【質問】25歳・男性
はじめまして。
友人B(25、男)の統合失調症を改善するべきなのか?ということをお伺いしたいです。
彼に出ている妄想に関してお伝えすると「自分は巫病にかかっている」「シャーマンの素質がある」「八咫烏(秘密結社)の一員である」「日本は神の国で世界の中心である。富士山に守られている」という発言が出てきております。根拠を聞いたところ、友人B自身の内面の世界が伝えてくれるということで、あまりうまく対話することが難しいです。
友人Bは大麻やLSDを何度か使用しており、その度に上記の妄想が激しくなっているイメージがあります。(恐らく所持はしておらず、友人等からもらっているようです)
現在まで波はあるもののあまり回復してるようには見えておりません。記憶力も極端に低くなっており、昨日話したこともあまり覚えていない状況が続いております。
私自身も精神世界や哲学は好きなのですが、根拠も教養もない友人Bの発言に悲しくなってしまいます。友人Bとはビジネスパートナーでもあり、10年以上の付き合いなので何とか自分を取り戻して欲しいと勝手ながら思っていますが、真也様の知見をお借りしたくご連絡しました。よろしくお願いします。
【回答】
ご質問ありがとうございます。
友人が急に変わってしまった経験は僕にもあるので、心配する気持ちはとてもよくわかります。
一般的に統合失調症とされているものは、霊障であり憑依現象なのです。まずこれを読んで下さいね。「憑依体質の存在意義」
ご友人の症状も霊障による自我の乗っ取りの典型だと思います。記憶が苦手になっているのは脳の記憶力の問題ではなく、その人の主人格がコロコロ切り替わる状態にあるからです。
記憶喪失の人は大抵の場合はトイレに行ったり着替えたり普通に生活できます。失われているのは記憶ではなく主人格と記憶の連絡だからです。人間というのは霊的意思の乗り物でありアバターのようなもので、主人格がいなくても霊的意思がその人の脳にある記憶や自分の記憶を使って思考し行動することが可能なのです。
しかし人間の「自分は自分である」という自意識(自己同一化)が強く働くため、霊障がさせている思考や行動でも本人は自分が思考し行動していると思って疑うことすらできません。霊障による自我乗っ取りを自覚することは不可能なのです。霊障が自分自身になっているのですからね。酔っ払いは例え自分が酔っていることに気づけたとしても、酔いが覚めるまでいつもの自分の思考に戻ることはできませんし、夢の中の自分がいつもの自分と違っていることを目が覚めるまでは自覚できません。それと同じことです。
対策ですが、まずあなたが認識しなければならないことは、「宇宙の仕組み」に書いた通り客観的世界は存在せず、あなたはあなたを主人公とするRPGの世界を生きているのだということです。あなたにはあなただけに用意されたシナリオがあり、それはすべてがあなた次第に創られているのです。
あなたにとってあなた以外の人間はNPCのような存在であり、あなた自身の鏡です。そして「悪いカルマの解消法」に書いた通り、出会った人のカルマはあなた自身のカルマを写し出したものなのです。創造主が偶然に見せているだけで、このRPGの世界に偶然など何一つないのです。
カルマを構成するものが霊障であり、それがどんどん悪い方向にシナリオを選択させるので、まず日々自分の霊障を祓わなければいけません。その方法も「悪いカルマの解消法」に書いていますが、まずあなた自身が信心を日々強くして神々に尽くし、人々に奉仕し、心身と環境を清潔・善良に保つことです。そして宗教的・スピリチュアル的知識を身に着けて日々実践して下さい。
浄霊は無料でしてくれるところがたくさんあります。大本教・世界救世教・真光などです。入信したり無理に献金や奉仕活動をする必要はないですから、ただ毎日のように浄霊を受け、その友人を浄霊してあげたり浄霊に連れて行ってあげたりしてみて下さい。
大事なことは、宗教に依存せずに信心を持つことです。宗教は欠点があり過ちも犯す人間が運営するものですから、腐敗は必然です。でもそれを理由に信心を持たないのなら、いつまでも神々について学ぶことができませんし、神々の守護を得ることはできません。それでは霊障に犯され放題になってしまいます。
僕は様々な神々を信じていますが、どこの宗教にも入信はしていませんし、どこの宗教が絶対良いなんてことを無責任に言うつもりはありません(宗教・神々との出会いも縁です)ので、無理に勧誘されたり献金や奉仕活動を強制してくるような宗教があったらすぐ逃げて下さい。
>何とか自分を取り戻して欲しいと勝手ながら思っています
あなたはご自分で「勝手ながら」とおっしゃっているので、本当は自覚されているのでしょう。相手を変えよう(改善しよう)などと考えるのは自分勝手でありエゴなのです。ただ「欲は悪いものですか?」に書いた通り、人間にエゴがあるのは当たり前であり、エゴの存在が悪いのではなく、エゴの存在を前提に、エゴを愛によって乗り越えていくことが課題なのであり、それが魂の成長につながるということです。そしてそれが生まれてきた意味なのです。
