2022年9月10日土曜日

離婚について

【質問】
初めまして。noteを見させてもらってとても感動しています。読んで沢山勉強しようと思います!

さて、質問なんですが「結婚、離婚」についてです。

ただ今離婚に向けて進めているところです。(離婚調停申し込みました) 離婚理由は相手の女性関係、モラハラ、性格の不一致等です。妊婦になってから不仲になっていきました。

私も未熟者で今では「どっちもどっちだな」とも思いますが、どうも話が通じず、我慢するしかない間柄で、愛もないなと。自分を正当化するためにストーリーを変えたり嘘や虚言も気になります。妊婦出産産後と大変だったので精神的にももたず、そうゆう環境で子供にも悪影響だと思い離婚を決意しました。

ですがノートを読んでいると離婚をせず愛で解釈して頑張った方がいいのかなぁとも思ったりして(やってるつもりでしたが、なかなか難しいし持たない…)  恨む気持ちを持たずに、自分のことを反省して愛で包み込んだり、なかなか私のような未熟者には難しかったです。

今は自分の課題を教えてくれた人で感謝してます。自分がどんなに未熟な人なのかも分かりましたし、成長したいと思ってます。でも一緒にいたら精神をどうにかするのに集中してしまい、成長どころではなく(自分の度量のなさかも知れませんが)それぞれ違う道で成長するのがいいのかなと思ってしまいました。また仕方がないと思いつつも、子供と離れてしまうのは辛いと思うので申し訳ないと罪悪感もあります。

離婚についてはどう思いますか?それでも頑張るのが良かったのでしょうか。良かったらお答えして頂ければ幸いです。


【回答】※10月15日更新
ご質問ありがとうございます。そしていつもnoteを読んで下さってありがとうございます。それは本当に嬉しいことです。

さて、離婚調停中ということで、あなたの心の痛みに心から同情いたします。幸か不幸か僕には結婚も離婚も経験がありませんが、かつては心から愛し合っていた関係が壊れることの痛みはよくわかります。きっとあなたは母親として社会人として強くあろうとして自分の心の傷に目を向けないようにしていることかとお察ししますが、どうかまず心の傷を癒すことに専念して下さい。

問題の渦中にある時、心が傷ついている時、自分で自分の課題を正しく(クリエイター目線で)見つめることはとても難しいことです。もちろん僕もそこは何度も経験しているのでよくわかります。だからこれから僕が書くことを理解しようとするのは、もう少し心の傷が癒えてからの方が良いと思います。

どうか僕が偉そうな説教をしてあなたを責めているのだと誤解しないで下さいね。僕はただ魂の同志としてあなたを尊敬し、純粋にあなたを幸せに導きたいだけなのです。

成長とは基本的に失敗・過ちを通じてもたらされるもので、それは必ず痛みを伴うものです。そして魂のレベルが高い人の人生ほど難易度高く、失敗・過ちの痛みが大きく作られているのです。

人生というRPGにおいて、失敗・過ち・不幸は誰しもが通る道であり、避けては通れません。そもそもそれがなければストーリーとして成立してません。全てを愛によって与えてくれている創造主が、失敗・過ち・不幸から我々に何を学ばせようとしているのか、一緒に考えていきましょう。

どんなに辛い経験も、我々に起きる全ては我々の学びにとって必要な経験だからこそ起きているのであり、常に我々にとってベストなのです。あなた自身もあなたなりのベストを尽くして起きた結果なのですから「もっと頑張るのが良かったのでしょうか?」などと考えて自分を責めることはありません。本当に大切なのは選択可能な現在でありこれからです。

あなたの人生で起きる全ての出来事があなたに必要な過程であって最終的な結果ではありませんので「自分とは(結婚とは・人生とは・世界とは)こんなものだ」というネガティブな決めつけで結論を出して変な悟り方をせず、これから幸せになるために克服すべき課題なのだと理解して下さい。本当の不幸を経験せずに本当の幸せを感じることは不可能ですから。

誰しも深く傷ついた時にはとりあえずは自分を守らなければいけませんから「どっちもどっちかも」と内心では薄々わかっていても、一旦は全てを相手のせいにして恨み「自分は悪くない」と整理をつけるのも必要な過程だと思います。心の傷に綺麗事は通用しませんからね。

実際、あなたは何も悪くありません。しかしながら、相手も何も悪くないのです。あなたの人生に起きたことは全て、その登場人物が無自覚に創造主の用意したシナリオ通りに役割を演じた結果なのです。どうか自分自身もパートナーの事も責めずに、いつかは許してあげて下さい。

