2022年6月28日火曜日

友人がスピ詐欺にハマりそう

【質問】
友人が悪質な自称スピリチュアル系の人物にハマりかけてます。
手口が巧妙で、いきなり金を取ると警戒される為、最初は信用させる為に無料で徐々に警戒心を解いて、深く洗脳し信者に仕立て上げたところで何らかの理由をつけて金を取り始めるんです。最初は少額で、段々と額を大きくしていくようです。
どうすれば友人を助け出せるでしょうか?
シンヤさんはこういう知識や教訓を他者に分け与えるのにお金を取ったりするエセ詐欺極悪スピリチュアル系の人間達をどう思いますか?

【回答】※2025年02月11日更新
ご質問ありがとうございます。

スピ詐欺は本当に増えてますね。ネット上もスピ詐欺系の広告・スパムが多くて僕もうんざりしております。

最初から高額な料金を請求すると騙しにくいのは詐欺師たちも学習しているので、大抵は無料・低料金を謳っています。しかし諸々実費がかかっているのに、それを回収しないというのはありえません。何らかの形で回収せず赤字が続けば継続しようがないですからね。最初が無料ならその分回収しなければいけない経費が嵩んでいるはずです。

今の社会は「人の存在(感情・愛)」より「お金(権力の分譲券・強制力・能力の指標)」を価値としていて、お金が生き延びるため・自尊心を保つための手段になっているのですから、悪いことをしてでもお金を稼ごうとする人がたくさんいるのは必然です。だから社会の価値観・システムを主人公である自分が起点となって変えて行かなければならないのです。それはお金の時代の終らせ方に書いた通りです。

スピリチュアル・宗教というのは、お金を目的とする時点で純粋なスピリチュアル・宗教ではなく「スピリチュアル・宗教を利用したお金儲け」なのです。もちろん必要最低限の経費を何らかの形で回収しなければ活動の継続は難しいわけですが、決してお金(費用の回収・利潤の追求)が目的化してはいけないのです。このあたりについてはスピリチュアル・ビジネスについてに書きました。スピリチュアル・宗教に限らず、我々は本物と偽物(詐欺)をしっかり見分ける目を持たなければいけません。そして世の中は偽物だらけだからこそ本物には価値があるのです。

ちなみに僕の救済活動は自己利益を目的としていないので、最初から最後まで無料です。販売も勧誘も一切ありません。自発的な寄付は感謝して受け取りますが、こちらから対価を要求することはありませんし、寄付するしないで人を差別することはありません。僕は清貧を愛していますし、乞食でも生活できていますからね。まぁ信じる信じないは相手側の自由ですけども。

今はモノが売れない時代であり、「人の悩みにつけこんで不安を煽り、それを自分たちが解決できるかのように偽ってお金を騙し取ろうする人」が増えているのは自然なことかと思います。お金を儲けるために必死なのですから、彼らも一見するともっともらしく素晴らしいことを主張しています。そうじゃなきゃ誰も騙せませんからね。しかしどんな薬も一滴の毒を含めばそれは毒なのです。


本物の霊能力というのは神々が世界を救うためにその人を通じて発揮する愛の力であり、エゴ(我欲・保身・虚栄)とは対極にある力なのです。逆にエゴ(我欲・保身・虚栄)により発揮しようとする霊能力は「呪い」の如きもので、必ず人を不幸に導くものなのです。だからその人の霊能力が本物であれ偽物であれ、それをエゴのために使おうとしている時点で、お互いに不幸になるのは自明だということです。

騙す側もエゴ動機なら、騙される側もエゴ動機なのです。「お金を払うことで霊的な問題を解決しよう」「霊能力者から霊能力を得て特別な人間になろう」などと考えているわけで、それはエゴ動機であると共に成長拒否なのですから、双方ともに負のカルマを積み上げることになり、遅かれ早かれいずれは破綻します。

