2022年11月30日水曜日

父親の自殺と母の事故死

【質問】30代後半・女性
いつもお世話になっております。お疲れのところ突然のDM失礼いたします。

わたしの父親は私が14歳の時に自殺し、その5年後母親が車の事故で亡くなりました。そのことは私を今も苦しめ悲しい気持ちでいっぱいにし、手に負えない感情に振り回されて困ることが多々あります。

真也さんの言葉を読み、真理に近付きたいと(それは意識するものではなく、必然そうなってしまうようにできてるかなと思う時があります。道の途中ですので未熟な表現が多々ありすみません)生きているつもりですが、何度も同じ間違いを繰り返しています。

私は確かに父親に愛されていた、今も愛されている、そう思えるようになったら変われるような気がしていますが、とても難しいです。

【回答】12月6日更新
ご質問どうもありがとうございます。とても悲しい、大変な経験をして来られたのですね。

人の悲しみや大変さは他人と比較できるものではないのですが、それでも明らかに自分よりハードな人生を送って来られている方からご質問を受けると、自分の想像力を最大限に発揮してもそのお気持ちは本当の意味ではわかりようがないのですが、ただただその悲しみとご苦労に同情します。

普段僕は「創造主は常に本人(の魂の成長)にとってベストなものを与えている」「与えられたもの一つ一つに感謝しなければならない」と語っていますが、とても深いカルマを背負い、それに値するような悪い事など明らかに何もしていないのにとても辛い経験をされている方に対してそれを言うのは、創造主の思いの代弁を任されている身としてとても心苦しいです。

ただ「人生はRPGで、自分という主人公にだけ与えられたシナリオがあり、他人とは一切比較してはいけない」というのは本当に事実なのです。大変なカルマを背負っている人ほど、魂のレベルが高く、より大きな成長を期待されているということなのです。みんなカルマを人と比べて欠点のように解釈して我が身を呪い、イージーな人生を送っていそうな他人を羨んだりしてしまいがちですが、人生というのは魂の受験のようなものであり、難易度が高いほど価値が高いのです。もちろん逃げる方向ではなく乗り越える方向にベクトルが向いていれば、ですけども。

反省してはいけない」に書いた通り、自尊心が下がると、悪いとわかっていても悪い行動がやめられなくなり、更に自尊心が下がる悪循環にハマるのです。自己イメージと行動のレベルは正比例します。多くの人の問題の根幹は自尊心が子供の頃から下げ合うように社会的に洗脳されているためであり、みんなの自尊心の低さは社会病理なのです。そしてそれは個人の欠点ではなくみんなに与えられた乗り越えるべき課題なのです。だから自分のことも親のことも誰のことも責めないで許してあげて下さいね。鬱の主原因は「自分や他人を責めること」であり、鬱の解決法は「自分と他人を責めるのを同時にやめること」です。答えは常に「誰も何も悪くない」です。

人間の行動というのは、意志がそれを選択する前に既に脳が決めているのですから、普段から良い解釈(世界観・価値観・哲学)を選択することが大事です。解釈が自分自身(世界・人生)を創っているのであり、選択肢もその解釈が運んでくるものですから、選択肢が目の前にやってきた時に行動を選択することで人生を変えようと思っても無理であり、人が自分で悪いとわかっていることをやめられないのは当たり前なのです。「自由意志は存在するか?」に書きましたが、自由意志(選択の自由)とは行動の選択ではなく解釈(世界観・価値観・哲学)の選択なのです。それが自分の人生=世界を作るのです。

誰でも自信満々になれる方法」これは本当に人生・人間関係の万能薬なので、ぜひ読んで実行してみて下さいね。そして自信満々になって下さい。自尊心が上がれば行動のレベルも上がってどんどん自分自身もみんなも人(人生・世界)が好きになる好循環に入れます。

質問後のDMでご結婚生活も色々問題があるとのことなので「離婚について」もぜひご参照下さい。良くない結末を迎える前にどうか立て直して下さいね。

そして血縁関係なんかに捉われず、また自分に都合の良い人だけを愛して追いかけまわしたり、苦手な人を嫌ったり攻撃したり避けたりしようとせず、出会ったみんなを例外なく家族のように(自分自身のように)愛して仲良くなって下さい。愛情は無条件でなければなりません。「こういう人は愛せるけど、こういう人は愛せない」というのは愛ではなくエゴなのです。日々少しずつでも愛情の条件(エゴ)を外していくことが人生の修行です。そうして自分の心の仏国土を愛で満たし、出会った人を心に写し取ることでみんなをその住民として迎え入れ、例外なくみんなを愛し、その愛をこの世界中に連鎖させて下さい。それがあなたという主人公(メシア)の使命です。

