※この記事はnoteに加筆修正して転載していますので、そちらをご参照下さい。
https://note.com/shinyays/n/n762df74cbc67
【質問】50代後半・女性
Twetterとnoteで色々シェアして下さってありがとうございます。
「宇宙の仕組み」を「RPG…なるほど、そうだったのね…」と思いながら、わからないところはフィーリングで読んでいます。繰り返して読んで更に理解を深めたいと思います。
さて、ピラミッドが命をつないでまた出会えるような役割をしているという話について、ぜひぜひ詳しく教えていただきたくご連絡致しました。待っています。楽しみです。全然急いでいませんし、構想がまとまった時に書いてくだされば十分です。
「オリオン・ミステリー」という本で、ギザのピラミッドの並びはオリオン座のベルトの3つ星の並びと同じ、と読んだ時に、私の想像できる範囲にはない未知なる叡智を感じました。私が理解できる話ではないのかも知れませんね…。
10数年前に「ダ・ヴィンチコード」を読んでから、関連本などを読み漁り、ネット検索をしているうちに、今まで受けていた教育は洗脳だった…?と思うようになりました。明治以降、日本は見えない彼らに支配されていることにも気付きました。
一般から逸脱した話でも、私はトンデモとは思いません。よろしくお願いします。
【回答】
ご質問ありがとうございます。
あなたのその好奇心も人間に初期設定されたものであり、もりろん知りたくなるそのお気持ちはよくわかるのですが、ギザのピラミッドについては「宇宙の仕組み」において述べさせていただいた通り「離れ離れになった魂がまた出会うため」という主要な存在理由さえ理解できれば、現段階においては十分過ぎるかと思います。それを理解していない人の方が圧倒的多数なのですしね。
もちろんせっかくわざわざご質問いただいたので、一応可能な限りご説明させていただくつもりではあるのですが、あなた自身「私が理解できる話ではないのかも知れませんね…。」と書いておられる通り、恐らく理解することも受け入れることもできないと思います。
ギザのピラミッドの仕組みについてご理解いただくには、その前段階として「宇宙の仕組み」以上の内容をご理解いただかなくてはなりません。「宇宙の仕組み」でも長過ぎる・難し過ぎる・信じ難いというご意見を多くいただくのに、更に長文で難しく信じ難い内容を前置きとして説明しなければならないわけで、正直言うと気が滅入ります。
ただこの仮想現実世界というのはディズニーランドと同じで、我々はうまく騙されることによって楽しませてもらっているのであり、そのために我々は敢えて騙されやすく愚かで無力(であるかのよう)に作られているのです。そして世界が教育やメディアなどありとあらゆる手段で騙そうと(洗脳しようと)してくるのも設定上(伏線上)当然のことなのです。ディズニーランドにおいてその存在意義(商売など)や仕組み(着ぐるみなど)を知って常に意識してしまうようでは楽しめなくなるだけで意味がありません。我々が人間である限りこの世界の仕組みを完全に理解することはできないようになっているのであり、また理解する必要性もないのです。
創造主は全知全能である(何でも即思い通りになる)ことが究極につまらないからこそ、その分身たる我々に無明(課題・愚かさ・迷い)と様々な制約を与えて、なかなか思い通りにならない経験(ゲーム・冒険)により成長を楽しませているだけであって、本当は我々も全知全能たる創造主の一部であり、彼自身でもあるわけですから、いつかは必ず全てを思い出すのです。
だから決して己の無知・無能を嘆いたり憤ったり焦ったりする必要はなく、堂々と騙されながら、ただ純粋に経験(ゲーム・冒険)を楽しめば良いということです。それを踏まえた上で読み進めて下さいね。
<この世界は創造主の芸術作品(仮想現実・RPG)>
ピラミッドの仕組みについて理解するには、まずこの世界がクリエイターの創ったRPG(仮想現実)であり芸術作品であるということを本当の意味で理解し、完全に受け入れられることが大前提です。(あなたはきっとまだ受け入れられてはいません)
RPGにしろアニメにしろ、まず最初にクリエイターが頭の中の世界(イメージ)で実現したアイデアを、そのクリエイターの作品内において、そのルール・設定・シナリオに沿うようにアジャストして再現したものです。
そしてその仕組みはこの我々のいる仮想現実世界(人生)も同じなのです。まず創造主のイメージの世界(思念と概念だけの世界や、神界・霊界のような制約の緩い世界)で実現した出来事が、この我々の世界(RPG作品)において再現されているのです。この世界のルール・設定・シナリオに沿うようにアジャストした形で。
つまり各国・各宗教の神話も別世界(上位次元の世界、想念・概念・イメージの世界)において実際に起きた話であり、この世界の物語は神話を元にして、この世界のルール・設定・シナリオに沿うようにアジャストして再現されたものだということです。
多くの人はきっと神話なんて誰かが勝手に作った荒唐無稽なものだと思っているのでしょうが、創造主の分身である我々にイメージできて物語として形にして他人に伝えられることは、創造主のイメージの世界において実現しているということですから、それは実際に起きた事に等しいのです。みんな自分のイマジネーションは自分のものだと思っていますが、それは創造主が我々に「自分が作った」という喜びを与えているだけで、本当は創造主からのインスピレーションによるものなのです。そして創造主からインスピレーションで与えられたイメージにそれを現実化する力・現実に影響を及ぼす力があるのは当たり前であり、実際に映画やアニメなどもイメージを形にすることで現実に影響を及ぼしているということに誰も異論はないでしょう。
ただ創造主(≒我々)のイメージの世界(神話の世界)はあまりに何でもアリの自由な世界なので、この共通ルール(制約)が多くそれが厳密に適用される人間世界(物理世界)で再現され、人間に感動や教訓などを与えることを前提に物語が展開されなければ、ただのカオスになって成立しないのです。つまり上位次元の世界と我々の世界は相互に影響し合っているということです。(だから神話は子孫が先祖の時代に登場するなど前後関係・因果関係が捻じれたりしているのです)