友人を心配する気持ちは自然なものであり決して悪いことではないのですが、あなたが友人に「自分を取り戻して欲しい」というその「自分」というのは、あなたの勝手なイメージに過ぎません。その友人は普通に生活できていて、自分がおかしいとも思っておらず、あなたに改善して欲しいなどとも望んでいないはずです。それなのに勝手に病気・妄想だと決めつられて「過去に引き戻そう・改善しよう」などと試られたら、反発されるのは必至です。
出会いというのはすべからく自分という主人公の成長のために与えられているもので、自分が変わらず(成長せず)に相手の側を変えようとするとうまくいかないようにできているのです。相手には相手を主人公とするRPGのシナリオがあるのであり、他人に勝手にコントローラーを奪われそうになると無意識に反発してしまうように人間はできているのです。人は自分なりに失敗や試行錯誤も通じて自分でゲームを進めたいものなのであり、求めてもいないのに勝手に答えを教えられたくないのです。あなたの出す答えが真理とは限りませんし、むしろ真理に近ければ近いほど相手を逆にその真理から遠ざけてしまうのです。
いきなり正解を教えられるクイズ番組など面白いわけがないですからね。正解を見つけるまでの過程(失敗と試行錯誤)の中に人生という物語・芸術があるのです。真理に価値があるのではなく、自分だけの答えを見つける過程・経験に価値があるのです。それがなければ真理とは概念に過ぎません。
「反省してはいけない」にも書いた通り、人の心はとても天邪鬼にできています。人が悪い行動を繰り返すのは、それを悪いと知らないからではないのです。幼い頃から他者比較に晒されて自信がなくて自己イメージが低くなり、それに応じて行動のレベルが下がり、それを自他ともに責めることで自己イメージが更に下がり、悪い思考や行動がやめられなくなり、更に悪い出来事を引き寄せるという悪循環に陥っているのです。
だからあなたが相手の悪い所を指摘したり、改善策を教えたところで、逆に相手の自己イメージを下げてしまって悪循環に陥らせるだけです。「指摘せず気づかせる」「教えず導く」「自らの学びとする」がメシア流救世三原則です。(あなたも主人公=メシアです)
さて、その友人に写し出されたあなたのカルマはなんでしょうか?それは本来自分で考えるべきことです。僕はあなたにもその友人にも会ったことがないのでわかりません。だからこれから書くことはあくまで僕の経験則による想像に過ぎないのですが、ヒントになれば幸いです。
まず少年時代からの親友がビジネスパートナーでもあるっていうのは、あまり良くないことなのです。基本的に友情も含め愛というのは無償が基本なのであり、ビジネスでは損得勘定が発生するのが自明です。愛と金(エゴ)は磁石の両極のような関係で、エゴ同士はいつか反発するのが必然なのです。利害が完全に一致し続ける限りはくっついていられますが、いつかズレが生じて反発し合うのは時間の問題なのです。
古くからの友人を大切にすることは素晴らしい事なのですが、人間関係というのは基本的にどんどん広げていくべきものであり、環境の変化と共に自らの時間を多く捧げる友人というのは変わっていきます。
旧友というのはたまに会うだけでも、昨日までも会っていたかのように仲良くできるからこそ素晴らしいのです。そういう親友を自分の心の世界に何人住ませられるかが人生の価値でもあります。大人になっても歳をとっても同じ友人と頻繁に会い続けて、他の人間関係が広がって行かないことは良くない事なのです。
RPGで(地理的にも人間関係的にも)スタートの街に籠っていたら冒険は進まないので、ずっとそこに居ようとするとお尻を蹴られるような出来事が起こるものなのです。繰り返しますが、このRPG世界に偶然は存在しないのです。
あなたが旧友との関係に執着し過ぎているのは、人の好き嫌いが激しかったり自分に自信がなくて傷つきやす過ぎたりするために新たな人間関係を積極的に広げていけず、環境の変化を恐れているからではないでしょうか?そしてあなたは「教養がない」と見下している人と親友なのですから、正直に言ってあなたは自分より優れていて劣等感を感じる相手とは積極的に関わらない(出会い・成長を拒否している)人なのではないかという印象を僕は受けてしまいます。
世のほとんどの人がそうですから、傷ついて凹んで自己イメージを下げないで下さいね。そうすると前述のように思考・行動のレベルが下がる悪循環に陥りますから。自分の問題に気づいたら、直せばいいだけなのです。というか気づけば勝手に直っているものなのです。自分を守ろうとして自分の課題を自覚することから逃げないで下さいね。それ(自覚の拒否)をしているのがその友人なのですから、それを鏡として自らの学びとしなくてはいけません。創造主と主人公であるあなたの関係は一対一であり、他人(NPC)の思考や行動(常識)は一切言い訳には使えないのです。
