高め、人々がお金に支配されるようになっているからです。

お金がなければ生きていけない。お金を稼いで楽をしたい・欲望を果たしたい、他人に嫌な事を強制し、他人より優越的な立場にいたい・他人から見下されたくない・老後や病気や事故が不安だ・・・。そのように誰にでもあるエゴ(悪魔の手下である霊障)を刺激し利用して彼らは支配力を高めているのであり、僕らがそのエゴを乗り越えて愛に生きるということを世界中に連鎖させていかなければ、世界は救えないようになっているのです。そしてそれが創造主の創りし壮大なる神話のシナリオなのです。

みんなが愛を大切にして無償で助け合い、お金がなくても生活・将来の不安がなくなり、過剰にお金を欲しがらなくなれば、お金の価値は相対的にどんどん下がっていき、たくさん持っていても他人に何も強制できないので意味がなくなり、いずれ必要とされなくなるのです。そして氷河が溶けて水になるかの如くなくなっていき、この狂ったマネーゲームは人類を破滅させずにソフトランディングしていくのです。

真理は他人に強制しなくとも、自らが実践する勇気を見せるだけで、みんなが自発的に従います。ガンジーの非暴力不服従運動が良い例です。人を動かすのに政治や法律や金などの強制力が必要なのは、それが真理ではないからです。僕らは真理(=愛)を日々自ら実践し、ありとあらゆる権力(強制力)への非暴力不服従運動を展開し、権力(強制力)ではなく真理(=愛)が世界を修める真に自由な社会を築かなければならないのです。それはみんなが自発的に真理(=愛)に従う社会、神が治める社会ということです。その実現が人類のマニフェスト・デスティニー(明白なる使命・運命)なのです。


多くの人は命を一度限りのものと思い、信心がないために「すべての存在が本当は一つであり魂は永遠である」と信じず、エゴによって死を恐れるから、悲惨な死に方をした人を見て「この世に救いはない・創造主や神仏などいるわけがない」と考えるのでしょう。しかし魂は永遠であり死は幻です。そしてこの仮想現実世界の死の苦痛も幻であり、臨死体験者たちが例外なく言っているように、本当に死ぬ時っていうのは痛くも苦しくもなくできているのです。この世界は意地悪や嫌がらせのためではなく愛を経験させるために創られているのです。そしてこの世界は夢と同じであり、悲惨な死に方をしているように感じられる他人はNPCであり、創造主自身でもあります。それを見てこの世界に神も仏もないと考えて世界を救おうとしないのではいつまでも主人公になれずゲームクリア(覚り・世界平和・地上天国の実現)は有り得ません。

この世界は愛と勇気を試すためのRPGです。能力が低く臆病だからこそ愛と勇気を発揮して戦う姿は尊いのです。最初から能力が高くて何も恐れない人の愛と勇気には価値がありません。不平不満・言い訳ばかりですぐエゴ(我欲と保身)に逃げる臆病なNPCが絞り出す一滴の愛と勇気にこそ価値があるのであり、それがNPCを主人公にするのです。

誰が見てなくても創造主はあなたのすべてを見ています。だから他人に言い訳したり嘘をついたり、他人に評価されることを目指して努力する必要などないのです。誰が主人公(メシア)なのか誰に知られずとも創造主はちゃんと知っていて、必ずそれを讃えてくれます。他者評価より創造主の評価を考えて下さいね。


陰謀論者はプロビデンスの目を支配者層が目指す管理社会の象徴のように思っていますが、違います。創造主は悪役も含めて全ての役を自らの分身を使って演じさせながら、主人公であるあなたの成長を常に見守っているということです。行動だけでなく心の中まで全部、一秒も休むことなくです。あなたと創造主の関係は一対一であり、世界に何十億人NPCがいようと、あなたはその背中に隠れることはできないのです。

どっちにしても創造主に全部見られているというのに、監視社会になって何が悪いのでしょうか?犯罪や事故が減って色々便利になって良いじゃないですか?みんな心がエゴに満ちていてエゴのために暮らし、そのことに罪悪感があるから「他人に監視されたくない」という意識が働くのでしょう。お互いのエゴを責め合っているから、「誰かに見られて責められたくない」と隠したくなるのでしょう。もし心が愛に満ちていたら、本心を人に見られるほど愛されますから、どんどん本心を見て欲しくなるはずです。今の監視社会の問題は、他人のエゴを自分のエゴに利用するために情報が使われるために監視システムが息苦しくなっていることであり、監視社会そのものが問題なのではないのです。監視する目的が愛に変われば、それは医療・社会保障を隈なく行き渡らせるために使われることでしょう。資本主義が終われば、お金にならないのにわざわざ人々のプライベート情報を膨大に集めて研究して利用しようとする愚者はいなくなります。

このRPG世界はみんながワンネスに目覚める連鎖が世界の隅々まで行き渡り、みんなが無償で助け合う世界が実現し、みんなが救われるというフィナーレに向かっているのです。今の社会は、その大逆転劇前の(エゴ・分離意識による)最後の苦難を経験しているのです。その苦難故に創造主を恨まないで下さい。記憶を消されているだけで、本当はこのシナリオを描いたのはあなた自身(=我々の集合意識=創造主)です。

支配者層がエゴの為に目指していた世界政府が、価値観革命によりみんなを救う為の政府に変わるのです。我々はみんなそういう創造主の創りし壮大な神話の中を生きていて、そのワンネスに目覚める連鎖反応を自分に与えられた才能でもって自分から起こしていくことが主人公である自分の使命なのです。

大分長くなりましたが、ご質問の回答、ご納得いただけましたでしょうか?与えられたゲームの設定・シナリオ(フィナーレ前の苦難)に文句を言わず、認識できるすべては自分の魂の成長にベストだから与えられているものなのだと信じ、全ての存在に感謝して、目の前の人から救って幸せにしてそれを世界に連鎖させて下さい。この世界はすべてが主人公(メシア)である自分次第に作られているのです。

最後に創造主の思いをあなたに伝えるべく、ゾロアスター教三大呪の一つ「イェンゲー・ハーターム」を贈ります。世界を救う物語の主人公(メシア)であることにきっと目覚めて下さい。


ýenghê hâtãm âat ýesne
イェンゲェー ハーターム アーアテ イェスネー
paitî vanghô mazdå ahurô vaêthâ
パイティ ワングホー マズダー アフロー ウェイター
ashât hacâ ýånghãmcâ
アシャート ハチャー ヤォングハムチャー
tãscâ tåoscâ ýazamaide.
タスチャー タオスチャー ヤザメィデー

この世に存在する者たちの中で、誰が主の遣い(主人公・メシア)として最も優れた者であるか、主に与えられた悟りによりアフラ・マズダーは知り給う。神の遣いとして目覚めた男や女を我々は拝み祀るのである。

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