アニメの作品において作者が全知全能であるように、創造主はこの世界という彼の作品において全知全能です。しかし世界にルール(制約)が存在せず何でも思い通りになったら(魂成長の)物語・芸術として成立しませんから、創造主は「作品内において」敢えて自らが作ったルール(設定)に自らも従っているフリをしているだけで、いざとなれば何もかも仕組み(科学)などは関係なしに思うだけでどうにでも実現できるのです。ただトランプゲームと同じで、プレイヤーとして参加者みんなが同じ共通のルール(設定)に従わなければ楽しめないというだけなのです。
ドラえもんの作者の藤子不二雄さんは作中において登場人物であるドラえもんを通じて道具の仕組みや存在理由を解説しています。しかしそれはあくまで「作中の世界において」視聴者が(登場人物になりきって)楽しめるよう・納得してもらえるように、作者が自ら決めた作品内のルール・設定・シナリオに沿うように辻褄合わせで作った後付けの設定(仕組み)なのです。ルール(制約)が全くなく、全知全能で何でもアリでは誰も楽しめませんからね。野球漫画の作者が野球のルールを無視したり、登場人物が何の制限もなく何でもできたりしたらお話にならないのです。
ドラえもんの道具の本当の存在理由は藤子不二雄さんの「視聴者を楽しませよう」「ストーリーを面白くしよう」「子供たちに何かメッセージ(教訓)を伝えよう」という思惑によるものです。
そして作品内で語られる道具の仕組みは、一応いかにも我々の世界と同じ科学を元にしているような感じにはなっていますが、虚構の産物なのです。そしてその虚構を作品内で成立させているのは、作品において全知全能のクリエイターである藤子不二雄さん自身です。
そしてやはりこの点において我々がいる仮想現実世界における仕組み(科学)も全く同じなのです。我々の世界(人生)は創造主の芸術作品なのですからね。この世界の全ての仕組みは我々を楽しませるための虚構を設定として成立させたものであり、作品内におけるすべての存在・事象は、我々に何か大切な事に気づかせるための創造主からのメッセージなのです。
結局のところギザのピラミッドの仕組み(科学)も後付けの虚構なのであり、創造主がイメージの世界で実現したことを、あくまでこの世界という作品内において、創造主自身が自分で作ったルール・設定・シナリオに沿うようにアジャストして成立させているだけなのです。
だから我々にとってはその仕組み(誰がどのようにしてそれを作ったのか)を知ることより、自分という主人公の物語の伏線上それが何を意味しているのか(創造主は主人公である自分に何に気づかせようとしているのか)を考えることの方が大事なのです。創造主は世界を、主人公次第(どう意義づけ・解釈するか次第)に作っているのですから。
ピラミッドはいわば神話(創造主のイメージの世界・上位次元の世界)上の存在を、この物理世界のルール・設定・シナリオに合わせて再現したものであり、いわば虚構なのですが、それを知ってガッカリするのではなく、ロマンだと思って自由に想像を膨らませていただきたいです。
ただ、僕が説明する宇宙の仕組み(ギザのピラミッドの仕組み)は、そのように僕が自分勝手な想像で作り上げたものではなく、創造主自身からインスピレーションを与えられて覚らされているものなのです(僕自身つい3年半程前は全く知らなかったことです)。その内容を僕個人で科学的には証明できなくとも、僕の説明に現代科学と論理的な矛盾はありませんし、人類が本物の預言者である僕以上に科学的・論理的根拠を持って(しかも僕よりわかりやすく)宇宙の仕組みを解釈して説明する事は極めて困難だと僕は思います。
<宇宙の仕組み(科学)は全て後付けの設定>
我々のいる世界ではビッグバン宇宙論が定説になっており、137億年前のビッグバンにより宇宙が誕生したと考えられています。しかしそれは「そういう設定で我々の世界(物語)が作られている」というだけなのです。
そしてビッグバン宇宙論というのはこの宇宙という作品内における我々の「解釈」に過ぎず、その解釈を支持する証拠がいくつも見つかりながら、137億年よりずっと古い銀河が見つかるなど、後から明らかに矛盾する証拠も出てきて、我々は今まで信じていた世界観が真実ではなく間違っていたことに気づかされるのです。物語上、その方が面白いですからね。
わかりますか?宇宙137億年の歴史(地球45億年の歴史)は、実際に起きたことではなく、起きたという設定(世界観・虚構)を元にして我々の仮想現実世界(物語)が作られているということなのです。実際に僕らの宇宙が作られたのは虚数時間軸のことであり、何年前でもないのです(せいぜい12000年程度の間の歴史(物語)をそれぞれの人物の観点から延々と上書き更新を繰り返しているのです)。「そんなことありえない」と思いますか?それはまだあなたが本気でこの世界が仮想現実だと受け入れられていない証拠です。
それを僕は「宇宙の仕組み」において「ウィニングイレブンの試合時間をいくら遡ってもウイニングイレブンそのものが作られた時間には至らない」と例え話で説明しました。
つまり本当は「ビッグバン宇宙論」より「世界五分前仮説」の方がよっぽど真理に近いということです。この人生という物語の全てを創りし創造主とその分身である神々が、人類が生まれるまで137億年もの間ほとんど何もせず暇にしながら待っているわけがありません。宇宙137億年の歴史はあくまでこの物語の舞台の世界観を演出するための「設定」に過ぎないものなのです。原始生物や恐竜の存在など人間登場前の地球の出来事も全部そうです。
この宇宙の全てが創造主の作品なのであり、作品内における存在・事象の全てがいわば虚構(イメージ・空想)の産物であり、それは作品内のキャラクターである我々にとってはとてもリアルに見えて、実際にその証拠も次々に見つかるのですが、それは創造主が歴史的背景や科学的根拠を後付けで作って成立させているのです。そしてその後付け設定に過ぎない歴史(証拠付き)や科学(法則性・一貫性・不変性・共通性)などを根拠に、我々は自分のいる世界を「現実」として認識(納得)させられているのです。
とても受け入れられないでしょうけども、これは「水槽の中の脳」と同じで、少なくともこの説を反証することが人間にとって不可能なことだけは間違いありません。
