2022年11月30日水曜日

父親の自殺と母の事故死

【質問】30代後半・女性
いつもお世話になっております。お疲れのところ突然のDM失礼いたします。

わたしの父親は私が14歳の時に自殺し、その5年後母親が車の事故で亡くなりました。そのことは私を今も苦しめ悲しい気持ちでいっぱいにし、手に負えない感情に振り回されて困ることが多々あります。

真也さんの言葉を読み、真理に近付きたいと(それは意識するものではなく、必然そうなってしまうようにできてるかなと思う時があります。道の途中ですので未熟な表現が多々ありすみません)生きているつもりですが、何度も同じ間違いを繰り返しています。

私は確かに父親に愛されていた、今も愛されている、そう思えるようになったら変われるような気がしていますが、とても難しいです。

【回答】12月6日更新
ご質問どうもありがとうございます。とても悲しい、大変な経験をして来られたのですね。

人の悲しみや大変さは他人と比較できるものではないのですが、それでも明らかに自分よりハードな人生を送って来られている方からご質問を受けると、自分の想像力を最大限に発揮してもそのお気持ちは本当の意味ではわかりようがないのですが、ただただその悲しみとご苦労に同情します。

普段僕は「創造主は常に本人(の魂の成長)にとってベストなものを与えている」「与えられたもの一つ一つに感謝しなければならない」と語っていますが、とても深いカルマを背負い、それに値するような悪い事など明らかに何もしていないのにとても辛い経験をされている方に対してそれを言うのは、創造主の思いの代弁を任されている身としてとても心苦しいです。

ただ「人生はRPGで、自分という主人公にだけ与えられたシナリオがあり、他人とは一切比較してはいけない」というのは本当に事実なのです。大変なカルマを背負っている人ほど、魂のレベルが高く、より大きな成長を期待されているということなのです。みんなカルマを人と比べて欠点のように解釈して我が身を呪い、イージーな人生を送っていそうな他人を羨んだりしてしまいがちですが、人生というのは魂の受験のようなものであり、難易度が高いほど価値が高いのです。もちろん逃げる方向ではなく乗り越える方向にベクトルが向いていれば、ですけども。

反省してはいけない」に書いた通り、自尊心が下がると、悪いとわかっていても悪い行動がやめられなくなり、更に自尊心が下がる悪循環にハマるのです。自己イメージと行動のレベルは正比例します。多くの人の問題の根幹は自尊心が子供の頃から下げ合うように社会的に洗脳されているためであり、みんなの自尊心の低さは社会病理なのです。そしてそれは個人の欠点ではなくみんなに与えられた乗り越えるべき課題なのです。だから自分のことも親のことも誰のことも責めないで許してあげて下さいね。鬱の主原因は「自分や他人を責めること」であり、鬱の解決法は「自分と他人を責めるのを同時にやめること」です。答えは常に「誰も何も悪くない」です。

人間の行動というのは、意志がそれを選択する前に既に脳が決めているのですから、普段から良い解釈(世界観・価値観・哲学)を選択することが大事です。解釈が自分自身(世界・人生)を創っているのであり、選択肢もその解釈が運んでくるものですから、選択肢が目の前にやってきた時に行動を選択することで人生を変えようと思っても無理であり、人が自分で悪いとわかっていることをやめられないのは当たり前なのです。「自由意志は存在するか?」に書きましたが、自由意志(選択の自由)とは行動の選択ではなく解釈(世界観・価値観・哲学)の選択なのです。それが自分の人生=世界を作るのです。

誰でも自信満々になれる方法」これは本当に人生・人間関係の万能薬なので、ぜひ読んで実行してみて下さいね。そして自信満々になって下さい。自尊心が上がれば行動のレベルも上がってどんどん自分自身もみんなも人(人生・世界)が好きになる好循環に入れます。

質問後のDMでご結婚生活も色々問題があるとのことなので「離婚について」もぜひご参照下さい。良くない結末を迎える前にどうか立て直して下さいね。

そして血縁関係なんかに捉われず、また自分に都合の良い人だけを愛して追いかけまわしたり、苦手な人を嫌ったり攻撃したり避けたりしようとせず、出会ったみんなを例外なく家族のように(自分自身のように)愛して仲良くなって下さい。愛情は無条件でなければなりません。「こういう人は愛せるけど、こういう人は愛せない」というのは愛ではなくエゴなのです。日々少しずつでも愛情の条件(エゴ)を外していくことが人生の修行です。そうして自分の心の仏国土を愛で満たし、出会った人を心に写し取ることでみんなをその住民として迎え入れ、例外なくみんなを愛し、その愛をこの世界中に連鎖させて下さい。それがあなたという主人公(メシア)の使命です。

メシアになるのに必要なのは覚悟(愛)だけであり、有名人や権力者になる必要は全くありません。すべては波動で出来ていて、それは指数関数的に連鎖するものなのですから、あなたが心を愛で満たしてそれを出会った人に遍く連鎖させていくなら、世界はいつか必ず救われるのです。

カルマ(その人に初期設定された課題)の重さは人それぞれ違っても、それは本人にとってはギリギリのとても重いものですから、逃げ出したくなる気持ちも僕にはよくわかります。実際僕は自殺した経験がありますからね。(そこから創造主に救われて、次々に真理に導かれて幸せになっているので、彼の代理で真理を伝え人を救うという使命を果たす以外の選択肢は僕にはありません)

霊障に深く犯されて重い鬱になると、本当にエゴにまみれになって他の人のことなど全く考えられなくなってしまうのです。例え愛する家族を置き去りにすることになろうと、とにかく今の苦しみから逃れることしか考えられないようになってしまうんです。溺れて苦しんでいる人が、助けに来てくれた人を本能的に(本人の意思とは関係なく)沈めてでも助かろうとしてしまうが如くです。でもそれは決してあなたを愛していなかったということではないと僕は思います。あなたの父親がどんな方だったのか僕にはわかりませんが、人がするどんなネガティブな思考や行動も運命(カルマ)であり、本人には止むに止まれぬ事情があってやってしまったことなのです。

あなたが今とても辛い状況にあるのも、止むに止まれぬ事情があって、自分なりにベストを尽くした上でそうなっているのですから、自業自得・自己責任だなどと考えて自分を責めないで下さいね。いままでのことはすべてRPGの設定であり、それを最終的に幸せになるための伏線として考えて、人生=世界をより良く解釈して幸せになって下さい。人生はRPGですから、困難からスタートするのは当たり前ですからね。そしてそこからの大逆転劇は必然であり、困難をいつまでも続くと解釈して不平不満を言って我が身を呪えば本当に最後までそのような人生になってしまいます。

日本人は「自業自得」「自己責任」って言葉が大好きですが、「本人が悪いんだから不幸になっても仕方がない」っていう考え方はすごく冷たいんです。そういう考え方の人ばかりだから鬱になると「自分のせいだから不幸になっても仕方がない」と考え、誰にも相談したり助けを求めたりできずに自殺したりするんです。僕らは誰一人自業自得で生まれてきていません。壮大な因果の中でちゃんと理由(使命)があって必然として生まれてくるのです。罪と恥(=自業自得)は幻だと知って下さい。メシア(主人公)の使命は相手の善悪に関係なく、例外なく出会った人から救っていくことです。自分より悪い人を責めて蹴落とし自ら地獄に落ちる「蜘蛛の糸」のカンダタにならないで下さいね。人には例外なく欠点があり過ちを犯します。相手の良し悪しを判断せず、愛情に条件を付けず、助け・救いが必要な人と出会ったらどんどん助けて救って行って下さい。

因果は循環するものであり、常に過去に遡って上書き更新されています。「悪い事があったのだから、自分が悪い思考・行動をするのは仕方ない」と考えて悪い思考・行動をやめれないでいると「そういう言い訳をして悪い思考・行動をする人間だからこそ過去に悪い事が起きた」ということになり、また悪い出来事を引き寄せて繰り返してしまいます。悪い事があっても悪く解釈して悪い思考・行動がやめられなくなって、人生を自ら台無しにしてしまうのです。だから悪い出来事も悪く解釈してはいけません。自分の魂の成長に必要だったから起きたと考えてどうか乗り越えて下さい。この点は理解が難しいと思いますが「自由意志は存在するか?」を読んで下さいね。未来と同じように過去は可変なのです。

きっとあなた自身も自殺を考えるほど辛い経験をされてきたのですから、どうかその父親の苦しみに心から同情し、カルマから逃げてしまったその過ちを赦してあげて下さい。「罪と恥の存在意義」に書いた通り、あなたが出会う全ての罪と恥は、あなたに許されるのを待っているのです。そして「音と水の存在意義」に書いた通り、今からでもご両親に愛の波動を言葉と思念にして送ってあげて下さい。それは決して無意味で無駄な事ではありません。そしてあなたはどうか自分のカルマから逃げないで下さい。

人の悲しみというのは他人と比較できるようなものではないのですが、僕も叔母を(その旦那さんと共に)交通事故で亡くしました。実の両親は僕が経済的に自立するまで健在でしたが、性格が全く合いませんでした。親は基本的に常識人で、僕に愛情を持ってきちんと育てようとしてくれていたにも関わらず、僕は小さい頃からいつも逆らってばかりで、人生のことを相談したりしたことは全くありませんでした(今は心から尊敬し感謝していますけど)。そのカルマをまだ解消できてないせいか、今でもブラジルで独身修行中で(血縁的には)天涯孤独の身です。まぁ今の僕の考え方や行動を常識的な人たちはまだ理解し受け入れられるわけもないですからね。創造主から直々に教えをいただけるなんて幸せは恐らく他の誰にも与えられていませんし、僕は周囲のみんなに愛されてとても幸せに生きています。それでもブラジルは家族をすごく大事にする国民性で、仲睦まじい姿を見せられると、時々羨ましく感じそうになることもあります。僕は実の親を自殺や事故で亡くしているわけではないので、あなたのお気持ちがわかるとまではとても言えませんが、少しだけは想像できます。

すべての存在は同源でありワンネスです。我々は同一の魂(創造主の魂)であり、そこから分け御霊を与えられ、肉体と個性と個別の使命・シナリオを与えられ、欠点や過ちを許し合い、個性を尊重し合う事でまたひとつなぎに一つになれるという神話の中を生きているのです。本当はすべての人間の魂が創造主の分け御霊であり、同一人物のようなものなのです。

「一番大切なものは家族」そのように僕らは血縁関係に捉われ過ぎる価値観が初期設定(常識)です。でもその常識的価値観ゆえに、震災や交通事故などで家族を亡くして天涯孤独になってしまった人の多くが自殺してしまうのです。それはとても悲しく残念なことです。「家族(血縁関係)が一番大事=家族以外には助けを求められない・助けなくても別に何の責任もない=家族がいなかったり仲が悪かったり負担にしかなっていない人は将来絶望的」という価値観が社会的にたくさんの人を不幸に陥れて殺しているんです。子育てや介護や借金などが家族だけに押し付けられる価値観は常識ですが、僕らはそれを覆してみんなで無償で助け合う世の中を実現していかなければなりません。それが主人公(メシア)一人一人の使命です。

