2022年10月12日水曜日

精神病・精神医学について

【質問】20代・女性
現在以下のような状況になっています。

・予定が入っても遂行できない。
・昼間起きていられず、外に出られない。 
・衝動を抑えられない(過食、暴力)。 
・自転車乗っている時など考え事に集中してしまってぶつかりそうになる
・何事も続かず、ずっと横になってしまっている。
・眠れないことがよくある。
・よく眠れた時でも日中どうしようもなく眠くなって寝てしまい、夜寝つけずそのまま昼夜逆転し、自律神経も乱れていく、という流れが多い。

などの悩みから、メンタルクリニックへの受診、投薬を検討しておりましたが、真也さんはメンタルクリニック(精神医学)についてどのような見解をお持ちでしょうか。

【回答】2025年10月10日更新
ご質問ありがとうございます。

あなたが挙げた症状は鬱の症状の典型だと思います。僕もかつてはほぼ同じ状況だったのでよくわかります。それはあなたが悪いわけでも、家族や他の人が悪いわけでもありませんから、自分も他人も責めないで下さいね。答えはいつでも「自分も誰も悪くないけど、自分が何とかしなければどうにもならない」です。

鬱というのは、人生という魂成長プログラムにおいて、悟り(真の幸せ)へ至るために必要な過程であって、程度の差こそあれ誰しもが経験するものなのです。不幸を経験せずに幸福は感じることができませんし、不幸がなければ成長しようという動機も生まれません。より大きな不幸は、より大きな幸せを感じるため・より大きな成長を期待されて与えられているものなのです。

人生という魂成長の経験機会が与えられていることに感謝せず、被害者意識に陥って我が身の不幸を嘆いてばかりいることは成長に反するベクトルであり、より不幸に導かれるのが必然なのです。

世界の本質はワンネスなのであり、脳というのは自分が損をしても得をしてもダメージを受けて鬱になるようにできています。だから損得勘定を持つこと自体が鬱の直接的な原因であり、不幸の元凶なのです。しかし人間は「得をした」と感じる時には快楽物質が出るために、そのダメージに気づけないようになっているのです。そして今の資本主義社会においては、損得勘定で生きることが当たり前になっていて、気づかない間に鬱になっているエゴジャンキーばかりになってしまっているのです(それが我々に共通した人生というRPGの初期設定です)。


鬱というのは基本的にそのように「エゴに埋没すること」を原因としており、またその様々な症状によって更にエゴに埋没して他人のことを考える余裕がなくなり、心に愛をなくして自分自身も他人も世の中もみんな嫌いになって、どんどん悪循環に陥ってしまうのなのです。

鬱の症状というのは「自分の考え方に歪みがあり、自他に対して愛が足りずエゴに埋没していること」を脳が教えてくれているのであり、魂に成長を促すための「脳の正常反応」なのです。だから鬱というのは考え方を治して魂的に成長し、エゴを乗り越えて愛に生きるようにならない限り決して乗り越えることはできないものなのです。

ところが現代医療は鬱の症状を「脳の異常」だと考え、薬などの科学的な手段によって症状(結果)の方を無理やり抑え込んでねじ伏せようとします。現代の精神医学はそのように事後対処的であり、精神というものを物質的に捉え、精神病による脳機能障害を結果ではなく原因と捉えているため、現代医学が精神病を治すことは不可能なのです。

もちろん統合失調症や精神錯乱など症状が急性かつ重篤な場合には現代精神医学の対処療法が必要な場合もあり、症状を緩和させている間に自然と快方に向かうこともあるのですが、薬物などによる対処療法に依存し続けさせていれば、「脳の正常反応」を妨害して魂的な成長経験機会を奪ってしまい、逆に根治を遅らせて余計に悪化させてしまうことになるでしょう。

精神病を「雨漏り」に例えれば、現代医学はバケツ(薬)で対処するのみです。そして雨が止んだら「ホラ、私のお陰で治ったでしょ?」って感じで患者をバケツ(薬)に依存させますが、実際は見えないところでどんどん原因が悪化して、また雨が降ったらより多くのバケツが必要になり、バケツ屋(製薬会社と精神科医)が儲け続けるだけです。


