2025年4月15日火曜日

アヤワスカ詐欺&アナログ&性の問題

 アヤワスカ関連でいくつか質問があったので回答させていただきます。

1.シャーマンについて

まず、本物のシャーマンというのは、日々宗教的な研鑽を積み、純粋な愛と信心によって神と人とに尽くし、多くの人を救いに導いているが故に人から尊敬を込めてシャーマンだと呼ばれているのであって、自分から「私はシャーマンです」などと自称して高額な儀式の参加者を募集する人が本物のシャーマンなわけがないんですね。その時点で詐欺師だと思って差し支えありません。

もし幻覚剤で精神的におかしくなってしまったら、失うのはお金だけではなく人生全体になるので、幻覚剤を使ったスピ詐欺というのは通常のお金だけ騙し取る詐欺よりずっとタチが悪いのです。幻覚剤を使った儀式は、余程信頼のおける人が主催者でないのなら、参加するのはリスクが高過ぎると僕は思います。

そしてアヤワスカの儀式を受けるには、次のような人は絶対にやめるべきですし、ましてシャーマンなど目指すような資質ではないと知るべきです。

1.信心の薄い人(現実主義・物質主義・唯物論・無神論の人)
2.統合失調症など重篤精神病を抱え、自我を正常に保てない状態の人
 (憑依体質で邪霊・動物霊に乗っ取られやすい人)
3.エゴが強すぎる人・エゴが主目的の人(金稼ぎ・人気稼ぎなど)
4.健康に問題がある人(特に心臓・脳などの疾患)
5.臆病な人
6.自分と向き合うのを拒否している人・許せない人
 (自他に対して寛容さに欠ける人)
7.超能力・神通力などを得ようとしている人(呪術等)

詳細はアヤワスカの儀式を受ける前の心構えをご参照下さい。

やりたい人は周囲が止めてもやるでしょうから、ここで注意喚起する意味はあまりないかも知れませんが、周囲にそういう人でアヤワスカの儀式を受けたい人がいたら何とか止めてあげて下さいね。

そして上記の項目に当てはまるようなシャーマンの下では儀式を受けるべきではありません。「儀式を受けたい」という強い希望があると、「この人はマズそうだ」という自分の直感をねじ伏せてしまいがちなのでご注意下さい。

スピリチュアルなことでお金を稼ぐのは余程注意しないと、カルマを積んでロクなことになりません。それは僕の知る限り例外がありません。スピをお金儲け目的に使うと、まず家族から先に悪影響が現れるので本当に残酷です。それで現地では「結婚したいなら(自分の家族を持ちたいなら)シャーマンはやるな」って言われているぐらいです。シャーマンというのは基本的に巫女・覡(おかんなぎ)なのであり、神と結婚しているというぐらいの気持ちがなければやるべきものではないのです。「家族を養うためにもっと稼がなければ」などと考えるような人間ではダメなのです。

よく誤解されるのですが、僕は一度たりともシャーマンを自称していませんし、シャーマンになる気も全くありません。界隈で「日本人シャーマン四天王」などと呼ばれて自称シャーマン詐欺師たちと同列に語られるのは不本意でしかありません。信仰心もなく、自殺者や発狂する人が出ても平気でボッタクリ料金の儀式を続けているような詐欺師たちとは絶対に一緒にされたくないです。

僕はアヤワスカ短期修行についてに書いた通り、note&質問箱の内容に共感してくれる読者の方に限り、希望があれば基本的にアテンドさせていただいていますが、一対一でしかアテンドできませんし、今までもこれからもそれで儲けようとか生業にしようという気は全くありません。

自称シャーマン詐欺師たちは費用を公にはしないで、自分の信者にだけ「選ばれたあなただけに」みたいな感じで特別感を演出しつつ、限定で明かすようです(1、信心がない。2、シャーマンを自称。3、高額な儀式料金を一般に明かしていない。はスリーアウトです)。明らかに詐欺的な高額料金なので、公にしたら確実に叩かれますからね。そして日本人が現地のアヤワスカ儀式の相場を知らないのをいいことに、現地で一週間で60万円も請求する日本人自称シャーマンもいるそうです。往復の交通費なども入れたら100万円をゆうに超えるでしょう。現地では外国人セレブ向けのボッタクリ料金の儀式でも20~30万円程度で、その倍以上なんですから、どんな理由をつけようと詐欺としか思えません。その自称シャーマンにもそこで儀式を受けた人たちにも今後どんな悪影響があるかとても心配してます。

先住民は「信じていない」
幻覚を求める欧米人が熱狂した「アヤワスカ・ツーリズム」の実態

上のリンクの記事にある通り、現地に行けば必ず本物のシャーマンの儀式を受けられて素晴らしい経験ができるなどと考えているのなら大間違いです。現地はアヤワスカブームによって外国人から多額の金を得ることを目的とした「自称シャーマン詐欺師」だらけであり、彼らの儀式によってネガティブな経験をする人がとても多いのです。

シピボ族みたいな原住民たちがみんな「聖人である」みたいに勝手にイメージしないで下さいね。彼らの殆どはきっと「奪われ続けて来た悲しい歴史」のせいで「お金に頼るしかない」という考え方になっているのだと思いますが(同情すべきことですが)、異様にお金にがめつく、アヤワスカを受けに来る外国人など完全にカモとしか認識してなくて、それによってカルマを積んでいる人がとても多いのです。

冷静に考えて下さい。金になる外国人ばかり相手にして、金にならない現地人を相手にしていない・現地人から相手にされていないようなシャーマンが本物なワケがないんですね。

何より日本人が、確たる信心もなく、現地の神々を知ろうともせず、現地の言葉を覚えようともせず、現地の人たちと人間関係も築けていないのに、唐突にアマゾンの奥地にポッと行って本物のシャーマンに出会い、大金を払うことでその金額に見合った素晴らしい経験ができるなどと考えるのは非常に安易だと僕は思います。そんな感じでも運よく素晴らしい経験ができる人もいるかも知れませんが、リスクはとても高いと思います。例えその場では良い経験ができたとしても、カルマを積むことになって遅かれ早かれ痛い思いをすることになると思います。人が騙されるのは己のエゴに埋没して愛がないからであり、悪いのが騙す方で騙される方は無辜(イノセント)の被害者だと思うのなら大間違いです。


2.アヤワスカ・アナログ(疑似物)について

日本のアヤワスカユーザーは、日本で本物のアヤワスカが手に入らないので、ほぼ確実にアヤワスカ・アナログ(疑似物)を使っています。要するに偽物・紛い物を使っているわけです。大抵はアカシア・コンフサと市販のMAOIとの組み合わせのようです。そのように有効成分の化学式が同じなら同じものだろうと考える時点で、スピリチュアルでは全然なく、信心もアヤワスカに対するリスペクトもないのです。

アヤワスカは科学的には幻覚成分であるDMTと、その体内分解を阻害するモノアミン酸化酵素阻害薬(MAOI)の組み合わせできています。DMTというのは人間の体内で生成されているものであり、また人間だけではなく殆どの動植物に分泌されているものなのです。それが意識拡張効果を発揮するのは体内分解を阻害するMAOIの働きによるものなのです。

現地で特に神聖視されているのは、MAOIが摂れる貴重なカーピの方なんですね。ブラジルでは多くの場合アヤワスカのDMTはシャクローナと呼ばれる植物などから取られているのですが、別にシャクローナじゃなくて他の植物でも全然代用が利くので、特別に神聖視はされていません。アヤワスカはDMTよりもMAOIを何から取るかによって大きくその効果が異なるのです。

アナログユーザーというのは、その特別に神聖視されているカーピの代用として市販の薬(製薬会社による金儲けのための化学薬品)であるMAOIを使っているのですから、スピリチュアル的にとてもリスクの高い(冒涜的な)行為をしているのであり、ロクなことにならなくて当然なのです。

魂の成長プログラムである人生において、金儲けや現実逃避(エゴ)を目的に幻覚剤を使うことはバッドエンドを選択することであり、ロクなことにならないのは当然のことなのです。それは極度の人見知り(大麻・LSD)に書いた通りです。

自称シャーマン詐欺師の元で、アヤワスカ・アナログで儀式をやるなんていうのは僕から見れば狂気の沙汰であり、発狂する人や自殺する人が出るのも当然のことではないかと思います。何とか止めたいですが、今のところこうして警告を発する以外に処置なしです。