恋愛・結婚などの成功体験が全くない人もたくさんいる中で、あなたは結婚を手にして子供まで授かりました。ただし結婚に限らず、何かの成功というのは、新入社員が査定前に貰う最初の夏のボーナスのようなもので、創造主から更に大きな成長が期待されているということなのです。それなのに一つの成功をゴールのように捉え、また自分の実力・努力への正当な報酬だと驕り、既に幸せの保証でも得たかのように考え、あとは周囲と同程度に頑張っていれば大丈夫(何か悪い事があれば自分のせいではない)だろうと考え、その成功の上にあぐらをかいて成長努力を怠ると、先取りの成功がまるで借金のようになり、成功の喜びの大きさに応じて利子付きで幸せの返済を要求され、大きな落差の不幸が待っているのです。では創造主はあなたにどんな成長を期待しているのでしょうか?

人間関係というのは(夫婦関係に限らず)相手の方を変えようとしても決してうまくいきません。そのように自分が成長することなく相手を変えようとするのは人間の初期設定であり、それがエゴなのです。それは磁石の同じ極のように必ず反発し合ってうまくいかないようにできています。だからこそ自ら気づいて自発的に成長を目指すことが尊いのです。そしてそれこそが愛であり、それはエゴとは対極にあるものなのです。

相手は相手の人生というRPGをプレイしているプレイヤーであり、そのコントローラーを他人が奪うことはできないように創造主はこの世界をプログラムしているのです。自分の人生(自分の認識世界)はすべからく自分次第にできています。つまり相手も世界もあなたが変われば(時間差こそあれ)全てが変わるように作られているということです。

あなたが出会う人はみんなあなたが主人公のRPGにおいて無自覚にあなたの脇役としてクリエイターの設定した通りに動かされているNPCなのです。それはあなたの家族や友人であっても、どんな有名人であっても同じです。あなたが出会う人は例外なくあなたが主人公のゲームのNPCなのです。

そしてあなたが出会う人はみんなあなた自身の鏡のようなものです。ですからあなたが相手の自尊心を下げれば自分の自尊心も下がります。note記事「反省してはいけない」に書いた通り、自尊心が下がればそれに応じて悪い思考・行動が止められなくなる悪循環にハマるということを知っておいて下さい。

これも人間の初期設定であり、殆どの人がハマっている悪循環なのです。相手の欠点や過ちを許せずに逐一責めて相手の自尊心を下げ続け、その結果反発し合い、自分の欠点や過ちも許せずに自分の自尊心も下げ続け、お互い更に悪い思考・行動が止められなくなるという悪循環です。きっとあなたの離婚もその結果として起きていることなのではないかと推測します。(これはみんなに共通した課題であり、決してあなただけではないので、落ち込んで自尊心を下げないで下さいね)

決して夫婦関係に限らず、全ての人間関係において「どうやったら相手の自尊心が上がるか?」を考えて実践し続けることが大事です。それは変にお世辞をいったり遜ったりしておべっかを使う事ではありません。基本は相手(の欠点や過ち)を許し、存在に心から感謝して心からの笑顔で承認し、自分には決してできない貴重な経験をしている存在として尊敬し、愛することです。

あなたも他人も出会う人はすべて創造主の分身であり、自分も他人も尊敬しないということは創造主(すべての存在)を尊敬しないということであり、当然それは悪い運命・シナリオを引き寄せることになります。社会の中で他者比較に晒されてみんな自尊心が低くなっているのが初期設定ですから、努力して出会った人みんなと自分自身を尊敬し、お互いの自尊心を上げる必要があるのです。

そしてどんなに相手の意見が気に入らなくても、その場では話を否定せずに真剣に聞くことです。こちらが少しでも否定したら「この人は話を聞かないタイプだ」と、相手は心を開かなくなり、本音を言わなくなります。つまらない話ほど真剣に聞かなければいけません。人はつまらない話も真剣に聞いてくれる人にしか大事な話をしないものだからです。相手は自分で美味しい(正しい)と思って自分の料理(言葉)をプレゼントしてくれているのに、それを口に合わないからとその場で吐き捨てるようでは人間関係がうまくいくわけがないのです。必ず味見はさせてもらってとりあえずは「美味しそう(面白そう)・興味がある」と言うことで、いったんテイクアウトにする癖をつけて下さい。あとはあなたのDisposable(取捨選択自由)です。

