2023年9月25日月曜日

自己嫌悪・厭世観・希死念慮で辛い

【質問】20代前半・男性
はじめまして。人生相談があるのですが、お願いできますでしょうか。

死にたい気持ちや厭世観、自己嫌悪の気持ちが止まらないのですが、どうしたら器の大きいポジティブな人間になれるでしょうか?

悲しくなったり、それを誤魔化すためにいつもイライラしてしまうのですが、もう最近は自暴自棄を止められずに、誰かと殴り合いでもしてしまいそうな始末です。(本当はとても小心者なのですが、突っ張ることで虚勢を張らないと自分が潰されてしまいそうで、それが今でも続いてしまっています)

誰でも自信満々になれる方法を読んで、試そうと思っても、いざ嫌いな人を前にするとイライラでそれどことではなくて、相手と距離を取って心を閉ざしてしまいます。誰かを傷つけたり、犯罪を犯すくらいなら、もう消えてしまいたいという気持ちが消えません。

【回答】
ご質問ありがとうございます。僕もあなたの歳の頃はまさにそんな感じでしたので、お気持ちはよくわかります。それは狭義の鬱ではなくても広義では完全に鬱状態であり、霊障に犯されている状態なんです。ただそれは成長(覚り)に必要な過程ですから、どうか落ち込まないで下さいね。

まず、自殺・安楽死するとどうなるか?に書いた通り、人の痛みのわかる魂に成長するには死にたくなる経験も必要なのですが、「いざとなれば死ねばいい」と自殺を問題解決の選択肢のようにして考えるのを止めて下さいね。そこに導かれるような悲惨な人生になってしまうので。

誰でも自信満々になれる方法は僕からの究極のアンサー(愛)であり、僕は100mを10秒で走るように言っているわけではなく、覚悟さえあれば誰にでもできることしか書いていないのですが、あなたと同じように「自分には無理です」っていう感想が結構多いんですね。

楽器の演奏と同じで、最初からできないのは当たり前です。そういう自分も愛しながら少しずつ続けて成長していくことを楽しむのが大事なのであって、最初からできないからといって、既にできている人と自分を比べて「自分には無理です」と諦めてしまっては話にならないのです。あなたの質問は僕からすれば、バイオハザードで「私はゾンビが怖いから逃げてしまうのですが、どうやったらクリアできますか?」と聞かれているような感じです。

僕は「絶対に逃げてはいけない」と言ってあなたを追い詰めているのではありません。RPGでも自分が弱っている時やレベルに相応しくない強敵に出会った時は逃げるべきです。でもいつまでも逃げていてはゲームが進まず、永遠にクリアできません。人生というRPGにおいて苦手な相手も、いつかは対峙して乗り越えていかなければならない課題なのだと認識して下さい。

人間関係は完全に鏡であり、あなたの苦手な相手は時間差のある拡大鏡です。宇宙の仕組みに書いた通り、あなたの認識世界のすべてがあなた自身の反映なのです。だから誰かを嫌うほど自分自身が嫌いになるのは当然と言えます。だから愛を無条件化していくことが大事だと常々僕は言っているわけです。

自尊心は幸せの根幹であり、あなたは自分自身を嫌っているから他人も嫌いになるのであり、あなたは相手が嫌な対応をしたくなるような態度を無自覚にしているのでしょう。そういう相手を嫌っていたら自分自身も嫌いになる無限ループに陥るのは当然です。すべての存在・事象は創造主なのですから、自分も他人も嫌いではすべての存在・事象があなたの敵になってしまいます。

人は「風の谷のナウシカ」の腐海の植物のように、己の心の水がエゴの毒で汚れているから、己の心の住民である相手は毒を生じるのであり、己の心を愛で満たして綺麗にしたなら、相手も毒を出さなくなっていくのです。

だからまずは自分も他人も責めず許すことです。あなたが嫌な人は嫌な人になるだけの心の傷を抱えているのです。あなた自身と同じように。本当は愛されたいのに止むに止まれず嫌な人になってしまっているのですから、その原因となっている心の傷にまず同情して思いやって下さい。

ただ確かに誰でも自信満々になれる方法」「宇宙の仕組みはこれからピアノを始めようとしている人に対してショパンの弾き方を解説しているような厳しさもあるので、まだ主人公としての目覚めが遠いNPC状態にいる魂の同志達に対しては、もっと容易で実践的な上達方法を伝えなければならないとは常々感じておりました。ので、その「もっと容易で実践的な上達方法」をお伝えしたいと思います。

