2023年4月22日土曜日

ピラミッドの存在意義と仕組み

※この記事はnoteに加筆修正して転載していますので、そちらをご参照下さい。
https://note.com/shinyays/n/n762df74cbc67

【質問】50代後半・女性
Twetterとnoteで色々シェアして下さってありがとうございます。

宇宙の仕組み」を「RPG…なるほど、そうだったのね…」と思いながら、わからないところはフィーリングで読んでいます。繰り返して読んで更に理解を深めたいと思います。

さて、ピラミッドが命をつないでまた出会えるような役割をしているという話について、ぜひぜひ詳しく教えていただきたくご連絡致しました。待っています。楽しみです。全然急いでいませんし、構想がまとまった時に書いてくだされば十分です。

「オリオン・ミステリー」という本で、ギザのピラミッドの並びはオリオン座のベルトの3つ星の並びと同じ、と読んだ時に、私の想像できる範囲にはない未知なる叡智を感じました。私が理解できる話ではないのかも知れませんね…。

10数年前に「ダ・ヴィンチコード」を読んでから、関連本などを読み漁り、ネット検索をしているうちに、今まで受けていた教育は洗脳だった…?と思うようになりました。明治以降、日本は見えない彼らに支配されていることにも気付きました。

一般から逸脱した話でも、私はトンデモとは思いません。よろしくお願いします。


2023年4月16日日曜日

未来に絶望したくなる

【質問】10代男性
ここ最近真也さんの発信を見始めさせていただきました。自分はTwitterやYouTubeでよく情報収集をするのですが、最近の日本の状況に関して不安でネガティヴなことばかり目にします。

例えば、日本は今後数年の内に中国と戦争をする、憲法改正による余波で国民を縛り付けてより搾取出来るような体制を整える(マイナンバーカードで個人情報把握、預金封鎖でお金を取られるなど)、物価や生活コストがどんどん上がり続ける反面自分達の給料は上がらず国民がどんどん圧迫されていく等暗い情報をよく目にします。これらの情報のいくつかにはいわゆる陰謀論と言われるものも混ざってると思いますが、個人的には上記に記したような状態になる可能性は否定出来ないと考えています。

真也さんの以前の質問で答えていらしたグローバリスト達の凄まじい資産と権威性、各国政府や財閥との繋がりを考えればあり得る話です。私的には陰謀論そのものに対して興味はないのですが、日本を巻き込んでの戦争や憲法改正による圧政ひいては国民の奴隷化は自分の生活にも関わってくるので無視できない問題だと思ってます。

でも、陰謀論の大元や勢力図的なものを知っていく内に、どう考えても個人が何かして変えられるものではないという現実ばかり見えて来てしまいます。しかしこのような情報を知ってしまったのでここ最近は自分の人生はこれから暗いものになってしまうのかとネガティブな気持ちになってしまいます。

もちろん自分の解釈次第ではあるとは思っていますが、流石に戦争が起きたり、預金封鎖されて問答無用でお金を取られたりする圧倒的な専制政治下では明るく生きるのがかなり難しそうです。

このように自分ではどうすることもできない世の中や現実ばかり考えてしまうことに関して真也さんから助言を頂けたら幸いです。それとも、もしそういう暗い未来が待っていたとしても、それもまた自分に課されたカルマなのでしょうか。長い文章で申し訳ありません。


【回答】
ご質問ありがとうございます。

うーん、「生まれの格差について(陰謀論)」をもう一度しっかり読んでいただきたいですね。その上でそのようにおっしゃっるのなら、僕が伝えようとした意図とは全く違った読み方をされているということです。きっとあなたには「【再質問】優生思想も創造主のシナリオですか?」の質問者さんと同じように、僕の言うことを理解したくない動機があるのではないかと思います。

「人生はRPGそのものである」という点だけはご納得いただけていますでしょうか?それは例えではなくそのものズバリなのです。それはオンラインゲームの如く、ログインしている時点(自意識が存在していると自覚できる時点)で主人公なのであり、あなたが認識できる世界はあなたというたった一人の主人公の為に創られたRPGなのです。当然そのシナリオはあなただけにアレンジされたオリジナルのものです(だから他人との比較に意味はありません)。


認識者それぞれの物語で共通のフィールド(設定)が使われ、それがP2Pのようなメインサーバー(客観的世界)不在のネットワークにより重層しているために我々からすると世界は一つに見えているのですが、それによって自分を「他人と同じように客観的世界に生きている脇役の一人である」と錯覚してしまうところが、人間に与えられた無明(課題・愚かさ・迷い)の最たるものであり、それはまるで無数にあるアミダくじを真横から見て一本の線だ(自分がどんな選択をしようと未来は変わらない)と思い込むようなものなのです。


あなたの文章を読むと「自分は客観的・中立的な立場で情報を集めて適正に判断した上で暗くなっている」と思い込んでいるようですが、自分が主人公の世界に客観など存在しないのです。RPGはあなたという主人公次第に作られているということを決して忘れないで下さい。

RPGにおいて情報というのは前に進みながら(経験を積んでレベルアップしながら)目的に対する必要性に応じて集めていくべきものです。そこはこの人生というRPGも同じであり、パソコンの前に座って情報を集めているだけでは物語(覚り・幸せ)が進んでいくわけがありません。僕らは経験するために生まれてきたのであって、情報を集めるために生まれてきたのではありませんからね。

行動しようとしない後ろ向きな姿勢で情報を集めていたら、更に後ろ向きになるような情報ばかりが集まり、行動する気が失せるのはのとても自然なことです。それは「エゴ(我欲と保身)のために生きる臆病で怠惰な自分を正当化するために世の中に絶望したい」という動機ありきで「自分みたいな大したことのない人間が個人で何をしたところで世の中が変わるわけがない。努力するだけ無駄だ」というネガティブな思い込み(常識)を強化するような情報ばかりを集めているわけですから、実際に自分の世界が絶望的になるのは当然でしょう。創造主は我々に自発的成長を促すためにそう人生をプログラムしているのです。

前述した通り、人間というNPCは皆とても(主人公として)目覚めがたく初期設定されているのであり、僕も目覚めるまではあなたと全く同じように思いっきりNPC思考で自分を社会のつまらない脇役の一人と考えて生きてきました。まして僕が10代の頃なんて鬱で超根暗で勉強も全くせず女と格闘技のことぐらいしか考えてないようなどうしようもないバカで自分と世界の未来に絶望していましたから、絶望することに逃げたい・目覚めを拒否したいあなたの気持ちもよくわかります。でもどうか、いつかは目覚めて大逆転劇を起こして下さいね。

