【質問】20代・男性
僕の周りには夢のために頑張っている人が少数ですがいます。彼らは音楽やビジネスなどで大成し、地位と名誉と富を得たい・認められたいという思いが強く、そのための努力を怠らないような人達です。僕からみると眩しく、自分なんかよりよほど輝いて充実しているように見えます。結果を残し始め、周りよりお金を持っていたりする人も中にはいます。当然彼らはビジネスや音楽の分野で素晴らしい功績を挙げて素晴らしいものを作っていたりします。僕はそういう友達や知り合い、もっと言えばメディアに登場する同世代、そういう人にとてもジェラスを感じます。
自分の好きなことや得意なことでお金を稼ぎ裕福な生活を送っている彼らと、好きなこともなく、朝から夜まで働いても固定給で刺激のない日々を過ごす自分というギャップに、「他人と比べるものではない」とわかっていてもどうしてもやるせない想いが溢れてきます。それを才能の違いと言って片付けられるほどまだ僕はそう言った人たちのようになりたいという思いを諦めきれていないのです。
家族や恋人など、お金を持ってるわけでも特別な才能があるわけでもない僕を愛してくれる人がいて、それでも僕は満たされません。
こうやって文字を打っていて気が付いたのですが、お金が欲しいわけではないのかもしれないです。自分らしい生き方、自分の輝ける生き方、そういうものに憧れているのかもしれません。こんな僕に少しでも生きやすくなるようなアドバイスをお願いします。
【回答】※10月30日更新
ご質問ありがとうございます。お気持ち、よくわかりますよ。僕も覚醒前はそうでしたから。というか、それを言うと惨めになるから誰も言わないだけで、世の殆どの人が本音ではあなたと同じように感じていて、それでも何とか自分を慰め誤魔化しながら生きているのではないかと思います。全知全能の創造主は、ちゃんと理由があって人生をそのように初期設定しているのであり、それはみんなが共通して乗り越えるべき課題なのです。
映画撮影において、与えられた役やシナリオに不平不満ばかり言って真剣にやらないような俳優に、監督がより良い役・より良いシナリオを用意してくれるなどということが在り得るでしょうか?そこは人生も同じなのです。
人生はまさに映画でありRPGです。そしてあなたという主人公だけに用意されたシナリオがあるのです。あなたのその「劣等感に苦しむ」という経験も、魂の成長に必要だから与えられているものなのです。最初から満たされているようでは誰も成長しませんし、物語にはなりえません。
まず、嫉妬する人間・劣等感を抱えている人間というのは確実に「人に序列をつける考え方」をしていて、他者評価に依存し、それを自覚もしていないことが問題(課題)なのです。「人の価値とは?」・「誰でも自信満々になれる方法」の二つは必ず読んで下さいね。
多くの人は誰にでもある欠点や過ちを責め、存在に序列をつけて他人に嫉妬したり見下したりして「こういう人間は尊敬しない・感謝しない・愛さない」という判断を無意識にいつもしているから、それらすべての存在の源である創造主からの愛を受け取れず、他人から嫌われ、自分自身(人生)をも愛せなくなるのでしょう。嫉妬・劣等感に苦しむ人というのは、その自分と同じような人間に対しても「価値が低い」と判断して無意識に貶めていることに気づいていません。言わなければバレないと思っているのでしょうが、それは常に宇宙意思(全体意思)に筒抜けなのです。そしてそれは必ず態度にも表れ、相手に伝わっているものなのです。
今現在のあなたのような人は、例えどんな才能を与えられても、どんどん他人を見下すような嫌な人間になり、人に嫌われて不幸になり、能力が衰えればより落差の大きい劣等感に苦しむようになるだけです。現在成功しているように見える人たちも、もしエゴ(我欲や保身)・他者評価の為に努力しているようであれば、恐らくはそうなってしまうことでしょう。
あなたは才能があって努力もしていて早くから評価されている人間が必ず幸せだと思い込んでいるようですが、そういう人たちにはそういう人たちなりのシナリオがあり苦しみがあるのです。あなたはまだ聖書を読んではいないでしょうが、世の栄華を極めたサウル王でさえダビデへの嫉妬のために身を滅ぼしたのです。才能があって努力して成功して他者評価を得て裕福になれば必ず幸せになって誰にも嫉妬しなくなると考えるのは幻想です。