相手の言う事が正しいか間違っているか・好きか嫌いかを判断するのは後回しにして、創造主がどういう意図(伏線)をもってあなたとその人・その言葉・その出来事とを出会わせたのか(何に気づかせたいのか)を考えてみて下さい。そしてそれは必ず愛により成長を願って与えられている出会いなのだと理解して下さい。

人生はRPGそのものであり、RPGにおいて行き詰まる原因は常に「人の話を聞いていないこと」なのです。クリエイターからのメッセージをNPCを通じて受け取れていなければゲームがうまくいかず悪いシナリオに導かれる(行き詰まる・事故る)のは当たり前なのです。

人生というRPGは全て予めプログラム済みなのであり、僕らは既に用意されている無数のシナリオを選択しているに過ぎません。悪く解釈すればどんどん悪いシナリオに導かれますし、良く解釈すればどんどん良いシナリオに導かれます。だから大切なのは行動の選択より解釈の選択なのです。

>離婚理由は相手の女性関係、モラハラ、性格の不一致等です。妊婦になってから不仲になっていきました。

画像の「離婚原因TOP5」の通りですね。離婚に至る人の多くは、その理由をあなたと同じように自分のせいではない(相手のせい・相性のせい)と解釈しているということなのでしょう。

もちろん傷を癒すためには相手のせいにするのも必要な過程ではあるのですが、いつまでも相手のせいにしていては自らの成長の糧にならず、例え再婚したとしても恐らくはまた同じことを繰り返すことになるでしょう。

「離婚原因TOP5」にあるようなものは男性のネガティブな性質(反発心)の表れ方の典型(霊障・カルマ)であって、原因ではなく結果なのです。男性は環境・状況次第では誰でもそのようになる可能性があります。

例えば外で女を作ることにしても(もちろん男性側の元々の播種本能の強さも原因としてあるのでしょうが)男性が家でも職場でも友人関係でも自尊心を下げるようなことばかり言われて、外に女を作って肉体的に受け入れられる事で自尊心を満たす他なくなったことの結果でしょう。

人間とは「風の谷のナウシカ」の腐海の植物と同じで、土が汚れているから(霊障にまみれ、自尊心が下がっているから)毒を出すのです。ですから人は常に自他の毒を浄化(浄霊)し、心の水やりを怠らないこと(愛情欲求・自尊心を満たしてあげる事)が大事なのです。そしてそれこそが霊的成長なのです。このあたりの話は「憑依体質の存在意義」と「悪いカルマの解消法」を読んで下さいね。

みんな決まって離婚の際は「性格の不一致」と言いますが、人間の性格は一致していないのが初期設定であり、最初から性格が一致していたら相手は自分そのものですから存在意義がありません。性格が一致していない者同士が失敗・紆余曲折・試行錯誤を経て歩み寄る過程に物語があり存在価値を生んでいるのです。「最初は努力しなくても一致していた」などと思うのは恋愛のマジックであり幻想です。それによってきちんと話し合わなくてもわかって貰えているものと勝手に期待し、問題が次々に出てくれば「最初から性格が合っていなかったことが原因」と考えて諦め、自分から歩み寄ってきちんと話し合っていないから相手も意地になって歩み寄ろうとせず反発するのでしょう。みんなが離婚の原因だと考えることはすべからく純粋に愛情(尊敬・感謝・許し・忍耐)不足の結果なのだと思います。

全ての事象は因果によりどこまでも果てしなく結びついており、それは常に循環・上書き更新されているものです。相手の性癖を問題の原因として断定することは、その因果を自分に都合の良いようにブツ切りにすることなのです。

例えばあなたが自分の不幸を親が原因だとするとします。でもそうだとしたら、その親があなたを不幸にしてしまうように人間になったのは、きっとその親(あなたの祖父)が原因でしょう。その責任追及の連鎖は「親⇒その親⇒その親⇒その親・・・」と創造主の人間創造まで果てしなく続くことになります。つまり親を責めるのは創造主を責めるのと同じなのです。その因果を「自分の親が悪い」という自分にとって都合の良いところでブツ切りにし、自分の親の不幸な境遇に思いを巡らさないようにしなければ、自分の親個人を責めることはできません。それはもちろんあなた自身についても元パートナーについても同じ事が言えます。あらゆる人・出来事への不平不満は全てを与えし創造主への不平不満なのです。それは必ず悪業となって自分自身に返ってきます。