アカシア・コンフサと市販薬のMAOIの組み合わせによるアヤワスカ・アナログは材料費的にも手間的にも非常に低コストであり、知識のない人を騙して高額な儀式代をボッタクる自称シャーマン詐欺師たちに後々どれだけのカルマ清算が待っているかは想像もつきません。まともに社会でやっていけないために幻覚剤の詐欺をするしかお金を稼ぐ方法が思いつかないことには同情しますが、騙す方も騙される方も不幸になっていくのは見たくありませんし、何とか救いに導きたいので、早めに気づいて改心して貰いたいです。


3.アヤワスカと性

アヤワスカというのは自然由来の神聖なメディシン(医薬)であり、化学薬品でも毒でもありません。現地の界隈では妊婦の方やお子様も普通にアヤワスカを飲んで何の問題も起きていません。もちろん心配なら妊婦の方やお子様は避けるに越したことはありませんが。心配しながらやっても良いことはありませんし、何かあった時にアヤワスカのせいにしてしまうのは本人にとっても主催者にとっても不幸なことですので。僕の方でも「絶対大丈夫」と言って保証して結果責任を取ることはできません。何事も信じる信じないは自分次第であり、結果責任を負うのも自分です。

それとペルーの現地において、生理中の女性はアヤワスカを飲んではいけないと(ピルで儀式と生理が被らないようにと)参加希望者に伝えている日本人自称シャーマンがいるという報告を受けました(上記の一週間60万円の話と同一人物です)。しかし僕は「生理中はアヤワスカを飲んではいけない」などと言う儀式主催者に出会ったことがありません。ペルーの一部の部族では生理中の儀式参加を禁止しているところもあるらしいですが、それでもピルを使って儀式のために生理の日を調整するなんてことはさせるはずがないです。生理中にアヤワスカを飲んだことが原因で何か問題が起きたという話を僕は聞いたことがありません。そして生理を理由に儀式に参加するのを止めたという人の話も聞いたことがありません。みんな生理中でも普通に儀式に参加していると思います。

そもそも儀式というのは神(自然)との調和のためにやるものであって、ピルで生理の日を調整するなんていうのは明らかに神(自然)との調和に反している話であり、僕からすれば冒涜的にすら感じます。もちろん生理が重い人は生理中に無理に儀式に参加すべきではないと思いますが、さりとて主催者側が儀式が生理と被る可能性のある女性全員に対してピルを飲ませて調整させるなんていうのはめちゃくちゃな話だと思います。

以前僕が自分のファミリーの長に確認したところ、ピルの使用自体はアヤワスカに影響がないと言っていましたが、個人的にそんなものが身体的にもスピリチュアル的にも良いわけがないと思っています。僕は男性なのでピルとアヤワスカの薬物相互作用について自分で試すわけにもいきませんし、儀式参加者の女性に対して性に関することをあれこれ質問してその統計を取るってわけにも行きませんが、何かしらの悪影響が必ずあるはずだと思っています。

もし避妊具を使わずに性行為をするという完全な快楽目的でピルを使用するというのであれば、その考え方からして神(自然)との調和に反しているように思えてなりません。これはあくまでも僕の個人的な意見ですけどもね。もちろん皆さんそれぞれ色々事情はおありでしょうから「ピルを飲んでいるなら儀式を受けてはいけない」とまで言うつもりはないですが、わざわざ南米まで来て儀式に参加しようとしているというのに、避妊具なしの性交(エゴ)のためにあくまでもピルを飲み続ける(神・自然の意思に反する)という方を、僕は正直あんまりアテンドしたくないです。お互いにカルマを積んでしまいそうなのでね。

通常、儀式の2~3日前から性行為は禁忌になりますが、それは道徳的な理由ではなく、自分の意識を上位へと登らせるのに性のエネルギーもあった方が良いからです。短期の禁欲によって神に敬意を示す、という部分もあると思いますけどね。儀式はエネルギーを消耗するので、儀式中・儀式後は(通常)性的なことはあまり考えられなくなります。

しかし中には悪徳シャーマンがいて、性的な目的のためにアヤワスカを使う人もいるそうです。さすがに儀式中に無理やり性的行為に及ぶというような話は直接は聞いたことがありませんが(被害者以外全員がグルじゃないとまず無理ですからね)、儀式を手伝う女性たちに対して指導的(優位)な立場を悪用し、儀式外で二人きりになった時に性的行為を半ば強要してくる主催者がいるという話は結構よく耳にします(そういう加害者も被害者も知っています)。とても残念なことです。そういう噂がある主催者には関わらないのが一番です。もちろんそれは南米の現地でも日本でも同じことです。

それと僕は個人的に宗教・スピと性を過剰に絡めた教えが大嫌いで、タントラだのクンダリニーだのを性的快楽の追求のためにやるような人を信用していません。密教でも性を重視するようなものがあるみたいですが、僕は全く興味すらありません。そんなものが神仏の心に適うわけがなく、悟りに繋がるとは到底思えませんので。釈迦やキリストがそんなことを教えていたわけがありませんしね。

2025年4月10日木曜日

極度の人見知り(大麻・LSD)

【質問】20歳・男性 ダイビングインストラクター

初めまして!真也さんの質問箱を見て、あ、僕も完全に思考のループに入ってると思ったので是非真也さんのご意見を聞かせて頂きたいです🙇🏻

最初に基本情報をかかせて下さい🙇‍♀️
LSD使用:娯楽程度
大麻使用:ないと寝れないレベル

最初にループに入った経緯なのですが、18の時に初めて北海道という田舎から飛び立ち一人暮らしを始めました。北海道で元々ガンジャは友達といる時に吸うレベルでした。ですが、一人暮らしを初めてから中々大学に馴染めず「極度の人見知り」、その時大麻友達しか探してなかったため当然友達もできませんでした!

ですが、その退屈を紛らわすために1人で大麻やLSDを使用するようになったのがきっかけです!そこから自分の心の中に漠然と「なぜ自分は生きているのだろう」や「人生に意味はあるのか」などループから抜け出せず、気持ちを変えるために1回帰省しました。

その後、友達とLSDを食べた時に、今も続くことに関係する大BADに入りました。自分がLSDを食べた時に人との喋り方を忘れてしまいました。元々人に気使いすぎて気楽に人と話すのは中々時間がかかる人でした。

その時にその思考が加速したのか自分が発言する前に「今自分が喋ろうとしたこと」を言葉に出す前に「相手がどう思うかや、「どう伝えたらわかりやすいか」「相手の反応」「相手に嫌われたくないけどめんどくさいと思われたくない」などを考えてしまって言葉を出す事ができなくなりました。

簡単に言うと常に最善策を探してるのですが、脳内で最善策が見つからず言葉がでてこない感じです。それからLSDはほぼ使ってないのですが、そのループが抜け出せません。

以前は人や友達と普通に話せてたのですがそれからというもの友人、家族、職場の人間すべての関わる人に対して距離を置いてしまい中々前のように話すことができないのです。普通に話せるようになりたいです。

真也さんの質問箱を読んで思ったのですが、この感覚をここまで言語化できる人に出会ったことがありません。

ここまで長文失礼しました。まだまだ描きたいことはあるのですが、それすらも思考に入ってる感覚に陥ってるので、一旦ここまでにしときます(笑)ぜひ真也さんのご意見を聞かせて頂けたら幸いです🙇🏻

【回答】
ご質問ありがとうございます。お気持ち心より同情申し上げます。

アヤワスカとLSDの違い」「LSDの後遺症についての両記事を読んでいただいた上でのご質問ということで話を進めさせていただきます。

僕も大学に入ってしばらくは馴染めず鬱状態でした。当時の僕は世の中で「麻薬」と言われているものに対する抵抗感が強く、まだネットも普及してなくて、誘惑されたり手に入れたりする伝手がなかったので手を出すことはありませんでしたが、もし今の時代に大学生だったらあなたと同じようになっていたかも知れません。辛い時にそれをごまかせる手段が身近にあれば、それに依存してしまうようになるのは無理もないことだと思います。実際多くの人が麻薬ではなくとも酒や精神薬に依存しています(精神薬も麻薬の一種です)。

だから決してあなたを責めるつもりはありません。僕は魂の兄弟であるあなたを自分自身のように考え、心から同情し、ただただ幸せに導きたいだけで、決してあなたを偉そうに責めて説教して傷つけたいのではないということをどうか最初にわかって下さいね。ただ課題を正しく認識していただかなければ、課題を乗り越えられるように導くことはできないので、冷静に読んでいただけるようお願いします。