世界のすべては二元的に存在していますから、不幸を乗り越えずに感じられる幸せなどないのです。「なかなかやりたいことが見つからず劣等感に苦しむ」という経験も、あなたの成長に必要だから与えられているのです。
このすべてがプログラムされたRPGの世界に偶然など何一つなく、あなたと僕との出会いや、あなたの家族・恋人との出会いも含めて、あなたはすべからくベストな存在とベストなタイミングで出会っているのです。「世の中にはもっと素敵な人がいる」「自分には才能も運もない」などという感じで、与えられた才能や人・出来事との出会いに感謝の気持ちが薄いから、創造主からの愛が受け取りにくくなっているのでしょう。
創造主そんなあなたでも愛してくれる人に出会わせてくれているのに、あなたは心から尊敬し感謝し愛せないから満たされないのでしょう。それは出会いを与えてくれた創造主への最大の不敬なのです。大切なことは出会った人を自分が主役の人生の共演者として例外なく尊敬し、感謝し、愛することです。人・出来事との出会いに偶然はなく、すべて自分の魂の成長にとってベストなものが与えられているのですから、「どこかにもっと素敵な人がいるに違いない」などと考えて目の前の人・出来事を全力で愛さない人が、すべての存在の根源である創造主からの愛を受け取れるわけがなく、不幸に導かれるのは当然なのです。我々はそこに気づいて出会いに感謝して自発的に全力で目の前の人・出来事を愛するべきなのです。
そして「宇宙の仕組み」に書いた通り、あなたが「客観的世界」の中に生きているという思い込みを捨てなければいけません。ネットゲームでログインしている人が全員主人公であるが如くです。主人公であるあなた以外の人は、どれだけ有能で有名だろうと、あなたの世界の一部でありNPCのような存在です。NPCたち・同じ世界線にログインしている他のプレーヤーのゲームの進捗(どこまで進んでいるか、才能・権力・金・他者評価をどれだけ持っているかなど)はあなたに全く関係ないのです。あなたはあなただけに用意されたシナリオのRPGをただ思いっきり楽しめば良いのです。
あなた=あなたの認識世界です。才能がある人がいたら、あなたの世界の一部が素晴らしいということですから、その存在に心から感謝して愛することです。例えばあなたの好きな曲は創造主がそのアーティストというアバターを通じてあなたを喜ばせ元気づけるためにあなた個人に与えてくれたものなのです。アーティストの才能に嫉妬なんかしていたら、創造主からのせっかくのプレゼントが受け取れません。
どうかすべての存在をただありのままに愛してみて下さい。才能であれ性格であれ「このようでなければ愛せない」と自分に対しても他人に対しても愛情に条件をつけないことです。ただありのままを愛することができたなら、その存在はあなたの心に写し取られ、本当にあなた(=あなたの認識世界)の一部となるのです。この物理世界において何かを物理的・権利的に手に入れようとすれば、あなたの手にするわずかな固定給などではほとんど何も手に入らず苦しくなるだけでしょう。
この世界は夢の中と同じです。あなたは夢の中で夢であることに気づいたら、何かを得ようとか残そうとかするでしょうか?それは無意味であるとすぐにわかるでしょう。この現実世界は仮想現実世界であり、夢と全く同じなのです。実際次の旅には「魂の記憶」以外に何も持っていけませんからね。あなたが現実だと思っている世界はあなたが死ぬ時にきれいに消え、次の旅には何一つ持っていく事も残すこともできないのです。だからあなたの精神世界(=魂の記憶)を愛で満たして下さい。この世界をどれだけ愛せたか、どれだけあなたの精神世界を愛で満たせたかがあなたの人生の価値です。
あなたは「平々凡々で何の才能もない自分のことなど世の中の人は誰も気にしない」と思っているかも知れませんが、あなたの人生という映画を、創造主も諸神諸仏も楽しみに見ています。一秒たりとも止むことなく全てを、です。彼らが有名人・金持ち・権力者だけを見ていると思ったら大間違いです。必要のない存在など何一つこの世界に生じることはないのです。