霊能力というのは本来愛の力なのですから、その力が本物であれば(強ければ強いほど)、かえって多大な負のカルマを積み上げることになるのです。例え今生ではうまく儲けて逃げ切れたとしても、魂は永遠ですから、いずれ必ず清算する時がきます。どれだけ時間差があったとしても、因果応報という宇宙法則は絶対なのです。

さて、なぜあんなにも胡散臭いスピリチュアル・宗教の詐欺にハマる人がいるのでしょうか?それはみんな自尊心を病んでいて鬱状態だからです。現代の競争社会において、今はみんな他者評価に依存させられ、自尊心が下がるように社会的に洗脳されているので、必然的にみんな(程度の差こそあれ)心を病んでいるのです。

人の価値とは?に書きましたが、今の社会ではお金(を稼ぐ能力)が価値とされていて、人の存在そのものが価値とされていません。みんな「お金を稼ぎ続け、能力を他人に認められ続けなければ、自分の価値が認められない・社会から排除される」と考えるようになって他者評価依存になっています。しかしそうなると自分より高い能力の人を知ったり、何かに失敗したり、自分の能力の衰えを感じたりする度に自信を失うことになります。能力を自身の根拠とすると自信を失い自尊心の病気になるのは必然なのです。精神疾患の多くは自尊心の病気(自己嫌悪)であり、その友人も自尊心を病んでいるのです。だから相手が詐欺師であろうと何だろうと、とにかく自分の存在を承認してくれて自尊心を高めてくれる人に依存するのです。そして霊能力を手に入れることで自尊心を満たそうとしているのです。それはエゴなのですから、うまく行くわけがないのは前述の通りです。

今の世の中、自尊心というものを「他人より優位を示すことでしか満たせないもの」だと勘違いしている人ばかりであるがゆえに、他人からの評価によって常に自尊心を揺るがされて余裕のない人ばかりです。みんな能力に自信がないために「自分は正しい」ということを価値としなければならなくなり、そのために常に他人の欠点や過ちをあげつらって責めなければならなくなっているのです。そしてそれが鏡のように自分に返って来て結局お互いに自尊心が下がるという「負の無限循環」を起こしているのです。だから誰でも自信満々になれる方法に書いた通り、お互いの自尊心を上げ合う世の中を、主人公である自分がその起点となって実現していかなければならないのです。自尊心と他尊心は正比例するものであり、同時にしか上がらないものだと知って下さい。

そして自尊心のレベルと行動のレベルは正比例するものであり、悪癖のある人というのは、それが悪いと知らないのではなく、自尊心が低くなっているために「どうせ自分なんて・・・」と考えて自分を大事にできないために、その悪癖(自分イジメ)がやめられないのです。だからその悪癖がいかに良くないかを説明し、説教することによって止めさせようとしても、かえって相手の自尊心を下げ、ますます悪癖に走らせるように追い詰めていくことになります。そうなると余計に自尊心を上げてくれる人に依存せざるを得なくなり、ますます詐欺師の餌食となりやすくなるのです。このあたりの話は反省してはいけないに書きました。

人は自尊心が高くなれば、自然と悪い行動は取らなくなります。だから悪癖を止めさせようとするよりも「どうやったら相手の自尊心が高くなるか」を考えて日々実践し続けることが大事なのです。それは誰に対してもです。人の自尊心を上げるためにすべきことはたった二つだけで、
「①心からの笑顔で挨拶し、相手への承認が自然と態度に表れるようにすること」
「②相手の話を否定せず、肯定的・同情的に聞くこと」
なのです。
これは罪悪感との向き合い方など、僕が本当にいつも伝えようとしていることです。

あなたはその友人をいつも笑顔で存在を承認し、否定せずに真剣に話を聞けていたでしょうか?身近な友人を内心見下すことで、自分の自尊心を保とうとはしていませんでしたか?そういうのは態度に出て相手に覚られて自尊心を下げ、同時に自分の自尊心も下げてしまうのです。我々の魂は同一・同源であり、違う役を演じているだけで同一人物のようなものですから、他人に対する思考・行動は全部自分に返って来るのが必然なのです。


