【質問】 30代前半・女性
いつもTwitterや質問箱を見て色々勉強させてもらってます。今日は思いきって質問してみたいと思います。
私はアルコール依存性、薬物乱用、摂食障害、反抗挑戦性障害などの精神疾患を抱えて生きてきました。人付き合いを苦痛に感じ、生き辛く、20代後半で自殺を考えるまでになりました。愚かな私はそんな絶望の淵までいって、やっと自分の今までの行いを反省するようになりました。
そんなある日ふと目に止まった『腸内細菌や腸内環境が脳と密接に関連している』旨の記事を読みました。そこからは毎日論文を読み、人体における腸の重要さを思い知り、徹底的に食事や生活を見直し、5年経った今は全ての精神疾患、更にたくさんあったアレルギーや、息子のアトピー性皮膚炎まで完治させる事が出来ました。以前とは比べ物にならないほど家庭が明るくなりました。
そして自分が元気になって初めて気付いた事があります。それは自分以外の多くの人も精神疾患やアレルギー疾患などの腸と深く関わる疾患に苦しんでいるという事でした。
自分が元気になったから、今まで人に迷惑かけた分人の役に立ちたいと考えています。しかし、悩んでいる人に対して腸の重要さ、食事療法を提案しても、なかなか踏み切る人はいません。
やはり食事療法は本人がやる気にならなければ実践不可能であり、やはり自分の体は自分で治すという意思がないと体も治っていかないとも感じています。
それともう一つ思うのが、今思えばどん底に生きた日々も、私自身が成長するために必要な経験だったと思っている事です。そうなると、目の前で苦しんでいる人がいても『この経験もこの人の成長のために必要なものなのか?』それとも『苦しんでいる人を救うために何度でも説得した方が良いのか?』どちらがその人のためになるのかわからなくなってしまいます。
しかし、唯一食事療法に踏み切った方は日々元気になっており、その姿に本当に生きがいを感じます。過去の自分のように、苦しんでいる人が目の前にいたら、私はどう対応したら良いと思いますか?
【回答】
いつもメッセージを受け取って下さって、信頼して質問して下さってありがとうございます。大変光栄です。
とても貴重な経験をされていますね。それを無償で共有していただいて、誠にありがとうございます。
本当に、腸内環境は超重要ですよね。「憑依体質の存在意義」に書かせていただいた通り、世界は超弦波動・霊的意思によってできており、細胞・ウイルスというのはその結晶です。腸内細菌も霊的意思の塊であり、その霊的な穢れによって我々の自我は全く気付かない間に犯されて悪い思考・行動・運命(カルマ)へと導かれているのです。それが精神病の本当の原因です。だから(腸内環境改善に限らず)日々その霊的穢れの浄化に努めることで自我・カルマが改善されるのは当然のことなのです。
僕は腸内環境についてはまだ他人様に詳細を語れるほど詳しくはないので、あなたのように貴重な実体験を通じてその改善策を提案して下さる方がいらっしゃることはとてもありがたいことです。
さて、「目の前の苦しんでいる人を救いたいのに、話を聞いて貰えない、理解してもらえない、信用してもらえない、まして実践して習慣化して貰えない⇒救えない」というのは、まさに覚醒後の僕のほぼ唯一にして最大の課題でもあります。
たくさんの人を救いに導ける素晴らしい覚りを得ているというのに、全然伝わらなくてまだ全く人を救えていません。本当にもどかしい日々です。ので、残念ながら現在その完璧な答えなどはありません。あったら既に世界を救えているでしょう。そう簡単じゃないんです。
人生、どん底に落ちる経験が必要なのは、その通りだと思います。本当の不幸を経験しなければ本当の幸福を感じることはできませんし、人の痛みもわからないでしょう。どん底から救われなければ、本気で人を救いたいとも思わないでしょう。
ただし相手がこちらの改善案を受け入れないからといって「相手が落ち切るのをただ指を咥えながら待つしかない」というのは違うと思うのです。
確かに相手の苦しみはその人に必要だからこそ与えられているものであり、僕も目の前で苦しんでいる人を見て、本当に救うべきかどうか一瞬は悩んだりします。それでも苦しんでいる人を見て何もしないということはありません。出会ったという事は、相手は自分の人生のカルマ(シナリオ・課題)の一部であり、人生という映画の共演者だからです。
あなたはきっと腸内環境のことを非常に科学的に分析されて、スピリチュアル的・宗教的なことはあまり信じない方なのかも知れませんが、信心はとても大事です。神々は自発的な信心・霊的成長に導くために敢えて霊的な穢れという困難な課題を我々に与えているからです。
僕は様々な宗教の勉強をしています。そのお経・祝詞・マントラは「神の御心のままに・幸あれ」という意味の言葉で終わることが多いです。仏教ならそわか(梵語ではSvaha)祝詞なら惟神霊幸倍坐世(かんながらたまちはえませ)、キリスト教ならアーメン、ブラジルのシャーマニズムならハウシ(Haux)などです。
僕らの「相手を救いたい」「この世に生を受けた恩・苦しみから救われた恩に報いたい」という純粋な気持ち・祈りと、創造主・神々との意思が通じた時に、初めて相手は神々の力を通じて救われるのです。(仏教では感応道交・哀愍納受と言います)