結局のところ人生は何事もまず自分でやってみて、たくさん過ちや失敗も経験し試行錯誤しながら、自分なりに納得してストーリーを進めなければ意味がありません。答え(結果)に価値があるのではなく、過程(経験)が答え(結果)を価値ならしめるのです。そして絶望も人生には必要な過程であり、本当の希望は絶望の淵のほんの少しだけ向こう側にあるのです。きっとあなたには絶望の経験が必要だから与えられているのでしょうから、もし僕の言うことが全く理解できないのなら、今は無理に理解しなくて良いってことだと思います。

僕は常に質問者さんと読者の皆さんを覚り・幸せ・救いに導こうと全力で説明していますが、ひょっとしたらあなたは既に鬱で他人の話を聞いて受け入れられる状態じゃないのかも知れませんし、どれだけ一生懸命説明しようとあなたをただ傷つけたり怒らせたりしてしまうだけになるかも知れません。文章で伝えるにはどうしても限界がありますしね。

まぁただそれで話を終わらせては質問箱の回答にはなりませんし、僕は使命を放棄するのと同じことになってしまいますから、あなたと同じように「生まれの格差について(陰謀論)」を読んでもまだ世の中に絶望し、主人公としての目覚めを拒否していてそれを自覚さえしない魂の兄弟たちに向けて、今一度よりわかりやすくご説明を試みたいと思います。

あなたが主人公であるRPGにおいて、家族や友人のような身近な人であろうと、どんなに有名人であろうと、またあなたが嫌いな人や価値が低いように見える人であっても、他人は例外なく全員があなたの世界のNPCであり、あなたが縁あって出会う人はみんなあなたの人生という物語を盛り上げるために天から派遣された共演者なのです。



クリエイターからプレイヤーに対するメッセージは基本的にNPCや出来事を通じて覚らされるのですから、NPCの言うことや起きた出来事をネガティブに解釈していたら物語が進むわけがなく、行き詰まるか事故るかしかなくなります。

そして人や出来事に出会ったら例外なく「創造主から自分のために贈られた出会いである」と信じて、例外なく愛する(許し・感謝し・尊敬する)ことが大事です。そしてあなた自身も他人の世界においてはNPCでありその人が主役の人生の共演者だということを忘れないで下さいね。


あなたが簡単に主人公であることに目覚めてしまってはゲーム性がなくなるので、あなたの周囲の人たちもマスコミなどもNPCはみんなこぞってみんなあなたの目覚めを阻もうとしてきます。様々な悲観的情報を与えてあなたを不安に陥れ、自分勝手な常識を押しつけてバカにして怒らせたり傷つけたりして、あなたの夢を「そんなこと無理だからやめておけ」と否定してきます。それは映画マトリックスのエージェント・スミスと同じなのです。エージェントというのは誰にでも成り代われるので、あなたの周囲の人はみんな「あなたが主人公などであるわけがない」「私もあなたもみんな同じように大した人間ではないのだから大人しく支配者に従い、社会の奴隷としてただ真面目に堅実に生きるべきだ」と脇役NPCのコピーにしてこようとしてきます。それはこのPRGの初期設定通りであり、主人公であるあなたはそれに立ち向かわなければならないという避けられない(inevitable)運命にあるのです。


あなたという主人公と創造主の関係は一対一であり、世界に何十億人のNPCキャストが用意されていようと、彼らの言う事・やる事・考える事(常識)は創造主に対して一切言い訳には使えないのです。そして主人公であるあなたを捉えるカメラは常にオンであり、創造主はあなたの物語を一秒も休むことなく(心の中まで)常に記録しながら、神々と共に見ているということを忘れないで下さい。(映画トゥルーマンショーはまさに真実に気づかせるための創造主からのメッセージです)


もちろん僕もあなたの世界のNPCの一人です。ただし、あなたの世界においてみんながあなたのために自分の役を「無自覚に」演じているのに対し、僕だけが「意図的に」あなたを主人公として目覚めさせる役割(映画マトリックスのモーフィアスやオラクルの役)を演じているのです。


あなたがこの話を信じようと信じまいと、あなたが他人に自意識があるかどうかを実際に確認することは永遠に不可能であることだけは確実です。他人に対して「あなたに自意識はありますか?」と尋ねても「あるにきまってるじゃないか?バカじゃない?」みたいに答えるようにプログラムされているAIだという可能性は決してゼロには成り得ませんからね。それは宇宙の仕組みに書いた通り、夢の中で出会った人に「これは夢ですか?」と尋ねるが如くですからね。あなただけに自意識がある(主人公である)という仮説を否定証明することはあなたにとって不可能です。それはあなたが「水槽の中の脳」で仮想現実の中を生きているのだとしても、自分で気づくことは絶対に不可能なのと同じ事です。


実際、この世界は魂成長のための仮想現実プログラム(RPG)であり、創造主があなたという自分の分身(分け御霊)に対し「愛と勇気」を試すことを通じて成長を促すようプログラムしているものなのです。もしこのレベルから納得ができないのなら話になりませんので、これ以上読み進める必要はありません。時間の無駄です。


人間というのは魂(=神・プレイヤー)のアバターなのです。あなたはドラゴンクエストのような(主人公が世界を救うシナリオの)RPGの世界において、生まれた街にひきこもってネットや本などでボスキャラたちの悪事の情報集めばかりして「自分ではまるで敵いっこない」と絶望してエゴ(我欲と保身)に埋没して生きているようなキャラクターを主人公としてプレイしたいと思いますか?そんなキャラではゲームにはなりませんから、そのように目覚めを拒否するのが常識だと信じて疑わないアバターたちは、自動運転状態のAI・脇役NPCとしての人生を繰り返すだけになってしまうのです。NPCの自由意志は幻であり「自分の道は自分で選択している」という気分だけ味合わせてもらっているに過ぎず、主人公に目覚めないNPCは他の主人公の脇役・伏線上の受動的な奴隷にしかなれず、大同小異のつまらない未来しかありません。ゲームの本当のスタートは「主人公として目覚め、世界を救う覚悟(菩提心)を持つところ」なのです。


このRPGの世界において、未来のシナリオも最初から既に存在しており、死の苦痛は幻で、死んでも永遠にリスタートがありますから、本当はすべてが大丈夫なのであり、何も恐れるべきではないのです。どっちにしても大丈夫なのなら、やりたいことをやるべきでしょう。