僕に相談してくれたのですから、まずは僕を信じてただ実行してみて下さい。大事なことは、結果(見返り)を求めずにただ実行するということです。

1.お年寄りにインタビューする
2.自分大好きエピソードを重ねる
3.浄霊し、カルマを軽くし、己の信心
(感謝の心)を育てる

それぞれ解説していきますね。

1.お年寄りにインタビューする

ノートとペンを手に、ぜひお年寄りにインタビューしてみて下さい。(失礼ながら)できるだけ余命が少なそうな人が良いです。身近にいなければ公園や神社仏閣や老人ホームなどお年寄りがいそうなところに行ってみて下さい。何かの成功体験を聞かせてもらうためではないので、本当にどこにでもいそうな人で構いません。どっちみち今あなたに一番必要な人と出会いますから。

いきなりノートを取ろうとすると怪しまれるので、話しかけてある程度慣れてから「自分の人生勉強用に、何でもいいのでお話を聞かせて下さい。どこかに載せる訳ではありません」という感じでインタビューをお願いしてみて下さい。

まだ若く、しかも鬱で孤独に陥っている状態にあるあなたの人間関係はきっと狭く、付き合いがあるのは同年代の若い人が割合としては圧倒的に多いことでしょう。しかし若い時というのはどうしてもエゴが強く、それは反発しあうのが必然なんですね。それでお互いに責め合い、争い合い、奪い合い、マウントを取り合ったり意地を張り合ったりしてしまうものなのです。

もちろん歳をとってもそのまんまっていう魂のレベルの低い人も多いんですけど、全般的に見ればお年寄りというのは欲が下がって角が丸くなり寛容で優しくなっているものなので、あなたが好き嫌いなどのエゴを前面に出さなければぶつかる事は少ないでしょう。

お年寄りというのは往々にして周囲に話を聞いて貰えないことに不満を抱いているもので、もう死期が近づいているのにせっかくの自分の人生経験を若い人達に伝えられず、自分の存在意義に苦しみがちなのです。だからこそ、お年寄りというのはただ話を聞くだけでこちらを好きになってくれて、自分の経験を生かして貰いたいために話を聞いてくれた人を応援してくれるものなのです。

あなたには人を愛し愛されるという経験が圧倒的に不足しているために今の状況に陥っているのでしょうから、まずはあなたの心(仏国土)に、あなたを愛してくれる住民を増やすことが大事です。きっと彼らがあなたの大応援団になってくれることでしょう。

インタビューさせてもらう際に留意すべきことは、『感謝・尊敬・慈愛の念を持って真摯に接すること(決して見下したり憐れんだりしないこと)』と、『聞きに徹して(相手と違う自分の意見は言わない)相手の話を一切否定せず、肯定的・共感的に話を聞くこと(好き嫌い・良し悪し・正しい間違ってる・面白い面白くないなどを判断しないこと)』です。話を聞く目的をジャッジしたり改善したりすることから、経験と感情を共有することに置いて下さい。

相手は自分の鏡であり、悪い感情を向ければすべて自分に返ってきますからね。お年寄りを見下せば、自分が歳をとるのが苦しくなるだけです。必ず感謝・尊敬・慈愛の念を持って真摯に接して下さい。

そして自分の話は極力しない方が良いです。特に相手が鬱っぽい人の場合、自分と意見が違うというだけで、自分の意見が否定された=自分の存在が否定されたと感じてしまうものなので。あくまでもインタビューの主役は相手であり、相手と共感し肯定する時にだけ最小限自分のエピソードを話せば良いのです。

相手はあなたに替わってあなたにはできない貴重な経験をして、それを無料で共有してくれて気づき・学びを与えてくれているのですから、無条件で尊敬・感謝すべきなのは当然です。決して否定したり自分の意見で相手の話の腰を折ってはいけません。

そうして感謝・尊敬・慈愛の念を持って真摯に話を聞かせて貰えば、きっと素晴らしい気づき・学びが得られるだけでなく、人を許し愛することを覚えて、愛されて自尊心が高まることでしょう。

鬱で自己嫌悪と厭世観に満ち、希死念慮に陥っている人がモテるわけがありませんが、あなたがおばあちゃんたちの話を聞いてモテモテになれば、きっと若い女性からもモテモテになるに違いありません。人を愛し愛される経験を積めば、自己嫌悪・厭世観・希死念慮など霧散してしまうことでしょう。

そしてこの「人との接し方」はお年寄りだけではなく、あらゆる年代の人に対してもこうあるべき「人間関係の基本」であるということにきっと気づかされることでしょう。


2.自分大好きエピソードを重ねる

あなたはきっと他の大多数の人と同じように、他者評価に捉われていることでしょう。特に日本人は基本的にそのように育てられるのですから仕方のないことです。それは初期設定の課題であり、乗り越えなければ魂の成長はないのです。