キリストも釈迦も、血縁関係を特別扱いはしない人でした。釈迦は家族を捨てて出家した人ですし(最終的には奥さんや子供も弟子にしていますが)キリストは「出会った人が兄弟だ」と公言していて、やはり若い時から出家し(13歳から29歳まで聖書に彼に関する記述がないのは、エッセネ派のクムラン宗団で修行していたからだと目されています)人を救うために俗世に戻ってきてからも、彼は親が遠くから訪ねてきた時でさえ、信者たちを優先して家族には会おうとせず冷遇したこともありました。

常識とは何か?」に書きましたが、もし常識が全部正しいのなら、我々に生まれて来た意味はありません。僕らが生まれて来なくても世の中は勝手に良くなっているはずだからです。それでは主人公が世界を救うというRPGの基本設定が成立しません。常識のほとんどは主人公に与えられた初期設定の課題であり、基本的には人を不幸にするものなのです。そしてその常識に当てはまらない個性や経験を与えられている主人公は、その常識を覆すことが使命なのです。

誤解して欲しくないのは、決して常識に価値がないということではないということです。闇雲に常識に逆らえば良いという話をしているのではありません。常識(コモンセンス≒共通ルール)があるからこそ我々は人生というRPGをみんなと一緒に楽しめるのであり、それゆえコミュニケーションが取れて一緒に経験を積んで共感し合うことができるのですから。常識に何の理もなければそれは常識には成り得ません。常識は常識でちゃんとわきまえていることが大事です。ただ常識にはそれなりの理があるのですが、それは初期設定であり課題(間違い)が含まれているのです。だから常識が正しいとか間違っているとかということではなく、自分にとっては良くない・合わせられない常識と戦う姿が、常識に縛られて合わせられず苦しんでいる人たちに勇気を与えるということです。自分がどうしても合わせられない常識があれば、それはそれを覆す使命が与えられているということなのです。「やりたいことが見つからない」「生まれて来た意味がわからない」という人は多いですが、そこを考えれば突破口になると思います。

親を早くに失くしたり、または虐待されていたり、またそこまでは行かなくても親と仲が悪い人というのは、世の中には我々の思いの他たくさんいるのです。「家族が一番大事・幸せの条件」みたいな価値観の社会から排除されたくないから、世間体を取り繕って見下されないように幸せアピールしているだけで、実際は多くの人が家族愛を感じられず、家族仲睦まじい(様に見える)人達を羨ましがって、我が身を呪い落ち込んでいるのです。

しかしそれは課題(カルマ)であり、出会った人と例外なく家族のように助け合い愛し合うことで、世の中がワンネスに目覚めていく神話の過程において重要な使命を担っているということに気づかなければなりません。

世界中の人が鬱の海で溺れているところを想像してみて下さい。みんな人に迷惑をかけないこと(自立)・人の役に立つことを人生目標に掲げ、その海で他人と争って泳ぎ(働き)、いつか沈んでいくのです。僕らがどんなに必死で泳いでも、他人を抱えて泳ぐのには限界があります。「家族(血縁関係)が一番大切」という価値観で、家族だけで助け合って抱えて泳ごうとしても、共倒れになって共に沈んでしまうのです。僕らは泳ぎを競い合うのを止めて、ただ出会った人と家族の様に手を取り合って助け合えば、みんなで楽しく浮かび上がることができるのです。主人公(メシア)にはその連鎖を推し進めていく使命があるのです。

「こういう人は絶対不幸になる」という世間の悪しき常識通りに自分も幸せを諦めて不幸になるのではなく、あなたという主人公(勇者)が幸せになってその常識を覆さなければなりません。そして同じように不幸にあえいでいるたくさんの人たちが、本当はあなたの救いを待っているのです。悩んでいる時は他人が見えずエゴにまみれて、まるで「こんなに悩んでいるのは自分だけだ」というように考えてしまいがちですが、本当は人の悩み(課題)というのは抽象度を上げて行けば同じなのです。質問箱をやっているとそれを痛感します。

そして「憑依体質の存在意義」に書いた通り、カルマ=霊障であり、それが魂の成長のために我々に与えられた課題なのです。あなたからいただいたメッセージを読ませていただくと、本当に深く霊障に犯されているのを感じます。僕は決して霊感商法みたいなことをしてお金を取ったりして自己利益には絶対につなげないので、どうか騙されたと思って浄霊は毎日受けるようにしてみて下さい。霊障も悲しい経験があって霊障はあなた自身と同じように、悲しくて辛くて苦しくて、それがわかってくれそうなあなたに同じ経験をさせ、同情を求め許され共に幸せになって成仏することを求めているのです。だからあなたが自分自身を許し、自分と同じ経験をしているような人を同情し許すのであれば、その正体も知れぬ霊障を許してあげることになるのです。どうか霊障を成仏させてあげて成仏して下さいね。罪とは幻であり、今までやってきたあなたのあらゆる悪事は霊障のせいであり、他人の悪事もすべて霊障のせいです。だからすべての悪事を霊障のせいにさせてもらいつつ同情し、なおかつ霊障も自分も他人も許してあげて下さい。

浄霊をするためにも、どうか信心を持って下さいね。どんな宗教でも、縁があると感じたら逃さないで下さい。お金や奉仕を強制してくるような宗教は宗教ではなく宗教を悪用した詐欺なので、一目散に逃げて下さい。宗教団体は欠点があり過ちを犯す人間が運営するものですから、腐敗が必然であり、それは例外がありません。でもそれを乗り越えて信心を起こすからこそ信心には価値があるのであり、世間の常識通り「宗教=怪しい・騙される」などと思い込んで決めつけて、神々について信じ学ぶことを放棄しないで下さいね。できれば原典から宗教を学びつつ、宗教団体からは形式・実践方法を学んで下さい。宗教=悪という日本人の多くが持っている常識もまた多くの人に共通した初期設定の課題なのです。

真理は経験なしに手に入るものではありませんから、どうか六波羅蜜を行じて、日々実践を通じてあなたの覚りを開いていって下さい。六波羅蜜はネットで調べればすぐわかりますし、理解も実践も覚悟さえあればそんなに難しいものではありません。常に改善しながら実践し続けるのは大変ですけど、それが人生という修行ですからね。我々は成長を楽しむために生まれて来たのです。

悪いカルマの解消法」もぜひ読んで下さいね。日々浄霊し、信心を強くし、カルマを解消して下さい。どうかあなたのその深いカルマを「魂のレベルが高いからこそより大きな成長を期待されて与えられたものなのだ」ということをどうか理解して下さい。そしてきっと幸せになって下さいね。心からそれを祈っています。

2022年11月13日日曜日

アヤワスカで頭がおかしくなる人がいるのはなぜ?

【質問】
アヤワスカを摂取する上で、悟りを開けずに精神状態が狂ってしまう人が稀にいますが何が原因だと思われますか。

Connor Murphyという私が筋トレを始めるきっかけになった立派なボディビルダーのYouTuberがいたのですが、彼は2年前にアヤワスカを摂取してから支離滅裂な言動を繰り返すようになり、今までの健全なフィットネス動画を削除して、自分の精○を飲んだり、自分が神だと信じて街中で叫んだり、ゴルフの世界シリーズで優勝できると本気で信じてコースに乱入して逮捕されたり、めちゃくちゃに散らかった無残な家で痩せ細った体で電源の切れた携帯電話に延々話し続けたり、頭がおかしくなってしまいました。

最終的に自分自身がおかしいことに気づき助けを求めて生配信で現住所を晒して駆けつけた救急隊により精神病院へ強制入院されましたが、退院後は少しずつ元の彼に戻ってきてるようです。彼が狂ったのは何が原因だと思われますか?

彼はもともとマッチョで女性にモテて自尊心が高かったのですが、アヤワスカは元々個々のポリシーや固定観念が確立されている人物には逆効果なのでしょうか?経験を踏まえて解説していただけると嬉しいです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

>アヤワスカを摂取する上で、悟りを開けずに精神状態が狂ってしまう人が稀にいますが

まず「通常はアヤワスカを摂取すれば覚りが開ける」と思われているのなら、その時点で誤解だと思います。アヤワスカを飲んだだけで覚れるのならブラジルやペルーは覚者だらけになっているでしょう。アヤワスカは本人にとってその時に必要な導きがあるというだけで、全員にいつでも必ずポジティブな影響を与えてくれるものではなく、ネガティブな反応が出てアヤワスカを嫌いになる人もたまにいます。そして儀式中にネガティブな霊に憑依されて錯乱する人などはそっちゅう出ますし、それを浄霊して介抱するのが僕の儀式における役割みたいなものです。

ただ儀式後も憑依状態が続いて日常生活に支障をきたしているという例は、僕がのべ数万人と儀式をしても一件もありません。儀式中にどれだけおかしくなっていた人も、儀式が終わったらいつものその人に戻ります。

しかし最近日本でシャーマンを自称し、アヤワスカなどの幻覚剤を用いてお金儲けをしたり、人をコントロールし支配するために危険な人体実験を行っている人たちがいると知りました。そしてそういう人たちの元で儀式を受けて発狂したり自殺したりした人が複数人いるとも聞いています。アヤワスカの儀式には知識と敬虔さが不可欠のものであり、それらがない人の元では絶対に儀式を受けてはいけません。

基本的にシャーマンというのは資格のある肩書ではなく、幻覚剤さえ手に入れて儀式を行えば誰でもシャーマンを自称することはできます。でもブラジルで「私はシャーマンです」なんて言う人に僕は会ったことがありません。「あなたはシャーマンですか?」と聞かれれば、自負のある人は「そうです」と答えるでしょうけども、そういう仕事をしていれば相手はすぐシャーマンだとわかるわけで、わざわざ聞く機会もありません。わかりやすく言うと、例えば「良い人」というのは受け手側の印象であって本人の特質ではないでしょう。それを他人から言われるのは結構な事ですが、自分で「自分は良い人です」などと自称すれば、その時点で「何かを企んでいる・怪しい」と思われるでしょう。そこは「シャーマン」も同じだって事です。実際シャーマン自称者というのは金・エゴ(他人を意のままに操るなど)を目的としているのでしょうから、近寄らない方が無難です。純粋な思いでシャーマンをやっているような人が自称するわけないのです。(僕は絶対自称しません)

そもそも日本でアヤワスカは違法ですし、日本で行われている儀式はアカシア茶のようなアヤワスカ疑似物とケミカルのMAOIによるものですから、ナチュラルかつ伝統ある現地のアヤワスカとは別物であって、とても危険なものだと認識していただきたいです。

そして元々カルマがあまりに重すぎる人は、アヤワスカによって返ってカルマを重くしてしまって悪い方に振れたりすることもあるようです。通常、アヤワスカの儀式を受けた人というのは愛に目覚めて自己超越性が高くなるのですが、元々のエゴが強すぎる人の元で儀式を受けると、エゴが更に強まってエゴの権化みたいになったりするようです。最近、そういう日本人数名をネット上で知りました。

