【質問】20代前半・女性
目標が無い、自分がしたい事がわからないのはなぜでしょうか?
今この瞬間を幸せでいたいと思っていますが、数年後の大きな目標はもちろん、一ヶ月位を目処にした目標なども特にありません。それに関して、全てを受け入れられる覚悟ができているのか、それとも諦めや逃げのようなものなのか、どちらなんだろうとふと思う時があります。そこから派生して、何とかなるだろうという気持ちで貯金や明日のこともあまり考えず、自分がどうしたいのかもピンときません。この事がたまにスカッと爽快に感じる時と、出口のない迷路の中にいるような不安に感じる時があります。今、楽しいことを考えていればいいのでしょうか。
【回答】
ご質問ありがとうございます。
自覚できていない人が殆どなのですが、人は誰しも「真理(覚り)」を求めて生まれてきています。あなたが今回質問していただいた「なぜ」自分のしたいことがわからないのか?という疑問も真理を求める本能がもたらしているものです。何事も疑問に思ったら簡単に諦めて誤魔化して流さず、答えを探し求め続けて下さい。必ず答えはありますから。
人生とはRPGそのものであり、あなたにはあなたという主人公だけに完璧にアレンジされたシナリオがあるのです。「宇宙の仕組み」に書いた通り、客観世界は存在しません。そしてあなたにはあなたの魂にとってベストなものがいつも与えられているのです。だから他人と比べてはいけません。まずは与えられたものに感謝することが大事です。
あなたのシナリオは「なかなかやりたいことが見つからずに苦しむ」というものなのでしょう。実はそれは多くの主人公に共通している要素であり、かつての僕もまさにそうでした。そういう苦しみがあったからこそ、目覚めた時の喜びが大きいのです。「自分がやりたいことがわからない」ってことの辛さは僕にもよくわかるのですが、まずは焦らないことが大事です。僕が目覚めたのは40歳も過ぎて自殺を決行した後ですから、まだ20代前半のあなたが焦る必要は全然ないと思います。
もしあなたが「早くから才能を発揮して自分のしたいことが完全にわかっているような人生」というのが絶対に幸せだと思っているのなら、それは幻想です。そういう人にはそういう人なりの苦しみ・不幸があるのです。どっちみち本物の不幸を乗り越えずに得られる本物の幸せなどありません。人生は修行なのですから、筋トレと同じでギリギリまで苦しくならなければ成長などありえません。だからどっちにしろ死ぬまで苦労するのだと達観して突き進めば何も怖いものなしです。ただ同じ苦労をするのなら自分が一番成長を実感できそうな道を選べば良いだけです。それなのにどこからにイージーな人生が転がっていると考えて、イージーな人生を送っていそうな他人を羨み、世間体のため・先々にラクをするために嫌な事の我慢代で目先の金稼ぎに生きようとするから無駄に苦しくなるのでしょう。
能力や有名・無名関係なく、他人というのは自分には絶対にできない経験を自分に代わって経験してくれている存在であり、自分は他の誰にでもできない経験をしている存在なのです。だから自分にも他人にも例外なくリスペクトを持って下さいね。本当は全員が創造主の分身なのですから。他人と自分を比べ、卑屈になったり・他人を羨んだり・逆に蔑んだりしてはいけません。
今現在に目標がないことを焦る必要は全くないのですが、ただそれは「何も考えずに流されても良い」という意味ではありません。
あなたの周囲のNPCたちはエゴにまみれ、我欲と保身のために生きる自分の人生を自己肯定(自己憐憫)し、それがまるで常識であるかのようにあなたにもそれを押し付けてくることでしょう。そしてあなたに将来を恐れさせて不安に陥れ、周囲と同じように「嫌な事の我慢代」で稼ぎ続ける奴隷NPC人生を強いて来ることでしょう。
脇役NPCたちはみんなそのように「一人で70数億人を救うのは無理だから、最初から誰も救わなくてもOK」「みんな世界を救おうとしないのだから、自分が世界を救わなくても誰にも責められる筋合いはない」「愛があってもお金を稼がなければ生きていけないのだから、愛よりお金が大事で、合法なら(バレなければ)不道徳も止む無し」というように考えて、世界を救う主人公になることを最初から諦め、エゴに埋没して我欲と保身のために生きています。
そんなディストピアな世界(舞台設定)の中で、主人公のあなたはただただ心にある愛を実践することで目の前の人を救って下さい。それは必ず連鎖するのです。もしあなたが人生でたった二人の人を救えたとしたら、その二人はまた人生で二人救うことでしょう。それがたった50連鎖するだけで何人になると思いますか?何と1000兆人なのです。その頃には世界が救われ、必ずあなた自身にその功徳が返ってくることでしょう。どうですか?自分にも世界を救えそうな感じがしてきたでしょう?