メシアになるのに必要なのは覚悟(愛)だけであり、有名人や権力者になる必要は全くありません。すべては波動で出来ていて、それは指数関数的に連鎖するものなのですから、あなたが心を愛で満たしてそれを出会った人に遍く連鎖させていくなら、世界はいつか必ず救われるのです。

カルマ(その人に初期設定された課題)の重さは人それぞれ違っても、それは本人にとってはギリギリのとても重いものですから、逃げ出したくなる気持ちも僕にはよくわかります。実際僕は自殺した経験がありますからね。(そこから創造主に救われて、次々に真理に導かれて幸せになっているので、彼の代理で真理を伝え人を救うという使命を果たす以外の選択肢は僕にはありません)

霊障に深く犯されて重い鬱になると、本当にエゴにまみれになって他の人のことなど全く考えられなくなってしまうのです。例え愛する家族を置き去りにすることになろうと、とにかく今の苦しみから逃れることしか考えられないようになってしまうんです。溺れて苦しんでいる人が、助けに来てくれた人を本能的に(本人の意思とは関係なく)沈めてでも助かろうとしてしまうが如くです。でもそれは決してあなたを愛していなかったということではないと僕は思います。あなたの父親がどんな方だったのか僕にはわかりませんが、人がするどんなネガティブな思考や行動も運命(カルマ)であり、本人には止むに止まれぬ事情があってやってしまったことなのです。

あなたが今とても辛い状況にあるのも、止むに止まれぬ事情があって、自分なりにベストを尽くした上でそうなっているのですから、自業自得・自己責任だなどと考えて自分を責めないで下さいね。いままでのことはすべてRPGの設定であり、それを最終的に幸せになるための伏線として考えて、人生=世界をより良く解釈して幸せになって下さい。人生はRPGですから、困難からスタートするのは当たり前ですからね。そしてそこからの大逆転劇は必然であり、困難をいつまでも続くと解釈して不平不満を言って我が身を呪えば本当に最後までそのような人生になってしまいます。

日本人は「自業自得」「自己責任」って言葉が大好きですが、「本人が悪いんだから不幸になっても仕方がない」っていう考え方はすごく冷たいんです。そういう考え方の人ばかりだから鬱になると「自分のせいだから不幸になっても仕方がない」と考え、誰にも相談したり助けを求めたりできずに自殺したりするんです。僕らは誰一人自業自得で生まれてきていません。壮大な因果の中でちゃんと理由(使命)があって必然として生まれてくるのです。罪と恥(=自業自得)は幻だと知って下さい。メシア(主人公)の使命は相手の善悪に関係なく、例外なく出会った人から救っていくことです。自分より悪い人を責めて蹴落とし自ら地獄に落ちる「蜘蛛の糸」のカンダタにならないで下さいね。人には例外なく欠点があり過ちを犯します。相手の良し悪しを判断せず、愛情に条件を付けず、助け・救いが必要な人と出会ったらどんどん助けて救って行って下さい。

因果は循環するものであり、常に過去に遡って上書き更新されています。「悪い事があったのだから、自分が悪い思考・行動をするのは仕方ない」と考えて悪い思考・行動をやめれないでいると「そういう言い訳をして悪い思考・行動をする人間だからこそ過去に悪い事が起きた」ということになり、また悪い出来事を引き寄せて繰り返してしまいます。悪い事があっても悪く解釈して悪い思考・行動がやめられなくなって、人生を自ら台無しにしてしまうのです。だから悪い出来事も悪く解釈してはいけません。自分の魂の成長に必要だったから起きたと考えてどうか乗り越えて下さい。この点は理解が難しいと思いますが「自由意志は存在するか?」を読んで下さいね。未来と同じように過去は可変なのです。

きっとあなた自身も自殺を考えるほど辛い経験をされてきたのですから、どうかその父親の苦しみに心から同情し、カルマから逃げてしまったその過ちを赦してあげて下さい。「罪と恥の存在意義」に書いた通り、あなたが出会う全ての罪と恥は、あなたに許されるのを待っているのです。そして「音と水の存在意義」に書いた通り、今からでもご両親に愛の波動を言葉と思念にして送ってあげて下さい。それは決して無意味で無駄な事ではありません。そしてあなたはどうか自分のカルマから逃げないで下さい。

