【質問】30代前半・男性 ペンネーム:脳汁
真也さんこんにちは。最近Xやnote、質問箱を見させていただいてます。
真也さんの考えはとても素晴らしく自分に取り入れようとするのですが、なかなか理解力不足でうまくいかないです。私は昔からいわゆるコミュ障です。友達も少ないですし、職場の人間関係もあまり良いとは言えません。
後輩に話しかけるのも緊張するといいますか、ぎこちない感じになってしまいます。女性だけかなと思っていたら男性にも変な感じになってしまっています。
大勢の人がいる飲み会とかが苦手で、いつも途中でぼっちになってしまいます。最初の方で質問されて終わりなことが多いです。彼女いない暦=年齢で、色恋話になると何も話せず気まずくなってしまいます。
次第に飲み会に行くのも億劫になり、あまり参加しなくなりました。新人歓迎の飲み会にも参加せず、職場の新人の子には絡んでもいないのに嫌われてるんじゃないかと疑心暗鬼になってしまっています。後輩が男女関係なくキャッキャやってると羨ましい限りです。
話は飛ぶのですが、私は人生で彼女がいたことがないのですが、とにかく女性と絡みたい、ヤリたい気持ちが強いです。
このままだとまずいと思い真也さんにメールさせていただきました。コミュニケーションを円滑にとりたいです。飲み会で浮くことなくその場になじみたいです。 女性はもちろん男性ともうまく絡みたいです。性欲もなんとかしたいです。
まとまりなく申し訳ないです。私はまずどうしたら良いのでしょうか?ご教示いただけたら幸いです。
【回答】
僕もかつてはいわゆるコミュ障で、幼い頃からいつも周囲から浮いて仲間外れで、中学では全くモテずにバカにされて辛い思いをしましたし、高校は男子校で女性と絡むことすらできず(大学では弾けましたが)、サラリーマン時代は職場の人間関係でとても苦労したので、あなたの辛いお気持ちはよくよくわかります。
悩んでいる時というのは、その問題で悩んでいるのが世界で自分一人だけであるかのように思えて孤独に感じてしまうものですが、あなたと同じように悩んでいる人は他にもたくさんいるのです。職場の人もあなたとうまく接することができない時点で、あなたとそれほど変わらないレベルにいるということであり、きっとそれぞれ人間関係に悩んでいることでしょう。
日本では30歳での童貞率が30%を超えるという調査もあります。あまり統計などの数字に捉われるのは良くないことですが、同じ問題で悩んでいる人がたくさんいるということだけは認識しておいて下さい。そしていつか同じように悩んでいる人に心から同情して救える存在になって下さい。
悲しみへの同情を伴わない愛は愛ではありません。悲しみというのは我々が同情し合い深く愛し合えるように与えられているものなのですから。
あなたには具体的な方法に入る前に説明しなければならないことがたくさんあり過ぎて長文にならざるを得ないのですが、どうか最後までついてきて下さいね。
>>真也さんの考えはとても素晴らしく自分に取り入れようとするのですが、なかなか理解力不足でうまくいかないです。
いえ、あなたが理解できないのは理解力の不足ではなく、何でも自分に都合よく解釈して経験せずに頭の中ですべてを自己完結し、言われたことを素直に試してみて経験を積む勇気を持とうとしていないからだと思います。もしその感じを続けるのなら、僕が苦労してまた説明を重ねたところであなたが理解することはないでしょう。
「誰でも自信満々になれる方法」は僕からの究極のアンサー(愛)であり、僕は100mを10秒で走るように言っているわけではなく、覚悟さえあれば誰にでもできることしか書いていないのですが、あなたと同じように「自分には無理です」っていう感じの感想が結構多いんですね。あなたと同じでそのようにまだ主人公としての目覚めが遠いNPC状態にいる魂の同志達に対して、もっと容易で実践的な上達方法を伝えておきます。
あなたはもう30歳を超えているということで(焦ってはいけませんが)今何とかしなければもう後がないのはあなたが感じている通りだと思います。そして僕以外であなたの悩みに的確な導きを伝えられる人にあなたが出会える可能性は、何度輪廻転生を繰り返そうときっと限りなくゼロに近いと思います。偉そうに思われるかも知れませんが、ラストチャンスだと思ってよくよく聞いていただけると幸いです。
あなたは異性からも同性からもモテたいようですが(人として当たり前ですが)、あなたが欲しいと思うものは、何も言わなくても全知全能たる創造主はみんな知っています。創造主がその人の欲しいものを知っていながらあなたに与えないのは、
