2025年5月23日金曜日

毒親との接し方

【質問】10代・男性 高校生 ペンネーム:エビクリーム

真也さん、お疲れ様です。いつもタメになる投稿を見せて貰って、若いながらも学ばせて貰っています。

僕には両親がいるのですが、父親は自分の怒りのコントロールが効かない人で暴力こそは無いももの、僕が小さい時(小学校中学年〜高学年)から喧嘩になると大きな声で罵声を浴びせたり顔を近づけて(やんのかコラ?)などとが多くありました。軽く数えても1000回程度です。母親は責任感が強く、僕を守ろうとして沢山動いたりしてくれていたのですが、パニック障害などを発症してしまった時の発言等に僕の心に刺さるものがありました。

現在は喧嘩をしてしまって、もうバラバラという感じです。母親とは直接的な喧嘩はその時しなかったので、少し話したのですが(幼少期の事など)、私もお前の前の非行にはとても心を痛められた。私たちは旅行も連れて行ったりできるだけ甘やかしたのに、そんなに辛い風には見えないよ?と言葉が帰ってきてしまい落ち込んでしまっています。

要は何が言いたいかと言いますと、人生には偶然等は無くそれ自身も僕の成長に必要なものであり、意味の無いプロセス等は無いと分かっているのですが、彼等とどのように接すればいいのかが分かりません。僕とは考え方がやはり違うので衝突などが多く、上手くいく自信がありません。

そして父親の母親に対しての八つ当たりや、その原因が僕だと言うのを言われてしまうなら関わらない方がいいのかな?と思っていたり。

何と言うか正解が見つからないような感覚でそれを自分自身で見つけるからこそ人生なのですが、また今回の喧嘩が起きてしまい、家を出ていけと言われてしまったり・母親の対応にやられてしまい。相談させて頂きました。長文失礼いたしました🙇

【回答】
ご質問ありがとうございます。そしていつも発信を受け取っていただき、ありがとうございます。基本的に僕はエゴが収縮し始める30~40代の人をイメージして発信しているのですが、あなたのように若い方にメッセージが届いているということは、とても嬉しいことです。

さて、ご質問内容についてですが、幼い頃からあなたが受けて来た深い傷と怒りに心から同情します。僕もあなたほどでは全然ありませんが、親との関係では相当苦しみました。親から逃げたくても年齢的に自立が難しく親の庇護にすがるしかない・誰にも相談できない・逃げられない状況というのは本当に酷だと思います。僕がお金の要らない・愛の時代を実現したいのは、そういう状況を失くしたいからでもあります。

それだけの困難に直面しても、あなたは「人生には偶然等は無く、それ自身も僕の成長に必要なものであり、意味の無いプロセス等は無い」と理解しようとしているのですから、それはとても立派で尊いことです。

ただ、そんなに焦って大人になろう・悟ろうとしなくて大丈夫ですからね。僕も高校生の頃はかなり荒れていて、悟りなどとは程遠い暗い青春を送っていましたから。そしてそれが必要な経験だったと気づいたのは、そのずっと後のことでしたから。

僕らの魂は同源同一であり、例外がありません。そしてその魂というのは純粋な子供の如くであって、とても繊細にできているものなのです。実に多くの人が、頭では大人になったつもりで、傷つかないように必死に自己防衛し、その子供のような純粋な魂(インナーチャイルド)の声を封じ込め、傷ついている自分を認めることさえできず、その成長のギャップが心の歪みとなって様々な形で悪影響が起きてしまっているのです。

成長というのは魂(インナーチャイルド)の成長と足並みを揃えなければいけません。だから今はただ自分の中の傷ついている魂の声をしっかりと受け止め、我が子のように労わり、癒してあげて下さい。自分の傷ついた心を認めることは、決して負けることではありません。

自分の癒し方は人それぞれですが、動物や自然と触れ合うなり、好きな音楽や読書やスポーツなどの趣味に没頭するなり、自分に合ったやり方をしてみて下さい。僕的にはぜひ信仰心を持って寺社などに通うなりして神仏に頼って欲しいところなのですが。

本当に辛い時は逃げても良いのですよ。人生はRPGであり、本当に弱っている状態の時に手に負えない困難と遭遇したら、一旦は逃げて体制を立て直す以外にないのです。そして素直に人を頼って下さいね。プライド・意地で人を頼ることを恥じないで下さい。親せきなどを頼って状況が改善するまでかくまって貰って親との間に入って貰うことはできませんか?(もしかしたらあなたの親も実家と関係が悪くて難しいのかも知れませんが)学校の先生などにも相談はできませんか?もしできないのであれば、以下の連絡先に相談してみて下さい。軽く調べただけなので、実際どういう対応をしてくれるかなどは全然わかりませんが、相談先はたくさんあるのだという例として挙げておきます。

📞【24時間対応】チャイルドライン(18歳まで)電話:0120-99-7777
受付:毎日16時~21時(無料・匿名)
チャットも可(16時~21時) → https://childline.or.jp
子どもの気持ちに寄り添って話を聞いてくれる窓口。「どんなことでも話していい」が基本スタンスです。

💬【LINEで相談】生きづらびっと(10代~20代対象)
LINEで気軽に相談可能(完全無料・匿名)
こころのモヤモヤ、不安、家族のこと、自傷・希死念慮などにも対応。
公式サイトはこちら

🌱【全国の児童相談所】
全国共通ダイヤル:189(いちはやく)最寄りの児童相談所につながります。
「親からの精神的な暴力」「家庭で安心できない」などは、虐待の一種として扱われる可能性もあります。話を聞いてくれて、必要ならシェルターや保護の手段も検討してくれます。

📱【その他:若者支援の窓口】
こころの健康相談統一ダイヤル:0570-064-556
各地の精神保健福祉センターにつながります。親の精神疾患・家庭のことなども相談可能。
法テラス:0570-078374
もし今後、家を出たい・住むところを探したいといった法的なことが出てきた場合にも無料で相談できます。

そして奨学金を貰って進学して寮暮らしするとか、住み込みをさせて貰えるバイトを探すとか、とにかく今は親と距離を取ることを優先して下さいね。もし今すぐにそれができないとしても、そういう希望を持つだけでも全然違いますから。

根本的な解決にはなりませんが、もし時間があれば格闘技などを習って心身を鍛えるというのも良いと思います。強くなれば自身もつきますし、それは仮初めの自信ではあるのですが、少なくとも身体的な暴力は受け難くなりますからね(決して力に任せて暴力を奮い返したりしないで下さいね)。




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<未来のあなたと読者の方々へ>
さて、これから書くことは今すぐには読まず、まず親と距離を取れるようになって落ち着いて、自分の傷を自分で認めて受け入れ愛し労える状態になってから考えてみて下さいね。先にも書いた通り、あなたはまだそんなに焦って大人になろう・悟ろうとなくて良いのです。今は問題から距離を取って自分自身を守り、癒すことに集中して下さい。