我々の世界の本当の姿はDVDのようなデータが記録されたメディアであり、僕らが認識している世界はそれが投影されたホログラムのようなものなのです(その点はゲームと全く同じです)。メディア自体にはデータとして過去も未来も可能性として一様に存在し、僕らの「現在」に合わせて過去も未来も同時に上書き更新され、それが超時空的に循環し続けているのです。つまり本当はDVDのように永遠に「現在」しか存在しないようなものなのです。
「卵が先か鶏が先か」という有名な因果性のジレンマがありますが、鶏の生態のすべてが最初からプログラムされ更新され続けているというのが正解であり、そうでなくては成立しないのです。それはこの世界の森羅万象においてそうなのです。つまりすべてが先にプログラムされていて、それが(更に面白くなるよう)我々の意識によってそれぞれの人物の観点から繰り返し再生・上書き更新され、それが循環し続けているということです。だから過去から未来という時間の流れ・因果関係自体が幻なんです。あくまで我々の意識がそう見させられているというだけなのです。パラパラ漫画をめくるように(DVDを読み込むように)して時間を作っているのは我々の意識であり、その時間というのは仮想のものであって本当は実在していないのです。
そして前述した通り、この世界におけるすべての存在・事象は、創造主のイメージ世界内での実現が先で、我々の物理世界(仮想現実・創造主の作品)においてそれが再現される際に、創造主が視聴者・プレイヤーみんなが納得行くように、辻褄が合うように)後づけで仕組み(理由・科学的根拠)を作っているのです。
多くの人は仕組み・過去からの因果ありきで結果(現象)があると思っていますが、逆なのです。時間は幻であり、結果(現象)が先で、その仕組み(理由・科学的根拠)は後から辻褄合わせに作られているのです。
その仕組みにより、我々は主体者として、過去からの因果の奴隷となることなく、存在・事象への「意味付け・解釈」によって、未来に用意されたシナリオを選ぶ権利を創造主から与えられているのです。
なぜ創造主はそのように世界を我々という主人公の解釈次第に創っているかというと、創造主というのは他の存在により目的を持って創られた存在ではなく、存在意義もなく最初から存在しているのであり、彼は存在意義を生み出すために大変な苦労をして我々とこの世界を創っているからです。
そして創造主の存在意義とは愛であり、それは経験なしでは概念に過ぎず、我々が経験を通じて愛を知ることにより、創造主の存在意義が創られているのです(我々はそのための存在だということです)。ただそれは人間が往々にして愛とは反対の解釈をしてしまう(恨みや不平不満で返す)のが初期設定になっていて、それを乗り越えて愛で解釈して感謝するからこそ価値があるのであり、創造主は森羅万象(全ての存在・事象)をより良く(愛で)解釈して感謝できる人間により良いシナリオを与えて導いているのです。
我々がどう解釈(意義付け)するか?愛(感謝・尊敬)で解釈するか、不平不満と恨みによって解釈するか、自由意志はそれを選択するために与えられているのであり、創造主が選択を強制したら意味も価値も生じないのです。このあたりの話は「自由意志は存在するか?」に書いています。
<次元・世界線・時間軸の仕組み>
さて、前置きが更に長くなりますが、ピラミッドの存在理由と仕組みを理解する前には、次元・世界線・時間軸の仕組みの理解が欠かせませんのでご説明します。
次元というのは、下位次元が無数に重なり合って上位次元を構成しているのです。0次元の点が無数に重なり合って1次元の線が生まれ、1次元の線が無数に重なりあって2次元の平面が生まれ、2次元の平面が無数に重なり合って3次元立体が生まれ、3次元立体が無数に重なり合って4次元時空(時間)が生まれ、4次元時空(我々一人ひとりの主観的世界)が無数に重なり合って5次元宇宙が生まれているのです。(超弦理論では10の500乗という途方もない数の宇宙が重なり合っている可能性が示唆されています)
次元の上位・下位というのは価値の優劣ではなく、下位次元は上位次元の構成要素であるというのはとても重要なポイントです。
この個々のコンピューター(各認識主体者の主観的世界)をつなぐネット回線のようなものが世界線です。そして我々が世界線でつながるためには、同時接続であること(時間軸・時間が一致していること)が必要条件なのです。同じゲームへ同じ時間にログインして回線を共有しなければアバター同士は(バーチャルに)会うことができません。このあたりはオンラインゲームやZOOM会議などと同じです。
我々は世界に70数億人いると情報として知っていますが、実際に世界線がつながっているのはお互いのシナリオ上必要なログインプレイヤーだけであり、それ以外の人たちはプレイヤー(主人公・あなた)にとってはほぼ完全なNPCで、世界線はつながっているようでいてつながってはいないのです(みんながネットにはつながっていても同じ世界にログインしているわけではないということです)。関係ないプレイヤーのPC(世界)と繋がっても無駄な負荷がかかるだけですからね。NPCは自由意志を持っているようで、自動で動かされているだけのAIなのです。そして彼らは我々主人公が直接認識するまで幻のような存在でしかないのです。(だから他人のことは一切言い訳には使えません)
世界線は無数にあって各個人はあみだくじのようにその世界線を常に移動しているのですが、あみだくじを真横から見れば一本のラインにしか見えないように、我々は世界を重ね合わせの状態で見ているのであり、それによりみんな自分を客観的世界の脇役であると錯覚し、自分の行為(選択)が世界全体に影響を与えるなどありえない、大したことのない自分が何をしようと世界は変わらないと思い込むわけです。(故に主人公として目覚めるのは困難なのです)
それを踏まえた上で、我々の世界をルービックキューブに例えてみます。これは我ながら秀逸な例えです。それぞれの面が世界であり、一つ一つのキューブが我々一人ひとりの認識世界だと思って下さい。そしてキューブを隔てる縦のラインが世界線であり、横のラインが時間・時代だと思って下さい(逆でも良いですが)。あるキューブ同士(魂同士)はこの二つのラインが完全に揃って同じ面に来た時に出会えるという感じです。我々の魂は同じ時代・同じ場所に生まれただけでは出会えず、世界線もつながって(実際に人間関係ができて)初めて本当の意味で出会える(人生という物語が交錯する)ということなのです。