上記の動画を見ていただいたら「精神医療業界の本質」がどういうものなのかがよくわかるかと思います。

精神薬の開発において、治験なんてまともには行われていないのです。もしあなたが治験のバイトに登録しても、精神薬の治験なんてまず募集はないでしょう。精神薬は実際の患者をモルモットにして治験し、しかも半年という短期ですぐに認可が下りるので、高いコストをかけて治験を募集する必要がないのです。

そして一度認可された後は余程大きな副作用が多数報告されて因果関係が証明されなければ差し止めにはなりません。アメリカの銃乱射事件など猟奇的・破滅的な事件の犯人の多くも事件前に精神科で投薬治療を受けていてその因果関係が強く疑われていますが(特にSSRI)、投与されていた薬が販売停止・回収になったという話は聞きません。

精神薬と事件との因果関係の立証は困難ですし、例え立証されたとしても、せいぜいその対象の薬だけが注意の対象になるだけで、投薬治療全体が見直されるということはありえず、危険な薬を開発・販売した製薬会社も・認可した国も・処方した精神科医も一切責任は負わされません。政官民が利権でつながるのは現代の価値観・社会システム上の必然なのです。


世間的には精神病に対する投薬治療が科学的なものだと思われているのでしょうが、精神科で科学的な検査が行われていると思いますか?血液検査や脳波検査や脳内物質のPET検査やX線やMRIによる検査など、精神科では科学的な検査を一切やってません。まず機材さえ置いてないでしょう。


ただ単に精神科医がマニュアルを元に経験則で問診して、精神科医の匙加減一つで適当に薬を出し、効果が全くなかったり副作用が強く出れば薬を変え、症状が抑えられるまで次々に色んな薬を投薬するのみです。だから投薬治療というのはほとんど対処療法にすらなり得ておらず、精神医学業界というのは科学を装ったカルトの世界なのです。


製薬会社と精神科医にとって、とりあえず患者の目前の症状(気分)さえ誤魔化すことができたら儲けられるんですから、実際その後のことなどどうでもいいんです。余程ひどい過失がなければ責任を負わされることもありませんからね。むしろ患者が根治してしまったら儲かりませんから、製薬会社も精神科医も(少なくとも立場上は)患者の根治など望んではおらず、依存を続けたまま症状が良くなったり悪くなったりを繰り返してくれるのが一番良いのです。

患者の側も「自分の精神病は脳機能障害である」と考えれば「自分のせいではない」「薬で脳の機能障害さえ治れば問題は解決する」と救われた気持ちになり、「苦しい思いをしながら自分自身と向き合い、カルマ(課題)を乗り越えて魂を成長させよう」などとは絶対に考えなくなります。現代精神医学に頼ること自体が魂の成長とは逆のベクトルにあるのですから、カルマ(課題)が悪化するのは必然なんです。


人間誰しも個性があってどこか未熟ですから、とことん適用範囲を広げれば精神を病んでない人などいません。だからちょっとでも性格に難点があれば誰でも精神病と診断されかねないのです。例えばADHDとか発達障害なんていうものは、本来は人それぞれに与えられた個性(特性)であり、成長課題なのです。魂の成長というのは人によって進捗の差が激しく人それぞれなのに、より多くの人を病人扱いして養分にしたい製薬会社・精神科医と、カルマを他人のせいにして逃避したい本人やその家族たちのニーズが見事にマッチして、人々がどんどん薬漬けにされて何も良くならないまま養分にされ続けているのが現状です。


断言しますが、精神薬で精神病は治せません。精神病というのはあくまでも魂の成長を促すための「脳の正常反応」であり、「人生の課題を乗り越えて成長しようとすることなく、雪だるま式にカルマ(霊障)を蓄積すること」によって悪化するものだからです。人生というのは成長を経験するために与えられているものであり、精神病というのは魂の成長(カルマの解消)を怠ったが故に陥るものなのです。それなのに「薬によって症状(気分)だけを胡麻化すこと」によって根本的に解決するなどということはありえないのです。


