【質問】年齢性別不詳(旧質問箱からの転載)
ニート・子供部屋おじさん・彼女の家に居候して生活費も彼女持ちのヒモ・友達の家を転々としていたり実家暮らしで、遊び金だけバイトして稼いでるだけのフリーターなどをどう思いますか?
【回答】
どう思うも何も、僕自身が筋金入りのニートなので(笑)そして彼女一人に依存はしていないだけで、男女問わず多くの人のヒモであります(笑)今の寮に入るまではホームレスで友人宅を転々としたり野宿したりしていましたしね。
世の中「大人になっても働かずに養われていて自立できない人間が気に入らない」方はたくさんいるでしょう。
しかしもし自分が「大好きで得意な事で社会に貢献し、高い評価と多くの対価を得ている人」なのなら「働かない人(働けない人)たち」を可哀そうだと思うはずです。
それなのにわざわざそういう人たちをやり玉に挙げて責めようとする人は、恐らくお金のために嫌な仕事を責任持ってやっていて、それでも十分な評価と収入が得られず、生活保護受給者と大差のない生活しかできない状態なのではないでしょうか?
もしそうなら「こっちはこんなに嫌な仕事を我慢しながら働いているのに、ラクしやがって(不幸になれ)」と、働きもしないで生活できている人たちを腹立たしく感じるのは当然で、そのような人たちを責めることによって「自分は彼らよりはマシな人間だ」と、自分が奴隷的な仕事を続けるせいで失っている自尊心を回復せざるを得なくなっているのでしょう。そして働けない人を思いやれる心など完全に失っているのですね。
しかし誰しも病気や事故などで働けなくなったり、何かの事情で財産を失ったりする可能性は多々あります。またいつか誰しも歳をとって働けずに介護を受けるようになるでしょう。
「働いてよりお金を稼ぐことが人間の価値であり、働けない人・お金のないの存在は迷惑であり排除すべき」などと考える人は、もし鬱などで働けなくなって(お金のために嫌な仕事を我慢してしがみついていたら鬱になる可能性は大です)お金もなくなったら、自分が無価値で不要で迷惑な存在だと感じるようになり、自分を責めて人を頼れず、きっと自殺に追い込まれることでしょう。
また歳をとって介護が必要になったら迷惑だと思われながらお金のために嫌々世話をされ、財産だけ残して早く死んで欲しいと思われるようになるでしょう。
現代の価値観の社会では、多くの人にとってそのような生き地獄の如き未来が待っているのです。人間関係は完全に鏡であり、すべて自分に返ってくるのです。
現代は「お金を持たない人間は役に立たずで、社会の負担で迷惑なので排除すれば良い」などという「適者生存的な考え方」を多くの人が持つことにより、排除されることを恐れ、嫌な仕事も嫌々我慢しながらやって、嫌な人間になって心に愛を失い人に嫌われ、結局いつかは働けなくなって社会から排除されるのです。
それは支配者側にとっては非常に都合の良い状況であり、多くの人がそうして自ら彼らの奴隷となり、その支配体制を支える一員になっているのです。
僕はそんな地獄のような社会には生きたくないので、社会の価値観ごと変えてしまおうと思っています。価値観が社会システムを作っているのですから、価値観が変われば社会システムは必ず変わります。note記事「宇宙の仕組み」に書いた通り、自分の認識世界は主人公である自分自身が作り出しているものであり、全てはフラクタルにできているので自分が変われば必ずそれは連鎖するのです。
人の価値って一体何でしょうか? note記事「人の価値とは?」に書きましたが、人の価値は存在そのものなのです。すべての存在に意味と役割があり、価値のない存在などどこにもないのです。すべての存在・出来事は一つなぎであり、すべてが壮大な因果でつながっていて、独立して存在しているものなど何一つないのです。それなのに自分がただ他人から命じられた仕事をこなしてお金を稼いでるってだけで自立した人間だなどと考えるのは無知かつ横柄であり、自立を人生の目標にするのは大間違いだと僕は思います。
猫は人に飼われなくても生活できるのに、素直に人に甘えてくれて世話する喜びをくれます。一切働かず一日中食う・寝る・遊ぶだけですが、生きる喜びを素直に表現するだけで人を幸せにし、孤独を癒してくれます。あなたは誰かにとってそういう存在になれているでしょうか?それはお金稼ぎよりずっと大事なことだと思います。
note記事「誰でも自信満々になれる方法」に書いた通り、僕は例外なく出会いに感謝し、出会った人を例外なく愛し・尊敬し・感謝し・許すことを決めているので、どんどん人に愛され、自分自身を大好きになっています。