夫婦関係に限らず、人間関係の問題の原因はほぼ二つに集約されると思います。それは前述の「自尊心の下げ合い」と後述の「感情の強要」です。

殆どの人は感情(愛)の存在理由とその仕組みが理解できていません。詳しくは他の方の質問「片思いの存在意義」に書かせていただいたので、そちらをご覧下さい。今回はかなりそれと内容が重複します。非常に根源的な所から説明が必要なので大変なのですが…。

全知全能の創造主からすれば、同じように全知全能の存在を創ることはたやすいことなのです。また個性のない(欠点も過ちもない)完全なコピーを無限に創ることも容易です。でもそれでは存在に意義がありません。

愛というのはそれぞれの存在に個性(欠点や過ちを含む)があってそれをお互い許し合い・補い合うからこそ生じるものなのです。我々は個性がなければ愛し合う事はできません。我々の誰しもが個性を持つ存在であり、それは欠点や過ちと不可分です。ですから欠点や過ちを理由に人を愛さないというなら、自分自身も誰も愛することはできないのは自明なのです。欠点や過ちには価値があり、それなくして愛は生じ得ません。そしてその愛という概念こそが存在意義なく生じた創造主が自ら創った存在意義なのです。

相手の欠点や過ちが自分に存在意義を与え、自分の欠点や過ちが相手に存在意義を与えているのに、人間は欠点や過ちを理由に他人を許さず・愛さず、その結果自分自身も許せない・愛せなくなるようにわざと愚かに初期設定されています。だからこそそれを課題として乗り越え、お互い許し合い・補い合い・愛し合えるようになる過程の物語が、愛を価値ならしめるのです。その経験がなければ愛はただの概念に過ぎません。

だいたい離婚する夫婦の奥さんというのは、旦那や子供たちが家を散らかしたり汚したりする度にキレて相手に片付けさせようとするような人が多いです。相手の欠点を許し補ってあげて自分が成長することなく、相手側を変えよう(教育しよう)という基本姿勢なのですね。相手の欠点や過ちが自分に存在意義を与えてくれているのですから、相手を許して補ってあげればいいのに、便座が下りてないぐらいでブチ切れる女性とか、もう処置なしなのです。相手に欠点や過ちがなく何でも完璧にできるようになったら自分に存在意義はなくなって必要とされなくなるのは自明でしょう。まして家事などはほとんど機械がやってくれる時代ですからね。そのように逐一相手の欠点や過ちを責めて自尊心を下げて悪い行動を繰り返させて、お互い鬱になってお互いの気持ちを考えられなくなって関係が破滅に至るのではないでしょうか?

許すということは我々が創造主から与えられた最大の権限委譲であり、許し=愛なのです。だから僕らは許しを経験するために生まれたとも言えます。逆に言えば誰かを責めることは最大の越権行為なのです。それはすべてを与えし創造主を責めることですからね。

人の悪い行動はすべて過去の傷により誤った悟り方をして、自尊心が低くなっていることが原因なのです。すべての人の性格にはちゃんとそれなりの原因があって、すべての出来事はみんな止むに止まれずやってしまった結果なのだということです。そういう自分や他人に対する許しがなくては、きっと自尊心を下げて反発が起こり、問題が根本的に解決されることはありません。

「許し」と「我慢」とは違います。我慢するというのは読んで字の如く我(エゴ)で己の心を漫々にすることであり、心では和解が成立していないのです。我慢している間は相手を心の底では許しておらず、その場凌ぎをしているに過ぎません。本当は嫌だけど我慢「してやっている」のだ、と。そしてそれはマグマのように蓄積していつか爆発するのが自明なのです。相手を許し、自発的な成長を信じ、相手の幸せのために耐え忍ぶ「忍耐」が大事なのです。このあたりの話はnote記事「信じることの意義」に書きました。

さて、感情を強要することの問題点について詳しく解説しますね。

全知全能の創造主にとって、自分を愛するように人間を創ることなど造作もないことです。でもあなたがクリエイターだとして、自分を愛するようにAIをプログラムしてそのAIから愛されて嬉しいでしょうか?そもそもそれは愛と呼ぶことすらできないでしょう。

自由意志というのは愛(感情)を存在価値ならしめるために人間へ与えられたものであり、わざと他人(神々も含む)の思い通りにはならないように作られているのです。感情を他人が強制できてしまったら感情自体に存在意義がなくなってしまうのです。

だから感情というのは他人から強要されると必ず反発するようにできているのです。例えば「私を愛しなさい」「私を尊敬しなさい」「私に感謝しなさい」というように言われたら逆の感情が湧きますよね?もちろんそこまでダイレクトに感情を他人に強要するような愚かな人はなかなかいないでしょうが、みんな無意識かつ遠回しにやっているのです。

