2022年9月30日金曜日

アヤワスカとは何か?

【質問】20代前半・男性
アヤワスカでは何が得られるのでしょうか?またDMTとはどのような意味を持つのでしょうか?

ヴィジョンは見られるのですが、現実に役立てても良いのでしょうか?ヴィジョン自体は沢山見てきたのですが、現実と同じように扱えませんでした。アヤワスカのヴィジョンは絵にすれば良いのでしょうか?世界を変えたいと思い、死にかけながらもたくさんのことを霊と話しました。結局、自分・等身大の課題に戻ってきてしまいました。

ブラジルに行こうと思いましたがワクチンの関係で行けませんでした。仲間のシャーマンにも、青井さんにもこれから会いに行こうと思っています。

ひふみ神示は読めません。お寺に行くにはまだ早すぎる気がします。正直に言うと、世界の真理も知りたければ、女性関係も満足したいと言う傲慢っぷりです。修行ができるほど覚悟もないですし、未だ霊障に悩まされています。国内で生きるか海外で生きるかすら迷っており、親子関係も良好にできず、お金もなく困っている状態です。どうすれば良いでしょうか?

【回答】
質問文の内容がかなりわかりにくかったので、勝手ながら僕なりに修正させていただきました。返信が大変遅くなり申し訳ございません。

多分アヤワスカ・アナログで意識変性状態で当質問文を書かれたのだと思いますが、もしシラフで書かれたのでしたら、大変失礼ながら精神(意識)分裂的=統合失調症的な印象を受けました。

ブラジルにはワクチンを打たなくても来れますし、アヤワスカの儀式は借金してでも受ける価値があるものだと僕は思いますが、もしあなたが統合失調症なのでしたらアヤワスカの禁忌症なのでNGです。アヤワスカは一時的に魂を自我から解放する効果のあるもので、普段から自我を正常に保てないほど霊障に犯されている人には余計にそれを助長して自分が自分ではなくなってしまうのです。自我からの一時開放は、戻ってこれる場所がしっかりしてなければ危険なのです。

アヤワスカは様々な精神病や依存症に効果がありますが、その寛解率は3割強程度です。カルマが深過ぎる人には効きませんし、統合失調症の方などには逆効果になったりすることもあります。アヤワスカが決して万能でないことは心得ておいて下さい。

あなたは現在かなり霊障に犯されてしまっている方のように感じます。霊障というものについて正しく理解している人はこの世界にまずいません。「憑依体質の存在意義」を読んでいただけると幸いです。

そこに書いたように、「自分」というものが最初からあると思わず、芸術作品のように作り上げていって下さい。どんな時でも自分らしくあるように、自分との約束を守り続けて下さい。そして日々霊的な穢れを清めて霊的成長を目指して下さい。「悪いカルマの解消法

アヤワスカは人生の課題に正しく向き合うためのものであり、課題から逃げるために使ってはかえって霊障に犯され易くなるだけです。「アヤワスカを現実に活かして良いか?」とのご質問ですが、当たり前です。逆に現実に活かせないのならただの幻覚遊び・現実逃避になってしまいます。

僕はヴィジョンを絵にした事はないです。そういうのは絵心のある人の役割なのではないかと。ビジョンは心の文様みたいなものであり、それを現実に直接生かすってことはないです。僕はあくまでも与えられた覚りをみんなに言葉で伝え、経験しなきゃわからない事は経験に導くのが使命だと思っています。大切なのは真理そのものよりも、それを目指す過程にある人生経験ですから。

なぜ日月神示の話が出てきたのかわからないのですが、日月神示などは別に読めなくても何の問題もないと思います。僕自身も断片的にしか読んでないです(内容はだいたい理解できます。いつかnote等で解説するかも知れません)。

あなたは何か修行というものを出家して世俗と欲望を完全に捨て去って寺や山に籠るようなイメージをされているようですが、それは違うと思います。僕自身そんなことはしていません。みんな自覚がないだけで、人生は修行そのものなのです。煩悩だらけの俗世において自分を律するのは大変な事ですし、家族関係も含め人間関係は修行の最たるものであり、俗世での成長の大変さと比べれば、山や寺に籠ってするような修行は逃げにも等しいものだと思います。(それに寺に入ったところで人間関係の難しさは変わらないどころかもっと難しいかと)

男性であるあなたが女性を求める事自体はあなたに必要な過程であって悪い事だとは思いません。僕が23歳の頃は女性を求めまくっていましたしね。僕は女性に満足する事は有り得ないと経験上知っていますが、それは(興味があるのなら)経験して知るべき事だと思います。

世界を変えたいと思う事自体はとても素晴らしい事ですが、世界はすべからく自分次第に作られていますので、他人を変えようとせず自分の成長を目指して下さい。それは「離婚について」において再三ご説明させていただいた通りです。

さて、最初の質問についての回答が最後になってしまいますが、アヤワスカが何かについてはこちらの記事「サンパウロでアヤワスカ」においてある程度解説させていただいています。多くのシャーマンが言うように、アヤワスカは優れた教師であり、必要な導きを当人に自ら覚らせる形で与えてくれるものだと僕は思います。アヤワスカは人によって何が起きるかは違いますし、同じ人でもやる度に効果が違いますし、当人の状態、儀式の環境や主催者、アヤワスカの成分や製造方法など様々な要因で効果が変わりますので、条件を完全に揃えることは不可能です。そういうものなので、アヤワスカが何かということを僕個人で決めつけることはできません。当人が経験して当人なりに答えを出すべきことだと思います。

ちなみに僕はアナログの経験がないので比較を求められても答えられません。ただ日本において、きちんとした経験豊富なシャーマンの元ででなく個人で適当に疑似物で儀式をやるのはおすすめしません。そもそも違法ですし、青井さんも地裁で有罪になりましたから、救急車で運ばれるようなことがあれば逮捕されて懲役になりかねません。

松果体というものは人間というアバターのアンテナのようなものであり、DMTはその分泌・吸収量によって受信周波数帯(世界の認識の仕方)を変える事ができるものだと僕は思っています。DMTは元々体で常に微量分泌されていて、臨死状態になると大量に分泌されるものですから、その実態から考えてもそう考える他ない気がします。

DMTの純粋な結晶で行う儀式もあるのですが、意識変性の時間は非常に短く、意識変性が深過ぎてかえって記憶に残りにくいです。値段もアヤワスカより高い(集団の儀式で約1万円、個人の儀式ではその倍程度高くなります)です。その上アヤワスカのような神聖さはあまり感じられず、乗り越えるべき苦しみがないので精神鍛錬にならず、吐き気もほぼなくて浄化作用も感じられません。ほとんど幻覚遊びと言っていいでしょう。ので、個人的にはおすすめしていません。

親子関係がうまくいってないことは、殆どの精神病患者に共通しています。まともに働けませんから、お金に困るのも当然でしょう。まずは浄霊を受けられて信心を起こしカルマを軽減されることをお勧めします。「悪いカルマの解消法

2022年9月26日月曜日

話を聞かない人をどう救う?

【質問】 30代前半・女性

いつもTwitterや質問箱を見て色々勉強させてもらってます。今日は思いきって質問してみたいと思います。

私はアルコール依存性、薬物乱用、摂食障害、反抗挑戦性障害などの精神疾患を抱えて生きてきました。人付き合いを苦痛に感じ、生き辛く、20代後半で自殺を考えるまでになりました。愚かな私はそんな絶望の淵までいって、やっと自分の今までの行いを反省するようになりました。

そんなある日ふと目に止まった『腸内細菌や腸内環境が脳と密接に関連している』旨の記事を読みました。そこからは毎日論文を読み、人体における腸の重要さを思い知り、徹底的に食事や生活を見直し、5年経った今は全ての精神疾患、更にたくさんあったアレルギーや、息子のアトピー性皮膚炎まで完治させる事が出来ました。以前とは比べ物にならないほど家庭が明るくなりました。

そして自分が元気になって初めて気付いた事があります。それは自分以外の多くの人も精神疾患やアレルギー疾患などの腸と深く関わる疾患に苦しんでいるという事でした。

自分が元気になったから、今まで人に迷惑かけた分人の役に立ちたいと考えています。しかし、悩んでいる人に対して腸の重要さ、食事療法を提案しても、なかなか踏み切る人はいません。

やはり食事療法は本人がやる気にならなければ実践不可能であり、やはり自分の体は自分で治すという意思がないと体も治っていかないとも感じています。

それともう一つ思うのが、今思えばどん底に生きた日々も、私自身が成長するために必要な経験だったと思っている事です。そうなると、目の前で苦しんでいる人がいても『この経験もこの人の成長のために必要なものなのか?』それとも『苦しんでいる人を救うために何度でも説得した方が良いのか?』どちらがその人のためになるのかわからなくなってしまいます。

しかし、唯一食事療法に踏み切った方は日々元気になっており、その姿に本当に生きがいを感じます。過去の自分のように、苦しんでいる人が目の前にいたら、私はどう対応したら良いと思いますか?


