【質問】20代・男性 ペンネーム:ラガー
真也さん初めまして、過去に匿名という形でご質問させていただいて、鬱に近い心の状態だったのですが、noteの記事を見させていただいたり、仏教の教えにとても救われました。今回は相談というか、今心の中ですごく悩みがあります。
自分の家は再婚で僕と兄は父親と血が繋がっていないです。記憶では僕が2歳〜3歳頃に母親と父親が出会っていたと思います。僕が5歳ごろに妹が産まれました。この記憶が正しい記憶なのかもわからないですが、妹が産まれて暫くしてから僕への教育(躾)がとても厳しくなりました。ほっぺを力一杯握力を使い締め上げ痛みで泣くほど締め上げられたり、朝起きないというだけで小学生の自分を真冬の外に肌着のまま放り出されたり、暴力を振るわれた記憶がたくさんあります。こんな家庭は腐るほどあるのはわかっています。何度も手を出された記憶があり、警察に通報したいけど小学生ながら家族の生活の事を考え出来ず、包丁で刺してやろうかと考える事もあり、正直追い詰められていました。
高校でラグビー部に入り見た目的にも実力的にも父親に力で勝てるようになり、手を出されなくなりました。本当に卑怯で気の小さく友達が過去にいないような奴だったんだろうなと思います。正しさでしか自分の価値を表現できない自己肯定感が本当に低いまま生きてきたんだと、真也さんの記事を見て感じました。
僕は本当に父親のことが嫌いなのですが、今家族内で父親の事を好きなのは妹と弟だけです。これが本当に不憫でモヤモヤします。
父親の事を救いたいです。僕がここで動かなければ家族仲はもう一生仲良くなれないと思いました。恐らく弟妹が成人したら母親は離婚したがると思っています。ですが仕事は超真面目で食事のマナーや常識的な事をきちんとしている人で、タバコも即禁煙(妹が産まれた時に。なぜ結婚した時にしなかったのかは謎、既に兄と僕がいるのに←これはエゴかもしれないです)
少なくとも父親がいなければここまで裕福に暮らせていないですし、とても感謝しています。子供目線で見たら嫌いですが、人間的にはとても尊敬しています。何十年も家族のために働いて頑張っているのにた、またま治せなかった性格のせいで孤立していくのが可哀想と感じてしまいます。
ここで父親を救えば、母親も兄も僕も、今中高生の弟妹も大人になった時にもっといい未来があるはずです。母親が父親の悪口(文句に近い)事をよく喋り、口喧嘩の多い現状も弟妹には聞かせたくないですし、父親の存在意義がお金だけになっていて、父親の事を好きな弟妹は僕や母親の父親への対応を見て、どちらの味方につけばいいのかと考えさせてしまうと思います。
文章を読む限り劣悪な関係に思われるかも知れませんが、僕が朝早い時には職場まで車で送ってくれたり一緒に出かけたり普通に会話して笑い合ったりする時もあります。ハリボテの関係に近いですが表面上は仲良くできています。
僕は父親に何を伝えてどんな話し合いをするべきでしょうか?是非アドバイスをいただきたいです。
【回答】
ご質問ありがとうございます。noteを読んでいただけてとても嬉しいです。
何よりもまず、あなたの「過酷な運命」と「幼い日の心に刻まれた心の傷」に深く同情致します。心の傷というのは数値化できるものではなく、他人と比較はできませんし、比較する意味もありません。
ただ我々は似た経験を通じて相手の感情(痛み・悲しみ・苦しみなど)を察して同情し合うことができます。僕らはより深く愛しあえるように、痛み・悲しみ・苦しみなどが与えられているのです。
僕は親の離婚や継父・継母に育てられた経験、実子と比べて明らかに愛情薄く育てられた経験はありませんし、親には生み育てて貰ったことへの感謝と散々迷惑をかけてきたことへの罪悪感以外にありませんが、さりとて虐待としか思えない理不尽な折檻も結構ありましたし、嫌っていた時期も長かったので、あなたの心の傷を慮ることはできます。
