2022年10月1日土曜日

苦手な人を許すのが難しい

【質問】20代前半・男性
また、人間関係で相談したいことがあります。相手を許すことが難しい場合にはどうすればいいでしょうか?

同じ部署の上司の内の1人が私を冷遇していて、すごく苦手で辛いです。挨拶をしてもちゃんと挨拶を返してくれず、他の人と話すときはテンションが高いのに自分と話すときは異常にトーンダウンします。仲を深めようと雑談をしようと思っても「知らない、うん」でバッタリ切られるので仲を深めようもありません。自分も雑談が苦手だったり話しかけやすい雰囲気ではないですが、何か嫌なことをしたわけでもないのにこの仕打ちは傷ついています。愛する前に許そうと思っても難しく、自分側の傷が問題かと思ってソルフェジオの音楽を聞いたりセドナメソッドのようなことをしてもあまり改善されず困って居ます。「なんで自分に冷たいんですか?」と直接言っても、その後余計ギスギスしそうで…。今まで我慢してやり過ごしてきたのですが、もうそろそろキツいです。

【回答】※10月7日更新
ご質問ありがとうございます。

基本的に人の悩みというのは(抽象度を上げれば)共通であり、あなたのその悩みは殆どの人に共通するものです。今回も未だ主人公に目覚めずNPCをやっている魂の兄弟たちを代表して、質問して下さったあなたに創造主の声を代弁して伝えたいと思います。

まず、苦手に感じる相手が誰もいない人なんていると思いますか?また理不尽に自分を嫌ってくる相手が誰もいない人なんていると思いますか?それは人生というRPGにおいて必要な配役なんですね。そしてそれはみんなが共通して通らなければいけない初期設定の課題であり、過程なのです。鬱になると周りが見えなくなるものですが、決してこの問題で悩んでいるのが自分だけであるかのように考えないで下さい。もちろん僕自身もかつては同じ問題で悩みました。

あなたがよっぽど好き嫌いが激しい人でない限り、苦手な人は10人に1人もいないでしょう。その確率ならどこかにあなたの苦手な人が一人もいない環境があっても良さそうなのに、どこに行っても(家族内でさえも)例外なく「この人さえいなければ」という苦手な人がいたはずです。それはあなたの成長に必要だから与えられている配役であり、決して逃れることはできないのです。

魂の成長プログラムであるこの仮想現実世界に偶然など一つもあると思わないで下さい。ただクリエイターが自発的成長を促すために手塩をかけて全てを偶然だと思わせているだけです。必然であることがわかり過ぎると強制しているのと同じになってしまい、人間に自由意志を与えた意味がなくなってしまいますから。無論僕とあなた(読者)とのこの出会いも偶然などではなく、全てが必然なのです。

人生というRPGにおいて、クリエイターのメッセージ(導き)は常にゲームの中における出会い(人・出来事)を通じてもたらされるのです。それを不快に感じるからといって避けたり恨んだりしていたらゲームは行き詰まるか事故るかしかなくなります。

note記事「誰でも自信満々になれる方法」において再三説明させていただいていることなのですが、どれだけ嫌って意地悪をしても、あくまでも自分を愛し抜いてくれるような人間を嫌いきれる人間などいません。だから自分さえ出会った人を例外なく愛し抜く覚悟さえ持てば、いつか必ず愛されますので、人を恐れる必要など全くないのです。

相手の反応を見て自分の反応を決めようなどと思うから、必然的に他人の顔色を伺ってビクビクするようになり、相手の態度に振り回されてあなたの人生から主体性が失われるのです。出会ったら相手の反応に一切関係なく相手が笑顔になるまであくまでも笑顔を続けると予め決めておいて下さい。あなたが笑顔になればみんな笑顔になります。花咲か爺のようにどんどん周囲に笑顔の花を咲かせて下さい。勘違いしないで欲しいのは、作り笑顔をすることが本質ではなく、出会いが嬉しくなって心からの笑顔・本物の笑顔になるように努力することが本質だということです。