「男はつらいよ」の渥美清さんは、映画の中ではしがない庶民「寅さん」の役であり、誰も彼に対し有名人に対するようなチヤホヤした態度は取りません。でも現実世界において渥美さんは超有名人であり、浅草などを歩こうものなら街がパニックになってしまってまともな生活などは営めなかったでしょう。あなたも同じであり、この現実という映画の中でしがない庶民役をやっているだけで、天界では超有名人なのです。諸神諸仏もあなたと同じように人として生きて劣等感に苦しんだ記憶があるわけで、きっとあなたに同情・共感して応援しながらあなたの人生を見守っていることでしょう。あなた自身も人間界での苦労を経験しているだけで、本当は神仏と同じ存在なのです。未来のメシアであり菩薩なのです。
あなたはまだ自分の存在の尊さに気づかず、自分など大した存在ではないと思って、世界を救うなどということは考えもしないのでしょう。しかし世界を救うのに有名人・金持ち・権力者になる必要はありません。あなた=世界であり、あなたの肉体(アバター)が一体で世界を救うのではないのです。あなたが目の前の人を愛し、救い、それを連鎖させるだけで良いのです。あなたがたった二人の人間を無償で救ったなら、その二人もきっと無償で二人の人間を救う事でしょう。それがたった50連鎖するだけで1000兆という途方もない数字になります。連鎖反応というのはそのように指数関数的に広がっていくもので、最初はひどくゆっくりに見えても末にはとんでもないペースで進んでいくものなのです。
どうか有名人・金持ち・権力者になること(他人に評価されること)を目指さないで下さい。それは多くの日本人が陥っている病理「他者評価依存」であり、他人に評価されなければ自分を評価できないようでは常に他者評価に振り回されて結局は嫉妬・劣等感に陥り、幸せになどなりようがないのです。
「どれだけ世間的に無名だろうと、全知全能たる創造主はそのすべてを見通し、誰が世界を救っているのかを知り給う」
創造主があなたに譲渡した「自分を評価する」という最大の権限を易々と他人に譲ることなかれ。
とにかくエゴ(我欲と保身)を動機にやりたいことを見つけようとしないことです。そんなことをするからあなたは本気でやりたいことが見つからず、貧困・孤独などを恐れて保身に走り、やりたくもないことの我慢代を貰う為に時間という素材を空費するような人生になっているのでしょう。
そんなあなたでも愛してくれる存在を与えてくれている創造主が、あなたをどれだけ愛しどれだけ成長を期待しているかわかるでしょうか?そしてその価値を感じられず満たされないなどという事がどれだけ愚かなことか、失ってみて取り返しのつかない後悔をする前にわかって下さいね。
与えられているものの価値に気づかず感謝できない人間に創造主はもっと与えたいとは思わないのです。そして与えられたものの価値に気づかず感謝できない人間は、既に与えられたものまではぎ取られ続け、失う事でその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうのです。だから自分に与えられた配役やシナリオに対して決して不平不満を言わず、常に自分の魂の成長にベストなものが与えられていると信じて感謝して下さい。
この人生というRPGは愛と勇気を試すためのものですから、思考・行動の選択において、より愛と勇気が必要な方が最終的には必ず正解です。エゴ(我欲と保身)による選択が最終的に正解であるなどという主人公のRPGや映画を見たことがありますか?世界を救わないRPGなんて何も面白くありません。自分と創造主の関係性は常に一対一であり、他人(世間)=NPCの思考・行動は一切言い訳には使えないのです。
どうかすべての存在を愛し、世界を救う覚悟を持って下さい。あなたの夢やそのための才能は、世界を救おうという覚悟に付随して与えられるものです。
あなたはまだ20歳という若さで「自分には何の才能もない」などと思い込んで自分を蔑み、それを好きでも得意でもない仕事をして生きる言い訳にして、もう人生を諦めようとしているのでしょう。一日の大半を全然やりたくない仕事に空費していたら、人生の大半がやりたくないことに満たされることになります。ただエゴ(我欲と保身)のためにやりたくないことを我慢してやっていたら、やりたいことなど見つかりませんし、あなたの中に例えどんな才能が眠っていても見つかることも伸びることもありませんし、成長などしようがありません。そしてそんな人生で人が、存在することに心から感謝して幸せになれるはずがありません。