1.まだシナリオの伏線の回収(課題の克服。カルマの解消)ができていないから
成長のシナリオ上、今それを与えることが妥当ではないから
2.信心がなく、既に与えらえれているものへの感謝がないから
3.願望がエゴでしかなく、愛がないから
です。
あなたに必要なのは、まず己が今現在不幸であることを逃げずに認めること(自己正当化・言い訳=成長拒否をやめること)です。考え方が正しければ人は幸せになるようにできているのであり、今現在あなたが不幸なのは根本的にどこか絶対に間違えていてそれを改めなければならないことに気づかせるためなのです。
今現在のあなたは広義では確実に鬱状態(霊障に憑りつかれ、無明の闇に閉ざされている状態)であり、不幸なのです。しかし幸せを実感するためには不幸の経験が必要悪であり、不幸は過程に過ぎないのです。不幸は乗り越えるべき課題を教えてくれているのであり、成長には必要なもので、それを欠点や神(運命)の意地悪のように考えて、恨みで返さないで下さいね。
いわゆるコミュ障の人というのは、コミュニケーション能力の問題以前に愛(思いやり)に欠けているんですね。エゴに捉われて自分の都合しか考えてなく、そしてそれを当たり前のように思っていてその自覚もなく、出会った人に対して関心があまりないのです。それで無神経に相手がイラつくようなことを言ったりやったりしてしまい、そのことに気づきさえしないで被害者意識に陥っている人が多いです。出会いというのは常に自分にとってベストなものが与えられているというのに、いつも運命を恨んでいて感謝の気持ちがなく、愛を示そうとしないんですね。
人生というRPGはすべて自分次第であり、人間関係は鏡ですから、エゴばかりで愛(思いやり)がない人というのは愛されないのです。「エゴ(欲)とは何か?」に書いた通り、エゴがなければ愛は存在し得ません。だからエゴ自体が悪いわけではありません。ただエゴ同士は反発するのが必至であり、自分のエゴを乗り越えて相手のエゴを少しだけ優先して愛で満たすことが良いコミュニケーションには必要なのです。
コミュニケーション能力などより愛(思いやり)の方が絶対に大切なのです。愛(思いやり)に欠けている人がいくらコミュニケーション能力を高めても、その目的はエゴ(自己利益)のために他人をうまく利用することであり、それでは結局は誰からも愛されないのです。逆にどれだけ不器用だろうと、愛(思いやり)のある人間はみんなから愛され、コミュ力の低さなど障害にはならないのです。
野球が下手でも野球障害とは言いませんし、ギターが下手でもギター障害とは言いません。でもコミュニケーションが下手な人はコミュ障と言われます。まるで自分には生まれつき脳に克服不可能な問題でもあるかのように。
しかしコミュニケーションだって野球などのスポーツやギターなどの楽器と同じで、毎日成長を楽しみながら続けていれば否応なく上達していくのです。
それなのに自分自身や他人への愛(思いやり)がなく、自分(プレイヤー・主人公)を条件(才能など)の違う他人(他プレイヤー・NPC)と比べ、自分自身ならいくらイジめても構わないかのようにイジめて愛さず、他者評価に依存して傷つきやすいままで、傷つくのを恐れて「コミュ障」を言い訳にして、いつも逃げ回って精神的に引きこもって成長を拒否し、自尊心が低いままでいつも「どうせ自分なんて・・・」と考えて悪い思考・行動が止められず、嫌な記憶を何度も反芻して追体験し、自身に対してネガティブなイメージを強く持ってしまって鬱状態に陥っているから、いつまでもコミュニケーションがうまくいかないままなのでしょう。
何事もそうですが、できない理由を探しても、できない言い訳探しになりがちで、できるようにはならないものです。できない理由はできるようになったら必然的にわかるものなのです。
ですから「反省してはいけない」に書いた通り、反省して自尊心を下げることなく、まず自分を許して愛して下さい。ワンネスである創造主からすれば、あなたが自分を傷つけるのも他人を傷つけるのも同じことなのです。自分を嫌い他人を嫌っていたら、全ての存在の根源である創造主の愛を受け取れず不幸に導かれるのは必然なのです。
あなたの人生というのはあなたを主人公(プレイヤー)とするRPGであり、自分以外はすべてNPC(ノンプレイキャラクター)なのです。それはテキトーに扱っても良いという話ではなく、人・出来事との出会いはすべてシナリオに沿った必要なものであり、出会う人・出来事のすべてがあなた自身でもあるということです。だからエゴに捉われず、誰の事も責めずに許し、愛をもって他人と関わることが必要なのです。