基本的に準備のできていない相手(様々な経験を通じ、本気で話を聞く気になっていない相手)にいきなりこちらから何かを教えることで相手を救う事はできません。相手から自発的に話を聞いて貰えるようにこちらが人間的なレベルを上げ、相手から自発的に愛され尊敬されるようになっていかなければならないのです。基本的に人は尊敬していない・愛していない人からのアドバイスなど聞かないからです。あなた自身が本当に幸せになっているように見えたら、相手の方から話を聞こうとしてくるはずです。
人生はRPGそのものであり、コントローラーを握っているのは相手自身です。勝手に答えを教えることは、自分だけの冒険(経験)を求めている相手に本能で反発されます。相手は自分なりに失敗を重ねて紆余曲折を経て自分なりに納得した上でゲームを前に進めたいのです。正解に価値があるのではなく、そこにいたるまでの経験(失敗・紆余曲折)にこそ価値があるのです。いきなり正解を教えられるクイズ番組など何も面白くありません。
答えを教えること(自分が成長せず相手の方を変えようとすること)で相手を救おうとするのは結局こちら側のエゴなのです。このRPGは自分だけに完璧にアレンジされたシナリオがあり、すべてが自分次第にできているのです。出会った相手はすべからく自分の鏡であり、NPCであり、自分が変われば相手も変わるようにできているのです。「離婚について」に詳しく書きましたが、人間関係の問題の多くはこの「自分が成長せずに相手の方を変えようとすること」に原因があり、それにより人はイラつくのです。
そして人の悪い行動というのは基本的に霊障・カルマのせいであり、それは過去の傷により自尊心が低くなっていることが原因なのです。自尊心が低いと行動のレベルが下がり、悪い行動・思考が止められず、それが更に自尊心を下げて悪い出来事を引き寄せる悪循環にハマります。そこから助け出すには、相手の悪い所を指摘したり改善方法を教えることではなく、自尊心を上げてあげることです。そのためにはいつも心からの笑顔で承認し、話を否定せずに真剣に聞くことです。相手は自尊心が高まれば、自然と良い行動をとるようになって自然と問題が解決されますし、あなた自身も相手から愛されることでしょう。人は自尊心を高めてくれる相手を愛するのです。自尊心が低く「自分なんて」と思っている状態の人に健康の改善策など提案しても聞き入れられる訳がありません。
そして因果・カルマというものはどこでつながっているかわかりません。「鏡の法則」というページに「子供がずっと学校でいじめられていたのが、自分がずっと不仲だった親に感謝を伝えたらいじめがパッタリと止んだ」というエピソードがありましたが、このようにあなたが「目の前の人を救えない」ということについても、どこで因果・カルマがつながっているかわからないのです。だからこそ常に相手ではなく自分の課題が何かを考えて解決していく必要があるのです。
「教えずに導く」ということは非常にレベルが高く難しいことです。しかしそれこそが創造主のやり方であり、世界を救う主人公(勇者・メシア・菩薩)であることに目覚めた僕らはそれに倣わなければいけません。
真理とは愛そのものであり、それが幸せでもあります。真理(愛)というものはそれを「正義」だとして他人に振りかざしたり押し付けたりすると、それがどれだけ正しかろうとエゴになってしまうのです。逆に正しければ正しいほどそれを相手に押し付けることでかえって反発されて相手を真理から遠ざけてしまいます。ガンジーの非暴力・不服従運動のように、真理(愛)は自ら信念を持って実践し続けさえすれば、それを見て理解する人間は自発的に従う以外の選択肢がなくなり、図らずも連鎖していくものなのです。
70数億人全員をあなた一人で救う必要はありません。目の前の二人を救う事ができたら、その二人はきっと更に二人を救い、それが50連鎖するだけで1000兆という途方もない数字になるのです。その頃には自分自身にもその功徳が返ってきて、人だけでなく御霊御霊のすべてが救われ、世界が救われるのです。それがメシア(主人公)であるあなたの使命です。
どうかあなたのその貴重な経験と知識を「苦しんでいる人を救いたい」という純粋な愛によって無償で共有して下さい。僕も是非それを知りたいです。過去の罪が大きいほど自分を晒すのは辛いと思いますが、実名や顔なども含めて自分を晒さずに人を救うということは難しいと思います。特にネット上では、言うだけなら誰でもどうとでも無責任に言えますから、全く信用できないのです。
また、もし本気で人を救おうとしていても、それで対価を得ようとするなら、相手に疑いをもたれるでしょうし、様々な詐欺や不正確な情報に紛れて伝わらず、きっとうまくいかないと思います。どうしてもそれで生計を立てざるを得ない状況にあるのであれば、本当にミニマムな生活をして、最低限の経費以上には請求しないで下さい。できれば報酬は相手に自由に決めさせて下さい。そしてお金のない人は無償で救ってあげて下さい。
僕はそのようにして神々に愛され、守られ、力を得て、ゲームクリア(真理・覚り・幸せ・解脱)へと導かれています。あなたもそうなることを祈っています。
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