我々は家族や恋人に愛情を当然の権利のように強要していたり、自慢話をして尊敬を強要していたり、自分の勝手な愛情を押し付けては「〇〇してあげたのに」などと恩着せがましく考えて感謝を強要していたりするように初期設定されているのです。もちろんあなたも例外ではなく、誰しも必ず気づかない間にやっているものなのです。だからあなたにも必ず心当たりがあるものとお察しします。

人間は愛(尊敬・感謝)を求めて生きるようにプログラムされているのですから、これは宿命と言って良いでしょう。それは神々でさえそのように作られているのですから、人間が愛(尊敬・感謝)を求める本能を否定することは誰にも不可能なのです。(だからあなたが悪いわけでも相手が悪いわけでもありません)

「無意識に感情を相手に強要して反発される」夫婦関係に限らず人間関係の問題の根幹はここにあると言って良いでしょう。あなたの離婚の主要因もここにあるのだと思います。

愛は自由な状態で自由意志により発したものでなければ意味も価値もありません。そして本物の愛というのは相手の心を最も自由にするものであり、相手に愛を強要したり束縛するのは愛ではなくエゴなのです。(世の中の多くの人がエゴを愛だと勘違いしています)そうやって愛を強要したり束縛したりすれば、相手の「自由を求める心」に必ず反発が生じて心が反発し、いつか愛は失われてしまうのです。愛は自由な状態で自由意志により自発的に発するものであり、強要・束縛すれば必ず逆の結果が待っているということです。

じゃあどうすれば良いかというと、note記事「誰でも自信満々になれる方法」に書いた通り、愛(尊敬・感謝)というものを絶対に相手には強要せず、一切見返りを求めずに無条件で自分から与え続けることです。そうすることで自然と人から自発的に愛され尊敬され感謝されるようになるのです。

世のほとんどの人はまだ感情を相手に強要してしまっている段階にあります。(もちろん覚醒前の僕もそうでしたし、今も常に気を付けてないとすぐそうなってしまいます)それにより人間関係全体があまりうまくいかずに自尊心が下がり続け、その愛の不足分を全部パートナーだけに求めようとして余計に反発され、結果として上記に離婚の理由として挙げられているようなことをされ続けてしまったのではないでしょうか?あなたはパートナーとの関係だけにフォーカスしているようですが、他の人間関係がうまくいってるのにパートナーとだけうまく行かないということは恐らくないと思います。

これは万人に共通した課題であり過程なのです。ですから決してご自分を責めて自尊心を下げないで下さいね。反省も後悔も必要ありません。ただ過ちから学んで成長すれば良いだけなのです。過去はすべて成長のために必要な過程だったのですから。そしてその成長経験こそが生きる喜びであり、生まれてきた意味なのです。

前述した通り、愛という概念は経験を伴わなければただ言葉に過ぎません。僕らは愛という概念を経験を通じて価値ならしめるために存在しているのです。失敗と試行錯誤なくいきなり正解(愛)に至るなら経験に存在意義はありません。あなたは失敗経験を通じて「愛とは何か?」ということをより深く学んでいるのです。

相手も自分自身も責めて反省を求めて落ち込ませると自尊心が下がって悪い行動がやめられなくなる悪循環にハマるので、決して相手も自分自身も責めないで下さい。誰が悪いというわけではなく、課題に気づいて克服しようとする経験が尊いからこそ、創造主からカルマによってその経験に導かれたのです。克服した後から見れば「ああ、あの経験・過程があったからこそ今の素晴らしい自分があるのだ」と愛しく思い出すことができるようになります。

あなたの人生はすべからくあなた次第に作られています。しかしそれはあなたの過去に起きたことが全てあなたのせいという意味ではありません。あなたの過去に起きたことはすべてあなたの学び・成長経験に必要だからクリエイターの意図によりもたらされたことなのです。ゲームのバイオハザードで、ゾンビが出てくるのはあなたが悪いからだと思いますか?ゾンビ達やゾンビを生んだアンブレラ社やゲームを作ったクリエイターを恨んで意味があるでしょうか?あなたの過去に起きたことは全てゲームの設定(伏線・シナリオ)のようなものであり、ゲームの設定(伏線・シナリオ)に良し悪しをつけて誰かに文句を言ってもゲームが進みません。過去のすべてを自分が主人公のRPGの設定・課題と捉え、そこを起点に選択可能な現在どうするかを考え、既に未来に用意されているシナリオ中でより良いものを選んでいくべきなのです。あなたはRPGの世界ならそうしているはずです。この人生というRPGでも同じようにしてみて下さい。