人生は愛と勇気を試し成長を促すためのプログラムです。ですからあなたが出会うあらゆる人・出来事があなたを怒らせ、また不安にさせてきます。そうしないと愛と勇気は試せませんからね。プレイヤー(主人公)であるあなたは常にそれに打ち勝っていかなければならないのです。そうしないと成長はありえず、不幸に導かれますからね。
不安になる人は他人もその不安に巻き込みます。みんなそこに引きずり込まれたくないから臆病な人は人から避けられるのでしょう。
他人の顔色を伺うのを止め、どうやったら自分が気分良くいられるか・笑顔になれるかを考えて実践して下さい。笑顔を幸せの副産物と考えるのではなく目的化するのです。自分が幸せで笑顔なら人も寄ってきます。今現在不幸な状態にあるあなたはきっと不幸な表情をして不幸オーラをまき散らしているために人が寄ってこないのでしょう。不幸な人の言うことは、どれだけ正論だろうと「こう考え・こう行動すれば不幸になる(自分は間違っている)」と教えてくれているようなものですから。
我々が事故や病気で死ぬ確率を全部足したらとっくに死んでいます。確率で考えるなら、僕らの人生もこの世も生まれていません。使命があって「生かされている」っていうことに感謝と信頼の念を持って下さいね。そこに対する信頼(信心)がないから不安になるのでしょう。もっと信心を持ち、神に仕え、神の分身たる人に奉仕し、いつも堂々として人を安心させられる存在になって下さい。
僕は「絶対に逃げてはいけない」と言ってあなたを追い詰めているのではありません。RPGでも自分が弱っている時やレベルに相応しくない強敵に出会った時は逃げるべきです。でもいつまでも逃げていてはゲームが進まず、永遠にクリアできません。人生というRPGにおいて苦手な相手も、いつかは対峙して乗り越えていかなければならない課題なのだと認識して下さい。
僕がいわゆるコミュ障の頃は、自分に対してだけ世界が閉じられているかのように感じていました。でも乗り越える過程で、世界は自分が心を閉ざしていたから閉じられていたのであり、自分が心を開けば世界のすべての扉が開かれて行くということに気づかされました。心を開くというのは、自分と他人をありのままに受け入れ、許し、人生という物語の共演者として尊敬し、存在に感謝し、愛することです。
人間関係は完全に鏡であり、あなたの苦手な相手は時間差のある拡大鏡です。「宇宙の仕組み」に書いた通り、あなたの認識世界のすべてがあなた自身の反映なのです。だから誰かを嫌うほど自分自身が嫌いになるのは当然と言えます。だから愛を無条件化していくことが大事だと常々僕は言っているわけです。
自尊心は幸せの根幹であり、あなたは自分自身を嫌っているから他人も嫌いになるのであり、あなたは相手が嫌な対応をしたくなるような態度を無自覚にしているのでしょう。そういう相手を嫌っていたら自分自身も嫌いになる無限ループに陥るのは当然です。すべての存在・事象は創造主なのですから、自分も他人も嫌いではすべての存在・事象があなたの敵になってしまいます。
人は「風の谷のナウシカ」の腐海の植物のように、己の心の水がエゴの毒で汚れているから、己の心の住民である相手は毒を生じるのであり、己の心を愛で満たして綺麗にしたなら、相手も毒を出さなくなっていくのです。
だからまずは自分も他人も責めず許すことです。あなたが嫌な人は嫌な人になるだけの心の傷を抱えているのです。あなた自身と同じように。本当は愛されたいのに止むに止まれず嫌な人になってしまっているのですから、その原因となっている心の傷にまず同情して思いやって下さい。
>>大勢の人がいる飲み会とかが苦手で、いつも途中でぼっちになってしまいます。最初の方で質問されて終わりなことが多いです。
コミュニケーションの基本は「質問」なのです。関心は愛の入り口であり、関心がないのに愛しているということはありえません。そして関心があるのに質問もしないということもありえません。関心→質問なしに愛は生まれないのです。
今までのあなたのように相手の質問にきちんと応えず、相手に関心がなくて質問もせず、相手を愛そうという試みさえしないようなら、コミュニケーションが成り立つわけがありません。もし経験に乏しい人間であることを自覚しているのなら、なおさら経験豊富な他人に関心を持って質問してたくさん吸収すべきだと思います。
