2022年10月29日土曜日

嫉妬・劣等感で苦しい

【質問】20代・男性
僕の周りには夢のために頑張っている人が少数ですがいます。彼らは音楽やビジネスなどで大成し、地位と名誉と富を得たい・認められたいという思いが強く、そのための努力を怠らないような人達です。僕からみると眩しく、自分なんかよりよほど輝いて充実しているように見えます。結果を残し始め、周りよりお金を持っていたりする人も中にはいます。当然彼らはビジネスや音楽の分野で素晴らしい功績を挙げて素晴らしいものを作っていたりします。僕はそういう友達や知り合い、もっと言えばメディアに登場する同世代、そういう人にとてもジェラスを感じます。

自分の好きなことや得意なことでお金を稼ぎ裕福な生活を送っている彼らと、好きなこともなく、朝から夜まで働いても固定給で刺激のない日々を過ごす自分というギャップに、「他人と比べるものではない」とわかっていてもどうしてもやるせない想いが溢れてきます。それを才能の違いと言って片付けられるほどまだ僕はそう言った人たちのようになりたいという思いを諦めきれていないのです。

家族や恋人など、お金を持ってるわけでも特別な才能があるわけでもない僕を愛してくれる人がいて、それでも僕は満たされません。

こうやって文字を打っていて気が付いたのですが、お金が欲しいわけではないのかもしれないです。自分らしい生き方、自分の輝ける生き方、そういうものに憧れているのかもしれません。こんな僕に少しでも生きやすくなるようなアドバイスをお願いします。

【回答】※10月30日更新
ご質問ありがとうございます。お気持ち、よくわかりますよ。僕も覚醒前はそうでしたから。というか、それを言うと惨めになるから誰も言わないだけで、世の殆どの人が本音ではあなたと同じように感じていて、それでも何とか自分を慰め誤魔化しながら生きているのではないかと思います。全知全能の創造主は、ちゃんと理由があって人生をそのように初期設定しているのであり、それはみんなが共通して乗り越えるべき課題なのです。

映画撮影において、与えられた役やシナリオに不平不満ばかり言って真剣にやらないような俳優に、監督がより良い役・より良いシナリオを用意してくれるなどということが在り得るでしょうか?そこは人生も同じなのです。

人生はまさに映画でありRPGです。そしてあなたという主人公だけに用意されたシナリオがあるのです。あなたのその「劣等感に苦しむ」という経験も、魂の成長に必要だから与えられているものなのです。最初から満たされているようでは誰も成長しませんし、物語にはなりえません。

まず、嫉妬する人間・劣等感を抱えている人間というのは確実に「人に序列をつける考え方」をしていて、他者評価に依存し、それを自覚もしていないことが問題(課題)なのです。「人の価値とは?」「誰でも自信満々になれる方法」の二つは必ず読んで下さいね。

多くの人は誰にでもある欠点や過ちを責め、存在に序列をつけて他人に嫉妬したり見下したりして「こういう人間は尊敬しない・感謝しない・愛さない」という判断を無意識にいつもしているから、それらすべての存在の源である創造主からの愛を受け取れず、他人から嫌われ、自分自身(人生)をも愛せなくなるのでしょう。嫉妬・劣等感に苦しむ人というのは、その自分と同じような人間に対しても「価値が低い」と判断して無意識に貶めていることに気づいていません。言わなければバレないと思っているのでしょうが、それは常に宇宙意思(全体意思)に筒抜けなのです。そしてそれは必ず態度にも表れ、相手に伝わっているものなのです。

今現在のあなたのような人は、例えどんな才能を与えられても、どんどん他人を見下すような嫌な人間になり、人に嫌われて不幸になり、能力が衰えればより落差の大きい劣等感に苦しむようになるだけです。現在成功しているように見える人たちも、もしエゴ(我欲や保身)・他者評価の為に努力しているようであれば、恐らくはそうなってしまうことでしょう。

あなたは才能があって努力もしていて早くから評価されている人間が必ず幸せだと思い込んでいるようですが、そういう人たちにはそういう人たちなりのシナリオがあり苦しみがあるのです。あなたはまだ聖書を読んではいないでしょうが、世の栄華を極めたサウル王でさえダビデへの嫉妬のために身を滅ぼしたのです。才能があって努力して成功して他者評価を得て裕福になれば必ず幸せになって誰にも嫉妬しなくなると考えるのは幻想です。

世界のすべては二元的に存在していますから、不幸を乗り越えずに感じられる幸せなどないのです。「なかなかやりたいことが見つからず劣等感に苦しむ」という経験も、あなたの成長に必要だから与えられているのです。

このすべてがプログラムされたRPGの世界に偶然など何一つなく、あなたと僕との出会いや、あなたの家族・恋人との出会いも含めて、あなたはすべからくベストな存在とベストなタイミングで出会っているのです。「世の中にはもっと素敵な人がいる」「自分には才能も運もない」などという感じで、与えられた才能や人・出来事との出会いに感謝の気持ちが薄いから、創造主からの愛が受け取りにくくなっているのでしょう。

創造主そんなあなたでも愛してくれる人に出会わせてくれているのに、あなたは心から尊敬し感謝し愛せないから満たされないのでしょう。それは出会いを与えてくれた創造主への最大の不敬なのです。大切なことは出会った人を自分が主役の人生の共演者として例外なく尊敬し、感謝し、愛することです。人・出来事との出会いに偶然はなく、すべて自分の魂の成長にとってベストなものが与えられているのですから、「どこかにもっと素敵な人がいるに違いない」などと考えて目の前の人・出来事を全力で愛さない人が、すべての存在の根源である創造主からの愛を受け取れるわけがなく、不幸に導かれるのは当然なのです。我々はそこに気づいて出会いに感謝して自発的に全力で目の前の人・出来事を愛するべきなのです。

そして「宇宙の仕組み」に書いた通り、あなたが「客観的世界」の中に生きているという思い込みを捨てなければいけません。ネットゲームでログインしている人が全員主人公であるが如くです。主人公であるあなた以外の人は、どれだけ有能で有名だろうと、あなたの世界の一部でありNPCのような存在です。NPCたち・同じ世界線にログインしている他のプレーヤーのゲームの進捗(どこまで進んでいるか、才能・権力・金・他者評価をどれだけ持っているかなど)はあなたに全く関係ないのです。あなたはあなただけに用意されたシナリオのRPGをただ思いっきり楽しめば良いのです。

あなた=あなたの認識世界です。才能がある人がいたら、あなたの世界の一部が素晴らしいということですから、その存在に心から感謝して愛することです。例えばあなたの好きな曲は創造主がそのアーティストというアバターを通じてあなたを喜ばせ元気づけるためにあなた個人に与えてくれたものなのです。アーティストの才能に嫉妬なんかしていたら、創造主からのせっかくのプレゼントが受け取れません。

どうかすべての存在をただありのままに愛してみて下さい。才能であれ性格であれ「このようでなければ愛せない」と自分に対しても他人に対しても愛情に条件をつけないことです。ただありのままを愛することができたなら、その存在はあなたの心に写し取られ、本当にあなた(=あなたの認識世界)の一部となるのです。この物理世界において何かを物理的・権利的に手に入れようとすれば、あなたの手にするわずかな固定給などではほとんど何も手に入らず苦しくなるだけでしょう。

この世界は夢の中と同じです。あなたは夢の中で夢であることに気づいたら、何かを得ようとか残そうとかするでしょうか?それは無意味であるとすぐにわかるでしょう。この現実世界は仮想現実世界であり、夢と全く同じなのです。実際次の旅には「魂の記憶」以外に何も持っていけませんからね。あなたが現実だと思っている世界はあなたが死ぬ時にきれいに消え、次の旅には何一つ持っていく事も残すこともできないのです。だからあなたの精神世界(=魂の記憶)を愛で満たして下さい。この世界をどれだけ愛せたか、どれだけあなたの精神世界を愛で満たせたかがあなたの人生の価値です。

あなたは「平々凡々で何の才能もない自分のことなど世の中の人は誰も気にしない」と思っているかも知れませんが、あなたの人生という映画を、創造主も諸神諸仏も楽しみに見ています。一秒たりとも止むことなく全てを、です。彼らが有名人・金持ち・権力者だけを見ていると思ったら大間違いです。必要のない存在など何一つこの世界に生じることはないのです。

「男はつらいよ」の渥美清さんは、映画の中ではしがない庶民「寅さん」の役であり、誰も彼に対し有名人に対するようなチヤホヤした態度は取りません。でも現実世界において渥美さんは超有名人であり、浅草などを歩こうものなら街がパニックになってしまってまともな生活などは営めなかったでしょう。あなたも同じであり、この現実という映画の中でしがない庶民役をやっているだけで、天界では超有名人なのです。諸神諸仏もあなたと同じように人として生きて劣等感に苦しんだ記憶があるわけで、きっとあなたに同情・共感して応援しながらあなたの人生を見守っていることでしょう。あなた自身も人間界での苦労を経験しているだけで、本当は神仏と同じ存在なのです。未来のメシアであり菩薩なのです。

あなたはまだ自分の存在の尊さに気づかず、自分など大した存在ではないと思って、世界を救うなどということは考えもしないのでしょう。しかし世界を救うのに有名人・金持ち・権力者になる必要はありません。あなた=世界であり、あなたの肉体(アバター)が一体で世界を救うのではないのです。あなたが目の前の人を愛し、救い、それを連鎖させるだけで良いのです。あなたがたった二人の人間を無償で救ったなら、その二人もきっと無償で二人の人間を救う事でしょう。それがたった50連鎖するだけで1000兆という途方もない数字になります。連鎖反応というのはそのように指数関数的に広がっていくもので、最初はひどくゆっくりに見えても末にはとんでもないペースで進んでいくものなのです。

どうか有名人・金持ち・権力者になること(他人に評価されること)を目指さないで下さい。それは多くの日本人が陥っている病理「他者評価依存」であり、他人に評価されなければ自分を評価できないようでは常に他者評価に振り回されて結局は嫉妬・劣等感に陥り、幸せになどなりようがないのです。

「どれだけ世間的に無名だろうと、全知全能たる創造主はそのすべてを見通し、誰が世界を救っているのかを知り給う」
創造主があなたに譲渡した「自分を評価する」という最大の権限を易々と他人に譲ることなかれ。

とにかくエゴ(我欲と保身)を動機にやりたいことを見つけようとしないことです。そんなことをするからあなたは本気でやりたいことが見つからず、貧困・孤独などを恐れて保身に走り、やりたくもないことの我慢代を貰う為に時間という素材を空費するような人生になっているのでしょう。