ただしアバター(プレイヤー)の目線で全部が大丈夫だと完全にわかってしまったら、いたずらに死を恐れなくなって自分や他人の時間・命・資源の全てを大切にしないようになり、成長の物語・芸術として成立しません。みんな「世界は創造主により勝手に救われるから大丈夫だ」ってことで、エゴに埋没して自堕落的・退廃的に生き、誰一人主人公として目覚めて成長努力をせず、祈りさえしないことになるでしょうからね。それでは我々がこの世界に生まれてきた意味がなくなります。だから創造主はあらゆる手段を通じてまるで大丈夫じゃないかのように敢えて我々を不安に陥れているのです。

そして創造主は因果(善因善果・悪因悪果)というルールによってこの世を支配し、良いことをすれば幸せになり、悪いことをすれば不幸になるよう人生をプログラムしているのです。これは因果は創造主の天地開闢以来の絶対不変(普遍)の法則であり、あらゆる魂に対して公平なのです。

ただあまりに善因善果・悪因悪果がダイレクトに反映され過ぎると、創造主が人間に善行を強制しているに等しくなり、自由意志を与えた意味がなくなってしまいます。それでは人々は善果を期待して善行をするようになり、動機がエゴになってしまいますからね。もし人に親切にすれば必ず見返りが得られるのなら、親切の動機がエゴになるのは容易に想像できるでしょう。見返りを求めない親切だからこそ美しいのです。それゆえ創造主は因果に時間差などのギャップを設けてわざとわかりにくくしています。

そのために今現在だけを見れば良い事をしていても全く報われず不幸な人がいたり、悪い事をしているのに得をしたりしているように見える人がいたりしますが、それはこのRPGにおける必要悪のトラップのようなものであり、設定の要なのだと気づいて下さい。

これらの仕組みは決して我々に対する意地悪や嫌がらせで作られたものではなく、あくまでも創造主がその愛により、我々の自発的な成長を願って作り上げたシステムなのです。自由意志とは自発的な成長のために与えられているものなのです。世界は自分の解釈次第に創らていますから、その創造主からの愛を悪く解釈すれば、本当に罰ゲームみたいな人生になってしまいますし、不安に捉われればきっと本当にその不安が実体化してしまうのは当然なのです。あなたは「もちろん自分の解釈次第ではあるとは思っていますが」とおっしゃっていますが、ご質問内容から察するに、まるで理解されているようには思えません。

僕らは創造主の分け御霊であり、彼自身でもあります。創造主が自分に対する意地悪や嫌がらせでこの世界を創るわけがないのです。もちろん創造主には全人類、全霊魂の救済計画・メシア(菩薩・仏陀)化計画のシナリオがあるのです。でもそのシナリオ通りに創造主が全てを直接やってしまったり、プレイヤーたちに直接答えを教えて半ば選択を強制したりしたら、ゲーム要素(成長要素・芸術要素)がなくなります。それは美術の先生が生徒の課題をやってしまうようなものですからね。だから創造主は世界を本人次第に創っているのであり、あなたが世界を絶望的だと思うのは、信心・感謝の気持ちを持たず不平不満や恨みで解釈しているから、実際にそのようになってしまっているだけです。

創造主が世界をその主人公次第に創っているのは、自分の分身である我々に「願いが叶った」「祈りが通じた」「努力が実った」という経験をさせたいからです。なぜならそれは全知全能の「思っただけですべてが実現する」創造主には直接的には経験できないことだからです。だからこそ創造主は人間の能力を大幅に抑制し、因果の法則をはじめとしてたくさんの法則(ルール=制約)を設けて、簡単には人間の思い通りにならないよう、願わない・祈らない・成長しない人間は不幸に陥るようにプログラムし、様々な人や出来事との出会いを通じて、我々に自発的に気づかせ成長努力をさせようと導いているのです。ですから当然ながら創造主は世界が救われるよう本気で願わない・祈らない(神を信じない)・成長努力もしない人間をその意思とは無関係に勝手に救って幸せにすることはありません。世界はあなたという主人公が救わずとも勝手に救われるようにはプログラムされていないのです。逆にあなたが救おうとしなければ世界は悪くなっていく一方になるでしょう。

人生は「愛と勇気」を試して成長を促すためのRPGなのですから、このRPGの世界全体があらゆる手段を通じてあなたを怒らせ、また脅して不安にさせ、絶望させ、エゴ(我欲と保身)に埋没して堕落するように差し向けてきます。そうしなきゃ「愛と勇気」は試されませんから、至極当然のことです。

例えばあなたに巨大なプールの水を運び出すという課題が与えられたとしましょう。ところが最初はおちょこのような小さな器しか与えられていません。今のあなたはとりあえずその小さな器で水を運び出し始めるのではなく、一生懸命に情報を集め、プールの水の量と自分の現在の排水能力を計算・推測し「時間的にも労力的にも絶対に無理だ」と何も始める前から絶望しているようなものです。


しかし人間の器というのは成長と共にどんどん大きくなっていくものなのです。RPGというのは主人公の成長に合わせてシナリオ上必要な時に必要なものが必要なだけ与えられるようにできていて、それは人が冒険を始める前に計算・推測できるようなものではないのです。そしてドラゴンクエストと全く同じ様にあなたの人生というすべてがプログラムされたこのRPGの世界において、やり始めればいつか成長して目標を達成できることはシナリオ上最初から確定しているのです。

ドラゴンクエストだって初期設定のレベル1ではボスキャラとは途方もない実力差があるのは当前であり、最初からボスを倒せるだけの能力・アイテム・仲間・情報が与えられていて見込みが完全に立っていたら何の成長要素も芸術要素もなく何も面白くないでしょう。それらを冒険して経験を積みながら得て行き、その圧倒的な差を覆す大逆転劇を起こすところがRPGの醍醐味なのです。それなのにあなたは初期設定である「自分とボスキャラたちとの実力差」を嘆いて「自分が何をしても無駄だ」と勝手に絶望しているわけで、それがいかにナンセンスなのかってことに気づいて下さいね。

「自分なんて能力も価値もなく大した人間じゃないから世界なんて救えるわけがない」「最初から幸せな世界が実現されてないならゲームをしたくない」というのは典型的なNPC思考であり、そこを改めなければ決して主人公になれませんし、成長も覚りも幸せもないのです。RPGで課題を用意している側のクリエイターが自分で用意した課題を自分でクリアして、最初から平和で幸せな世界を実現してしまったら、ゲームの電源を入れた瞬間にエンドロールになるようなもので、ゲームとして成立しないのです。