【回答】
いつもメッセージを受け取って下さって、信頼して質問して下さってありがとうございます。大変光栄です。

とても貴重な経験をされていますね。それを無償で共有していただいて、誠にありがとうございます。

本当に、腸内環境は超重要ですよね。「憑依体質の存在意義」に書かせていただいた通り、世界は超弦波動・霊的意思によってできており、細胞・ウイルスというのはその結晶です。腸内細菌も霊的意思の塊であり、その霊的な穢れによって我々の自我は全く気付かない間に犯されて悪い思考・行動・運命(カルマ)へと導かれているのです。それが精神病の本当の原因です。だから(腸内環境改善に限らず)日々その霊的穢れの浄化に努めることで自我・カルマが改善されるのは当然のことなのです。

僕は腸内環境についてはまだ他人様に詳細を語れるほど詳しくはないので、あなたのように貴重な実体験を通じてその改善策を提案して下さる方がいらっしゃることはとてもありがたいことです。

さて、「目の前の苦しんでいる人を救いたいのに、話を聞いて貰えない、理解してもらえない、信用してもらえない、まして実践して習慣化して貰えない⇒救えない」というのは、まさに覚醒後の僕のほぼ唯一にして最大の課題でもあります。

たくさんの人を救いに導ける素晴らしい覚りを得ているというのに、全然伝わらなくてまだ全く人を救えていません。本当にもどかしい日々です。ので、残念ながら現在その完璧な答えなどはありません。あったら既に世界を救えているでしょう。そう簡単じゃないんです。

人生、どん底に落ちる経験が必要なのは、その通りだと思います。本当の不幸を経験しなければ本当の幸福を感じることはできませんし、人の痛みもわからないでしょう。どん底から救われなければ、本気で人を救いたいとも思わないでしょう。

ただし相手がこちらの改善案を受け入れないからといって「相手が落ち切るのをただ指を咥えながら待つしかない」というのは違うと思うのです。

確かに相手の苦しみはその人に必要だからこそ与えられているものであり、僕も目の前で苦しんでいる人を見て、本当に救うべきかどうか一瞬は悩んだりします。それでも苦しんでいる人を見て何もしないということはありません。出会ったという事は、相手は自分の人生のカルマ(シナリオ・課題)の一部であり、人生という映画の共演者だからです。

あなたはきっと腸内環境のことを非常に科学的に分析されて、スピリチュアル的・宗教的なことはあまり信じない方なのかも知れませんが、信心はとても大事です。神々は自発的な信心・霊的成長に導くために敢えて霊的な穢れという困難な課題を我々に与えているからです。

僕は様々な宗教の勉強をしています。そのお経・祝詞・マントラは「神の御心のままに・幸あれ」という意味の言葉で終わることが多いです。仏教ならそわか(梵語ではSvaha)祝詞なら惟神霊幸倍坐世(かんながらたまちはえませ)、キリスト教ならアーメン、ブラジルのシャーマニズムならハウシ(Haux)などです。

僕らの「相手を救いたい」「この世に生を受けた恩・苦しみから救われた恩に報いたい」という純粋な気持ち・祈りと、創造主・神々との意思が通じた時に、初めて相手は神々の力を通じて救われるのです。(仏教では感応道交・哀愍納受と言います)

基本的に準備のできていない相手(様々な経験を通じ、本気で話を聞く気になっていない相手)にいきなりこちらから何かを教えることで相手を救う事はできません。相手から自発的に話を聞いて貰えるようにこちらが人間的なレベルを上げ、相手から自発的に愛され尊敬されるようになっていかなければならないのです。基本的に人は尊敬していない・愛していない人からのアドバイスなど聞かないからです。あなた自身が本当に幸せになっているように見えたら、相手の方から話を聞こうとしてくるはずです。

人生はRPGそのものであり、コントローラーを握っているのは相手自身です。勝手に答えを教えることは、自分だけの冒険(経験)を求めている相手に本能で反発されます。相手は自分なりに失敗を重ねて紆余曲折を経て自分なりに納得した上でゲームを前に進めたいのです。正解に価値があるのではなく、そこにいたるまでの経験(失敗・紆余曲折)にこそ価値があるのです。いきなり正解を教えられるクイズ番組など何も面白くありません。

答えを教えること(自分が成長せず相手の方を変えようとすること)で相手を救おうとするのは結局こちら側のエゴなのです。このRPGは自分だけに完璧にアレンジされたシナリオがあり、すべてが自分次第にできているのです。出会った相手はすべからく自分の鏡であり、NPCであり、自分が変われば相手も変わるようにできているのです。「離婚について」に詳しく書きましたが、人間関係の問題の多くはこの「自分が成長せずに相手の方を変えようとすること」に原因があり、それにより人はイラつくのです。

そして人の悪い行動というのは基本的に霊障・カルマのせいであり、それは過去の傷により自尊心が低くなっていることが原因なのです。自尊心が低いと行動のレベルが下がり、悪い行動・思考が止められず、それが更に自尊心を下げて悪い出来事を引き寄せる悪循環にハマります。そこから助け出すには、相手の悪い所を指摘したり改善方法を教えることではなく、自尊心を上げてあげることです。そのためにはいつも心からの笑顔で承認し、話を否定せずに真剣に聞くことです。相手は自尊心が高まれば、自然と良い行動をとるようになって自然と問題が解決されますし、あなた自身も相手から愛されることでしょう。人は自尊心を高めてくれる相手を愛するのです。自尊心が低く「自分なんて」と思っている状態の人に健康の改善策など提案しても聞き入れられる訳がありません。

そして因果・カルマというものはどこでつながっているかわかりません。「鏡の法則」というページに「子供がずっと学校でいじめられていたのが、自分がずっと不仲だった親に感謝を伝えたらいじめがパッタリと止んだ」というエピソードがありましたが、このようにあなたが「目の前の人を救えない」ということについても、どこで因果・カルマがつながっているかわからないのです。だからこそ常に相手ではなく自分の課題が何かを考えて解決していく必要があるのです。

「教えずに導く」ということは非常にレベルが高く難しいことです。しかしそれこそが創造主のやり方であり、世界を救う主人公(勇者・メシア・菩薩)であることに目覚めた僕らはそれに倣わなければいけません。

真理とは愛そのものであり、それが幸せでもあります。真理(愛)というものはそれを「正義」だとして他人に振りかざしたり押し付けたりすると、それがどれだけ正しかろうとエゴになってしまうのです。逆に正しければ正しいほどそれを相手に押し付けることでかえって反発されて相手を真理から遠ざけてしまいます。ガンジーの非暴力・不服従運動のように、真理(愛)は自ら信念を持って実践し続けさえすれば、それを見て理解する人間は自発的に従う以外の選択肢がなくなり、図らずも連鎖していくものなのです。

70数億人全員をあなた一人で救う必要はありません。目の前の二人を救う事ができたら、その二人はきっと更に二人を救い、それが50連鎖するだけで1000兆という途方もない数字になるのです。その頃には自分自身にもその功徳が返ってきて、人だけでなく御霊御霊のすべてが救われ、世界が救われるのです。それがメシア(主人公)であるあなたの使命です。

どうかあなたのその貴重な経験と知識を「苦しんでいる人を救いたい」という純粋な愛によって無償で共有して下さい。僕も是非それを知りたいです。過去の罪が大きいほど自分を晒すのは辛いと思いますが、実名や顔なども含めて自分を晒さずに人を救うということは難しいと思います。特にネット上では、言うだけなら誰でもどうとでも無責任に言えますから、全く信用できないのです。

また、もし本気で人を救おうとしていても、それで対価を得ようとするなら、相手に疑いをもたれるでしょうし、様々な詐欺や不正確な情報に紛れて伝わらず、きっとうまくいかないと思います。どうしてもそれで生計を立てざるを得ない状況にあるのであれば、本当にミニマムな生活をして、最低限の経費以上には請求しないで下さい。できれば報酬は相手に自由に決めさせて下さい。そしてお金のない人は無償で救ってあげて下さい。

僕はそのようにして神々に愛され、守られ、力を得て、ゲームクリア(真理・覚り・幸せ・解脱)へと導かれています。あなたもそうなることを祈っています。

2022年9月24日土曜日

目標が無い

【質問】20代前半・女性 

目標が無い、自分がしたい事がわからないのはなぜでしょうか?

今この瞬間を幸せでいたいと思っていますが、数年後の大きな目標はもちろん、一ヶ月位を目処にした目標なども特にありません。それに関して、全てを受け入れられる覚悟ができているのか、それとも諦めや逃げのようなものなのか、どちらなんだろうとふと思う時があります。そこから派生して、何とかなるだろうという気持ちで貯金や明日のこともあまり考えず、自分がどうしたいのかもピンときません。この事がたまにスカッと爽快に感じる時と、出口のない迷路の中にいるような不安に感じる時があります。今、楽しいことを考えていればいいのでしょうか。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

自覚できていない人が殆どなのですが、人は誰しも「真理(覚り)」を求めて生まれてきています。あなたが今回質問していただいた「なぜ」自分のしたいことがわからないのか?という疑問も真理を求める本能がもたらしているものです。何事も疑問に思ったら簡単に諦めて誤魔化して流さず、答えを探し求め続けて下さい。必ず答えはありますから。

人生とはRPGそのものであり、あなたにはあなたという主人公だけに完璧にアレンジされたシナリオがあるのです。「宇宙の仕組み」に書いた通り、客観世界は存在しません。そしてあなたにはあなたの魂にとってベストなものがいつも与えられているのです。だから他人と比べてはいけません。まずは与えられたものに感謝することが大事です。

あなたのシナリオは「なかなかやりたいことが見つからずに苦しむ」というものなのでしょう。実はそれは多くの主人公に共通している要素であり、かつての僕もまさにそうでした。そういう苦しみがあったからこそ、目覚めた時の喜びが大きいのです。「自分がやりたいことがわからない」ってことの辛さは僕にもよくわかるのですが、まずは焦らないことが大事です。僕が目覚めたのは40歳も過ぎて自殺を決行した後ですから、まだ20代前半のあなたが焦る必要は全然ないと思います。

もしあなたが「早くから才能を発揮して自分のしたいことが完全にわかっているような人生」というのが絶対に幸せだと思っているのなら、それは幻想です。そういう人にはそういう人なりの苦しみ・不幸があるのです。どっちみち本物の不幸を乗り越えずに得られる本物の幸せなどありません。人生は修行なのですから、筋トレと同じでギリギリまで苦しくならなければ成長などありえません。だからどっちにしろ死ぬまで苦労するのだと達観して突き進めば何も怖いものなしです。ただ同じ苦労をするのなら自分が一番成長を実感できそうな道を選べば良いだけです。それなのにどこからにイージーな人生が転がっていると考えて、イージーな人生を送っていそうな他人を羨み、世間体のため・先々にラクをするために嫌な事の我慢代で目先の金稼ぎに生きようとするから無駄に苦しくなるのでしょう。

能力や有名・無名関係なく、他人というのは自分には絶対にできない経験を自分に代わって経験してくれている存在であり、自分は他の誰にでもできない経験をしている存在なのです。だから自分にも他人にも例外なくリスペクトを持って下さいね。本当は全員が創造主の分身なのですから。他人と自分を比べ、卑屈になったり・他人を羨んだり・逆に蔑んだりしてはいけません。

今現在に目標がないことを焦る必要は全くないのですが、ただそれは「何も考えずに流されても良い」という意味ではありません。

あなたの周囲のNPCたちはエゴにまみれ、我欲と保身のために生きる自分の人生を自己肯定(自己憐憫)し、それがまるで常識であるかのようにあなたにもそれを押し付けてくることでしょう。そしてあなたに将来を恐れさせて不安に陥れ、周囲と同じように「嫌な事の我慢代」で稼ぎ続ける奴隷NPC人生を強いて来ることでしょう。