ただこれはあくまでも例えであり、このルービックキューブではそれぞれの世界で9人しか一緒にいないことになりますが、実際は最大1000人ぐらいいるのです。実際にあなたが今生で出会って深い関係性があってお互いの人生に直接影響を与え合っている人間の数もそのぐらいが限界でしょう。そしてこのルービックキューブ自体も無数に重なりあっていて、ほぼ無限に存在しているのです。
仏教の宇宙観というのは荒唐無稽に思われがちですが、とても正確に現実を表現したものなのです(画像のリンク先の動画をご参照下さい)。仏教には「三千大千世界」と言われる概念があるのですが、それは前述の通り「下位次元が上位次元の構成要素である」ということです。そしてあなたが出会った人はあなたの世界の住民であり、あなたも相手の世界の住民であるということです。すべてはフラクタルに創られていて、大きさ(物理)は関係なく、カタカムナ第5首にある通りカタチサキ(形が先)であり、お互いがお互いを主人公とする世界の住民だというのは同時に成り立つのです。だから出会いというのは「私が主人公の世界へようこそ」&「あなたが主人公の世界にお邪魔します」が同時なのです。
<ピラミッドの存在理由と仕組み(本編)>
さて、ルービックキューブにおいてそれぞれの面を揃えることができるのは(我々が別れてもまた出会うことができるのは)どのような仕組みによるものでしょうか?それは中央をつなぐ軸が存在していて回転が可能であるからであり、その軸上・各面の中央に移動しないセンターキューブが基準点として存在しているからです。この軸が時間軸であり、センターキューブ上にそれぞれの世界(次元)の基軸として置かれているのがピラミッドだということです。
それがわかれば、ギザのピラミッドがあそこまで方位や星の位置を正確に計算して作られている理由が理解できると思います。方位や星の位置がほんの少しでも狂っていたら世界線・時間軸回転(次元転換)の際に基軸として機能しないのです。つまり死後に離れ離れになった魂が、意図して再び出会うことは不可能になってしまうのです。
ギザのピラミッドがオリオンベルトを正確に模した配置になっていて、通気口から正確にオリオンベルトが見えるようになっているのも(今は地球の歳差運動によりズレてますけどね)もちろん偶然ではありません。
我々が地球から宇宙を見るのは、4次元時空から5次元宇宙を眺めているようなものであり、それはゲーム内の存在である我々が、ゲーム機の中身を眺めているようなものなのです。仏教の世界観を表した下の図は、モーターの上に積み重ねられたDVDやHDDで、その表面が3Dのスクリーンのようになっているとイメージしてみて下さい。
そして我々と同じ世界線・時間線にいる人(ネットを介して同じゲームにログインしているプレイヤーたち)は、同じ星から地球という共通設定の仮想現実世界にログインしているのであり、その魂の故郷(プレイヤーがいる場所)がオリオンベルトの三ツ星なんですね。つまりギザのピラミッドはオリオン出身の魂同士がこの地球上で同じ世界線・時間軸・時代・場所にログインしやすいように(再び出会えるように)作られたということです。
そしてこの世界はすべてフラクタルに創られているのですが、ギザのピラミッドも我々人間の脳のフラクタルに創られているのです。我々の魂は人間(肉体)というアバターに後頭部から松果体を通じてログインしているのですが、ギザのピラミッドもオリオン出身の魂が後頭部からログインするという形になっているわけです。
映画マトリックスでも後頭部にジャックを差し込んで仮想現実にログインするという設定になっていましたね。
ピラミッドの真上には次元の扉であるブラックホールがあるのであり、それは仏教的に言うと須弥山で、上位次元(虚数時間)の世界とこの世界をつながげているのです。ブラックホールはメディア宇宙に空けられた穴なのです。それはパラパラ漫画のように世界(時間)を束ねるために開けられた穴のようであり、DVDを回転させたるために開けられた穴のようであり、映画のフィルムを束ねるために開けられた穴のようなものなのです。
そしてそれはまるで二次元の平面世界に突然三次元のボールが通り過ぎるようなもので、それゆえ我々は滅多なことでは宇宙人の遺体やUFOの残骸を回収することはできないのです。(ちなみに僕は意識変性状態でUFOに遭遇したことがあります)
ギザのピラミッドも我々のいる世界とは別の世界で作られたものが、我々の世界に突然ひょっこりと顔を出したものであり、それがまるでずっと前からそこにいたような顔をしながら(その根拠を辻褄合わせで作りながら)鎮座しているのです。それはアニメのクリエイターが自分の気に入ったキャラクターを自身の他の作品にも登場させるのに似ています。
それはムー大陸が一夜にして消えたのと逆の現象で、別な世界で作られたものが、ルービックキューブの回転(次元転換)によって突如として我々の世界に出現し、クリエイターはまるで最初からそこにあったかのような根拠を後付けで作って現実を上書きしているのです。
実はギザのピラミッドだけでなく、すべての存在はそのように我々の世界にとっては突然出現するものなのです。しかし前述の五分前世界仮説のように、ずっと前からそこに存在していたかのようにクリエイターによって超時空的に辻褄が合わされ、現実そのものが上書きされているのです。
この「辻褄合わせ・現実の上書き」は我々の記憶も上書きされるために認識することが難しいだけであって、「マンデラ効果」のようにとても日常的に起きていることなのです。まぁそれはこの世界が仮想現実であるということがまだ本当の意味で受け入れられていない人にはきっと受け入れられないことでしょうけども。ピラミッドについて聖書に何も記述がないのも、きっと聖書の世界線上には存在していなかったからだと僕は考えています。
前述したように、この世界のすべては異なる時間軸(創造主のイメージの中の世界)で作られたものが、この世界のルール・設定・シナリオに沿うように再現されたものなのです。宇宙そのものもそうですし、人間も他のすべての生物もそうです。