そんなあなたでも愛してくれる存在を与えてくれている創造主が、あなたをどれだけ愛しどれだけ成長を期待しているかわかるでしょうか?そしてその価値を感じられず満たされないなどという事がどれだけ愚かなことか、失ってみて取り返しのつかない後悔をする前にわかって下さいね。

与えられているものの価値に気づかず感謝できない人間に創造主はもっと与えたいとは思わないのです。そして与えられたものの価値に気づかず感謝できない人間は、既に与えられたものまではぎ取られ続け、失う事でその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうのです。だから自分に与えられた配役やシナリオに対して決して不平不満を言わず、常に自分の魂の成長にベストなものが与えられていると信じて感謝して下さい。

この人生というRPGは愛と勇気を試すためのものですから、思考・行動の選択において、より愛と勇気が必要な方が最終的には必ず正解です。エゴ(我欲と保身)による選択が最終的に正解であるなどという主人公のRPGや映画を見たことがありますか?世界を救わないRPGなんて何も面白くありません。自分と創造主の関係性は常に一対一であり、他人(世間)=NPCの思考・行動は一切言い訳には使えないのです。

どうかすべての存在を愛し、世界を救う覚悟を持って下さい。あなたの夢やそのための才能は、世界を救おうという覚悟に付随して与えられるものです。

あなたはまだ20歳という若さで「自分には何の才能もない」などと思い込んで自分を蔑み、それを好きでも得意でもない仕事をして生きる言い訳にして、もう人生を諦めようとしているのでしょう。一日の大半を全然やりたくない仕事に空費していたら、人生の大半がやりたくないことに満たされることになります。ただエゴ(我欲と保身)のためにやりたくないことを我慢してやっていたら、やりたいことなど見つかりませんし、あなたの中に例えどんな才能が眠っていても見つかることも伸びることもありませんし、成長などしようがありません。そしてそんな人生で人が、存在することに心から感謝して幸せになれるはずがありません。

退路を確保するために人生を使っていたら、退路を断って前に進んでいる勇者たちに太刀打ちできるわけがないでしょう。それで彼らへの嫉妬・劣等感から逃げ続けていつか追い詰められるような人生が楽しいわけがありません。あなたの「少しでも生きやすくなるように=少しでも楽に生きられるように」という発想が既に逃げなのです。エゴ(我欲と保身)を乗り越えるためには=世界を救うためには、自分を放り投げるほどの勇気がいるのです。それが簡単でないのは当たり前です。人生は愛と勇気を試すためのRPGなのですから。最初から何も恐れない人の勇気に何の価値もありません。臆病なあなたが振り絞る一握りの勇気にこそ価値があるのです。

自分の人生をよくよく振り返ってみて下さい。あなたが人を笑顔にして嬉しくなった経験はどんなものですか?例えば料理や清掃や介護やイベントの企画運営など、それが無償のボランティアで一円にもならず、どんなにあなたや他の誰かからつまらなく見えたとしても、それがあなたの才能なのです。他人と比べたりすることなく、最初は全くお金が儲からなくて家族や生活保護を頼ることになっても、人を笑顔にする才能を伸ばすことに一日を使って下さい。お金は必ず後からついてきます。部活だって中学高校で6年もやっていたら、それをやっていない人達とは雲泥の差ができるでしょう。人を喜ばせるために10年20年努力してお金を稼げないレベルで終わるわけがありません。そして創造主の分身たる人々を笑顔にすることに全力を注いでいる人間が創造主から見放されるわけがありません。

実際僕はいつも人を笑顔にするために生きて自分も笑顔になっているため、働かなくても何の不安もなく幸せに生きています。才能もどんどん与えられて開花しています。たった3年でです。まだお金など全然稼げていませんし稼ごうともしていませんが、人を幸せにする人生ほど幸せなものはありません。

最初からものすごく興味が出てものすごくやる気になってからでないと行動できない、というのでは何もできません。何かの才能なんかより「ちょっと興味が出た程度のことでも全力で突っ込んでいける勇気」の方が大事です。年齢は関係ないですが、特に若い人には大事なことかと思います。それによってあなたの人生はとてつもなく面白いものになるよう導かれていく事でしょう。それは早くから才能に目覚めて簡単にやるべき事に導かれた人達の人生よりずっと面白いはずです。

お金がないことで人から見下されてみじめな思いをするのではないかと臆病になっているようでは何もできません。RPGの主人公なのに世界を救おうともせず、やりたくないことの奴隷になっている脇役NPCでは、上位次元の存在達があなたというキャラクターをプレイしたいとは思わないのです。

人生はしょせん仮想現実のRPGです。他者評価も貧困も死も何も恐れるに足りません。全ての存在を愛し愛されていれば、すべての存在の源たる創造主がみんなを通じて助けてくれます。やりたくないことに人生を使って才能ある人たちに嫉妬して劣等感に苛まれ、自分や他人を愛せず、「自分の精神世界を愛で満たせない事」をこそ恐れて下さい。精神世界だけが次の旅に持ち越されるものなのですから。

何より信心を持って下さいね。すべての存在・事象の源である創造主を愛し、その使いである神々と人々を愛することです。全知全能の創造主に対して僕らができることは、ただただ全ての存在(出会い)に感謝し、創造主の分身(欠点も過ちもある神々と人々)を愛し、無償で奉仕することだけなのです。

社会的成功(他者評価・お金)によって人は決して幸せにはなりません。人生というのは魂の自発的成長のために与えられているもので、真理(=愛)を覚ってそれを世界に連鎖させていく以外の方法で幸せにはなれない仕組みになっています。

まぁ20歳の時の自分にこんなことを言っても伝わる気が全くしないのですが、何とか伝わってあなたとあなたの周囲の方々の人生が幸せなものになることを心から祈っています。

2022年10月27日木曜日

どんな神仏を信じればいい?

【質問】
「信仰を持つことが大事で、信じられる神様を見つけるべき」とのことですが、仏様でもいいでしょうか?

自分は不動明王様が昔から初詣で参拝していて、ご縁があるように感じました。炎や剣で恐れやエゴを焼き尽くす、荒療治ですがみんなを救おうとするのがかっこいいと感じました。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

様々な神仏を信仰し、ベースは仏教徒(法華経信仰)である僕が「神様がOKで仏様はダメ」なんて言うわけないでしょう・・・。これからは「神仏」と言うようにします。

自分に縁が近いと感じる神仏から信じれば良いと思います。そう言う僕の真意は、まずは信仰によって具体的な功徳を経験して信心を深めてもらいたいのと、そこを入り口に様々な神仏についてたくさん学んでいってもらいたいということです。

不動明王は日本で多くの信仰を集めるとても力の強い神様です。力のない神仏が多くの信仰を集めるということは基本的にあり得ません。宗教(人間が運営するため腐敗が必然)を信じるのではなく、宗教を通じて神仏について学ぶことが大事です。

不動明王を入り口に、仏教について学んでみて下さいね。不動明王を特に重んじているのは真言宗ですから、本佛である大日如来を始め、そこで祀られている様々な神仏について学び、真言を唱えるなど様式を学んで日々実践してみて下さい。

個人的には浄霊の際に不動明王真言を使うことがあります。特に極悪でしつこい低級霊を成仏させるには有効で、きっと霊障多くカルマの深い(大きな困難から大きな成長を期待されている)あなたに縁の近い存在なのだと思います。エゴを乗り越えて愛(真理)に生きて欲しいという創造主の願いでしょう。

本当はすべて創造主の化身なのですから、万教同根なのは当然であり、どんな神仏を信じようと本質的には同じ事です。一神教と多神教は矛盾しません。

本当は全ての神仏がすべての人にフラクタルに存在しているのであり(三千大千世界)、違いは縁が近いかどうか、心の世界のその存在を心から信じて呼び覚ましてその加護が得られるかどうかです。

2022年10月12日水曜日

精神病・精神医学について

【質問】20代女性
現在以下のような状況になっています。

・予定が入っても遂行できない。
・昼間起きていられず、外に出られない。 
・衝動を抑えられない(過食、暴力)。 
・自転車乗っている時など考え事に集中してしまってぶつかりそうになる
・何事も続かず、ずっと横になってしまっている。
・眠れないことがよくある。
・よく眠れた時でも日中どうしようもなく眠くなって寝てしまい、夜寝つけずそのまま昼夜逆転し、自律神経も乱れていく、という流れが多い。

などの悩みから、メンタルクリニックへの受診、投薬を検討しておりましたが、真也さんはメンタルクリニック(精神医学)についてどのような見解をお持ちでしょうか。

【回答】※10月15日更新
現代の精神医学は基本的に対処療法であり、精神病による脳機能障害を結果ではなく原因と捉えているため、精神病を根源的に治すことは不可能です。精神錯乱など緊急の場合には対処療法が必要な場合もあり、症状を緩和させている間に自然と良くなることもあるのですが、逆に根治を遅らせ悪化させる事の方が圧倒的に多いと思います。

精神病を雨漏りに例えれば現代医学はバケツで対処するのみで、雨が止んだら「ホラ、私のお陰で治ったでしょ?」って感じで、どんどん原因は悪化してまた雨が降ったらより多くのバケツが必要になり、それを有料で貸し出すことでバケツ屋が儲け続けるだけです。


上記の動画を見ていただいたらわかるかと思いますが、精神薬の治験なんてまともには行われていませんからね。治験のバイトをしたって、精神薬の治験なんてまずありません。半年という短期ですぐに認可がおり、実際の患者をモルモットにして治験しているのです。政官民が利権でつながるのが現代の価値観・社会システム上の必然であり、一度認可された後は余程大きな副作用が多数報告されて因果関係が証明されなければ差し止めにはなりません。アメリカの銃乱射事件など猟奇的・破滅的な事件の犯人の多くも事件前に精神科で投薬治療を受けていて、関係性が強く疑われています。もちろん完全に立証してやめさせようとしても、一部の薬が差し止めになるだけで、危険な薬を販売した製薬会社も認可した国も責任は一切負わされず、まして投薬治療全体が見直されるということは利権上あり得ないでしょう。

精神科で患者の血液検査や脳波検査や脳内物質の検査やX線やMRIなどの科学的な検査がちゃんと行われていると思いますか?ただ単に精神科医がマニュアルで教えられている通りに問診をして、精神科医の経験則によりその匙加減一つで適当に薬を出し、効果が全くなかったり副作用が強く出れば薬を変え、色んな薬を次々に投薬するのみです。製薬会社と精神科医にとって、とりあえず患者の目前の症状さえ誤魔化すことができたら儲かるんですから後はどうでもいいんです。患者が根治したら儲かりませんから、製薬会社も精神科医も(立場上)患者の根治を望んでいないのです。だから投薬治療はほとんど対処療法にすらなり得ておらず、科学というよりカルトに近いものなのです。