ただ僕は預言者としての使命上、未来のあなたのため、そして同じように毒親に苦しめられている多くの人のため、ただ逃げ方を伝えるだけで話を終わらせるわけにはどうしてもいかないのです。どうぞご容赦下さい。
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人格的に問題の多い(いわゆる毒親)に育てられるというのは、とても重いカルマです。ただ我々の魂というのは同源同一のものであり、主人公というのは基本的にそのような困難な生い立ちを抱えているものなのです。

悪いカルマの解消法に書いた通り、カルマというのは決して意地悪で与えられるものではなく、成長のために愛で与えられている課題であり、生徒に乗り越えられない課題というのは成長につながらないので与えられないのです。重いカルマはより高いレベルの魂に与えられるのであり、乗り越えればより大きな幸せが待っているのです。僕を信じて下さるのであれば、どうぞそれを信じて下さいね。

魂の年齢というのは、今生での実年齢とは関係がありません。あなたの父親がどんな人生を送られてきた方なのかは存じ上げませんが、きっとカルマを正面から乗り越えようとしてこなかったままのために雪だるま式にそれを膨れ上がらせ、まだ魂的にも幼いままで、自分の中の魂(インナーチャイルド)を常に抑圧してきた人なのでしょう。そしてそれがきっとあなたという(自分に似ている)実の子供に対して攻撃するという歪んだ形で表れてしまっているのだと思います。他人と上手くやれない人というのは、まず自分自身と上手くやれていないのです。

あなたの側からすれば「こっちはいい迷惑だ」と被害者意識に陥ってしまう気持ちもよくわかります。しかしあなたの認識している世界というのは、すべてがあなたという主人公個人のために与えられているものなのです。あなたが実際に関わっている人のカルマ(課題)というのは、あなた自身のカルマ(課題)を鏡(拡大鏡)のように映し出したものだということです。PRGで他人(NPC側・設定側)を変えようとしても変わりません。あなたという主人公が変われば全てが変わります。そのようにあなただけのために用意されたオリジナルのシナリオがあるのです。あなたが既に理解して下さっている通り、この世に偶然は存在せず、すべての出来事・出会いに意味(意図)があるのです。被害者意識というのはカルマ(課題)を他人のものと考える成長拒否であり、不幸に導かれるのが必然なのです。

いつも使っている例えですが、ゲームのバイオハザードでゾンビが出てくるのは主人公が悪いからではありません(自分のせいだと思う必要はありません)。かといって相手側(ゾンビやアンブレラ社)を責めたり、制作側(クリエイター・ゲーム会社)を恨んだりして被害者意識に陥ってもゲームは進みません。自分も相手も運命も責めず恨まず、ただ自分に与えられた成長課題だと信じ、楽しみながらその課題を目の前から一つ一つクリアしていくことが大事なのであり、それは人生も同じだということです。

人生は愛を経験的に知るため・表現するために与えられたものなのです。だからこの世の全ての問題は愛の不足が原因であり、逆に言えば全ての問題の解決策は愛なのです。これは例外がありません。

そして「許し」こそが愛なのです。威圧的な父親になつけなかった自分も、不幸な生い立ちから威圧的な親にならざるを得なかった父親も同時に許して下さい。答えはいつでも「自分も誰も悪くないけど、自分が何とか(成長)するしかない」です。

どうかどんな困難も(愛と勇気を試し、魂の成長を促す)愛によって与えられているということを忘れないで下さいね。聖書の「ヨブ記」はぜひ読んでみて下さい。誰しもが喜ぶようなものを与えられてする感謝に価値はありません。どんな苦難も愛によって与えられていると信じて感謝と共に受け取れる人の感謝にこそ価値があるのであり、そこにこそ魂の成長があるのです。

与えられたものに感謝できない人に、もっと良いものを与えたいと思う人はいないでしょう。それは創造主も同じであり、そういう原理でこの世界は創られているのです。与えられたものへの感謝がない人間は、既に与えられたものまではぎ取られ続け、失うことでその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうのが定めなのです。

カルマというのは連鎖するのが原理であり、あなたがそのカルマの負の連鎖を断ち切るシナリオになっているのは、あなたが主人公のRPGなのですから当然のことなのです。だからどんなに理不尽に思えたとしても、時には逃げることが必要だったとしても、いつまでも自分を被害者の立場に置いてカルマ(課題)を乗り越えようとしないのでは、RPG(愛・勇気・成長)の物語にはならないのです。だから自分が負のカルマの連鎖を終わらせ、良いカルマに転換する終端装置になることです。エゴを愛に昇華し、悲しみ・不幸を喜び・幸せに転換することです。入力(過去)が不幸だからといって、それを理由に出力(未来)を不幸にするなら、主人公に存在意義はありません。

どうか「こんなに不幸な生い立ちで、こういう風に生きれば不幸になる」というネガティブな教訓をアカシックレコードに捧げるために貴重な人生を使わないで下さいね。それはMisson Faildなのです。最終的には「こんなに困難な状況にも負けず、こういう風に生きることで幸せになった」というポジティブな教訓をみんなに提供して励ませるような存在になって下さい。

そうしていつかあなたが創造主の愛によって存在し、神仏の加護を受けて生きているのだということをぜひ実感して欲しいです。それだけの困難が与えられても自分自身と他者と人生(世界)の存在に心から感謝するというのはとても酷なことだと思いますが、因果というのは時空を超えて連鎖するものであり、今現在のあなた自身の信心・感謝のなさが、時空を超えて今までの不幸をもたらしているのです。だから苦難に満ちた人生でも先回りして信心を持ち、感謝することが大事なのです。自分の人生を決して他人(NPC)と比べないで下さいね。僕らは魂の成長のために生まれてきているのですから、カルマ(課題)が簡単でラクな人生ほど幸せなのだと考えるのは大間違いです。

<霊的(カルマ的)解決>
さて、まだ幼い実の子に向かって日常的に「やんのかコラ」などとスゴむというのは、あまりにも常軌を逸していると思います。それは一種の憑依現象(霊障)で、自我が霊障に乗っ取られているのでしょう。その構造は憑依現象(霊障)についてに書いた通りです。

実際あなたの父親はいつも威圧的なわけではなく、優しい時もあるのではないですか?あなたのことも旅行に連れて行ってくれたりしていて、決して育児放棄をしていたわけではないのでしょう。まさか虐待しようと思ってあなたを生んだわけではなく、愛そうとしていたのにそれがうまく表現できず・伝わらず、仕事で嫌な思いも我慢しながら稼いで一生懸命育てているのに、懐かず・感謝されず・愛されず、反発された結果、あなたは父親にとって自身と世の中に対する不平不満をぶつける対象にされてしまっているのでしょう。でも本当はあなたに愛されたいに違いありません。