「誰でも自信満々になれる方法」は必ず読んで下さい。あなたの課題(カルマ)が何かがよくわかるはずです。みんなあなたの鏡なのですから、あなたが心を閉ざせば世界があなたに対して閉じてしまいます。あなたが例外なく無償で愛し抜く覚悟さえ持てば、人を恐れる必要など微塵もないのです。そうすれば世界があなたに開かれます。まるですべてがあなたのものであるかのように。だからただひたすらありのままを愛して下さい。
>「自分は巫病にかかっている」
>「シャーマンの素質がある」
>「八咫烏(秘密結社)の一員である」
>「日本は神の国で世界の中心である。富士山に守られている」
あなたがこれを妄想だと決めつけるような方なら、僕のことも統合失調症だと言いかねないでしょう。あなたが絶対だと思っているご自分の世界観・常識も、僕からすれば妄想に過ぎません。僕はこのご友人の発言内容だけから判断して、完全に妄想だと決めるつけることはできませんし、もし霊に言わされているのなら、あながち悪い霊とも思えません。もし僕の友人だったらどんな霊に言わされているのか興味を持つと思います。そして発言内容が事実であることを前提として一切否定せず真剣に話を聞くと思います。
一般的に統合失調症と言われるものは、ほぼ確実に被害妄想(いつもバカにされ笑われているのが聞こえる、常に誰かに狙われ嫌がらせをされている、いつも誰かに監視されている、など)を伴うものであり、あなたは友人が急に変わってしまったというだけで、統合失調症が何かも良く知らずに統合失調症による妄想であると勝手に決めつけるのは、僕はナンセンスだと思います。
ゲームにおいてクリエイターの意思(導き)というのは基本的に出会うNPCを通じて与えられるものであり、それを気に入らないからといって拒否していたら事故るか行き詰まるしかなくなります。出会う人とその発言・出来事の良し悪しを判断するのではなく、クリエイターがどういう意図を持ってそれと出会わせたのかを考えるべきなのです。
>根拠も教養もない友人Bの発言に悲しくなってしまいます
その友人は彼なりに自分のカルマ(課題)に取り組んでいるのですから、友人であるあなたにできることは、常に心からの笑顔で承認し「根拠も教養もない」などと否定せずにリスペクトを示しながら真剣に話を聞くだけです。そうするだけで相手の自尊心は上がり、今は行き詰まっていても気力を失わず、いつか自分なりに答えを出して自分だけのゲームを前に進めていくのです。
基本的に統合失調症状態になるのは、自己肯定感の低さ・自己嫌悪心と厭世観により、自分が自分であることに耐えがたくなって逃げたくなっていることが原因で、その隙をついて自我を少しずつ乗っ取られ、ある日突然会社の株価を半分取得されたかのように自分というものの経営権を奪われてしまうのです。もちろんある日突然に見えるのは他人目線であり、本当はそこに至るまで気づかない間に少しずつ主人格が主体者としての地位を奪われていたのです。そしてあなた自身も自覚がないだけで自我を少しずつ霊障に犯されているのです。だからお互いの自尊心がどうやったら上がるかを考えて日々実践することが大事なのです。
統合失調症状態の人に幻覚剤は厳禁ですし(より霊障に犯されやすくなります。だからこそ霊障は宿主に幻覚剤を求めさせます)日本では違法なのでやらない方が良いのは言うまでもないことです。でも友人の立場でそれを止めることは難しいでしょう。やりたいものはいくら他人がやるなと言ってもやります。本人が心からもうやりたくないと思えるようにならなければ、他人がやめるように強制したところで逆効果です。そもそも幻覚剤の多くはあなたが考えているような麻薬とは別物であり、僕自身も連日アヤワスカを飲んでいる人間なので、幻覚剤を悪いと決めつけたりはしません。
繰り返しますが、あなたは自分が主人公のRPGの世界を生きているのであり、それ以外の人は僕も含めて全員NPCです。その友人が霊障に犯されているのはその友人のカルマなのですが、あなたが出会った人のカルマはあなたのカルマでもあるのです。それはどこでどうつながっているかわからないのです。
「鏡の法則」のページに「息子が学校でいつもいじめられていたのが、自分がずっと連絡をとっていなかった親に自分を生み育ててくれたことへの感謝を伝えたら、いじめがぱったりとなくなった」という実話のエピソードがあります。そのようにカルマ・因果というのはどこでどうつながっているか人間には知り得ないものなのです。だから出会った人のカルマを直接的に解決しようとするのではなく、あなたのカルマ(人生の課題・使命)が何かを考えて、ひとつひとつ乗り越えて行くことを考えて下さい。
それでは、あなたとご友人の人生の幸せを心から祈っています。
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