患者の側も自分の精神病が脳機能障害であると考えれば「自分のせいではない」「薬で脳の機能障害さえ治ればすべてが良くなる」と救われた気持ちになり、苦しい思いをしながら自分自身と向き合って課題を乗り越えて魂を成長させようなどとは絶対に考えません。ので、根治することなどあり得ないのです。そして誰でも精神病になればエゴに埋没しますからそのようになるのが自然です。製薬会社と精神科医と患者のニーズが見事にマッチしているわけで、何も解決されないままお金だけが製薬会社と精神科医に吸い上げられるシステムなのです。

依存症というのは自尊心を病んで自分が自分であることに耐えられなくなり、自己逃避のための手段として依存先を求めることで起きるものであり、その依存先が何であろうと本質的には変わりません。それは自覚のない間に霊障に自我を犯されているのです。精神科に通っても単にその依存先が精神薬や精神科医に変わるだけです。

とことん適用範囲を広げれば精神を病んでない人などいませんから、ちょっとでも性格に難点があれば誰でも精神病と診断されかねません。例えばADHDとか発達障害なんていうものは、本来は人それぞれの個性・課題・成長過程なのです。人間性の成長は人によって進捗の差が激しく人それぞれなのに、より多くの人を病人扱いして養分にしたい製薬会社・精神科医と、自己逃避したい本人と、責任回避したい親や周囲の人たちのニーズが見事にマッチして、人々がどんどん薬漬けにされています。

精神薬は本質的に麻薬と一緒です。依存性があり離脱症状(禁断症状)が大きいのです。患者が「もう十分良くなった」「副作用の害の方が大きい」と自分で判断して急に断薬しようものなら、反動が大きく出て自殺したりするのです。この事実は製薬会社と精神科側にとって自己弁護のためにとても有利に働いていて、断薬させようとする意見者たちを封殺するのに役立っています。しかし何のことはなく、合法的に患者を薬物中毒にして自らの養分にしているだけです。

精神科医も最初は「精神について学んで自分が救われたい、そして自分が救われたら精神を病んでいる他の人達を救うために生きたい」という純粋な気持ちで精神医学について学び精神科医になったのだと思いますし、今でもそういう純粋な思いで診療しているのかも知れませんが、結果的には苦しんでいる人を養分にする製薬メーカーという悪魔の僕(しもべ)となり果てているのです。根治できないことを知りながらその場凌ぎのために投薬し、逆に根治を遅らせて悪化させているのですから。また生きていくためにはそうやってお金を稼ぎ続けざるを得ないと思い込まされているのですから。僕は精神科医を心から哀れに思っています。

プライベートで精神科医を何人か知っていますが、みんな一様に病んでいます。自分も患者も救えていないのですから無理もありません。でもそれがバレたら商売にならないので、必死で知識を仕入れて自らの感情を誤魔化し、健常であるような演技をするのが上手になり、患者に希望を持たせるという建前で患者を騙しているだけなのです。精神科医には患者を心から同情する余裕などなく、引きずられないよう常に切り離して考え、冷酷な精神薬の自動販売機みたいになっています。患者は「わかってもらえない」と、次々に病院を変えるわけですが、話を聞くのがうまいかそうでないかの違いだけで、結局は投薬するしか手段を持っていないのです。精神科医に精神病は治せません。そして彼らの大半は霊的知識もなく患者から霊障を貰いまくって自覚のない間にお互いの霊障を増幅させてカルマを悪化させているのです。

製薬会社の人たちも哀れです。悪魔に易々と心を支配され、金の亡者になり果てているのですから。でも彼らを責めても意味がありません。資本主義は合法的にお金を儲けるのが正義なのですから、現代の価値観・社会システムを変えない限り何も変わらないのです。

<精神病について人類が知るべきこと>
1.精神病は霊障であり、それがすべての不幸の元凶である。
2.霊障(霊的な穢れ)はカルマであり、誰にでも例外なく与えられている。
  (広義では病んでいない人はいない)
3.カルマは覚りに至るために乗り越えるべき課題であり、
  人それぞれにアレンジされた人生のシナリオ・伏線である。
  本当の不幸を経験せずに本当の幸せは感じられないし、本当の慈愛は育くまれない。
4.カルマは自発的な信心と、自発的な成長を促すためのものである。
  信心・成長・感情は強制しては存在意義がなく、自発的である事が肝心である。
5.霊障に犯されると誰でもエゴに埋没し、放っておくとどんどん症状は悪化する。
  逆にエゴを手放なす修行の日々を送っていれば自然と良くなる。

あなたの症状は完全に霊障の蓄積によるものの典型です。僕もかつてはほぼ同じ状況だったのでよくわかります。あなたが悪いわけでも、家族や他の人が悪いわけでもありませんから、自分も他人も責めないで下さいね。

ただそれは薬などで一時的に症状を緩和させても決して根治はせず、薬の依存症になってその副作用で状況をむしろ悪化させます。霊障はカルマを構成しているものであり、乗り越えるべき課題なのだと理解して下さい。

自発的に信心を強くし、自分自身と向き合って課題を克服して魂を成長させない限り精神病は決して解決することはありません。もし僕を信じて下さるのなら、精神科には行かないで下さい。僕自身長年通いましたが、悪化するのみでした。精神病が完全に治ったのは、覚りを得てその通りに実践する日々を送るようになってからです。もちろん働けず生活保護が必要なら精神科に診断してもらうのは必要悪であり、障碍者手帳が必要なレベルなら通院は不可避なんですけどもね。

僕は様々な精神障害を併発させていましたが、その一つはナルコレプシーという病気ですぐ寝落ちするのでリタリンといういわば合法の覚せい剤のようなもので無理やり目を覚ましていましたが、その副作用はすさまじく、落ち着きがなくなり、常に疲労が蓄積し、健忘症のようになって瞬間記憶がひどく苦手になってつい今さっきのことをすぐ忘れるので、仕事がままならなくなりました。今でもその影響は残っているのですが、今は仕事をしておらず、寝ようと思えば好きなだけ寝ていられる状況なので、それほど大きな問題にはなっていません。そのデメリットを補って有り余るほどの長所を与えられているので、睡眠障害などは個性の一つだと思っています。

「精神病が霊障である」というと、何もわかってないクセにムキになって否定してくる人が結構いるのですが、これは創造主直々の教えの一つでもあり、完全に事実です。恐らく霊というものを幽霊のようなおどろおどろしい・非科学的で怪しいものだとイメージして恐ろしいから否定したくなるのだと思いますが、霊は現代科学で存在が証明されていないというだけで、すこぶる科学的なものです。(システマティックであり、条件から結果を・結果から原因を推測し得るという意味で)

「霊とは何か?」については「浄霊の効果を高めるには?に書きました。これを読めば、霊的な穢れを祓うには自発的に信心を強くし、エゴを乗り越えて魂を成長させ続けなければならないということが理解できるかと思います。

「精神病とは霊障である」という点については「憑依体質の存在意義」に書きました。悪い思考や行動が霊障によりもたらされている事に気づき、まずは自分と他人を責めるのを同時にやめて許すことです。精神病はゲームのシナリオ・初期設定のようなもので、誰かが悪いからもたらされるものではないのです。

「精神病が霊障である」と信じることは、必然的に神を信じることにもつながります。しかし精神を病んでいる人というのは自分の思考・行動に罪悪感を感じているため、裁かれるのを恐れて神を信じようとしないのです。許していないのは神ではなく自分自身なのだということに気づかなければなりません。今あなたが自分の性格だと思っているものは霊障がもたらしているものであり、あなた本来の性格ではありません。克服すべき課題であり成長過程なので、今現在の性格に罪悪感や劣等感を持つ必要はありません。

そして「自分」というものが最初からあると思わず、いかなる気分の時でも続ける良い習慣を持って気分に流されず、いかなる時も自分との約束を守り、大好きな「自分」を芸術作品のように日々作り上げていくことが大事です。そして信心を持ち、日々霊的穢れを祓い続けることです。いつも心を善意で満たし、良くない思考・行動に支配されないようにして、常に心の波動を高つことです。

霊障には人を不幸に導くことで「何が間違っているのか」に自ら気づかせるという役割があります。霊障に犯されると誰でもエゴまみれになり、ネガティブな自分のものの見方を絶対的なものと思って疑うことすらなくなり、傷つくことを恐れて人を恐れ、人を嫌い人に嫌われて孤独になり、自分自身を嫌いになり、不幸へと導かれます。幸福になる道とは真逆の思考・行動になるので、実はどうすれば幸福になれるのかは精神病の人を見ているととてもわかりやすいです。

「霊障とはカルマであり、それは魂の成長のために与えられた課題でありシナリオである」という点については「悪いカルマの解消法」に書きました。自分が主人公であることに気づき、絶対に他人と自分を比べないことです。「なんで自分だけこんな・・・」などと自分の境遇を恨んでいたら精神病は絶対に良くなりません。自分の成長の為に自分だけにアレンジして与えられた課題・シナリオだと理解して、感謝して受け取って下さい。創造主は僕らの統合意思でもあり、僕らと全く同じように、与えられたものに感謝できない人間にもっと良いものを与えたいとは思わないのです。

そして精神病は基本的に自尊心の病気であり、自尊心を回復できれば自然と治ります。「誰でも自信満々になれる方法」は必ず読んで下さい。これは本当に万能の解決策であり、能力は一切関係なく、覚悟さえあれば誰にでもできることです。出会った人を例外なく無条件で許し、尊敬し、感謝し、愛することができれば自尊心は回復し、精神病は治るのです。

どうかこの回答によって自分を責めて自尊心を下げないで下さいね。自尊心が下がると思考も行動も悪化する悪循環に陥りますから。それは「反省してはいけない」に書いた通りです。どれだけしがない庶民の役を演じていても、あなたが物語の主人公なのですから、自分を他人とは一切比べず、自尊心アゲアゲで行きましょう。

「愛」という言葉は恋愛や家族愛に限定して捉えられがちで、異性や家族に愛されないとまるで自分の愛には価値がないかのように思ってしまいがちですが、それは違います。世界中の神々ですらあなたの愛を欲しがるのです。存在の尊さに気づいて下さいね。創造主はあなたの愛が必要だからこそあなたを創りあなたに人生=世界を与えたのです。

僕の文章を読んで理解できないほど重度の精神病の方や知的障害の方であれば話は別ですが、あなたはそうではないのですから、読んで理解して実践すれば必ず治ることを創造主の代理として僕が保証します。

2022年10月10日月曜日

過食をやめるには?