他人の評価は一切関係なく、誰が見ていなくても、自分で「この人好きだなぁ」と自分を好きになれるようなエピソードを重ねていって下さい。

今のあなたに言っても通じるとは思えませんが、すべての存在はひとつ(ワンネス)なのです。エゴを動機に行動すると、マグマのように深い部分に自己嫌悪が溜まってどんどん自分を嫌いになってしまうのです。

欲は悪いものですか?に書いた通り、エゴをなくせば良いという話ではないのです。愛とエゴは磁石の両極のようなものであり、片側だけでは存在し得ないのです。何かを求める(他者の必要性がある)からこそ、それを満たすことで愛は生まれるものなのですから。

エゴで反発し合って嫌な人を排除しようとしても、それは磁石を削り落すのと同じでどんどん己を小さく孤独にしていくだけです。

人と人がぶつかり合うのは、必ず磁石の同極同士のようにエゴがぶつかり合うからなのです。

だから自分を好きになるには、相手のエゴという極に対し愛という極を向けることです。一切結果(見返り)を求めず完全に無償で自分のエゴより少しだけ相手のエゴを優先して満たしてあげるというエピソードを重ねることです。それが愛ですからね。

具体例として僕のエピソードを話しますね。

全財産を放棄してホームレス乞食を始めた頃、乞食の調子が良くなくて、晩御飯代を稼ぐのに3時間ほどかかったことがありました。ようやく手にした数百円分のレアルを手にして晩御飯を食べに行こうとしたところ、創造主の声を聞きました。「それを全部乞食にあげてごらん。きっと素敵なものが手に入るよ」と。

僕は「えーっ」と思いましたが、ご飯屋さんへの道の途中で僕と同じ歳の日系ブラジル人の乞食友達に会い、まだ晩御飯を食べれてないというので、創造主に言われるがままに持ち金を全部彼に渡してしまいました。彼は驚き「え?真也さんのご飯はどうするんですか?」と聞いてきたので、笑いながら「あ、僕は一か月とか断食したことあるし、一食抜くぐらい全然余裕だから」と答えました。

すると彼は泣きながら土下座して「ありがとうございます!このお金はいつか絶対返します!」と言いました。しかしアル中の彼は結局そのお金で酒を買い、翌日会ったらまた土下座して謝ってきたのでまた笑いました(笑)

まぁでもそんなことは僕には関係ないのです。僕は彼から感謝してもら貰おうとか、お金を返して貰おうとか、何か見返りを求めてしたわけではありませんからね。

またあなたや読者さんからの他者評価が欲しいために良い人アピールがしたくてこのエピソードを書いたわけでもありません。だからあなたや読者さんがこの話を信じず評価しなくても僕にとってはどうでも良いのです。

この話の大事なところは、僕自身が「なんてヤツだ。彼にどんな欠点があって過去にどんなに罪や恥を重ねていようとも、こんなことができる彼が悪い人間のわけがない。僕は彼が大好きだ。彼はきっと多くの人を幸せにする人間に違いない。絶対に生き延びるべきだ」と、自分自身を大好きになれたことなんですね。創造主の言っていた「素敵なもの」というのが「自分のことが大好きである」という「揺るぎない自尊心・自己肯定感」だったのです。誰からも評価されず誰に否定されようと、僕は僕自身を好きでその価値を知っているから関係ないのです。

もちろんその時はただ創造主に言われたからやったことなのですが、人のために何かをすると、それを例え相手にも誰にも評価されず何の見返りがなくても、自分で自分を好きになれる「自尊心」という最大の見返りが即得られるということが実感を持ってわかったので、今ではそういう一切結果(見返り)を求めず人に奉仕する(エゴを乗り越えて愛を発揮する)「自分大好きエピソード」を日々自発的に重ねているのです。

鬱というのは自尊心の病であり、人は鬱状態に陥ると、反芻思考で何度も嫌なエピソードだけを選択的に繰り返し思い出して自分も他人も世の中も全部嫌いになる高速回路みたいなものができあがってしまいます。その高速回路を断ち切って自分を救い出してくれるもの、それがこの「自分大好きエピソード」なのです。あなたの過去にそういうエピソードが一つもなくても、これから一つ一つ積み上げていけば良いのです。どんどん目の前の人に無償で親切にして、困っている人がいたら助けてあげて下さい。

誰でも自信満々になれる方法にも書いてますが、能力とその他者評価を高めることで自信を持とうとしても無理なのです。器の大きいポジティブな人間になりたいのなら、もっと人を無条件で愛することです。出会った人に対して例外なく慈愛・思いやりの心を持つことです。