本質的に精神薬は麻薬と一緒なのです。依存性があり離脱症状(禁断症状)が大きいのです。だから患者が「もう十分良くなった」「副作用の害の方が大きい」と自分で判断して急に断薬しようものなら、反動が大きく出て自殺したりするのです。この事実は断薬を求める患者や意見者たちを封殺するのに役立ち、製薬会社・精神科側は合法的に患者を薬物中毒にして自らの養分にしているのです。



精神科医の多くは、きっと「精神について学んで自分が救われたい、そして自分が救われたら精神を病んでいる他の人達を救うために生きたい」という純粋な気持ちで精神医学を志したのだと思います。しかし現代精神医学では自分自身も患者も全く救われず、根治できないことを知りながらその場凌ぎのために投薬し、根治(魂的成長)を遅らせて中毒に陥れて悪化させているのです。そして心の弱さゆえに自身の貧困と自尊心の崩壊を恐れ、生きていくためにはそうやってお金を稼ぎ続けざるを得ないと思い込まされ、結果的には苦しんでいる人を養分にする悪魔の僕(しもべ)となり果てているのです。精神科医っていうのはカルマの深い仕事だなと思います。それは人生という悪魔・霊障との精神的(霊的)戦いにおいて、神仏・真理を信仰せず、科学・資本主義に頼り魂的成長を怠ったことで深めたカルマです。


プライベートで精神科医を何人か知っていますが、みんな一様に病んでいます。自分の職能によって患者も自分自身も救えていないのですから無理もありません。でもそれがバレたら商売にならない(生きて行けない)ので、己の病んだ心を隠していつも健常者であるように装わざるを得ず、知識(本質からズレた方法論)ばかりを必死に仕入れ、それによって病気が良くなるかのように宣伝し、患者を募ることばかり上手になっているだけなのです。それを「患者に希望を持たせる」という建前によって自己正当化しながら。


きっと良心的な精神科医ほど患者に同情的で、毎日のように患者からネガティブな思念を受け取ることで病んでしまうのでしょう。それで多くの精神科医は患者に心から同情する余裕など失くしていて、何とか患者に引きずられないよう切り離して考え、ただマニュアル通りに問診して薬を出すだけの冷酷な自動販売機みたいになっているのです。それで患者は「わかってもらえない」と次々に病院を変えるわけですが、精神科医もほとんど「話をする・聞くのがうまいかそうでないか」の違いだけで、結局は投薬するしか手段を持っていないのです。


精神科医でも信心があって宗教やスピリチュアルなことに詳しく、霊的知識と研鑽を積んでいて、親身になって患者の相談に乗って良い方向に導ける人もいるのでしょうけども(そういう方々のご活躍に個人的に期待しています)、大半は信心も霊的知識・研鑽もなく、現代医学的な考えで精神を扱い、宗教・スピリチュアルなことには疎く、自覚のない間に自分自身と患者お互いのカルマを増幅し悪化させているのです。それゆえ精神科医の自殺率というのは非常に高く、霊障が原因で他人まで巻き込んで大きな事件に発展するケースも多々あり、「すすきのホテル殺人事件」などはその氷山の一角に過ぎません。


自分自身も家族も救えない現代精神医学で患者が救えると思いますか?現代科学は「意識とは何か?」ということすら皆目わかっていないのに。

僕は精神科医も製薬会社の人たちも可哀そうだと思います。心の弱さゆえに「利益至上主義」という悪魔に心を支配され、利益のためなら有害な薬をバラまくことも平気になって金の亡者になり果て、せっせとカルマを積んでいるのですから。でも彼らを責めても意味がありません。資本主義は合法的にお金を儲けるのが正義なのですから、現代の価値観・社会システムを変えない限り何も変わらないのです。


<精神病について人類が知るべきこと>

大原則:世の中の全ての問題は究極「愛の不足」が原因であり、逆に言えば全ての問題の解決策は「愛」であるということ。それはもちろん精神病という問題も例外ではないということ。