あなたがそれに合わせられないのは当然です。あなたはまだ目覚めぬ主人公であり、天命を授かって生まれてきた天使であり、将来世界を救うメシアなのですから。

実際あなたはエゴが弱いために「今この瞬間を楽しもう」と我欲・快楽に走っても全然幸せを感じられず、「自分の将来の為に」と言われて周囲に焦らされて不安を煽られても全くピンとこず保身にも走れないのでしょう。僕も全く同じだったのでよくわかります。

エゴが弱いのはスターシードの特徴であり、それが増えているから車や家などが売れず、みんな資本主義の世間の価値観に合わせられずに苦しんで心を病んでいるのです。(それはこの人生という物語の伏線です)

「エゴが弱い」というあなたの特質はとても素晴らしいものなのですが、いつまでもそのままでは刹那的で自暴自棄な生き方や怠惰な生き方になってしまう恐れがあります。あなたの今までの「やりたいことがわからない」という苦しみの経験は「自分のエゴ(我欲や保身)のために生きる生き方や、思い付きで刹那的・怠惰的に生きる生き方」がいかにつまらないかを経験的に思い知るために与えられているのでしょう。

そのあなたの「エゴが弱い」という素晴らしい資質は、本物の愛に目覚め、自分の身を呈して世界を救う主人公として目覚めて初めて意味を成し、まばゆく輝くものなのです。


主人公として目覚めるということは自分=他人・自分=世界、つまりワンネスに目覚めるということとイコールです。そしてそのためには日々エゴの穢れを祓い、愛を実践し続けていかなければなりません。具体的には「六波羅蜜」を行じることです。誰にでもできることなので、難しく考えないで下さいね。



周囲はNPCばかりですから、あなたが目覚めようとすると次々に「お前など大した存在ではない、身の程を知れ」「将来を恐れ、大人しく嫌な仕事で金を稼ぐ社会の奴隷になれ」と脅してきて、スピリチュアルなことを口にすれば「頭がおかしい」「バカじゃないの?」と嘲笑して完全否定して目覚めを妨げてくることでしょうけど、それはRPGの設定上当たり前のことです。このシナリオは映画「マトリックス」そのものなのであり、目覚めを妨げるエージェント・スミスたちとの戦いは避けては通れないのです。


主人公であるあなたが「世界を救う」という大いなる使命に目覚めずに、エゴ(我欲と保身)が弱いのにそれを動機として本当に自分のやりたいことなど探しても見つかるはずがありません。あなたのやりたいことはまず本物の愛に目覚めて(エゴを乗り越えて)「世界を救う」という大いなる目標ができて初めて「ではどのように?(自分が目の前の人に愛を伝えられる手段は何か?)」と目の前に現れるものなのです。

あなたの魂はまだ眠ったままなのでしょうが、魂というのは本来キラキラ眩く輝いているものです。みんな魂が汚れ(無明の闇=エゴ・愚かさ・迷い)にまみれていてるからその輝きが眠っているのですが、それは人間の初期設定であり、その汚れを祓い続け、魂の輝きを解き放ち続けることが修行であり、その魂の修行こそが僕らの生まれてきた意味なのです。最初から何の穢れもない魂のままでは成長要素がなくなってしまうので、僕らには敢えて穢れ(無明)が与えられているのです。

どうか無理をして常識に自分を合わせるのをやめて下さい。それでは生まれてきた意味がありません。この点については「常識とは何か?」を読んで下さい。社会で常識とされている点で、どうしても自分が合わない部分があるのなら、立ち向かう勇気を持つことが大事です。それが生きる意味の一つなのですから。もし常識が正しいなら世界はあなたなしに勝手に幸せになっていますから、あなたという主人公は必要ありません。

どうか「自分なんかに地球上の何十億人を救えるわけがない」などと最初から諦めないで下さいね。そう考えてしまうのはこのRPG最大の罠なのです。それは多くの主人公に共通した初期設定であり、克服すべき課題なのです。「自分なんて・・・」と思っているところから自分の存在と世界の存在の尊さに目覚めるところがこのRPGのシナリオの核なのです。

脇役NPCたちはみんなそのように「一人で70数億人を救うのは無理だから、最初から誰も救わなくてもOK」「みんな世界を救おうとしないのだから、自分が世界を救わなくても誰にも責められる筋合いはない」「愛があってもお金を稼がなければ生きていけないのだから、愛よりお金が大事で、合法なら(バレなければ)不道徳も止む無し」というように考えて、世界を救う主人公になることを最初から諦め、エゴに埋没して我欲と保身のために生きています。

そんなディストピアな世界(舞台設定)の中で、主人公のあなたはただただ心にある愛を実践することで目の前の人を救って下さい。それは必ず連鎖するのです。もしあなたが人生でたった二人の人を救えたとしたら、その二人はまた人生で二人救うことでしょう。それがたった50連鎖するだけで何人になると思いますか?何と1000兆人なのです。その頃には世界が救われ、必ずあなた自身にその功徳が返ってくることでしょう。どうですか?自分にも世界を救えそうな感じがしてきたでしょう?

世界を救うのに他人と比較した能力の高低は関係ありません。有名になってみんなに評価される必要もなければ、金持ちや権力者になる必要もありません。必要なのは純粋な愛だけです。権力というのは強制力であり、お金は自分の欲求を望まない相手に強制するための権力分譲券です。それは愛とは相反する概念であり、NPCたちはみんな金・権力を求めて愛を失う人生を歩んでいますが、権力・金によって世界を救うことはできないのです。愛というのは相手の心を最も自由で幸せにするものであり、権力・金という強制力がみんなを幸せにするなどということは決してありえません。

人を救うということの本質は、相手を心から笑顔にすることです。相手を心から笑顔にできるあなたの才能は何でしょうか?例えば掃除とか介護とか、それが他の人でもできそうなことでつまらないことのように思えることでも、それがあなたに与えられた偉大なる才能であり使命なのだということです。いつでも心からの笑顔が人生という航海のコンパスです。自分と相手が心から笑顔になれるように思考し行動すれば道を大きく誤ることは有り得ません。

収入や将来性のことなどは一切考えなくて大丈夫です。「何を仕事にすれば一番稼げるか」ではなく「何をどうすれば相手に最も愛が伝わって笑顔にできるか」を考えて下さい。最初は全く無収入のボランティアでも構いません。家族や生活保護を頼ってもOKです。最初から稼げるような仕事である必要はなく、むしろお金を稼ごうとするとエゴに汚れてやりたい事(人を救う事)が見えにくくなってしまいます。

最初はどのぐらい稼げるかなとか世間体・社会的ステータスなどは一切気にせず、ひたすら目の前の人を救うことに尽力し、その喜びに目覚めて下さい。お金などは必ず後からついてきます。自分が好き・得意でしかも人が喜んでくれる事を5年10年20年続けて、食べる分すら稼げないなどということは有り得ません。愛によって世界を救おうと努力している人間を神々が見放すわけがありませんしね。

他人(NPC)との比較は一切しないで下さい。RPGで違うシナリオを生きている他のログインプレーヤーと自分とでゲーム進捗具合などを比べても意味がありません。現時点でどれだけあなたの能力が他人より低かろうと出遅れていようと全く関係ないのです。人生は常に思いついた時(心から納得できた時)がベストタイミングです。

人生は愛と勇気を試すためのRPGです。選択肢があれば、常に愛と勇気が試される方を選んでください。そちらが必ず正解ですから。RPGにおいてエゴ(我欲と保身)のための選択が最終的に正解であるというシナリオは有り得ません。

魂は永遠であり、この仮想現実世界の中で何かを恐れたりしてやりたいことをやらないのは本当にもったいないことです。あなたは気づかない間にこの世界で自尊心を下げられ、自分を過小評価しているに違いありません。だから失敗や過ちを恐れ、他人の評価を恐れ、「どうせ自分なんかには無理だから最初から望んでなかったことにしよう」と失望・傷心を回避するために自分の心にブレーキをかけっぱなしにしている状態なのでしょう。どうか自分と他人を例外なく許し、尊敬し、感謝し、愛することで、そのブレーキを解放して下さいね。

あなたはどっちみち「なんとかなる」ってことがわかっているのなら、もっと興味のあること・ワクワクすることにどんどん飛び込んでみて下さい。例えば何となく興味を持った国にいきなり移住してみるとか、あなたが感動したものを作っている人にいきなり弟子入りをお願いしてみるとか。若いんですから何も考えず直感に従ってもっと無茶して良いんですよ(若くなくてもそこは同じ事ですが)。失敗や過ちにこそ価値があるのですから、他者評価・他者比較とか何も恐れずに突っ込んでいって下さい。

「ものすごく興味が出て、めちゃくちゃやる気になるのを待ってから飛び込む」というように考えていては前に進めません。ちょっと興味が出た程度のことにも全力で飛び込んでいくのです。興味の対象そのものよりも、その「大した興味があるわけじゃなくても飛び込んでいける行動力」の方を大事にして下さい。例えその興味の対象をそれほど好きになれなかったとしても、その行動力があなたの人生をどんどん面白い方へ導くでしょう。そうやって人生をどんどん唯一無二の面白いものにしていって下さい。

今貯金がないとのことですが、身内に借りてでもぜひブラジルにアヤワスカの儀式を受けに来て下さいね。きっと導きがあると思いますから。

2022年9月22日木曜日

愛の力の弱さに反吐

 【質問】(23歳・男性)
いつも本質を付いたメッセージありがとうございます。

質問なのですが、何故愛はこれほどまでに弱くて、耐え忍ぶ必要があり、多数決如きに負けてしまう脆い存在なのでしょうか

誰かがイジメてる時、黙って見過ごす。加担するなど、皆んなが何もしないからといって悪事に手を染めるゴミもいます。

勿論善悪など宇宙に存在せず、ただある方向からの視点しかないのでしょうが、余りにも愛(あえて自分が正しいと思う自然の理を愛と呼ばせてもらいます)が弱すぎて絶望しかありません。

NPCの存在も意味不明です。自由意志など持たないロボットの様な愚民どもが、騙されている事も知らずに盲目的に悪意に加担し(加担している意識すらないでしょうが)世界や愛をぶっ潰す方向に向いている事に怒りを通り越して人類も宇宙も創造主も全て滅んでしまえと思えます。

ワクチンもfuckingSDGsもイジメも無責任も、事なかれ主義も全てクソ喰らえ。気付いた奴におんぶに抱っこ、人の忠告も聞く耳持たない、他人は変えられないとは言えコチラはドンドン変わっている。が奴等は何も変わらない、変わろうとしない。

私も昔は純粋で愛に溢れ正しい事は貫き、自他を活かす生き方ができていましたが、今は騙され裏切られ愛ある世界を作る邪魔をされ、ほとほと人間の邪悪さ、醜さ、愚かさの極みにガッカリし悪側に堕ちるのは時間の問題です。だから信念を持って愛の力で立ち向かうシンヤさんが羨ましく、また最期に本音の質問に答えてもらえると幸いです。

正直愛の弱さにうんざりしています。もう愛を持って人を導くのは限界だと感じています。

🔷何故、愛を信じる者が利用され嘲笑されるのでしょうか?愛が不十分な者は何もしない方が良いのでしょうか?中途半端な愛でも今持てる愛で向き合っているというのに。

🔷何故、愛は数の原理に負け多数決如きで世界の方向性が決まってしまうのでしょうか?