だからいつかはそんな風にしか生きれらない父親の心の傷に同情と許し(慈愛)の気持ちを持って下さいね。恐らくは社会で自尊心をズタボロにされて(その痛みはあなたも社会に出ればわかります)、家族に威圧的に接することで実質的に尊敬を強要することでしか自尊心を保てない状態にあって、自尊心というものが自他への愛によってしか満たせないものであるということは考えもつかないのでしょう。

あなたの父親はよっぽど大きな傷を抱えていて、深い部分で自分自身も他人も世の中も許せず、尊敬できず、愛せず、嫌って、自己嫌悪と厭世観に陥ってしまっているのでしょう。それは実に多くの人が抱えている自尊心の病気(社会病理)なのです。あなたの父親はそれゆえにネガティブな霊に(何かをきっかけにして、突発的かつ常習的に)自我を乗っ取られてしまっていて、突発的に攻撃的な人格が現れてしまうのでしょう。しかしあなたの父親が攻撃しているのは彼自身なのであり、俯瞰して見ればとても可哀そうな人なのです。そしてそれは主人公であるあなたが救いに導くシナリオになっているのです。

相手の攻撃に対して攻撃し返せば負のループは終わりません。カルマは増幅連鎖するのが原則なのですから、あなたもそのままいけば同じ霊障に憑りつかれて、きっと父親と同じようになってしまうでしょう。

愛というのは無条件化していく方向が成長方向なのです。相手に瑕疵(欠点や過ち)があれば愛せなくて(感謝できなくて)当然という考え方(愛の条件化)はそれとは逆のベクトルなのであり、世の中に瑕疵(欠点や過ち)のない人間はいませんから、それでは究極誰も愛せず、感謝できなくなっていくことになります。

あなたからすれば理不尽極まりないでしょうけども、あなたの母親の言うことも一理あるということです。瑕疵(欠点や過ち)があるからといって与えられているものに全然感謝せず反発して恨みで返すのみというのでは、お互いのカルマが増幅するだけになってしまうでしょう。

あなたの親は一応はあなたを養って学校にもちゃんと行かせて、旅行などにも連れて行ってくれていたところを見ると、きっといつもいつもそんなに威圧的なわけではないのでしょう。あなたが父親に従わず、感謝せず、反発することをきっかけとして色々人生で溜めてきたもの(全くあなたのせいではない傷・怒り・不平不満・恨みなども全部含めて)が爆発してしまうんだと思います。それはもう自我を霊障に乗っ取られているということなのです。

分離意識の強い若い時にはとても理解できないことかと思いますが、世界の本質はワンネスであり、すべては一つなのです。それはつまり我々全員が同一人物のようなものだということです。愛憎劇と魂の成長を経験できるように、分離意識・異なる個性(配役)・異なる環境(視点)が与えられているだけで。

本質的に他者というのは存在しないのであり、カルマ(シナリオ)は基本的に両方の立場を経験するようになっているのです。それは超時空的なもので、そこに時間・実年齢は関係ないのです。つまりあなたの親は過去世か未来世でのあなた自身なのであり、あなたの親であると同時にあなたの子供でもあるのです。とても信じられないと思いますが、例えそうでなかったとしても、そう考えながら接するのが正解なのです。

それは若いあなたにはまず無理なことであって、できるようになるのはずっと先で大丈夫なのですが、成長のベクトルはその方向にあるのだと知っておいて下さい。そしていつか自分の親を自分の子供のような視点で温かく成長を促しながら見守れるようになって下さいね。それにはまず相手よりも先に自分から愛情を示すことです。

カルマというのは超時空的なものですから、現在のあなたが変われば、過去も未来もすべてが超時空的に変わるのです。

早くから親元を離れ、働いて社会に出る大変さ・自他の自尊心を保つ大変さを知り・家庭を持って奥さんや子供とうまくやる大変さを知り、親に心から感謝できるようになって下さいね。心に逆らって無理に感謝をすることが本質ではありません。心からの感謝が自然と態度に表れるぐらいに苦労を乗り越えてみて下さい。

親だから大人だからという理由で他の家庭と比べて自分の親に愛情を期待・強要せず、存在そのものに有り難みを感じて下さいね。そして結果(見返り)を求めず自分から愛情を示すことで、あなたのカルマはきっと解消されていくと思います。

そして霊的解決のために、縁を感じる宗教に通ってみて下さい。信者になる必要はありませんし、無理に勧誘されたりお金や奉仕を強要されそうになったら一目散に逃げて下さい。お勧めは南無妙法蓮華経のお題目を唱えること(できれば本門仏立宗など日蓮系のお寺に通うこと)と、世界救世教や崇教真光などで無料で浄霊を受けることです。縁がある宗教と巡り合えば、きっと奇跡を経験することになると思います。

僕自身どこの宗教にも属しておらず、特定の宗教に勧誘するつもりはありませんが、霊的な問題の解決というのは一人では難しいと思うので、ぜひ参考にしてみて下さい。人生の問題の全ては神仏への愛(信心)へと導かれているのです。

それでは、あなたが悪いカルマを解消し、心からの感謝と幸せに至ることを心から祈っております。

2025年5月2日金曜日

スピ詐欺に騙されないようにするには

 【質問】20代 女性 小売店勤務・作曲家(兼業)ペンネーム:L

「正しいスピリチュアルと怪しいスピリチュアルの違いと判断基準(自称シャーマンや霊感商法等明らかにおかしいものを除く)」、「どのようにすれば怪しいスピリチュアルに騙されずに済むか」についての質問です。

私は、「この世は仮想現実である」というマトリックス的な世界観に強く惹かれています。元々不安を感じやすく、深く考え込む性格のため、「生きていくためのライフハック」のような思想や考え方を探求し、心の拠り所とすることが好きです。

しかし、世間一般で語られる「怪しいスピリチュアル」には抵抗感があります。例えば、「子宮系」「宇宙銀行」「パワーストーン」「レムリア信仰」といった思想は、私には非現実的で胡散臭いものに感じられます。また、必要以上に金銭を要求するようなスピリチュアルイベントにも不信感を抱いています。

私は、スピリチュアルには仏教や神道、東洋思想、ヨガ修行、南米の伝統的なセレモニーといった正統なものと、ニューエイジ的な流行に乗った、信頼性に欠ける霊感商法のようなものがあるのではないかと考えています。

2年前、YouTubeを通じてAさん(仮名)というスピリチュアルリーダーを知りました。Aさんは南米在住で、何回もアヤワスカの儀式を経験しており、日本人と南米のアヤワスカを繋ぐ活動をしています。彼女が南米での生活を通じて得た叡智に学びたいと思い、今月末から始まる1ヶ月間のオンラインプログラムの参加を決めました。今回が2回目の参加となりますが、昨年参加した際は、まだ「この世はマトリックスである」という気づきにすら至っておらず、活動期間中もエゴに固執してしまい、深い学びや実感を得られないま終わってしまいました。