コミュ障の人と接して感じる事は、コミュニケーション能力以前に愛(思いやり)に欠けていて、自分の都合ばっかり考えてエゴに埋没しているということです。そしてまたそれを当たり前だと思っているのか、自分には愛(思いやり)が欠けているという自覚もなく、相手の気持ちを考えずに相手が嫌がることをして嫌われるんですね。そして他者評価に依存しているがゆえに嫌われる度に逐一深く傷ついて自尊心を持てず精神的に引きこもっているのです。

コミュニケーション能力なんかより愛(思いやり)を育てることの方が大事です。心に愛(思いやり)がなくコミュニケーション能力ばかり高くても、きっと自己利益の為に相手を利用することしか考えない人間になり、結局は誰からも愛されず不幸になっていくのです。愛(思いやり)の心を育てるということは、エゴ(欲)とは何か?」に書いた通り、エゴを乗り越えて愛を発揮する(自分のエゴより相手のエゴをほんの少しだけ優先して満たしてあげる)経験を積むことなのです。


3.浄霊し、カルマを軽くし、己の信心(感謝の心)を育てる

これについては悪いカルマの解消法に既に書いていることなので割愛します。

あなたはあまりスピリチュアルなものを信じない方なのかも知れませんが、半信半疑でもとりあえず信じてやってみる、という姿勢がなくては、今あなた自身を不幸にしているあなたの常識に捉われたままになり、成長する機会が一切なくなります。

とりあえず信じてやってみて悪い結果になっても、必ず経験は手に入ります。そして経験(それを感じる感情)こそが僕らが生まれてきた意味であり価値なのです。

人間は成長のために敢えてわからないことだらけに創られているのですから、何も信じずに生きるということは不可能です。何も信じていないという人は自分が自分の勝手な常識を信じているだけであることに無自覚なだけです。そしてその常識というのはスピリチュアルを配した唯物主義・資本主義(金拝主義)であり、エゴのために生きるのが当たり前だという考えであり、それは悪魔教を信奉しているに等しいのです。

何でも疑ってかかる懐疑主義によっては決して真理(愛・幸せ)には至らないのです。まずは経験してみて、実感を通して何が真理で何が間違っているのかを知ることに意味があるのです。真理(答え)に意味があるのではなく、それを求める過程(経験)が真理(答え)を価値ならしめるのです。

創造主は信心というものを価値ならしめるために、あえて神を信じるに足りないもののように環境設定しています。その初期設定の常識に負けてはいけません。あらゆる常識は初期設定であり、それは必ず乗り越えるべき課題を含んでいるものなのです。常識が真理ならあなたという主人公の存在意義はありません。

最後に、あなたの歳の頃の僕もまったくNPC思考そのものでしたから、あなたが今のような状況に陥っている苦しみはよくわかります。しかしそれもあなたに必要な経験だから与えられているのです。同じ苦しみを味わっている人たちに心から同情できる人間になり、いつかきっと主人公として目覚め、周囲の人も主人公として目覚めさせられる本物のメシアになって下さいね。

それでは、あなたがあなたの望み通りポジティブで器の大きい人間になって、幸せになることを心から祈っています。

2 件のコメント:

  1. ご回答ありがとうございます。質問したものです。
    前から発信やnoteを見続けていたのですが、
    「自分と他人を責めることを同時に辞める」
    ということをすっかり忘れていました。
    視野が狭くなるとロクに考えもできなくなりますね。

    アドバイスありがとうございます。
    自分のことを愛することも、
    他人からも愛されることも、
    確かに薄れていっていました。

    人見知りなのですが、お年寄りの方に
    インタビューしてみたいと思います。

    今は広義の鬱状態ですが、
    昔誰にも悩みを相談できなかった苦しさが分かるので
    お年寄りだけでなく色んな人の悩みを相談されるような
    頼れる人間になりたいです。

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  2. コメントありがとうございます。(気づかず遅くなり失礼しました)
    感想をいただけて伝わっているのがわかるととても嬉しいです。

    そうですね、鬱の時っていうのはそういう夢の中にいる感じで、
    意識が顛倒していることを自覚できませんし、よしんば自覚しても
    鬱でない時の思考を想像する事もできません。
    目を覚ます以外にないのです。

    そして目を覚ますには実践あるのみです。
    お金がかかるわけでもなく何を失うわけでもないので、
    結果を求めずただ実践してみて下さい。

    最後の一文は本当に嬉しいです。
    衆生を救う主人公(勇者・メシア・菩薩)として
    目覚めて下さいね。

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コミュ障を克服したい

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