【質問】20代女性

過食がやめられません。どうしたらやめられるでしょうか。

一年ほど前、過度な労働が続き食べる時間がなく体重が減り、労働に耐えられず仕事をやめたときから過食癖がつきました。20kg増えたり10kg痩せたりを繰り返していますが、ここ2ヶ月毎日過食衝動に負け、自分では止められなさそうな気がしています。

一日最低でも3000kcalほど、ひどいときは6000くらい食べています。ジャンクフードやお菓子、カップ麺などが主です。

原因は、体型や体型への世間の評価に過敏になっていることが主だと思います。また、シュガーハイを求めている意識もあります。唯一の依存先を過食にしている意識もあります。

精神病等の診断はされていませんが、本能を抑え続けるのは神への冒涜なんじゃないか、怒られるのではないか、罰せられるのではないかという不安恐怖があります。実際、お腹は減っていないのにもかかわらず過食衝動が抑えられない、少しでも胃にスペースが空いたら何かを詰め込まなければという強迫観念からくる過食衝動がほとんどなので、本能は関係ないと思います。

現在実家に居させてもらっておりますが、皆揚げ物や油もの、ジャンクフードをよく食べるので禁欲が続いていても目についたもの、出してもらったものがトリガーとなって過食衝動に負けてしまうことがよくあります。家族は私が過食をやめたいこと、過食してしまっていることを知っておりその姿勢にはとても感謝しておりますが…。

よろしくお願い致します。

【回答】※10月12日更新
ご質問ありがとうございます。

まず、現代社会において過食になってしまうことはごくごく普通の事であり、程度の差こそあれみんな必要以上には食べています。

現代は資本主義の末期にあり、よりたくさんのものを売るために、現代の食品には満腹中枢(本能)を狂わせ、過度に食欲を刺激する物質が大量に含まれているのです。その上あらゆる媒体から常に食に関する広告を見せられているのですから、食欲を我慢できなくなるのが普通であり、そこに罪悪感を感じる必要は一切ありません。

満腹中枢を狂わせる化学物質の代表例は精製糖と化学調味料ですね。あなたがよく食べるジャンクフードやお菓子やインスタント食品にはそれが大量に含まれているので、満腹中枢(本能)が狂わされるのは当然なのです。

野生の猿は別に忍耐力が高い訳ではないのに、満腹中枢が正常に働くので決して肥満にはなりません。しかし人間の食べ物を与えるとあっという間に肥満になってしまうのです。

僕自身も一時期1日1万キロカロリーぐらい食べていて、体重もMAX95kgありましたからね。(現在72kg体脂肪率12%)今でも食欲が異様に湧く時があり、ちょっと油断するとすぐ食べ過ぎます。長期の断食を何度も経験している托鉢修行僧であるにも関わらずです。貧しい人が食べる大量生産の食物ほど、満腹中枢を狂わせるものが多く含まれていて、麻薬中毒患者のように過剰に消費させられるのですね。

ですから過食になってしまうのはあなたが悪いわけじゃないですし、他の多くの人も同じように悩んでいると思います。でも社会システムや誰かを悪者にして責めても仕方がありません。それは人生というRPGの初期設定であり、乗り越えるべき課題なのです。まずは「自分と他人を責めるのを同時にやめる」っていうことがあらゆる精神的問題の解決に一番大切な点であり、そこからがスタートです。

人生の課題はすべて「自分のせいじゃないけど、自分が変わらない限り何も変わらない」ということです。ゲームのバイオハザードにおいてゾンビが出てくるのはプレイヤーであるあなたが悪いからではありません。それはゲームの基本設定なのです。ゾンビやゾンビを作ったアンブレラ社やゲームを作ったクリエイターを責めてもゲームは進みません。ただ自分を成長させるべく前に進めば良いのです。

<具体的な解決法>
まず、満腹中枢を壊すもの(精製糖や化学調味料)が入った加工食品を摂るのを極力控えて下さい。そして食べる量自体をいきなり減らそうとせず、太りにくくて消化が良くて体にも良いものをたくさん食べるようにして下さい。GI値が低く食物繊維が豊富なものが良いです。食事をほぼ植物由来のみにして動物由来のものは極力避けて下さい。玄米・とうもろこし・芋類・豆類・野菜や海藻のサラダやスープなどがおすすめです。間食はナッツが良いです。できるだけ他の食事から時間を離して下さい。化学調味料は使わず、天然塩やハーブなどを使うようにして下さい。それもあくまで適量で。どうしても甘味が必要な時は、料理ならみりん、飲み物などなら天然の蜂蜜・オリゴ糖・黒糖などを使い、精製糖は使わないようにして下さい。グルテンも極力は避けた方が良いです。

そしてチートということで、週1食だけは大好きな人(家族でも友人でも恋人でも)と、好きなものを制限なく食べて下さい。人は「死ぬまで我慢しなければいけない」と思うと絶望して諦めたくなるものなので、ガス抜きは必要なのです。お菓子でもジャンクでも肉でも何でも大丈夫です。

過食になると胃が常に大量の食事を消化しようとして胃酸が出過ぎ、その不快感や痛みを防ごうとして常に食べようとしてしまうので、胃酸過多を抑える漢方の胃腸薬をしばらくは常用して下さい。

そして菜食に慣れてきたら、一日で良いので水断食をしてみて下さい。野菜ジュースなどは飲んでも大丈夫です。一日でも胃が小さくなれば、自然とたくさんは食べれなくなります。断食についてはこちらに詳しく書いています。「断食の意義

運動もとても大事です。仕事で疲れていると運動などしたくなくなるものですが、運動しないと余計に疲れやすくなってどんどん仕事がキツくなります。鬱になると運動したいという気持ちを最初に起こすところが思いっきりハードルが高くなってしまうので、疲れていてもまだ元気のあるうちに運動しなければいけません。もし病んでいるならまず休むことです。運動の時間が全く取れないような仕事なら、そもそもやるべきではありません。我々は奴隷ではないのです。

そして数カ月して目に見えて効果が表れるまで、体重計に乗るのはやめて下さい。そういうので一喜一憂することもストレスの元です。特に菜食に切り替えた直後はカロリーの効率も体内水分量も上がって一旦体重が増えるので、体重で進捗を測ろうとするとモチベーションが下がってしまいます。

<精神的な解決方法>
過食は食事依存症であり、アルコール・タバコ・麻薬の依存症にしろスマフォ・ゲーム依存症にしろ「自分自身と向き合いたくない」という逃避心理が根幹にあり、要するに何かに依存することで気を紛らわせようとしているのです。その依存対象が何であれ、本質は同じなのです。その自分自身から逃れたいという逃避心理の根幹には「劣等感」「罪悪感&羞恥心」があるのです。それはみんなに共通してある課題なので、落ち込む必要はありません。乗り越えれば良いだけです。

<劣等感の克服>
まず「誰でも自信満々になれる方法」に書いてあることを実行してみて下さい。出会った人を例外なく無条件で尊敬し、感謝し、許し、愛することです。

宇宙の仕組み」等で再三ご説明させていただいている通り、人生というRPGの主役はあなたであり、あなただけにアレンジされたシナリオがあるのです。自分と他人を比べるのを一切やめて下さい。他人とは全員がNPCであり、あなた自身の鏡でもあるのです。あなたがしているネットゲームで他のプレイヤーがあなたと共通の世界線にログインしていたとしても、彼らのゲームの進捗などあなたには一切関係ないのです。現在のレベルの低さや、自分に与えられた特徴・特質や課題に嘆くことなく、ただただ自分に与えられた成長の物語を楽しんで下さい。世界=あなたであり、あなたが出会う人みんながあなたという世界の一部であり、あなたの心の仏国土の住民なのです。あなたが劣等感を感じるようなどんなにすごい人でもあなたのNPCに過ぎません。すごい人を見たら、自分自身(の一部)がすごいのだと思って喜んで下さい。とにかく他人と比較するのをやめることです。欠点は誰にでもあり、あなたと同じ欠点を持つ人もたくさんいます。それを許し合い補い合うことが愛です。

<罪悪感&羞恥心の克服>
罪と恥の存在意義」をぜひ読んで下さいね。罪と恥は幻です。それは人間たちが許し合うことでより深く愛せるように創造主から贈られたものです。人間は罪や恥により自分だけ特別であるかのように悩み苦しむものですが、それは本質的に誰もが持つものであり、出会った人の罪や恥を一つ一つ許してあげることが、自分自身を許すことに繋がるのです。許すことこそが人間に創造主より与えられた最大の権限移譲であり、それこそが愛なのです。自尊心と他尊心は同時にしか上がらないということをよく覚えておいて下さい。

色々嫌な考えが頭を支配するのであれば、読経をおすすめします。特に「南無妙法蓮華経」のお題目口唱は簡単で効果が高いです。ただただ無心で唱えて下さい。そして自分と向き合うのが苦痛でなくなってきたら、瞑想などして心を静めて下さい。

すべての精神疾患は基本的に「自尊心の病気」であり、今の「適者生存・不適合者排除型」の病んだ社会で、常に他者比較に晒されて自尊心を病んでいない人はほとんどいません。その「自尊心の病気」をみんなで助け合って克服していくことが我々人間に課せられた共通の課題なのです。もしあなたが自尊心を回復することができたなら、過食や鬱などの問題も自然と解決されることでしょう。

2022年10月8日土曜日

愚痴の多い人への接し方

【質問】20代前半・男性
愚痴が多い相手からネガティブな波動に引っ張られてしまうのですが、どう心構えをしておけばいいでしょうか?