あなたは恋愛経験がないことがコンプレックスになっているようですが、経験に乏しいことも一つの経験であり、モテる人にはモテる人の学びの道があり、モテない人にはモテない人の学びの道があるのです。
すべてはあなたという魂の成長に必要だから与えられている経験であり、主人公(プレイヤー)なのに、条件が違う他のプレイヤー(NPC)と自分とを比べてその経験や能力や富や名声などに優劣をつけてひがんだり劣等感に陥ったりせず、もっと堂々としていて下さい。
あなたにはあなただけにアレンジして与えられている課題(カルマ・シナリオ)があり、あなたは他人とは違うあなただけのゲームをしているのです。あなたにはとても難しい課題が与えられているようですが、それは魂のレベルが高いからであり、課題を欠点のように考え、他人と己を比べて他人を羨み己を蔑んだり、運命を創造主の意地悪であるかのように呪ったり、被害者意識に陥って親や誰かを恨んだりせず、ただ己の目の前の課題から逃げずに立ち向かって下さい。
創造主は全知全能のままでは何も経験できず何も楽しめないので人間を創ったのです。あなたという存在は、全知全能たる創造主があなたという人生を経験したいと思ったから存在しているのであり、尊い存在なのです。そして人生の不幸を経験し、試行錯誤して乗り越えて成長して幸せになっていく過程こそに価値があるのです。自分の思い通りにならないのは人生のデフォルトであり、それによって自分に価値がないなどと思わないで下さい。
他人と比べ他人の評価ばかり気にして己の尊さに気づけなければ、あなたの認識する世界全体が暗いままになってしまいます。どうか己という存在の尊さに気づき、世界を救う主人公であることにいつか目覚めて下さい。(菩提心・天上天下唯我独尊)
サブカルの教祖で女子にモテまくったみうらじゅんが今一番なりたいものは「童貞」だそうです(「童貞再生手術」ってネタを書いてます)。僕も結構そう思ったりすることがあります(笑)妄想は楽しいですからね。
あなたが何のお仕事をしていらっしゃるかわかりませんが、職場で浮いているのならあなたはその仕事に向いていない可能性が高いと思います。どんな仕事であれ周囲とコミュニケーションを取れないというのは致命的です。その状態でクビにならないのはあなたに余程それを補う能力があって、まだ成長を期待されているかも知れません。あなたが今の仕事を本当に好きでその先に夢や目標があるのなら続けるべきかと思いますが、もしそのような周囲から浮いている状態を続けていたらあなたの自尊心は下がり続けてどんどん精神を病んでしまうでしょう。
例えば介護や清掃のように、能力よりも誠心誠意・一生懸命やることの方が喜ばれる仕事をした方が良いのではないかと思います。能力・利益重視の環境で、コミュニケーションが職場のみんなより圧倒的に低いという環境では出世するはずもなく、自尊心を保つのは難しいことでしょう。あなたは介護や清掃のような仕事を奴隷の仕事のように下に見ているかも知れませんが、そういう人に奉仕する仕事こそが神事なのあり、お金にしがみついて嫌な仕事の我慢代の駄賃にしがみついている人こそが奴隷であり、もしそのようになっているのなら早くやめた方が良いかと思います。
>>とにかく女性と絡みたい、ヤリたい気持ちが強いです。
性欲は必要があるからこそ健康なら誰にでも例外なくあるもので、本来その存在自体に罪悪感や羞恥心を感じる必要はありません。ただ、僕も経験があるのでお気持ちはよくわかるのですが、あなたの問題(課題)は性欲をどうすべきかではなく、あなたには愛(思いやり)が欠けていて、女性を性欲の対象としてしか見れていないことなのです。まぁ童貞なら無理もないことではあるのですが。
もしあなたに愛があるのなら、ご質問内容は「どうしようもなく好きな人がいるのですが、どうコミュニケーションを取れば良いかわからず悩んでいます」のようになると思います。なのにあなたの御質問内容からは「ヤりまくりたい(エゴのために他人を利用したい)けど、コミュ力が低くて悩んでいます」という印象を受けてしまいます。それではコミュ力を手に入れたところで結局誰からも愛されないでしょう。
あなたは自身の性欲(エゴ)に捉われて見えなくなっていると思いますが、あなたのモテたい・ヤりまくりたいという願望は、単なる性的な欲求だけではなく、誰かと深く結びつきたいという孤独感と、他者評価依存が根源なのです。自分で自分を嫌っていて、価値のない自分に評価されても嬉しくなれず、他者に評価されないと自分を評価できないのでしょう。(だから風俗で性行為をしても満たされることはないのです)そして他者から評価されない自分には価値がないと思ってしまっているのでしょう。