そして出会ったら許し尊敬し感謝し愛すると決めておいて下さい。最初から決まっているのですから、あとはどのように許し尊敬し感謝し愛するかに100%頭を使えばいいのです。それ以外の選択肢が存在していると思うから迷いが生じ、つまらないことをあれこれと考えて疑心暗鬼に陥ってちょっとしたことで怖気づき、自分が嫌われた時の保険として相手の悪い部分を次々に探し出して、どんどん相手を嫌いになってそれが態度に出て、相手からますます嫌われるのです。そうやってどんどん悪いシナリオへと導かれるのです。

それはこの人生というゲームに共通した実に初歩的なトラップなのですが、あなたも他のほとんどの人達も見事にひっかかって何度も同じレベルでリスタート(輪廻転生)を繰り返しているわけです。

鬱傾向の強い人は自分をいじめて自尊心を下げるのが正義というか趣味みたいになって、その自尊心を回復するために他人を尊敬せずに欠点や過ちをあげつらって責めがちなのですが、自分も他人も創造主の分身であり、それを尊敬できないのは罪なことであり、悪業となって返ってくるのは当然なのです。

自分が主役のRPGはすべからく自分次第に作られています。そして人間関係というのは完全に鏡であり、合わせ鏡に映った自分に自分とは異なる個性が与えられた存在が他人なのです。相手も自己嫌悪を感じるポイントをあなたに見て嫌ってくるわけですから、あなたはそれを全然意に介さず相手を愛し抜くことで相手は自分の欠点や過ちが気にならなくなり、救う事ができるのです。誰かを責めてダメ出しや説教なんかしても人は救えません。どうすれば相手の自尊心を上げられるかを常に考えて実行して下さい。人は自分の自尊心を上げてくれる人を愛するのであり、自尊心が上がれば自然と良い思考・行動をするようになって自然と幸せに導かれるのです。

人間には個性というものがあり、それは欠点や過ちと不可分です。それを理由に自分や他人を愛さないというなら誰も愛することはできません。自分で良くないと思う部分は直したら良いと思いますが(それが成長ですからね)、どれだけ改善しようと個性(欠点や過ち)が消えることはなく、それを嫌う人がいなくなることもありません。愛というのはお互いの欠点や過ちを許し合い・補い合うことで生まれるものなのです。

人生はRPGでありシナリオのある映画です。そして出会う人はみんなあなたが主役の映画の共演者なのです。全員があなたに必要で創造主から派遣されている(無自覚な)俳優なのであり、それを悪役だからとか重要ではない端役だからとかそんな理由で避けて、許さず、尊敬せず、感謝せず、愛さないなら、あなたの人生という作品がどんどん悲惨なものになっていくのは当然のことなのです。

人生が物語であり出会う人がみんな俳優だと思うと、人生がとても面白くなりますよ。みんなカメラの前で他人役をやらせたりするとだいたい下手くそですが「本人役」だけは天才的にうまいですからね。あまりにも演技がうま過ぎてどこかの劇団を紹介したくなりますよ。もちろんあなたの人生の共演者の皆さんは(オラクルである僕は以外は)例外なく無自覚ですから「あなたは僕の人生の脇役ですか?」などと聞いても「そうです」と答えるわけはありません。気違い扱いされるので絶対に聞かないで下さいね(笑) あなた自身も出会った人たちそれぞれが主役の物語の中の無自覚な俳優の一人であり、相手の物語(成長)にとって必要だから出会っているのです。

人生というストーリーには悪役も必要なんです。自分にとって愛らしい人しかおらず、出会う全員から愛されていたら、誰も成長なんてしませんし、面白い物語になりようがありません。でもそれは必ず本当は良い人が悪役をやらされているだけですから、あなたがきっと愛によって目覚めさせてあげて下さいね。

