【質問】
真也さん、いつもありがとうございます! note、ツイッター、質問箱を繰り返し読ませていただいてます。色々な気づきがあって、起こる現象を前向きに捉えられるようになりました!
質問があるのですが、片思いはどのような意味があるのでしょうか?
【回答】※9月5日更新
ご質問ありがとうございます。
それを理解してもらうためには創造主がどういう存在なのか・感情とはどのような仕組みになっているのかをかなり深く理解してもらわないといけなくなるため、説明がとても大変な上に伝わるかどうか全くわからないのですが、いつも通り全力でトライしてみます。
創造主は存在の全てであり、全知全能で全てが思い通りになる存在です。それがどれほど退屈なことかを我々に想像することは難しいのですが、例えば何かのRPGにおいて主人公であるあなたが全知全能だったらどれほど退屈でしょうか?すべてのルール(設定・制約)やシナリオや登場人物などすべてが無意味になり、結局それらを一から自分で再構築しなければならなくなります(つまり自分がプレイヤーではなくクリエイターになります)。それを考えれば少しはイメージできることでしょう。
僕らは創造主の分け御霊であり創造主の一部なのですから、深く瞑想したり明晰夢を見ればそのような全知全能の魂の記憶を垣間見ることができたりします。また臨死体験で何でも思い通りになってすぐつまらなくなるという経験を話す人は結構多いです。何でも思い通りになることが楽しめるのは思い通りにならない経験を思い出せるうちだけです。我々の「思い」自体が、思い通りにならないこの世の経験を起点にして構成されているものであり、それがなければ思いは生まれないのです。
僕らは思い通りにならない人生を経験し、魂の成長を楽しむために生まれてきているのであり、そのためにわざと世界は制約だらけになっており、人間には能力に制限があって、欠点が多く必ず過ちを犯すようにできています。それが個性の基盤です。「宇宙の仕組み」の冒頭に書いた通り、自分で作ったRPGは全てを忘れた上でレベル1から始めなければ楽しめないのです。
唯一の存在である創造主にとって他の存在は存在しないので、そのままでは愛したり愛されたりはできません。そもそも欠点がなく過ちを犯さない存在なので、愛を必要ともしません。欠点や過ちは愛の必要条件なのです。創造主は自らの存在意義として愛という概念を生み出し、それを経験するためにこの世界を創ったのです。
そして意識を無数に分離し、神々や人間などのアバターを創って自分が創造主であることを忘れ、欠点がたくさんあってたくさん過ちを犯す次元の低い存在として、そしてそれらを許し合い助け合い愛し合う存在として、それぞれの見地から愛・成長の物語を楽しんでいるのです。もちろんそれはあなた自身もあなたが出会う人々もあなたの知る神々も同じです。
どんな概念も経験が伴わなければそれは言葉に過ぎません。愛も経験が伴わなければただの言葉です。創造主は自らが生み出した愛という概念を自ら経験するために人間と世界を生み出したのです。あなたの人生=愛であり、世界はあなたが自分=愛を経験するためにあるってことです。
決して次元が低い=存在価値が低いということではなく、すべての存在がひとつなぎで等しく価値があるのだということは大事な点なので忘れないで下さい。神々に存在価値があるのはそれを尊敬し感謝し愛する人々がいるからであり、それは人間同士の関係においても同じだということです。
さて、インド神話にこんな話があります。宇宙の創造主であるブラフマーがサラスバティーを創り、そのあまりの美しさに妻に娶ろうとしたのですが、父親と結婚などしたくないサラスバティーは逃げ続けます。しかしブラフマーは自らの顔を四方に増やし、常にサラスバティーを見れるようにして地の果てまで追いかけます。そしてついにサラスバティーは観念してブラフマーの求婚を受け入れたのでした。
全知全能の創造主からすれば自分を愛するように人間を創ることなど造作もないことです。でもあなたがクリエイターだとして、自分を愛するようにAIをプログラムしてそのAIから愛されて嬉しいでしょうか?そもそもそれは愛と呼ぶことすらできないでしょう。
自由意志というのは愛(感情)を存在価値ならしめるために人間へ与えられたものであり、わざと他人(神々も含む)の思い通りにはならないように作られているのです。感情を他人が強制できてしまったら感情自体に存在意義がなくなってしまうのです。(だから誰かに愛されなくてもそれが初期設定であり起点なのですから凹む必要はないのです)
最初から神を信じるように人間を創ったら信心に存在意義はなく、信じないというネガティブな選択がデフォルト設定になっています。だから神は科学的に存在証明されないように周到に世界を作っています。宗教に間違いを犯させ、また宗教を利用した詐欺などを横行させて、神を信じる人間は気違いだとすら思わせます。そういう中で人間が自由意志により自発的に信心を起こすからこそ信心には存在価値が生まれ、神々は嬉しくなれるのです。