どんなRPGも世界が悪者に支配される一歩手前の絶望的なディストピアから始まって、そこから主人公を起点に大逆転を起こすシナリオになっているのは当たり前のことであり、だからこそ面白いのです。そしてあなたの人生のシナリオもきっとそうなっているのです。あなたが主人公なのであり、すべてがあなた次第という点において、夢と現実に本質的な差はないのです。もちろん「信じる信じないはあなた次第」ですけども、自分を主人公だと信じないことが典型的なNPC思考なのです。


さて、ボスキャラの実力に絶望し、主人公としてどうやって世界を救えば良いか見当もつかないあなたに、重要なヒントを差し上げましょう。まぁこれも既に「生まれの格差について(陰謀論)」で書いていることなのですけど、あなたは全く理解できずスルーしている感じなので、よりわかりやすく説明します。

世界は創造主により、すべてがフラクタル(相似形)に創られています。フラクタルというのは異分子の存在を許さず、すべてを自分と同じ型にしようとするフラクタル連鎖を起こします。ただし全部が最初から一つの型のフラクタルなのでは物語は生まれませんから、創造主はこの世界を陰陽二元的に作り、その覇権を争わせているのです。つまり天使と悪魔を作り、その代理戦争をこの次元においてやらせることで物語を生み出しているのです。それは磁石の両極のようなもので、この次元においてはどちらか一方がなくなるということはありません。RPGで敵がいなくなったらゲームにはなりませんからね。ゾンビの出て来ないバイオハザードはゲームになりません。だからこそこの世界のNPCたちはエージェント・スミスのようにみんなを自分たちと同じ脇役NPCのコピーにすべく迫ってくるのであり、それもフラクタル連鎖なのです。だから主人公であるあなたは決してそれに屈せず、みんなを主人公として目覚めさせるフラクタル連鎖を起こさなくてはならないのです。

我々の目には見えないだけで、世界は本当に天使(光・愛・智慧・真理・ワンネス)と悪魔(無明の闇・エゴ・愚かさ・迷い・我欲・保身・分離意識)の戦いの場なのです。そしてそのフラクタルの覇権争いが、それが我々の心や体の中でも地球上でも全宇宙でもフラクタルに行われているのであり、まさにそこに「このRPGのシナリオの核」があるのです。


オンラインゲームのように、あなたは他の人と重ね合っているフィールドは共有していても、別な世界に生きています。ただしそれはフラクタルに創られており、あなたが出会った人はみんなあなたの世界の住民であり、あなたは他のログインプレイヤーの世界の住民なのです。だからあなたが主人公として目覚め、自分の中の悪魔と闘い、自分の世界の住民たちも目覚めさせて幸せに導くことができたら、それはフラクタルに連鎖していつか世界が目覚め、必ずみんなの世界が救われる時代が来るのです。

このフラクタル連鎖というのは指数関数的に広がるもので、最初はゆっくりに見えても、果てはとんでもないスピードで広がっていくものなのです。この指数関数的な倍々ゲームの増え方というのは我々の感覚と全く違い、例えば新聞紙を50回折るとその厚みは月に到達し、100数回も折るともう観測宇宙の限界460億光年すら軽く超えてしまうのです。(細菌・ウイルス・がん細胞などの増え方も倍々ゲームだから凄まじいのです)


あなたはどこか遠くに巨悪が存在して自分にはどうしようもない存在だと思っているようですが、巨悪というのはすべからく我々みんなの心に住む悪魔(無明の闇・エゴ・愚かさ・迷い・我欲・保身・分離意識)がフラクタル連鎖することによりなされているものなのです。

あなたが現在恐れて絶望している巨悪もまさにそのように一人ひとりの悪魔が連鎖して生まれているものなのであり、もし我々がイメージするような純粋な悪が存在するならそれはみんなに嫌われて連鎖せず基本的に単独犯になり、巨悪には成り得ないのです。

この世界の巨悪はとてつもなく強大に見えてとても太刀打ちできそうになく絶望的なように感じますが、元々は一人ひとりの心に住む悪魔(エゴ)がフラクタル連鎖してできたものですから、一人一人が自分の心に住む天使(愛)をフラクタル連鎖させていけばいつか巨悪も必ず倒せるのです。そしてその大逆転劇の起点となるのが主人公であるあなたの使命なのです。

例えばあなたという主人公がゴミを拾えば、それが最初は全然見えなくても世界にフラクタル連鎖するのです。寄付などもそうです。現時点でお金をいくら出せるかは関係ありません。現時点で持っているお金から何パーセント出せるかというのが大事で、それが世界にフラクタル連鎖するのです。わかりやすい例を挙げましたが、実際はあなたのありとあらゆる思考・行動が、最初からは見えないだけで必ずフラクタル連鎖するのですから、今現在のあなたのネガティブな思考・行動がどれだけ世界に悪影響を与えているか考えて、ポジティブな思考・行動に切り替えて下さいね。

この戦いはとてもスピリチュアルであり、すべてが他人事ではなく主人公である自分の戦いなのだと理解して下さい。自分が成長せずに他人を変えようとしても変わらないようにこの世界はプログラムされているのです。そして物質世界において権力(強制力)でもって権力者(他人)に立ち向かおうとしても、相手の力は強大ですから必ず潰され、余計に権力者は権力を増してしまうのです。

お金は権力(強制力)の分譲券であり、今の世の中みんなお金という見返り・強制力によって安易に他人を動かす権利を得ようとして、それが常識(仕方のない事)として正当化されています。それはこのRPGの初期設定であり乗り越えるべき課題ですから。そしてお金を多く得てエゴ(我欲と保身)を満たすために嫌な事・悪い事でも平気でやる悪魔になります。でもそこまでしてみんながお金を欲しがれば欲しがるほど、お金とお金を牛耳っている人たちの権力を増してしまうだけになるのは当然でしょう。だからまず自分からエゴを乗り越えて、お金の為に働くというのをやめ、ミニマムな生活をして、本当に人の役に立ててお互いに嬉しくなれることを、どれだけ収入が低くてもやるべきなのです。そしてお金に困っている人と出会ったらどんどん無償で助けてあげることです。お金を取ったら愛は伝わらないのです。セックスでお金を取ったら売春になって愛が伝わるわけがないのと同じ事です。