日本人はシピポ族などのインディオがみんな敬虔で共存共栄の社会を築いている聖人であるかのような幻想を抱きがちですが、実際は奪われ続け虐げられ続けてきた悲しい歴史ゆえにお金にすがりがめつくなっている人がほとんどで、そこに加えて現地ではアヤワスカバブルが起きていて、お金を持った外国人たちから多額の儀式料を稼げるために、お金目的のエセシャーマンが溢れ返ってる状態なのです。

そういうエゴにまみれたお金目当てのエセシャーマンの元で1週間で何十万円というボッタクリ料金を支払って儀式を受けることはとても危険です。そういう事情がわからず、現地料金とは逸脱したところで初心者が儀式を受けるべきではないのです。

僕はアメリカのシャーマニズムの現状を全く知りませんが、日本と似たり寄ったりの状況になっていることは想像に難くありません。

僕はConnor Murphyという方を全く存じ上げませんから、少しだけ彼の情報をネットで見てみて想像で語るしかないわけですが、彼の様にそういう人が急に変わったようになる現象は、霊障・憑依によるものだと僕は経験上確信しています。詳しくは「憑依体質の存在意義」「浄霊の効果の高め方」をご覧下さい。

人間は霊の集合体ですから、基本的に霊障に犯されていない人というのはいません。霊障というのは常に自我を乗っ取ろうとしているのであり、敵対的M&Aのようなもので、ジリジリと株式を取得するように宿主の自我を奪い続け、過半数の取得に成功した時に宿主の経営権がほぼ完全に霊障に奪われる感じになるのです(本人に自覚はありません)。他人から見てそれが突然でも、実際それは全然突然ではありません。その霊障による宿主乗っ取り達成の直接的なきっかけになる出来事(この場合はアヤワスカ)に全ての原因を求めるのは、僕はナンセンスだと思います。それはトリガーであって本当の原因ではないのです。霊障が宿主の自我を乗っ取るために幻覚剤のような自我を手放させるようなものを求めさせるのです。

アヤワスカは本来苦しみの元になっているエゴから一時的に離れさせて神我(真我)の視点から自分を見つめさせてくれるものですが、エゴから離れるということは自我から離れるということとほぼイコールですから、既に霊障に過半数近くの自我を乗っ取られている人がやれば、ほぼ完全に自分というものの経営権を奪われることになります。だから統合失調症など深く霊障に犯されて自我が揺らいでいる人にアヤワスカは禁忌とされているのでしょう。

本物のアヤワスカは数千年受け継がれる伝統文化であり、もしメリットよりデメリットの方が大きければそんなに長く受け継がれるわけがありません。圧倒的にポジティブな影響が出る人の方が多いです。しかしエセシャーマン&エセアヤワスカの儀式により精神錯乱や死亡などネガティブな結果が出る人がいたからといって、アヤワスカを悪者にしてそのリスクを過剰に恐れるのはナンセンスだと僕は思います。日本だって餅を喉に詰まらせて死ぬ人が毎年数百人いますが、餅は危険だからもう法律で禁止しようなんて話は聞いたことがありません。こんにゃくゼリーは歴史が浅いために悪者にされて規制が入りましたけどね。

あなたはいかにも「彼は立派な人だったのにアヤワスカ(単体)によって頭がおかしくなった」というような書き方をしていますが、実際どうかはわかりません。彼のファンであるあなたが元々の彼を立派だったと思うことは自然なことですが、彼が元々本当に精神的に立派な人だったかどうかは、少なくとも彼を直接知らない人・表面的にしか見ていない外野には全くわからないことでしょう。特に人気商売をしている人たちは自分を実際以上に良く見せようとする意識が強いでしょうから、本当のところは全くわかりません。

まずもって欧米のボディービルダーっていう時点で真っ先にステロイドの影響が疑われます。欧米のプロのボディービルダーで薬物を使用していないナチュラル派の人って殆どいませんからね。現状、ナチュラルでは大会で勝ったり人気者になって稼いだりはとても難しい業界です。

ステロイドが心身に及ぼす悪影響については様々言われていますが、結局のところ学術的にはまだ全然よくわかっていないのです。クリス・ベノワというステロイド依存症のプロレスラーの一家無理心中事件は知っていますか?死亡解剖して、彼の脳の萎縮が激しかったことはわかったのですが、結局何が原因かは想像の域を出ません。ステロイドかも知れませんし、他の薬物の影響もあったのかも知れません。ただ僕に分析させるのであれば、僕はステロイドにも霊障に少しずつ自分を明け渡すという影響があると思っています。だから多くのステロイドユーザーにロイドレイジのような症状が現れるのでしょう。

そしてこれはあくまでも僕がこのConnor Murphyという方から個人的に受けた印象であり、ファンであるあなたを傷つけてしまったら大変申し訳ないのですが、彼はステ以外にも色々な薬物をやっている感じがします。経験上、そういう臭いを感じ取ってしまうのです。そもそもアヤワスカ単体でこんなにおかしくなるってことは見たことも聞いたこともないです。他の薬物が主要因か、その薬物とアヤワスカとの相互作用が強く疑われます。人気商売をやっている人が自ら違法薬物をやっているとはあまり言わないでしょう。彼はきっと他人から今の自分はおかしいと思われているという程度の自覚はあって、他の薬物中毒を疑われないように全てをアヤワスカのせいにしているっていう可能性も考えられます。アメリカなどでは儀式上の使用のみ合法なので、彼は宗教上の理由でアヤワスカを使用していると強調しているのでしょう。でも彼の言動や行動からはアヤワスカの儀式による神聖さが微塵も感じられません。だいたいここまでおかしくなっている人にアヤワスカを飲ませるシャーマンがもしいるなら、その人も絶対まともじゃないです。

そしてアヤワスカは他の薬物と深刻な薬物相互作用を起こす可能性があります。だからちゃんとしたシャーマンは事前に麻薬や精神薬など禁忌の薬物を使用していないか必ず確認します。アヤワスカは薬物依存症にも効果が期待されるものですが、同時に使用したらかなり危険なのです。僕がネットで探したアヤワスカ関連の重大事故はすべて、シャーマンの指示・禁忌に従わず破って麻薬や精神薬などの薬物を併用したと見られるケースや、ちゃんとしたシャーマンの元ではなく悪徳シャーマンによる洗脳などを目的にした儀式だったり、知識・経験のない人達だけで幻覚目的で勝手に他の薬物と共に乱用したと見られるケースのみで、アヤワスカ単体での重大事故というのは(現地では)まずあり得ないことなのです。

そもそもアヤワスカの幻覚主成分であるDMTは人間の体内でも常に分泌されているもので、カーピだけでなく多くの植物に微量含まれており、非常にナチュラルかつありふれたものなのです(我々が現実と思っているものも幻覚です)。薬物相互作用を起こすのは、DMTを分解する酵素を抑えるための物質(モノアミン酸化酵素阻害物質)と麻薬・精神薬なのです。

では「彼がなぜそのような霊障(カルマ)に犯されるようになったのか?」それは僕にもあなたにも知りようがありません。すべての存在・事象(森羅万象)は因果により果てしなく複雑に結びついており、それを本人の視点で見たものがカルマです。しかし自分のカルマでもよくわからないものなのに、見ず知らずの他人のカルマなどとても追いきれるものでないのです。

それでも人間というのは起きたネガティブな出来事に対して、直接的な原因を探してそれに全ての責任を押し付けて責めて精神的に整理をつけられさえすれば一見落着と考えます。ただ原因には必ずまたその原因があるのであり、それを人間が遡るのは限界があるのです。

例えば自分の不幸の原因が親にあると考えるとして、そのような問題ある親になったのはその親の親が原因でしょう。そのように原因というのは遡っていけば究極創造主の天地開闢・人間創造にまで至ることになってしまいます。でも人間は「親が悪い」と自分に都合の良い所でその因果の連鎖をぶつ切りにして原因と決めつけて全責任を押し付けて心の整理をつけたい生き物なのです。でもそれでは何の解決にもならず、カルマを自分の学び・成長の糧としなければ、かえって更なるカルマを積むことになるのです。(結局自分の親と同じことを子供にしてしまう、など)

何かの犯罪事件が起きると、ほとんどの人はそれをニュースで見て犯人とその手口と動機がわかって裁判でしかるべき判決が出て裁かれれば一件落着と考えます。でも犯人や被害者がどういう因果でその事件に至ったのかをとことん遡って調べて考える人はまずいませんし、調べたところでどこまでも追いきれるものではなく、また追ったところで影響のあったすべての人を裁くことなどできませんし、既に亡くなっている人に責任を取らせることはできません。とりあえず「犯人が悪い(憎い・処罰を受けるべきだ)・被害者は可哀そう(謝罪・補償を受けるべき)」と考え、裁判結果が出て精神的に整理がつけばOKであり、またそのようにインスタントに整理をつけなければ犯罪事件のニュースなんか見てられません。いちいち見ず知らずの他人のカルマの追求にまで時間と労力を割いていたら、自分の人生を生きれなくなってしまいます。

それは犯罪だけでなくあらゆるネガティブな出来事についても言えることで、例えばお風呂が体に良いのは現代日本の常識ですが、日本だけで年間何千何万という人がお風呂で亡くなっており(ソース)、その中には健康に何の問題もなく突然死した人も多数含まれます。死亡解剖しても全く原因がわからないのです。僕の大学時代の同級生もそうして突然亡くなりました。でもだからといってお風呂を悪者にして、お風呂に入らないなどという人はあまりいないでしょう。またやはり健康に何の問題もないのに、就寝中に亡くなる人もいます。だからといって睡眠を死の原因と考えて寝ないようにしたら、余計に死のリスクが高くなるだけでしょう。

我々はカルマを背負って生きているのであり、例え我々が何をしようと(何もしまいと)意識していないだけで必ず何がしかのリスクが生じているのです。でも我々が何かの事象の原因と考えるものはトリガーに過ぎないもので、直接トリガーとなった出来事を全ての原因と考えることは短絡的だということです。もしそのトリガーがなかったとしても、きっと別なものがトリガーになっていたはずで、結局運命というのはカルマを解消しない限り結果は殆ど変わらないものなのです。全ては偶然を装って起きているだけで、この創られた仮想現実RPGの世界に偶然など一つもないのです。そして何の事象でも、人間はその表層しか見ることができず、本当の原因はもっとずっと深い所にあるのです。件のボディービルダーがなぜおかしくなったのか?その原因をアヤワスカだけに求めるのは短絡的過ぎるということです。

そのように我々が原因だと分析するものはいつも非常に浅く、本当の原因ではありません。我々がその責任を事件の直接的なトリガーになったものに押し付けて裁き、精神的に整理をつけたいだけです。しかし何かの事象というのは壮大な因果が氷山の一角のように表に出ただけものであり、原因には更にその原因があります。そしてそれは創造主の天地開闢まで果てしなく続いているのです。

人生というのは成長プログラムであり、実際に知り合った人のカルマを鏡としながら自分に与えらたカルマ(課題)を探求し、その複雑に絡み合った糸を解きほぐすように解決して乗り越え、自発的意思により成長していかなければならないのです。つまり大切なのは件のボディービルダーのカルマではなく、彼のカルマを通して見えるあなたのカルマは何かということです。

「自分のカルマ(課題・使命)とは何か?」それは本来自分で考える事であり、それが人生の醍醐味だとも言えます。そして僕はあなたのことも件のボディービルダーの事もまったく知らないのであくまで想像に過ぎませんが、ご参考にしていただければ幸いです。

まずあなたには信心がなく、それゆえに霊的知識もない感じがするということです。詳しくは「悪いカルマの解消法」をご覧下さい。僕らが生まれてきたのは自発的に信心を起こすことですから、それを起こさなければ霊障により様々なネガティブな出来事がやってきます

それと今の時代、ネットで情報を集めるのは当たり前のことでそれ自体は全然悪くないのですが、それにより経験しなければわからないことを既に理解したような錯覚に陥って経験を避けるようになるリスクがあるということです。これは現代人に共通した課題・カルマと言えるでしょう。経験しないリスクより経験するリスクを恐れ、経験を積まず情報に振り回されるのでは何のために生まれてきたかわかりません。我々は経験をするために生まれてきたのです。

>彼はもともとマッチョで女性にモテて自尊心が高かったのですが、アヤワスカは元々個々のポリシーや固定観念が確立されている人物には逆効果なのでしょうか?