🔷何故、愛は苦しみ耐え忍び目醒めていない者どもの為にガマンを虐げられるのでしょうか?苦労するのは我々ばかりで奴等は思考停止の無責任、変わろうとしない。いい加減にしてほしい

🔷何故、愛は暴力を受けた時、暴力で返してはならないのでしょうか?手を出してくるならせめてやられた分くらいは殴ってやらないと気が済みません

🔷何故、愛を目指す者達に愛の偉大な力と激励の恩恵がなく、悪にばかりやりたい放題の力と恩恵を創造主は与えるのでしょうか?不公平、卑怯、やってられない

こんなに苦しいのなら愛など要らぬとサウザーの名言が頭によぎります。いくら創造主が気付いた魂達に多少の恩恵を施そうが、悪が持つ多大な恩恵と数の力と暴力を比較すると、創造主はよっぽど悪の方がお気に入りで愛などただの飾りの様に思えて悔しくて夜も眠れません。

私も貴方の様に愛の力を持つ救世主になりたい。しかし、余りにもクソな現実とクソどもに嫌気が差し、こんな事なら、愛の力ではなく奴等の持つ権力暴力恐怖で世界を愛に塗り替えた方が手っ取り早く感じます。矛盾してますが。

愛が出来ないことを汚れ役の自分が補う。汚い仕事は全て引き受ける。暴力肯定と呼ばれようが愛の為に身を汚して行動する。問題は悪側の力で悪を潰す以上、汚い仕事をこなしているうちに自らも悪に染まっていくことでしょう。

しかしそれでも誰かがやらないといけないのであれば、ダークヒーローの役割を果たすべきなのでしょう。

本当は愛の力で世界を救いたかった。しかしもう限界です。

【回答】
ご質問ありがとうございます。(多忙につき乱文ご容赦下さい。随時加筆修正します)


世の中の多くの人は、現在のあなたやかつての僕のように世の中に絶望し、それによってエゴに埋没しながら生きる自分を自己肯定し、この世界を創った創造主たる神を恨みながら生きていることでしょう。その愚かさは人間の初期設定なのですから当たり前です。そこから己=世界の尊さに目覚めること、主人公として目覚めることこそがこの人生というRPGのシナリオの要ですからね。

まだNPCとして眠ったままの魂の同志たちの目覚めを促すため、今回ご質問を下さったあなたには彼らを代表してこっぴどく叱られていただきましょう(笑) 僕は人に説教をされるのと強制をされるのを好みませんので、このように説教みたいなことをするのは大変心苦しいのですが、世界を救うために心ならずも避けては通れない道です。どうぞご容赦下さいませ。僕のメッセージが本質を突いているのだとご理解下さっている方なのであれば、きっとこのメッセージもその本質をご理解いただけるのではないかと思います。

まず、人生というのはRPGそのものです。これは例えではなくそのものズバリです。僕らはドラゴンクエストとまったく同じようなシナリオのあるゲームの世界の中にいます。

RPGというのは不幸なディストピアから始まるのが当たり前であり、最初から幸せな世界だったら誰も成長しませんし、何も面白くありませんし、主人公(勇者・メシア)が世界を救うという設定自体が成り立たなくなってしまいます。

世界というのは、あなたという主人公に救われるためにわざと不幸多く作られているのです。みんなが愚かで、不正が蔓延り、エゴのために生きているのは当然の初期設定であり、最初から愛に満ちていたら愛の価値を知る物語にはなりません。むしろ最後の大逆転劇を盛り上げるために一度極限まで堕ちていくようにプログラムされているのです。

それを見て「悪者ばかり得している」と誤解し、自分も悪い事をしてでも得をしようと悪側に加担するようでは主人公には成り得ません。それは脇役・悪役の発想そのものです。悪人は幸せでないからこそ悪人なのであり、主人公の救いの対象なのです。

世界はネットゲームの如くログインしている全員が主人公です。詳しくは「世界の仕組み」をお読み下さい。しかし世のほとんどの人は客観的世界が存在すると勝手に(設定通りに)錯誤し、何事も他人を基準にして考え、自分が世界の主人公であることにも気づかず、ゲームの基本設定に文句ばかり言って、世界を救うことなどあっさりと諦めています。

あなたはドラクエで「なんで世界はこんなに魔物ばかりで悪が蔓延り暗くて腐っているのでしょうか?それに対しなぜ愛の力はこんなにも弱いのでしょうか?反吐が出ます。こんなことならいっそ自分が魔物になって愛ではなく強制力によって世界を支配してやりましょうか?」などと言ってるキャラクターを主人公としてプレイしたいと思いますか?

あなたのその考えは脇役NPCの発想そのものであり、あなたは気づかない間にNPCそのものに成り下がっているのです。あなたが言い貶すクソNPCとはまさに現在のあなたのことです。そしてもし僕の言う事に反発して目覚める気が全くないのならいつまでも脇役NPCのままになってしまうでしょう。

>NPCの存在も意味不明です。自由意志など持たないロボットの様な愚民どもが、騙されている事も知らずに盲目的に悪意に加担し(加担している意識すらないでしょうが)世界や愛をぶっ潰す方向に向いている事に怒りを通り越して人類も宇宙も創造主も全て滅んでしまえと思えます。

既に目覚めた僕からすれば、これはまったくあなた自身のことであり、あなたの文章は全体的にNPC(ロボットの様な愚民ども)である自分の自己紹介としか思えません。主人公として目覚めないあなたの自由意志は幻であり、初期設定通りに社会の奴隷となって自覚もなく悪に加担しています。霊障(悪魔の手先)に犯されて悪いカルマにハマっていることを全く自覚できていないのです。このあたりの話は「憑依体質の存在意義」をお読み下さい。霊障は常に宿主を悪い思考・行動に駆り立てて自尊心を下げ、自分自身・人生・世界を嫌にさせ、「そんなに要らないなら私が貰ってあげるよ」と自我を乗っ取って宿主を脇役に引きずり降ろそうとしてくる悪魔の手先(という役割・設定)なのです。

上位次元の存在(神々)からすれば設定に文句ばっかり言って世界を救おうともしないあなたというキャラクターをプレイする(導く)のは面白くないので、下位次元の存在(霊障)に任せて自動運転のような状態、つまり脇役NPC(AI)にしているのです。実際、現在のあなたはこの世界の主役を張る気はゼロでしょう?あなたが言い貶す脇役・悪役NPC達は現在のあなた自身のことだと気づいて下さい。

落ち込まなくて良いですからね。それが初期設定であり、そこから目覚めるからこそこのゲームは面白いのです。創造主はあなたを見放しているのではなく、目覚める日を楽しみにしながらずっとあなたを見守っているのです。全知全能の創造主が直接手や口を出してしまうと意味がなくなってしまうので、導きを与えながら見守るしかないのです。

世の中でどんなに悪者とされる人達も、必ず自分を正当化して生きています。つまりみんな(自分勝手な)正義を背負っているのです。それはエゴ(我欲と保身)のために生きる自分を自己肯定し、自己利益に誘導するための建前に過ぎません。エゴは愛とは対極にある力です。

純粋な悪が存在するなら、それはみんなが嫌がるので連鎖しません(みんなから嫌われるので基本的に単独犯となり、社会全体を悪化させるような巨悪とは成り得ません)。悪魔は悪魔の顔をして近寄っては来ないのです。世に蔓延る悪というのは常に正義を隠れ蓑にして善や愛を偽装して行われています。こちら側にこちら側の正義があるように、相手には相手側の正義があります。そしてそれは必ず衝突するのです。あなたはヒトラーを悪の権化のように思っているでしょうが、発想は今のあなたと基本的に変わりません。自分の勝手な正義を「愛」と称して独善的に他人に押し付け、受け入れない人間を「悪」として、犠牲になっても構わないと考えているのですから。

創造主は言いました。正義=悪であると。正義とは必ず批判・攻撃対象としての悪を必要とし、常に相手の正義との衝突を生みます。そしてそれは必ずエゴの隠れ蓑になっているのです。その正義の陰に隠れたエゴの連鎖こそが恐ろしい巨悪を生んでいるのです。あなたの愛が他人に伝わらず他人のエゴに利用されてしまうのは、あなた自身が愛より正義(エゴ)を優先しているからです。そしてあなたが愛だと思っているものがそもそもエゴでしかないからです。

あなたは愛というものを根本的に誤解していると感じます。だからそのように周囲から反発を受けるのでしょう。愛も正義もそのように独善的に他人に振りかざしたり押し付けたり何かの見返りとして求めるべきものではありません。愛は相手を最も自由にするものです。そして愛は自由な状態で自発的に発するものでなくては意味がありません。愛を他人に強制・強要・束縛しては必ず失われるのです。このあたりの話は「離婚について」をお読み下さい。

本物の愛は冒頭の画像に表したように、自分自身と他人に対する許し・感謝・尊敬・忍耐・勇気が伴っていなければいけません。現在のあなたの愛とは呼べないものです。それどころか愛とは対極にあるとても危険なものです。他人の悪を言い訳にして己のエゴ(臆病と怠惰)を肯定し、その偽りの愛(エゴ)を他人に押し付ける強制力を手にするために悪事に手を染めようとまでしていますからね。

