【質問】
「デジャブ」前にもどこかで見たことある気がする光景を見る等の出来事は、どんな理由だと考えていますか?
【回答】
ご質問ありがとうございます。
お手数ですが、できればご質問は基本的に新質問箱の方にメールで送って下さい。そしてご説明するにはせめてご質問者さんの年齢(年代)・性別ぐらいはわからないと、例え話などを用いて的確に説明することが難しくなります。どうしても素性を完全に隠しておきたいような深い悩みであれば、旧質問箱でも受け付けていますが、今回はそういう質問内容でもないわけですしね。
さて、ご質問の「デジャブの存在理由」について、「どのような理由だと考えていますか?」というあなたの尋ね方は「相手が真実を知らないことを前提とした尋ね方」ではあるのですが、実際自分の世界は自分の解釈が創っているものなので、その尋ね方は決して間違ってはいません。そしてあなたがデジャブの「仕組み」ではなく「存在理由」を知ろうとしているのであれば、それはとても賢明なことです。
世の殆どの人が受け入れられていないのですが、この世界はクリエイターによって完全に「意図されて」創られた仮想現実であり、存在理由のないものなど一つもありはしないのです。
クリエイターは全知全能であり、我々が認識しうるすべての存在・事象は超弦をスクリーンのようにしてあたかも実体があるかのように映し出されたものです。超弦はバイブレーションであり、クリエイターの意思の乗り物です。つまりクリエイターは思うだけですべてを実現させてしまう全知全能の存在です。何でも思うだけで実現するのですから、我々が「どのようになっているか(仕組み)」を知ることにあまり意味はありません。我々が認識できる世界における何かの仕組みというのはすべてアニメやRPGにおける後付けの設定のようなものですから。大事なのはやはりあなたが認識されている通り「なぜそれが存在するか(理由)」の方です。
アニメやRPGの世界にどっぷりと浸かって心から楽しんでいる子供たちは、主人公の必殺技の仕組みなどを知りたがるでしょうし、大抵の場合クリエイターは作品の中でそれを説明しているでしょう。しかしそれはそのアニメやRPGにおける後付け・つじつま合わせの設定のようなものであって、本当の仕組みではありません。本当はクリエイターのイメージの世界ですべてが予め創られた上で、後から様々な独自のルール(制約・基本設定)のあるアニメ・RPGの作品として再現されているのです。我々の認識できる世界における何かの仕組みというのはすべて物語の伏線上必要な後付け・つじつま合わせの設定であり、本当の仕組みではないということです。
例えばワンピースでは「悪魔の実」や「覇気」など作中で仕組みや存在理由の説明がされていると思いますが、それは後付けで考えられた設定であり、実際は作者が「この方が(主人公の成長の物語として)より面白い(美しい・感動的だ)」と思って既にイメージの世界の中で創作したものを作品において再現しただけであり、それはこの我々のいる仮想現実も同じだということです。そしてその設定は基本的にその作品の中でだけ通用するものなのです(もちろん面白い設定は他の作品にも応用されていることでしょうが)。
だからすべての設定(制約)の本当の存在理由は、非常に大ざっぱに言えば「その方がより物語として面白いから(芸術として美しいから・成長を楽しめるから)」なのです。
本当の「存在」とは、創造主(自分)の思念・概念のみでそれ以外の「もの」は一切存在せず、創造主は全知全能で、すべての構成要素が無限で一切の制約がなく、また事象が何一つ結実しない世界であり、そこは芸術の素材だけが無限にあって芸術が存在しないような、無限が無限にあるだけの完全で退屈な世界です。そこでは芸術・物語は生まれようがないのです。全知全能で唯一の存在というのはかくも退屈で孤独なものなのです。制約・制限なしには「存在」の輪郭すら描けないのですから。
芸術・物語とは、事象の結実(それをデータとして再現可能な形で残す)・独自に自意識と個性(必ず有限性・欠点を含む)と感情(感性)を持った自分以外のものの存在(分離意識を持ったものの存在)・設定(共通ルール・制約・共感手段)などがあって初めて成立するものなのです。そして芸術には全体を通じてクリエイターが訴えたいメッセージがあるのです。
この僕らがいる仮想現実もクリエイターの作品であり、この物語(神話RPG)全体を通じてクリエイターが訴えたいメッセージがあるのです。そしてすべての存在・事象は、全知全能たるクリエイターがイメージの中でありとあらゆる試行錯誤・上書き更新を重ねた結果、一番面白い(美しい・楽しい)と思ったから選び取られ、また更新され続けている設定(制約・仕組み)なのです。
RPGにおいてそのクリエイターがプレイヤーに答えを直接的に教えてしまうと、それは思考や行動を強制しているのと同じになってしまいますから、それではゲーム要素がなくなり、プレイヤーに対して自由意志と選択肢を与えた意味がなくなってしまいます。だからクリエイターはあくまでもプレイヤーに対し作品中の存在・事象を通じて、自ら気づかせ自発的に覚らせようとこれでもかってぐらいヒントを与え続け導き続けているのです。つまりすべての存在・事象がクリエイターからのメッセージだということです。当然デジャブもその伝達手段の一つです。我々にとっては何かの「仕組み」や「答え(真理)」そのものよりも(失敗)経験からもたらされる「気づき」が重要なのであって、自分なりに答えを出して行く過程(経験)に物語が生まれているのです。そしてそれこそが創造主=我々の存在意義なのです。