彼の問題は純粋に霊障(カルマ)であり、本人の元々の個々のポリシーや固定観念の確立は関係ないと思います。また件の彼が狂う前に「自分」というものをしっかり持った素晴らしい人物だったとも僕には思えません。善良な信心を持っておらず、アヤワスカの摂取前に既に霊障にかなり犯されていたことが原因でしょう。

そしてあなたが「イケメンマッチョで異性にモテて自尊心が高く立派で幸せな人のはずなのになぜ狂ったのか?」みたいな書き方をされているところに、僕は多くの日本人が陥っている「他者評価依存」という社会病理を見て取ってしまいます。それが多くの日本人に共通したカルマ(課題)なのです。

幸せとは主体者たる自分が感じるものであり、他人から評価されて幸せそうに見られることには何の意味もないのに、日本人は幸せを感じる事より他人から評価されて他人から幸せそうだと羨ましがられること(他人から見下されて傷つかないこと)に心血を注いでいて、それが生きる目的のようになり、いつも自分を偽って生きている感じがします。

そして日本人の多くは「自信・自尊心というものは能力(他者評価)の上に築くべきものだ」という常識を植え付けられて疑うこともできなくなっている感じがします。詳しくは「誰でも自信満々になれる方法」を読んで下さい。

あなたが彼の影響で筋トレを始めたこと自体は素晴らしいことだと思います。ぜひ続けて下さい。僕自身もトレーニング好きで平日はほぼ毎日欠かしません。でもそれは純粋に好きでやっていて、大会で勝とうとか、マッチョになって他人から褒められたりモテたり羨ましがられたりしようとか、そのように他者評価を得ることで自信をつけ、それによって自尊心を上げようなんて目的ではやっていません。

能力(他者評価)の上に築こうとする自信なんていうものは幻であり、例え今はあるように見えても加齢などでいつかは失われるのが自明です。それは躁うつ病の躁状態みたいなもので、失われた時の落差をかえって大きくするだけです。そしてみんなそれが薄々わかっているから、自信満々に見える人でも内心はいつかその自信を失うのを恐れているのです。しかし何かを恐れながら本物の自信など身に着くわけがありません。

真の自信をもたらすものは、出会った人を例外なく尊敬し、感謝し、許し、愛し抜く覚悟だけだと僕は確信しています。

2022年11月8日火曜日

生まれの格差について(陰謀論)

【質問】20代前半・男性

初めまして。最近真也さんの発信を見させていただいている20代前半の男です。

答えづらい質問かもしれませんが、現在、世界では悪魔崇拝をしているグローバルエリート達による世界支配体制樹立が行われようとしています。彼らは戦争や食糧危機で人々に恐怖を煽ったり、個人情報を管理して言論統制や民衆の監視を行う社会体制を作ろうとしています。戦争や食糧危機等で人々に恐怖を煽り、個人情報管理等で監視社会に向かわせようとしています。この一連の流れも、この過程で失われる命や苦しむ大勢の人々も創造神のシナリオによるものなのでしょうか?

聞くところによると、彼らは資本主義のシステムによって人々を搾取するだけでなく、人身売買や違法取引、紛争等あらゆる悪行を裏で操り、それを数千年前から😈の啓示を受けて行ってきたらしいです。その過程で不条理に奪われた大勢の命の存在もシナリオ通りなのかなと気になりました。

また、ブラジル在住とのことでお聞きしますがブラジルでは貧富の差が激しく、多くの貧民がスラム街(ファベーラ)に住み着き、生きるために盗みを働いたりギャングになって人を殺したりするような現状があると思います。一方、私は日本人として少なくとも衣食住に困った経験はありません。このような明らかな生まれの差というのも、意図的に作られてるということなのでしょうか?

この世界は愛と勇気を試すフィールドであるのは理解しておりますが、流石に私のような日本で普通に暮らす日本人と、ブラジルで生きるか死ぬかの毎日を送ってる人間に同じ使命を課すのは中々酷ではないかと感じてしまいました。

駄文を失礼しました。

【回答】※12月3日更新
ご質問ありがとうございます。発信を見ていただいてとても光栄です。

はい。全て創造主のシナリオ通りです。

人生(=世界)はRPGですから、冒険を始める前からシナリオが用意されているのは当たり前です。すべての存在は全知全能たる創造主の一部であり、この創られた仮想現実のRPG世界に創造主が意図せず生み出された存在は一切ありませんし、意図せずに起きることも一切ありません。ドラゴンクエストのようなRPGの世界に、クリエイターが意図していない存在が出て来たり、意図していない出来事が起きたりすると思いますか?それを考えればわかることです。

答えにくいどころか、noteでも他の方からの同様のご質問「悲惨な世界も創造主の計画通りですか?」「愛の力の弱さに反吐」等でも既に再三お答えしていることなのですが、どうしてもご納得いただけないようですね。まぁ人間は基本的にそのように目覚め難くプログラムされているのですから無理もないことです。ですので今回は陰謀論的内容にもお答えする形で、創造主が創った壮大なシナリオをより詳しくわかりやすく解説したいと思います。いまだに全く目覚めようとしない魂の兄弟たちのために。

例えばドラクエのようなRPGの世界において、あなたは「魔物たちはクリエイターの意図なしに自然発生してしまったもので、クリエイターが退治できないために野放しになっており、そのために世界が悪に支配され格差社会になっている」などと考えるでしょうか?あなたのおっしゃることはそれと全く同じことです。もしそうなら創造主は全知全能ではないでしょうし、そんな非力な存在が世界自体を創ったということもありえず、世界は創造主が意図せず自然発生したものだということになります。しかし仮想現実が理由もなく勝手に自然発生するわけがありません。

RPGの魔物と同じく、この世界の悪魔・霊障も創造主から物語のシナリオ上与えられた役目を(無自覚に)果たしているに過ぎません。あなた自身も、僕も、世界を完全に支配しようとしているグローバリストたちも、この宇宙のあらゆる存在が創造主の一部であり、理由(役割)があって生まれてきているのです。

まず「宇宙の仕組み」に書いた通り、客観的世界は存在しません。ログインプレーヤー一人一人それぞれに自分を主人公とする世界・物語(シナリオ)が与えらえているのです。それが世界線によりP2Pのネットゲーム世界のように重なりあっているから一つの世界のように見えているだけで、本当はみんな別々の自分の主観的世界にいるのです。誰も自分の脳というパーソナルコンピューターの中の世界から一歩も外には出れないのです。


認識者の認識により事象が結実するという量子の仕組みは、ログインプレイヤー一人ひとりを主人公として成り立たせるために必要不可欠なシステムなのです。もし客観的世界が存在するなら成立し得ませんし、仮に成立するとしても、その仕組みに存在意義はありません。創造主は存在意義のないものは創りません。他人はみんな自分のNPCであり、自分自身の鏡のような存在です。このシステムは自分の認識(事象の結実)が世界線を共有する他人(他のログインプレーヤー)の世界に瞬時に連動するという仕組みが世界を一つであるかのように錯覚させています。本当は暗い部屋で独りぼっちでゲームをしているのに、そのことに気づかせず孤独を感じさせないよう、世界線(インターネットのようなもの)で他のプレイヤーとフィールドを共有させてくれているということです。実際はすべての存在が同一(ワンネス)であり、その他のログインプレイヤーも自分自身の鏡であることに変わりはないのですけどね。

だから夢と(仮想)現実は本質的に同じものなのです。インド神話に「世界はヴィシュヌ神の見た夢だった」とある通りで、あなたはヴィシュヌのアヴァターラ(化身)なのです。夢の中において直接知りもしない他人は完全に幻であり、ゲームの設定(伏線)みたいなもので、その不幸や悪事を創造主を恨み世を嘆く理由に使うのはナンセンスです。そして直接知る人の不幸は主人公であるあなたが救うべきものです。

夢の中でお金や権力や他者評価を得て何の意味があるのでしょうか?あの世に持っていけるのは魂だけなのですから、それを愛で満たすことのみが価値なのです。RPGの世界でどれだけお金を稼いでどんな素晴らしい能力やアイテムを手に入れても、他人から評価されること(他人から見下されないこと)や悠々自適な生活をするというエゴ(我欲の充足と保身の確保)を目指して世界を救おうとしないのなら永遠にクリアに辿り着くことはないのです。

この人生というRPGにおけるすべては、主人公の愛と勇気を試すため・魂の成長を促すためにあります。あなたはそれを既に理解しているようにおっしゃっていますが、ご質問内容から察するにまだ全く理解されてないように感じます。ニュースも歴史も神話も、あなたが認識できるすべてはあなたの人生という物語の伏線なのです。だから実際それが本当に起きたかどうかではなく、あなたの物語にとってどういう意味を持つかを考えることが重要なのです。history(his story)のhisとはどこかの権力者などではなくあなたのことですからね。今までの歴史はすべてあなたの物語の伏線であり、これからの歴史はあなたが創るのです。そして君が代の「君」もあなたのことなのです。この世界で出会うあらゆる人物が自分の鏡であり、自分が主人公の世界に他人事は存在しないのです。

人間は「何の問題もなく、ただみんな幸せな世界」を望みつつ、社会・時代など自分以外のものを言い訳にしてすぐ諦めるように基本設定されているので、あなたのような考えになることは予定調和です。しかし最初から何の問題もない幸せな世界が初期設定だったら、我々は幸せを感じることもできませんし、誰も成長しませんし「主人公が世界を救う成長の物語」というRPGの基本設定が成立しません。そういう世界はRPGのゴールであり、エンドロールなのです。せっかく始めたRPGが最初からエンドロールで何のプレイ要素もなかったらどう思いますか?何の障害・苦難・困難もなく、それを努力して乗り越えて成長することもなく、最初からずっと幸せというのはありえないことであり、もしありえたらそれはとても退屈で不幸なことなのです。


例えばドラクエの世界の中に生きている人が、クリエイターに対して「なんでこんなひどい世界を創ったのですか?世界は魔王に支配され、部下の魔物たちが暴れまわっています。戦いの中で悲惨な死に方をしている人たちもいっぱいいます。社会は差別と争いばかりで暗く、未来は絶望的です」などと設定やシナリオに文句を言っていたら、ゲームが進まないでしょう。


そして世界を救うべく愛と勇気を発揮することなく、魔物に怯えてその支配に甘んじながら、ネットで魔物の批判ばかり書いては自分も戦っているという気分だけを味わい、その辛辣かつ汚い言葉で自らを汚し傷つけて自分(=世界)を暗くしながら、街でエゴ(我欲と保身)のためのお金儲けに一生を費やそうとするようなキャラだったら、クリエイター(創造主)はそのキャラを主人公にするでしょうか?そしてプレイヤー(神々)たちはそのキャラクターを主人公としてプレイしたい(導きたい)と思うでしょうか?