あなたの問題の根本的な原因は自尊心の低さだと思うので、こちらを必ずお読み下さい。「誰でも自信満々になれる方法」大切なのは出会った人を自分の人生の共演者として例外なく無条件で許し、尊敬し、感謝し、愛することです。

自尊心の低い人は、必ずと言っていいほど正義を振りかざし(自分の欠点や過ちは棚に上げ)常に誰かを批判してばかりいます。正しさに能力は必要なく、誰かを批判してれば正義の人になれるからです。そのように間違った方法で自尊心を回復しようとして人に嫌われて愛を失って自尊心を更に失う悪循環に陥っているのです。正義は常に愛とは対極にあるものなのだということです。勝手に他人に押し付けておいて見返りがなければキレるようなものが本物の愛であるわけがありません。

だから大切な事は常に正義より愛を優先することです。それが世界中に連鎖したなら、世界はそれだけで必ず救われるのです。絶対に忘れないで下さい。

脇役NPCたちはみんな「一人で70数億人を救うのは無理だから、最初から誰も救わなくてもOK」「みんな世界を救おうとしないのだから、自分が世界を救わなくても誰に責められる筋合いはない」「愛があってもお金を稼がなければ生きていけないのだから、愛よりお金が大事で、合法なら(バレなければ)不道徳も止む無し」というように考えて、世界を救う主人公になることを最初から諦め、エゴに埋没して我欲と保身のために生きています。

主人公のあなたは、ただただ目の前の人を救って下さい。それは必ず連鎖するのです。もしあなたが人生でたった二人の人を救えたとしたら、その二人はまた人生で二人救うことでしょう。それがたった50連鎖するだけで何人になると思いますか?何と1000兆人なのです。その頃には世界が救われ、必ずあなた自身にその功徳が返ってくることでしょう。

世界を政治のような「権力=強制力」でもって変えようなどと思わないで下さい。価値観の革命を世界の隅々まで行きわたらせれば、政治体制など勝手に変わっていきますから。ただただ目の前の人を救う事に集中して下さい。それが主人公の世界の救い方です。

「現在」というのはあなたも世界も「過程」に過ぎず、最終的な結果ではありません。現時点での多数決に魂まで屈して負けを認めているようでは話になりません。そこを絶対に諦めずに最後には大逆転するところがこの人生というRPGのストーリーの要であり、だからこそ面白いのです。

最初から善が多数派ならあなたという主人公に存在意義はありません。世界はあなたなしに勝手に良くなっていくでしょうから。悪の方が一見圧倒的に強いから、愛が大逆転する物語が面白くなるのです。世界中の人が倒せば愛に変わるエゴのドミノをせっせと積み上げて、大逆転劇のフラグを立ててくれているのです。そしてその愛の連鎖の最初のドミノを倒す役割があなたという主人公に与えられているということです。

世界はフラクタル(相似形)にできていて、それは異分子を排除すべく同調圧力をかけてきます。それが社会・常識です。NPCたちは基本的にマトリックスのエージェント・スミスのような存在です。主人公はそれに屈せず、愛の力ですべてを自分のフラクタルに変えることが使命なのです。

決して「愛の力」が弱いのではなく、ただ単に現在のあなた力が弱いだけです。現在のあなたの愛は本当の愛すらありません。主人公として目覚めない現在のあなたのレベルは1にも達していませんから、家のすぐ外にいるスライムにも多数責めで易々とやられて家に引きこもって愚痴ばかり言っている「魂のヒキニート状態」なのです。そんな状態でレベルアップするわけがありませんし、神々が力を与えるわけがありません。RPGはまず主人公として目覚めなければゲームがスタートすらせず、一生NPCのままです。

m>>こんなに苦しいのなら愛など要らぬとサウザーの名言が頭によぎります。

サウザーの名言て(笑) あなたは本当に23歳ですか?30年以上前のアニメ「北斗の拳」のワンシーンを、僕が当然知っているという前提で話されているので、かなり違和感があります。それに「昔の自分は○○だった」などと言うのもおかしな感じがします。本当に23歳なら「昔」というのは幼少期ということになってしまいますから。まぁそこは流すにしても、サウザーは思いっきり脇役ですからね。同じように考えたら(主人公に倒されて諭される)脇役にしかなれず、主人公には成り得ません。主人公のケンシロウの如く本物の愛で世紀末の世界を救いに導いて下さいね。


この人生というRPGは愛と勇気を試すためのものであり、当然世界はありとあらゆる手段であなたを常に怒らせ、不安と絶望に陥れてきます。主人公(勇者・あなた)は決してそれに負けてならないのです。「勇気なき愛は欺瞞であり、愛なき勇気は蛮勇である」あなたの愛と勇気を他人に見下されたり笑われたりした程度であっさりと手放し、多数派に加わるようではどうしようもありません。相手が愛を腐すのはその人の愛が腐っているからであり、心が傷つきグレていて、愛より金を信じているのですが、本当は愛(救い)を必要としているのです。

>>🔷何故、愛は苦しみ耐え忍び目醒めていない者どもの為にガマンを虐げられるのでしょうか?苦労するのは我々ばかりで奴等は思考停止の無責任、変わろうとしない。いい加減にしてほしい

冒頭の画像にも書いていますが、愛に忍耐が必要なのは当たり前じゃないですか?忍耐の要らない愛に何の価値があるのかわかりません。

人(主人公)にはそれぞれ創造主からの愛(激励)が平等に与えられています。その愛に気づかず感謝しないから、あなたは自らNPCに成り下がり、創造主からの愛(激励)が十分に受け取れず、年齢と共にはぎ取られ続けることで失ったものの価値に気づかされるような悲しい人生となっているのでしょう。創造主は我々自身でもあり、与えられたものに感謝できない人間にもっと与えたいとは思わないのです。

>>🔷何故、愛は暴力を受けた時、暴力で返してはならないのでしょうか?手を出してくるならせめてやられた分くらいは殴ってやらないと気が済みません

暴力に暴力で返してはいけない理由は聖書を読めばわかるでしょうし、ガンジーの非暴力・不服従運動が成功した理由を考えればわかるでしょう。暴力に暴力で返したらその連鎖は増幅しながら悪化し続けていつまでも終わりません。相手の心の中にある仏性を目覚めさせることが大事なのです。教えを乞うていない相手に何かを教えようとすれば必ず反発されます。だから自らが鏡となって相手という主人公に自ら覚らせるのです。

僕らは成長を楽しむために生まれてきているのであり、成長に痛みや苦しみが伴うのは当たり前です。筋トレに痛みや苦しみが伴わないなら何の価値もありません。痛みや苦しみを理由に創造主を恨むなどというのは馬鹿げた話です。

あなたは悪人を憎んでいるようですが、もし正しい者しか救わないなら世界は絶対に救えません。欠点もなく過ちも犯さない人間は一人もいません。悪い人間は救われなくて良いと考えるなら世界を救えないのは自明です。悪い人ほど不幸に苦しみ本心では救いを求めているのです。

現在の支配者たちが現在の支配体制を作ったのではなく、ただそういう家に生まれた業を背負って生きているだけです。彼らは先代より悪どいことをしなければ先代の資産を減らしてしまうのでその業から逃れられず、罪悪感に苦しみ、悪魔に心を売ったことにして自らの罪悪感に目を向けないようにしているのです。そしてそれは主人公であるあなたの救済対象なのです。誰一人例外なく救おうという覚悟があなたという主人公を世界救済というゲームクリアへと導くということを忘れないで下さい。この世界に悪役はいても悪人はいないのです。彼らを悪魔から救い悪役から解放しなくてはいけません。それが主人公(メシア)の使命です。

あなたはゲームクリアをあっさり諦めたまま、エゴに埋没するだけの脇役・悪役NPCの人生を繰り返すつもりでしょうか?あなたは「自分はどんどん変わっている」と言いますが、少しも良くなっている感じがしません。そしてゲームの初期設定やシナリオに文句ばかり言って成長しようとしない「脇役の発想」から逃れられない限り、あなたは他のNPCと大同小異であり、誰か他の主人公の物語における伏線の奴隷にしかなれません。

反省してはいけない」に書いた通り、自尊心を下げると行動のレベルも下がる悪循環に陥りますから、どうか反省して自尊心を下げないで下さいね。気づきさえすれば治りますから。そしてただより良い未来を選択すれば良いだけです。

というわけで、創造主からのメッセージ、しっかり代弁させていただきました。あなたがきっと主役に目覚め、このご自分の質問文を読み返して赤面する日が来ることを願ってやみません。

このメッセージを受け取る魂の兄弟たちよ、決して他人事だと思うな!
世界(衆生)を救う主人公(メシア・菩薩)として、
一刻も早く目覚めよ!目覚めよ!目覚めよ!

本門八品所顕 上行所伝 本因下種の 
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経!

2022年9月10日土曜日

離婚について

【質問】
初めまして。noteを見させてもらってとても感動しています。読んで沢山勉強しようと思います!