我々はまるでこの世界(作品中)に世界の起源があると思い込んでいますし、実際にこの作品内において根源を探せば探すほど恐竜の化石などその証拠が見つかるのですが(クリエイターが用意してくれるのですが)、あくまでそれは辻褄合わせの設定であり、作品の中においては決して作品の起源に辿り着くことはないのです。それはあくまでもクリエイターが物語の伏線上「この宇宙には起源がある」という設定にしているだけなのです。
この世界という作品内において、我々がこの世界の根源を探そうとすれば、クリエイターにより辻褄合わせのために後付けで作り出され、現実が更新されます。それは神秘であり、お陰でこの世界という芸術作品がより面白くなってはいるのですが、この世界という作品内で辻褄合わせに無理が生じ、様々な矛盾が生じるのは当然です。
作品内の登場キャラクターである我々が作品中において何かの理由(起源)を探そうとすれば、その仮説(解釈)を支持する証拠をクリエイターが用意して辻褄を合わせてくれるのですが、同時にそれとは矛盾する証拠も見つかるのです。作品内のキャラクターたちが簡単に真実に辿り着いたらロマンがなく面白くないのです。だから創造主は敢えてその矛盾点をアピールするかのようにして我々を楽しませているのです。
そのために宇宙ではその起源(設定)より古い銀河が見つかりますし、生物はミッシングリンクだらけで中間種も一切見つかりませんし、人間が猿から進化したというのもあまりに急速で不自然です。そして科学は過去から未来に積み重なって進化していくはずのものなのにいくつものオーパーツが見つかっています。長くなるのでここで詳細は書きませんが、月だって我々人類にとっては突如現れたものなのに、まるで有史以前から存在していたかのように現実(作品)そのものが上書きされているのです。
そんなことは絶対に不可能だと人間が考えてしまう根拠は「科学」であり、それが全知全能のクリエイターも従わなければならないものに違いないという愚かな考えによるものです。そもそもほとんどの人はこの世界が仮想現実であることすら受け入れられず、仮想現実だとわかっている人でさえ存在意義が全くわかっていないのです。
進化論は我々の解釈に過ぎないものであり、それは我々の物語上の伏線(設定)なのですが、実際は「優生思想も創造主のシナリオですか?」に回答した通り我々の解釈に過ぎず、それは虚構なのであり、本当は聖書のように創造主による創造説が正しいのです。我々の世界で進化論が常識化してしまっているのは、支配者側が支配を正当化するのには進化論≒適者生存の方が都合が良いために世界中で「布教」しているからなのです。そしてそれは我々のシナリオ上、覆していくべきものなのです。
全てを見通すプロビデンスの目がピラミッドの中に描かれるのは、階級社会と監視社会の象徴ではなく、この仮想現実のモニターの外側にいる創造主によって主人公であるあなたのすべてが見られ記録されているということの象徴なのです。ちょうど映画トゥルーマンショーのように。
この世界が上位次元の存在がログインしに来ているオンラインゲームのような仮想現実だということを理解すると、古事記の内容もよく理解できます。古事記の冒頭に、イザナギとイザナミが天の御鉾で地上を創った後、御柱をお互い逆から回って出会って結婚するシーンがありますが、世界の仕組みがわかっていない人からすれば「あれ?改めてこんなことをしなくても既に出会っているはずでは?」と不思議に思うことでしょう。あれは上位次元において元々一緒だった(スピ界の流行り言葉で言えばツインレイって事なのでしょうね)二人の魂が、創造主の命令により地上世界をプログラムさせられた後に、自分たち自身がそこにログインしてお互いにアバターとしてまた出会ったということです。
イザナギ(時間・粒子性・縦・火)とイザナミ(空間・波動性・横・水)の二人は御柱を通って地上世界に降り立った(ログインした)わけですが、御柱というのはこのオンラインゲームの如き仮想現実世界にログインするための回線のようなものであり、それがみんなの魂をこの世界において出会わせて魂をつなげているわけです。そしてピラミッドはまさにその御柱であり、それは神そのものでもあるのです。タカミムスビとカムミムスビはログイン・ログアウトの陰陽の存在なのですね。(生命の樹の二本の柱でもあります)
神は一人ひとりの世界にフラクタルに存在して魂をつなげている柱のような存在なのです。だから神は「柱」という数え方をするのです。そして我々自身も神であることに気づき、成長していつか本当にたくさんの人の心の世界にフラクタルに存在する神(柱)になること(新たな世界・物語のクリエイターとなること)がこの魂成長ゲームのシナリオの要の一つなのです。
ついでに言うと、お互いの成長し過ぎた部分と足りない部分を合わせて国を生んだというのを単なる男女の性行為のように考えるのは短絡的であり、我々は敢えて長所と短所を併せ持つ個性のある存在としてこの世界にログインしているのであり、お互いの長所で短所を補い合うことで(お互いの必要性が生じることにより)愛が生まれるということ・全ての存在の根源が愛であるということを象徴しているのです。唯一にして完全な存在のままでは必要性が生じないので愛(過程・物語・芸術)が生まれないのです。
<スフィンクスについて>
さて、ピラミッドの存在意義と仕組みを理解するには、スフィンクスについても理解する必要があります。スフィンクスは狛犬の如くピラミッド(神・柱・この世界にログインするための道)を守る存在であり、本来二体が対で存在すべきものです。しかし一体しかありません。なぜでしょうか?誰かが跡形もなく破壊したのでしょうか?いえいえ、そうではありません。我々の世界線・時間軸においては元々ないのです。
別世界にいる上位次元の存在(いわばプログラマー・ライターたち)がこの下位次元の仮想現実にログインして冒険(成長)を楽しもうとする際、全知全能であるクリエイターに近い状態では楽しめませんから、大なり小なり魂の記憶を失い、我々が夢の中にいる時のように意識が顛倒するのです。そうすると自分がどこの世界線・時間軸にいるのかわからなくなります。