だから僕は常に無料で人助けをしています。いくらお金がなくても生活なんてどうにかなるのがわかってますからね。もちろん今の社会のシステムの中では最低限お金がないと生きることは非常に難しいのですが、僕は断食・乞食・ホームレスをして過ごしましたから、お金がまるで空気のように必要不可欠なものであり一番大切なものであるという金拝主義的(悪崇拝的)な価値観からは脱しています。最低限の収入で僕は幸せに生きてますし、もし国民の大半がその最低限の収入以下になるほど体制側が国民を圧迫するのなら暴動が起きて支配体制は転覆するでしょう。資本主義は限界を迎えており、みんながワンネスに目覚めて完全な共存共栄の世界が実現する日を楽しみにしているぐらいなので、僕は何も心配していません。

キリストが「神と富の両方に使えることはできない」と言った通りで、お金というのは悪魔が人を悪魔にするフラクタル連鎖を起こすためのツールであり、悪魔そのものともいえるものなのです。もちろんそれは磁石の片極のようなものであり、このRPGにおいてはゴールに至るまで完全になくすことはできませんが、だからといって主人公であるあなたが最初から諦めて、エゴ(我欲と保身)のために生きる脇役NPCとして生きてはいけないのです。

あなたが世界の平和と幸福を願い、神を信じて祈り、そして六波羅蜜を行じてエゴを乗り越えて目の前の人を無償で助け、許し・尊敬し・感謝し・愛することができるよう日々実践を通じて成長努力を続けるなら、それは指数関数的にフラクタル連鎖し、いつか強大な悪魔にも勝てるのです。(仏教の修行を全て出家が必要な厳しいものであるかのようにイメージしないで下さい。人生そのものが修行なのです)

楽器の演奏と同じで最初からうまくできないのは当たり前ですから、最初からうまくできないからといってすぐ諦めないで下さいね。どんな困難に直面しても、ゲームクリア(真の覚り・アセンション・地上天国実現)を簡単に諦め、ベクトルを後ろに向けてはならないのです。

世界を救うのに最初から権力者や有名人になる必要はありませんし、最初から高い能力は必要ありません。それぞれにシナリオがあって、能力や富や名声などはそのシナリオ上必要な時に必要なだけ与えられる副産物のようなものであって、主人公が課題クリアする上での絶対条件ではありません。むしろそのように能力を価値だと勘違いし、権力を目指せば必ず他人を見下すようになり、より大きな権力と能力を持つ者のエゴの餌食にされる(フラクタル連鎖に取り込まれる)だけです。権力(強制力)そのものが悪魔だとも言えます。世の中を良くしようと理想に燃えて政治家や実業家になった人たちはほとんどが権力欲(金銭欲・名誉欲)という悪魔に憑りつかれるのです。そうでなければ世界はとっくに救われているでしょう。今の世界が不幸なのはあなたが主人公の物語の伏線なのだと気づいて下さい。

大切なのは実際に出会った人の許し難き罪・欠点・過ちを許し、補い、愛し難き人も愛することです。あなたはただ目の前の人と愛により無償で助け合う連鎖を目の前から起こしていけばいいのです。エゴ(我欲・保身・分離意識)を乗り越え、日々実践を通じて愛(真理・ワンネス)に目覚めて行く連鎖です。それを起こした人間は、例え世間的にまるで何の権威・権力もなく有名人ではなくても、世界を救うメシア(主人公)なのです。

そして常に正義より愛を優先させることです。みんながそれをしたなら世界が救われるのは容易に想像ができるでしょう。逆に真理(愛)の実践の連鎖を通じてしか世界は決して救われないのです。実際に出会ってもない人の不幸や悪事を言い訳にして絶望して諦めないで下さいね。

ガンジーの非暴力・不服従運動と同じで、真理(愛)というのは他人に強制しなくても、自ら実践するだけで連鎖してくものなのです。


この世界は魂の成長プログラムなのですから、成長方向と逆のことをすればどんどん不幸になっていくようにできています。そういう世界で創造主は我々に自発的に気づいて思考と行動を改めて成長して欲しいと願っているのです。創造主はそのために我々に自由意志と無明(愚かさ・迷い・課題・試練・カルマ)を与えているのですからね。だから成長すればするほど、真理に近づけば近づくほど自分も周囲も幸せになるように創造主は世界を作っているのであり、今あなたが不幸なのなら、それはどこか考え方が間違っていることに創造主が気づかせようとしているということなのです。

あなたが僕の言うことを創造主からのメッセージだと信じて受け入れてくれるかはわかりませんが「信じる信じないの基準」に書いた通り、その思考・行動によって自分も周囲も幸せになるかどうかでそれが真理に近いかどうかは判断できるのです。

覚りとはまず与えられた人や出来事との出会いを縁(運命)だと信じ、自分の成長にベストなものが与えられていると心から感謝し、全力で愛することです。もっと良い人・出来事と出会えるのでは?とか縁に対して不平不満に思っって目の前の人を全力で愛さなかったり、今までの自分がしてきたことや自分に起きたことを「自分の成長に必要な過程だった」と愛せずに後悔し、また誰かを恨んだりしているようでは幸せにはなりようがないのです。

何かを感じ、愛し、そういう経験ができる「存在」として「現在」が与えられていること。そういうことに心から感謝できるようになることです。あなたはそれが他人にも与えられている当たり前のものだと考えているのでしょうが、それが他人に本当に与えられているかどうかは究極わかりません。そしてすべてを与えし創造主にとって、そのように他人と比較してより良いものが与えられなければ感謝できないという人の感謝には価値がないのです。今与えられているものに不平不満ばかりで感謝できない人間にもっと与えたところで不平不満しか返ってこないのは目に見えていますしね。「当たり前」は「有難い」の反対であり、何事も意識して当たり前だと考えないことが大事なのです。

臆病さ・怠惰さというのもエゴ由来であり、自己保存本能(保身)ゆえなのです。分離意識を乗り越えて愛に目覚めみんなが無償で助け合い補い合い愛し合うワンネス連鎖が世界の隅々まで行き渡れば、戦争・貧困など世界の大きな問題はすべて解決して地上天国が実現(ゲームクリア)するのです。

決してあなただけでなく、人間というのはみんなとても臆病かつ怠惰に初期設定されています。なぜなら最初から何も恐れずどんどん前に進めるような人の勇気には価値がないからです。臆病者が振り絞る一握りの勇気にこそ価値があるのです。そして創造主はあなたが愛と勇気を振り絞って前に進み成長するところが見たいのです。