それで、人間関係から逃げたくなるあなたの気持ちはよくわかるのですが、それでも逃避手段として薬(大麻や幻覚剤、酒や精神薬も含めて)を使用することは、とてもとてもリスクが高く、人生を破滅させる恐れがあるのです。

恐らく大麻は急には止められないのでしょうけども、止める方向性で考えてみて下さいね。そしてLSDには絶対に手を出さないで下さい。それだけバッドに入ったのならそうそうやらないでしょうけども。

人生は愛と勇気を試して成長を促すためのRPGであり、もし逃げることで幸せになれるように創られていたら、それは成立しないのです。だから当然逃げ道というのは一見安全でラクそうに見えて全てトラップなのです。そちらを選択するとかえって難易度が上がり、その先は必ず行き止まり(バッドエンド)に創られているということです。実際、違法薬物がなければ眠れない・人と話せないというのでは働けず、まともな社会生活を送れませんし、いつか逮捕されてもしまうでしょう。行き詰まって孤独に心を病んでどうしようもなくなる未来が目に見えているでしょう。「逃避」を選択することは、バッドエンドを選択をすることなのです。

人生は成長のためにあるのですから、死ぬまで成長課題を乗り越える苦労が続くのが定めであり、幸せはその中にあるのです。それなのに逃げ道があると思うから恐ろしくなって逃げたくなるのであって、逃げ道なんて最初からないのだと腹を決めれば腹が据わります。この点についてはカルマの良化法をぜひ読んでみて下さいね。

>一人暮らしを初めてから中々大学に馴染めず「極度の人見知り」

僕も元々は人見知りでした。あなたはきっと自分を誰か(世間一般のイメージ)と比べて自分が「極度の人見知りである」というのを「生まれつきの変えられない性質」だと思い込み、「乗り越えられない・ごまかして逃げるしかない」と思い込んでいるのだと思いますが、決してそうではないのです。

人生というのは魂成長のために与えられている機会なのであり、「人見知り」というのはあなた個人に与えられている課題であって、それはあなたが乗り越えていかなければならないシナリオ・伏線なのです。最初から「人見知り」というのを盾(言い訳)にして逃げ腰になっていたら、人付き合いをしても上手くいくわけがないのです。ちょっとでも嫌なことがあればすぐ逃げ出すようになるのが必然ですからね。

自分の課題はどれだけ逃げてごまかしても、いつかは乗り越えなければ結局はどんどん辛くなるだけです。逆に乗り越えれば楽しくなるのですから、乗り越える以外にないんです。あなたはただそれが辛く恐ろしく絶対に乗り越えられないものだという世界観で生きているからその通りになっているだけで。

コミュニケーションというのは、小学校の鼓笛隊みたいなもので、みんなと一緒に毎日練習していれば、どれだけ才能がなかろうと誰でも否応なく上手になるのです。そして自分が全体のハーモニー(調和)の一部となって、みんなと楽しくやれるのです。それなのに「自分は生まれつき才能がないのでできません」と練習を拒否して逃避してしまっていては、いつまでたっても上達するわけがなく、楽しくなれるわけもないのです。

>その時にその思考が加速したのか自分が発言する前に「今自分が喋ろうとしたこと」を言葉に出す前に「相手がどう思うかや、「どう伝えたらわかりやすいか」「相手の反応」「相手に嫌われたくないけどめんどくさいと思われたくない」などを考えてしまって言葉を出す事ができなくなりました。

それはコミュニケーションのイップスみたいなものですね。薬物によってそれがブーストされてしまったのでしょう。そうなると当たり前にできていたはずのコミュニケーションが、とても難しく感じられてしまうのですね。楽器の演奏でも「自分は音痴だ」とコンプレックスを持って、ミスしないよう一音一音考えながら演奏するようになったら、まともに演奏できなくなってしまうでしょう。その状態の時に普通にできている(ように見える)みんなと舞台に上がるのは恐怖でしかなく、過度に緊張して実力が発揮できず、逃げたくなるのは当然ですよね。それと同じことです。

楽器と同じで続けてさえいれば自然と身に付いたものが発揮されるのに、一つ一つ頭で考えようとすると頭の処理が追い付かなくなってしまいます。プロのミュージシャンが一音一音考えながら演奏していると思いますか?コミュニケーションも同じで、一つ一つ考え過ぎたらうまく行かなくなるのは当然なのです。理屈ではなく感覚(流れ・調和)でやるものなのですから。

もし心が愛(善意・思いやり)に満ちていれば、考えなくてもそういう言動・行動になるわけで、いちいち考えなければならないのは、心がエゴに満ちていてそれをいちいちごまかさなければうまくやれないからなのです。だから本質的な対策は己の心の愛を実践から育てていくことなのです。

ただそのあなたの今の考え過ぎ(&エゴへの埋没)というのは典型的なLSDの後遺症であって、あなたの本来(主人格)の性質ではないのです。あなたは元々普通に友人とコミュニケーションが取れていて、特別いじめられたり仲間外れにされたりはしていなかったのでしょう?誰でも奥底には内向的な人格を持っていますし、エゴのない人というのもいません。従って元々の人格のせいとは言えません。しかしLSDは精神を分裂させて、主人格を差し置いて隠れた人格の方を自我のメインにしてしまうのです。あなたは自分が小中学校の頃、どうやって友人とコミュニケーションをとっていたか、どのぐらい人に思いやりがあったか、今はよく思い出せないのでしょう?あなたは夢の中にいるのと同じで、普段の自分がどのようだったか思い出せなくなっていて、今の病んでいる自分を本当の自分だと思い、今認識している世界を本当の現実だと思い込んでいるのでしょう。

コミュニケーション・イップスというのは、他人を鏡にした思考のハウリング(無限反射増幅)現象なのです。他者に対してすぐに「嫌だ・つまらない・面倒臭い・許せない」などというネガティブなレッテル貼りをして傷つかないよう自己防衛で身構えるために、相手からも警戒されて身構えられ、お互いに同じように思われるのを恐れて嫌い合うというループ(思考の無限増幅)が起きてしまうのですね。

誰でも自信満々になれる方法をぜひ読んでみて下さい。どれだけ嫌われようとあくまでも自分を愛し抜こうとする人を嫌い抜ける人などいないのです。つまり出会った人を愛し抜く覚悟さえ自分が持てば、人から嫌われることを恐れる必要などないのです。人を恐れるのは鏡に映る自分を恐れるが如くです。

>そこから自分の心の中に漠然と「なぜ自分は生きているのだろう」や「人生に意味はあるのか」などループから抜け出せず、気持ちを変えるために1回帰省しました。

実を言うと「存在意義」を求めるというのは「全存在(=創造主)」の本質なのです。「存在意義」を求めるという原理によって全ての創造は成されているのであり、本当は全ての存在が存在意義を求めるのがデフォルトなのです。人生は存在意義を生むための(愛と成長の)物語だとも言えます。僕らは人生という物語の中で、自分という主人公の経験の中から「存在意義」の答えを自分で創造させて貰えているのです。そこで自分に与えられている課題を拒否していたら物語が前に進みませんし、物語が進んでないまま自分の存在意義を突き詰めて考えたところで答えなど出るわけがありません。ただただ堂々巡りを繰り返すだけになるのは必然です。

そのように人生という物語がまだ途中なのに自分の存在意義を厳しく突き詰めて考えると、ただただ苦しくなって物語が前に進みませんから、人には心を保護するためのプロテクトがかかっていて、あまり存在意義を厳しく突き詰めて考えないようにされているのです。そのお陰で人は存在意義がわからないままでも精神が安定し、人生という物語を経験する中でその答えを見つけさせて貰えているのです。しかしLSDを使用すればそのプロテクトが外れることになり、人生という物語がまだ途中で存在意義の答えが自分で出せていないうちに、己に存在意義を厳しく問い詰めてしまう思考ループにハマってしまうのです。

世の中というのは全て関係性の中で存在しているのであり(諸法無我)、もちろんあなた自身も関係性の中で存在しているのです。だからこそあなたの存在意義はその関係性の中にある(与えられている)のです。一人ぼっちで「存在意義」をグルグル考えていても決して「存在意義」などわかるわけがありません。あなたは関係性の中で存在しているのですから、関係性を知る(築く)ことが己の存在意義を知ることなのです。他者を理解することによって自分を(存在意義・存在価値を)理解できるようになるのです。そして自分を成立させている全ての存在に心から感謝し、愛を発揮することが大事なのです。「人見知り」を言い訳にその貴重な経験機会を拒否し、そのペナルティーである孤独や退屈をごまかすために薬に依存すれば、更にペナルティーを重ねることになるのは当たり前です。