さて、質問なんですが「結婚、離婚」についてです。

ただ今離婚に向けて進めているところです。(離婚調停申し込みました) 離婚理由は相手の女性関係、モラハラ、性格の不一致等です。妊婦になってから不仲になっていきました。

私も未熟者で今では「どっちもどっちだな」とも思いますが、どうも話が通じず、我慢するしかない間柄で、愛もないなと。自分を正当化するためにストーリーを変えたり嘘や虚言も気になります。妊婦出産産後と大変だったので精神的にももたず、そうゆう環境で子供にも悪影響だと思い離婚を決意しました。

ですがノートを読んでいると離婚をせず愛で解釈して頑張った方がいいのかなぁとも思ったりして(やってるつもりでしたが、なかなか難しいし持たない…)  恨む気持ちを持たずに、自分のことを反省して愛で包み込んだり、なかなか私のような未熟者には難しかったです。

今は自分の課題を教えてくれた人で感謝してます。自分がどんなに未熟な人なのかも分かりましたし、成長したいと思ってます。でも一緒にいたら精神をどうにかするのに集中してしまい、成長どころではなく(自分の度量のなさかも知れませんが)それぞれ違う道で成長するのがいいのかなと思ってしまいました。また仕方がないと思いつつも、子供と離れてしまうのは辛いと思うので申し訳ないと罪悪感もあります。

離婚についてはどう思いますか?それでも頑張るのが良かったのでしょうか。良かったらお答えして頂ければ幸いです。


【回答】※10月15日更新
ご質問ありがとうございます。そしていつもnoteを読んで下さってありがとうございます。それは本当に嬉しいことです。

さて、離婚調停中ということで、あなたの心の痛みに心から同情いたします。幸か不幸か僕には結婚も離婚も経験がありませんが、かつては心から愛し合っていた関係が壊れることの痛みはよくわかります。きっとあなたは母親として社会人として強くあろうとして自分の心の傷に目を向けないようにしていることかとお察ししますが、どうかまず心の傷を癒すことに専念して下さい。

問題の渦中にある時、心が傷ついている時、自分で自分の課題を正しく(クリエイター目線で)見つめることはとても難しいことです。もちろん僕もそこは何度も経験しているのでよくわかります。だからこれから僕が書くことを理解しようとするのは、もう少し心の傷が癒えてからの方が良いと思います。

どうか僕が偉そうな説教をしてあなたを責めているのだと誤解しないで下さいね。僕はただ魂の同志としてあなたを尊敬し、純粋にあなたを幸せに導きたいだけなのです。

成長とは基本的に失敗・過ちを通じてもたらされるもので、それは必ず痛みを伴うものです。そして魂のレベルが高い人の人生ほど難易度高く、失敗・過ちの痛みが大きく作られているのです。

人生というRPGにおいて、失敗・過ち・不幸は誰しもが通る道であり、避けては通れません。そもそもそれがなければストーリーとして成立してません。全てを愛によって与えてくれている創造主が、失敗・過ち・不幸から我々に何を学ばせようとしているのか、一緒に考えていきましょう。

どんなに辛い経験も、我々に起きる全ては我々の学びにとって必要な経験だからこそ起きているのであり、常に我々にとってベストなのです。あなた自身もあなたなりのベストを尽くして起きた結果なのですから「もっと頑張るのが良かったのでしょうか?」などと考えて自分を責めることはありません。本当に大切なのは選択可能な現在でありこれからです。

あなたの人生で起きる全ての出来事があなたに必要な過程であって最終的な結果ではありませんので「自分とは(結婚とは・人生とは・世界とは)こんなものだ」というネガティブな決めつけで結論を出して変な悟り方をせず、これから幸せになるために克服すべき課題なのだと理解して下さい。本当の不幸を経験せずに本当の幸せを感じることは不可能ですから。

誰しも深く傷ついた時にはとりあえずは自分を守らなければいけませんから「どっちもどっちかも」と内心では薄々わかっていても、一旦は全てを相手のせいにして恨み「自分は悪くない」と整理をつけるのも必要な過程だと思います。心の傷に綺麗事は通用しませんからね。

実際、あなたは何も悪くありません。しかしながら、相手も何も悪くないのです。あなたの人生に起きたことは全て、その登場人物が無自覚に創造主の用意したシナリオ通りに役割を演じた結果なのです。どうか自分自身もパートナーの事も責めずに、いつかは許してあげて下さい。

恋愛・結婚などの成功体験が全くない人もたくさんいる中で、あなたは結婚を手にして子供まで授かりました。ただし結婚に限らず、何かの成功というのは、新入社員が査定前に貰う最初の夏のボーナスのようなもので、創造主から更に大きな成長が期待されているということなのです。それなのに一つの成功をゴールのように捉え、また自分の実力・努力への正当な報酬だと驕り、既に幸せの保証でも得たかのように考え、あとは周囲と同程度に頑張っていれば大丈夫(何か悪い事があれば自分のせいではない)だろうと考え、その成功の上にあぐらをかいて成長努力を怠ると、先取りの成功がまるで借金のようになり、成功の喜びの大きさに応じて利子付きで幸せの返済を要求され、大きな落差の不幸が待っているのです。では創造主があなたにどんな成長を期待しているのでしょうか?

人間関係というのは(夫婦関係に限らず)相手の方を変えようとしても決してうまくいきません。そのように自分が成長することなく相手を変えようとするのは人間の初期設定であり、それがエゴなのです。それは磁石の同じ極のように必ず反発し合ってうまくいかないようにできています。だからこそ自ら気づいて自発的に成長を目指すことが尊いのです。そしてそれこそが愛であり、それはエゴとは対極にあるものなのです。

相手は相手の人生というRPGをプレイしているプレイヤーであり、そのコントローラーを他人が奪うことはできないように創造主はこの世界をプログラムしているのです。自分の人生(自分の認識世界)はすべからく自分次第にできています。つまり相手も世界もあなたが変われば(時間差こそあれ)全てが変わるように作られているということです。

あなたが出会う人はみんなあなたが主人公のRPGにおいて無自覚にあなたの脇役としてクリエイターの設定した通りに動かされているNPCなのです。それはあなたの家族や友人であっても、どんな有名人であっても同じです。あなたが出会う人は例外なくあなたが主人公のゲームのNPCなのです。

そしてあなたが出会う人はみんなあなた自身の鏡のようなものです。ですからあなたが相手の自尊心を下げれば自分の自尊心も下がります。note記事「反省してはいけない」に書いた通り、自尊心が下がればそれに応じて悪い思考・行動が止められなくなる悪循環にハマるということを知っておいて下さい。

これも人間の初期設定であり、殆どの人がハマっている悪循環なのです。相手の欠点や過ちを許せずに逐一責めて相手の自尊心を下げ続け、その結果反発し合い、自分の欠点や過ちも許せずに自分の自尊心も下げ続け、お互い更に悪い思考・行動が止められなくなるという悪循環です。きっとあなたの離婚もその結果として起きていることなのではないかと推測します。(これはみんなに共通した課題であり、決してあなただけではないので、落ち込んで自尊心を下げないで下さいね)

決して夫婦関係に限らず、全ての人間関係において「どうやったら相手の自尊心が上がるか?」を考えて実践し続けることが大事です。それは変にお世辞をいったり遜ったりしておべっかを使う事ではありません。基本は相手(の欠点や過ち)を許し、存在に心から感謝して心からの笑顔で承認し、自分には決してできない貴重な経験をしている存在として尊敬し、愛することです。

あなたも他人も出会う人はすべて創造主の分身であり、自分も他人も尊敬しないということは創造主(すべての存在)を尊敬しないということであり、当然それは悪い運命・シナリオを引き寄せることになります。社会の中で他者比較に晒されてみんな自尊心が低くなっているのが初期設定ですから、努力して出会った人みんなと自分自身を尊敬し、お互いの自尊心を上げる必要があるのです。

そしてどんなに相手の意見が気に入らなくても、その場では話を否定せずに真剣に聞くことです。こちらが少しでも否定したら「この人は話を聞かないタイプだ」と、相手は心を開かなくなり、本音を言わなくなります。つまらない話ほど真剣に聞かなければいけません。人はつまらない話も真剣に聞いてくれる人にしか大事な話をしないものだからです。相手は自分で美味しい(正しい)と思って自分の料理(言葉)をプレゼントしてくれているのに、それを口に合わないからとその場で吐き捨てるようでは人間関係がうまくいくわけがないのです。必ず味見はさせてもらってとりあえずは「美味しそう(面白そう)・興味がある」と言うことで、いったんテイクアウトにする癖をつけて下さい。あとはあなたのDisposable(取捨選択自由)です。

相手の言う事が正しいか間違っているか・好きか嫌いかを判断するのは後回しにして、創造主がどういう意図(伏線)をもってあなたとその人・その言葉・その出来事とを出会わせたのか(何に気づかせたいのか)を考えてみて下さい。そしてそれは必ず愛により成長を願って与えられている出会いなのだと理解して下さい。

人生はRPGそのものであり、RPGにおいて行き詰まる原因は常に「人の話を聞いていないこと」なのです。クリエイターからのメッセージをNPCを通じて受け取れていなければゲームがうまくいかず悪いシナリオに導かれる(行き詰まる・事故る)のは当たり前なのです。

人生というRPGは全て予めプログラム済みなのであり、僕らは既に用意されている無数のシナリオを選択しているに過ぎません。悪く解釈すればどんどん悪いシナリオに導かれますし、良く解釈すればどんどん良いシナリオに導かれます。だから大切なのは行動の選択より解釈の選択なのです。

>離婚理由は相手の女性関係、モラハラ、性格の不一致等です。妊婦になってから不仲になっていきました。

画像の「離婚原因TOP5」の通りですね。離婚に至る人の多くは、その理由をあなたと同じように自分のせいではない(相手のせい・相性のせい)と解釈しているということなのでしょう。

もちろん傷を癒すためには相手のせいにするのも必要な過程ではあるのですが、いつまでも相手のせいにしていては自らの成長の糧にならず、例え再婚したとしても恐らくはまた同じことを繰り返すことになるでしょう。

「離婚原因TOP5」にあるようなものは男性のネガティブな性質(反発心)の表れ方の典型(霊障・カルマ)であって、原因ではなく結果なのです。男性は環境・状況次第では誰でもそのようになる可能性があります。

例えば外で女を作ることにしても(もちろん男性側の元々の播種本能の強さも原因としてあるのでしょうが)男性が家でも職場でも友人関係でも自尊心を下げるようなことばかり言われて、外に女を作って肉体的に受け入れられる事で自尊心を満たす他なくなったことの結果でしょう。

人間とは「風の谷のナウシカ」の腐海の植物と同じで、土が汚れているから(霊障にまみれ、自尊心が下がっているから)毒を出すのです。ですから人は常に自他の毒を浄化(浄霊)し、心の水やりを怠らないこと(愛情欲求・自尊心を満たしてあげる事)が大事なのです。そしてそれこそが霊的成長なのです。このあたりの話は「憑依体質の存在意義」と「悪いカルマの解消法」を読んで下さいね。

みんな決まって離婚の際は「性格の不一致」と言いますが、人間の性格は一致していないのが初期設定であり、最初から性格が一致していたら相手は自分そのものですから存在意義がありません。性格が一致していない者同士が失敗・紆余曲折・試行錯誤を経て歩み寄る過程に物語があり存在価値を生んでいるのです。「最初は努力しなくても一致していた」などと思うのは恋愛のマジックであり幻想です。それによってきちんと話し合わなくてもわかって貰えているものと勝手に期待し、問題が次々に出てくれば「最初から性格が合っていなかったことが原因」と考えて諦め、自分から歩み寄ってきちんと話し合っていないから相手も意地になって歩み寄ろうとせず反発するのでしょう。みんなが離婚の原因だと考えることはすべからく純粋に愛情(尊敬・感謝・許し・忍耐)不足の結果なのだと思います。