今年に入り、リベラルの過激化やカリフォルニアの火災、財務省や増税の闇、芸能ニュースの裏で重要な法案が通されるといった出来事を知り、陰謀論や都市伝説が真実である可能性に気づきました。これにより、「この世界はバグっており、洗脳装置(人々の煩悩を量産する仕組み)で溢れている」「この世界は仮想現実であり、仮想現実であると気づかせないために洗脳装置が人々を惑わせている」という結論に至りました。

この気づきから、再びスピリチュアルへの関心が湧き、Aさんのオンラインプログラムに再参加することを決意しました。しかし、スピリチュアルを学んでいく中でAさんへの不信感も感じるようになりました。

まず、オンラインプログラムの参加費が7万円と高額であることです。期間は1ヶ月間で、その間に数回のオンラインヒーリングセッション(その中の1~2回はAさんと親交のある現地のシャーマンの方もゲスト参加)とオフ会を開催するのですが、ゲストの方がいらっしゃるとはいえ大部分がオンラインで7万円は少し高額なのではないかと感じました。またオンラインプログラムだけでなく、Aさんが案内するアヤワスカリトリートも数日間で40万~60万円と相場より高いです。

次に、コミュニティが不幸な人の溜まり場になりつあることです。参加者の中に人生における苦難や不幸の真っ只中である方々が多いことに疑問を感じています。振り返ると、前回参加した際も、仕事の過労で睡眠障害になった方、引きこもりの方など困難な状況にある方々が多かった印象があります。

今回、私の他にもう1人、2回目以上の参加の方がいらっしゃるのですが、前回参加した時から全く状況が良くなっておらず、Aさんのコミュニティに依存してしまっているのではないかと思いました。

この経験から、高額な参加費を支払ってAさんのコミュニティに参加することで、私自身もスピリチュアルジプシーになってしまっているのではないかと不安を感じています。

また、不幸な人だけでなく、「子宮系スピ信者」「宇宙銀行信者」「レムリア信者」など如何わしい思想の参加者も多いと感じました。

さらに、Aさんへの信頼に最も影響を与えたのは、日本人の自称シャーマンのBさん(仮名)とAさんの親しい関係です。男女の関係など如何わしいものではありませんが、過去に共同でイベントを開催するなど、親密な繋がりがあるようです。私は、Bさんが大学で文化人類学を専攻し、南米の土着の信仰や風習を専門的に研究したことや、アヤワスカでの気づきを創作活動で表現している点は尊敬しています。しかし、彼がまだ完全な覚醒に至っていないと感じるため、シャーマンを名乗る資格やセレモニーを主催する資格はないと考えています。また、最近Bさんがタントラやクンダリニーを誤って解釈したような性エネルギーのイベントを開催していることにも違和感を覚え、こうした活動は控えてほしいと感じています。

正しいスピリチュアルと怪しいスピリチュアルの見分け方と判断基準は何か(自称シャーマンや霊感商法、パワーストーン販売等明らかにおかしいものを除く)、今まで私が関わってきたAさんは信頼に値する人物なのか、どうすればスピリチュアルジプシーにならずに済むか、ご指導いただけますと幸いです。

何卒宜しくお願い致します。

【回答】
ご質問ありがとうございます。あなたのその問いはとても尊いものであり、僕というフィルターを通すことによって、より多くの魂の兄弟姉妹たちの尊い気づきに繋がると思います。

まずお伝えしたいのは、あなたのように「怪しいものには流されず、本質を見極めたい」と真剣に問い続ける姿勢そのものが、既に正しいスピリチュアルの入り口に立っている証だということです。あなたが探しているのは単なる癒しや快楽ではなく「真に魂が成長し、愛を実践していくための智慧」でしょう。それこそが本物のスピリチュアルが目指すものであり、僕らがこの世界に生まれてきた目的でもあります。

どうか僕が偉そうに誰かを責めて否定して説教しようとしているのと誤解しないで下さいね。僕は出会った誰に対しても、人生の苦難に立ち向かう魂の兄弟姉妹として尊敬の念を持ちながら、その幸せを願って天からいただいた真理(悟り)を共有しようとしているのです。

真理というのはみんなを幸せにするものです。だからそれが真理かどうかはそれによってみんなが幸せになるかどうかでわかります。しかし同時に、真理というのは理解し受け入れるのに痛み・苦しみ(成長痛)を伴うものなのです。それがもし簡単に受け入れられて世間で常識化するようなものであれば、人生は成長の物語にはならないのです。

全ての問題の原因は究極「愛の不足」であり、逆に言えば全ての問題の解決策は「愛」なのです。それはこの問題も例外ではなく、例外は存在しません。僕らは「愛とは何か?」を経験を通じて知るため(表現するため)に生まれて来るのであり、全ての課題はそのためのマテリアルなのです。

スピ詐欺師に対して怒りを感じるのはもちろん僕も同じです。しかしスピ詐欺師になる人たちというのは憐れむべき存在なのです。きっと社会ではまともに生きて行けず、自尊心がズタボロになり(愛の不足が原因)、何かのスピにすがって社会からドロップアウトし、スピ以外に稼ぐ手段がなく、自尊心の回復と将来の不安の解消のために無理に金や権威を得ようとしてエゴの権化と化し、詐欺的な手法にならざるを得なくなっているのでしょう。

そういう人たちに騙される人たちというのもかつての彼らと同じように社会でうまくやれずに自尊心がズタボロになり(愛の不足が原因)、スピで何か特別な人間になることで自尊心を高めたい・現実(カルマ=自分の人生の課題)から逃げ出したい・依存したいという気持ちがあるから、スピ詐欺師に依存・逃避し、騙されてカモにされてしまうという連鎖構造があるのでしょう。

騙す側は騙すようになるだけの原因を積み上げた結果騙しているのであり、騙される側は騙されるようになるだけの原因を積み上げた結果騙されているということです。その原因を無視して「こういう人は詐欺師で、こういう人は本物」などという判断基準を伝えたところで、騙される直接的な原因である自尊心の低さ(愛の不足)と依存・逃避願望がある限り、結局は騙されるので意味がありません。騙される人というのは何でも自分の都合の良いように現実をねじ曲げて解釈して自己正当化することが得意だからこそ騙されるのであり、直感で相手を「怪しい」と思っても(他人から警告されても)、簡単にそれをねじ伏せてしまうのです。そういう人はきっと騙されて覚る経験がしたくて生まれて来ているのでしょうから、基本的には本人が自分で覚る以外にないのです。

<創造主直々にいただいた、さとり四カ条>
①偉くなろうとするな。(自他全ての存在が)尊いと知れ。
②特別になろうとするな。特別(主人公)であると知れ。
③日々愛を実践し、特別ではなくなること(差取り・ワンネス)を目指せ。
④幸せになろうとするな、幸せであると知れ(感謝報恩に生きよ)。

