2025年4月1日火曜日

ヒマラヤ密教の大聖者に入門

【質問】29歳・男性 ペンネーム:けいいち 職業:会社経営

初めてのご相談・質問になります。普段からShinyaさんのnoteやTwitterを読み学ばせていだいています。

私自身、小さい頃から死への恐怖や真理を知りたいという好奇心、突き動かされる感覚を頼りに読書や経験を通じ、自分なりに探究を重ね生きてきました。その中で、ユングの深層心理学やトランス心理学という学問を通じ、個人の深い潜在意識の可能性に触れ、また、神秘体験の場面で自分一人の身で悟りへ道を歩むことの難しさを感じていました。

そんな折にアヤワスカという植物を知り、Shinyaさんのブログに辿り着いて、それ以来愛読させていだいています。また、LSDの服用を通して神秘的な体験や逆に人生最大の辛い体験(ある種、それも神秘体験ですが...)も経験し、Shinyaさんの記事を見てそういった形での修行は辞める事にしました。

そしてShinyaさんが仰るように、まずは身の回りにいる人達へ慈愛の心を持って接することが一番普段からできる修行だと思い、日々自分に関わる人へ感謝し利他心を持って過ごすことを心がけています。

前置きが長くなってしまい申し訳ないのですが、ここから本題に移ります。Shinyaさんのブログを知ったのと同時期頃にある友人から相川圭子(ヨグマタジ)さんという方の存在を教えて貰い、また、パラマハンサ・ヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」という本をお勧めされ、自分が今まで科学や宗教(仏教、キリスト教など)を通して学んできた事が統合された形で言語化されている事に大変驚き、ヒマラヤ密教に深い関心を抱くようになりました。

そして、自分なりに調べた結果、経歴やスピリチュアリティの世界での評価(インド最大の霊性協会、ジュナアカラにて最⾼指導者の称号を得るなど)など、信頼に足ると判断し、また、究極の悟り(サマディ)に達したヒマラヤ大聖者から力をいただける機会があるなら、一度試してみて、自分の身で持って経験してみたいと思い、入門してみる事にしました。

入門する際に、秘法やマントラの伝授と共に、ディクシャ(瞑想秘法伝授)というものがあるらしく、それを受けてみたいというのが一番大きい動機でした。

しかし、実際に入門するためにスタッフの話を聞いていくと、入門するためには〇〇万円のお金がかかることや、月に収入の〇〇%を支払わなければならないことなどを聞き、不安になってきてしまいました。

宗教には様々あり、本心から衆生を救いたいという思いで活動されている方も多くいることは知っているのですが、その一方で金銭の授受を目的とした悪徳宗教も同じだけ存在しているだけに、どうなんだろうという気持ちが拭えなくなってきました。(運営費などにかかるというロジックは分かるのですが…)

そこで質問なのですが、Shinyaさんは相川圭子(ヨグマタジ)さんやヒマラヤ密教についてご存知でしょうか?

また、上記についての判断の糧になるようなアドバイスをいただけますと幸いです。

長文になってしまい、ご負担をおかけしてすみません。どうか、ご回答いただければ嬉しいです。よろしくお願い致します。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

>相川圭子(ヨグマタジ)さんやヒマラヤ密教についてご存知でしょうか?
いえ、全く存じ上げませんでした。「ヒマラヤ密教」とかいうものにも全く興味がなく、今回あなたから質問されるまでその存在自体が僕の思考の枠外でした。

恐らくあなたはものすごく根本的な部分で僕を誤解されていると思います。僕は自分が悟りに至りたいと思って修行をしているのではなく、世界(みんなの魂)を救うために修行をしています。悟りはその手段に過ぎません。そういう考え方なので
>究極の悟り(サマディ)に達したヒマラヤ大聖者から力をいただける機会
なんて聞くと、正直鼻で笑ってしまいます(ごめんなさいね)。まず自分のプロフで「大聖者」なんて自称して恥ずかしいと思わない感性からして悟りから遠い感じがします。ましてそれでお金儲けをしているのならね。まるで稲中のテッシンみたいです(彼もまさに詐欺師でしたしね)。

もし究極の悟り=世界(みんなの魂)を救うための方法」を知っている人がいたら世界は既に救われているはずですから、それは直接人から習えるものではなく、自分で探求する以外にないものなのだと僕は思っています。人生は自分をプレイヤー(主人公)とするRPGなんですから、それは仕方のない(もとい、有難い)ことなのです。だから僕はこの世の全てを先生のように思って学んでますが、悟りについては誰か師匠的な人に弟子入りして教えを受けようとは思っていませんし、どこの宗教・スピの団体にも所属するつもりはありません。また弟子を取ったり宗教団体を作るつもりもありません。組織は腐敗が必然であり、悟りは組織化できるものではないと知っていますから。そして創造主と自分の関係は一対一なのですからね。

そしてもし世の中に「究極の悟り=世界(みんなの魂)を救う方法」を知っている人がいたとしたら、その教えを秘密にするべき理由はないはずです。みんなを救うためにはその教えを遍く伝えなければならなくなるのが自明ですしね。実際、釈迦はそうして完全無償で教えを説いて回ったのでしょう。釈迦が「秘密の教えを伝授する代わりにお金を払って下さい。払えない人には教えられません」なんて言うと思いますか?