性格とか雰囲気では打ち解けているのですが、やたらと愚痴が多いです。言葉通りに受け取らず、意見ではなく相手の存在に同意(尊敬)をしているのですが、会話をちぐはぐにさせないために「そうですよね、自分も嫌になっちゃいますよ」といった返答をしていると、すごく気疲れしてしまいます。舌打ちもよくされるでダブルでパンチを喰らっています。相手からの愚痴が来る前にこちらがポジティブな話を振るようにもしていますが、自分はずっとしゃべり続けるのが得意ではなくそれはそれで疲れてしまいます。相手の愚痴と言う痛みを否定するのも、それはそれでその相手と上手に付き合えなくなるか。。。会社のひどい待遇にやさぐれてしまった先輩の自尊心をどうやったらあげられるのか、頭を悩ませています。

質問を要求してばかりですみませんが、どうかよろしくお願いします。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

人生の課題は全て例外なく創造主から愛によって与えられているものなのですから、逐一思い悩まずにもっとワクワクしながら取り組んで下さいね。現在のあなたはまだ鬱状態を克服できてないために、ちょっとしたことですぐ落ち込んだりイライラしたり暗くなったりしているのでしょうけども、心がネガティブになってる時に良いアイデア・良い解決策が浮かぶ事などまずないでしょう。

悪いカルマの解消法」に書いてますが、貧しい国の貧しい村に生まれて学校に行かせてもらえない子供が泣きながら親に懇願し、やっと行かせてもらえた学校で初めて渡された問題集に取り組む時の気持ちで人生の問題(カルマ)に向き合って下さい。まず機会を与えられた事を親(創造主)に感謝して、ワクワクしながら課題にトライして成長を楽しむってことです。

所詮この世は仮想現実でRPGです。魂は永遠ですから、病気や老いや死さえ恐れる必要はないのです。ゲームは真剣になるほど楽しめるものですが、いちいち深刻になっては「臆病と怠惰」が心を支配して楽しめなくなってしまいます。このRPGは「愛と勇気」を試すためのものであり、選択肢があればより「愛と勇気」が必要な方が常に正解であり、「臆病と怠惰」を動機とした決断はすべからく間違いなのです。実際RPGというのはそのようにシナリオが描かれているでしょう。

人間関係というのは完全な鏡であり、あなたがその人に対して嫌な気持ちになっているのは、その人を拡大鏡として自分の嫌な部分を見せつけられているからです。あなたは「自分の課題」より先に「相手の課題」を解決しようとしていますが、その視点が既にズレているのです。あなたの人生はあなたを主人公としたRPGであり、すべてが自分次第にプログラムされています。それなのに設定通りに動いているだけの相手(NPC)の側から変えようとするのは愚かな事です。まず解決すべきは相手を鏡として見える「あなたの課題」です。そしてその課題とは「自尊心の低さ」なのです。※人類共通の課題なので凹まないで下さいね。

あなたが自尊心高くポジティブなオーラに満ちていたらその先輩もあなたに愚痴など言わないでしょう。その先輩はあなたが自分と同じように自尊心が低く愚痴っぽい感じがするから同調・同情されたがって愚痴を言うのでしょう。愚痴というのは物理法則と同じで上に向かって吐けば自分に返ってきてしまうので、同じかそれ以下の波動の人にしか言えないのです。同調・同情してくれない人に愚痴を言ってもつまりませんし、波動の高い人から逆に励まされたりすれば、問題の原因が自分にあることを否応なく認識させられ、説教されているように感じて不愉快になりますから、無意識に心が拒否して愚痴が言えなくなるのです。

僕は目覚めるまで長年クソみたいな人生を送ってきてクソみたいな考え方をしていたので、どんなにクソみたいな愚痴でも心から同情して聞くことができます。でも相手に引きずられることは一切ありません。僕は完全に克服して多くの覚りを得て揺るぎのない幸せになっているからです。そしてそれがクソみたいな人生を経験しているお陰だとわかって感謝していて、過去の自分も完全に肯定できているからです。

あなたがその先輩に引きずられそうになっているのは、あなたがまだ「自尊心が低い」という課題を克服できていないからであり、心の波動が同レベルにあるからです。創造主はあなたにその先輩を遣わして課題を認識させ、成長を促しているのです。

あなたはその先輩を心から許し尊敬しているのではなく、単に我慢しているだけだからストレスが溜まっているのでしょう。我慢とは読んで字の如く自分がエゴに満ちていることです。あなたは「愚痴っぽい」という欠点や過ちを理由にその先輩を責めているのでしょう。しかし人間関係は完全な鏡であり、あなたが「愚痴ばかり聞かされて辛い」というのも愚痴なのです。今現在のあなた自身が愚痴っぽく、それがいかに相手に嫌な思いをさせるかについて、創造主はその先輩を通じて無自覚なあなたに気づかせ成長させようとしてくれているのでしょう。あなたが出会う人はみんなあなたの鏡であり、相手を見て自分の課題に気づかなくてはいけません。

欠点も過ちもない人はいません。それを理由に自分や他人を尊敬しないというのなら誰も尊敬できません。そしてそれはすべてを与えし創造主への不敬であり、当然のように悪業を引き寄せるのです。まず主人公という大役を与えられた自分自身の存在に感謝し、尊敬し、許し、愛することです。そしてその成長の物語を一緒に紡いでくれる共演者たちに心から存在に感謝し、尊敬し、許し、愛することです。それができずに相手の側を変えようとしてもうまくいくわけがありません。

現時点のあなたのレベルが低いことに落ち込む必要は全くありませんからね。落ち込めば余計自尊心が下がって余計悪い思考・行動に陥るので止めて下さい。RPGはレベル1から始めなければ楽しめないので、我々はわざとレベルが低く愚かで無力に生まれてきているのであり、あなたのその課題は誰もが通る通過点なのです。ただただ目の前の課題を克服し続けて成長を楽しみながら物語を進めていけば良いだけです。

鬱傾向にある多くの人は、何かあるとすぐ「このように悩んだり傷ついているのは自分だけだ」と思ってしまうものですが、本当はみんな同じですからね。会社に入って先輩に愚痴られまくるというのも殆ど通過儀礼みたいなもので、大半の人が経験しているでしょうし、僕自身も思いっきり経験しています。そういう本質的には同じ出来事で悩み傷つく経験をしているからこそ、僕らは共感・同情し、愛し合うことができるのです。

さて、心構えではなく具体的な解決策を書きます。先の質問「苦手な人を許すのが難しい」に書いた通り、相手の自尊心を上げたいのなら、相手が笑顔になるまであくまでも笑顔で接することです。人は自分に笑顔を向けてくれている人の顔を曇らせるようなことはなかなかできないものなのです。気分は相手に引きずられるものとあなたはわかっているのですから、まずあなたがいつでも気分良く笑顔でいることです。作り笑顔をすることが本質ではなく、出会いが嬉しくなって笑顔が本物になるようにすることが本質なのです。

ただ笑顔で接するだけで、相手は「自分が承認されている」という無言のメッセージを受け取り「自分の存在がこの人を幸せにしている」と深層心理で感じて、知らず知らず自尊心が高まるのです。そして相手は笑顔になり、それは連鎖してみんなが幸せになるのです。あなたは自分の笑顔にどれだけの効果・価値があるかをまだ全然理解していません。

僕の言う事をちゃんと日々実践して理解を深めて下さいね。やればわかることなのに、あなたはやりもしないですぐ「自分には無理」と諦めてしまっているでしょう。あなたの考えはマラソンを始めてすぐに「自分に世界記録は絶対に出せないから走らない」と諦めているようなものです。僕の言っていることは100mを10秒で走るのとは違い、才能・能力は一切関係なく、覚悟さえあれば誰にでもできることです。それをできないというのは単に己の「怠惰・臆病」の言い訳でしかありません。何事も最初から完璧にできないのは当たり前で、だからこそ成長を楽しめるのです。

そして相手の自尊心を上げるためには、とにかく相手の話を一切否定せず真剣に聞くことです。あなたは世の大多数の人と同じで、まだ自分が人の話をちゃんと聞けていないという自覚も、忘れっぽいという自覚もありません。

人生というRPGにおいて、クリエイターのメッセージは常に人や出来事との出会いを通じて与えられるものであり、それをちゃんと聞いていない・正しく解釈せずネガティブに解釈していると、必ず行き詰まったり事故ったりするものなのです。

ですからまず気づいたことを何でもメモるノートを付けて下さい。必ずです。特にあなたは新入社員なのですから、仕事を覚えるためにもノートは絶対必要なものです。その努力・習慣をネガティブに受け取る人はいません。そして人生で大切な事を忘れず常に意識するために、大切な事ほど大きく太い文字で書いて何度も繰り返し自分に言い聞かせて下さい。

そしてそれは常に持ち歩いて、先輩や上司の話は(それが例えどんなにくだらなく些細な内容であっても)全部相手の目の前でメモを取って下さい。何が思い出すきっかけになるかわからないので、最初から綺麗にまとめようとせず、逐一全部メモを取るのです。まとめるのは後になって自分の中で整理がついてからで良いでしょう。

先輩や上司もメモを取って真剣に話を聞いているあなたに適当な事は言えなくなるはずです。そうして自然と愚痴など言えなくなるでしょう。それでも愚痴を言ってくるようなら、それを全部メモして満面の笑顔で「教えていただいたことはこの理解でよろしいでしょうか?」と相手に見て貰って下さい。それを見せられた相手は「自分はなんてくだらない愚痴を言ってこの人を汚してしまったのか」と気づいて恥じて後悔し、そのうちもうやらなくなるでしょう。常に「指摘せず気づかせる」「教えず導く」「相手を変えるのではなく、己の学びとして成長する」がメシア流です。僕はnoteや質問箱では教えまくっていますが(笑) 実生活においては相手に求められない限り基本的に自分からは教えません。

反省してはいけない」等で再三ご説明させていただいていることですが、相手の欠点や過ちは指摘すると相手の自尊心を下げてしまってますます悪い思考と行動に導いてしまいます。だから基本的に指摘はしない方がいいのです。説教だと受け取られて必ず反発を受けるでしょうし、相手があなたを下に見ている先輩や上司なら猶更です。気づけば自然と治るのですから、自ら気づかせてあげれば良いだけです。

>相手からの愚痴が来る前にこちらがポジティブな話を振るようにもしていますが、自分はずっとしゃべり続けるのが得意ではなくそれはそれで疲れてしまいます。

あなたが話し続ける必要など全くありません。現在のあなたはまだポジティブになりきれてないのですから、無理にポジティブを演じれば疲れ果てて逆効果になるだけです。相手がこちらに話を聞いてくるまで、ひたすら聞き役で良いのです。その先輩は鬱状態でエゴに埋没している人で、そもそも他人の話など聞ける状態にないでしょうから、こちらから何かを話すだけ無駄です。ただひたすら話を否定せずに真剣に聞けばいいのです。

相手の愚痴に対して「ホント嫌になっちゃいますよね」なんて同調する必要などありません。「ああ、なるほど、この人はこういう考え方なんだな(自分とは違ってて面白いな)」という感じの観察する視点で、決して否定することなく「なるほど」「〇〇さんはそうなんですね」「それは大変ですね」など、同情しながら真剣に話を聞けばいいのです。そしてどうしてその人がそのようになってしまったのか、またあなたがなぜそのような人・言葉と出会ったのかを考ましょう。そしてもし相手の考え方が不快なのであれば、自分は絶対そのようにならないように気を付ければいいのです。その先輩はあなたの貴重な反面教師であり、負荷の高い魂のトレーニングマシーンなのです。

鏡の法則」というページに「子供が学校いじめられていることに悩んでいたのが、自分が長年仲が悪くずっと連絡をとっていなかった親に感謝を伝えたら、子供のいじめがぱったりとなくなった」というエピソードがありましたが、因果というのはこのように人間の想像の範囲を超えて複雑に絡み合い、どこでつながっているかわからないのです。だからどんな問題も相手の課題として考えず、常に自分の課題を克服することを考えて下さい。人生というRPGはすべからく主人公である自分次第にできているのです。

2022年10月5日水曜日

浄霊の効果を高めるには?