「勇なき愛は欺瞞であり、愛なき勇は蛮勇である」真也(創造主の代弁)
彼女を愛してると言いながら彼女が暴漢に襲われている時に一目散に逃げ出すような男性の愛は欺瞞であり、しかるべき準備もなく名声目的で冬季のエベレスト登山にチャレンジするような単に無謀で愛が動機ではない勇気は蛮勇だということです。

もし今後何かの選択肢が目の前に現れたら、常に「より愛と勇気が必要な方」を選んで下さい。必ずそちらが正解ですから。そのことに経験的に気づいていければ、あなたはブレーキが壊れたかのようにものすごい勢いで前に進めるはずです。

それでは、あなたの目覚めと幸せを心から祈っています。

2023年4月4日火曜日

優生思想も創造主のシナリオですか?(再質問)

【質問】20代後半・男性
先の質問優生思想も創造主のシナリオ通りですか?において、優生思想(人に上下をつけて序列付ける考え)は乗り越えるべき課題であると仰られていたと思いますが、個人的には優生思想は人間及び全ての生き物の本質なので完全瓦解は不可能だと考えています。

人類も今まで優生思想で相対的により良い遺伝子を残し、そうでない者は排除(積極的に虐げる訳でなく、受胎者である女性が遺伝子を受け入れないため自滅)して来たために、ここまで人類は発展したと考えています。どこの国でもどの時代でも人間は階級制を築いて序列を築いて国家やコミュニティを運営して争いや悲劇を繰り返して来ました。このような本能的な部分が人類に与えられた無明(課題)であるというのは肌感で理解しています。

しかし、社会性においても人間の本質そのものでもある子孫繁栄にも優生思想はかなり深く関わっているので、優生思想を乗り越える=人間の存在そのものの否定に繋がるのではと思いました。

また、子孫繁栄そのものが人間の愚かさや無明の象徴であり、乗り越えるべき課題で共栄共存社会を目指すなら人類という種が子孫を繋がずに滅ぶことも受容するということでしょうか?

個人的に人間が子孫繁栄という行為で種を繋ぐ以上、仕組み的にどうやっても人の優劣というものを無くすのは不可能であると思いますが、そこに関しては真也さんはどのような意見を持っていますか?

そもそも私たちが生きている現世での勝敗には大した価値は無く、全て魂の成長を促す過程でしかないという認識でしょうか?

批判ではなく、単純な疑問ではありますが気を悪くされたら申し訳ありません。

【回答】2024年9月1日更新
ご質問ありがとうございます。このように感想や再質問など反応をいただけることはとてもありがたいことです。反応がないと質問者さんにちゃんと伝わったかどうかがわからず、こちらも説明の仕方を改善しようがないので。

ただ、僕が前回あれだけ一生懸命ご説明したことがあなたには何一つ伝わってないようで、とても残念に思います。あなたには僕の言うことを理解し受け入れようとする姿勢が全くなく、認めたくない・反論したい動機が先にあって、意図的に曲解・誤解しているようですし、あなたがおっしゃってることは僕からするとあなた個人の理不尽な思い込みの産物であって全く論理的ではないと感じます。

>>個人的には優生思想は人間及び全ての生き物の本質なので完全瓦解は不可能だと考えています。

あなたがあくまでも個人的にそう考えたいのでしたらご自由にどうぞ。あなたの世界はあなたの世界観・価値観(解釈)が創っているんですから、あなたの人生はきっとその通りになるでしょう。まさにこれ↓です。

「世の中は自分の思い通りにならない」と思う人にとって、実際世の中は思い通りにはならないのであり、それはやっぱり「世の中は自分の思い通りにならない」という思いの通りになっているということです。

しかしあなたはそのような世界観・価値観(解釈)で生きていて幸せなのでしょうか?「人の価値に序列をつけるような考え方」では、あなた自身も周囲の人もきっと幸せにはならないでしょう。

信じる信じないの基準に書きましたが、真理というのはそれを覚り実践する人を幸せにするようにできているのです。だからその考え方が真理かどうかは、それを覚り・実践することにより、みんなが幸せになるかどうかでわかります。もしあなたの考え方や行動によってあなた自身も周囲の人たちも幸せにならないのなら、それはどこかが間違っているってことだと僕は思います。そのレベルからあなたが信じたくないというのでしたら、まぁそれもご自由にどうぞ。

しかしもしあなたの考えが正しくて真理なのなら、きっと幸せに生きているはずであり、なぜわざわざ僕に質問をされるのかわかりません。僕がどう考えるかも僕の自由であり、僕は幸せに生きていて、討論など望んでいません。ここは質問箱であって、討論箱ではありません。あなたがあくまで自分の考えの方が正しいという前提で、こちらの話を受け入れる気が最初からないのなら、わざわざ僕に質問・相談をする意味がないと思います。

どうやってもあなたを傷つけずに伝える手段が見つからないので単刀直入に言いますが、あなたが「優生思想」を「覆すことが不可能な本質・真理」だと頑なに主張する動機は、異性から愛されずにやさぐれて「どうせ自分なんかダメだ」と考えて、大した努力もしない自分を被害者として自己正当化し、世を憂いて自己憐憫したいからかと思います。しかし創造主は我々に自発的な成長を願ってこの世界の仕組みを創っているのであり、そのように被害者意識で成長を拒否すると不幸に陥るようにこの人生というRPGをプログラムしているのです。

人のネガティブな思考・行動というのはすべからく過去の傷から逃避するために誤った悟り方をしているからであり、あなたにはきっと「異性から受け入れられず愛されない」という心の傷を世の中のせいにしたいという動機があるわけで、それが変わらない限りいくら僕が「世界は自分の解釈次第にできている」と論理的にあなたを諭して「覚り(幸せ)」に導こうとしてもきっと無駄でしょう。あなたは「どうせ自分は努力しても無駄だ」と自分の「成長努力の放棄」を自己正当化したいのですから。

それでも僕はあなたの理不尽な質問にあらためてきちんと全力で論理的に回答させていただこうと思います。それが使命ですからね。

全ての存在の根源は創造主なのですから、あなたのようにネガティブな世界観(解釈)で生きていれば、異性も含めみんな(人・神々・運命・縁)から愛されなくなるのは当然であり、あなたの容姿や能力などがその直接的な原因ではないと思います。