そういう設定に文句を言って今生で主人公として目覚めて世界を救う気のないキャラたちは他人が主人公の物語の脇役NPCとして自動運転のAI状態にさせられるは自明なのです。NPCの自由意志は幻であり、自ら選択している気分だけ味合わせてもらっていますが、その選択肢はヤクザの夜店の宝くじと同じで全部ハズレ(大同小異)であり、NPCとしてリスタート(輪廻転生)を果てしなく繰り返すことになります。ゴール(クリア)の設定が間違っているからこそのNPCということです。

あらゆる存在・事象に対する不平不満は、それを創った創造主への不平不満と同じであり、それは必ず悪業として自分自身に返ってくるのです。そして誰か別の主人公の物語の単なる伏線の奴隷となり、退屈で不幸な人生になるのが必然なのです。RPGの世界においては、菩提心(真理を覚り、衆生を救う存在になる決意)を起こすことがすべてのスタートなのです。力がなくてもお金やアイテムがなくても仲間がいなくても、まずは決意することが始まりなのです。最初からレベル最高でアイテムや謎の答えなどが全部与えられていたら愛も勇気も智慧も試されずゲーム要素がなくなります。非力で無知で何も持ってない時に起こす菩提心だからこそ尊いのです。そして必要なものは必要な時に与えられるのがこのゲームの醍醐味であり、何も心配は要らないのです。

すべての存在が創造主の一部であり、僕らは彼の創った壮大な神話の中を生きています。RPGが魔物に完全に支配される一歩手前のディストピアから始まって、そこから主人公が大逆転を起こして世界を救うシナリオになっているのは当前のことであり、僕はそういうシナリオ以外のRPGを見たことがないです。あなたという主人公のRPGもまさにそのようなシナリオになっているのです。

設定やシナリオに不平不満を言う事はNPCの典型的な思考であり、自分が世界を救う主人公であることに目覚めない限り創造主や神々の愛と導きを十分に受け取れないのです。自分(=世界)に与えられている課題なのに「もしクリエイターがいるのなら、クリエイターが問題を解決すれば良いのではないでしょうか?(もしできないならクリエイターなど信じません)」などと考えることがいかにナンセンスなことかに気づいて下さいね。課題を与えているクリエイター自身が課題を解決してしまったらゲームにはならないのです。ドラクエでクリエイターの堀井雄二さんがゲーム制作時点で魔物を全部倒して幸福な世界を実現し、プレイヤーにプレイさせなかったらゲームにならないでしょう。


あなたはブラジルなど遠い異国の地の貧困問題について心を痛めるほど優しい方なのかも知れませんが、結局はそういう不幸な人を救う為に恐らくは何もしていないわけで、それで「どうして創造主はこの問題を解決してくれないのでしょうか?酷くないですか?」と設定に文句を言いながら、他のNPCたちと同じように自ら社会システム・常識の奴隷となり、自分はきっと支配体制の最下層に落ちることはないだろうと安全圏にいることに安堵を感じつつ、エゴ(我欲と保身)のために嫌な仕事をし、グローバリストたちの支配体制に文句を言いながらも結局それを支える脇役NPCの一人となっているのでしょう。

まず、あなたが今現在直接知りもせず、また直接救うこともできない人より、今現在目の前のあなたが救える人を救って下さい。そうやってあなたのシナリオを前に進めるのです。

人それぞれ自分の人生の因果(カルマ・課題)ですらよくわからないのですから、見ず知らずの他人がどんな因果(カルマ・課題)故に苦しんでいるのかは知りようがありません。大切な事は、直接知り合った人のカルマを自分のカルマを写し出したものと考え、それを乗り越えることです。直接知りもしない人がどんな苦難に遭っていようとも、今現在それを気にして世を嘆いて創造主を恨むより、直接知っている人を救う事に集中して下さい。そして直接知りもしない人の不幸を理由に「創造主は非道だ・神仏など存在しない」などと考え、人生を創造主からの意地悪や罰ゲームのように解釈してはいけません。世界は主人公たる自分の認識が創るのですから、そのように解釈すれば本当にそのようになってしまいます。

そしてあなたが「日本はブラジルより状況が恵まれている」などと考えるのは幻想です。日本人のように衣食住は足りていても他者評価に依存させられているがゆえに劣等感・自己否定感に苦しんで自尊心を病み、孤独で不幸なのにプライドが傷つきやすくて他人に助けを求められず、頑固で人の話を聞かないような人たちを救って幸せにする方が、貧しさに苦しんでいる人を救うより難易度は高いのです。このRPGはそんなに簡単じゃないのです。

あなたはブラジルの貧民街に住む人たちがみんな不幸だと勝手な自分の常識で思い込んでいるようですが、日本よりは遥かに平均的な幸福度は高いのです。なぜなら多くのブラジル人は子供を無条件の愛で育て、子供は他者比較に関係なく思いっきり自尊心高く育てられるからです。そして貧民街の人達はみんなが貧しい分みんなが助け合って生きていて、多くの日本人のように他者評価に依存して富を奪い合ったり罪や過ちを責め合ったりマウントを取り合ったりする意識が低く、孤独な人が少ないのです。あなたが考えているほどお金と幸福度に相関関係はありません。

強盗になるのは全体の割合からすればごくごく一部の人達です。大部分の人は貧しくても強盗になどなりません。強盗になるのは貧しいからではなく、強盗が貧しさを言い訳に使っているだけです。人間のあらゆる悪い行動の元凶は自尊心の傷であり、一部分の親から十分に愛されず虐待を受けるなどして自尊心低く育った人が、傷ついた自尊心の回復のための手段としてギャングになってお金と力を手に入れようとしたり、暴力やドラッグや酒などで自分自身から逃避しようすることが原因なのです。

そしてそのように他人を責めたり傷つけたり支配したりして「自分は彼らよりマシな存在である」と傷ついた自尊心を愛によってではなくエゴによって回復しようとする人ばかりなことが、人類に共通した課題なのです。もちろん日本人も含めてです。みんな自分が自分より悪い・劣った人間を責めて蹴落とそうとして自ら地獄に落ちる「蜘蛛の糸」のカンダタになっていることに気づいていません。

実際、僕はブラジルでホームレスをしていてお金もまったくないので衣食住に事欠いておりますが、周囲の人に愛されて助けられ、とても幸せに生活しています。もし貧しい人を下に見て不幸だと決めつけているのなら、根本から考えを改めて欲しいです。あなたが直接経験して知らないことを自分の勝手な常識で決めつけていることに気づいて下さい。そして貧困や死などを過剰に恐れるから支配体制に追従せざるを得なくなっていることに気づいて下さい。

ネットゲームのごとくこのRPGはログインしている時点で主人公なのであり、他のログインプレイヤーのゲームの進捗(どこまで進んでいるか、どれだけ能力・アイテム・他者評価を持っているかなど)は一切関係ありません。基本的に他人との比較に意味はないのです。困難な環境が与えられているのはそれだけその主人公のゲームの難易度が高い(魂のレベルが高い=カルマが深い)というだけで、それを理由に創造主に不平不満を言うのはナンセンスです。

そして他のログインプレイヤーとは協力関係にあるのですから、自分のゲームクリアのために自分にはない高い能力を持っている人間からうまく協力してもらい、現在何かに困って行き詰まっている不幸なプレイヤーがいれば、自分の知識・能力で補ってあげるのがこのRPGのプレイ要綱です。他人に嫉妬して劣等感を持ったり、他人の罪や過ちを責めたり、能力の低い他人を見下したりしているような主人公では、世界を救ってみんなで幸せになること(ゲームクリア)などできるはずがありません。

あなたは衣食住が足りているという環境であるが故に、他人の不幸にも心を痛める割にはそれを救おうとすることなく創造主に不満を言い、支配者たちに反感を持ちつつも自分の衣食住を充実させながら安穏に暮らしたいというエゴのために自らその社会システムの奴隷となって、世界を救う主人公として目覚めようとはしていないのでしょう。

「そんなのみんなが同じで、それが常識なんだからしょうがないじゃないか!」と、そのように他人の思考や行動を勝手に常識化して言い訳にするのがNPC思考なのです。創造主と主人公の関係は一対一であり、他人(全員NPC)の言う事やる事(常識)は一切言い訳に使えないと知って下さい。「宇宙の仕組み」で読者に一番伝えたかったことは、人生=世界は自分を主人公とするRPGであり、客観的世界が存在すると考える事は幻想だということです。あなたはまだ気づいていないだけで、あなたの世界の主人公はあなたなのです。

このRPGにおいて、自分が主人公として目覚めることはとても困難に設定されています。みんな自尊心が低くさせられているからです。ネットゲームであれば、ログインした時点で自分が主人公だとわかっているわけですから数週間でクリアできてしまいますが、この人生という物語はそうはいきません。出会う人はみんなNPCであり、マトリックスのエージェントのようにあなたが主人公として目覚めることを妨害してきます。そして自分を客観的世界の脇役だと思って常識を疑うことさえせず、自分や他人の欠点や過ちを責めて大した存在ではないと考え、自分が世界を救う偉大な存在だということに目覚めようとはしません。しかしそれこそが創造主の用意したシナリオであり、そこからの逆転劇だからこそ人生というRPGは難易度が高く面白いのです。

さて、世界を救う主人公ってどんな存在でしょうか?イーロン・マスクのように現時点で有能かつ有名でお金持ちで権力を持っている人間でしょうか?そうではありません。そういう人間はエゴに埋没して金や名声や権力を追い求め、世界を救おうなんて本気で考えはしませんし、よしんば考えたとしても権力(強制力)を使って世界を救おうとしても絶対に救えないようにこのRPGは創られているのです。魂の成長のために生まれてきているのですから、真理を覚りそれを連鎖させていく以外に世界は救われないようにできているのです。

NPCたちはみんな「有能かつ有名でお金持ちで権力を持っている人間」が幸せで、「無能かつ無名で貧乏で何の権力もない人間」が必ず不幸せだと思っているのでしょう。また悲惨な生い立ち・環境で生きている人間が世界を救えるわけがないと考えているのでしょう。しかしそれは違います。僕らが自分など大した存在ではないと思わされているのは、そこから自分とすべての存在の価値に気づいていく過程が物語として美しく面白いからです。そのためには愛と勇気が最大限試されるからです。