そして我々は先ほどのサラスバティーの例のように「愛さない」という選択がデフォルト設定に作られているからこそ愛には価値があるのです。尊敬や感謝などポジティブな感情というのは全てそのようになっています。やはり「尊敬しない」「感謝しない」というネガティブな選択がデフォルトなのです。
繰り返しますが他人が感情を強制できたら感情に存在意義はありません。だから感情というのは他人から強制されると必ず反発するようにできているのです。例えば「私を愛しなさい」「私を尊敬しなさい」「私に感謝しなさい」というように言われたら逆の感情が湧きますよね?もちろんそこまでダイレクトに感情を他人に強要するような愚かな人はなかなかいないでしょうが、みんな無意識かつ遠回しにやっているのです。我々は家族や恋人に愛情を当然の権利のように強要していたり、自慢話をして尊敬を強要していたり、「〇〇してあげたのに」などと恩着せがましく考えて感謝を強要していたりするように初期設定されているのです。人間は愛(尊敬・感謝)を求めて生きるようにプログラムされているのですから、これは宿命と言って良いでしょう。それは神々でさえそのように作られているのですから、愛(尊敬・感謝)を求める本能を否定することは誰にも不可能なのです。「無意識に感情を相手に強要してしまう」多くの人間関係の問題の根幹はここにあると言って良いでしょう。
じゃあどうすれば良いかというと「誰でも自信満々になれる方法」に書いた通り、愛(尊敬や感謝などのポジティブな感情)というものを絶対に相手には強要せず、一切見返りを求めずに無条件で自分から与え続けることです。そうすることで自然と人から自発的に愛され尊敬され感謝されるようになるのです。
あなたが出会う人はきっと許しがたい人、尊敬しがたい人、感謝しがたい人、愛しがたい人が多いことでしょう。でもそれはあなたの成長のために与えられた課題であり、それを一人ひとり克服するのが魂の成長なのです。あなたが出会う人の正体はすべて創造主の分身であることを忘れないで下さい。そしてあなた自身も本当は創造主の分身なのですから、自尊心を高く持つと同時に、出会った人を同じように尊敬して出会いに感謝して愛して下さい。
「反省してはいけない」に書いた通り、「どうせ自分なんて」などと考えると行動のレベルが下がってますます自己嫌悪に陥るので、決して自分の自尊心も相手の自尊心も下げずに、どうやったら自分と相手の自尊心が上がるかを考えて実行・改善し続けて下さい。そうすれば必ず人から愛されますし、自分でも自分を好きになります。
片思いというのが過剰に苦しくなる理由は他者評価依存による自尊心の低さなのです。自分自身を愛せていないのに自分の好きな人に愛されることによって自分の自尊心を満たそうとしても決してうまくいかないのです。エゴによって自分に都合の良いものだけを愛そうとし、出会うすべての存在・出来事を許し愛せないなら、すべての存在の根幹たる創造主の愛を十分には受け取れないのです。
創造主曰く、この世界は自分で自分に都合の良い相手を探して選ぼうとするとうまくいかず、ただ無条件で人を愛した方が自然にベストな人から選ばれ結ばれるようにできているそうです。すべての縁は創造主が与えているものですから当然ですね。だから創造主(すべての存在)に愛されるような生き方をした方が素敵な縁に恵まれるのでしょう。このあたりは今独身で修行中の僕が言うと全く説得力がありませんけども。
恋がうまくいくかいかないかは最初から決まっていて、成就する時は(わざとダメにするようなことをしなければ)どうやっても成就しますし、成就しない時はどうやっても成就しないなのです。でも向こうから来ない場合はこちらから行かない限り確実に成就しません。だからウジウジ悩むよりとりあえず行くべきなのです。それはいきなり告白するという意味ではなく、コミュニケーションを取るという意味です。それだけでどうやったって好意は伝わりますから。
存在の全ては創造主であり、ひとつなぎ(ワンネス)なのです。なのに自らの愛情に条件をつけて身勝手に好き嫌いを言うから逆に他人から条件を付けられて愛から弾かれるのでしょう。創造主の愛は基本的に人を通じて与えれるものであり、自分に都合の良いものだけを愛そうとすると創造主の愛が十分に受け取れなくなるのです。
全ての存在の大元(デフォルト)は無限の可能性が無限にあるだけの、まるで芸術の素材だけが無限にあって芸術が存在しないような、とてつもなく退屈で無意味な世界です。可能性というのは結実点があって初めて意味を成すものであり、それを意味によってつなげたものが芸術なのです。