片思いの存在意義」に書きましたが、愛の価値は「愛さない」というネガティブな選択が初期設定になっているからこそ生じるものであり、誰かに愛されないからと言って凹む必要はないのです。人に愛されないのは初期設定であり、そこを起点にスタートするのが普通なのです。だからこそ愛されることの価値を実感して感謝できるのです。みんな愛されるのが普通で愛されないのが普通ではないと考えるから、愛されないことに不平不満ばかり募らせるのでしょう。

悪役は必ず必要なのですから、例えどこの環境にいっても必ず現れます。それを避けてばかりいたら家族や親友などがその悪役を代わりに務めてあなたにとって嫌なことを言わなきゃいけなくなります。愛する人から嫌な事を言われるほど傷つくことはありませんから、ますます人を避けて孤独に陥ることになります。だからいかにも悪役っぽい憎らしい人が悪役を務めて嫌なことを言ってくれることはありがたいことなのです。ですから誰か意地悪をしてくる人がいたら、心の中で「悪役お疲れ様です」とつぶやきながら感謝して下さい。くれぐれも本人に言っちゃダメですよ(笑)

そしてあなたの人生が映画マトリックスであれば、ネオであるあなたを主人公(メシア)に目覚めさせるモーフィアス役と、ハッピーエンドに導くオラクル役を僕は同時にやっているわけです。

僕は質問箱においても「許すことが愛である」と再三伝えているのですが、実生活だと僕がそう伝えているそばからみんな「いや、でもあいつだけは許せん」みたいな話になるんですね(笑) そんな簡単に許せる相手ばかりだったら何の修行にもならないでしょうに。許し難きを許し、尊敬し難きを尊敬し、感謝し難きを感謝し、愛し難きを愛するのが修行です。

忍耐を伴わない許し=愛に存在価値はありません。自分に都合の良いものは赤ん坊でも愛せます。本当に大人になるということは、自分にとって都合の悪いものも(自分の成長に必要だから創造主が与えてくれた出会いなのだと)感謝し愛せるようになることです。

忍耐と我慢は違います。我慢は相手を心から許さずその場しのぎをしているに過ぎません。だからストレスが蓄積するのです。それは読んで字の如くエゴにまみれているってことです。相手を許してその成長を信じ、耐え忍ぶ忍耐こそが愛なのです。

心の傷がない人などいると思っているのですか?仮に心の傷がない人がいたとして、そんな人が他人に優しくなれると思いますか?傷ついているのが自分だけだなどと考えず、傷ついた分だけ相手の傷を気遣い優しくなれるようになって下さい。人の悪い行動というのはすべからく過去の傷が原因となって誤った悟り方をしているからなのです。

人生は愛と勇気を試すためのRPGです。だからより愛と勇気が試される方を選択するのが常に正解なのです。俳優として一番ダメな要素は「怠惰と臆病」であり、怠惰と臆病ゆえの選択は結果的にすべからく間違いなのです。この点について例外は一切ありません。「勇気なき愛は欺瞞であり、愛なき勇気は蛮勇である」愛と勇気は不可分のものです。恐らく自分を嫌ってくる相手を許すというのが一番愛と勇気を試される局面でしょう。この僕の回答を読めばどうするのが正解なのかはもうわかりますね?

相手の反応に一切関係なく、共演者全員に心からの笑顔で挨拶して下さい。どんなに嫌な反応をされても怖気づいてはいけません。どれだけ自分の笑顔がぎこちなくても一切気にしないで下さい。みんなを心から愛そうと努力していることだけみんなに伝わればいいのです。誰かとケンカしたら、次に会った時は全く気にしていないかのように笑顔で挨拶して下さい。