人生というのは自分を主人公とするRPGであり、クリエイターは「経験(出来事や人との出会い)」を通じて大切なメッセージに気づかせようとしてくれているのです。もうお気づきのことかと思いますが、あなたが考えなければならないことは、「他人側をどうするか」ではなく「自分がどう考え、どう実践するか」です。他人はNPC側(設定側)なのですから、あなたが直接変えようとしても決して変わらないようにできているのです。変わるべき・成長すべきは常に主人公たる自分なのです。

どうか正義より愛を優先して実践することを常に心がけて下さいね。もちろんスピ詐欺は悪いことなのですが、騙される人に説教なんかして「相手側を変えようとしても」ますます相手の自尊心を下げて嫌われ、ますます詐欺にのめり込ませることになるだけでしょう。

人生というゲームは、プレイヤー(主人公)たる自分が、失敗と試行錯誤を繰り返し、自分で納得しながら前に進むのでなければ楽しめないものなのです。その友人の人生の主人公はその友人なのであり、求められてもいないのに他人が答えを教えるのは楽しみを妨害する行為であって、相手の心が反発してしまうのは当然なのです。

だからあなたがその友人に「あいつは詐欺師だ、騙されるな」などと説得しても、きっと心が反発して嫌われるだけになることでしょう。悪い男に騙されて恋に落ちている女性に、その男の悪口を言ったところであなたが嫌われるだけで、本人が騙されていたことに気づいた後でも決して感謝されることはないのと同じ事です。

「何を信じて生きるか?」が「自分とは何者であるか?」を決めるのであり、それは人生の選択の要なのです。「何を信じて生きるか?」を他人の意見によって決めては意味がないのです。何を信じるにせよ、信じないにせよ、その結果責任を負うのは主人公である自分自身ですからね。人間にとって人生はわからないことだらけですから、人は何かを信じずに生きるということはできません。「何を信じて生きるか」という選択が「人生そのもの」とも言えます。何も信じてないと思っている人は、自分が自分の常識を信じているということの自覚さえないだけなのです。

「何を信じるか」という判断を「何が正しく何が間違っているか」というアプローチで考えると必ず失敗します。それは信じる信じないの基準に書いた通り、それを信じることによって自分も周囲もみんなが幸せになるかどうかでわかります。逆に自分も周囲もみんなが幸せになる思考・行動であるなら、それを誰かから「間違っている」と言われようとどうでも良いことです。

あなた自身は何を信じて生きていますか?それを信じることによって幸せになっていますか?自分と関わる人を幸せにできてますか?あなたに関わる人はすべてあなたの鏡であり、主人公であるあなた次第なのです。だから関わる人のカルマはすべてあなた自身のカルマでもあるということです。

あなたが何を信じているか(自身の価値観)によって、あなたが幸せそうにしていたら、あなたの周囲の人はあなたがどうしてそんなに幸せなのか気になって尋ねるようになり、周囲の人たちもそれを信じるようになるでしょう。

あなたが他人の自尊心を上げられる人なら、みんなから愛されて周囲の人も幸せになっているはずです。だからあなた自身が自分の価値観により幸せになり、周囲の人をどんどん幸せにできる人間になっていくほど、周囲の人が詐欺に遭うような問題は起きにくくなるでしょう。

その友人は「常識的な世界観」に魅力がなくて息苦しく、そこにいると自尊心が下がって自分自身が無価値に感じられて不幸だからこそスピリチュアル詐欺にハマっているのでしょう。その友人を元の常識的世界観へ無理やり引きずり戻そうとするのではなく、あなた自身が主人公としてもっと魅力ある幸せな人生観・世界観を持って自尊心高く生き、周囲の人間の自尊心も高められる人間へと成長していかなければならないのです。人生観・世界観に魅力があれば、あなたの認識世界(仏国土)にどんどん人が集まってきますし、逆ならどんどん遠ざかって行くものなのです。

人生というRPGはすべからく主人公であるあなた次第に作られています。相手を無理に変えようとしても絶対にうまくいきません。自分自身が変わること(成長すること)が大事です。

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