「こういう種類の人間(働かない人間など)は気に入らない」と出会う前から人間をカテゴリー分けして先に嫌うことを決めてしまう人は、過去だけでなく未来の出会いまで既に失っているのです。
もちろん「働かずに養われている人」の多くは幸せではないと思います。人生は成長のためのプログラムであり、ラクして成長はできませんから、ラクして生きているように見える人は不幸であり可哀そうなのです。
人は基本的に人を幸せにすることでしか幸せになれないようにプログラムされているのに、ラクをして怠惰に生きている人というのは基本的にエゴイストで、人を幸せにせず不幸になっているのです。人に何かしてもらって素直に感謝し喜べる人は人を幸せにしていると思いますが、多くの人は自分に与えられるものを当然と考えて感謝していません。
そういう人たちに対して説教などしても自尊心を下げて自己嫌悪に陥らせて「どうせ自分なんて…」と考えて悪い思考・行動がやめられず逆効果になりますから、自分自身が無償で人に貢献し、人を愛し人に愛され幸せに生きている背中を見せることで、「他人を幸せにすることなく自分が幸せになることなどできない」ということ(ワンネス)を覚らせなければならないのです。
僕は働かずに生活していますが、それはお金を稼ぐために働いていないだけで、人を救う為に勉強し、その果実を人と共有し、また一日中人に奉仕して、人を幸せにしています。そうして多くの人に存在を喜ばれて愛され、助けられてそれを素直に心から感謝することでまた人を幸せにしながら幸せに生きているのです。
本当は僕らはもうほとんど働かなくても生きていける時代になっています。それなのにエゴで争い合い奪い合ってばかりいるからいくらあっても足りないようになっているのです。AIが進化によって本来僕らはどんどん働かなくてよくなっているはずなのに、仕事能力と稼いだ金を価値とする価値観のせいで、AIに仕事(存在価値)を奪われることに戦々恐々としています。それは本当にバカげた話です。
本当に愛があればみんなが助けてくれますから給料でお金を稼ぐ必要などないのです。結局多くの人は愛される自信がないから嫌な事をしてでもお金を稼いで自立を目指し、エゴ(我欲・保身・虚栄)まみれになって益々愛されない人間になってしまっているのでしょう。
特に女性がそうして自立を目指して人に愛されず婚期を逃してどんどん意地悪な人間になっていくのを見るのは辛いです。
だいたい仕事をするのにも人を頼れなければ大きな仕事はできませんし、他人でもできるようなつまらない仕事を嫌々奴隷のようにしなければならなくなります。嫌々仕事をしていて人から愛される人間・社会的に成功した人間などいません。
愛の存在要件は「他者の必要性」です。創造主は存在の全てであり、完璧な存在であるがゆえに他者が存在せず、必要ともしないために、存在意義がなく、愛を経験できないのです。だから創造主は愛を経験するために人間とこの世界を創り出したのです。
誰かの助けを必要とする人がいるから、それを満たしてあげることで愛は生まれ、自分にも相手にも存在意義が生じるのですから、人に頼られる(必要とされる)のは光栄なことであり、それを迷惑だなどと思って見下すから、自分が人に迷惑をかけて見下されることを恐れて人を頼れないのです。そうやって人を見下しているために、人に見下されることを恐れて嫌な仕事にもしがみつかなければならなくなっているのでしょう。
「欲は悪いものですか?」に書いた通り、エゴをなくせば良いというわけではありません。愛とエゴは磁石の両極のようなもので、片側だけでは存在し得ないのです。何かを欲してくれる存在がいるから、それを満たすことで愛は生まれるのであり、みんなが出会った人のエゴを自分のエゴよりほんの少し優先して満たすようになれば、現代社会のようにエゴは肥大化せず愛に満ちた社会になるのです。自分が主人公(勇者・メシア・菩薩)としてその連鎖反応の起点とならなければなりません。
どうかお金など無視して、無償で見返りを求めずに、あなたの大好きで得意なことで人を喜ばせてみて下さい。例え最初はお金を稼げず生活が不安定になり、例え国や誰かに養われることになってでも、長期的にはきっと人生が好転するでしょう。どっちみち人が嫌がる仕事は遠からずAIにとって代わられます。
みんな貧困を恐れますが、貧乏なんてゲームだと思えば楽しいものですよ。素直に人を頼り、無償で人に奉仕し、清潔を心がけ、本当に愛と感謝に生きている人は飢え死になんてしません。必ず幸せになります。僕は経験上それを確信しています。
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