特に日本人は家庭でも学校でも社会でも、幼い頃から他者評価に依存して自尊心が低くなるように育てられています。自尊心の低い人間は権力に対して従順になりますからね。他人の評価というのは人それぞれで、気まぐれかついい加減なものであり、そんなものに自分の評価を委ねたら、必然的に些細なことでも他人からの評価に傷つけられて振り回されて、自分にも他人にも嘘をつくようになって、自尊心など育みようがないのです。
自信はモテに最重要な要素であり、モテることで自信をつけたくても、自信がなければモテるようにはなりません。
「どうしたらモテますか?」に書いた通り、現状モテていない人が無理にモテようとすると、益々モテなくなる(嫌われる)上に本物の愛も遠ざけます。だからそんなことより自分の中にある「人を愛する(思いやる)気持ち」の種を大切に育て、そしていつでも自分らしくあることを大事にして、みんなと一緒に幸せになることを目指して下さい。
30歳過ぎまで全くモテてこなかったコミュ障の人が、何かしたからといって突然モテまくりヤリまくりになるなんてことはありえません。歩ける前に走ろうとすればケガをするのが目に見えています。
前述した通りスポーツにしたって楽器にしたって、どれだけ才能がなかろうと、それをやること自体を愛して毎日楽しみながら続けていれば、必ず上達するのです。なのに上達を他プレイヤーである他人と比べて落ち込んで内心成長を諦めているから楽しくならないのでしょう。あなたが幸せになるためにはかなり長い過程が必要になるかと思いますが、どうか諦めずに目の前の乗り越えられるハードルを一つ一つクリアしていくことに集中して下さい。
あなたがどうしてもヤりまくりたいのならば、女性にも性欲はあるわけですから、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」で、己の性欲を恥ずかしがらずに堂々として女性に声をかけまくれば良いと思います(職場では今のあなたがやると総スカンを喰らう可能性が高いので、外でやって下さいね)。
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」を実践する過程で痛い思いもたくさんすると思いますし、予後のことを考えるとおすすめはし難いのですが(自尊心を求めてキリなく女性を求め続け、いずれそれができなくなって鬱屈するか破綻することになるのは確実ですからね)、本当にヤりまくらなければ気が済まないのでしたら、無理に我慢して鬱屈するのは良くないことだと思いますし、ネガティブなエネルギーをポジティブなエネルギーに昇華させることは青春の必要な過程だと思いますし、それが仕事に活かされるってこともあると思うので。
それと清潔感はとても大事です。それは体だけでなく生活環境も心も所作も美しくしていくということです。どれだけ清潔にしてようと、いつも恥ずかしがって傷つくのを恐れてビクビク・オドオドしてゴキブリみたいにコソコソ・カサカサしていたら不潔に見えるのです。
だから「堂々とすること」ってとても大事なのです。前述したように人生は愛と勇気を試し成長を促すプログラムですから、ビクビク・オドオドはその成長と相反する心理状態であり、そういうオーラがどんどん不幸を招き入れるのです。
今のあなたは女性に声をかけるのも性欲ムンムンで恥ずかしくて過緊張して躊躇する状態でしょうから、まずは街で女性に道を聞きまくることから始めてみて下さい。きっと驚くほどみんな親切に答えてくれるはずです(そうでない人もたまにいるかも知れませんが)。教えて貰ったら丁重にお礼を言いましょうね。
あなたは職場で疎んじられているために世の人冷たい人ばかりだと思っているのかも知れませんが、それはあなた自身に愛がなく冷たいからです。人間には「人の役に立ちたい・人を喜ばせたい」という根源的な欲求があるのであり、あなたが考えているよりも多くの人は愛(思いやり)に満ちているのです。そのことに実践を通じて気づくことが大事です。
職場では「この人にはこう接するべき」という暗黙のルールみたいなのができあがってしまっていて、それに反するのは面倒なことが予想されるので、みんな無意識に同じような接し方をしてくるのです。あなたは現在職場で浮いた存在になっているのでしょうから、まずは職場の外で知らない人と積極的にコミュニケーションをとってみて下さい。あなたが変われば職場での扱いも変わってきます。