 【質問】
霊気や浄霊の効力を上げるアドバイスとかあったりしますか?

ちなみに真也氏の浄霊って、ペンダントを付けて行うJhoreiとは別でしょうか。

【回答】※10月7日更新
ご質問ありがとうございます。

いつも通り全力でご説明差し上げたいのですが、それを正しく理解していただこうとすると「霊とは何か?」ってところから全部説明しなきゃいけなくなり、本題に入る前に長くなり過ぎて誰にも読んでいただけなくなると思うので、エッセンスだけ伝わるようにご説明させていただこうと思います。

まず「霊」というのはまだ現代科学で証明されていないだけで極めて科学的(システマティックで原因と結果を予測し得るという意味で)なものなのですが、「霊」という言葉はとどうしても幽霊のようなおどろおどろしい・胡散臭いイメージにとらえられがちなので、「スピリット」と言った方が意味としては伝わりやすくなる気がします。でもそれも文章として長くなるので敢えて「霊」としたまま話を続けます。

宇宙の仕組み」においてご説明させていただいていますが、世界は素粒子でできており、それは究極は超弦波動でできていて、それは霊的意思(創造主の意思・宇宙意思)の乗り物なのです。

物質世界は我々がその波動をコードとして共通のルールに従って見ているネットゲームの世界のような幻であり、世界の実態はクリエイターの霊的意思のみなのです。上位次元から見ればその世界はコンピュータープログラムのような文字列(コード・データ)であり、それは究極は01のデジタル信号でできているのです。まさに映画のマトリックスですね。


デジタルにおける01とは、ある特定の次元においての存在・不存在を表したものであり、その0は本当の不存在ではありません。創造主の中には次元が無限に存在しており、その中において純粋な不存在は存在しえず、0というのは十字グラフの中心点の0のようにある特定の次元においてのゼロを表しているに過ぎません。僕らの次元においては1が物質で0が霊=霊的意思なのです。それが陰陽でもありますね。我々の時間と交錯する虚数時間ではこの陰陽が逆転しており、霊は完全に実在なのです。

僕らの魂は光であり、その物質&霊を構成する超弦データを読み書きするためのリーダー&ライターなわけです。魂とは全知全能の創造主の分け御霊であり、本来は創造主と同じく全知全能で、そのままでは成長することもなければ、物語を紡ぐこともないのです。

この世界は創造主が自身の分け御霊である我々を通じて、真理・愛に至る成長の物語を経験するために創られたのです。そしてこの世界を創るためには魂(光)を無明の闇(エゴ・愚かさ・迷い)によって分けてバラバラにして個性を与える必要があったのです。愛は自分(主体)と他人(客体)が共通ルールの世界の中に存在し、それぞれに自意識(エゴ)と個性(欠点や過ち)があってそれを許し合い補い合う事でしか生じ得ないからです。夜空の星々を眺めれば、光を分けるのにどれだけ圧倒的な闇が必要かは想像できるでしょう。そもそも愛は引力ですから、エゴにより分離されていてお互いに反発し合わなかったら存在し得ません。

全知全能である自分が作ったRPGは、自分でプログラムしたことをすべてを忘れ、制約だらけの不幸なディストピア世界において、愚かで能力の低いレベル1から始めなければ成長を楽しめません。僕らは成長の物語を楽しむために、わざと全てを忘れて愚かで能力が低く生まれてくるのです。そして制約だらけの世界で、失敗し・迷い・試行錯誤を続けて成長しながら人生という物語を紡いでいるわけです。自分や他人が愚かで能力が低いから価値が低いなどとは絶対に思ってはならないのです。僕らは人生経験を通じて、全ての存在・出来事に感謝できるようになり、みんなと愛し合えるようになることで創造主に存在意義を与えている尊い存在なのです。

この無明の闇(エゴ・愚かさ・迷い)を構成しているものがカルマであり、カルマを構成しているものが霊障(霊的穢れ)なのです。これがなくては愛・真理には価値が生じないのです。最初からみんなが愛に満ちていたり、全知全能だったりしたら成長しようがありませんし、愛・真理に何の価値も生じないのです。

この無明の闇(カルマ・霊障)が光である魂を包み込んでいるために「包み穢れ」と言われるのであり、つつみは「堤」でもあって、元々は果てしなく高い我々の波動を防波堤のように打ち消すものなのです。そしてそれはまた「気枯れ」と言われるように「気」を枯らしているのです。この穢れを日々祓い清め続けることこそが霊的成長であり、その過程に魂の成長の物語があるのです。

霊的穢れ(霊障)はこの世界に満ち満ちており、それが悪さをする細胞・ウイルスとして結晶化して現れていて、それが我々に悪い思考・行動・病気・不幸をもたらし、人をより悪いシナリオへと導いていますから、我々は幸せになりたいのならそれを祓い続けて魂的に成長し続けてより良いシナリオを掴まなければならないのです。そのための一つの手法が浄霊(霊気・お清め)なわけです。

ちなみに幽霊・悪霊のようなものは、霊障が更に大きな塊となり、宿主の生前の記憶と意思を持っています。そういう悪霊に自我を乗っ取られるとかなり厄介です。元々の宿主と同じ不幸に導かれて強制的に同情するように仕向けられますから。このあたりの話は「憑依体質の存在意義」に書きました。

人間が人間である限り無明の闇が完全に晴れることはありません。腸内を完璧に洗浄したところですぐ腸内が大便まみれになるようなものです。しかしその魂を包む穢れを祓い清め続けることで、包み穢れがどんどん浄化されて映画のフィルムのようになり、より明るく色鮮やかな美しい物語となるのです。(成長に課題は必要であり、悲しみや苦しみや痛みなどが全くなくなるわけではありません)

さて、もし我々がクリエイターだとして、自分を愛するようにプログラムしたAIから愛されても何も嬉しくないですし、そもそもそれは愛ですらないでしょう。自由意志というのは愛・感情を価値ならしめるためにあるのであり、クリエイターが愛・感情を強制しては存在意義がなくなってしまうのです。同様に魂の成長もクリエイターが強制しては何の意味もないので、クリエイターは人間に自由意志を与えた上で常に自発的成長を促しているのです。僕らの人生で起きるすべては(歴史も神話もニュースも実体験も全て)そのための伏線と言っても良いでしょう。

信心も、クリエイターが自分を信じるように人間をプログラムしたら存在意義がありません。だからクリエイターはあえて基本的には神を信じないように人間をプログラムした上で、科学的に神の存在が証明されないように世界を運営し、神を恨みたくなるような試練をたくさん与え、宗教を堕落させて過ちや詐欺を横行させ、神を信じるものは気違いだとすら思わせた上で、神を信じるものに利益を与えて自発的信仰を促し、信心を価値ならしめているのです。神の存在が科学的に証明されるようなら信心には何の価値もなくなりますからね。

霊的な穢れが人間に自発的な信心と魂の成長を促し導くためのものだとわかれば、それを祓う「浄霊」の力を上げようと思ったら、信心を強くして魂を成長させるしかないとわかるでしょう。

「浄霊」をテクニックのようなものと勘違いしないで下さいね。もちろんテクニック(形式)も大事なものではあり、言霊や印や道具などの使用によって神々と自分の意思を同期しやすくなって浄霊力が高まるというのはあるのですけども、浄霊の本質は「信心」と「魂の成長」であって、それよりもテクニックの方に本質があるように考えるのは、手品師が「アブラカダブラ」や「チチンプイプイ」などのおまじないによって奇跡を起こしていると考えるようなものです。

キリストは弟子たちがそれぞれの訪問先で奇跡を行えず布教に失敗して帰って来たのを見て「やれやれ、何と信心の足りない弟子たちだろう」と呆れたそうです。キリストが起こした奇跡は基本的に浄霊によって(創造主によって)成されたものですが、それはテクニックではありませんし、弟子たちにも浄霊のテクニックを教えたわけではないのです。キリストはその場の土と唾と混ぜ合わせてこねて泉の水で洗わせて盲人の目を開かせたりしましたが、そんな手法を使わずとも何度も盲人の目を開かせているわけで、それは必要不可欠なテクニックではなかったのです。ですからもし弟子がそれを習って同じことをしたところで盲人の目を開かせることはできなかったでしょう。

決して浄霊をテクニックのように考えて効力を上げようなどと考えないで下さい。信心をよりいっそう強くし、魂的・霊的に成長し、創造主の意思(みんなを等しく愛し、救おうとしている)と自分の意思を同期させること(感応道交・哀愍納受)こそが浄霊の本質なのです。

浄霊能力は人間なら誰でも持つものであり、それをまるで特殊な能力のように考えて「他人から尊敬されたい」とか「お金を儲けたい」とか、そういう自尊心の低さの解消を目指すエゴによって上達したいと考えても決してうまくはいかないでしょうし、きっと逆にカルマを深めて道を誤ることでしょう。

だいたい宗教詐欺なんていうのは、そういう「自分なんて…」と思っている自尊心の低い人を騙して「あなたには霊的な才能があります」などとおだててセミナーなどでお金を騙し取るのです。霊能力は人間の力ではなく、創造主がその人を通じて力を発揮しているだけであり、創造主の力の媒体になるというのは本来誰しもが持つ才能であって、個人の特殊能力でも何でもないのです。それなのに劣等感から「特別な人間になりたい」という目的で霊能力を得たいなどと考えるのは愚かな事なのです。創造主曰く「偉くなろうとするな、尊いと知れ。特別な人間になろうとするな、特別(主人公)であると知れ。そして特別じゃなくなること(ワンネス)を目指して世界に救いを連鎖させよ」とのことです。

