2022年9月6日火曜日

神への不敬で当たったバチ

【質問】
いつも拝見させていただいております。

海外某所で神聖な場所だと深く認識せず、神聖だと言われている場所(日本でいう伊勢神宮のような神聖な場所)で悪ふざけをしたらその後意味不明な偶然が重なり、幼少期にあった辛い記憶を突然思い出して精神崩壊しました。今は立ち直りましたが神聖な場所での悪行に大変反省しています。これは悪いカルマというか自業自得の罰なのでしょうか?それとも想像主が与えた幼少期のトラウマに向き合う課題なのでしょうか?教えていただけましたら有り難いです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

まず、note記事悪いカルマの解消法に書いた通り、カルマというのはすべからく克服すべき課題であり、創造主が我々に自発的な成長を促すために与えているものであって、決して悪行の罰として与えられているものではありません。

人生というのはすべからくあなた次第に作られています。しかし過去に起きた悪い出来事を「全て自分が悪いせいで与えられた罰だ」と考えて自分を責めるのは誤りです。

ゲームのバイオハザードでゾンビが出てくるのはあなたのせいでしょうか?それはあなたを主人公とするゲームの初期設定なのです。カルマとは創造主からあなただけにアレンジして与えられた有難い課題(シナリオ)なのです。創造主は全知全能なのですから、失敗・過ちを犯さないように人間を創ろうと思えば造作もないことです。しかし創造主は我々が学び成長する喜びを与えるために敢えて失敗・過ちを経験させてくれているのです。

真理とは概念に過ぎず、経験を伴って初めて意味を成すものです。真理そのものに価値があるのではなく、真理を目指す中で失敗と試行錯誤を繰り返す我々の経験にこそ本当の価値があり、それが真理を価値ならしめているのです。いきなり正解(真理)に辿り着いては意味がないのです。あなたのその「神への不敬」という失敗経験はとても価値のあるものだということです。

そして別な方の質問片思いの存在意義に詳しく書きましたが、全知全能の創造主からすれば自分を愛するように人間を創ることなど造作もないことです。でもあなたがクリエイターだとして、自分を愛するようにAIをプログラムしてそのAIから愛されて嬉しいでしょうか?そもそもそれは愛と呼ぶことすらできないでしょう。

自由意志というのは愛(感情)を存在価値ならしめるために人間へ与えられたものであり、わざと他人(神々も含む)の思い通りにはならないように作られているのです。感情を他人が強制できてしまったら感情自体に存在意義がなくなってしまうのです。

最初から神を信じるように人間を創ったら信心に存在意義はなく、信じないというネガティブな選択がデフォルト設定になっています。神は科学的に存在証明されないように周到に世界を作っています。証明されたら「信じる」ということに価値はなくなるからです。創造主は宗教に間違いを犯させ、また宗教を利用した詐欺などを横行させて、神を信じる人間は気違いだとすら思わせます。そういう中で人間が自由意志により自発的に信心を起こすからこそ信心には存在価値が生まれ、神々は嬉しくなれるのです。

あなたのその「神への不敬」による失敗は、あなたを自発的な信心へと導くものであり、あなたは導きのままに信心を起こせば良いのです。過去を悔いて反省などする必要は全くありません。それはnote記事反省してはいけないに書いた通りです。与えられた課題・経験(失敗と試行錯誤)に感謝しながら課題を克服していくことです。

問題は必ずしも解決しなくても良いのです。その問題を喜んで受け取って、それを人と共有し合い・許し合い・補い合うことで、問題はいつの間にか問題にはならなくなっているものなのです。そしてその問題は愛のマテリアルだということに気づかされることでしょう。それはnote記事問題は解決しなくていいに書いた通りです。

トラウマは「許し」によってのみ克服が可能なものです。「許し」とは創造主が人間のみに与えた最大の権限移譲であり「愛」そのものなのです。僕らは「許し=愛」を経験するために生まれてきたとも言えます。

あなたに起きた全ての出来事は主人公であるあなたにとって必要(ベスト)だから起きたことであり、過去は全て現在のあなたの人生というRPGの伏線(必然)なのです。全ては壮大な因果の中にあり、それぞれが自らのカルマと戦いながらベストを尽くした結果(やむにやまれぬ事情があった結果)で起きたことです。

人の悪い言動・行動はすべからくトラウマ(心の傷)が原因なのですから、その自分と他人の心の傷を思いやり、自分と他人の過去の悪い言動・行動(過ち)を一つ一つ許していくことです。鬱克服のカギは自分と他人を責めるのを同時にやめて許すことです。あなたを責めているのは神ではなくあなた自身だということに気づいて下さいね。そして欠点や過ちというのは我々が許し合い・補い合い・愛し合うためのマテリアルだということを忘れないで下さい。欠点や過ちは人間に例外なく与えられているものであり、それを理由に人を許さない・愛さないというなら許される・愛されるに足る人間など存在しません。

あなたの幼少期のトラウマがどのようなものだったかはわかりませんが、それをもたらした相手や自分自身を許すことができたなら、あなたもきっと神々から許されることでしょう。

人はみな創造主の分身であり、創造主はあなたに自分と他人のその尊さに自ら気づいて神のように大切に扱って欲しいのです。自分も他人も等しく創造主の子供として許し合い尊敬し合い感謝し合い愛し合って欲しいのです。そうすることが我々に全てを与えてくれている創造主に対する愛の表現であり、あなたがそれを発揮した分だけ必ず創造主の分身たるあなた自身に期せずとも返ってくるのです。

どうか既に与えられているものの価値に気づいて一つ一つ感謝してみて下さい。与えられたものに対して感謝できない人間には、何を与えても不平不満で返されることが自明なので、創造主はより多くを与えようとは思わないのです。そして逆に与えられたものまではぎ取られ続けて失い続けることで、与えられていたものの価値に気づかされるような悲惨な人生になってしまいます。

いつも言っていることですが、自分に都合の良いものなら赤ん坊でも愛せます。本当の意味で大人になるということは、自分にとって都合の悪いものも(自分に与えられた課題・経験だと)愛せるようになることなのです。

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