そしてどうか「六波羅蜜」を実践してみて下さい。六波羅蜜で重要なことは「見返りを求めず人に無償で奉仕する」ということです。それがあなたの中にある小さな小さな愛の種を育てることになるのです。
「布施」というのは何も金銭を寄付することだけを指すのではありません。人に笑顔で接し、話を否定せずに肯定的かつ真剣に聞き、親切にすることこそが大事な布施なのです。それが相手に承認欲求というエゴを満たすことになり、相手の存在を肯定し自尊心を上げることになるのです。相手は「自分は愛されている」「自分はここにいて良いのだ」という無言のメッセージを受け取ることになるのですからね。それ以上の奉仕・功徳というのは僕には思いつきません。
六波羅蜜には「八正道」というのがありますが、普通の人は何が正しいかわからないので実践しようがありません。しかし「何が正しいか?」というのは、その考え・行動が自分と他人を同時に幸せにするものかどうかでわかるのです。
そして「自己嫌悪・厭世観・希死念慮で辛い」にも書いてますが、是非ノートとペンを手にお年寄りにインタビューしてみて下さい。身近にいなければ公園や神社仏閣や老人ホームなどお年寄りがいそうなところに行ってみて下さい。何かの成功体験を聞かせてもらうためではないので、本当にどこにでもいそうな人で構いません。どっちみち今あなたに一番必要な人と出会いますから。
いきなりノートを取ろうとすると怪しまれるので、話しかけてある程度慣れてから「自分の人生勉強用に、何でもいいのでお話を聞かせて下さい。どこかに載せる訳ではありません」という感じでインタビューをお願いしてみて下さい。
まだ若く、しかも鬱で孤独に陥っている状態にあるあなたの人間関係はきっと狭く、付き合いがあるのは同年代の若い人が割合としては圧倒的に多いことでしょう。しかし若い時というのはどうしてもエゴが強く、それは反発し合うのが必然なんですね。それでお互いに責め合い、争い合い、奪い合い、マウントを取り合ったり意地を張り合ったりしてしまうものなのです。
もちろん歳をとってもそのまんまっていう魂のレベルの低い人も多いんですけど、全般的に見ればお年寄りというのは欲が下がって角が丸くなり寛容で優しくなっているものなので、あなたが好き嫌いなどのエゴを前面に出さなければぶつかる事は少ないでしょう。
お年寄りというのは往々にして周囲に話を聞いて貰えないことに不満を抱いているもので、もう死期が近づいているのにせっかくの自分の人生経験を若い人達に伝えられず、自分の存在意義に苦しみがちなのです。だからこそ、お年寄りというのはただ話を聞くだけでこちらを好きになってくれて、自分の経験を生かして貰いたいために話を聞いてくれた人を応援してくれるものなのです。
あなたには人を愛し愛されるという経験が圧倒的に不足しているために今の状況に陥っているのでしょうから、まずはあなたの心(仏国土)に、あなたを愛してくれる住民を増やすことが大事です。きっと彼らがあなたの大応援団になってくれることでしょう。魂は永遠ですから、彼らが亡くなったからといってあなたの心から消えるわけではなく、むしろ天界から応援してくれる存在が多い方が人生はうまく行くのです。
インタビューさせてもらう際に留意すべきことは、
『出会ったら心からの尊敬・感謝・慈愛を笑顔の挨拶で示すこと』
(嫌われるかもなどと心配してビクビク・オドオドしないこと)
『感謝・尊敬・慈愛の念を持って真摯に接すること』
(決して見下したり批判したりしないこと)
『聞きに徹して相手の話を一切否定せず、肯定的・共感的に話を聞くこと』
(好き嫌い・良し悪し・正しい間違ってる・面白い面白くないなどを判断しないこと)
話を聞く目的をジャッジしたり改善したりすることから、経験と感情を共有することに置いて下さい。
相手は自分の鏡であり、悪い感情を向ければすべて自分に返ってきますからね。お年寄りを見下せば、自分が歳をとるのが苦しくなるだけです。必ず感謝・尊敬・慈愛の念を持って真摯に接して下さい。
そして自分の話は極力しない方が良いです。特に相手が鬱っぽい人の場合、自分と意見が違うというだけで、自分の意見が否定された=自分の存在が否定されたと感じてしまうものなので。あくまでもインタビューの主役は相手であり、相手と共感し肯定する時にだけ最小限自分のエピソードを話せば良いのです。
相手はあなたに替わってあなたにはできない貴重な経験をして、それを無料で共有してくれて気づき・学びを与えてくれているのですから、無条件で尊敬・感謝すべきなのは当然です。決して否定したり自分の意見で相手の話の腰を折ってはいけません。