退路を確保するために人生を使っていたら、退路を断って前に進んでいる勇者たちに太刀打ちできるわけがないでしょう。それで彼らへの嫉妬・劣等感から逃げ続けていつか追い詰められるような人生が楽しいわけがありません。あなたの「少しでも生きやすくなるように=少しでも楽に生きられるように」という発想が既に逃げなのです。エゴ(我欲と保身)を乗り越えるためには=世界を救うためには、自分を放り投げるほどの勇気がいるのです。それが簡単でないのは当たり前です。人生は愛と勇気を試すためのRPGなのですから。最初から何も恐れない人の勇気に何の価値もありません。臆病なあなたが振り絞る一握りの勇気にこそ価値があるのです。
自分の人生をよくよく振り返ってみて下さい。あなたが人を笑顔にして嬉しくなった経験はどんなものですか?例えば料理や清掃や介護やイベントの企画運営など、それが無償のボランティアで一円にもならず、どんなにあなたや他の誰かからつまらなく見えたとしても、それがあなたの才能なのです。他人と比べたりすることなく、最初は全くお金が儲からなくて家族や生活保護を頼ることになっても、人を笑顔にする才能を伸ばすことに一日を使って下さい。お金は必ず後からついてきます。部活だって中学高校で6年もやっていたら、それをやっていない人達とは雲泥の差ができるでしょう。人を喜ばせるために10年20年努力してお金を稼げないレベルで終わるわけがありません。そして創造主の分身たる人々を笑顔にすることに全力を注いでいる人間が創造主から見放されるわけがありません。
実際僕はいつも人を笑顔にするために生きて自分も笑顔になっているため、働かなくても何の不安もなく幸せに生きています。才能もどんどん与えられて開花しています。たった3年でです。まだお金など全然稼げていませんし稼ごうともしていませんが、人を幸せにする人生ほど幸せなものはありません。
最初からものすごく興味が出てものすごくやる気になってからでないと行動できない、というのでは何もできません。何かの才能なんかより「ちょっと興味が出た程度のことでも全力で突っ込んでいける勇気」の方が大事です。年齢は関係ないですが、特に若い人には大事なことかと思います。それによってあなたの人生はとてつもなく面白いものになるよう導かれていく事でしょう。それは早くから才能に目覚めて簡単にやるべき事に導かれた人達の人生よりずっと面白いはずです。
お金がないことで人から見下されてみじめな思いをするのではないかと臆病になっているようでは何もできません。RPGの主人公なのに世界を救おうともせず、やりたくないことの奴隷になっている脇役NPCでは、上位次元の存在達があなたというキャラクターをプレイしたいとは思わないのです。
人生はしょせん仮想現実のRPGです。他者評価も貧困も死も何も恐れるに足りません。全ての存在を愛し愛されていれば、すべての存在の源たる創造主がみんなを通じて助けてくれます。やりたくないことに人生を使って才能ある人たちに嫉妬して劣等感に苛まれ、自分や他人を愛せず、「自分の精神世界を愛で満たせない事」をこそ恐れて下さい。精神世界だけが次の旅に持ち越されるものなのですから。
何より信心を持って下さいね。すべての存在・事象の源である創造主を愛し、その使いである神々と人々を愛することです。全知全能の創造主に対して僕らができることは、ただただ全ての存在(出会い)に感謝し、創造主の分身(欠点も過ちもある神々と人々)を愛し、無償で奉仕することだけなのです。
社会的成功(他者評価・お金)によって人は決して幸せにはなりません。人生というのは魂の自発的成長のために与えられているもので、真理(=愛)を覚ってそれを世界に連鎖させていく以外の方法で幸せにはなれない仕組みになっています。
まぁ20歳の時の自分にこんなことを言っても伝わる気が全くしないのですが、何とか伝わってあなたとあなたの周囲の方々の人生が幸せなものになることを心から祈っています。
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