人の悲しみというのは他人と比較できるようなものではないのですが、僕も叔母を(その旦那さんと共に)交通事故で亡くしました。実の両親は僕が経済的に自立するまで健在でしたが、性格が全く合いませんでした。親は基本的に常識人で、僕に愛情を持ってきちんと育てようとしてくれていたにも関わらず、僕は小さい頃からいつも逆らってばかりで、人生のことを相談したりしたことは全くありませんでした(今は心から尊敬し感謝していますけど)。そのカルマをまだ解消できてないせいか、今でもブラジルで独身修行中で(血縁的には)天涯孤独の身です。まぁ今の僕の考え方や行動を常識的な人たちはまだ理解し受け入れられるわけもないですからね。創造主から直々に教えをいただけるなんて幸せは恐らく他の誰にも与えられていませんし、僕は周囲のみんなに愛されてとても幸せに生きています。それでもブラジルは家族をすごく大事にする国民性で、仲睦まじい姿を見せられると、時々羨ましく感じそうになることもあります。僕は実の親を自殺や事故で亡くしているわけではないので、あなたのお気持ちがわかるとまではとても言えませんが、少しだけは想像できます。

すべての存在は同源でありワンネスです。我々は同一の魂(創造主の魂)であり、そこから分け御霊を与えられ、肉体と個性と個別の使命・シナリオを与えられ、欠点や過ちを許し合い、個性を尊重し合う事でまたひとつなぎに一つになれるという神話の中を生きているのです。本当はすべての人間の魂が創造主の分け御霊であり、同一人物のようなものなのです。

「一番大切なものは家族」そのように僕らは血縁関係に捉われ過ぎる価値観が初期設定(常識)です。でもその常識的価値観ゆえに、震災や交通事故などで家族を亡くして天涯孤独になってしまった人の多くが自殺してしまうのです。それはとても悲しく残念なことです。「家族(血縁関係)が一番大事=家族以外には助けを求められない・助けなくても別に何の責任もない=家族がいなかったり仲が悪かったり負担にしかなっていない人は将来絶望的」という価値観が社会的にたくさんの人を不幸に陥れて殺しているんです。子育てや介護や借金などが家族だけに押し付けられる価値観は常識ですが、僕らはそれを覆してみんなで無償で助け合う世の中を実現していかなければなりません。それが主人公(メシア)一人一人の使命です。

キリストも釈迦も、血縁関係を特別扱いはしない人でした。釈迦は家族を捨てて出家した人ですし(最終的には奥さんや子供も弟子にしていますが)キリストは「出会った人が兄弟だ」と公言していて、やはり若い時から出家し(13歳から29歳まで聖書に彼に関する記述がないのは、エッセネ派のクムラン宗団で修行していたからだと目されています)人を救うために俗世に戻ってきてからも、彼は親が遠くから訪ねてきた時でさえ、信者たちを優先して家族には会おうとせず冷遇したこともありました。

常識とは何か?」に書きましたが、もし常識が全部正しいのなら、我々に生まれて来た意味はありません。僕らが生まれて来なくても世の中は勝手に良くなっているはずだからです。それでは主人公が世界を救うというRPGの基本設定が成立しません。常識のほとんどは主人公に与えられた初期設定の課題であり、基本的には人を不幸にするものなのです。そしてその常識に当てはまらない個性や経験を与えられている主人公は、その常識を覆すことが使命なのです。

誤解して欲しくないのは、決して常識に価値がないということではないということです。闇雲に常識に逆らえば良いという話をしているのではありません。常識(コモンセンス≒共通ルール)があるからこそ我々は人生というRPGをみんなと一緒に楽しめるのであり、それゆえコミュニケーションが取れて一緒に経験を積んで共感し合うことができるのですから。常識に何の理もなければそれは常識には成り得ません。常識は常識でちゃんとわきまえていることが大事です。ただ常識にはそれなりの理があるのですが、それは初期設定であり課題(間違い)が含まれているのです。だから常識が正しいとか間違っているとかということではなく、自分にとっては良くない・合わせられない常識と戦う姿が、常識に縛られて合わせられず苦しんでいる人たちに勇気を与えるということです。自分がどうしても合わせられない常識があれば、それはそれを覆す使命が与えられているということなのです。「やりたいことが見つからない」「生まれて来た意味がわからない」という人は多いですが、そこを考えれば突破口になると思います。