みんな自分には世界を救うような能力もなく、そのキャパシティーもなく、その義務もないから誰も救わないのが当然(逆に足りないからと他人から奪ってでもキリなくお金を稼ぎ続けようとする)という考えになっていますが、自分に与えられている能力とキャパシティーの中で人を救うという考え方が連鎖しなければ、世界はただお互い奪い合うだけでどれだけあっても足りないようになり、いつまでも救えません。

あなたが人生で愛と勇気により目の前の二人の人間を救う事ができたなら、その二人もきっと他の二人の人を救うでしょう。それがたった50連鎖するだけで1000兆という途方もない数字になります。連鎖反応というのはそのように指数関数的に広がっていくものであり、一度火が付いてしまったらスチールウールの酸化反応のように誰にも止めることはできないのです。そしてその火付け役があなたという主人公の使命です。目の前の人と無償の愛で助け合う連鎖を世界の隅々まで行き渡らせるのです。メシアとはこの世の人間たちから救世主だと称賛される存在ではなく、創造主から称賛される存在なのです。メシアというのは他者評価ではなく自分の覚悟だということです。


そのためには特別な能力も大金も巨大な権威・権力も要りません。それらが多く与えられていないことを世界を救わない言い訳に使わないで下さいね。僕らは成長を楽しむため・お互いが助け合うためにわざと能力低く欠点多く愚かで過ちを犯すように作られているのです。

そしてあなたはグローバリストたちを悪魔そのもののように思っているようですが、この世界の魂はすべて同源(創造主の分け御霊)であり、いわば全員が同一人物です。つまりあなたも彼らとして生まれていれば確実に彼らと全く同じことをするということです。実際彼らを批判している今現在のあなたでも、彼らから大金と権力を餌に仲間に加わるように言われたら加わってしまうことでしょう。もしそうでないならとっくに世界を救う冒険へ旅立っているはずです。(僕は既にそうしていますし、例え何兆円積まれようと、どんな権力者にしてやると言われようと、僕の意思は微塵も変わりません)不幸な支配者を救うのが主人公の使命であり、支配者を絶対に幸せなものと考えて羨み、お金持ち・権力者を目指し、貧乏人を不幸と考えて貧困を恐れているようでは支配者たちは救えません。それどころかただ餌食にされるだけです。

人間というものは上位次元の存在のアバターであり、グローバリストも普通の人間に過ぎません。彼らは実際に会えば拍子抜けするぐらい普通に良い人達でしょう。あなたの周囲に屠殺場で働く人はいますか?彼らは家畜動物からすれば極悪人ですが、彼らの友人から見れば普通に良い人達でしょう。それと同じ事なのです。

屠殺場で働く人は「家畜は人間に食べられるために生まれているのだから、殺されても仕方がない」と仲間意識から切り離すことで罪悪感から逃れ、そして美味しい肉をみんなにたくさん食べてもらうことで「みんな肉を食べたがっているのだから、もし動物を犠牲にすることが罪だというのなら、肉を食べる人間は(及び動物実験による医薬品に頼る人間は)みんな同罪だ」と考えることで精神を保っているのでしょう。そしてそこはグローバリストたちも同じなのです。

グローバリストも我々と同じ人間であり、罪悪感から逃れるために無能な人たちを家畜と認識することで精神的に切り離しているのです。更に、エゴによって自分より無能な人を餌食にして富を得る社会システムにみんなを参加させることにより「みんな同じじゃないか」と罪悪感から逃れ、精神を保っているのです。しかしそれはとても不幸なことであり、彼らも主人公の救いの対象なのです。だから主人公はまず彼らの家畜になるのをやめるべきです。

ロスチャイルド家の現総代はインタビューにおいて(正確な内容は覚えていませんが)深刻な面持ちで「私は莫大な資産を持っても、ただ将来まで生活の不安がないというだけでみなさんと同じだ。少しも幸せではない。先代からの資産を減らしたら無能ということで一族から排除されるから仕方なく働いているだけだ」というようなことを言っていました。

現在の支配システム(時代・価値観)を作ったのは彼らではありません。支配者(悪役)としての宿命を持ってそういう家に生まれただけです。そして彼らはどれだけ途方もない資産を持っていても、先代の資産を減らさないためには先代よりも更に悪どいことをやらねばならないのです。

もしあなたがパチンコ連盟の長である最大手のパチンコチェーンの社長の息子として生まれたら、より収益を拡大すべくあらゆる悪どい事をやるはずです。できなければ無能として排除されますからね。絶対儲かるように出玉を管理し、あらゆる媒体を通じて宣伝し、ギャンブル性を高め、人気アニメを導入するなどして悪魔性を目立たなくして、店内を気軽に入れる雰囲気づくりに気を配り、流行らせて街中に出店拡大し、より多くの人を遊戯の中毒にさせ、サラ金業者と組んで高金利で金を貸し付け借金奴隷にするでしょう。そしてまた本来自分たちを取り締まるべき政治家や警察の上層部を要職に天下りさせたり裏社会の力で脅したりして逆に自分たちの操り人形にするでしょう。

グローバリストたちがやっていることも基本は同じです。陰謀論は荒唐無稽な話も多いですが、資本主義社会において陰謀自体があるのは当然です。今の資本主義経済は完全にギャンブルなのに、その胴元による我田引水的なコントロールと大規模な不正がないと考えるのは頭がお花畑なのであり、ただの賭博場のカモです。しかし不正を疑って文句を言いながらもそのギャンブル(経済・金稼ぎ)に人生を費やす気ならカモであることに違いはありません。


現代経済は椅子取りゲームであり、支配者たちはお金(ギャンブル)の仕組みを知らない・知っても逆らえない人達をそのゲームに強制参加させています。僕らは世の中がどんどん便利になっていくことに酔わされ、その音楽に踊らされている間にどんどん椅子が抜かれて社会が貧しくなっていることに気づきもしません。IT化などで世の中が10倍便利になっても、我々の仕事量が時間が10分の1になったわけでもなく、収入が10倍に上がったわけでもありません。逆に仕事量は増え幸福度は下がっているでしょう。社会の利便化によって富の独占が正当化され貧困化がごまかされていることに気づいて下さい。


そして支配者はこの矛盾が一気に露呈してゲームが終了することを恐れ、椅子を戻すのではなく人を減らすことでゲームを続行させることしか考えられません。コロナワクチンなど様々な人口削減施策はそのためにあるものです。設定上創造主にそういう役割をやらせられているのですから仕方のない事ですが、とても愚かなことです。しかし本当に愚かなのは、彼らの言いなりになってその陰謀にも気づかず(気づいていても文句を言うだけでレジスタンスを最初から諦め)残されたわずかな椅子を醜く奪い合って彼らのゲーム存続に貢献しているNPCたちです。

支配者たちは僕らがみんな同じ人間であること(ワンネス)に目覚めたら罪悪感に耐えられなくなりますし、罪を暴かれたらみんなから絶対に許されないだろうと確信しているので、自分でこの流れを止められないのです。「もし家畜動物たちが高い知性を手に入れて真実に気づき、勇気を持って我々に反乱を起こしたら」と考えれば、彼らの恐怖がイメージできるでしょう。だから彼らは大衆を常に無知で臆病にしておかなければならないのです。

そして彼らは罪悪感に耐え切れず死後の裁きを恐れているからこそ、悪魔を崇拝し悪魔に心を売ったことにして、同じグローバリスト同士で悪魔崇拝を流行らせて仲間意識を高め協力し合っているのです。グローバリストというのはそのように世の現実主義者たち(皮肉)にはとても信じがたいほどオカルティックなのです。そして彼らは世界中の人々のエゴを刺激してマネーゲームに陥れ、富を醜く争わせている間にお金をかき集めながら「お前たちも結局エゴのために他人を犠牲にしているのだから我々と同じじゃないか」ということで罪悪感を払拭し、あらゆる手段を通じてみんなのワンネスへの目覚めを全力で阻止しているのです。


しかしその彼らの意思は幻であり、本当は創造主のシナリオ通りなのです。そして悪魔がそのシナリオ通りに自分たちを崇拝させるように導いているのです。数十年で死ぬような人間・個性があって分離意識が強く言葉でしかコミュニケーションを取れないような人間に、こんなにうまく世界中を長年支配し続けることなど不可能です。グローバリストも悪魔も、みんな創造主の創ったシナリオ上、自分の役割を無自覚かつ忠実に果たしているだけなのです。悪魔が本気で世界を支配する気ならもっと秘密裏にやるでしょう。それなのにこれでもかってぐらい情報を公開して存在をアピールしながら世界征服を目指しているのは、悪魔の正体も悪役を演じている創造主自身(の分身)であり、本当は主人公に支配を止めて欲しいと願っているからです。


そうでなければジョージア・ガイドストーンなど出現するわけがありません。シナリオを知っている僕からすれば、滑稽過ぎていつも笑ってしまいます。


本当に賢い世界のトップエリートが911のようなあまりにも杜撰極まりなくまるで自分たちの存在を堂々とアピールしているかのような大胆な犯行の主謀などしないでしょう。彼らは無自覚に悪魔に操られているのです。

グローバリストは生まれた環境が我々と違うだけで普通の人間であり、彼らも悪魔に操られて苦しんでいて、それは主人公による救いの対象なのです。本当に幸せな人間なら悪魔などに頼って崇拝するわけがありません。メシア(主人公)の使命は、彼らを悪事とその罪悪感から救うことです。

彼らと権力や武力など力で戦おうとしても逆効果であり無駄です。ますます力で押さえつけられ暴力による支配が正当化されて体制が強化されることになるでしょう。この世のすべては自分自身の鏡なのですから、投げかけたものが自分に返ってくるのです。例え彼らの権力をテロなどの力で倒したとしても、また新たな権力支配が生まれるだけで何も解決しません。「権力」というのは相手に望まないことを強制する力です。その根源は人間みんなの中にフラクタル(相似形)に巣食う「他人を支配したい」という悪魔であり、それは悪魔崇拝者の祭壇にいるわけではありません。僕らがお金という権力分譲券を欲しがることでその悪魔は力を増すのです。誰もお金を欲しがらなくなればお金に力などなくなります。敵はグローバリストではなく悪魔です。僕らのRPGは天使と悪魔の代理戦争であり、とてもスピリチュアルな戦いなのです。だから力によって権力を打ち倒そうとしたりシステムから変えようとするのではなく、みんなが自分の中にあるエゴを乗り越えて無償で助け合い愛し合う価値観革命を世界の隅々まで行き渡らせなければならないのです。

愛が天使であり、エゴが悪魔なのです。そしてそのエゴの連鎖(利害関係の一致)が正義を装った巨大な悪魔を生んでいるのです。もしみんながイメージするような純粋な悪が存在するならそれはみんなが嫌がるので決して連鎖しません。エゴと愛は磁石の両極のように不可分であり、どちらか一方だけを失くすことはできません。僕ら一人一人が自分のエゴを乗り越えて愛を実践するようになり、それが連鎖することで世界は救われるのです。グローバリストから奴隷・家畜扱いされている僕らが、彼らから奪われて残されたわずかな富でも分け合って助け合って幸せに暮らせることを実践して見せ、そしてグローバリストたちの罪を許して彼らを悪事とその罪悪感から救う事で、僕らがみんな同じ人間であることに目覚めさせなければならないのです。