わかりますか?スピによって偉い人間・特別な人間になろうとするのではなく、全てが創造主の愛によって存在している尊い特別な存在なのだと悟り、まだ成長過程で愚かで罪深い自分を許して愛し、自分と同じように愚かで罪深い他者も許し愛することです。そして常に今の自分にとってベストなものが与えられていると感謝し、不平不満や恨みを捨て、自分を活かしてくれている全ての存在(創造主)への報恩に生きることです。それが悟りの道なのです。


スピ詐欺に騙される人間というのは、自尊心自体を対象に依存しているのでしょう。依存対象が間違っているということを認めることはその人を信じている自分が間違っていると認めることですから自尊心が傷つきますし、何を信じて良いのかわからなくなり、誰にも理解されていない・認められていない・愛されていないと感じるのが怖いので認められないのでしょう。そして今まで貢いできたお金と労力が大きいほど、依存対象が「詐欺であって欲しくない・本物であって欲しい・自分は騙されているのではない・ここまでしたのに無駄になるのは嫌だ」という思いも強くなるので損切りが難しく、意地になって自らの疑念に抵抗してどんどん深みにハマってしまうのでしょう。それはホスト・ホステスなどにズルズルとハマるのと同じ構造なのです(僕はホスト・ホステスも詐欺だと思います)。己の心がエゴにまみれていて愛(無条件の慈愛)がないから人からも運命からも愛されていないのに、自分が惚れた人の愛だけを金を払って買おうとするからカモにされるのであり、それは己のエゴの毒による自滅なのです。

そして例え騙されていたと確信したとしても、依存・逃避願望がある限り、新たな依存先を探すだけで何も変わりません。根源的な原因は自他への愛の不足であり、神への愛(信心・感謝・信頼)の不足であり、更にそれを原因とする自尊心の低さ・先行きの不安なのです。それゆえにスピで特別な人間になりたい・ラクに生きたい・依存したい・逃げたいという気持ちが生じるのであり、そこを解決しない限り、スピ詐欺に騙される人が騙されないようにはならないんですね。

人生というのは自分をプレイヤー(主人公)とする成長の物語(RPG)であり、誰かに依存することは主人公の放棄であり成長拒否なのです。だから依存(逃避)というのは必ず不幸に導かれるように世界は創られているのです。

問題は依存(逃避)心なのですから、依存対象が詐欺師でも本物でも問題は本質的に変わりません。なので僕がスピ詐欺師を批判して晒し、「こういう人は信用できる・できない」と判断基準を伝えたところで、それは「正しい依存対象の探し方」みたいな感じになってしまい、結局は誰も救えず、単にスピ詐欺界隈で敵を増やすだけで根本的な解決にはならないでしょう。根本的な解決は己の愛(自他に対する無条件の慈愛)を自分で育てて依存心を断つこと以外にないのです。

ゴキブリというものが忌み嫌われることで人に不衛生を悟らせ自発的に衛生を心がけさせるという役割があるように、詐欺師という存在も精神的な不衛生(エゴによる穢れ・蓄積したカルマからの逃げ)を悟らせ、自発的に精神的な衛生を心がけさせる(成長させる)という役割があるのです。「ゴキブリなんて絶滅すれば良いのに」なんて言ったところで設定側(NPC側)は変えられません。同じように詐欺師も今の社会の価値観・システムがある限りいなくなりません。変わるべきは自分であり、自分(主人公)が変われば全てが変わるのです。


>私は、「この世は仮想現実である」というマトリックス的な世界観に強く惹かれています。

この世が仮想現実であることは個人的な世界観ではなくガッチガチの真実であり、それこそが般若心経が伝えているところであって、それは科学(量子力学)によってもほぼ実証されていることでもあるのです。

ただしそれはまだ世間には受け入れられていないのですから、日常生活においていきなりその感覚を前面に出してはいけません。世間とうまくやれず、NPC(エージェント・スミス)たちに叩き潰されますからね。常識的な感覚というのも大事にしなければならないのです。そしてお金の時代の終らせ方に書いた通り、主人公に目覚めた者はNPCたちに気づかれないよう己の精神の間で成長を目指さなくてはならないのです。


>元々不安を感じやすく、深く考え込む性格のため、「生きていくためのライフハック」のような思想や考え方を探求し、心の拠り所とすることが好きです。

僕も深く考え込む性格であり、かつては不安でいっぱいでしたから、ラクに生きる術を知りたい・何かにすがりたい・逃げたいという気持ちはとてもよくわかります。

それでも人生というのは愛(信心)と勇気を試すことで魂の成長を促す仮想現実RPGなのであり、臆病(不安)というのは成長課題なのです。それを自分の(変えられない)個性・性質のように誤解しないで下さいね。その点については極度の人見知りともほぼ同じです。この質問者さんは自分の人見知りを自分の(変えられない)個性・性質のように考え、誤魔化し・逃げるしかないと考えて、人間関係から逃げて孤独に陥り、それを大麻やLSDでごまかし、依存することで不幸に導かれてしまっているのです。

あなたはきっと「私はそんな風にはなっていない」とおっしゃるのでしょうけども、自分の課題を正しく認識せず、乗り越えるのではなく誤魔化そう・逃げよう・何かに依存しようととしているという部分では彼と同じであって(厳しい言い方で申し訳ありません)、もし自分の課題(依存・逃避)を認識することからも逃げるのなら、解決などしようがないのです。だから「詐欺師を見抜く判断基準を身に着け、本物に依存すれば大丈夫」という話ではないのです。自分(主人公)が他人に依存して良いことは何もないのです。

そもそも本物は依存なんてさせませんからね。必ず自分の足で歩かせます。そうしない限り幸せに導くことはできないからです。依存されることを喜ぶのはそれを金に変えようとする詐欺師と、共依存関係になっている相手だけです。

カルマの良化法もぜひご参照下さいね。生きることは苦しみを伴うものですから、ラクに生きる方法を探して拠り所にしたいと考えるのは自然なことです。しかし人生はあくまで成長の物語であって、幸せは苦労を乗り越える過程にあるのです。人生は苦労を乗り越えず成長せずに幸せになれるようには創られておらず、我々は死ぬまで苦労する定めなのです。どっちみち苦労するのなら、能動的・主体的に自分から成長を求めて苦労した方が楽しく幸せなのです。トレーニングだって苦しい思いをしなければ成長できず楽しく幸せにはなれないでしょう。それと同じことです。ラクをしようとすればかえって苦しくなるのであり、だからこそあなたはスピ詐欺師に救いを求めて逆に苦しくなるという遠回りをしてしまっているのでしょう。それは自分の経験から覚らなければいけません。カルマ(=人生の課題)というのは正面から立ち向かうのが最短ルートであり、一番ラクな道なんです。