しかしそれはこの宇宙が因果応報という大原則によって創られているからであり、決して意地悪で与えられている罰ではないのです。創造主の本心はあなたに己の過ちから自発的に真理に気づいて学んで成長して感謝して欲しいのです。それを創造主が直接的に教えてしまっては自由意志を与えた意味がなくなり、人生経験に意味がなくなってしまうのです。このあたりの話は自由意志の仕組みと存在意義をご参照下さい。

<LSD後遺症の本質>
なぜ多くの人はLSDによってコミュニケーション・イップスと「存在意義」思考ループの状態になってしまうのでしょうか?それは自他が存在するということ(創造主の創造)に対して、そして人生という経験機会が(自らが強く望んだが故に)与えられているということに対して、その価値がわからず、心から感謝していないからなんですね。そして心が不平不満と被害者意識に満ちていて、現実逃避のためにLSDを使用しているからなのです。冒頭に書いた通り「逃避」を目的に幻覚剤を使用する事はとてもとてもリスクが高いのです。逃避は成長プログラムである人生における成長拒否なのですから、そこにペナルティーがないのならそれは成立しないのです。

いつも言っていることですが、与えられたものの価値がわからず感謝しない人にもっと与えたいと思う人はいないでしょう。そこは創造主も同じであり、世界はそのような原理で創られているのです。だから与えられたものの価値がわからず感謝しない人は、既に与えられたものまではぎ取られ続け、失うことでその価値を思い知らされるような悲しい人生になってしまうのが必然なのです。あなたは他人とお互いを理解し合い、許し合い、問題を乗り越え、愛し合うためのコミュニケーション能力を「そんなに要らないのなら」と剥ぎ取られかけているということに気づいて下さい。

そして全ての全てを創りし創造主の存在意義というのは、自由意志を与えられた僕らが人生の中で存在意義(存在価値)を感じられるかどうかに依存していると知って下さい。僕らは偉大な創造主に存在意義を与えられる偉大な存在なのです。

本当は僕らこそが全てを創った創造主自身なのであり、その(仮想的な)分離なのです。本当は唯一の存在であり究極に孤独な存在なのに(あなたはLSDでそれを経験したはずです)人間として自分と同等の他者がたくさんいて愛し合えるという夢のように素晴らしい仮想現実を経験させて貰えているのです。「自分が存在し、他者が存在し、人生経験の中でその価値を創造し実感できる」という機会を与えられていることを決して当たり前だと思わないで下さいね。

他者というのは、合わせ鏡に写った無数の自分のようなものであり、創造主がその無数の自分に個性・分離意識・自由意志を与えて、自分と同等でありながら別な存在だと思わせて、それによって人生という物語を成立させてくれているのです。人間は自分自身が見えないようになっていて、他人を理解し愛することで、自分自身を理解し愛することができ、他人からも理解され愛さされるようになる仕組みになっているのです。そうでなければ人生に存在意義はありません。

世界は創造主によって、自分の解釈次第に創られているのです。ですから意地悪で与えられている罰ゲーム(クソゲー)のように解釈すれば、本当にそうなってしまいます。クソゲーにしているのは自分自身なのだと気づいて下さい。それで人生に不平不満を持って被害者意識に陥るのはお角違いなのです。

自分の解釈(世界観)次第のこの世界で、自ら心を閉ざして逃避することで孤独で不幸になるのは、閉じたままの電動チューリップにパチンコの球が入らないのと同じぐらい当たり前のことなのです。

今のあなたは、鏡の存在である他者を「自分の自尊心を下げて傷つける恐怖の存在」と認識してしまっていて、その世界観通りに自分の認識世界が創られているのでしょう。

自分が心を閉ざせば世界が自分に対して閉じられ、自分が心を開けば全ての扉が自分に対して開かれます。これを僕は経験から実感しています。あなたにもそれを経験から実感して欲しいのです。これを経験なく頭で理解しようと思っても無理です。

己のエゴの殻に閉じこもって自分のことばかり考えている段階にある人が、いきなり自分自身も他人も世界も人生も愛せるようにはなりません。日々己の愛を実践から育てていくことで、段々と全てを愛せるようになり、感謝できるようになっていくのです。それが「存在意義」を経験から理解するということです。

あなたが出会う人はみんなあなたの魂の兄弟であり、孤独を救ってくれるありがたい存在なのです。その存在に心から感謝の気持ちがあれば、「創造主はなぜこの人と出会わせてくれたのだろうか?」と興味(関心)が湧くはずです。興味(関心)は愛の入り口であり、興味がないのに愛しているということはありえません。自分がどう思われるかばかりを気にするのは、関心が自分にしか向かわなくなっているからです。

かといっていきなり世界中の人に興味(関心)を持つのは無理です。あくまで実際に出会った人に例外なく興味(関心)を持ち、無条件で許し愛せるように努力すれば良いのです。出会いさえすれば愛せるようになれたら、それは世界中の人を愛していることに等しいのです。

もし話すのが難しくなっているのなら、今はとにかく相手に興味を持って聞きに徹して相手を理解することに努めて下さいね。

嫌だと思う人でも、人生には悪役も必要なのですから、自分の人生という物語で悪役をやらされているだけで本当は良い人なのだと信じて目覚めさせてあげて下さい。嫌なことを言われても、創造主が自分に何を気づかせたくてその言葉その出来事に出会わせたのか、愛で解釈してみて下さい。それができるようになることが魂の成長なのです。

LSDは決して娯楽で手を出して良いようなものではありません。それは魂成長の努力なくして神に近づくチート行為であり、RPGのプレイヤーでありながら制作側の意識にアクセスするチート行為なのです。その代償こそがあなたが陥っているコミュニケーション・イップスであり、「存在意義」の思考ループなのです。

LSDによる現実逃避は、ドラクエで目の前のスライムを攻略できないのにボスのダンジョンに逃げ込もうとするようなもので、そんなことをすれば全く前に進めず、わけがわからない(因果・シナリオがわからない)まま、再起不能なほどボコボコにされるのが当前です。決してあなたを責めているわけではなく、いかに愚かなこと(逃避)をしたのかに気づいて欲しいのです。そして心から自分自身(人生)の存在と他者の存在に感謝し、興味を持ち、理解し、他者と物語を紡いで欲しいのです。

そして何よりも信心を持って下さい。何の神仏でも構いません。それは創造主の分離であり、創造主は神仏を通じてあなたを救い、それによってあなたにも神仏にも存在意義を与えているのです。信者にならなくてもいいので、できれば一度世界救世教か真光あたりで浄霊(お清め)を受けてみて下さいね。今の状況を神仏の助けなく一人で解決できると思わないで下さい。そもそも今まで神仏の加護なく自分の力で生きて来れたと考えるのは驕りでしかなく、それは愛(信心・感謝・信頼・尊敬)の欠如なのです。創造主は常に我々を信心・真理へと導いてくれているのであり、あなたの辛い経験も信心・真理への導きなのだと知って下さい。

<最後に>
法(真理)というのは、みんなを幸せにするものです。しかし因果応報の大原則は、知っているか知っていないかに関わらず存在して例外なく適用されるものであり、「知らなかったから」という言い訳によって適用されずに済むものではなく、そういう意味ではとても厳しいものなのです。ストーブが熱いと知っていて触る子供より、知らないで触る子供の方がより大きな火傷を負ってしまいます。法(真理)に対する無知(無明)は人間に与えられた罪(原罪)なのであり、人生の中で法(真理)を悟ってその無明の闇を払うことが宿命なのです。そしてそこにこそ幸せがあるのです。

ただその法(真理)を知らないことによる苦しみの経験も人生には必要だから与えられているのであり、20歳の時の僕が今の僕からこういうことを言われて理解できるとは到底思えないのですが(経験してみてわかることです)、いつかは伝わることを願って止みません。

関連質問:「コミュ障を克服したい

2025年4月3日木曜日

悟りと営業職

【質問】31歳・男性 ペンネーム:オガ 職業 営業職

初めまして。2ヶ月ほど前から記事や発信を見させております。

質問なのですが、結果主義や競争をせざるを得ない環境はやはり悟り、ワンネスとは相性が悪いのでやめるべきでしょうか?