デジャブだけでなく、あなたが認識できる存在・事象の全てがクリエイターから何かを気付かせ覚らせるためのあなた個人宛てのメッセージであり、その存在理由はクリエイター目線で大雑把に言えばやはり前述の通り「その方がより物語として面白いから(芸術として美しいから・成長を楽しめるから)」なのです。そしてあなたというプレイヤー自身が様々な存在・事象を通じて気づきを得ながら、自発的に覚って行かなければならないということなのです。つまり今回の話であればデジャブという事象に対してあなたが「どのように解釈するか」が大事だってことです。
我々プレイヤー目線で見ればデジャブは様々な仕組み(後付けの設定)でもたらされ、その個々に様々な意味があります。デジャブだけでなく、あなたの身に起きることは全て物語の主人公であるあなた個人へのクリエイターからのメッセージなのですから、そのすべての意味を他人である僕が読み解いてしまうことに意味はありません。主人公であるあなた自身が認識できる存在・事象からどのような気づき・覚りを得て、自分に与えられた自由意志によってどのように解釈し、どのように自発的に思考・行動をより良くしていく(カルマの解消・伏線の回収)か、試行錯誤するところにゲーム(成長・芸術)の楽しみがあるのです。
しかし「全てあなたの解釈次第です」だけで回答を終わらせてしまってはほとんど何も答えていないのと同じになってしまいますから、今回はあなたに起きたデジャブやその他すべての存在・事象の存在意義をよりうまく読み解けるようにヒントを差し上げたいと思います。
「宇宙の仕組み」でご説明させていただいている通り、時間というのは本来存在せず、映画のDVDでリーダー&ライターの光を当てたところが「現在時間」を生み出すように、僕らの認識が現在時間という体験を生み出しているのであり、DVDの外側(虚数時間軸)の存在(クリエイター)からすれば、DVDの中の時空に捉われることなくいつでも好きなように上書きしてつじつまを合わせることができるのです。しかし僕らは「現在時間に張り付いている存在」のために、基本的には現在時間しか上書き行為ができないという制約が(人生というRPGの設定・伏線上)あるのです。
ただ実際は現在に連動して未来だけでなく過去もつじつまを合わせるようにして変わります。つまり過去から未来へ・過去から未来へ循環する因果を、現在あなたが更新することが可能だということです(マンデラ効果などはそれに気づかせるための一手段なのです)。そしてその因果更新・カルマ解消・成長の物語が我々の存在意義なのです。
虚数時間軸から見れば過去も現在も未来も前世もメディア(アカシックレコード)にデータ(魂の記憶)として記録されており、一度に存在しているのです。そして我々人間はアバターであり松果体はアンテナのごときものですから、前世や未来の情報が我々の認識する現在に送られてくることなどは(伏線上必要であれば)当たり前の様に日常的に起きるのです。
伏線上なぜデジャブや予知夢が必要になるかというと、やはりそれは前述の通り「その方が物語として面白いから(芸術として美しいから・成長を楽しめるから)」です。
人生というのは、創造主の一つの魂から分離された分け御霊が、今の自分の人生も他人の人生も繰り返し生きているのです。だから仏教では一人の人生を「一生」ではなく「一劫」と表現します。そのキャラクターとしてミッションクリアするまでが一劫(一ゲーム)であり、できなければ当然リスタートとなるのです。
リスタートの際は記憶の殆どを消されるため、そのままでは何度でも同じ過ちを繰り返してしまい、因果(カルマ)の更新ができません。だからデジャブや予知夢は基本的に一歩前に進むため、因果更新のためのターニングポイントで起きることが多いと思います。
なぜ前世の記憶が殆ど消されるかというと、記憶が残ったままではゲームが簡単になり過ぎて魂の成長につながらないからであり、因果があまりにも簡単に上書きできるとひっちゃかめっちゃかになって人生の存在意義が薄れてしまうからでもあり、あまりにも繰り返しが多いので記憶が残っていると飽きてしまうからでもあり、いたずらに死を恐れなくなってドラマが成立しなくなるからでもあります。記憶を殆ど全て消された上で、あくまでデジャブや予知夢など様々な手段を通じてヒントを与えられて導かれるぐらいがちょうど良いのです。全知全能の存在が途方もない試行錯誤を繰り返した上でこうなっているのですから、本当はすべてがベストなのです。
プレイヤー目線でデジャブや予知夢を個別に解釈すればその意味するところは様々であり、(すべての存在・事象に意味があるのです)前述の様に因果を更新(成長)させるための気づきを与えるためであったり、因果・輪廻転生・カルマ(シナリオ・課題・運命・神の導き)の存在そのものに気づかせるためであったり、これから起きることの精神的なショックを和らげるためであったり、深い郷愁を味合わせるためであったりします。本当にただの気のせいってこともあるかも知れませんが、この創られたRPG世界に偶然は存在せず、何がしかの意味を持った創造主からのメッセージであることに違いはありません。それらをどのように解釈するかはあなた次第であり、その解釈があなたの世界(あなた自身)を作り上げているのです。
ただそれらの様々なデジャブ・予知夢の存在理由も、やはりクリエイター目線で大雑把に言えば「その方が物語として面白いから(芸術として美しいから・成長を楽しめるから)」です。「悪いカルマの解消法」に書いてますが、与えられた困難(カルマ・課題)を決して悪く解釈せず、すべての存在・事象はあなたの魂の成長に必要だから与えられていると感謝しながら乗り越えていくことを忘れないで下さい。そして我々は過去も未来も同時に変えられるのですから、タチの悪い常識・他人の意見・価値観や、自分や誰かの過去の罪や恥に引きずり込まれず、より良い未来を選択して下さい。