そしてそれだけのことをした継父を救おうとしているあなたはとても魂のレベルの高い方だと思います。だからこそより大きな成長を期待され、より難しい課題が与えられているのでしょう。
「悪いカルマの解消法」に書いた通り、課題(カルマ)の大きさ・重さというのは意地悪で与えられるものではなく、それだけその人の'魂のレベルが高いということであり、より大きな成長を期待され、それを成し遂げた先にはその課題の大きさ・重さに応じた幸せが用意されているのです。ですから決して運命(創造主)を恨まないで下さいね。人生はすべからく自分次第に創られているもので、それを罰ゲーム・クソゲーのように解釈しては、本当にそのようになってしまいますから。
この人生というRPGは成長(覚り・ゲームの進捗)に応じてどんどん楽しく幸せになるようにできています。課題の大きさ・重さを理不尽と考えて自分を傷つけた相手やクリエイター(運命)を恨まず感謝して、いつか幸せになって下さいね。
あなたに何よりもまずお伝えしたいことは「自分が嫌っている・許せない相手を救うことはできない」ということです。世の中の問題の原因はすべからく愛の不足であり、逆に言えば全ての問題の解決策は愛なのです。愛なく問題が根本的に解決されるということはないのです。
許せない相手を愛そうとしても無理があります。「許し」とは「愛」の構成要素であり、許し(同情・尊敬・感謝)を伴わない愛は愛ではないのです。僕らは「愛とは何か」を経験的に知り表現するために生まれたのであり、それは「許しとは何か」を経験的に知り表現するために生まれたいうこととイコールです。どうか「誰でも自信満々になれる方法」に書いた僕の「嫌いな人ゼロ作戦」にあなたも参加してみて下さい。きっと幸せになりますから。
今のあなたはまだ継父に対し「嫌い」なのに「我慢」している段階にあり、「許し」は成立していないのです。「許し」とは心の底で和解が成立していることであり、「我慢」は負の感情を無理やり抑え込んでいるだけの状態です。その「我慢」はマグマのように蓄積し、遅かれ早かれいつかは噴火することが自明なのです。
あなたは今現在表面上は継父と良好な関係だと書かれていますが、人間の好き嫌いというのはどうやったって態度に出るもので、お互い常に心の内では嫌い合いながら疑心暗鬼になっている状態では、お互いに存在するだけで自尊心を削られ、あからさまに嫌い合うよりかえってストレスになったりするのです。そして嫌い合っている人同士が何を言い合おうと、お互い素直に聞くわけがありません。だから感情を押し殺して表面的にうまくやる努力などよりも、悪く思わない努力(心から許し愛する努力)が必要なのです。
被害者である自分を高い位置(正・善)に置き、加害者である相手を低い位置(誤・悪)に置いて上から目線で相手を許そうとしても、責める気持ちがなくなるわけがなく、「我慢」にしかなりません。それは相手に対するシンパシー(同情・共感=愛)ではなく、嫌悪・非難・侮蔑を無理やり押さえつけているだけなのです。
自分を嫌って懐かない連れ子2人を含め、4人も成人まで育てるってきっとすごく大変なことだと思います。それも仕事で毎日嫌なことを我慢しながら(あなたにできますか?)。
もちろん幼かったあなたが母の再婚相手である継父に懐けなかったこと・実子に嫉妬してしまったことは無理のないことだと思いますし、継父があなたに対して実子に対するよりも厳しく当たってしまったことも無理のないことだと思います。物事にはすべてそのように止むに止まれぬ事情というものがあるのであり、誰が悪いというわけではなく、お互い許し合う以外にないかと思います。
世界というのは一つ(ワンネス)であり、我々は分離意識を与えられることで自分と他人とは別の存在だと思い込み、愛憎劇を経験させてもらっているだけなのです。あなたの継父もあなた自身の一部なのであり、また鏡でもあるのです。僕らはすぐ他人の非を責めて「自分だったらそんなことはしない」と短絡的に考えてしまいがちですが、僕らの魂は同一・同源であり、同じ時代に同じ環境で同じ遺伝子で生まれ同じ経験をしたら同じことをしてしまうのです。