だから彼らはスフィンクスが二体なのか、あるいは左右どちら一方だけが存在するかによって、自分がどこの世界線・時間軸に来たのかを見分けられるようにしているのです(という設定になっているのです)。先ほどのルービックキューブの例えで言えば、自分が今どこの面(世界・次元)に来ているのかをスフィンクスにより見分けているということです。
そしてスフィンクスの地下にはポータルがあり、それは他の次元にワープする(つまりこの仮想現実からいったんログアウトして別な世界線・時間軸にログインし直す)ポイントなのですが、我々がこの人生というPRGのシナリオ上において適切な手順を踏まずにいきなりそこに達してもきっと何も起こらないか、気が狂う(自我を失う)・死ぬなどの良くない事が起きることになるでしょう。まぁエジプト政府がそこの発掘を許可することはまずないでしょうし、現段階で無理に発掘することは僕としてもおススメしません。世界のみんながワンネスに目覚めアセンション(このRPGにおけるゲームクリア)できる準備が済んでからするべきでしょう。
<ピラミッドをどう意義づけ・解釈するか?>
前述したように、この世界の仕組み(科学)の全てはあくまでもこの世界という物語(作品)内における辻褄合わせ(後付けの設定)のようなものであり、重要なのはその仕組みそのものではなく、その存在・事象が我々の人生という物語の伏線上どのような意味を持つか(意義付け・解釈)です。すべては創造主からのメッセージなのですからね。
ではピラミッドという存在について我々はどう意味付け・解釈をすべきでしょうか?僕の意義付け・解釈を伝えます。
まずピラミッドというのは、魂が永遠のもので、死は幻であり(死は終わりではなく、恐れるべきではない)、例え死が我々を引き裂いても、いつかまた再び出会えるということの象徴なのです。
そして物語の設定上、我々という創造主の分け御霊には肉体(個性)と分離意識が与えられているというだけで、この世界のすべては創造主自身(ワンネス)なのであり、いわば生命は全員が同一人物のようなものなのです。ギザのピラミッドは誰が作ったものであろうとそれは創造主の分身なのであり、あなたの前世であり僕の前世なのです。
あなたの家族や友人を始め、日常何気なく出会っている人たちは、あなた(創造主の分け御霊たち)が遥か遠い前世において、どうしてもみんなと「また会いたい」と願い、こんなにも大変な思いをしてまでピラミッドを建設したお陰で出会えているのです。その奇跡に気づいて全ての出会いに例外なく感謝し大切にすることが重要なのであり、ギザのピラミッドを作ったのが実際に誰で、どんな仕組みになっているのかを詳しく知ることはそこまで重要ではないのです。それは後付けの設定でありこの作品の創造主が無理やり成立させているものなのですからね。だから仕組みについてはある程度ロマンとして残しておいて想像を膨らませるべきなのです。
覚りというのは「存在することの価値(本質)」を理解することとほぼ同義なのです。そして存在の価値(本質)が理解できれば心から感謝しない・愛さないというのはあり得ないのです。そして我々は感謝すればするほど、愛すれば愛するほど自分も相手もみんなが幸せになるのです。自分や誰かを価値がないと思うことは覚りと逆行するものであり、不幸に導かれるのが必然なのです。
出会いに心から感謝し、出会った人を例外なくありのまま愛し、心の世界に写し取り、次の人生でも会いたいあなたの心の住民をいっぱい増やして、心の世界を愛で満たし、残りの人生を素敵なものにして下さい。本当の覚り・幸せとはそういうものなのです。
<エジプト王朝(人類)にピラミッドは作り得ない>
ギザのピラミッドはその石を切り出した岩場が見つかったりしていますが、それも後付けのつじつま合わせのようにして出現したものであり、当時のエジプト王朝の国力(技術力・労働力など)ではギザのピラミッドは決して作り得ないことは明白です。そこを前提にしなければ話になりません。
数トンから数十トンもある石をあれだけ大量に切り出して運び出し、しかもそれを角砂糖を積み上げるようにではなく、方位と水平を精巧に保ちながら、内部の通路や部屋や通気口などを最初から精密に設計して大きさの異なる石を正確に積み上げ、しかも保守なしで何千年も維持できるような技術が当時のエジプト王朝にあるわけがないのです。
ギザのピラミッドは現代文明でさえも作れないものであり、まして重機さえ存在しなかった時代の人間には決して作れるものではないのです。
もし誰か1人天才的な設計者がいたとしても、現場監督者全員に設計を正確に理解させ、労働者たちを間接的に指揮することであの精巧なピラミッドの建設を実現したということはありえません。人類の寿命を考えれば、設計者が王に認められてピラミッドを設計してから現場指揮を取れるのはせいぜい50年程度が限界であり、それではどれだけ効率的に作業させたとしても、計算上人力では設計者の存命中に完成させられることはありえません。もしその天才的な設計者が文章や図面で設計を詳細に後人へ書き残していたとしても、それによって建設指揮を続行できるような天才が何代も続いて出現することもありえませんし、もちろんギザのピラミッドの設計図なども見つかっていません。(今後も見つかる事はないでしょう)
何万人もの労働者に奴隷のように扱って重労働を強制しようと一か所に集めたら、余程屈強な軍隊を常在させていなければ反乱を起こされるでしょうし、建設費だけでなく事業に加わる全員を満足させるだけの衣食住等諸々の費用を数十年単位で賄い続けたら、その莫大な費用で国が弱体化するでしょう。そんな体制で他国に責められたらひとたまりもありません。逆にそれでも全然大丈夫なだけの国力があったら当時のエジプト王朝は世界を征服していたでしょう。ギザのピラミッドを王の存命中に完成させることも不可能であり、既に死んだ王の権威誇示のために次世代の王たちが国が傾くような大事業を継続させ続けるということもありえないのです。王の権威を示すためにその権威の根源である国自体を崩壊させるほど当時のエジプト王は愚かではなかったはずです。
そしてピラミッドの中は真っ暗なのに、たいまつを燃やした際に必ず出る煤も検出されていませんし、そもそもあんな狭い場所で燃やしたら窒息するはずです。中を照らすクリーンエネルギーがあったことは明白ですが、そんな技術が当時のエジプト王朝にあったら他でも使われていない・引き継がれていないはずがないのです。