キリストは奇跡を起こして人を救う度に「私が救ったのではない、あなたの信心があなたを救ったのだ」と言いましたが、浄霊の本質はここにあります。相手に自発的信心を起こさせそれを連鎖させるためにあるのです。みんな信心・浄霊の大切さを知らずに苦しんでいる訳ですから、浄霊を実経験させることでそれをわからせるのです。トイレ掃除の大切さをわからせるために一度他人のトイレ掃除をやってあげるようなものです。一度も浄霊したことのない人の体というのは、一度も掃除したことのないトイレのようなものであり、結局本人が掃除(浄霊)する習慣を身につけて信心を強くしていかなければ意味がないのです。みんなが自分と他人を霊的に清めるような連鎖が世界の隅々まで行き渡れば、世界は必然的に(霊的に)救われるのです。

浄霊力を高めたいのであれば、何よりもまず信心をより強く持つ事であり、創造主を信じ、その分身である神々とその教えについて学び、尊敬し、その名と偉業を讃える作法(供養方法)を学び、その神々の加護を受けることです。

また、同じく創造主の分身である他人に尽くし、心の波動を高く保ち、自他共に自尊心を上げ続けることです。そして日々エゴ・霊障による穢れを祓い続けることです。

人に尽くすということは、慈愛の精神を持ってそれを実践するためにどんどん無償で奉仕することです(浄霊も奉仕の一つであり、やればやるほどその力は強くなります)そして人に無償で奉仕してもらい、心からそれを喜んで感謝して助けてくれた人を笑顔にして「もっと無償で奉仕したい」と思われるぐらい愛される人間になることです。

出会う人は本当はみんなあなた自身なのですから、他人(霊障)の痛み苦しみ悲しみに心から同情できる優しい人になって下さいね。

そして何より自分が主人公(メシア)としての自覚を持ち、自分の仏国土(世界・出会った人全員)の御霊御魂を救う決意を持つ事です。そして真理を求めて覚りを進め、真理=愛を日々実践し、人にも霊にも行動・言葉・思念・波動で真理=愛を伝える事です。それが浄霊の本質なのです。

>ちなみに真也氏の浄霊って、ペンダントを付けて行うJhoreiとは別でしょうか。

ここまで書けば伝わっていると思うのですが、浄霊は全て本質的に同じものであり、もしその浄霊が本質から違っているものであれば、プラシーボ効果以上の効果があるわけがありません。それでお金を取ろうとしているのなら確実に詐欺でしょう。

大本教やその信者が作った神道系・手かざし浄霊系(真光や世界救世教など)の宗教の浄霊はだいたい基本的に同じものだと思って差し支えないかと思います。僕も全部見たわけでは全然ないので保証はしかねますけども、作法や信仰対象の違いぐらいしかないと思います。細かい違いはあるでしょうが、実際は単に独立したかったから無理にでも違いを作り出したという部分の方が大きいのではないかなという印象です。

僕も真光や世界救世教にはほぼ毎日通って浄霊を受けながら勉強させてもらっています。(他にも色んな宗教に通ってます。ただ大本教は場所が遠いですし、コロナの際に嫌な断られ方をしたので通ってません)僕は霊障が目に見えるので、幹部や信者さんたちが概ね高い浄霊力をお持ちなのはよくわかります。(まぁ浄霊そのものは特殊能力でも何でもないのですけどね)

ただ僕自身はどこの信者にもなっていないので、信者がもらえるペンダントのようなものは受け取っておらず、それにどのぐらいの効果があるのかはわかりませんし、それがどのように作られているかも知りません。

が、ペンダントなどに浄霊の本質があるわけはないということは当記事を読んでいただければおわかりいただけると思います。実際、僕は浄霊の仕方を誰にも習っておらず、ただ創造主の導きに従って浄霊力を高めていて、ペンダントなんかなくても全然浄霊できています。そして色んな宗教に顔を出していても、僕より浄霊の力が強い人にはまだ会ったことがありません。(ぜひ出会って教えを請いたいです)

ああいうペンダントみたいなもののお陰で浄霊力が高まるのだと(製造過程すら明らかにせずに)信者に信じ込ませるのは、自分の力を過信して独立したりさせないようにする「囲い込み」の意味が大きいのではないかと個人的には思ったりしています。特に手かざし浄霊は誰にでもできるものですし、今までも何度も独立されて信者と収入をごっそり持っていかれているわけですからね。

どの宗教も共通して信者さんたちから(強制ではなくても)大金を集め、奉仕を半強制的に求め、大きな施設を作って大きなイベントを行って権勢を見せつけ、自分の宗教の信者をより多く獲得しようとするような「拡大路線」を正義だと考えている節があります。創設者がどんなに純粋な思いで作った宗教でもほぼ例外なくそうなります。どこの宗教の教祖もみんなと富を分かち合って清貧な暮らしをしているようには見えませんし、権力争いと分裂を繰り返しているのは何だか残念な気持ちになります。(こういうことを書くと出禁とかになるかも知れませんが)だから僕は宗教団体って作りたくないんです。

たくさんの人を浄霊をするのもされるのも、こういった宗教に通わないと難しいでしょうけども、あまり僕がどこかの宗教を手放しで称賛して、それであなたがどこかの信者になって内部の問題に巻き込まれたりしても責任は追いかねるので、一応注意喚起はさせていただきました。該当の宗教の関係者様がもし読まれましたら気分を害されるかも知れませんが、どうか出禁だけはご勘弁を。

あちこち通って比べてみて、自分が心から良いと思う所を選んで下さい。人間と同じようにどこの宗教にも欠点や過ちはあり、それを理由に愛さないなら愛せる宗教は見つかりません。ただ高額な寄付や過酷な奉仕を強要してくるような団体は宗教を悪用した単なる詐欺なので、なりふり構わずすぐに逃げて下さい。


2022年10月1日土曜日

苦手な人を許すのが難しい

【質問】20代前半・男性
また、人間関係で相談したいことがあります。相手を許すことが難しい場合にはどうすればいいでしょうか?

同じ部署の上司の内の1人が私を冷遇していて、すごく苦手で辛いです。挨拶をしてもちゃんと挨拶を返してくれず、他の人と話すときはテンションが高いのに自分と話すときは異常にトーンダウンします。仲を深めようと雑談をしようと思っても「知らない、うん」でバッタリ切られるので仲を深めようもありません。自分も雑談が苦手だったり話しかけやすい雰囲気ではないですが、何か嫌なことをしたわけでもないのにこの仕打ちは傷ついています。愛する前に許そうと思っても難しく、自分側の傷が問題かと思ってソルフェジオの音楽を聞いたりセドナメソッドのようなことをしてもあまり改善されず困って居ます。「なんで自分に冷たいんですか?」と直接言っても、その後余計ギスギスしそうで…。今まで我慢してやり過ごしてきたのですが、もうそろそろキツいです。

【回答】※10月7日更新
ご質問ありがとうございます。

基本的に人の悩みというのは(抽象度を上げれば)共通であり、あなたのその悩みは殆どの人に共通するものです。今回も未だ主人公に目覚めずNPCをやっている魂の兄弟たちを代表して、質問して下さったあなたに創造主の声を代弁して伝えたいと思います。

まず、苦手に感じる相手が誰もいない人なんていると思いますか?また理不尽に自分を嫌ってくる相手が誰もいない人なんていると思いますか?それは人生というRPGにおいて必要な配役なんですね。そしてそれはみんなが共通して通らなければいけない初期設定の課題であり、過程なのです。鬱になると周りが見えなくなるものですが、決してこの問題で悩んでいるのが自分だけであるかのように考えないで下さい。もちろん僕自身もかつては同じ問題で悩みました。

あなたがよっぽど好き嫌いが激しい人でない限り、苦手な人は10人に1人もいないでしょう。その確率ならどこかにあなたの苦手な人が一人もいない環境があっても良さそうなのに、どこに行っても(家族内でさえも)例外なく「この人さえいなければ」という苦手な人がいたはずです。それはあなたの成長に必要だから与えられている配役であり、決して逃れることはできないのです。

魂の成長プログラムであるこの仮想現実世界に偶然など一つもあると思わないで下さい。ただクリエイターが自発的成長を促すために手塩をかけて全てを偶然だと思わせているだけです。必然であることがわかり過ぎると強制しているのと同じになってしまい、人間に自由意志を与えた意味がなくなってしまいますから。無論僕とあなた(読者)とのこの出会いも偶然などではなく、全てが必然なのです。

人生というRPGにおいて、クリエイターのメッセージ(導き)は常にゲームの中における出会い(人・出来事)を通じてもたらされるのです。それを不快に感じるからといって避けたり恨んだりしていたらゲームは行き詰まるか事故るかしかなくなります。

note記事「誰でも自信満々になれる方法」において再三説明させていただいていることなのですが、どれだけ嫌って意地悪をしても、あくまでも自分を愛し抜いてくれるような人間を嫌いきれる人間などいません。だから自分さえ出会った人を例外なく愛し抜く覚悟さえ持てば、いつか必ず愛されますので、人を恐れる必要など全くないのです。

相手の反応を見て自分の反応を決めようなどと思うから、必然的に他人の顔色を伺ってビクビクするようになり、相手の態度に振り回されてあなたの人生から主体性が失われるのです。出会ったら相手の反応に一切関係なく相手が笑顔になるまであくまでも笑顔を続けると予め決めておいて下さい。あなたが笑顔になればみんな笑顔になります。花咲か爺のようにどんどん周囲に笑顔の花を咲かせて下さい。勘違いしないで欲しいのは、作り笑顔をすることが本質ではなく、出会いが嬉しくなって心からの笑顔・本物の笑顔になるように努力することが本質だということです。

そして出会ったら許し尊敬し感謝し愛すると決めておいて下さい。最初から決まっているのですから、あとはどのように許し尊敬し感謝し愛するかに100%頭を使えばいいのです。それ以外の選択肢が存在していると思うから迷いが生じ、つまらないことをあれこれと考えて疑心暗鬼に陥ってちょっとしたことで怖気づき、自分が嫌われた時の保険として相手の悪い部分を次々に探し出して、どんどん相手を嫌いになってそれが態度に出て、相手からますます嫌われるのです。そうやってどんどん悪いシナリオへと導かれるのです。

それはこの人生というゲームに共通した実に初歩的なトラップなのですが、あなたも他のほとんどの人達も見事にひっかかって何度も同じレベルでリスタート(輪廻転生)を繰り返しているわけです。