わかりますか?主人公はみんなに「本当は我々全員が同一の魂(ワンネス)であり、みんなを幸せにしない限り、決して自分も幸せになれない」ということに目覚めさせなければならないのです。我々がみんな尊い神であるということに目覚めさせるということです。そうすれば彼らはその富を等しく分配するに違いありません。それが古事記の「岩戸隠れ」の神話が教えているところであり、堕天使ルシファーは天照の荒魂ってことです。天使(愛)と悪魔(エゴ)は裏表一体であり不可分のものだと知って下さい。


今はまだお金(権力の分譲券)の力は絶大です。それはみんなが欲しがり、嫌な事を我慢してでも・他人から奪ってでも稼ぎたいと考えることによりその権力は増していき、どれだけ稼いでも我欲も保身も満たされず不満かつ不安で、そうしている間にどんどんお金というシステムを牛耳っている支配者たちの力を高め、人々がお金に支配されるようになっているからです。

お金がなければ生きていけない。お金を稼いで楽をしたい・欲望を果たしたい、他人に嫌な事を強制し、他人より優越的な立場にいたい・他人から見下されたくない・老後や病気や事故が不安だ・・・。そのように誰にでもあるエゴ(悪魔の手下である霊障)を刺激し利用して彼らは支配力を高めているのであり、僕らがそのエゴを乗り越えて愛に生きるということを世界中に連鎖させていかなければ、世界は救えないようになっているのです。そしてそれが創造主の創りし壮大なる神話のシナリオなのです。

みんなが愛を大切にして無償で助け合い、お金がなくても生活・将来の不安がなくなり、過剰にお金を欲しがらなくなれば、お金の価値は相対的にどんどん下がっていき、たくさん持っていても他人に何も強制できないので意味がなくなり、いずれ必要とされなくなるのです。そして氷河が溶けて水になるかの如くなくなっていき、この狂ったマネーゲームは人類を破滅させずにソフトランディングしていくのです。

真理は他人に強制しなくとも、自らが実践する勇気を見せるだけで、みんなが自発的に従います。ガンジーの非暴力不服従運動が良い例です。人を動かすのに政治や法律や金などの強制力が必要なのは、それが真理ではないからです。僕らは真理(=愛)を日々自ら実践し、ありとあらゆる権力(強制力)への非暴力不服従運動を展開し、権力(強制力)ではなく真理(=愛)が世界を修める真に自由な社会を築かなければならないのです。それはみんなが自発的に真理(=愛)に従う社会、神が治める社会ということです。その実現が人類のマニフェスト・デスティニー(明白なる使命・運命)なのです。


多くの人は命を一度限りのものと思い、信心がないために「すべての存在が本当は一つであり魂は永遠である」と信じず、エゴによって死を恐れるから、悲惨な死に方をした人を見て「この世に救いはない・創造主や神仏などいるわけがない」と考えるのでしょう。しかし魂は永遠であり死は幻です。そしてこの仮想現実世界の死の苦痛も幻であり、臨死体験者たちが例外なく言っているように、本当に死ぬ時っていうのは痛くも苦しくもなくできているのです。この世界は意地悪や嫌がらせのためではなく愛を経験させるために創られているのです。そしてこの世界は夢と同じであり、悲惨な死に方をしているように感じられる他人はNPCであり、創造主自身でもあります。それを見てこの世界に神も仏もないと考えて世界を救おうとしないのではいつまでも主人公になれずゲームクリア(覚り・世界平和・地上天国の実現)は有り得ません。

この世界は愛と勇気を試すためのRPGです。能力が低く臆病だからこそ愛と勇気を発揮して戦う姿は尊いのです。最初から能力が高くて何も恐れない人の愛と勇気には価値がありません。不平不満・言い訳ばかりですぐエゴ(我欲と保身)に逃げる臆病なNPCが絞り出す一滴の愛と勇気にこそ価値があるのであり、それがNPCを主人公にするのです。

誰が見てなくても創造主はあなたのすべてを見ています。だから他人に言い訳したり嘘をついたり、他人に評価されることを目指して努力する必要などないのです。誰が主人公(メシア)なのか誰に知られずとも創造主はちゃんと知っていて、必ずそれを讃えてくれます。他者評価より創造主の評価を考えて下さいね。


陰謀論者はプロビデンスの目を支配者層が目指す管理社会の象徴のように思っていますが、違います。創造主は悪役も含めて全ての役を自らの分身を使って演じさせながら、主人公であるあなたの成長を常に見守っているということです。行動だけでなく心の中まで全部、一秒も休むことなくです。あなたと創造主の関係は一対一であり、世界に何十億人NPCがいようと、あなたはその背中に隠れることはできないのです。

どっちにしても創造主に全部見られているというのに、監視社会になって何が悪いのでしょうか?犯罪や事故が減って色々便利になって良いじゃないですか?みんな心がエゴに満ちていてエゴのために暮らし、そのことに罪悪感があるから「他人に監視されたくない」という意識が働くのでしょう。お互いのエゴを責め合っているから、「誰かに見られて責められたくない」と隠したくなるのでしょう。もし心が愛に満ちていたら、本心を人に見られるほど愛されますから、どんどん本心を見て欲しくなるはずです。今の監視社会の問題は、他人のエゴを自分のエゴに利用するために情報が使われるために監視システムが息苦しくなっていることであり、監視社会そのものが問題なのではないのです。監視する目的が愛に変われば、それは医療・社会保障を隈なく行き渡らせるために使われることでしょう。資本主義が終われば、お金にならないのにわざわざ人々のプライベート情報を膨大に集めて研究して利用しようとする愚者はいなくなります。

このRPG世界はみんながワンネスに目覚める連鎖が世界の隅々まで行き渡り、みんなが無償で助け合う世界が実現し、みんなが救われるというフィナーレに向かっているのです。今の社会は、その大逆転劇前の(エゴ・分離意識による)最後の苦難を経験しているのです。その苦難故に創造主を恨まないで下さい。記憶を消されているだけで、本当はこのシナリオを描いたのはあなた自身(=我々の集合意識=創造主)です。

支配者層がエゴの為に目指していた世界政府が、価値観革命によりみんなを救う為の政府に変わるのです。我々はみんなそういう創造主の創りし壮大な神話の中を生きていて、そのワンネスに目覚める連鎖反応を自分に与えられた才能でもって自分から起こしていくことが主人公である自分の使命なのです。

大分長くなりましたが、ご質問の回答、ご納得いただけましたでしょうか?与えられたゲームの設定・シナリオ(フィナーレ前の苦難)に文句を言わず、認識できるすべては自分の魂の成長にベストだから与えられているものなのだと信じ、全ての存在に感謝して、目の前の人から救って幸せにしてそれを世界に連鎖させて下さい。この世界はすべてが主人公(メシア)である自分次第に作られているのです。

最後に創造主の思いをあなたに伝えるべく、ゾロアスター教三大呪の一つ「イェンゲー・ハーターム」を贈ります。世界を救う物語の主人公(メシア)であることにきっと目覚めて下さい。


ýenghê hâtãm âat ýesne
イェンゲェー ハーターム アーアテ イェスネー
paitî vanghô mazdå ahurô vaêthâ
パイティ ワングホー マズダー アフロー ウェイター
ashât hacâ ýånghãmcâ
アシャート ハチャー ヤォングハムチャー
tãscâ tåoscâ ýazamaide.
タスチャー タオスチャー ヤザメィデー

この世に存在する者たちの中で、誰が主の遣い(主人公・メシア)として最も優れた者であるか、主に与えられた悟りによりアフラ・マズダーは知り給う。神の遣いとして目覚めた男や女を我々は拝み祀るのである。

2022年11月7日月曜日

友人の統合失調症を改善するべきか?

【質問】25歳・男性
はじめまして。

友人B(25、男)の統合失調症を改善するべきなのか?ということをお伺いしたいです。

彼に出ている妄想に関してお伝えすると「自分は巫病にかかっている」「シャーマンの素質がある」「八咫烏(秘密結社)の一員である」「日本は神の国で世界の中心である。富士山に守られている」という発言が出てきております。根拠を聞いたところ、友人B自身の内面の世界が伝えてくれるということで、あまりうまく対話することが難しいです。

友人Bは大麻やLSDを何度か使用しており、その度に上記の妄想が激しくなっているイメージがあります。(恐らく所持はしておらず、友人等からもらっているようです)

現在まで波はあるもののあまり回復してるようには見えておりません。記憶力も極端に低くなっており、昨日話したこともあまり覚えていない状況が続いております。

私自身も精神世界や哲学は好きなのですが、根拠も教養もない友人Bの発言に悲しくなってしまいます。友人Bとはビジネスパートナーでもあり、10年以上の付き合いなので何とか自分を取り戻して欲しいと勝手ながら思っていますが、真也様の知見をお借りしたくご連絡しました。よろしくお願いします。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

友人が急に変わってしまった経験は僕にもあるので、心配する気持ちはとてもよくわかります。

一般的に統合失調症とされているものは、霊障であり憑依現象なのです。まずこれを読んで下さいね。「憑依体質の存在意義

ご友人の症状も霊障による自我の乗っ取りの典型だと思います。記憶が苦手になっているのは脳の記憶力の問題ではなく、その人の主人格がコロコロ切り替わる状態にあるからです。

記憶喪失の人は大抵の場合はトイレに行ったり着替えたり普通に生活できます。失われているのは記憶ではなく主人格と記憶の連絡だからです。人間というのは霊的意思の乗り物でありアバターのようなもので、主人格がいなくても霊的意思がその人の脳にある記憶や自分の記憶を使って思考し行動することが可能なのです。

しかし人間の「自分は自分である」という自意識(自己同一化)が強く働くため、霊障がさせている思考や行動でも本人は自分が思考し行動していると思って疑うことすらできません。霊障による自我乗っ取りを自覚することは不可能なのです。霊障が自分自身になっているのですからね。酔っ払いは例え自分が酔っていることに気づけたとしても、酔いが覚めるまでいつもの自分の思考に戻ることはできませんし、夢の中の自分がいつもの自分と違っていることを目が覚めるまでは自覚できません。それと同じことです。

対策ですが、まずあなたが認識しなければならないことは、「宇宙の仕組み」に書いた通り客観的世界は存在せず、あなたはあなたを主人公とするRPGの世界を生きているのということです。あなたにはあなただけに用意されたシナリオがあり、それはすべてがあなた次第に創られているのです。

あなたにとってあなた以外の人間はNPCのような存在であり、あなた自身の鏡です。そして「悪いカルマの解消法」に書いた通り、出会った人のカルマはあなた自身のカルマを写し出したものなのです。創造主が偶然に見せているだけで、このRPGの世界に偶然など何一つないのです。

カルマを構成するものが霊障であり、それがどんどん悪い方向にシナリオを選択させるので、まず日々自分の霊障を祓わなければいけません。その方法も「悪いカルマの解消法」に書いていますが、まずあなた自身が信心を日々強くして神々に尽くし、人々に奉仕し、心身と環境を清潔・善良に保つことです。そして宗教的・スピリチュアル的知識を身に着けて日々実践して下さい。