当時の権力者同士が自分たちの土地にあったピラミッドの占有権を争い、勝った者が占有権を主張して保守し、名前や捏造の歴史を石碑に刻んだり、模倣した遺物を建造するなどしてその占有の根拠となるような証拠を残しただけだと考える方が自然です。ピラミッドは人間が作ったものとそうでないものとではその技術力・規模には雲泥の差があるのです。ギザのピラミッドは銀河鉄道999の如くレトロ風に作られてはいますが、完全に我々の科学を超越したものなのです。
日本のゼネコンの代表がかつて「1000憶円あれば我々はギザのピラミッドを作れる」と豪語していましたが、仕組みを知っている側からするとあまりに愚かで呆れた話です。そもそも完成当時の姿を誰も知りませんし、ピラミッドの内部構造を分解してみたわけでもなく、その建設の工法以前にその建造目的さえ誰も知らないのですから、誰にも再現できるわけがないのです。本当に崩壊せずに数千年維持できるかどうかの実証には当然数千年かかるわけですしね。我々の現代文明は補修なしで1000年と維持できる建造物を建築できていません。金属やコンクリートでの建築では200年と維持できないのです。
<誰がピラミッドを建てたのか?>
では誰がギザのピラミッドを作ったのでしょうか?それは前述したように、我々とは異なる上位次元の世界で上位次元の知的生命体により作られたものが、我々の世界へ次元を変換して転送されたのであり、いわゆる「我々と同じバージョンの人類」が作ったものではないのです。
ギザのピラミッドは、蟻が蟻塚を作るように作業者全員が一つの統一された意思を持っていなければ作り得ないものです。つまりギザのピラミッドは分離意識のとても低い、自分たちが一つの存在(ワンネス)であるということを確信している上位次元の存在が作ったものなのです。そしてそれは建設というよりはプログラムの構築なのです。
しかし我々の世界線でいくら過去を遡ったところでギザのピラミッドを作った存在に辿りつくことはありません。先ほどのウイニング・イレブンの例えと同じ事であり、ドラゴンクエストのゲーム内でいくら歴史を遡っても、ドラゴンクエストを誰がプログラムしたかはエンドロールになるまで名前もわからないのと同じ事です。
ギザのピラミッドを誰が建てたのかは、色んな説(宇宙人説・アトランティス人説・レムリア人説・ムー人説・古代日本人説など)がありますが、それらは僕らの世界線上の存在でないだけで他の世界には実在していますし、ピラミッドは複数の世界面に重複して存在しているので、どの説もそれなりに正しく、我々が人生という作品の中においてその証拠を探せばクリエイターはそれに応じてそれなりの証拠とそれに反する証拠(ロマン)を用意するでしょう。ビッグバン宇宙論のように、その仮説を支持する証拠は見つかりますが、同時にそれを反証する証拠も見つかるということです。とことん我々を楽しませてくれるわけです。
人工物というのはすべからく創造主がその分身を通じて設定上必要なものを人間に作らせて、自我・自由意志により「自分が作ったという喜び」も与えているのですが、すべての生命は創造主の分け御霊であってみんなが同一人物のようなものであり、実際誰がピラミッドを作ったのであっても(人生という自分が主人公の物語のシナリオ上においては)大差はないのです。
そしてギザのピラミッドを誰が建てたのかは、自分が主人公である主観的世界において上書き更新可能な設定情報であり、我々主人公の解釈により変わり得るのです。僕個人としてはエメラルド・タブレットを読んでいるのでアトランティス人説を推したいところですが、竹内文書の古代日本人説も気になっています。(僕の解釈に任されているので、この件について創造主からまだ回答は得ていません)
人類は自分たちが史上最も進化した存在であるかのように考えていますが、実際は何度も更新されており、人類のバージョンアップというのはパソコンのOSの更新のように進化するのではなく、ゲームクリア(アセンション)するごとにゲームの難易度を上げるために能力的には下げられ、より無力で愚かに「更新」されるのです。(まぁOSの更新も改悪が多いですけどねw)それで我々は分離意識・エゴが強く、お互い強く反発し争い合ってばかりいるわけですが、その初期設定(課題)を乗り越えて愛(ワンネス)に目覚めていかなければならないのです。
ギザのピラミッドは我々より知能も能力も高い(分離意識が低く・愛が強い)前のバージョン(上位次元)の知的生命体によって創られたものなのであり、現在の我々のような分離意識が強くていつも責め合ったり奪い合って争ったりするような低能で愚かな人類には、進化してアセンションを実現しない限り、ギザのピラミッドのようなレベルのものは作り得ません。
バベルの塔の話は象徴的な表現ではありますが真実の物語であり、前のバージョンの人類は分離意識が弱いために簡単に創造主意識(ワンネス)に近づいてしまってゲームクリア(終了)となり、より分離意識・エゴを強くし、言語の種類を多くして、気持ちを通じ合わせることがより困難な、難易度の高いバージョンに「更新」されたのです。
ちなみにバベルの塔もピラミッドと基本は同じ存在で、天の御柱の様なものであり、次元の往来(ログイン・ログアウト)をするためのものだったのです。それは物理的に天に届いたのではなく、次元の扉であるブラックホールと量子もつれのようにしてつながっていたのです。
その更新作業が世界中に伝説として語り継がれる大洪水なのであり、アトランティス・ムー・レムリアなどの大陸消失や南極大陸の大移動なのです。ピラミッドはその更新作業を乗り越えて存在しているのであり、また乗り越えられるように(ノアの箱舟と同じように創造主からの啓示によって)設計・建築されたのです。
そして「神が怒って人間に罰を与えた」というのは「あくまで物語上(そうした方が面白いから)そういう設定にしている」というだけで、実際創造主は何も怒ったりはしていません。「罪と恥の存在意義」に書いた通り、罪というのは我々が許し合うことでより深く愛し合えるように与えられたものなのです。自分で作ったAIが自分の思い通りに動かないからキレてパソコンごとぶち壊す、みたいな愚かな存在が全知全能のわけがないのです。