そうして感謝・尊敬・慈愛の念を持って真摯に話を聞かせて貰えば、きっと素晴らしい気づき・学びが得られるだけでなく、人を許し愛することを覚えて、愛されて自尊心が高まることでしょう。
あなたがおばあちゃんたちの話を聞いてモテモテになれば、きっと若い女性からもモテモテになるに違いありません。逆に話を聞くだけでモテるようなおばあちゃんたちからモテないようでは若い女性にモテようと思っても話になりません。あなたがおばあちゃんたちから「人を愛し愛される経験」を積ませてもらえば、コミュ障の問題はいつの間にか解消されてみんなから愛される存在になっていくことでしょう。
この「人との接し方」はお年寄りだけではなく、あらゆる年代の人に対してもこうあるべき「人間関係の基本」であるということに気づいて下さいね。
そして他人の評価は一切関係なく、誰が見ていなくても、自分で「この人好きだなぁ」と自分を好きになれるようなエピソードを重ねていって下さい。
人はエゴを動機に行動すると、マグマのように深い部分に自己嫌悪が蓄積してどんどん自分を嫌いになってしまうのです。人間は得をしても損をしても脳にダメージを受けるようにできていることは科学的に証明されています。世界はワンネスなのですから当たり前なのですが。
しかし自己利益を得てエゴが満たされると、快楽物質が分泌されてそのことに気づけないようになっているのです。あなたは女性とSEXすることでエゴを満たせば自分を好きになって幸せになれると勘違いしているようですが、決してそうはならないのです。
コミュ障の人というのは相手を都合よくエゴのために利用することしか考えていないのに、心の奥底ではそのことに罪悪感と羞恥心を感じていて、エゴのために人に嫌われることを恐れてていつも本心を隠さなければならなくなっているから、臆病になってうまく人と関われないのでしょう。ヤりたい→恥ずかしい→本心を見せられない、嫌われるのが怖い、といった感じで。
「本当の自分を知られたら終わりだ」とビクつきながら人と接しても楽しいわけがありません。心を誰に見られても大丈夫なようにしてみて下さい。どっちみち創造主には全部見られているのですから。いつも人に愛を与えることしか考えないようになったら、エゴによる罪悪感や羞恥心はなくなり、堂々と人と接することができるようになります。
前述したように、人と人がぶつかり合うのは磁石の同極同士のようにエゴがぶつかり合うからなのです。だから人を愛し自分を愛することが大事なのです。つまり相手のエゴという極に対し愛という極を向けることです。
そうして一切結果(見返り)を求めず完全に無償で自分のエゴより少しだけ相手のエゴを優先して満たしてあげるというエピソードを重ねることです。人のために奉仕をすると、それを例え相手にも誰にも評価されず何の見返りがなくても、自分で自分を好きになれる「自尊心」という最大の見返りが即得られるのです。
鬱というのは自尊心の病であり、人は鬱状態に陥ると、反芻思考で何度も嫌なエピソードだけを選択的に繰り返し思い出して自分も他人も世の中も全部嫌いになる高速回路みたいなものができあがってしまいます。その高速回路を断ち切って自分を救い出してくれるもの、それがこの「自分大好きエピソード」なのです。あなたの過去にそういうエピソードが一つもなくても、これから一つ一つ積み上げていけば良いのです。どんどん目の前の人に無償で親切にして、困っている人がいたら助けてあげて下さい。
「誰でも自信満々になれる方法」にも書いてますが、能力とその他者評価を高めることで自信を持とうとしても無理なのです。器の大きいポジティブな人間になりたいのなら、もっと人を無条件で愛することです。出会った人に対して例外なく慈愛・思いやりの心を持つことです。
そしてこれは「悪いカルマの解消法」について詳しく書いていることなのですが、カルマの浄化に努めて下さい。あなたはあまりスピリチュアルなものを信じない方なのかも知れませんが、半信半疑でもとりあえず信じてやってみる、という姿勢がなくては、今あなた自身を不幸にしているあなたの常識に捉われたままになり、成長する機会が一切なくなります。
とりあえず信じてやってみて悪い結果になっても、必ず経験は手に入ります。そして経験(それを感じる感情)こそが僕らが生まれてきた意味であり価値なのです。
人間は成長のために敢えてわからないことだらけに創られているのですから、何も信じずに生きるということは不可能です。何も信じていないという人は自分が自分の勝手な常識を信じているだけであることに無自覚なだけです。そしてその常識というのはスピリチュアルを配した唯物主義・資本主義(金拝主義)であり、それは人がエゴのために生きるのが当たり前だという考えであり、それは悪魔教を信奉しているに等しいのです。