世界を救うのに他人と比較した能力の高低は関係ありません。有名になってみんなに評価される必要もなければ、金持ちや権力者になる必要もありません。必要なのは純粋な愛だけです。権力というのは強制力であり、お金は自分の欲求を望まない相手に強制するための権力分譲券です。それは愛とは相反する概念であり、NPCたちはみんな金・権力を求めて愛を失う人生を歩んでいますが、権力・金によって世界を救うことはできないのです。愛というのは相手の心を最も自由で幸せにするものであり、権力・金という強制力がみんなを幸せにするなどということは決してありえません。
人を救うということの本質は、相手を心から笑顔にすることです。相手を心から笑顔にできるあなたの才能は何でしょうか?例えば掃除とか介護とか、それが他の人でもできそうなことでつまらないことのように思えることでも、それがあなたに与えられた偉大なる才能であり使命なのだということです。いつでも心からの笑顔が人生という航海のコンパスです。自分と相手が心から笑顔になれるように思考し行動すれば道を大きく誤ることは有り得ません。
収入や将来性のことなどは一切考えなくて大丈夫です。「何を仕事にすれば一番稼げるか」ではなく「何をどうすれば相手に最も愛が伝わって笑顔にできるか」を考えて下さい。最初は全く無収入のボランティアでも構いません。家族や生活保護を頼ってもOKです。最初から稼げるような仕事である必要はなく、むしろお金を稼ごうとするとエゴに汚れてやりたい事(人を救う事)が見えにくくなってしまいます。
最初はどのぐらい稼げるかなとか世間体・社会的ステータスなどは一切気にせず、ひたすら目の前の人を救うことに尽力し、その喜びに目覚めて下さい。お金などは必ず後からついてきます。自分が好き・得意でしかも人が喜んでくれる事を5年10年20年続けて、食べる分すら稼げないなどということは有り得ません。愛によって世界を救おうと努力している人間を神々が見放すわけがありませんしね。
他人(NPC)との比較は一切しないで下さい。RPGで違うシナリオを生きている他のログインプレーヤーと自分とでゲーム進捗具合などを比べても意味がありません。現時点でどれだけあなたの能力が他人より低かろうと出遅れていようと全く関係ないのです。人生は常に思いついた時(心から納得できた時)がベストタイミングです。
人生は愛と勇気を試すためのRPGです。選択肢があれば、常に愛と勇気が試される方を選んでください。そちらが必ず正解ですから。RPGにおいてエゴ(我欲と保身)のための選択が最終的に正解であるというシナリオは有り得ません。
魂は永遠であり、この仮想現実世界の中で何かを恐れたりしてやりたいことをやらないのは本当にもったいないことです。あなたは気づかない間にこの世界で自尊心を下げられ、自分を過小評価しているに違いありません。だから失敗や過ちを恐れ、他人の評価を恐れ、「どうせ自分なんかには無理だから最初から望んでなかったことにしよう」と失望・傷心を回避するために自分の心にブレーキをかけっぱなしにしている状態なのでしょう。どうか自分と他人を例外なく許し、尊敬し、感謝し、愛することで、そのブレーキを解放して下さいね。
あなたはどっちみち「なんとかなる」ってことがわかっているのなら、もっと興味のあること・ワクワクすることにどんどん飛び込んでみて下さい。例えば何となく興味を持った国にいきなり移住してみるとか、あなたが感動したものを作っている人にいきなり弟子入りをお願いしてみるとか。若いんですから何も考えず直感に従ってもっと無茶して良いんですよ(若くなくてもそこは同じ事ですが)。失敗や過ちにこそ価値があるのですから、他者評価・他者比較とか何も恐れずに突っ込んでいって下さい。
「ものすごく興味が出て、めちゃくちゃやる気になるのを待ってから飛び込む」というように考えていては前に進めません。ちょっと興味が出た程度のことにも全力で飛び込んでいくのです。興味の対象そのものよりも、その「大した興味があるわけじゃなくても飛び込んでいける行動力」の方を大事にして下さい。例えその興味の対象をそれほど好きになれなかったとしても、その行動力があなたの人生をどんどん面白い方へ導くでしょう。そうやって人生をどんどん唯一無二の面白いものにしていって下さい。
今貯金がないとのことですが、身内に借りてでもぜひブラジルにアヤワスカの儀式を受けに来て下さいね。きっと導きがあると思いますから。
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