私は3年ほど前から収入UPを狙うという完全なるエゴ動機で人材、広告系の営業をしています。業務としては、毎月のノルマを達成しなければ当たり前のようにネチネチ詰められたり、残業続きの環境なのでキツ目ではありますがなんとか続いており、日本人の平均年収以上の収入を稼げるようになりつつある状態です。

ただ最近自分のやっている仕事が本当に顧客に納得してもらった上で成り立っているのか疑問に思い始めて(私の職場、ひいては営業では数字、利益を取ってくるのが何より至上命題なので時にはお客さんにとって不都合な状況や契約内容になってでも数字を作らざるを得ないことがあります)色々考えたり、ネットサーフィンをしている中で真也さんの発信を見つけました。私の本心とまさに共鳴するような内容で感動しました。

本音としては自分や会社の都合、利益云々よりももっとお客さんに深く向き合って、先方にとって本当に必要な商品だけを最適なタイミングで提案してお互い心から笑い合える仕事をしたいと思ってます。その働き方の方が結果としてパフォーマンスも上がり収入も増えるのでは?とすら思います。

人の立場や心情を想像したり、人の話を引き出すのは比較的得意な方だと自負しているので営業の仕事自体は好きだし続けたいと思っています。

ただ前述した通りで、ご存知とは思いますが営業は何よりも結果が全ての仕事なので、本当の意味でお客さんのためになる(タイミング、勧める商品等)ように仕事をしようとすると自分の毎月の目標数字が未達になることが頻発することが予想されます。当然未達は許されず、あり得ないという空気があるので詰められたり、会社に居づらくなってしまう未来も見えます。

人生において結果や見返りを求めず、ただ自分と周りの人の幸せのために生きること自体を愛するという悟りや真理とはかなり相性が悪い仕事なのではないかとも感じてしまいます。

また、こんなことを言っておきながらまだエゴ(旅行に行ったり車を買うためにお金が欲しい)に塗れているので営業でないにしても何かしら仕事をしてお金は稼いで行きたいと思いますが、同時並行で少しずつでも悟りの実践を取り入れていきたいとも考えています。

ただ、他責思考の言い訳かもしれませんが今の環境ではなかなか難しさも感じています。

そこで選択肢として
・今の仕事を辞めてもう少し悟りと相性の良さげな仕事に就く。
・仕事のパフォーマンスを圧倒的に高めてお客さんに寄り添いながらも自身の数字を達成し続けられるようにスキルアップをする。
・お客さん志向を徹底して、未達で詰められたり村八分にされるのを前提に(その内慣れるのを見越して)今の仕事を続ける。

どの手段が最適かご意見をいただきたく存じます。

正直、自分のエゴの強さが今の状況を招いていると言えばそれまでかも知れませんが、まだお金を稼いでそれで旅行に行ったり欲しい物を買いたいという気持ちがどうしても捨てきれません。

世界を救う主人公として命を与えられている身として自分よりも他人のエゴを満たすべきと頭では分かっていても、まだ31歳だしもう少し自分も楽しみたいな…と思ってしまう部分もあります。

30も越えて何言ってんだとか、言い訳するなと言われればその通りですが、いつか本気で自分よりも他人の心を救うために人生を生きたいと思えるようになる瞬間を見据えてまずは全力で後悔のないようにエゴを楽しみ、満たし切りたいと思っています。

また、男は稼いで結果出してなんぼという風にどこかで思っている自分もいまして、これについてはどう思いますでしょうか。

男として、30超えたらこれぐらいやって当然という価値観も捨てるべきでしょうか。

情けないまでにエゴが強く、自分勝手ではありますがアドバイス願います。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

お気持ち、大変よくわかります。まさに過去の自分を見ているようです(笑)僕らの魂って本当に同源・同一のものなのだなと痛感させられます。


僕がいた職場はかなりホワイトだったので、そこまで結果主義・競争原理が強い職場で働いていたわけではありませんが(ノルマみたいなものも殆どありませんでした)、営業・企画部門のサラリーマンだったので、本質的には全く同じだと思います。

今はみんなにとって物質的に必要なものはもう十分に行き渡っている時代で、本当に必要なものを売っているわけではなく、お客さんの側からすれば大して必要でもなければ、別に他所の商品・サービスでも良いのに、自社の利益ため・自己利益のために何とか売らなければならず、興味のない人にまで必要だと思わせるように必死で欲望や不安を煽り、そのためには嘘や隠し事も当たり前って感じになって、それができなければ無能扱いされて自尊心を保てなくなるわけですしね。出世や保身のために人の醜い部分もいっぱい見せられました。今では「営業」だの「人材」だの「広告」だのといった言葉を聞くだけで吐き気がしてしまいます(笑)

ただ僕が過去の自分に対して何か言うとしても、それはとても難しいというか、言えないことが多過ぎるんですね。なぜかというと、全てが自分に必要な経験だから与えられているってことが今は確信的にわかるからです。そして自分の人生をトータルに愛しているので、過去の自分に何かを伝えることで自分の人生を変えたいなどいう願望はないんです。経験しなければ理解できないことを経験させてもらえたのですから、過去に遡ってその経験を避けさせたいとは思いません。だから過去の自分と同じような状況にいるあなたに今の僕の考えをダイレクトに言ってしまえば、せっかく天から与えられている経験機会を邪魔することになってしまう気がして、すごく難しく感じてしまうんですね。

悟りとは何か?に書いた通り、悟りというものは競争ではありません。先に悟ったから偉い(高得点)というゲームではないのです。答えに価値があるのではなく、それを追い求めるあなたの経験(感情)に価値があるのです。そしてあなたがどういう考え方・行動を選択するかが、あなたという存在を形作るのであり、人生というのはそういう芸術であって、それこそが価値なのです。あなたの価値は存在そのものにあるのであって、あなたの考えや行動の選択が正しいかどうかにあるわけではありません。

>結果主義や競争をせざるを得ない環境はやはり悟り、ワンネスとは相性が悪いのでやめるべきでしょうか?
人生は人それぞれにシナリオがあって、全ては過程(プロセス)なのであり、「この職業だから悟れない」などということはないと思います。

「悟りとはきっとこういうものだろうから」というイメージを自分自身に無理やり押し付けないで下さいね。心から納得できていない考え方に無理やり自分を従わせる、というのは不幸の元凶であり、鬱の人はほぼ確実にそれをやっているのです。その「自分に強制している考え方」が正しいか間違っているかは関係ありません。魂が己の経験を通じて納得していない考えを自分に押し付けること自体が不幸なことなのです。

まぁそうは言っても「社会の利益より自己利益が完全に優先(目的化)になっている営利活動」を奴隷のようにずっと続けたままでは真理(=愛)なんて悟れるわけがありませんし(=主人公になれるわけがありませんし)、どんどん自分を嫌いになってしまうと思います。

ただそれだけの自己矛盾を抱えているあなたが今の仕事をそのまま一生続けるわけがないと思います(そのまま続けたらきっと病気になってしまうでしょう)。最終的には正しい決断を下せる自分を信じ、天の導きを信じて下さい。人生に無駄はなく、今後何をしようと必ず今までの経験が生かされますから。


その「自己矛盾に苦しむ」という経験もとても大事なものなのです。もしその苦しみが全くなく自己実現できてしまったら、自己を実現することの価値を実感を通して知ることができなくなってしまいます。僕も仕事で散々嫌な思いをしましたし、自分らしく生きられない苦しみを経験しているからこそ、自分らしく生きられる今の喜びを心から味わえているのです。

人生というのは、あなたをプレイヤー(主人公)とするRPGなのであり、ドラクエで「道具屋」として何の自己矛盾も感じず社会にビシっとハマれるぐらいだったら、NPCとして一生を送ることが確実で、主人公には成り得ません。だからその自己矛盾を胡麻化さず、いつか目覚めるその日まで大事にして下さい。


そして世の中とても多くの人がその自己矛盾に苦しんでいるのですから、それに対して心から同情できる優しい人になって下さいね。そしていつかその自己矛盾を解消し、主人公として目覚め、みんながそうできるように導ける存在になって下さいね。今はまだそこまで考える必要はありませんが、これは僕からの祈りです。

>情けないまでにエゴが強く
あなたはまだエゴを悪者のように思っている感じがしますが、エゴは愛のマテリアルなのであり、それ自体が悪いわけではありません。悪いのはエゴを暴走させてキリなく求めて愛を失うことです。エゴを無くすことではなく、エゴのエネルギーをいかに愛に昇華できるかが悟りの道なのです。それはエゴ(欲)とは何か?に書いた通りです。エゴの存在を理由に自分や他人を嫌って責めないで下さいね。