カルマというのは霊障(霊的な穢れ)という形で与えられているもので、あなたの今「自分はこういう人間である」と思っているものは、霊障に深く犯されている人に共通する特徴であり、あなたの本当の性質ではないのです。でもあなたは「自分らしさを大切に」と言われても、「コミュ障」のようなネガティブな自己イメージしか持てず、本当の自分がどういう人間なのか想像する事さえできなくなっていることと思います。
「エゴ(欲)とは何か?」に書いた通り、エゴと愛は相反する要素であり、あなたはエゴに捉われ切っているように感じられます。それは「憑依現象(霊障)について」に書いた通り、霊障に犯され切っているということでもあります。霊障に犯されるとカルマが雪だるま式に大きくなっていき、それが自分を追試験のようにどんどん追い詰めて、楽しい夏休みをどんどん目減りさせてしまうことになります。
人間には自意識があるために、自分を一つの意思で動いているかのように錯覚していますが、実際は複数の霊的意思に翻弄されているのであり、コミュ障の人というのは自分自身(霊的意思同士)とのコミュニケーションがうまく行っていないのです。それで常にエゴ(欲望)・ネガティブな感情に振り回され、流されているのです。
霊障に深く犯された人間というのは、エゴまみれになって愛がなくなり、まるで心に壁を敷き立てられたように他人の気持ちがわからず、相手の気に障るようなことをピンポイントで言って傷つけて嫌われて避けられるようになります。知らず知らず人から気持ち悪がられるような趣向になり、それが常態化して容姿までが悪化し、当然異性にもモテず、他者評価に依存しているために他人に振り回されて自分を見失い、人から何か言われる度に傷ついてひどく落ち込み、人に嫌われたり蔑まれたりして傷つけられるのを恐れて孤独で暗い性格になり、自分自身であればどれだけイジメても構わないかのように自分を蔑んで嫌い、そんな自分を何とか正当化して自尊心を保つために他人の欠点や過ちを責めて見下し、己の欠点や過ちを許せなくなってますます自分を蔑み嫌うようになります。そのようにして霊障に深く犯された人は精神を病んでいくのです。
それを自分のせいだと考えたくないために脳の障害だと考えて精神科に行って薬づけにされてますますおかしくされ、自我を霊障に完全に奪われ、霊障そのものみたいな人間になってしまうのです。そして最悪のケースは自死に至ります。
長年精神を病んでいると、自分も他人もそれが己の本質のように考えてしまいますが、それはその人の覚りに必要な過程であり、その人はその経験なく覚りは開けないから与えられている課題なのです。
千年暗闇に閉ざされた部屋を照らすのに千年分の明かりが必要なわけではありません。あなたは自分をコミュ障で暗い人間だと決めつけているのだと思いますが、目覚めれば本来の自分をきっと取り戻せると思います。生まれた時から暗い赤ん坊はいません。そしてエゴにまみれていない赤ん坊もいません。今のあなたの暗い性格はあなたが今まで自分の愛を育てることなくカルマを雪だるま式に積み上げて来たことが原因であり、それは覚りの一過程なのです。
だからあなたがやるべきことは、まず信心を持ち、それを形に表すことです。つまり神とその分身たる人間に無償で奉仕することです。どこかの信者になる必要はありませんが、浄霊は受けた方が良いと思います。それもできるだけ毎日。それが日々霊障を祓うことであり、霊的成長につながるのです。
創造主は言いました。「樹が鳥を愛するように人を愛せよ」と。大地と空から愛を受け取り、花を咲かせ、豊かに実り、何も結果(見返り)を求めず、鳥達が集い喜びに歌うのを我が喜びとするのです。そうすれば鳥たちがその実りの種(愛・覚り)を運んでいき、この世界は愛に満ちた幸せなものになっていくことでしょう。
最後に、あなたの歳の頃の僕もまったくNPC思考そのものでしたから、あなたが今のような状況に陥っている苦しみはよくわかります。しかしそれも必要な経験だから与えられているのです。人とうまく関われない苦しみを知るあなたは、一刻も早くそれを乗り越えて、同じように苦しんでいる人たちに心から同情して救いたいと思って下さい。そしていつかきっと主人公として目覚め、周囲の人も主人公として目覚めさせられる本物のメシアになって下さいね。そうなる覚悟を持てば、そう遠くない将来にきっと乗り越えられると思います。