2022年12月19日月曜日

なぜLGBTに救いが必要だと言うのか?

【質問】20代男性 ゲイ
なぜ性的マイノリティに救いが必要だと仰っていたのか疑問です。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

僕は救いが必要でない人間というのはいないと思います。人生というのは魂の成長の為に人それぞれ乗り越えるべき課題が山積しているものだからです。

そして僕は「より」困難を抱えている人ほど「より」救いが必要と考えています。決してLGBTに限定して発言してはいません。(本当は自分の困難を他人と比べること自体がナンセンスなのですが)

また僕がLGBTとは別の困難を抱えている人(障碍者・犯罪者など)を「より救いが必要」とまるでLGBTと同列のように発言しているのが気に入らなかったのかも知れませんが、僕は「より困難を抱えている」という意図で並列しただけで、それらが一緒であると言っているわけではありません。そして僕はその困難を「自業自得かどうか(先天的要因・環境的要因かどうか)」という点を基準に救うべきか救わないべきかを決めるべきではないと考えています。「こういう人間は救われるべきではない」などと考えてしまうと世界は決して救えないからです。

恐らく「(LGBTに)救いが必要」と言うことが差別に当たるのではないかというご指摘だと思いますが、そのような意図はありません。だから僕はあなたが誤解しているのだと思いますが、あなたがこの回答を読んでも「誤解ではない」とおっしゃるのなら否定する術はありません。自分の人生は自分の解釈が作っているのであり、そのように解釈する人はそういう人生を歩むのみです。

異性愛者が多数派の社会的においてLGBTが大きな困難を抱えている=より救いが必要なのは事実であり、それを言及しただけで差別だというのなら解決のしようがありません。

僕は「救いが必要な人は、アヤワスカの儀式を受けに来て下さい」と言ったのですが、あなたが「自分は救いなど必要としていない(=完璧に幸せである)」というのなら、僕の発言など無視しているのではないでしょうか?

ツイッターはその特性上、真意を伝えるのはとても難しいですね。限られた文字数で意図を正確に伝えるというのはとても難しく、誤解する人が出てくることは必然である点、どうぞご了承ください。

アヤワスカの儀式は、明らかにLGBTの方々の割合が多く、儀式中心に生活をしている僕の友人は必然的にLGBTの方々が多いです。今僕が主に通っている儀式の主催者の一人もゲイであり、もし僕が差別するような人間だったらファミリーに迎え入れて毎週のように儀式に無料で参加させてくれるわけがありません。

誰でも自信満々になれる方法」に書いた通り、僕の主張は出会った人を例外なく尊敬し、感謝し、許し、愛することであり、常に正義より愛を優先することです。

もちろん簡単なことではありません。でもできないからといって最初から諦めるのは「自分は世界記録は作れないから走らない」と言って家に引きこもるようなものです。まずは日々外に出て歩くところから始めなければいけません。「ベクトルをポジティブな方に向けるか(ネガティブな方に向けるか)」がとても大事なのです。他人とスタート地点(才能・境遇)が違うからといって(人より困難を抱えているからといって)己の存在や世の中を憂いていては幸せにはなりようがないのです。

※ご質問は「年齢・年代、性別」だけでなく、できれば「なぜそれを疑問に思ったのか(質問者さん自体はどう考えているのか)」も書いて下さい。そうでないとこちらはそれを想像しながら書かなくてはならず、的外れになる可能性もあるので。

そしてできればご質問はnoteや質問箱はほんの少しでも事前に読んでからにしていただけると幸いです。質問風の批判は甘んじて受けますが、質問風の誹謗中傷(意図的に曲解していて最初からこちらを理解する気がない)ならご遠慮願います。

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