鬱傾向の強い人は自分をいじめて自尊心を下げるのが正義というか趣味みたいになって、その自尊心を回復するために他人を尊敬せずに欠点や過ちをあげつらって責めがちなのですが、自分も他人も創造主の分身であり、それを尊敬できないのは罪なことであり、悪業となって返ってくるのは当然なのです。

自分が主役のRPGはすべからく自分次第に作られています。そして人間関係というのは完全に鏡であり、合わせ鏡に映った自分に自分とは異なる個性が与えられた存在が他人なのです。相手も自己嫌悪を感じるポイントをあなたに見て嫌ってくるわけですから、あなたはそれを全然意に介さず相手を愛し抜くことで相手は自分の欠点や過ちが気にならなくなり、救う事ができるのです。誰かを責めてダメ出しや説教なんかしても人は救えません。どうすれば相手の自尊心を上げられるかを常に考えて実行して下さい。人は自分の自尊心を上げてくれる人を愛するのであり、自尊心が上がれば自然と良い思考・行動をするようになって自然と幸せに導かれるのです。

人間には個性というものがあり、それは欠点や過ちと不可分です。それを理由に自分や他人を愛さないというなら誰も愛することはできません。自分で良くないと思う部分は直したら良いと思いますが(それが成長ですからね)、どれだけ改善しようと個性(欠点や過ち)が消えることはなく、それを嫌う人がいなくなることもありません。愛というのはお互いの欠点や過ちを許し合い・補い合うことで生まれるものなのです。

人生はRPGでありシナリオのある映画です。そして出会う人はみんなあなたが主役の映画の共演者なのです。全員があなたに必要で創造主から派遣されている(無自覚な)俳優なのであり、それを悪役だからとか重要ではない端役だからとかそんな理由で避けて、許さず、尊敬せず、感謝せず、愛さないなら、あなたの人生という作品がどんどん悲惨なものになっていくのは当然のことなのです。

人生が物語であり出会う人がみんな俳優だと思うと、人生がとても面白くなりますよ。みんなカメラの前で他人役をやらせたりするとだいたい下手くそですが「本人役」だけは天才的にうまいですからね。あまりにも演技がうま過ぎてどこかの劇団を紹介したくなりますよ。もちろんあなたの人生の共演者の皆さんは(オラクルである僕は以外は)例外なく無自覚ですから「あなたは僕の人生の脇役ですか?」などと聞いても「そうです」と答えるわけはありません。気違い扱いされるので絶対に聞かないで下さいね(笑) あなた自身も出会った人たちそれぞれが主役の物語の中の無自覚な俳優の一人であり、相手の物語(成長)にとって必要だから出会っているのです。

人生というストーリーには悪役も必要なんです。自分にとって愛らしい人しかおらず、出会う全員から愛されていたら、誰も成長なんてしませんし、面白い物語になりようがありません。でもそれは必ず本当は良い人が悪役をやらされているだけですから、あなたがきっと愛によって目覚めさせてあげて下さいね。

片思いの存在意義」に書きましたが、愛の価値は「愛さない」というネガティブな選択が初期設定になっているからこそ生じるものであり、誰かに愛されないからと言って凹む必要はないのです。人に愛されないのは初期設定であり、そこを起点にスタートするのが普通なのです。だからこそ愛されることの価値を実感して感謝できるのです。みんな愛されるのが普通で愛されないのが普通ではないと考えるから、愛されないことに不平不満ばかり募らせるのでしょう。

悪役は必ず必要なのですから、例えどこの環境にいっても必ず現れます。それを避けてばかりいたら家族や親友などがその悪役を代わりに務めてあなたにとって嫌なことを言わなきゃいけなくなります。愛する人から嫌な事を言われるほど傷つくことはありませんから、ますます人を避けて孤独に陥ることになります。だからいかにも悪役っぽい憎らしい人が悪役を務めて嫌なことを言ってくれることはありがたいことなのです。ですから誰か意地悪をしてくる人がいたら、心の中で「悪役お疲れ様です」とつぶやきながら感謝して下さい。くれぐれも本人に言っちゃダメですよ(笑)

そしてあなたの人生が映画マトリックスであれば、ネオであるあなたを主人公(メシア)に目覚めさせるモーフィアス役と、ハッピーエンドに導くオラクル役を僕は同時にやっているわけです。

僕は質問箱においても「許すことが愛である」と再三伝えているのですが、実生活だと僕がそう伝えているそばからみんな「いや、でもあいつだけは許せん」みたいな話になるんですね(笑) そんな簡単に許せる相手ばかりだったら何の修行にもならないでしょうに。許し難きを許し、尊敬し難きを尊敬し、感謝し難きを感謝し、愛し難きを愛するのが修行です。

忍耐を伴わない許し=愛に存在価値はありません。自分に都合の良いものは赤ん坊でも愛せます。本当に大人になるということは、自分にとって都合の悪いものも(自分の成長に必要だから創造主が与えてくれた出会いなのだと)感謝し愛せるようになることです。

忍耐と我慢は違います。我慢は相手を心から許さずその場しのぎをしているに過ぎません。だからストレスが蓄積するのです。それは読んで字の如くエゴにまみれているってことです。相手を許してその成長を信じ、耐え忍ぶ忍耐こそが愛なのです。

心の傷がない人などいると思っているのですか?仮に心の傷がない人がいたとして、そんな人が他人に優しくなれると思いますか?傷ついているのが自分だけだなどと考えず、傷ついた分だけ相手の傷を気遣い優しくなれるようになって下さい。人の悪い行動というのはすべからく過去の傷が原因となって誤った悟り方をしているからなのです。

人生は愛と勇気を試すためのRPGです。だからより愛と勇気が試される方を選択するのが常に正解なのです。俳優として一番ダメな要素は「怠惰と臆病」であり、怠惰と臆病ゆえの選択は結果的にすべからく間違いなのです。この点について例外は一切ありません。「勇気なき愛は欺瞞であり、愛なき勇気は蛮勇である」愛と勇気は不可分のものです。恐らく自分を嫌ってくる相手を許すというのが一番愛と勇気を試される局面でしょう。この僕の回答を読めばどうするのが正解なのかはもうわかりますね?

相手の反応に一切関係なく、共演者全員に心からの笑顔で挨拶して下さい。どんなに嫌な反応をされても怖気づいてはいけません。どれだけ自分の笑顔がぎこちなくても一切気にしないで下さい。みんなを心から愛そうと努力していることだけみんなに伝わればいいのです。誰かとケンカしたら、次に会った時は全く気にしていないかのように笑顔で挨拶して下さい。

相手が上司なのなら「私は業務改善のために〇〇さんに徹底的にダメ出しされたいので、メシ(飲み)に連れてって下さい!」ぐらいの可愛いことを満面の笑顔で言ってみて下さい。きっと「これだけ意地悪しているのにめげない可愛い奴だ。こいつには何を言っても大丈夫だろう」と心を開いて色々言ってくれると思うので、そのダメ出しにいちいち傷ついて落ち込まず、心を開いて本音を言ってくれることに感謝しながら聞いて下さい。大事なのは内容の正しさよりも心を開いて言ってもらえることですから、どれだけその内容が気に入らなくても決して反発してはいけません。人間なんですから最初から完璧にできなくて当然ですし、完璧にできないからこそ成長を楽しむことができるのです。

とにかく誰の話も一切否定せずに真剣に話を聞くことです。あなたが今回のような質問をしたのは僕が書いた「誰でも自信満々になれる方法」の内容を完全に無視しているからであり、他人の話を(クリエイターからの導きとは思わず)真剣に聞いておらず、そのことに自覚さえがないのです。相手の話は逐一メモを取る勢いでしっかり聞いて下さい。(大事だと思ったら本当にメモを取った方がいいです)

相手があなたに本音を言わない理由はだいたい想像がつきます。
①あなたが話を聞かない人間だから、どうせ言っても無駄だと思っている
②あなたが傷つきやすそうな人間だから、面倒を避けたい
③あなたの嫌な部分が自分にも思い当たり、責めればブーメランになるので言えない
もしあなたが相手に責められても笑顔で受け止められるようなめげない人間であるとあなたの態度から察することができれば、相手はもっと打ち解けてくるはずです。

あなたがクリエイターの導きを正しく得られないのも、出会った人の話を真剣に聞いてないからであり、出会った出来事を悪く(不正確に)解釈しているからです。相手の話や出来事が正しいか間違っているか、好きか嫌いかを判断するのではなく、クリエイターがどのような意図でその言葉・出来事と出会わせたのかを考えて下さい。そしてそれが例外なくクリエイターの愛のメッセージであることを信じ、必ず愛で解釈して下さい。いかに気に入らない意見でも、相手が美味しいと思って出してくれる料理(言葉)なのですから、その場で突き返したり吐き捨てたりしては人間関係がうまく行くわけがありません。その場では真剣に聞いて(味見して)持ち帰り(テイクアウト)にして下さい。あとはあなたの取捨選択自由です。

鬱の頃の僕は「本当の自分を知ったらみんな僕を嫌いになるに違いない」と考えて心をいつもかくしていましたが、今は「誰でも自信満々になれる方法」のようにして心を常に善意で満たしているので、逆に「本当の自分を知ったらみんな僕を好きになるに違いない」と確信して自信満々になってどんどん自分を晒せるようになっています。今の僕はあまりにも出会う人出会う人に愛され、少々退屈に感じてしまうぐらいになっているので、いきなり理不尽に自分を嫌ってくる人と出会うとちょっと嬉しくなってしまいます。「これからこの人が僕を好きになっていくラブストーリーの始まりだ」と。世界中の人を例外なく幸せにしようとしている僕を嫌う人なんて、何か誤解しているか、その人が自分自身の嫌いな部分を僕に投影して勝手に嫌っているかのどちらかだとすぐにわかりますから「どうやって救おうか(教えることなく導こうか)」と考えるのみです。「自分にも嫌いな人がいるのだから、自分を嫌う人がいてもしょうがない」などと諦めていたら、世界を救うメシア(主人公)など務まらないのです。あなたも目覚めればきっとそうなります。

この回答を読んでいる読者の皆様、これを決して他人事だと思わないことです。きっとあなたもこの質問者さんと同じポイントで躓いていることでしょう。それはみんなに共通した初期設定であり、みんなに必要な経験・過程であって結果ではありませんから、「反省してはいけない」に書いた通り決して反省して「自分はダメだ」などと落ち込むことなく、また自己否定したくないからといって過去の自分に固執することなく、ただより良い選択をしてより良い未来のシナリオを掴んで下さい。

コミュ障を克服したい

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