人生というゲームにおいて過去の問題を自分のせいだとか相手のせいだとか考えることがいかに愚かで無意味なことかに気づいて下さいね。そしてその人間の愚かさもこのゲームの基本設定であり、成長に必要な過程なので、落ち込む必要はないのです。

問題点というのは本当に自ら気づき(覚り)さえすれば(課題を自覚し、自尊心を下げなければ)無理に解決しようとしなくても勝手に治っているものであり、だからこそ気づき(覚り)とは尊いのです。我々は気づき(覚り)の喜びを得るため・成長を楽しむためにわざと愚かに生まれてきているのです。全知全能では成長の物語は経験できません。

そして逆説的に聞こえるでしょうが、決して自分も相手も責めずに、それでも自分が悪かったと相手に誠心誠意謝ることが大事です。もし自分や相手が悪いと思っていたら自己防衛本能が働いて誠意ある謝罪などできません。答えはいつでも「誰も何も悪くない」であり、そう考えるからこそ、全ての事象を与えし創造主の代理として、起きた負の出来事をまるで全ては自分の責任であるかのように相手に謝罪できるのです。そして創造主の代理として頭を下げられる人間は創造主からより愛されて、より素敵なシナリオへと導かれるのです。

蛇足ながら「妊婦になってから不仲になった」という点についてですが、妊娠すると男性にとって女性は母になり、大なり小なり性的関心が薄れるのは不可避ですし、女性側も女性側で愛情が旦那より子供に移ってしまうのは自然なことです。子育ての責任がほとんど母親だけに押し付けられる価値観の社会ではとても難しいことなのですが、美意識(恥じらい)を失って「女」であることを放棄した色気ゼロの「子育てマシーン」みたいな「所帯じみたおばちゃん」にならない努力というのはとても大切なのです。

大分長くなってしまいましたが、どうか偉そうな説教だと解釈しないで下さいね。冒頭に書いた通り僕は結婚も離婚も経験がなく、それを経験しているだけでもあなたは凄いと尊敬しています。くどいようですが、尊いのは経験であり、他人は誰でも口だけでならどうとでも言えるのです。「言うは易く行うは難し」と言われる通りです。

すべての魂は同一ですから、僕はあなたとして生まれていたら絶対に同じことをしています。当然です。だから僕は決してあなたを責めたり説教をしているのではないのです。でももし仮に「僕が今の自我を持ったままあなたに成り代わったら」という無茶な設定で考えるとするなら、僕はそのパートナーと一旦距離を置いて落ち着いてよく考えた後、愛が不足していたことを真剣に謝って復縁をお願いすると思います。もし相手が本当にどうしようもない人なのであれば、別な人を探して同じ過ちを繰り返さないように気を付けると思いますが。あなたがどちらの運命にあるかは僕にはわかりません。お二人のことはお二人にしかわからないでしょうし、僕はあなたに会ったこともなく、そのパートナーの方に至っては全く何も知りませんからね。

ただあなたもパートナーも恐らく霊障に犯されて鬱状態になっていて、気づかない間に自分が自分ではなくなっているのだと思います。そうしてとても傷つきやすくなり、溺れている人が助けに来てくれた人を沈めてしまうように、お互いエゴの海に溺れて相手のことを考えてあげられる状態じゃなくなっているのでしょう。だからやはり一度実家に帰るなどして距離をとってお互い冷静になった方が良いと思います。そして離婚などの重大な決断は、鬱が解決してからの方が良いと思います。日本では難しいかも知れませんが、カウンセラーに間に入ってもらうなどの方法もあるでしょう。

人生のカルマ(課題)というのは、逃げれば逃げるほどに雪だるま式に大きくなりながら、追試や補講のようにどんどん果てしなく追いかけてきます。どれほど輪廻転生を繰り返してさえも。だからあなたの離婚という決断が「逃げ」なのか「勇気」なのかをよくよく自問して考えてみて下さいね。

僕が言うまでもなくどうするかはあなた次第なのですが、ここに書かせていただいた内容をあなたが本当に理解し納得して下さるのであれば(僕の言うことが本当に創造主の代弁なのだと信じて下さるのであれば)どうすべきかは自明なような気がします。

それでは、あなたの幸せを心から祈っています。

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