基本は、目の前のことをただ全力でやって、全力で楽しんで、そのことに心から感謝できれば良いんです。あなたは経験するために生まれてきたのであり、経験したいことを今まさに経験しているのですから。ただあなたの価値はいくら稼げたかとか、どれだけ他人から評価されたかとか、どれだけ正しい考え方をしているかではなく、存在そのものにあるということは絶対に忘れないで下さい。人生という経験機会を与えられていること自体が尊いことなのだと知って下さい。

>他責思考の言い訳かもしれませんが今の環境ではなかなか難しさも感じています。
お金の時代の終らせ方(新六波羅蜜)はぜひ読んで実践してみて下さいね。今の仕事を辞めなくてもできる事ばかりです。大事なのはいきなり変な正義心で社会をひっくり返そうとすることではなく、自分の中の愛を実践から育てていくってことです。


そしてどうか自分自身と深く向き合って下さいね。どうすればその自己矛盾を解決できるのか、自分で考えるからこそ価値があるのです。

>30も越えて何言ってんだとか、言い訳するなと
>男として、30超えたらこれぐらいやって当然
僕がそんなこと言うわけないですよ。人生のシナリオは人それぞれで、少なくとも悟りの進捗に関して、年齢なんか気にして焦る必要は全くありません。僕なんて30代でドロップアウトして海外に逃亡し、40代も半ばから4年近く乞食をやっていて、今も実質無職ですからね。世間からすれば「何やってんだ?」って感じでしょう。でも僕はもう世間がどう言うかで自分の信念を曲げたりはしません。自分には自分だけのオリジナルのシナリオが与えられているのであり、他人と比べ、自分の魂が納得していないのに「こうあるべき」なんて頭で魂を無理やり押さえつけるのは良くないと思います。自分で気づいた時、魂レベルで覚悟が決まった時がベストタイミングなのです。どうか勇気を持って下さい。


>自分のエゴの強さが今の状況を招いていると言えばそれまでかも知れませんが
僕自身がかつてそうだったからよくわかるのですが、それはエゴ(欲)の強さが原因ではなくて、他者評価依存によって自尊心が低くなっていて、それを解決する手段として今の生き方(嫌な仕事での金稼ぎ・保身・虚栄・自己防衛)以外に考えられていないことが原因なのだと思います。そういう世界観の中に生きていて、周囲も同じ世界観の人ばかりで、それ以外の世界があるなどということはきっと思考の枠外なのでしょう。まだあなたは自分の世界観が自分の世界を創っているということに気づかれていないのだと思います。その世界観はその外に出てみないと客観的に見ることは不可能なのですけどもね。

実に多くの人が当たり前のように他者評価依存症に陥っていて(社会病理です)、あまりにも「世間・他人からどう思われるか」を気にし過ぎていて、それが心の本音を押しつぶすブロックになっているのです。あなたは本当は人の役に立ちたいという愛が心の底から湧き上がってきているのに、この(嫌な)仕事でお金を稼がないと世間体が悪い、他人から見下されバカにされる、旅行したり良い車に乗ったりして豊かさを他人に誇示することで自尊心を維持できないと考え、エゴ(損得勘定・執着)から離れられず、自己矛盾に苦しんでいるのでしょう。世界の本質はワンネス(愛)なのですから、エゴを優先すればするほど自分を嫌いになるように人間はできているのであり、人生で自分を嫌いになるほど、苦しいことはないのです。損得勘定で生きること自体が不幸の元凶なのであり、実際それで心に愛を失って嫌な奴になって自分で自分を愛せず、人からも愛されず、心を病んで人生自体を投げ出してしまったら、それは最大の損だとは思いませんか?

旅行とか車とか、それはあなたが本当に欲しいものなのでしょうか?それは世間体を気にして保身のために嫌な仕事を我慢している自分を納得させるための口実・自己正当化なのではないでしょうか?実際大してお金なんかなくても旅行はできますし車も買えます。他人より贅沢な旅行や車を欲しがるから他人よりお金が必要になるだけで。またそれらが本当に好きならそれらを提供することを仕事にして人に貢献しながら自らが楽しむこともできます。でもあなたはそれを選択肢として考えないのはなぜでしょうか?

つまり、あなたはなぜ本当にやりたい仕事で自己実現(=愛を実現)しようとしないのでしょうか?自分が本当にやりたいことを通じて人の役に立ちたいと思いませんか?そんなことをしても稼げない・そんな自信はない・そんなことは綺麗事だ・・・などと考えているのでしょうか?だとしたらそれはやはり他者評価依存による自尊心の低さが原因なのだと思います。

もう一度言いますが、あなたの価値はあなたの存在そのものにあるのです。あなたがどんな考え・行動を選択するか、いくら稼げるか、どれだけ他人から評価されるかは関係ありません。もっと自分を許し、愛し、真の自尊心を手に入れて下さい。そうすれば世間・他人がどう思うかから離れて本当に自分が納得できる決断を下すことができるようになりますから。この辺りの話は誰でも自信満々になれる方法をご参照下さい。

>男は稼いで結果出してなんぼという風にどこかで思っている自分もいまして、これについてはどう思いますでしょうか。
そのように思っているのはあなたの世界観ゆえであり、多くの人の常識でもあるのでしょうけども、僕は全くそのようには思いません。みんながそんな風に考えるて「稼げない男は情けない」などと見下し、貧困によって見下されることを恐れるから、お金の為に嫌な仕事で奴隷のように働かなければならなくなるのでしょう。

僕は存在するだけで無条件で尊敬することを心がけていますし、誇りを持ちながら幸せな乞食生活を経験しているので、貧困など全く恐れませんし、お金のために嘘や隠し事で人を騙して自己利益に繋げようなんて全く考えません。そんなことをすれば自分で自分を嫌いになってしまいますから、そんなに損なことはありません。そんな風にして稼いだお金と、人に喜んで貰って感謝の気持ちでいただくお金とでは同じように見えても価値が全く違うと思いますし。

他人よりお金を稼がないと自尊心を保てないという考えはとても不幸だと思います。あなたはそうしてエゴ(我欲・保身・虚栄)のためにお金をキリなく求め、そのために社会・他人の利益に反することをして、そのせいでどんどん自分を嫌いになって、あなたの心は悲鳴を上げているのでしょう。


あなたはその他大勢のNPC同様、この世の幻の如き物質主義的な価値観に捉われ過ぎているのだと思います。しかしそれは成長課題なのであって、乗り越えて行くべきものなのだと思います。

あなたの言う「結果」って何ですか?お金?他者評価?そこに何の価値があるのですか?もしあなたが今死んだらそれらは全部失われて、ただ「自分で自分を嫌う魂」だけが取り残されてしまうのですよ?

結局、信心がないことが一番の問題で、それゆえに「自分はお金がなければ自尊心が保てず確実に不幸になる」と考えて必然的に拝金主義(悪魔崇拝)になり、キリなく稼ぎ続けなければならなくなって、心に愛を失い、自分自身も人生も嫌になってしまうのでしょう。それは魂の成長に必要な人生のトラップなのです。神とお金の両方に仕える事はできない、というのはキリストの語った通りです。

>どの手段が最適かご意見をいただきたく存じます。
今すぐに仕事を辞める必要はないと僕は思います。なぜなら覚悟が決まっている感じがしないからです。もし覚悟が決まっていれば、他の選択肢は実質的になくなっていて他人に意見を求めるまでもなくなっているものなのです。そして覚悟を決めるには、その前に逃げることなく自分自身と向き合う過程が必須なんですね。それなしに覚悟なんて決まるわけがないですし、覚悟が決まっていれば、どうすべきかはもう自明なのです。逆に先に書いたように、決して自分で魂レベルで納得できていない考え方に無理やり自分を従わせようとしないで下さいね。人生が自分のものではなくなってしまいますから。

だから残業代で稼ぐためにプライベートの時間を犠牲にし、自分と向き合う事から逃げて今の仕事に埋没しないで下さいね。

人は成長を経験するために生まれてくるのですから、ラクをするための苦労は報われない定めです。どっちにしろ苦労するのなら、好きなことで苦労した方が楽しく幸せに成長できます。能動的に苦労するのと受動的に苦労するのとどちらが楽しく成長できるかは自明だと思います。人生は愛と勇気を試すRPGなんですから、より愛と勇気が必要な方が正解なんじゃないかと思います。