浄霊は無料でしてくれるところがたくさんあります。大本教・世界救世教・真光などです。入信したり無理に献金や奉仕活動をする必要はないですから、ただ毎日のように浄霊を受け、その友人を浄霊してあげたり浄霊に連れて行ってあげたりしてみて下さい。

大事なことは、宗教に依存せずに信心を持つことです。宗教は欠点があり過ちも犯す人間が運営するものですから、腐敗は必然です。でもそれを理由に信心を持たないのなら、いつまでも神々について学ぶことができませんし、神々の守護を得ることはできません。それでは霊障に犯され放題になってしまいます。

僕は様々な神々を信じていますが、どこの宗教にも入信はしていませんし、どこの宗教が絶対良いなんてことを無責任に言うつもりはありません(宗教・神々との出会いも縁です)ので、無理に勧誘されたり献金や奉仕活動を強制してくるような宗教があったらすぐ逃げて下さい。

>何とか自分を取り戻して欲しいと勝手ながら思っています

あなたはご自分で「勝手ながら」とおっしゃっているので、本当は自覚されているのでしょう。相手を変えよう(改善しよう)などと考えるのは自分勝手でありエゴなのです。ただ「欲は悪いものですか?」に書いた通り、人間にエゴがあるのは当たり前であり、エゴの存在が悪いのではなく、エゴの存在を前提に、エゴを愛によって乗り越えていくことが課題なのであり、それが魂の成長につながるということです。そしてそれが生まれてきた意味なのです。

友人を心配する気持ちは自然なものであり決して悪いことではないのですが、あなたが友人に「自分を取り戻して欲しい」というその「自分」というのは、あなたの勝手なイメージに過ぎません。その友人は普通に生活できていて、自分がおかしいとも思っておらず、あなたに改善して欲しいなどとも望んでいないはずです。それなのに勝手に病気・妄想だと決めつられて「過去に引き戻そう・改善しよう」などと試られたら、反発されるのは必至です。

出会いというのはすべからく自分という主人公の成長のために与えられているもので、自分が変わらず(成長せず)に相手の側を変えようとするとうまくいかないようにできているのです。相手には相手を主人公とするRPGのシナリオがあるのであり、他人に勝手にコントローラーを奪われそうになると無意識に反発してしまうように人間はできているのです。人は自分なりに失敗や試行錯誤も通じて自分でゲームを進めたいのであり、求めてもいないのに勝手に答えを教えられたくないのです。あなたの出す答えが真理とは限りませんし、むしろ真理に近ければ近いほど相手を逆にその真理から遠ざけてしまうのです。

いきなり正解を教えられるクイズ番組など面白いわけがないですからね。正解を見つけるまでの過程(失敗と試行錯誤)の中に人生という物語・芸術があるのです。真理に価値があるのではなく、自分だけの答えを見つける過程・経験に価値があるのです。それがなければ真理とは概念に過ぎません。

反省してはいけない」にも書いた通り、人の心はとても天邪鬼にできています。人が悪い行動を繰り返すのは、それを悪いと知らないからではないのです。幼い頃から他者比較に晒されて自信がなくて自己イメージが低くなり、それに応じて行動のレベルが下がり、それを自他ともに責めることで自己イメージが更に下がり、悪い思考や行動がやめられなくなり、更に悪い出来事を引き寄せるという悪循環に陥っているのです。

だからあなたが相手の悪い所を指摘したり、改善策を教えたところで、逆に相手の自己イメージを下げてしまって悪循環に陥らせるだけです。「指摘せず気づかせる」「教えず導く」「自らの学びとする」がメシア流救世三原則です。(あなたも主人公=メシアです)

さて、その友人に写し出されたあなたのカルマはなんでしょうか?それは本来自分で考えるべきことです。僕はあなたにもその友人にも会ったことがないのでわかりません。だからこれから書くことはあくまで僕の経験則による想像に過ぎないのですが、ヒントになれば幸いです。

まず少年時代からの親友がビジネスパートナーでもあるっていうのは、あまり良くないことなのです。基本的に友情も含め愛というのは無償が基本なのであり、ビジネスでは損得勘定が発生するのが自明です。愛と金(エゴ)は磁石の両極のような関係で、エゴ同士はいつか反発するのが必然なのです。利害が完全に一致し続ける限りはくっついていられますが、いつかズレが生じて反発し合うのは時間の問題なのです。

古くからの友人を大切にすることは素晴らしい事なのですが、人間関係というのは基本的にどんどん広げていくべきものであり、環境の変化と共に自らの時間を多く捧げる友人というのは変わっていきます。

旧友というのはたまに会うだけでも、昨日までも会っていたかのように仲良くできるからこそ素晴らしいのです。そういう親友を自分の心の世界に何人住ませられるかが人生の価値でもあります。大人になっても歳をとっても同じ友人と頻繁に会い続けて、他の人間関係が広がって行かないことは良くない事なのです。

RPGで(地理的にも人間関係的にも)スタートの街に籠っていたら冒険は進まないので、ずっとそこに居ようとするとお尻を蹴られるような出来事が起こるものなのです。繰り返しますが、このRPG世界に偶然は存在しないのです。

あなたが旧友との関係に執着し過ぎているのは、人の好き嫌いが激しかったり自分に自信がなくて傷つきやす過ぎたりするために新たな人間関係を積極的に広げていけず、環境の変化を恐れているからではないでしょうか?あなたは「教養がない」と見下している人と親友なのですから、正直に言ってあなたは自分より優れていて劣等感を感じる相手とは積極的に関わらない(出会い・成長を拒否している)人なのではないかという印象を僕は受けてしまいます。

世のほとんどの人がそうですから、傷ついて凹んで自己イメージを下げないで下さいね。そうすると前述のように思考・行動のレベルが下がる悪循環に陥りますから。自分の問題に気づいたら、直せばいいだけなのです。というか気づけば勝手に直っているものなのです。自分を守ろうとして自分の課題を自覚することから逃げないで下さいね。それ(自覚の拒否)をしているのがその友人なのですから、それを鏡として自らの学びとしなくてはいけません。創造主と主人公であるあなたの関係は一対一であり、他人(NPC)の思考や行動(常識)は一切言い訳には使えないのです。

誰でも自信満々になれる方法」は必ず読んで下さい。あなたの課題(カルマ)が何かがよくわかるはずです。みんなあなたの鏡なのですから、あなたが心を閉ざせば世界があなたに対して閉じてしまいます。あなたが例外なく無償で愛し抜く覚悟さえ持てば、人を恐れる必要など微塵もないのです。そうすれば世界があなたに開かれます。まるですべてがあなたのものであるかのように。だからただひたすらありのままを愛して下さい。

>「自分は巫病にかかっている」
>「シャーマンの素質がある」
>「八咫烏(秘密結社)の一員である」
>「日本は神の国で世界の中心である。富士山に守られている」

あなたがこれを妄想だと決めつけるような方なら、僕のことも統合失調症だと言いかねないでしょう。あなたが絶対だと思っているご自分の世界観・常識も、僕からすれば妄想に過ぎません。僕はこのご友人の発言内容だけから判断して、完全に妄想だと決めるつけることはできませんし、もし霊に言わされているのなら、あながち悪い霊とも思えません。もし僕の友人だったらどんな霊に言わされているのか興味を持つと思います。そして発言内容が事実であることを前提として一切否定せず真剣に話を聞くと思います。

一般的に統合失調症と言われるものは、ほぼ確実に被害妄想(いつもバカにされ笑われているのが聞こえる、常に誰かに狙われ嫌がらせをされている、いつも誰かに監視されている、など)を伴うものであり、あなたは友人が急に変わってしまったというだけで、統合失調症が何かも良く知らずに統合失調症による妄想であると勝手に決めつけるのは、僕はナンセンスだと思います。

ゲームにおいてクリエイターの意思(導き)というのは基本的に出会うNPCを通じて与えられるものであり、それを気に入らないからといって拒否していたら事故るか行き詰まるしかなくなります。出会う人とその発言・出来事の良し悪しを判断するのではなく、クリエイターがどういう意図を持ってそれと出会わせたのかを考えるべきなのです。

>根拠も教養もない友人Bの発言に悲しくなってしまいます

その友人は彼なりに自分のカルマ(課題)に取り組んでいるのですから、友人であるあなたにできることは、常に心からの笑顔で承認し「根拠も教養もない」などと否定せずにリスペクトを示しながら真剣に話を聞くだけです。そうするだけで相手の自尊心は上がり、今は行き詰まっていても気力を失わず、いつか自分なりに答えを出して自分だけのゲームを前に進めていくのです。

基本的に統合失調症状態になるのは、自己肯定感の低さ・自己嫌悪心と厭世観により、自分が自分であることに耐えがたくなって逃げたくなっていることが原因で、その隙をついて自我を少しずつ乗っ取られ、ある日突然会社の株価を半分取得されたかのように自分というものの経営権を奪われてしまうのです。もちろんある日突然に見えるのは他人目線であり、本当はそこに至るまで気づかない間に少しずつ主人格が主体者としての地位を奪われていたのです。そしてあなた自身も自覚がないだけで自我を少しずつ霊障に犯されているのです。だからお互いの自尊心がどうやったら上がるかを考えて日々実践することが大事なのです。

統合失調症状態の人に幻覚剤は厳禁ですし(より霊障に犯されやすくなります。だからこそ霊障は宿主に幻覚剤を求めさせます)日本では違法なのでやらない方が良いのは言うまでもないことです。でも友人の立場でそれを止めることは難しいでしょう。やりたいものはいくら他人がやるなと言ってもやります。本人が心からもうやりたくないと思えるようにならなければ、他人がやめるように強制したところで逆効果です。そもそも幻覚剤の多くはあなたが考えているような麻薬とは別物であり、僕自身も連日アヤワスカを飲んでいる人間なので、幻覚剤を悪いと決めつけたりはしません。

繰り返しますが、あなたは自分が主人公のRPGの世界を生きているのであり、それ以外の人は僕も含めて全員NPCです。その友人が霊障に犯されているのはその友人のカルマなのですが、あなたが出会った人のカルマはあなたのカルマでもあるのです。それはどこでどうつながっているかわからないのです。

鏡の法則」のページに「息子が学校でいつもいじめられていたのが、自分がずっと連絡をとっていなかった親に自分を生み育ててくれたことへの感謝を伝えたら、いじめがぱったりとなくなった」という実話のエピソードがあります。そのようにカルマ・因果というのはどこでどうつながっているか人間には知り得ないものなのです。だから出会った人のカルマを直接的に解決しようとするのではなく、あなたのカルマ(人生の課題・使命)が何かを考えて、ひとつひとつ乗り越えて行くことを考えて下さい。

それでは、あなたとご友人の人生の幸せを心から祈っています。

コミュ障を克服したい

【質問】30代前半・男性 ペンネーム:脳汁 真也さんこんにちは。最近Xやnote、質問箱を見させていただいてます。 真也さんの考えはとても素晴らしく自分に取り入れようとするのですが、なかなか理解力不足でうまくいかないです。私は昔からいわゆるコミュ障です。友達も少ないですし、職場の...