相手が上司なのなら「私は業務改善のために〇〇さんに徹底的にダメ出しされたいので、メシ(飲み)に連れてって下さい!」ぐらいの可愛いことを満面の笑顔で言ってみて下さい。きっと「これだけ意地悪しているのにめげない可愛い奴だ。こいつには何を言っても大丈夫だろう」と心を開いて色々言ってくれると思うので、そのダメ出しにいちいち傷ついて落ち込まず、心を開いて本音を言ってくれることに感謝しながら聞いて下さい。大事なのは内容の正しさよりも心を開いて言ってもらえることですから、どれだけその内容が気に入らなくても決して反発してはいけません。人間なんですから最初から完璧にできなくて当然ですし、完璧にできないからこそ成長を楽しむことができるのです。

とにかく誰の話も一切否定せずに真剣に話を聞くことです。あなたが今回のような質問をしたのは僕が書いた「誰でも自信満々になれる方法」の内容を完全に無視しているからであり、他人の話を(クリエイターからの導きとは思わず)真剣に聞いておらず、そのことに自覚さえがないのです。相手の話は逐一メモを取る勢いでしっかり聞いて下さい。(大事だと思ったら本当にメモを取った方がいいです)

相手があなたに本音を言わない理由はだいたい想像がつきます。
①あなたが話を聞かない人間だから、どうせ言っても無駄だと思っている
②あなたが傷つきやすそうな人間だから、面倒を避けたい
③あなたの嫌な部分が自分にも思い当たり、責めればブーメランになるので言えない
もしあなたが相手に責められても笑顔で受け止められるようなめげない人間であるとあなたの態度から察することができれば、相手はもっと打ち解けてくるはずです。

あなたがクリエイターの導きを正しく得られないのも、出会った人の話を真剣に聞いてないからであり、出会った出来事を悪く(不正確に)解釈しているからです。相手の話や出来事が正しいか間違っているか、好きか嫌いかを判断するのではなく、クリエイターがどのような意図でその言葉・出来事と出会わせたのかを考えて下さい。そしてそれが例外なくクリエイターの愛のメッセージであることを信じ、必ず愛で解釈して下さい。いかに気に入らない意見でも、相手が美味しいと思って出してくれる料理(言葉)なのですから、その場で突き返したり吐き捨てたりしては人間関係がうまく行くわけがありません。その場では真剣に聞いて(味見して)持ち帰り(テイクアウト)にして下さい。あとはあなたの取捨選択自由です。

鬱の頃の僕は「本当の自分を知ったらみんな僕を嫌いになるに違いない」と考えて心をいつもかくしていましたが、今は「誰でも自信満々になれる方法」のようにして心を常に善意で満たしているので、逆に「本当の自分を知ったらみんな僕を好きになるに違いない」と確信して自信満々になってどんどん自分を晒せるようになっています。今の僕はあまりにも出会う人出会う人に愛され、少々退屈に感じてしまうぐらいになっているので、いきなり理不尽に自分を嫌ってくる人と出会うとちょっと嬉しくなってしまいます。「これからこの人が僕を好きになっていくラブストーリーの始まりだ」と。世界中の人を例外なく幸せにしようとしている僕を嫌う人なんて、何か誤解しているか、その人が自分自身の嫌いな部分を僕に投影して勝手に嫌っているかのどちらかだとすぐにわかりますから「どうやって救おうか(教えることなく導こうか)」と考えるのみです。「自分にも嫌いな人がいるのだから、自分を嫌う人がいてもしょうがない」などと諦めていたら、世界を救うメシア(主人公)など務まらないのです。あなたも目覚めればきっとそうなります。

この回答を読んでいる読者の皆様、これを決して他人事だと思わないことです。きっとあなたもこの質問者さんと同じポイントで躓いていることでしょう。それはみんなに共通した初期設定であり、みんなに必要な経験・過程であって結果ではありませんから、「反省してはいけない」に書いた通り決して反省して「自分はダメだ」などと落ち込むことなく、また自己否定したくないからといって過去の自分に固執することなく、ただより良い選択をしてより良い未来のシナリオを掴んで下さい。

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