だから僕は「〇〇万円を払って入門し、収入の〇〇%を払い続けられる人だけに秘密の教えを特別に教えます」なんて言う人を絶対に信用しませんし、そのような人にもその教え・悟りにも全く興味がありません。悟りというのは衆生を救うためのものであって、己のエゴ(我欲・保身・虚栄)のために利用するようなものじゃないんです。

「覚り」というのは文字通り「目覚め(気づき)」であり、自ら覚るべきものであって、お金を払ってその対価として得られるようなものではないのです。僕自身、真言密教から学ばせていただいていることは非常に多く、多大な敬意を持ちつつ自発的に寄付もしていますが、あなたのように「世に認められている密教の大聖者に入門すれば悟れる・神通力を得られる」などという発想はありません。悟りは登山と同じで自分の足で登らないなら意味がないものであり、例え相手がどれだけ立派な人でもその人が自分の魂の課題を飛ばしてくれるなどということは本質的に有り得ないのですから。

それに「何をすれば必ず何を覚れる」なんて事前にわかるわけがなく、事前に相手を値踏みして得られる自己利益(覚り?神通力?)をあらかじめ予測し、結果(見返り)を期待した努力をするなどというのは、(バガヴァット・ギーターが教えてくれている通り)創造主の思い(愛)に反したエゴであり、結局同じような相手を引き寄せ合ってお互いにエゴのために利用し合うだけでロクなことにならない感じがします。

ゆえに僕はアンチ権威主義であり、「権威がある人だから・周囲が大聖者扱いしていて、大金を払ってでも教えを乞う人が多いから」みたいな理由で信用するような考え方とは真逆なのです。そもそも権力者が権威を与えるということは、権力(支配)に都合が良い存在だということじゃないですか?だから権力者が権威を与えている時点で、僕なら「反面教師として以外に学ぶことは何もない」と即判断しますね。まぁ実際は本当に権力者が権威を与えているのではなく、本人が勝手にそう自称しているだけだと思いますが、どっちにしろ僕が権威に頼るよるような人に教えを請いたいとは思わないことに変わりはありません。

「さとり」は「差取り」でありそれを権威権力のヒエラルキー構造=利益構造を作って内部で権力争いをやっているような宗教団体で覚れるとは思えませんからね(だからどこの宗教団体にも属さないのです)。ヒエラルキー・利益構造を作ること自体がエゴ(分離・差別)のベクトルであり、「愛(融和・差取り)」とは真逆のベクトルなのです。

だから自分の権威をこれ見よがしに見せつけることで信者と金を集めようとする人物って僕は全然信用できないんですよね。麻原彰晃だってダライラマの権威とヨガの知識を利用して信者と金を集めていましたし。もし自分で教えを実践することでその素晴らしさを伝えられず、権威に頼って信用させるような宣伝をしてネットで地引網みたいに信者と金を集めようとしているのなら、本物かどうかの答えは自明かと思われます。

釈迦やキリストをイメージすればわかると思いますが、本物は
①自称しない
②権威を頼らない
③金を取らない
です。誰かさんはスリーアウトですね。もしあなたがどうしても行きたいのなら僕は止めませんし、結局あなたが行きたければ行くのでしょうから止める意味もありません。仮に僕が止めることであなたが難を逃れたとしても、あなたが自分で経験を積んで判断できるようにならないのなら、結局はまた別な人に騙されることになるでしょうからね。

あなたが実際その方のところに行ってみて良かったと感じるか騙されたと感じるかは僕にはわかりませんが、人生にはその人にとって一番必要な経験が与えられるのだと信じています。だからあなたが経験したいことを経験して下さい。

僕もスピ系の誰かを「この人は信用できますか?」みたいに聞かれる度に逐一調べて判断する「スピ詐欺チェッカー」みたいにして使われたくないですし、その結果責任も取れません。名指しで語ることでスピ詐欺師本人やその信者たちから敵扱いされて攻撃されても面倒臭いですしね。ChatGPTにでも聞いてみて下さい。

あなたはとても好奇心が強く、興味があることは実践してみないと気が済まない方なんだと思います。それ自体はとても素晴らしい気質だと思います。ただあなたは修行によって何か特別なを手に入れて、特別な人間になって優越感を感じ、それによって自尊心を満たそうとしている部分はありませんか?それを自覚して向き合う勇気を持たない限りは、結局また同じような誰かを引き寄せて騙されることでしょう。人は己のエゴゆえに自ら騙されるものであり、人を騙そうと思ったらそのエゴを刺激するだけで相手の方から勝手に騙されてくれるものなのです。

<さとり四カ条>
①偉くなろうとするな。(自他全ての存在が)尊いと知れ。
②特別になろうとするな。特別(主人公)であると知れ。
③日々愛を実践し、特別ではなくなること(差取り・ワンネス)を目指せ。
 
※他人の事も主人公として尊重し、目覚めを連鎖させよ
④幸せになろうとするな、幸せであると知れ
 ※与えられている価値に気づき、感謝報恩に生きよ。

日々の愛の実践より、神秘体験や神通力のようなものを求めないで下さいね。その姿勢は少なくとも僕の知る悟りとは真反対です。悟りはあくまでも日常の人間関係の中にあるものなのですから、出家や弟子入りみたいなことをして「特別な能力を手に入れなければ悟れない」みたいに考えないで欲しいです。神秘体験や神通力も含めて、その人に必要な経験は必ず与えられるのです。

今回とても厳しい回答になってしまっているかも知れず、大変申し訳ありませんが、魂の同志であるあなたへの愛ゆえですので、どうぞご理解いただけると幸いです。あなたの幸せを心から祈っています。

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追伸
アマギフの寄付をいただけるのは大変ありがたいですが、質問する際に回答の対価を前払いするみたいな感じで払わないようにお願いします。僕はこの活動で対価を得ようとは思っていません。だから寄付のあるなしに関わらず、常に全力で回答しています。

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