人生というRPGは愛と勇気が試されているのですから、より愛と勇気が必要な方(苦労する方)が必ず正解なのです。RPGでラクそうな道というのは例外なくトラップであり、必ず遠回りか行き止まりになっていて、最終的にバッドエンドに繋がっているのです。ラクな道(逃げ道)など最初からないのだと腹を括れば腹が据わります。苦労を乗り越えるところ(成長過程)に幸せがあるのですから、ラクをして幸せになるということは絶対になく、ラクをするための努力が報われることも絶対にないのです。

どこかにラクをして幸せになっている人がいると考えて羨むことこそが精神的な不衛生であり、詐欺師という悪役の存在はそれを悟らせてくれているのです。彼らは成功・幸せを偽装し、羨ましがらせて依存させることで稼いでいるのですからね(彼らを羨ましがって依存する人もエゴにまみれているのです)。でも人を騙して金を稼いで幸せになれるわけないんですね。世界の本質はワンネスであり、エゴを動機に行動すると深い部分で自分を嫌いになるように人間はできているのですから。それはエゴ(欲)とは何か?に書いた通りです。


臆病(不安)はあくまでも成長課題であり、その原因は(自他に対する)愛の不足(エゴ)であって、己の愛を育てることによって乗り越えて行かなければならないのです。程度の差こそあれ、人はみんな臆病(不安)に創られているのであり、臆病(不安)なのがデフォルトです。何も恐れない赤ん坊とか見たことありますか?もし初めから何も恐れない人がいたら、その勇気には何の価値もないでしょう。それは単なる無謀であって勇気と呼ぶことさえできません。臆病(不安)な人間が振り絞る一握りの勇気にこそ価値があるのであり、臆病(不安)乗り越える過程に魂の成長があるのです。

それなのに他人と比べて自分は臆病(不安症)だからダメだとか、エゴが強いからダメだとか、そのように言い訳を先に用意して勇気を発揮せず、エゴによって常によりラクな選択ばかりしているのでは成長しようがない=幸せになりようがないのです。人生といRPGにおいて、自分というプレイヤー(主人公)個人のために、臆病(不安)という成長課題・シナリオが与えられているのですから、他人と比べずに乗り越え続けていかなければならないのです。そこにこそ成長・喜び・幸せが用意されているのですから。

あなたはスピ詐欺師たちが悪人で、それに騙される人たちが無辜の被害者であるように認識されている感じがしますが、決してそうではないのだと知って下さい。騙す方も騙される方も自分のカルマ(=人生の課題)を正しく認識せず、ごまかしたり逃げたりすることによってお互いにカルマを増幅しているのです。

人は己のエゴ(による期待)ゆえに自ら騙されるのであり、イノセントで人を疑わないから騙されるのではないのです。だからただ単に疑い深くなることによって騙されなくなるようにはなりません。もしエゴに埋没していて愛のない人間がただ単に疑り深くなっても、人を信じる心を失って余計に周囲に嫌われて孤独になって、信頼し合えるような人間関係が築きにくくなるだけでしょう。そうなればその孤独感につけこまれて余計に騙されやすくなることでしょう。疑うべきは相手よりもまず己の期待が単に自分に都合の良い思い込み(エゴによる願望)ではないかというところです。人は己のエゴ(自分に都合の良い期待・思い込み)ゆえに自ら騙されるものなのですから、詐欺師(NPC)を恨んで被害者意識に陥るのはお門違いということです。

この人生というRPGは、プレイヤー(主人公)が愛(信心)と勇気で世界を救うシナリオになっているのであり、自分に与えられた課題と向き合おうとせず、誤魔化して逃げて何かに依存しようとする者が騙されてより不幸に導かれるのは必然なのです。愛と勇気を試し成長を促すRPGなのですから、逃げようとする・自分だけが救われようとするNPCが幸せになるように世界が創られていたらそれは成立しないのです。カルマ(=人生の課題)からの逃げはバッドエンドを選択するのとイコールだということです。


愛(信心)・勇気・成長がこのRPGの核(存在意義)なのですから、それに反する要素である愛の不足=エゴへの埋没・臆病(不安→保身)には当然「不幸に導かれる」というペナルティーがあるのです。もし真理(愛・ワンネス)に目覚めようとせず、エゴに埋没して臆病で保身しか考えず、そのために平気で他人を傷つけたり何かを奪ったりして害し、魂的に全然成長しないような人が幸せになれるように世界を創ったら、成長の物語として成立しないのです。

実際この世の悪というのは、欲望よりも臆病(不安・保身)を動機としてなされているのであり、臆病(不安)を言い訳にしてエゴに埋没することは悪魔に魂を売ることなのです。臆病(不安)というのはエゴ(執着)由来だと知って下さい。逆に真理(愛・ワンネス)を悟っている人の心というのは平安なのです。自分が全体の一部であり、魂の永遠性を感覚的・経験的に理解できるからです。それは頭だけで理解しようと思っても無理なのです。

エゴ(欲)とは何か?」に書いた通り、エゴは誰にでもあるもので、エゴがあること自体が悪いのではありません。それを愛に昇華しようとせず、己のエゴに埋没すること・暴走させることでエゴは悪魔化するのです。

鬱の人は基本的に無気力で意欲がありませんが、それはエゴがないということではありません。自分の事ばかり考え、自分にとって都合の良いように(被害者意識で)この世界を認識していることがエゴに埋没しているということなのです。鬱というのはエゴの埋没を原因とし、また結果ともしている悪循環構造なのです。しかし鬱の人というのは「自分は欲がないからエゴが弱い」などと考えて己がいかにエゴに埋没しているかに気づけないのです。

世界の本質はワンネスであり、エゴで自分という個体にとって都合の良い選択ばかりしていると、どんどん自分を嫌いになるというペナルティーがあるのであり、逆に人のために無償で尽くすということは、それだけで自分を好きになるという最大のメリットがあるのです。だから損得勘定を捨てて結果(見返り)など何も期待せずに人に尽くすこと(愛)こそが「人が人を騙し騙される」という問題の解決策なのです。

>私は、スピリチュアルには仏教や神道、東洋思想、ヨガ修行、南米の伝統的なセレモニーといった正統なものと、ニューエイジ的な流行に乗った、信頼性に欠ける霊感商法のようなものがあるのではないかと考えています。

宗教や思想だけでなく何事も、本質を見ずに看板(権威)によって良し悪しを判断するのはナンセンスです。刃物を料理に使う人もいれば殺人に使う人もいるわけで、それで刃物そのものの良し悪しを判断しようとするのはナンセンスでしょう。それと同じ事です。善悪があるのはそれを利用する人の目的(動機)・使い方・人間性の方です。あなたが正統だと思っているような宗教や思想なども、今に至るまでどれだけ悪用されて来たか知れません。