もし我々が簡単にアセンションを達成し、「すべての存在が一つ(創造主=自分=全ての存在=ワンネス)である」という創造主意識(本物の現実)に完全に戻ってしまったら、究極の孤独と退屈に逆戻りなのであり、創造主がこの世界・人類を創った意味がなくなります。
だから創造主というのは創造主意識(自分は創造主であり、全知全能で、すべては一つであるという意識)への目覚めというのを敢えてとてつもなく困難に作り、そこをゴールとして物語を展開し、覚めようとする人・神に近づこうとする人に対して怒って罰を与えるようなフリをしつつ徹底して阻みながら、物語を進めさせて経験を積ませ、我々がワンネスを達成(みんなが自分自身であることに目覚め地上天国を実現する)瞬間をゴールとして、そのご褒美にとてつもない快楽と永遠の命を用意して待っているのです。それは仏教的に言えば如来(極楽浄土の主)になり人々を教化する存在になるということです。
ただ本当の世界というのは創造主しか存在せず究極に孤独で、何でも思い通りになる究極に退屈で、思念と概念しか存在しない(経験できない)世界であり、完全ゆえに何も必要性のない世界なのです。だから魂はすぐそれに飽きてまたこのワンネス(創造主)を目指すという生命の物語に戻ってくるのです。そしてそれは永遠に繰り返されるのです。存在意義もなく、唯一の存在のため究極に孤独で、全知全能のため究極に退屈、という本当の真実の世界(5億年スイッチみたいな世界)には誰も戻りたくないのです。
結局全知全能の創造主が意図したことしかこの世界には起こり得ません。この我々の世界がどれだけ不完全で不幸に見えても、それは創造主の意図通りであり、物語を面白くするための伏線であって、世界はハッピーエンドに向かっているのだと信じて下さい。そして終わりは世界を物語・芸術として成立させるための仮のものであり、「魂(存在)」というのは創造主同様に不生不滅なものであり、死も何も恐れる必要はないのだと信じて下さい。そしてこの世界の支配者により世界が征服されそうになっているのは単にこのゲームがそういう設定なのであって、それを本気で恐れるのはドラクエで竜王が本当に世界を支配してしまうと恐れるようなものです。このRPGの表題・テーマは「愛は地球を救う」なのです。
<最後に>
まぁこのようにもっともらしく世界の仕組みを「科学的」に説明してみても、それはドラえもんの道具の仕組みと同じで、物語の伏線上で後付けに作られた設定のようなものであり、それはこの世界のクリエイターである創造主がプレイヤーたちに納得して楽しんでもらえるように考え出した虚構であって、この世界という作品内でのみ(伏線上)成立させられているものなのです。
本当は創造主にとってそんな仕組みの必要性は全くなく、何でも思うだけで実現できるのです。だから上記のようなピラミッドの仕組みを更に詳しく調べようとしても、それはドラえもんの道具の仕組みを詳しく知るようなもので、あまり意味がありません。我々がより深く知ろうとするのに応じて、創造主がその仮説を支持する証拠と反証する証拠(ロマン)を用意するだけですから。
今回、相当に理解することも受け入れることも難しい内容だったと思いますが、冒頭から再三書いているように、ピラミッドの仕組みなんて全くわからなくても良いのです。
大事な点だけまとめます。
・この世界は仮想現実RPGであり、魂の成長のためのプログラムであるということ。
・我々がみんな創造主の一部であり、本当は全ての存在が同一(ワンネス)で、いわば究極に孤独で退屈な存在であるにも関わらず、分離意識と個性が与えられることで愛と成長の物語が生み出されているということ。
・離れ離れになった魂達がどうしてもこの世界でまた出会いたくてピラミッドを作り、この世界に転写(再現)したということ。
・自分の人生という物語の伏線上、その存在・事象がどういう意味を持つのか(創造主は何を覚らせようとしているか)を考える(意味付け・解釈する)が重要なのであり、それが自分の物語を作る(シナリオを選択する)ので、愛と感謝で解釈することが大事だということ。
・真実を知り理解するには、日々実践を通じて覚りを進めて行かなければならないということ。
・覚りというのは価値(本質)を理解して、心から感謝し愛することだということ。そしてその実践の連鎖が世界を救うということ。
・・・そのあたりが伝わっていれば十分です。
世界の全ては主人公の主観・解釈に依存していて、自由なのであり、だからこそロマンがあるのです。そして本当はすべての存在が創造主であると同時にあなたであり、僕なのですから、くどいようですがギザのピラミッドを誰がどのようにして作ったのか・どのように機能しているのか(仕組み)というのは後付け(可変)であり、そこまで重要な話ではないのです。全知全能の創造主からすれば、どのような仕組みであろうと成立させることができるわけですしね。
世界は創造主の創りし芸術作品なのです。そして芸術というのは言葉で全部説明しようとするとどうしても野暮で無粋にならざるを得ません。僕がギザのピラミッドの真実について知った時は涙が止まらなかったのですが、その感動の何分の一でもあなたに伝わっていることを祈ります。どうか「存在」の価値に気づいてすべてに感謝できるようになって下さいね。
本当はもっともっとお伝えしたいことがあるのですが、全部書こうとすると果てしなく長くなるので、また別な機会にします。それに僕がどれだけ詳しくわかりやすく覚りの内容を説明したところで、本人の覚りが進んでいないことにはきっと理解することも受け入れることもできないでしょうし、それは他人から情報として知るより、自分でたくさん失敗や試行錯誤を繰り返し、それぞれの道で経験を通じて気づきを得ることの方が大事なのです。
僕らは経験するために生まれてきたのであり、情報を集めるために生まれてきたのではないのです。あなたがいくら本やネットで情報集めをしたところで真実(覚り)に辿りつくことはありません。覚り(魂の成長)とは真理・愛の実践(経験)によってしか進まないものなのです。そしてそれが人生の醍醐味であり、我々が生まれてきた目的でもあるのです。どうか実生活の中で覚りを進めて幸せになって下さいね。僕も日々実践しながらそう祈っています。