だから本当に相手と同じ目線に立って考えるということは、想像力をフルに使って相手のことを自分の過去生や未来生として考えるということであり(実際、僕らは自分がしてきたことを逆の立場で経験させられます)あなたが継父のことを自分の過去や未来の自分自身のように、まるで実子に対するように、大いなる愛を持って許すということです。相手は自分自身の鏡なのですから、相手と目線を同じにして自分自身のこととして考えられるようにならなければ、本当の意味で「許し」は成立しないのです。
人間の歪んだ思考や行動というのは、すべからく心の傷が原因であり、自己防衛によりもたらされるものです。あなたは継父から受けた心の傷の深さ・恨み・嫌悪感から、まだ継父の経験と心の傷を深く知って理解し、心の底から同情して許し、ありのままを愛そうとするところにまでは至っていないのでしょう。あなたのご質問内容は全体を通じて継父を嫌うご自分を正当化しているように感じられます。
ですからあなたのやるべきことは「話し合うこと」ではなく「相手の話をよく聞くこと」です。相手の話に対して、良い悪い・正しい間違っている・面白い面白くないなど、あらゆるジャッジをせず、「同情・共感し、経験を共有すること」を目的として、決して否定せず「肯定的に」話を聞くことです。
「肯定的に」というのは相手の意見にこちらが従うことではなく「あなたはそういう経験をして、そういう気持ち・そういう考え方になったのですね。私と考え方は違いますが、気持ちはよくわかります」という感じで、ありのままを受け入れ、相手の気持ちにそっと寄り添うことです。
あなただって自分の話を聞いて気持ちを理解しようとしない人からでは、何を言われても心が反発してしまって聞き入れる気がしないでしょう。それはみんな同じなのです。まず何かを伝えるよりも、相手の話をよく聞いて気持ちを理解し、心から同情することを目指して下さい。そうすれば相手は自尊心が上がり、こちらから直接何かを教えなくても、相手は自分の課題に気づいて自分で乗り越えて行く力を得るのです。だから人間というのはわかりあえた時点で、もう問題が解決されているに等しいのです。
決して「ああ、だから親父はこんなダメな人間になったのだ(自分は正しい=価値がある)」などという己を高みに置きつつ己の被害者意識を正当化するための理由探しをするのではなく、自分の過去生の記憶を蘇らせるように、かつての自分自身の話だと思って話を聞き、例え心の中であっても決して相手を否定したりせず、心からの同情・共感に努めて下さい。あなたが察している通り、きっとその継父には計り知れない心の傷があるのだと思います。
「許し」というものは、創造主より人間に与えられた最大の権限移譲であり、逆に相手を責めるのは最大の越権行為なのです。あなたが許した罪が大きければ大きいほど、あなたは自分自身が知らず知らず犯してきた罪(今生だけではない)を許せるようになり、成長し幸せに導かれていくのです。
もちろん人間というのは何か実害を被れば被害者意識に陥ってしまい、相手を簡単に許すことができないのは誰にとっても初期設定であって当り前のことです。だから僕はあなたにひどいことをしてきた継父を許せないあなたを責めているのではありません。でもいつかそれを乗り越えて自分に害を成した相手を許し愛せるようにならない限り、成長・幸せというのはあり得ないのです。
人生というのはあなたをプレイヤー(主人公)とする仮想現実RPGです。ネットゲームを想像すればわかるかと思いますが、あなたが出会う人はすべて本人そのものではなく、あなたのパーソナルコンピューターの中のゲーム(認識世界・夢)に、ネットを通じてやってきているコピーAIのようなものなのです。それは本人の意思で動いているように思われますが、本当は見えない糸でクリエイターによりあなたの人生の設定・シナリオに沿って動かされているのです。あなたが愛(許し)とは何かを経験的に知り、それを表現するために。人生というのは「許せない」を素材にした「許し(愛)」を表現するための芸術なのです。