今の僕はあなたの問いに対して明確な答えを持っていますが、それはあくまで僕が経験から得た僕の答えであり、もしあなたがそれに影響されて心から納得できてないまま決断を下すなら、僕はせっかく天からあなたに与えられた経験を邪魔して自由意志の価値を下げてしまったことになってしまうでしょう。

僕はあなたに、例え相手が誰であれ「他人からどう思われるか」によって自分の人生の決断を下して欲しくないのです。自分なりにたくさん失敗して、たくさん悩んで、たくさん試行錯誤して、魂レベルで納得しながら前に進んで下さい。

それでは、あなたの悟り・幸せを心から祈っています。


【関連質問】




2025年4月2日水曜日

コミュ障を克服したい(再質問)

【質問】30代前半・男性 ペンネーム:脳汁

真也さん、こんにちは。一年ほど前に質問させていただいたペンネーム脳汁です。以前コミュ障を克服したいに回答をいただきました。

その時は、エゴの塊で他人に対する愛に欠けてるのだと痛感し、オドオドしたり、とにかく周りの目を気にしたりしてそれが相手に伝わってるのだと痛感し、職場でも本当の自分をあえて隠してプライベートな部分を開示してなかったです、そりゃあ相手も心を開いてくれないなと気づき、今まで自己啓発やノウハウコレクターになりがちでした。

周りの人への気づかいや思いやりのかけらもない人間だと痛感したつもりでした。この質問をきっかけに自分を愛し周りの他人を全員愛せるようになりますと言ったのですが…

一年経った今ほとんどその時と状況が変わっていません。むしろ悪化した気がしないでもないです。情けないです。真也さんの言ったことが何にもいかせてないです。主人公として目覚めてないです。NPCのままです。エゴまみれです。性欲でバカみたいにメンズエステに行ってしまいます。彼女なんて到底できそうにありません。職場でもまだまだ好かれる気配がありません。正直、挙げていただいたいくつかの方法を全くやってませんでした。逃げです。

このまま私の人生こんな感じで終わってしまうのでしょうか?真也さんに言われたことをやれば良いと一瞬思ってもやらずに堕落した生活を送ってます。Xで変なノウハウを集めてしまいます。回答お願い致します。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

>このまま私の人生こんな感じで終わってしまうのでしょうか?

それを決めるのはあなたです。

>真也さんに言われたことをやれば良いと一瞬思ってもやらずに堕落した生活を送ってます。

お気持ちはよくよくわかりますけども、こちらからすれば「あなたのアドバイスは実行する気がありませんが、実行できるようにアドバイスを下さい」と言われている感じで、それはいくら何でも無茶だと感じます。僕が何を言ってもあなたは試してみることさえないことが事前に伝えられているからです。

僕はヒマだから無償で活動しているのではなく、みんなに幸せになって欲しいという純粋な愛で活動しているのです。僕がどれだけ心を込めて時間をかけて必死に無償で相談に応じているのか、あなたに伝わらないのが残念でなりません。一生懸命アドバイスしたことを何一つ実行して貰えずに「かえって悪くなった気がする」などと言われる僕の気持ちがわかりますか?結局何もやる気がないのであればChatGPTに相談した方が良いと思います(意外に良い知恵をくれます)。

僕は「お年寄りにインタビューする」とか、誰にでもできる事しか言ってません。100mを10秒で走るような、才能がある人しかできないような無茶なことは何も言っていません。それを何一つ実行しない人に何かアドバイスしたところで無駄に決まってますよね?せめて一つぐらいは実行できないのでしょうか?

あなたは変わらない事を主人公として自分で選択しているわけで、人生という「愛と勇気を試すRPG」において、逃げることしか選択せずにゲームが前に進むわけがないんですね。常に「愛と勇気が試されてる」と思って下さい。

心にも「慣性の法則」があるのであり、今までと違う動きをする時に一番エネルギーが要るのは当たり前です。そこから逃げたらいつまでも今まで通りになるのが当たり前です。だからハードルを思いっきり下げて、新しいことを何か一つでもまずやってみることからです。最初から完璧になんてできるわけないので、昨日よりちょっとでもできたら自分を褒めて下さいね。そうして流れに乗れば案外あっという間なんですから。

人生というRPGは成長の物語なのであり、当然逃げれば逃げるほど苦しくなるように創られているのですから、立ち向かった方が遥かにラクなんですよ。

同じ過ちを繰り返してしまうに書いたように、あなたの問題は自尊心の低さ・自己嫌悪であって、何か良いことをしようとしても「自分自身」が反発してしまうのでしょう。「自分は何て思いやりがない人間なんだ」「情けない」なんて責めたところで、思いやりのある人間にはなりません。それは自分自身に対する思いやりの欠如なのです。まず自分自身に対して愛情を持って「この人にもっと良い経験をさせてあげたい・幸せにしたい」と思って下さい。心からそう思うのなら、きっとそういう行動に繋がりますから。

まず自分自身を許し、毎日何か一つでもいいから、自分を好きになれるような行動をすることです。つまり人のために無償で何かすることです。それを一つ一つ積み上げて自分の中にある思いやりを育てて行けば、きっと自分を好きになれるようになります。

逆に風俗とかは自分を嫌いになる行為なので、行くなとは言いませんが、できるだけ行かない方が良いと思います。自分を嫌いになるような習慣を減らしていって下さい。

人の不幸の原因というのは、基本的に自他の存在に対して感謝の気持ちがないために信心がなく、報恩の精神がないからです。それでは全てを与えし創造主の愛をうまく受け取れなくて当然です。まず小さなことからでも感謝して、恩返しするように人に無償で尽くしてみて下さい。

そして前にもアドバイスさせていただいた通り、あなたはきっと仕事が自尊心を下げる最要因になっていると思うので、早いうちに変えた方が良いと思います。人の価値とは?に書いた通り、人間の価値は能力にではなく存在そのものにあるのですが、通常の利益追求型の企業で働けば能力の低い人はどうしてもキツく当たられてスケープゴートのようにされるのが必然で、それでは自尊心を保ちようがないので、早く辞めた方が良いと思います。いくら今の仕事で安定して給料が貰えたとしても、自尊心が低く死にたい気持ちで生きることがどれだけ損なことかわかったモンじゃないです。

繰り返しますが、あなたにおすすめなのは介護業です。お金のためではなく、お年寄りに思いやりを持って接して、話をいっぱい聞かせて貰って、自分という存在を喜ばれる経験を積んで下さい。もしそういう仕事を見下していて嫌だと思っているようなら、その考え方があなたを不幸にしているのだと思います。まずお年寄りとうまくコミュニケーションが取れるようになって下さい。話はそれからです。「コミュニケーションは楽しいのだ」と経験から気づかずに「傷つけられるに違いない」と恐怖の対象になったままでは、やる気が出ないのは当たり前のことです。やる前からツラいに違いない・ツマらないに違いない・意味がないに違いないなどと決めつけてバカにしないで一つ一つちゃんとやって下さいね。きっと楽しいはずですから。そこからも逃げるのならきっと一生あなたは変わりません。もう後がないのですから、今が本当にラストチャンスだと思って覚悟を決めて下さい。

あと変なセミナーとかヒーリングとか受けて高額な料金を騙し取られるのではなく、浄霊を受けて下さい。基本無料で寄付は任意です。できるだけ通って下さいね。あなたは霊障の問題が非常に大きそうなので、通ったら性格が変わるかも知れません。具体的にどこというのは勧誘しているみたいで言いづらいんですけども、世界救世教や真光あたりなら道場が多いので通いやすいと思います。信者になる必要は無いので、浄霊(お清め)だけ受けたいということを伝えて、無理に勧誘されそうになったら断って、断り切れなかったら別な道場に変えて下さい。

それでは、あなたの幸せを心から祈っています。

2025年4月1日火曜日

ヒマラヤ密教の大聖者に入門

【質問】29歳・男性 ペンネーム:けいいち 職業:会社経営

初めてのご相談・質問になります。普段からShinyaさんのnoteやTwitterを読み学ばせていだいています。

私自身、小さい頃から死への恐怖や真理を知りたいという好奇心、突き動かされる感覚を頼りに読書や経験を通じ、自分なりに探究を重ね生きてきました。その中で、ユングの深層心理学やトランス心理学という学問を通じ、個人の深い潜在意識の可能性に触れ、また、神秘体験の場面で自分一人の身で悟りへ道を歩むことの難しさを感じていました。