看板(権威)によってその良し悪しを判断しようとする「権威主義」の人が多いからこそ、詐欺師というのはまさにその看板(権威)を偽装することによって騙すのが常套手段なのです。オウム真理教なんかも仏教やヨガの権威を巧みに利用して信者をかき集めていましたからね。だいたいスピ詐欺に騙されるというのは本質を見ずに権威(他者評価)によって価値に序列をつけ、信用(依存)できるかどうかなどを決めようとすることが原因なのです。その考え方自体がエゴなのであり、それは愛(真理)に反するものであって、不幸に導かれるのが必然なのです。

本質(愛)が理解できれば、相手がそれをする目的・動機・人間性(エゴか愛か)を見抜けるようになるので、騙されることはなくなります。その本質を見えなくしているのは、己の心のエゴなのです。騙す側からすれば相手のエゴ(願望か不安か)を刺激し、それを満たしてあげられるフリをするだけで、相手は己の勝手な期待を正当化するために理論構築して勝手に騙されてくれるのです。人は己のエゴゆえに自ら騙されるということです。だからこそ知能が高い人でもエゴが強く自己正当化する意識が強ければ簡単に騙されるのです。知能が高く高学歴・高収入の男性が、知能が高くなく美人でもない結婚詐欺師に簡単に騙されたりするのはそういう理由でしょう。


>「この世界はバグっており、洗脳装置(人々の煩悩を量産する仕組み)で溢れている」「この世界は仮想現実であり、仮想現実であると気づかせないために洗脳装置が人々を惑わせている」という結論に至りました。

この仮想現実は全知全能の存在によって完璧にプログラムされているのであり、バグ(偶然)など存在しません。僕ら人間にとってはその完全性が理解できないだけです。そしてシナリオ上の理由があってバグ(偶然)が存在するかのように思わされているだけです。

自由意志の仕組みと存在意義に書いた通り、偶然性というのはこの世界での経験を我々に楽しませるために(自由意志を成立せるために)創造主が用意している仕掛けであり、全てがガチガチの必然だったらRPGとして成立せず、映画を見ているようで自由意志・経験に存在意義がなくなるのです。そして全てが創造主の仕業だとみんなが簡単にわかってしまうようでは信心に価値がなくなってしまうのです。しかし本当は全てが必然であり、偶然も自然も存在せず、全ては創造主の意図通りであり、全ては創造主の愛によって与えられているものだと知って下さい。

この世界のありとあらゆる存在が愛(信心・感謝)と勇気を試すために、我々を不安や怒りや被害者意識に陥れようとしてきますが、それは成長課題なのですから、決して屈することなく信心を持ち、感謝し、報恩に生き、愛を発揮して行かなければ成長などしようがないのです。人生というのは成長の物語なのであり、不安・怒り・被害者意識というのは成長と逆行する要素であり、成長課題なのであって、乗り越えなければならない定めなのです。RPGの主人公というのは「勇者」のことですからね。主人公がエゴにまみれ愛がなく、不安・怒り・被害者意識に駆られているようでは、世界を救えるわけがなく、物語が成り立たないのです。

生まれの格差について(陰謀論)は必ず読んで下さい。世の中には実際に陰謀があります。それがないと考えるのも現実逃避です。しかしそれも創造主の創った仮想現実RPGの内側の話であり、シナリオ通りなのです。RPGの世界が悪魔に支配される一歩手前のディストピアからスタートするのは当たり前のことであり、あなたという主人公がそれを救わなくてはいけないのです。それなのに己の世界観を不安と被害者意識と恨みで満たすぐらいなら、陰謀など知らない方がまだマシです。

ロズウェル事件でUFOが墜落したのも、宇宙人からすれば偶発的な事故だったかも知れませんが、完璧に創造主のシナリオ通りです。その宇宙人が「地球は監獄である」と語ったのも、その宇宙人からすれば真実かも知れませんが、創造主からすれば我々を被害者意識に陥れる意図通り(トラップ)であり、本懐としては我々にそれを乗り越えて感謝して愛せるように成長して欲しいのです。

実に多くの人が「もし創造主がいるのなら、この世をこんな悲惨に創るはずがない」などと考えて被害者意識に陥り、運命を呪い、創造主を信じようとしません。しかしそれがNPC思考なのであり、それを乗り越えて全てに感謝して全てを愛し、自分が世の中を愛一元に還していく起点となる覚悟を持たない限り、本物の主人公にはなりえないのです。

いつも言っていることですが、与えらえれたものの価値に気づいて感謝せず不平不満や恨みで返してくるような人に、もっと与えたいと思う人はいないでしょう。この世界はそういう原理で創られているのであり、感謝できない人間は既に与えられたものまではぎ取られ続け、失うことでその価値に気づかされるような残念な人生になってしまう定めなのです。聖書のヨブ記が教えてくれている通り、与えられた苦難も創造主の愛によって成長を願って与えられているものだと感謝して受け取ることが大事なのです。

僕らがあらゆる病気や事故で死ぬ確率を合わせたらとっくに死んでいます。純粋に確率で考えれば僕らも僕らの世界も生じておらず、僕らは創造主の愛なしには一秒たりとも存在できないのです。だから生かされているということに感謝し、信頼し、何のために生かされているかを考え、自分の使命を果たすことが大事なのです。恐れ(臆病・不安)というのは、全てが創造主から与えられたものであると感謝し信頼していないことが原因なのです。創造主など存在しないとか、己の苦難を他人と比べてそれが意地悪や嫌がらせで与えられていて自分は不幸になるかも知れないなどと考えるから、恐れ(臆病・不安)が生じ、実際に不幸に招かれるのでしょう。


>まず、オンラインプログラムの参加費が7万円と高額であることです。(中略)Aさんが案内するアヤワスカリトリートも数日間で40万~60万円と相場より高いです。

キチガイじみた料金設定ですね。60万円って、どっかヨソでも見た数字です(笑)詐欺師たちはきっとお互い参考にし合ってボッタクリ料金に「相場感」を出しているのでしょうね。

高い=それでも払う人がたくさんいて成功している=信用できる・価値が高い、などと本質も見ずに信用してしまう「権威主義」が根底にあるからこそ、明らかなボッタクリ料金でも納得して払ってしまうのでしょう。やはり権威主義の利用が詐欺師の常套手段なのです。恐らくサクラや自作自演も効果的に使っているはずです。そうやってコロッと騙される人がどんどんお金を払ってどんどん深みにハマってしまう構造は前述した通りです。

キリストや釈迦は常に無償で真理を教えて人を救っていたのであって、大金を払わなければ何も教えず誰も救わないなんて人が本物であるわけないんですね。愛というのは無償でなければ愛ではないのです。例え恋人同士でもSEXでお金(見返り)を要求したらそれは売春(エゴ)であって愛ではありません。それと同じことです。