この人生というRPGにおいて、プレイヤー(主人公)であるあなたはNPC(自分以外のノンプレイキャラクター)を直接的に変えることはできない設定・シナリオになっています。あなたはゲームで出会ったNPCが自分に対して何か嫌な事をしてきたからといって、その相手(NPC)に対して本気で怒ったり嫌ったりしますか?そんな愚かな人はあまりいないでしょう。プレイヤー(主人公)である自分とそのキャラクターとの出会い・絡みはあくまでシナリオに沿ったものであり、クリエイターの「プレイヤーに自己成長を楽しませたい」という愛情により与えられた、乗り越えるべき課題なのだと誰でもわかりますからね。
バイオハザードでゾンビが出てくるのはプレイヤーが悪いからではありません。ゾンビやゾンビウイルスを作ったアンブレラ社やゲームそのものを作ったカプコンを恨んでもゲームは進みません。結局、己に与えられた目の前の課題(カルマ)を一つ一つクリアして成長してクリアを目指す以外にないのです。それは人生というRPGでも全く同じだということです。
「自分が出会うすべての人・出来事は自分の成長のために与えられた課題である」それが人生というRPGでも全く同じということには人はなかなか気づけず、「課題を解決(成長)すべきは相手(NPCやクリエイター)である」と考えて愚痴を言い(僕も気を付けていてもすぐそうなります)、結局は何も解決されずに「理不尽だ」と、己の不幸を誰かのせいにして恨んでしまうものです。
しかし「運命への呪い」に書いた通り、それはゲームクリアに向けた成長のベクトルとは真逆(被害者意識・自己正当化・怠惰・臆病・逃避)であり、クリエイターの愛に反した思考なので、そのままでは人生というRPGは進まず行き詰まるか事故るかしかなくなり、必ず不幸に導かれる定め(設定・ルール)なのです。
人生というRPGはすべてプレイヤー(主人公)次第にプログラムされているのですが、何でも思い通りになったらゲームは成立しませんので、基本的には思い通りにならないように作られているのです。だから自分の思い通りにならないのは当たり前であり、プレイヤー(主人公)である自分とNPCである他人とを比べたりして、NPCやクリエイターが用意したゲームの設定・シナリオに「理不尽だ」と文句をつけるのはナンセンスなのです。
そしてそのナンセンスさは人間に初期設定された無明(愚かさ)であり、無明(愚かさ)がないと成長のシナリオは描けないのです。その無明(愚かさ)を乗り越えてすべての存在を許し・感謝し・尊敬し・愛せるように自己成長していくこと以外に考えなくなるようになることが覚りの過程において必須の要素であり、人類のマニフェスト・デステニー(明白なる使命・シナリオ)なのです。
僕らが自分にとって嫌なことを言ったりやったりしてくる相手(NPC)に対して怒ってもゲームは進みません。クリエイターがどういう意図を持ってその人・その出来事と出会わせたのか、我々は愛で解釈しなくては課題が正確に見えてこないのです。あなたがどれだけ理不尽に感じることでも、きちんと理由(縁起・カルマ)があり、それはクリエイターから愛によって与えられた課題なのです。クリエイターのメッセージは、物語中のキャラクターや出来事を通じて伝えられるものです。だからどんな人・出来事との出会いも無碍にせず、クリエイターの真意を愛で解釈することが大事なのです。
わかりますか?あなたが継父(NPC)の解決すべき問題だと考えていることは、あなた個人にクリエイターから愛で与えられたメッセージであり課題なのです。そして「問題は解決しなくていい」に書いた通り、課題を乗り越えるということは、必ずしも無理に問題を解決することではなく、相手を許しありのままに愛することができればもはや問題は問題ではなくなっているのです。