全ての事象は因果によりどこまでも果てしなく結びついており、それは常に循環・上書き更新されているものです。相手の性癖を問題の原因として断定することは、その因果を自分に都合の良いようにブツ切りにすることなのです。

例えばあなたが自分の不幸を親が原因だとするとします。でもそうだとしたら、その親があなたを不幸にしてしまうように人間になったのは、きっとその親(あなたの祖父)が原因でしょう。その責任追及の連鎖は「親⇒その親⇒その親⇒その親・・・」と創造主の人間創造まで果てしなく続くことになります。つまり親を責めるのは創造主を責めるのと同じなのです。その因果を「自分の親が悪い」という自分にとって都合の良いところでブツ切りにし、自分の親の不幸な境遇に思いを巡らさないようにしなければ、自分の親個人を責めることはできません。それはもちろんあなた自身についても元パートナーについても同じ事が言えます。あらゆる人・出来事への不平不満は全てを与えし創造主への不平不満なのです。それは必ず悪業となって自分自身に返ってきます。

夫婦関係に限らず、人間関係の問題の原因はほぼ二つに集約されると思います。それは前述の「自尊心の下げ合い」と後述の「感情の強要」です。

殆どの人は感情(愛)の存在理由とその仕組みが理解できていません。詳しくは他の方の質問「片思いの存在意義」に書かせていただいたので、そちらをご覧下さい。今回はかなりそれと内容が重複します。非常に根源的な所から説明が必要なので大変なのですが…。

全知全能の創造主からすれば、同じように全知全能の存在を創ることはたやすいことなのです。また個性のない(欠点も過ちもない)完全なコピーを無限に創ることも容易です。でもそれでは存在に意義がありません。

愛というのはそれぞれの存在に個性(欠点や過ちを含む)があってそれをお互い許し合い・補い合うからこそ生じるものなのです。我々は個性がなければ愛し合う事はできません。我々の誰しもが個性を持つ存在であり、それは欠点や過ちと不可分です。ですから欠点や過ちを理由に人を愛さないというなら、自分自身も誰も愛することはできないのは自明なのです。欠点や過ちには価値があり、それなくして愛は生じ得ません。そしてその愛という概念こそが存在意義なく生じた創造主が自ら創った存在意義なのです。

相手の欠点や過ちが自分に存在意義を与え、自分の欠点や過ちが相手に存在意義を与えているのに、人間は欠点や過ちを理由に他人を許さず・愛さず、その結果自分自身も許せない・愛せなくなるようにわざと愚かに初期設定されています。だからこそそれを課題として乗り越え、お互い許し合い・補い合い・愛し合えるようになる過程の物語が、愛を価値ならしめるのです。その経験がなければ愛はただの概念に過ぎません。

だいたい離婚する夫婦の奥さんというのは、旦那や子供たちが家を散らかしたり汚したりする度にキレて相手に片付けさせようとするような人が多いです。相手の欠点を許し補ってあげて自分が成長することなく、相手側を変えよう(教育しよう)という基本姿勢なのですね。相手の欠点や過ちが自分に存在意義を与えてくれているのですから、相手を許して補ってあげればいいのに、便座が下りてないぐらいでブチ切れる女性とか、もう処置なしなのです。相手に欠点や過ちがなく何でも完璧にできるようになったら自分に存在意義はなくなって必要とされなくなるのは自明でしょう。まして家事などはほとんど機械がやってくれる時代ですからね。そのように逐一相手の欠点や過ちを責めて自尊心を下げて悪い行動を繰り返させて、お互い鬱になってお互いの気持ちを考えられなくなって関係が破滅に至るのではないでしょうか?

許すということは我々が創造主から与えられた最大の権限委譲であり、許し=愛なのです。だから僕らは許しを経験するために生まれたとも言えます。逆に言えば誰かを責めることは最大の越権行為なのです。それはすべてを与えし創造主を責めることですからね。

人の悪い行動はすべて過去の傷により誤った悟り方をして、自尊心が低くなっていることが原因なのです。すべての人の性格にはちゃんとそれなりの原因があって、すべての出来事はみんな止むに止まれずやってしまった結果なのだということです。そういう自分や他人に対する許しがなくては、きっと自尊心を下げて反発が起こり、問題が根本的に解決されることはありません。

「許し」と「我慢」とは違います。我慢するというのは読んで字の如く我(エゴ)で己の心を漫々にすることであり、心では和解が成立していないのです。我慢している間は相手を心の底では許しておらず、その場凌ぎをしているに過ぎません。本当は嫌だけど我慢「してやっている」のだ、と。そしてそれはマグマのように蓄積していつか爆発するのが自明なのです。相手を許し、自発的な成長を信じ、相手の幸せのために耐え忍ぶ「忍耐」が大事なのです。このあたりの話はnote記事「信じることの意義」に書きました。

さて、感情を強要することの問題点について詳しく解説しますね。

全知全能の創造主にとって、自分を愛するように人間を創ることなど造作もないことです。でもあなたがクリエイターだとして、自分を愛するようにAIをプログラムしてそのAIから愛されて嬉しいでしょうか?そもそもそれは愛と呼ぶことすらできないでしょう。

自由意志というのは愛(感情)を存在価値ならしめるために人間へ与えられたものであり、わざと他人(神々も含む)の思い通りにはならないように作られているのです。感情を他人が強制できてしまったら感情自体に存在意義がなくなってしまうのです。

だから感情というのは他人から強要されると必ず反発するようにできているのです。例えば「私を愛しなさい」「私を尊敬しなさい」「私に感謝しなさい」というように言われたら逆の感情が湧きますよね?もちろんそこまでダイレクトに感情を他人に強要するような愚かな人はなかなかいないでしょうが、みんな無意識かつ遠回しにやっているのです。

我々は家族や恋人に愛情を当然の権利のように強要していたり、自慢話をして尊敬を強要していたり、自分の勝手な愛情を押し付けては「〇〇してあげたのに」などと恩着せがましく考えて感謝を強要していたりするように初期設定されているのです。もちろんあなたも例外ではなく、誰しも必ず気づかない間にやっているものなのです。だからあなたにも必ず心当たりがあるものとお察しします。

人間は愛(尊敬・感謝)を求めて生きるようにプログラムされているのですから、これは宿命と言って良いでしょう。それは神々でさえそのように作られているのですから、人間が愛(尊敬・感謝)を求める本能を否定することは誰にも不可能なのです。(だからあなたが悪いわけでも相手が悪いわけでもありません)

「無意識に感情を相手に強要して反発される」夫婦関係に限らず人間関係の問題の根幹はここにあると言って良いでしょう。あなたの離婚の主要因もここにあるのだと思います。

愛は自由な状態で自由意志により発したものでなければ意味も価値もありません。そして本物の愛というのは相手の心を最も自由にするものであり、相手に愛を強要したり束縛するのは愛ではなくエゴなのです。(世の中の多くの人がエゴを愛だと勘違いしています)そうやって愛を強要したり束縛したりすれば、相手の「自由を求める心」に必ず反発が生じて心が反発し、いつか愛は失われてしまうのです。愛は自由な状態で自由意志により自発的に発するものであり、強要・束縛すれば必ず逆の結果が待っているということです。

じゃあどうすれば良いかというと、note記事「誰でも自信満々になれる方法」に書いた通り、愛(尊敬・感謝)というものを絶対に相手には強要せず、一切見返りを求めずに無条件で自分から与え続けることです。そうすることで自然と人から自発的に愛され尊敬され感謝されるようになるのです。

世のほとんどの人はまだ感情を相手に強要してしまっている段階にあります。(もちろん覚醒前の僕もそうでしたし、今も常に気を付けてないとすぐそうなってしまいます)それにより人間関係全体があまりうまくいかずに自尊心が下がり続け、その愛の不足分を全部パートナーだけに求めようとして余計に反発され、結果として上記に離婚の理由として挙げられているようなことをされ続けてしまったのではないでしょうか?あなたはパートナーとの関係だけにフォーカスしているようですが、他の人間関係がうまくいってるのにパートナーとだけうまく行かないということは恐らくないと思います。

これは万人に共通した課題であり過程なのです。ですから決してご自分を責めて自尊心を下げないで下さいね。反省も後悔も必要ありません。ただ過ちから学んで成長すれば良いだけなのです。過去はすべて成長のために必要な過程だったのですから。そしてその成長経験こそが生きる喜びであり、生まれてきた意味なのです。

前述した通り、愛という概念は経験を伴わなければただ言葉に過ぎません。僕らは愛という概念を経験を通じて価値ならしめるために存在しているのです。失敗と試行錯誤なくいきなり正解(愛)に至るなら経験に存在意義はありません。あなたは失敗経験を通じて「愛とは何か?」ということをより深く学んでいるのです。

相手も自分自身も責めて反省を求めて落ち込ませると自尊心が下がって悪い行動がやめられなくなる悪循環にハマるので、決して相手も自分自身も責めないで下さい。誰が悪いというわけではなく、課題に気づいて克服しようとする経験が尊いからこそ、創造主からカルマによってその経験に導かれたのです。克服した後から見れば「ああ、あの経験・過程があったからこそ今の素晴らしい自分があるのだ」と愛しく思い出すことができるようになります。

あなたの人生はすべからくあなた次第に作られています。しかしそれはあなたの過去に起きたことが全てあなたのせいという意味ではありません。あなたの過去に起きたことはすべてあなたの学び・成長経験に必要だからクリエイターの意図によりもたらされたことなのです。ゲームのバイオハザードで、ゾンビが出てくるのはあなたが悪いからだと思いますか?ゾンビ達やゾンビを生んだアンブレラ社やゲームを作ったクリエイターを恨んで意味があるでしょうか?あなたの過去に起きたことは全てゲームの設定(伏線・シナリオ)のようなものであり、ゲームの設定(伏線・シナリオ)に良し悪しをつけて誰かに文句を言ってもゲームが進みません。過去のすべてを自分が主人公のRPGの設定・課題と捉え、そこを起点に選択可能な現在どうするかを考え、既に未来に用意されているシナリオ中でより良いものを選んでいくべきなのです。あなたはRPGの世界ならそうしているはずです。この人生というRPGでも同じようにしてみて下さい。