あなたは「人が容姿や能力で優劣をつけるのは当然のことで、生物の本質である」と考えているわけですから、仮にあなたと一緒になってもいつか年老いて容姿や能力が衰えればあなたから愛されなくなり、あなたも自分自身を愛せなくなるのは確実であり、そのように暗い未来が目に見えているのですから、異性から避けられるのは当然でしょう。(落ち込まずに考え方を改めて明るい未来を選択して下さいね)

この世界はすべてが陰陽二元的に存在しているのであり、磁石のようにポジティブもネガティブも片極だけでは存在し得ないのです。ネガティブ(課題)側だけが「完全瓦解」してしまっては、人生という魂成長のゲームは成立しません。

例えばゲームする前からゾンビが完全瓦解していて出て来ないバイオハザードに存在意義はないでしょう。バイオハザードにおいてゾンビは克服すべく与えらえれた課題であり、世界がゾンビウイルスに支配されることが「完全瓦解は不可能な真理」ではありません。人生も無明の闇(課題・愚かさ・迷い・エゴ)があるからこそ光(智慧・真理・愛)は存在でき、存在意義(価値)が生じているということです。優生思想というのはその無明の闇の最たるものであり、進化論という虚構を根拠とした、人類が克服すべき課題なのです。

無明というのは般若心経に「無無明 亦無無明尽」とある通りであり、それを僕に解説させるならば「我々の魂は元々光(智慧・真理・愛)そのもののような存在であり、本来は無明(課題・愚かさ・迷い・エゴ)など存在しないのですが、そのままでは魂は成長できないので、あえて無明という幻が尽きることなく存在するこの仮想現実世界へ魂の成長修行のために来ている」ということです。だからこそ般若心経は「我々の人生にどれだけ苦しいことがあっても、何も恐れたり迷ったりせず、ただひたすら真の覚りを目指すべきである」という主旨で書かれているお経なのであり、我々を真の覚りに導く応援歌なのです。

ですから、あなたが「無明(課題)は尽きることがなく、完全瓦解は不可能である」と決めつけて「優生思想は全ての生き物の本質である」「優生思想を否定することは人間を否定することにつながる」などと主張するのは論理が破綻していると思います。無明がない世界は目指すべきゴール(エンドロール)であり、それ(真理・悟り・彼岸)は航海における北極星のように目印にして進むべきものであって、実際に我々の次元において無明(課題)のない世界が実現されてしまったら、魂の成長の物語は成立しません。あなたのおっしゃることは「北極星には辿り着けるわけがないから北極星は目指さない」と言っているようなものです。真理(覚り)というものが我々の次元で完全に実現することは不可能だからって、初期設定として与えられている無明(課題)の方が真理だと考えるのはナンセンスだってことです。

どうか主人公として真理(愛)に目覚めて下さいね。他人(NPC)を基準にして考え、思い込みに過ぎない「常識(課題・初期設定)」を「絶対に変えられない真理」だと誤解し、人間はこういう生き物できっと変わらないから、自分もそれに合わせて生きていこう、みたいに考えていたのでは、いつまでもNPCを脱することができず、ゲームが始まりさえしないのです。

>>また、子孫繁栄そのものが人間の愚かさや無明の象徴であり、乗り越えるべき課題で共栄共存社会を目指すなら人類という種が子孫を繋がずに滅ぶことも受容するということでしょうか?

「子孫繁栄が無明の象徴である」なんて僕は一言も言ってません。あなたは何とか僕に反論したいという感情・動機が先にありきで、勝手に僕の主張を無理やり捻じ曲げて明らかな嘘を書いています。

僕は「子孫繁栄がみんなに共通する人生の絶対的な目標と考え、人の価値に優劣をつけ、異性から受け入れられない・子供が作れない人には価値がないと考えるその差別的な考え方こそが人類の乗り越えるべき無明(課題)である」と言っているのです。

人(主人公)それぞれにシナリオ・課題が与えられているのであり、子孫繁栄がその一部だという人もいれば、そうではない人もいるのです。しかし人の価値とは?に書いた通り、人にはそれぞれ等しく価値があるのです。人の価値に能力で序列をつけるような考え方を我々はまず主人公である自分自身から乗り越えて行かなければならないということです。

あなたは「共存共栄の社会を目指すと(優生主義よりも早く)子孫を繋げなくなって人類は滅ぶ」と考えているのでしょうか?おっしゃってることがあまりに理不尽過ぎて殆ど意味不明です。あなたは本当は僕の言うことが心の奥底では真理だと気づいているのに受け入れられないから、僕の言うことをわざと無理やりに曲解し・論理を放り捨ててまで反論してくるのでしょう。

>>個人的に人間が子孫繁栄という行為で種を繋ぐ以上、仕組み的にどうやっても人の優劣というものを無くすのは不可能であると思いますが、そこに関しては真也さんはどのような意見を持っていますか?

これも、あなたは「無明(課題)」というものを「無くすのが不可能である」ということを大前提として、それを乗り越える努力を最初から諦め、無明(乗り越えるべき課題)を「本質・真理」のように決めつけていますが、前述した通り、その論法自体が論理的に破綻しているのです。

何かの優劣というのは人それぞれが勝手に判断・解釈していることであり、絶対的な優劣が人それぞれの判断・解釈なしに最初から独立して存在しているわけではなく、優劣の絶対的な基準などどこにも存在していません。

能力などで「人の存在価値」にまで優劣を決めることこそが無明(課題)であり、それは人類が乗り越えるべき課題であって、実際に僕はその課題を自ら実践を通じて乗り越える修行の日々を送っているのです。それを他人であるあなたから一方的に「不可能」と決めつけられて否定されるのは心外です。

僕は優生思想・進化論が誤った解釈であり虚構であることについては、あなたの先の質問優生思想も創造主のシナリオですか?の中でとても論理的にご説明差し上げているのですが、それでもあなたがまだそれを理解し受け入れられないために、あなたを救いに導けないのはとても残念なことです。

>>人類も今まで優生思想で相対的により良い遺伝子を残し、そうでない者は排除(積極的に虐げる訳でなく、受胎者である女性が遺伝子を受け入れないため自滅)して来たために、ここまで人類は発展したと考えています。

それも単なるあなたの解釈であって客観的事実ではありません。あなたのおっしゃることはすべてにおいてそのように「客観的事実」ではなく「あなた個人の思い込み」を前提・根拠にしているからお話にならないのです。

あなたは世の女性がみんな優生思想によって常に男性を容姿や能力などで序列をつけ、その中で相対的に一番優秀そうな男性から順番に愛することでより優秀な遺伝子を残していると思っているのでしょうか?そして遺伝的に劣る男性は絶対に女性から愛されずみんなハブられると思っているのでしょうか?そしてそれが生物の本質であり、どの生物もみんなそうだと思っているのでしょうか?