そんな折にアヤワスカという植物を知り、Shinyaさんのブログに辿り着いて、それ以来愛読させていだいています。また、LSDの服用を通して神秘的な体験や逆に人生最大の辛い体験(ある種、それも神秘体験ですが...)も経験し、Shinyaさんの記事を見てそういった形での修行は辞める事にしました。

そしてShinyaさんが仰るように、まずは身の回りにいる人達へ慈愛の心を持って接することが一番普段からできる修行だと思い、日々自分に関わる人へ感謝し利他心を持って過ごすことを心がけています。

前置きが長くなってしまい申し訳ないのですが、ここから本題に移ります。Shinyaさんのブログを知ったのと同時期頃にある友人から相川圭子(ヨグマタジ)さんという方の存在を教えて貰い、また、パラマハンサ・ヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」という本をお勧めされ、自分が今まで科学や宗教(仏教、キリスト教など)を通して学んできた事が統合された形で言語化されている事に大変驚き、ヒマラヤ密教に深い関心を抱くようになりました。

そして、自分なりに調べた結果、経歴やスピリチュアリティの世界での評価(インド最大の霊性協会、ジュナアカラにて最⾼指導者の称号を得るなど)など、信頼に足ると判断し、また、究極の悟り(サマディ)に達したヒマラヤ大聖者から力をいただける機会があるなら、一度試してみて、自分の身で持って経験してみたいと思い、入門してみる事にしました。

入門する際に、秘法やマントラの伝授と共に、ディクシャ(瞑想秘法伝授)というものがあるらしく、それを受けてみたいというのが一番大きい動機でした。

しかし、実際に入門するためにスタッフの話を聞いていくと、入門するためには〇〇万円のお金がかかることや、月に収入の〇〇%を支払わなければならないことなどを聞き、不安になってきてしまいました。

宗教には様々あり、本心から衆生を救いたいという思いで活動されている方も多くいることは知っているのですが、その一方で金銭の授受を目的とした悪徳宗教も同じだけ存在しているだけに、どうなんだろうという気持ちが拭えなくなってきました。(運営費などにかかるというロジックは分かるのですが…)

そこで質問なのですが、Shinyaさんは相川圭子(ヨグマタジ)さんやヒマラヤ密教についてご存知でしょうか?

また、上記についての判断の糧になるようなアドバイスをいただけますと幸いです。

長文になってしまい、ご負担をおかけしてすみません。どうか、ご回答いただければ嬉しいです。よろしくお願い致します。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

>相川圭子(ヨグマタジ)さんやヒマラヤ密教についてご存知でしょうか?
いえ、存じ上げません。個人的にそのような人(もの)には全く興味がありません。

恐らくあなたはものすごく根本的な部分で僕を誤解されていると思います。僕は自分が悟りに至りたいと思って修行をしているのではなく、世界(みんなの魂)を救うために修行をしています。悟りはその手段に過ぎません。そういう考え方なので
>究極の悟り(サマディ)に達したヒマラヤ大聖者から力をいただける機会
なんて聞くと、正直鼻で笑ってしまいます(ごめんなさいね)。まず自分のプロフで「大聖者」なんて自称して恥ずかしいと思わない感性からしてまず悟りから遠い感じがします。ましてそれでお金儲けをしているのならね。まるで稲中のテッシンみたいです(彼もまさに詐欺師でしたしね)。

もし究極の悟り=世界(みんなの魂)を救うための方法を知っている人がいたら、世界は既に救われているはずですから、自分で探求する以外にないと僕は思っています。人生は自分をプレイヤー(主人公)とするRPGなんですから、それは仕方のない(もとい、有難い)ことなのです。だから僕はこの世の全てを先生のように思って学んでますが、悟りについては誰か師匠的な人に弟子入りして教えを受けようとは思っていませんし、どこの宗教・スピの団体にも所属するつもりはありません。また弟子を取ったり宗教団体を作るつもりもありません。組織は腐敗が必然であり、悟りは組織化できるものではないと知っていますから。創造主と自分の関係は一対一なのですからね。

そしてもし世の中に「究極の悟り=世界(みんなの魂)を救う方法」を知っている人がいたとしたら、その教えを秘密にするべき理由はないはずです。みんなを救うためにはその教えを遍く伝えなければならなくなるのが自明ですしね。実際、釈迦はそうして完全無償で教えを説いて回ったのでしょう。その釈迦がもし現代に生きていたとして「秘密の教えを伝授する代わりにお金を払って下さい。払えない人には教えられません」なんて言うと思いますか?

だから僕は「〇〇万円を払って入門し、収入の〇〇%を払い続けられる人だけに秘密の教えを特別に教えます」なんて言う人を絶対に信用しませんし、そのような人にもその教えにも全く興味がありません。悟りというのは衆生を救うためのものであって、自己利益のために利用するようなものじゃないんです。

そしてあなたの「権威がある人だから信用する」という考え方自体が、僕の考え方とは根本的に違うのです。もちろん考え方は人それぞれですけどもね。僕はアンチ権威主義ですし、特に権威をこれ見よがしに見せることで信者と金を集めようとする人物って僕は全然信用できないんですよ。麻原彰晃だってダライラマの権威とヨガの知識を利用して信者と金を集めていましたしね。その相川圭子(ヨグマタジ)さんが何者か僕は全く知らないので、その方がそうだとは言いませんけども、もしその方が自分で教えを実践することでその素晴らしさを伝えられず、権威に頼って信用させるような宣伝をしてネットで地引網みたいに信者と金を集めようとしているのなら、答えは自明かと思われます。

もしあなたがどうしても行きたいのなら僕は止めませんし、結局あなたが行きたければ行くのでしょうから止める意味もありません。仮に僕が止めることであなたが難を逃れたとしても、あなたが自分で経験を積んで判断できるようにならないのなら、結局はまた別な人に騙されることになるでしょうから、やっぱり止める意味がないと思います。

あなたが実際その方のところに行ってみて良かったと感じるか騙されたと感じるかは僕にはわかりませんが、人生にはその人にとって一番必要な経験が与えられるのだと信じています。だからあなたが経験したいことを経験して下さい。

僕もスピ系の誰かを「この人は信用できますか?」みたいに聞かれる度に逐一調べて判断する「スピ詐欺チェッカー」みたいにして使われたくないですし、その結果責任も取れません。スピ詐欺師やその信者の人たちから敵扱いされて攻撃されても面倒臭いですしね。

<さとり四カ条>
①偉くなろうとするな。(自他全ての存在が)尊いと知れ。
②特別になろうとするな。特別(主人公)であると知れ。
③日々愛を実践し、特別ではなくなること(差取り・ワンネス)を目指せ。
 
※他人の事も主人公として尊重し、目覚めを連鎖させよ
④幸せになろうとするな、幸せであると知れ
 ※与えられている価値に気づき、感謝報恩に生きよ。

あなたはとても好奇心が強く、興味があることは実践してみないと気が済まない方なんだと思います。それ自体はとても素晴らしい気質だと思います。ただあなたは修行によって何か特別なを手に入れて、特別な人間になって優越感を感じ、それによって自尊心を満たそうとしている部分はありませんか?人は己のエゴゆえに自ら騙されるものであり、人を騙そうと思ったらそのエゴを刺激するだけで相手の方から勝手に騙されてくれるものなのです。

日々の愛の実践より、神秘体験や神通力のようなものを求めないで下さいね。その姿勢は少なくとも僕の知る悟りとは真反対です。悟りはあくまでも日常の人間関係の中にあるものなのですから、出家や弟子入りみたいなことをして「特別な能力を手に入れなければ悟れない」みたいに考えないで欲しいです。神秘体験や神通力も含めて、その人に必要な経験は必ず与えられるのです。

今回厳しい回答になってしまっているかも知れず、大変申し訳ありませんが、愛ゆえですので、どうぞご理解いただけると幸いです。あなたの幸せを心から祈っています。

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追伸
アマギフの寄付をいただけるのは大変ありがたいですが、質問する際に回答の対価を前払いするみたいな感じで払わないようにお願いします。僕はこの活動で対価を得ようとは思っていません。だから寄付のあるなしに関わらず、常に全力で回答しています。

世界の救い方

【質問】 30代前半・女性 ペンネーム:Tipoo       職業:ピアノ・絵画講師 、アーティスト、フリースクールスタッフ              アヤワスカチャレンジャー 真也さん、こんにちは。 エゴによる悩み苦しみはかなり訂正されてきたんですが、今1つだけ願いがありま...