この世界は芸術を創るためのものだとも言えます。芸術が世界の存在意義を成しているのです。人生とは芸術そのものであり、全ての要素が無限では芸術には成り得ません。芸術とは人々に共通して与えられたルール(制約・可能性の制限)と可能性の結実によって作られるものなのです。これは素材を削って作る彫刻のような芸術を思い浮かべればわかるはずです。ただ素材(可能性)が無限にあるだけでは意味がないのです。
物質世界というのは人々に共通した制約(ルール)を与えて、可能性を結実・事象を具現化することで様々なドラマを生み出し、そこを起点に更に想像を広げさせて精神世界を豊かにするためにあるマテリアルなのです。
人々に共通ルールがなくてはドラマは生まれませんし、他者と何も伝達・共有することができません。トランプにしても共通のルールがあるから楽しめるのであって、一方がポーカーをやってもう一方がブラックジャックをやるというのでは成立しません。そして制約(ルール)がなく全知全能のままでは、思い(想像)を広げる起点すらがなく、存在意義のない無限のカオスになってしまいます。
だから前述の通り、元々の世界は思い通りになるのがデフォルトであり、そのままでは全ての存在に意義がなく退屈なだけなので、思い通りにならないように作られているのです。片思い(思い通りにならない経験)があることにより、両想い(願いが叶う経験)に価値が生まれているのです。この世界のすべては陰陽のように二元的に存在するものであり、両想いに価値があるなら片思いにも価値があるのです。片恋の痛みにはちゃんと意味があり、両想いになった相手をより大切にするようになるとか、人の悲しみや痛みに同情してより愛し合うことができるようになるとか、成長の為に与えらえているものなのです。そしてそれゆえに人生は芸術として成立しているのです。
そして人間はみんな個性(欠点と過ち)のある存在であり、憧れの人であればあるほど実際に付き合ったら大なり小なりそのギャップに失望するものです。片恋で終われば相手が年老いて醜くなっていく姿も見ないで済むわけで、それは自分に都合の良いものしか愛せないような人にとってある意味では幸いなこととも言えます。
片思いをしていれば実際のその人を起点に様々な想像を広げることができます。それが人の精神世界を美しく豊かにしているのであり、憧れには価値があるのです。それは「相手を自分にとって都合よく理想化して勝手に憧れる気持ち」というただのエゴのようでも、実は価値があるものなのです。思いが叶うばかりが幸せなことではありません。失恋すればそれと引き換えに憧れ(豊かな精神世界)が手に入ると考えて下さい。現実のその人よりあなたのイメージの方が絶対に美しいのですから。
そして現実のパートナーを創造主が与えてくれたベストな運命の人だと信じ、ひたすら尽くして相手と自分の自尊心を同時に上げ、相手を世界で最高のパートナーにして下さい。そうすればきっとお互いに世界一幸せになります。決して身勝手に現実のパートナーと憧れの人(自分の勝手な想像の産物)を比べて不平不満を言いませんように。「恋敵 譲れば良かった 今の妻」というサラリーマン川柳みたいな人生になりませんように。相手の欠点や過ちはあなたがそれを許し補い愛するためにあり、あなたに存在意義を与えているのです。
何度も言いますが、全ての存在はワンネスなのであり、パートナーはまさに自分の鏡であり、その人に段々幻滅したりするのは自分の成長が足りないからです。人間は歳をとって醜くなるほどより純粋な愛情を必要とする生き物であり、決してSEXや結婚などをゴールだなどとは考えず、成長を続けなければならない(愛を与え続けなければならない)定めなのです。
因果は時空を超えたものであり、常に上書き更新が行われています。もしあなたの恋がずっと実っていないのだとしたら、過去や未来で現実のパートナーと勝手な憧れ像を比較して欠点や過ちを責めて不平不満ばかり募らせて不幸にするような人だからかも知れません。
もしそれを悲しい事だと思うのであれば、魂のトレーニングだと思って出会った人を(恋愛とは関係なく)無条件で例外なくひたすら愛する日々を重ねて下さい。すべての正体は創造主であり、好き嫌いを言っていると全ての存在から愛されなくなります。周囲の人から愛されないことで自尊心が下がっているのを全部恋人に補ってもらおうとしても無理があるのです。
愛情に条件をつけて自分に都合の良いものだけを愛そうとすると、自分も他人から条件付きでしか愛されなくなり、いつか都合が悪くなれば捨てられて孤独に陥るのです。自分に都合の良いものは赤ん坊でも愛せます。真に大人になるということは、自分に都合の悪いものも含めてすべてを愛せるように成長していくことなのです。
実るばかりが恋ではありませんし、片思い・失恋も価値がある経験なのですが、あなたは年齢を重ねてもただ単にエゴで己の想像をたくましくしてよく知りもしない異性に勝手な妄想で憧れ、拒絶され失望させられ孤独になるために生まれてきたのか、欠点も過ちもある現実の人間(他人=自分)を心から愛し抜いて幸せになるために生まれてきたのか、よくよく考えて、幸せな人生にして下さいませ。