あなたは継父を「正しさでしか自分の価値を表現できない自己肯定感が本当に低いまま生きてきた」と考えているようですが、それは非常に多くの人に当てはまることであり、あなた自身もきっとそうなのであって、相手側を自分に都合の良いように変えたいというのは愛ではなくエゴなのです。創造主は継父を鏡としてあなたにそれを気づかせようとしてくれているのでしょう。
「エゴ(欲)とは何か?」に書いた通り、正義というものはエゴであり、エゴは斥力(反発力)なので反発し合うのは必至で、あなたの正義を相手に押し付ければ押し付けるほどあなたの期待とは逆の結果になるのは目に見えています。まして「正しさ」を価値として生きているような相手に直接間違いを指摘したり正解を教えようとするのは、必ず相手のプライドを傷つけ反発を招く愚行なのです。
<メシア三原則>
1.指摘せず気づかせる
(相手のプライドを傷つけない。問題は自ら気づけば勝手に直る)
2.教えず覚らせる
(真理・愛は教えるのではなく実践して背中を見せて覚らせる)
3.自らの学びとする
(主人公は自分であり、出会った相手の問題は自分の課題)
とても忍耐の要ることですが、忍耐を伴わない愛は愛ではありません。
「反省してはいけない」に書いた通り、人というのは他人から間違いを指摘されて責められれば責められるほど自尊心が下がり、「どうぜ自分なんて・・・」と、行動の悪化に歯止めが効かなくなり、更に自尊心が下がるという悪循環を繰り返すものなのです。
あなたはまだ継父に対して、悪い所を指摘して反省と改善を求めることで救おうとしているようですが、それは逆効果にしかなりません。欠点や過ちは誰にでも例外なくあるもので、それを責めては相手も自分自身も決して自尊心が上がることはありません。
自尊心と他尊心というのは連動するものなのですが、人は往々にして自分の自尊心を保つために他人を責めたり蔑んだりして自尊心を下げようとしてしまいがちで、それが人間関係がうまくいかない根本的な原因なんですね。正義を主張し、間違っている相手を見下し、反省と改善を求めて責めることで自尊心を保とうとしてしまうのです。それもまた人間に与えられた無明(愚かさ)なのですが。
その無明(愚かさ)を乗り越え、ただ相手の自尊心を上げることだけ考えて実行して下さい。相手は自尊心さえ上がれば自ずと良い方向に導かれるものなのです。相手の自尊心を上げるには、心にもないお世辞をいったりこびへつらったりすることではなく、「心からの笑顔(許し・愛)で相手の存在を肯定すること」であり、前述したように「相手の話を肯定的・同情的に聞くこと」です。この2つはとても重要なので絶対に忘れず実行して下さい。相手を変えようとするのではなく、相手を深く理解して同情して許し、ありのままを愛することが救いなのです。
人生というのはまさにRPGであり、プレイヤー(主人公)はあなたなのです。しかしその継父の人生においては継父がプレイヤー(主人公)なのです。あなたがゲームをしている時に横で友人に逐一答えを教えられたらどう感じるでしょうか?きっと心が反発しますよね?そこは人生というRPGにおいてもまったく同じなのです。
あなたが自分の答えを教えたり押し付けたりして相手側を変えようとするのは、相手のゲームのコントローラーを奪う行為であり、相手から反発されるのは当然なのです。人は何でもあくまで自分の力でやって失敗もして試行錯誤しながらゲームを進めたい生き物なのですから、相手に答えを教えるのではなく、相手自身に考えさせ気づかせなければなりません。そうでなくては人生というRPGに存在価値はないのです。
人にはそれぞれプライドがあり、自分は正しいと考えています。まして嫌いな相手の言うことには逆らいたくなるのが人間の性であり、そこはあなたも同じだからわかるはずです。ですからあなたが正しいことを言えば言うほど相手から嫌われてその正しさから遠ざけてしまうことになるのです。
だから決して相手の側を変えようとしてはいけないのです。上から何かを教えることで相手を救おうとするのではなく、話を聞くこと・実践を通じて背中を見せることで相手に自ら覚らせることを大事にして下さい。