この問題の根底には愛を価値とせず、お金を価値とするような「権威主義(エゴ)」があるのです。精神的なもの(愛)の価値を権威(金)で計ろうとするから精神(神の精)から愛されず、騙されて不幸に陥るのでしょう。

お金を払って救われようとすることは、自分だけが救われたいという思いの表れであり、お金が払えない人が救われないのは仕方がないと見捨てていることになります。それは「蜘蛛の糸」のカンダタ的思考であり、いずれ自らエゴの地獄に堕ちていくのが必然なのです。

あなたがその「自己の救いを求めて使っていたお金」をもし何の見返りも求めずに人を救うために使うのなら、きっとあなたに与えられた蜘蛛の糸は切れず、救い・幸せに導かれることでしょう。どうかお金の時代の終らせ方(新六波羅蜜)を読んで、新六波羅蜜を行じ、己の中に宿る愛を育てていって下さいね。


>次に、コミュニティが不幸な人の溜まり場になりつあることです。参加者の中に人生における苦難や不幸の真っ只中である方々が多いことに疑問を感じています。

>また、不幸な人だけでなく、「子宮系スピ信者」「宇宙銀行信者」「レムリア信者」など如何わしい思想の参加者も多いと感じました。

そう感じるのはあなたが本質を見抜く感性を持っているということです。まぁ不幸な人が依存(逃避)先を求めて来ているのであり、詐欺師はそういう人をカモにしているのですから、僕に言わせれば当たり前のことではありますけども。そして外から見ればあなた自身もそういうカモなのカモという視点を持つ事も大事だと思います。あなたが直感している通り、そこにいたら確実にあなたも同じになってしまうことでしょう。


>今回、私の他にもう1人、2回目以上の参加の方がいらっしゃるのですが、前回参加した時から全く状況が良くなっておらず、Aさんのコミュニティに依存してしまっているのではないかと思いました。

それも当たり前だと思います。本物の菩薩でさえ人を救うのは難しいことなのに、詐欺師に救えるわけがありません。そもそも本気で人を救おうなんて思ってすらいないことでしょう。単に自分に依存させて金ヅルにしたいだけ・自尊心の踏み台にしたいだけです。そうやって自分自身の魂でさえ救えていない人に、他人の魂を救えるわけがないんですね。


>この経験から、高額な参加費を支払ってAさんのコミュニティに参加することで、私自身もスピリチュアルジプシーになってしまっているのではないかと不安を感じています。

すみません、スピリチュアルジプシーって表現が面白くてつい笑ってしまいました(笑)
はい、まさにそうなっているかと思います。そう感じているのなら早くそこを離れましょう。自分の感性を大事にして下さい。そしてどうか僕のnoteや質問箱もご参考に、本質を学んで下さいね。僕は依存なんてさせませんし、質問も電話相談も無料で一円もかかりませんから。権威主義によって「お金が高いところほど価値がある」みたいに考えないで下さいね。僕はお金では換算できない価値を与えているからこそ(本気で世界を救おうとしているからこそ)無料にしているのです。


>また、最近Bさんがタントラやクンダリニーを誤って解釈したような性エネルギーのイベントを開催していることにも違和感を覚え、こうした活動は控えてほしいと感じています。

あなたが彼を誤っていると見抜けるのは幸いなことです。ただあなたが「控えて欲しい」と感じたところで相手(NPC)側は変わりません。もうその方は自我を霊障に乗っ取られているのであって、相手にしないのが一番だと思います。タントラとかクンダリニーなど、それそのものの是非はさておき、それを悪用する人がとても多いので注意が必要です。

ちなみに僕は個人的にそういう宗教・スピと性を過剰に絡め、性的快感を追求することが神仏の教えに適うとか、悟りにつながるとかみたいな教えに対して非常に嫌悪感を持っており、興味すら湧きません。釈迦もキリストもそんなことは教えてないでしょうしね(かといって僕は初期仏教みたいに禁欲主義的では全然ありませんが)。例え誰かに「それは本質を理解していない、誤解だ」と言われようと「うるせぇ、バーカ!」って感じです(笑)「恥を知りやがれ!」と。


>正しいスピリチュアルと怪しいスピリチュアルの見分け方と判断基準は何か

ここまで書いてきたように、騙される人というのは他人から「判断基準」なんかを聞いても、目的が愛ではなくエゴ(依存・逃避)なのであれば、結局は騙されるので意味がないと思います。

僕は相手を何かの基準に当てはめて判断しているのではなく、人の本質を見て真理に基づいて判断しているのであり、真理を悟り人の本質を知る過程で「こういう人は信用できない」という実例が蓄積して確信を深めているのです。僕が騙されないのは、常に本質を悟ろうとしていて、他人の考え方を参考にはしても依存しようとはしていないからであり、心を自他への愛で満たすべく日々努力しているからです。創造主の愛を心から信じているので不安がなく、自己利益を考えず全体利益しか考えいないので騙されようがないのです。決して疑い深いから騙されないのではありません。

人間の動機は愛とエゴ(我欲・不安)の2つしかないのです。エゴ(我欲・不安)なのか愛なのか、目的・動機・人間性(本質)を見て下さい。相手が本当に心からの信心を持ち、純粋な愛で純粋に相手の幸せを願ってスピをやっているのか、それともただ愛を偽装しスピをエゴ(金儲け・保身・虚栄)の道具にしているだけなのか。己のエゴから離れて相手を見ることができれば、あなたにもすぐにわかるはずです。そしたら大概の人が宗教・スピをエゴの道具にしていることに気づき、結局は自分が本物になる以外にないのだと悟ることでしょう。他人のことより自分がまずエゴ(不安)より愛を動機していくことが成長の道なのです。

判断基準などというものは日々真理を悟り判断経験を重ねている中で自分の中に事後的にできてくるものであって、自分の経験・感性を信じずに他人から判断基準を聞いて、そこに当てはめて何かを判断しようとするようでは、きっとまた騙されてしまうことでしょう。「何を信じ、何を信じないか?」という判断基準を他人に求めること自体が依存なのであり、それは主人公意識の放棄なのです。

僕ら人間にとって世界はわからないことだらけですから、何かを信じるということと無縁では生きることができません。「何も信じない」という人は、自分の勝手な常識を信じているという自覚すらないだけです。

創造主は我々に主人公として「自分は何者であるか?」を自分で決める経験をさせるために、この仮想現実RPGを与え、あえて何もわからない無明な状態で生んでくれているのです。「何を信じるか?」というその選択をする主体者こそが「自分」なのであり、それが自分自身(人生・世界)を構成しているのであり、その「何を信じるか?」の自分なりの答えこそが「自分は何者であるか?」という問いに対する答え(存在意義)なのです。

それでは、あなたが愛(信心・主人公意識)に目覚め、より本質を見抜く目を持ち、幸せになって下さることを心から祈っております。

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