1.精神病は魂の成長を促す脳の正常反応であり、それは霊障(精神的・霊的穢れ)という形で表れ、
カルマの解消(魂の成長)の拒否することで蓄積し、重篤化していくものであるということ。

2.霊障(精神的・霊的な穢れ)はカルマ(成長課題)を構成するものであり、誰にでも例外なく与えられているということ。(広義では病んでいない人はいない)

3.カルマは成長経験のために乗り越えるべき課題であり、人それぞれにアレンジされた人生のシナリオ・伏線であるということ。(不幸・絶望を経験せずに本当の幸せは感じられないし、本当の愛(慈悲)は育くまれない)

4.カルマは自発的な信心と、自発的な成長を促すためのものである。(成長は自発的でなければ意味がない・医者や誰かに依存して成長はない)

5.霊障に犯されると誰でもエゴに埋没して鬱状態になり、放っておくと症状は悪化する。(逆にエゴを乗り越え愛に昇華する実践修行の日々を送っていれば自然と良くなる)


キリストが「人の中から出て来るものが、人を汚すのである」と言った通り、霊障(精神的・霊的穢れ)というのは自らが出している穢れなのです。その穢れの蓄積によって精神病は起こるのであって、精神科に通って精神薬などで一時的に症状を緩和させても決して根治はせず、薬の依存症になってその副作用で状況をむしろ悪化させてしまうのです。霊障ふぁカルマを構成しているのであり、精神病は成長のプロセスであり乗り越えるべき課題なのだとどうか理解して下さい。

自発的に信心を強くし、日々霊障(穢れ)を祓い、自分自身と向き合って課題を克服して魂を成長させない限り精神病は決して解決することはありません。もし僕を信じて下さるのなら、精神科には行かないで下さいね。僕自身も長年通いましたが、ただ悪化するのみでした。精神病が完全に治ったのは、覚りを得てその通りに実践する日々を送るようになってからです。※現在働けないほど重篤で生活保護が必要なら精神科に診断してもらうのは必要悪であり、障碍者手帳が必要なレベルなら通院は不可避です。

「精神病とは霊障である」という点については憑依現象(霊障)についてに書きました。霊(≒精神)というものは現代科学で存在が証明されていないというだけで、すこぶる科学的なものなのです(システマティックであり、条件から結果を・結果から原因を推測し得るという意味で)。


そこに書いた通り、「自分」というものが最初からあると思わず、いかなる気分の時でも続ける良い習慣を持って気分に流されず、いかなる時も自分との約束を守り、大好きな「自分」を芸術作品のように日々作り上げていくことが大事です。そして信心を持ち、日々霊的穢れを祓い続けることです。いつも心を善意で満たし、良くない思考・行動に支配されないようにして、常に心の波動を高つことが大事です。

しかし「精神病とは霊障である」というと拒否反応を示し、何もわかってないクセにムキになって否定してくる人が結構います。恐らく霊というものを幽霊のようなおどろおどろしい・非科学的で怪しいものだとイメージして、恐ろしさゆえに存在ごと否定したくなるのでしょう。実際そういうイメージを悪用して脅して暴利を貪ろうとする宗教・スピの詐欺師が世の中には多いのですから無理もありません。ただ僕は怖がらせようとしているのではなく安心させようとしているのであって、脅しによって儲けようとしているのではないんですけどね。まずは悪い思考や行動が霊障によりもたらされている」ということに気づき、自分と他人を責めるのを同時にやめて許し愛せるようになっていくことが大事です。

バイオハザードでゾンビが出てくるのはプレイヤー(主人公)の自分が悪いからではありません。それはゲームのシナリオ・初期設定・課題なのであり、ゾンビの存在を否定したり、ゾンビウイルスを作ったアンブレラ社やゲームそのものを作ったカプコンを責めてもゲームは前に進みません。精神病(霊障)もそれと同じで、誰のことも責めることなく、日々粛々と自分の課題として乗り越え続け、成長し続けていかなくてはならないのです。