親を早くに失くしたり、または虐待されていたり、またそこまでは行かなくても親と仲が悪い人というのは、世の中には我々の思いの他たくさんいるのです。「家族が一番大事・幸せの条件」みたいな価値観の社会から排除されたくないから、世間体を取り繕って見下されないように幸せアピールしているだけで、実際は多くの人が家族愛を感じられず、家族仲睦まじい(様に見える)人達を羨ましがって、我が身を呪い落ち込んでいるのです。

しかしそれは課題(カルマ)であり、出会った人と例外なく家族のように助け合い愛し合うことで、世の中がワンネスに目覚めていく神話の過程において重要な使命を担っているということに気づかなければなりません。

世界中の人が鬱の海で溺れているところを想像してみて下さい。みんな人に迷惑をかけないこと(自立)・人の役に立つことを人生目標に掲げ、その海で他人と争って泳ぎ(働き)、いつか沈んでいくのです。僕らがどんなに必死で泳いでも、他人を抱えて泳ぐのには限界があります。「家族(血縁関係)が一番大切」という価値観で、家族だけで助け合って抱えて泳ごうとしても、共倒れになって共に沈んでしまうのです。僕らは泳ぎを競い合うのを止めて、ただ出会った人と家族の様に手を取り合って助け合えば、みんなで楽しく浮かび上がることができるのです。主人公(メシア)にはその連鎖を推し進めていく使命があるのです。

「こういう人は絶対不幸になる」という世間の悪しき常識通りに自分も幸せを諦めて不幸になるのではなく、あなたという主人公(勇者)が幸せになってその常識を覆さなければなりません。そして同じように不幸にあえいでいるたくさんの人たちが、本当はあなたの救いを待っているのです。悩んでいる時は他人が見えずエゴにまみれて、まるで「こんなに悩んでいるのは自分だけだ」というように考えてしまいがちですが、本当は人の悩み(課題)というのは抽象度を上げて行けば同じなのです。質問箱をやっているとそれを痛感します。

そして「憑依体質の存在意義」に書いた通り、カルマ=霊障であり、それが魂の成長のために我々に与えられた課題なのです。あなたからいただいたメッセージを読ませていただくと、本当に深く霊障に犯されているのを感じます。僕は決して霊感商法みたいなことをしてお金を取ったりして自己利益には絶対につなげないので、どうか騙されたと思って浄霊は毎日受けるようにしてみて下さい。霊障も悲しい経験があって霊障はあなた自身と同じように、悲しくて辛くて苦しくて、それがわかってくれそうなあなたに同じ経験をさせ、同情を求め許され共に幸せになって成仏することを求めているのです。だからあなたが自分自身を許し、自分と同じ経験をしているような人を同情し許すのであれば、その正体も知れぬ霊障を許してあげることになるのです。どうか霊障を成仏させてあげて成仏して下さいね。罪とは幻であり、今までやってきたあなたのあらゆる悪事は霊障のせいであり、他人の悪事もすべて霊障のせいです。だからすべての悪事を霊障のせいにさせてもらいつつ同情し、なおかつ霊障も自分も他人も許してあげて下さい。

浄霊をするためにも、どうか信心を持って下さいね。どんな宗教でも、縁があると感じたら逃さないで下さい。お金や奉仕を強制してくるような宗教は宗教ではなく宗教を悪用した詐欺なので、一目散に逃げて下さい。宗教団体は欠点があり過ちを犯す人間が運営するものですから、腐敗が必然であり、それは例外がありません。でもそれを乗り越えて信心を起こすからこそ信心には価値があるのであり、世間の常識通り「宗教=怪しい・騙される」などと思い込んで決めつけて、神々について信じ学ぶことを放棄しないで下さいね。できれば原典から宗教を学びつつ、宗教団体からは形式・実践方法を学んで下さい。宗教=悪という日本人の多くが持っている常識もまた多くの人に共通した初期設定の課題なのです。

真理は経験なしに手に入るものではありませんから、どうか六波羅蜜を行じて、日々実践を通じてあなたの覚りを開いていって下さい。六波羅蜜はネットで調べればすぐわかりますし、理解も実践も覚悟さえあればそんなに難しいものではありません。常に改善しながら実践し続けるのは大変ですけど、それが人生という修行ですからね。我々は成長を楽しむために生まれて来たのです。

悪いカルマの解消法」もぜひ読んで下さいね。日々浄霊し、信心を強くし、カルマを解消して下さい。どうかあなたのその深いカルマを「魂のレベルが高いからこそより大きな成長を期待されて与えられたものなのだ」ということをどうか理解して下さい。そしてきっと幸せになって下さいね。心からそれを祈っています。

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