人生というゲームにおいて過去の問題を自分のせいだとか相手のせいだとか考えることがいかに愚かなで無意味なことかに気づいて下さいね。そしてその人間の愚かさもこのゲームの基本設定であり、成長に必要な過程なので、落ち込む必要はないのです。

問題点というのは本当に自ら気づき(覚り)さえすれば(課題を自覚し、自尊心を下げなければ)無理に解決しようとしなくても勝手に治っているものであり、だからこそ気づき(覚り)とは尊いのです。我々は気づき(覚り)の喜びを得るため・成長を楽しむためにわざと愚かに生まれてきているのです。全知全能では成長の物語は経験できません。

そして逆説的に聞こえるでしょうが、決して自分も相手も責めずに、それでも自分が悪かったと相手に誠心誠意謝ることが大事です。もし自分や相手が悪いと思っていたら自己防衛本能が働いて誠意ある謝罪などできません。答えはいつでも「誰も何も悪くない」であり、そう考えるからこそ、全ての事象を与えし創造主の代理として、起きた負の出来事をまるで全ては自分の責任であるかのように相手に謝罪できるのです。そして創造主の代理として頭を下げられる人間は創造主からより愛されて、より素敵なシナリオへと導かれるのです。

蛇足ながら「妊婦になってから不仲になった」という点についてですが、妊娠すると男性にとって女性は母になり、大なり小なり性的関心が薄れるのは不可避ですし、女性側も女性側で愛情が旦那より子供に移ってしまうのは自然なことです。子育ての責任がほとんど母親だけに押し付けられる価値観の社会ではとても難しいことなのですが、美意識(恥じらい)を失って「女」であることを放棄した色気ゼロの「子育てマシーン」みたいな「所帯じみたおばちゃん」にならない努力というのはとても大切なのです。

大分長くなってしまいましたが、どうか偉そうな説教だと解釈しないで下さいね。冒頭に書いた通り僕は結婚も離婚も経験がなく、それを経験しているだけでもあなたは凄いと尊敬しています。くどいようですが、尊いのは経験であり、他人は誰でも口だけでならどうとでも言えるのです。「言うは易く行うは難し」と言われる通りです。

すべての魂は同一ですから、僕はあなたとして生まれていたら絶対に同じことをしています。当然です。だから僕は決してあなたを責めたり説教をしているのではないのです。でももし仮に「僕が今の自我を持ったままあなたに成り代わったら」という無茶な設定で考えるとするなら、僕はそのパートナーと一旦距離を置いて落ち着いてよく考えた後、愛が不足していたことを真剣に謝って復縁をお願いすると思います。もし相手が本当にどうしようもない人なのであれば、別な人を探して同じ過ちを繰り返さないように気を付けると思いますが。あなたがどちらの運命にあるかは僕にはわかりません。お二人のことはお二人にしかわからないでしょうし、僕はあなたに会ったこともなく、そのパートナーの方に至っては全く何も知りませんからね。

ただあなたもパートナーも恐らく霊障に犯されて鬱状態になっていて、気づかない間に自分が自分ではなくなっているのだと思います。そうしてとても傷つきやすくなり、溺れている人が助けに来てくれた人を沈めてしまうように、お互いエゴの海に溺れて相手のことを考えてあげられる状態じゃなくなっているのでしょう。だからやはり一度実家に帰るなどして距離をとってお互い冷静になった方が良いと思います。そして離婚などの重大な決断は、鬱が解決してからの方が良いと思います。日本では難しいかも知れませんが、カウンセラーに間に入ってもらうなどの方法もあるでしょう。

人生のカルマ(課題)というのは、逃げれば逃げるほどに雪だるま式に大きくなりながら、追試や補講のようにどんどん果てしなく追いかけてきます。どれほど輪廻転生を繰り返してさえも。だからあなたの離婚という決断が「逃げ」なのか「勇気」なのかをよくよく自問して考えてみて下さいね。

僕が言うまでもなくどうするかはあなた次第なのですが、ここに書かせていただいた内容をあなたが本当に理解し納得して下さるのであれば(僕の言うことが本当に創造主の代弁なのだと信じて下さるのであれば)どうすべきかは自明なような気がします。

それでは、あなたの幸せを心から祈っています。

2022年9月6日火曜日

神への不敬で当たったバチ

【質問】
いつも拝見させていただいております。

海外某所で神聖な場所だと深く認識せず、神聖だと言われている場所(日本でいう伊勢神宮のような神聖な場所)で悪ふざけをしたらその後意味不明な偶然が重なり、幼少期にあった辛い記憶を突然思い出して精神崩壊しました。今は立ち直りましたが神聖な場所での悪行に大変反省しています。これは悪いカルマというか自業自得の罰なのでしょうか?それとも想像主が与えた幼少期のトラウマに向き合う課題なのでしょうか?教えていただけましたら有り難いです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

note記事「悪いカルマの解消法」に書いた通り、カルマというのはすべからく克服すべき課題であり、創造主が我々に自発的な成長を促すために与えているものであって、決して悪行の罰として与えられているものではありません。

人生というのはすべからくあなた次第に作られています。しかし過去に起きた悪い出来事を「全て自分が悪いせいで与えられた罰だ」と考えて自分を責めるのは誤りです。

ゲームのバイオハザードでゾンビが出てくるのはあなたのせいでしょうか?それはあなたを主人公とするゲームの初期設定なのです。カルマとは創造主からあなただけにアレンジして与えられた有難い課題(シナリオ)です。創造主は全知全能なのですから、失敗・過ちを犯さないように人間を創ろうと思えば造作もないことです。しかし創造主は我々が学び成長する喜びを与えるために敢えて失敗・過ちを経験させてくれているのです。

真理とは概念に過ぎず、経験を伴って初めて意味を成すものです。真理そのものに価値があるのではなく、真理を目指す中で失敗と試行錯誤を繰り返す我々の経験にこそ本当の価値があり、それが真理を価値ならしめているのです。いきなり正解(真理)に辿り着いては意味がないのです。あなたのその「神への不敬」という失敗経験はとても価値のあるものだということです。

そして別な方の質問「片思いの存在意義」に詳しく書きましたが、全知全能の創造主からすれば自分を愛するように人間を創ることなど造作もないことです。でもあなたがクリエイターだとして、自分を愛するようにAIをプログラムしてそのAIから愛されて嬉しいでしょうか?そもそもそれは愛と呼ぶことすらできないでしょう。

自由意志というのは愛(感情)を存在価値ならしめるために人間へ与えられたものであり、わざと他人(神々も含む)の思い通りにはならないように作られているのです。感情を他人が強制できてしまったら感情自体に存在意義がなくなってしまうのです。

最初から神を信じるように人間を創ったら信心に存在意義はなく、信じないというネガティブな選択がデフォルト設定になっています。神は科学的に存在証明されないように周到に世界を作っています。証明されたら「信じる」ということに価値はなくなるからです。創造主は宗教に間違いを犯させ、また宗教を利用した詐欺などを横行させて、神を信じる人間は気違いだとすら思わせます。そういう中で人間が自由意志により自発的に信心を起こすからこそ信心には存在価値が生まれ、神々は嬉しくなれるのです。

あなたのその「神への不敬」による失敗は、あなたを自発的な信心へと導くものであり、あなたは導きのままに信心を起こせば良いのです。過去を悔いて反省などする必要は全くありません。それはnote記事「反省してはいけない」に書いた通りです。与えられた課題・経験(失敗と試行錯誤)に感謝しながら課題を克服していくことです。

問題は必ずしも解決しなくても良いのです。喜んで受け取ってそれを人と共有し合い許し合い補い合うことでいつの間にか問題は問題にならなくなっているものなのです。それはnote記事「問題は解決しなくていい」に書いた通りです。

トラウマは「許し」によってのみ克服が可能なものです。「許し」とは創造主が人間のみに与えた最大の権限移譲であり「愛」そのものなのです。僕らは「許し(愛)」を経験するために生まれてきたとも言えます。

あなたに起きた全ての出来事は主人公であるあなたにとって必要(ベスト)だから起きたことであり、過去は全て現在のあなたの人生というRPGの設定なのです。全ては壮大な因果の中にあり、それぞれが自らのカルマと戦いながらベストを尽くした結果(やむにやまれぬ事情があった結果)で起きたことです。人の悪い言動・行動はすべからくトラウマ(心の傷)が原因なのですから、その自分と他人の心の傷を思いやり、自分と他人の過去の悪い言動・行動(過ち)を一つ一つ許していくことです。鬱克服のカギは自分と他人を責めるのを同時にやめて許すことです。あなたを責めているのは神ではなくあなた自身だということに気づいて下さいね。そして欠点や過ちというのは我々が許し合い補い合い愛し合う為のマテリアルだということを忘れないで下さい。欠点や過ちは人間に例外なく与えられているものであり、それを理由に人を許さない・愛さないというなら許される・愛されるに足る人間など存在しません。

人はみな創造主の分身であり、創造主はあなたに自分と他人のその尊さに自ら気づいて神のように大切に扱って欲しいのです。自分も他人も等しく創造主の子供として許し合い尊敬し合い感謝し合い愛し合って欲しいのです。そうすることが我々に全てを与えてくれている創造主に対する愛の表現であり、あなたがそれを発揮した分だけ必ず創造主の分身たるあなた自身に期せずとも返ってくるのです。

どうか既に与えられているものの価値に気づいて一つ一つ感謝してみて下さい。与えられたものに対して感謝できない人間には、何を与えても不平不満で返されることが自明なので、創造主はより多くを与えようとは思わないのです。そして逆に与えられたものまではぎ取られ続けて失い続けることで、与えられていたものの価値に気づかされるような悲惨な人生になってしまいます。

いつも言っている事ですが、自分に都合の良いものなら赤ん坊でも愛せます。本当の意味で大人になるということは、自分にとって都合の悪いものも(自分に与えられた課題・経験だと)愛せるようになることなのです。

コミュ障を克服したい

【質問】30代前半・男性 ペンネーム:脳汁 真也さんこんにちは。最近Xやnote、質問箱を見させていただいてます。 真也さんの考えはとても素晴らしく自分に取り入れようとするのですが、なかなか理解力不足でうまくいかないです。私は昔からいわゆるコミュ障です。友達も少ないですし、職場の...