「霊とは何か?」については浄霊の効果を高めるには?に概要を書きました。これを読めば、霊的な穢れを祓うには自発的に信心を強くし、エゴを乗り越えて魂を成長させ続けなければならないということが理解できるかと思います。


「精神病が霊障である」と信じることは、必然的に神仏を信じることにもつながります。しかし精神を病んでいる人というのは自分の思考・行動に罪悪感を感じているため、裁かれるのを恐れて神を信じようとしないのです。許していないのは神ではなく自分自身なのだということに気づかなければなりません。今あなたが自分の性格だと思っているものは霊障がもたらしているものであり、あなた本来の性格ではありません。克服すべき課題であり成長過程なので、今現在の性格に罪悪感や劣等感を持つ必要はありません。

霊障には人を不幸に導くことで「何が間違っているのか(愛の不足)」に、経験を通して自ら気づかせるという役割があります。霊障に犯されると誰でもエゴまみれになり、ネガティブな自分のものの見方を絶対的なものと思って疑うことすらなくなり、傷つくことを恐れて人を恐れ、人を嫌い人に嫌われて孤独になり、自分自身を嫌いになり、不幸へと導かれます。幸福になる道とは真逆の思考・行動になるので、「どうすれば幸福になれるのか?」は、精神病の人を逆説的に見ていると、とてもわかりやすいのです。

「霊障とはカルマであり、それは魂の成長のために与えられた課題・シナリオである」という点については悪いカルマの解消法に書きました。自分が主人公であることに気づき、絶対に他人と自分を比べないことです。「なんで自分だけこんな・・・」などと自分の境遇を恨んで被害者意識に陥っていたら精神病は絶対に良くなりません。どんな苦難も自分の魂の成長のために与えられた課題だと理解して、感謝しながら受け取って下さい。創造主は僕らの統合意思でもあり、僕らと全く同じように、与えられたものに感謝できない人間にもっと良いものを与えたいとは思わないのです。


そして精神病は基本的に自他に対する尊敬(愛)不足の病気であり、自他に対する尊敬(愛)を回復できれば自然と治ります。誰でも自信満々になれる方法は必ず読んで下さい。これは本当に万能の解決策であり、能力は一切関係なく、覚悟さえあれば誰にでもできることです。出会った人を例外なく無条件で許し、尊敬し、感謝し、愛することができるようになっていけば、自尊心を回復して精神病は治るのです。これは経験上の確信があります。


どうかこの回答によって自分を責めて自尊心を下げないで下さいね。自尊心が下がると「どうせ自分なんて」という感じで思考も行動も悪化する悪循環に陥りますから。それは反省してはいけないに書いた通りです。楽器の演奏と同じで、最初どれだけできなかろうと毎日ちょっとずつでも心がけて続けていれば必ず上達するのです。それを「自分には生まれつき才能がない」などと言っていたらいつまでも上達することはありません。


どれだけしがない庶民の役を演じていても、あなたが物語の主人公なのですから、自分を他人とは一切比べず、自尊心アゲアゲで行きましょう。

「愛」という言葉は恋愛や家族愛に限定して捉えられがちで、異性や家族に愛されないとまるで自分の愛には価値がないかのように思ってしまいがちですが、それは違います。世界中の神々ですらあなたの愛を欲しがるのです。存在の尊さに気づいて下さいね。創造主(全存在)はあなたの愛が必要だからこそあなたを創り、あなたに人生=世界を与えたのです。出会いを大切にして、一人ひとり・一つ一つを愛せるようになり、自分自身を愛せるようになれば、創造主(全存在)から愛されるようになり、精神病は治り、きっと幸せになるに違いありません。


もし僕の文章を読んで理解できないほど重度の精神病の方や知的障害の方であれば話は別ですが、あなたはきっとそうではないのですから、読んで理解して実践すればいつか必ず治ることを創造主の代理として僕が保証します。

それではあなたのさとり(魂の成長・幸せ)を心から祈っています。



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