2023年7月29日土曜日

神通力(超能力)について

 【質問】年齢・性別不詳
何か神通力は手に入りましたか?

【回答】
ご質問ありがとうございます。

僕は神通力を求めて修行をしているわけではなく、また浄霊能力(本当は誰でも持っている能力)の向上以外は求めていませんし、手に入ってしまってもそれは公にしません。相手が誰かから浄霊を受けてくれてその効果を感じ、その人も他人を浄霊してあげるようになれば、それが連鎖してみんなが神々から幸せに導かれるので、僕は浄霊以上の能力を必要としないのです。

もし僕だけに特別な能力があっても、僕に多くの人が依存するようになるだけで魂が成長せず、それでは生まれてきた意味がないのです。みんなが自分自身に人を幸せに導く能力があること、そして自分自身が主人公(メシア)であることに目覚めさせ、それを連鎖させていかなければならないのです。

もし超能力のようなものを人に見せれば、きっと僕に与えられている覚りももっと簡単に人に信じて受け入れてもらえるのかも知れません。それ(ラク)をしたいって気持ちは正直あるんですけど、超能力は覚りの本質ではなく、むしろ覚りから人々を遠ざけてしまうものなのです。

権力と同じで、もし超能力を手に入れればそれをエゴ(金や名声や権力)のために使わないわけがないですからね。それは真理(愛・ワンネス)に反するものですから、己の器を超えて金や名声を得れば得るほどカルマを積むことになってしまいます。そうすればやがて力を失い不幸に導かれるでしょう。(そういったケースのカルマはまず自分自身ではなく家族から重大な悪影響が出るということを知っておいて下さい)

そして例えば仮に死人を生き返らせる能力を僕が手に入れたとします。キリストの時代に他言を禁じてさえ噂が一気に広まってみんながその恩恵を求めてキリストの元を訪れたのですから、人口77億人で情報化の今の時代、もしそんな能力が僕にあるということが知れたら、世界中の人が僕を訪れ、僕はその対応だけに人生を費やすことになり、また人々は僕に超能力だけを求めて覚りなどどうでも良くなるでしょう。それでもし僕がうまく行き返らせられなかったり間に合わなかったりしたら遺族から恨まれるでしょう。死にそうな家族のいる人たちがこぞって僕の傍に住み、気持ち悪く我先にと取り入ろうとしてくるでしょう。そして世界中の人の死因が「死に際に真也に会えなかった事」みたいなデタラメな状況になってしまうでしょう。また医療・医薬もあまり意味がなくなり、医療・医薬業界の多くのが仕事を失って業界人から恨まれることにもなるでしょう。人口が更に爆発して支配者層から命も狙われ兼ねません。

キリストも、人々が自分に奇跡だけを求めて覚りを求めないことに憤り、最後は神通力を封印していました。神の声である聖書が予めちゃんと「こういう理由で間違っている」と教えてくれていることに敢えて逆らうのは愚かなことです。

ちなみに釈迦も弟子たちにみだりに神通力を使わないよう戒めていました。神通力は決して覚りの本質ではなく、神通力で悟りを開こうなどという考え自体がエゴなのです。

世の多くの人が神通力・超能力のようなものを求めるのは、みんな他者評価・他者比較により自信を失い、自分など価値のない存在だと思って心を病んでいるからでしょう。動機が「世の人を救いたい」という純粋な愛ではなく、それを手に入れることによって自分が救われたいとか、特別な人間になって他人に称賛されつつお金を稼いで他人を支配する力を手に入れたいという魂胆によるものであり、それはエゴ(分離意識)そのもので、愛とは真逆のベクトルなのです。

スピリチュアル詐欺というのは、そういう歪んだ心理を読んだ上で、誰彼構わず「あなたには霊的な才能があります」などとおだてて、まるで超能力が手に入るように見せかけてセミナーや霊感商法で多額の金を騙し取ろうとするのが常套手段です。そうして騙し取った大金で成功者を装い「私は正しいから神々に応援され成功している」といった感じでカモを更に引き寄せるのでしょう。それは情報商材詐欺と同じ手法であり、引っ掛かる方も己のエゴゆえに騙されているのであり、どっちもどっちなのです。そこに自分で気づくまで騙され続けるしかないのは残念なことです。

この世界のテーマは「愛は地球を救う」であり、「超能力は世界を救う」ではありません。あくまでも愛(真理)を実践により伝え、世界中に連鎖させていくことです。超能力はその役に立つどころか邪魔になるものなのです。

「救いの本質」というのは命を救うことではありません。人間はどっちみちいつか死にます。もちろんキリストが命を救った人達もとっくに死んでます。「救いの本質」は「魂の救済」であり、自分の認識世界に存在するすべての御霊・御魂をそれぞれに成長・幸福・成仏へと導くことです。

どうか自分が主人公(世界を救う存在)であることに目覚めて下さい。あなたは自分の脳というパーソナルコンピューターの中の、自分のためだけに用意されたゲームの中にいるのです。それがネットで他のプレイヤーと繋がっているからといって、自分を客観的世界の脇役と考えてはいけません。そう考えてしまうのはこのゲームの初期設定であり、それを乗り越える勇気を持たなければ本当の意味でゲームが始まらないのです。

僕らは全知全能である創造主の分身なのであり、本当は全知全能なのです。つまり思っただけで何でも実現できてしまう存在なのです。それではつまらないから創造主は我々の能力を大幅に制限し、様々な共通ルール・限界のある世界を楽しませているのです。思い通りにいかないこの世界で、願い・祈り・努力することにより思い通りになったという喜びを経験させたいのです。

そこで(ワンネス・みんなのために)願わず・祈らず・努力せず、魂を成長させず、超能力というチートだけを求めることは間違いなのです。逆に魂を成長させれば、能力はそのレベルに合わせて自動的に与えられるものであり、魂のレベルに合わない能力を手に入れればカルマを積み上げてかえって人生の難易度は上がってしまうのです。そしてワンネス・みんなの幸せのための願い・祈り・努力はいつか必ず実ることが設定上自明なのです。

最後に創造主の声を代弁します。
「偉くなろうとするな、(すべての存在が)尊いと知れ。特別になろうとするな、特別(主人公)であると知れ。そして日々愛を実践し連鎖させることを通じて特別ではなくなること(ワンネス)を目指せ」

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