人生は自分を主人公とするRPGであり、すべからく自分次第に創られています。あなた自身が変われば、自ずと相手も変わるのです。自分が認識している相手は自分のゲームのNPC(コピーAI)なのですから当然です。
「憑依現象(霊障)について」に書いた通り、人間には複数の意思が存在しているのであり、あなたの継父はあなたに対して罪悪感を感じている意識がきっとあるはずです。その意識では「何であんなことをしてしまったのだろう」と後悔していることでしょう。でも罪悪感が強く「許されるはずがない」と考えているからこそ、あなたへの接し方を自らを改めるということができず、意地になって悪役を続けてしまっているのだと思います(あなたにも経験ありませんか?)。もしあなたが継父に対して許し・愛を態度で示すなら、きっとその継父も自分の愛に素直になって自らを改められるに違いありません。
でも決して結果を期待せず、ただただ与えられた経験と自分のする行為を愛して下さい。つまり継父の人生を深く知り同情し愛すること自体を目的化して愛して下さい。ただ継父に奉仕して態度で許し・愛を示して下さい。「父親を救いたい」と思うこと自体は素晴らしいことです。しかし「救われる」という結果を期待するということは、すべてを与えし創造主に対して見返りを求めることなのです。これをしたからあれをして下さいというように。
真理に適った思考・行動は期待せずとも(期待しないからこそ)自ずと良い結果がついてきます。それを信じる事が創造主たる神を信じるということです。
相手に何かを話す(教える)ことで、相手を自分の都合の良いように変えようとしないで下さいね。それは傲慢であり、クリエイターの愛に反するのです。
あなたが今現在嫌っている継父は、あなたの解釈(世界観・人生観)が創り出す認識世界においてあなたにとって好ましくない人なのであり、妹さんや弟さんの認識世界では別人であって、そこではきっと本当に良き父親なのでしょう。それなのに彼らが父親の悪い所が見えていないとか騙されていて哀れだなどと考えるのはあなたのエゴであり、人間観・世界観の押し付けであり、余計なお世話であり、やってはいけないことなのです(カルマを深めます)。
それとあなたの母親と継父の関係は長年連れ添った男女間の話であり、他人には知り得ない愛憎の入り混じった複雑な感情があるのは当然で、あなたに愚痴を言ってはいても、あなたと同じように継父を見ているわけではないと思います。
あなたは誰かが言っていた悪口を(「私はあなたの味方だから」と親切を装いつつ)わざわざその相手本人に伝えてしまう「人間関係クラッシャー」に会ったことはありませんか?あなたの今までの考え方だとそれと同じ愚行をしかねない感じがするので、どうぞご注意下さい。
もしあなたが継父を許し愛することができれば、継父の人生も夫婦仲も勝手に改善されることでしょう。本当です。あなたがいる世界はすべてがあなた次第の認識世界なのですから。一か月でもやってみればわかります。人「間」というのは関係性によって創られるものなのだと如実にわかることでしょう。そしてここまで僕が書いてきたことがあらゆる人間関係に通じる真理であることに気づかれることでしょう(他の人にも同じようにして下さい)。
自分に都合の良いものなら赤ん坊でも愛せます。それがエゴなのです。真に大人になるということは、自分に都合の悪いものも「自分の成長に必要だから与えられた課題なのだ」と愛し感謝しながら受け取って、乗り越えていけるようになることなのです。
簡単に許せる人を許し、簡単に愛せる人を愛しても価値はありません。許し難い人を許し、愛し難い人を愛せることに価値があるのであり、もしそれができたあなたは、きっとより自分を許して愛することができ、より大きな幸せを感じることができるようになることでしょう。
それでは、あなたとご家族の幸せを心より祈っています。
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