もしそれが正しいのだとしたら、今生き残っている人たちはみんなそのような厳しい生存競争を何万年と勝ち抜いて進化してきた勝ち組の遺伝子を持つ優秀な者ばかりということになるでしょう。もちろんあなた自身も含めて。それではなぜ人間より能力が劣る猿が世界中でこんなに多種多様に栄えているのでしょうか?そして勝ち残ってきた遺伝子を持つはずのあなたが異性から受け入れられない理由は何でしょう?たまたま不運で容姿や能力や財力などが人類最低レベルに生まれたからですか?

もしそのように考えているのなら、あなたは本当に不幸な考え方をされていますね。それでは異性から避けられるも無理はないでしょう。(クドいようですが、落ち込まずに考え方を改めて明るい未来を選択して下さいね)

確かに世の中にはあなたが考えているように、男性を容姿やステータスなど表面的なもので判断する女性もそれなりにいるにはいるのでしょうが、僕はそういうタイプの人が本当に幸せになっているのを見たことがありません。愛のない結婚は、例えどれだけ他の面で恵まれていても地獄ですから。

女性は実際に結婚するとなったら、運命(縁)・感性(直感・相性)を最も大事にする人が圧倒的に多数派だと僕は思いますよ。もし優生思想が生物の本質だというなら、誰かと結ばれても常に「もっと他に良い人がいるのではないか」と考えることにつながり、それは当然「出会った人を全力では愛さない」ということに繋がります(まぁそういう人は世の中に結構いるんでしょうけどねw)。そのような考え方は愛(真理)とは相反するものであって、そのような考え方では結婚などしても幸せになるわけがなく、いつか破綻するのは目に見えています。

全ての人や出来事との出会いは天より与えられし縁であり、あなたはネガティブな思い込みが強過ぎるために何でもネガティブに解釈し、それゆえに天の愛を受け取れず、良縁を自ら遠ざけているのでしょう。人の価値に序列をつけるのが当たり前だと思っているような人は、どれだけ容姿や能力や財力に恵まれていても心から愛されるわけがないのです。あなたが女性から愛されないのは、決して容姿や能力や財産などが原因ではなく、単にあなたのネガティブな考え方が原因でしょう。

人にはそれぞれ個性が与えられています。個性というのは必ず長所と短所を含むものであり、それは補い合い・助け合い・愛し合うためのマテリアルなのです。僕は個性(長所や短所)をなくそうなんて考えていません。自分や他人の価値に優劣をつけ、蔑んだり排除しようとしたりする差別主義的な価値観をなくし、みんながお互いの個性を尊重し合える世の中を実現したいのです。(僕はこういう考え方をしているからブサイクでハゲでお金も仕事も語学能力も全くないオッサンでもモテちゃうんでしょうねw)

>>そもそも私たちが生きている現世での勝敗には大した価値は無く、全て魂の成長を促す過程でしかないという認識でしょうか?

仕事やスポーツなどで勝敗を競い合う勝負事も人間に与えられた楽しみの一つであり、多くの人の人生に共通したシナリオ(カルマ)の一部です。どんな勝負事も本来は我々が鎬を削り合い、またチームで協力し合い、みんなで応援し合い、お互いの成長を楽しめるように与えられたものです。そのような「能力×努力×協力」の勝負は、人の存在価値の優劣まで決めるものではありません。何かの勝敗によって存在価値まで左右されると考える愛のなさが不幸の元だと僕は思います。真理はワンネス(すべての存在は一つ=創造主)であり、価値があるのは存在(感情・経験)であり、それは真理に至るべく試行錯誤を続ける道の途中にあるのです。

それにしても「魂の成長を促す『程度でしかない』」とは、まるで魂の成長になど大した価値はないと言わんばかりですね。ではあなたが生きる上での最大価値は何ですか?あなたは自分がいったい何のために生まれてきたと思っているのですか?

>>批判ではなく、単純な疑問ではありますが気を悪くされたら申し訳ありません。

いえ、こちらこそ気を悪くされたら申し訳ありません。せっかく創造主が僕を通じてあなたに真理を伝えて救おうとしているのに、僕の未熟さゆえにきっとあなたを傷つけてしまって意地でも理解したくなくなるような書き方をせざるを得ず、結局全く伝わらないであろうことはとても残念に思います。どうかあなたに神仏の導きと救いがありますように。

僕自身も長年鬱の経験があるので、あなたのお気持ちも考え方もよくよくわかるのですが、今のあなたの考え方は鬱状態に陥る人(霊障に犯されている人)に見られる典型的なもののように感じます。そして鬱状態の人というのは他人の話が聞ける状態にはないのです。だからなたがもしリアルで出会った友人であるなら、僕はあなたの言うことを否定せず、真剣に聞いてあなたの存在を承認し(許し・感謝し・尊敬し・愛し)、あなたの自尊心を上げることだけに徹していたでしょう。

ただネット上の「質問箱」ではその性質上、僕が意見を言わずに相手の話を聞くだけでは成立しません。鬱状態の人は、相手の意見が自分と違うというだけで自分の存在まで否定されたと感じて傷ついてしまいますから、鬱状態の人を傷つけずに僕が意見を言うことはできないのです。どうぞご容赦下さいませ。

僕はただあなたを幸せに導きたいだけで、決してあなたを論破して勝ち誇りたいわけではないのです。あなたは議論を勝ち負けと捉え、自分の考え方が否定された=自分は劣っていると感じてプライドが傷つき、無理やり曲解・誤解して論理をかなぐり捨ててでも僕を否定せずにはいられなくなっているのでしょうけども。

しかしあなたの本体は魂であり、あなたの意見=あなた自身ではありません。今までの考え方の間違いに気づいたらどんどんそれを更新して魂を成長させていけばいいだけのことです。自分の今までの考え方を更新し、成長する経験こそが人生の醍醐味なのですから。今までの自分の考え方に固執しそれを自分自身であるかのように考えて常に防衛しようとし続けたら、いつまでも成長できなくなってしまいます。成長を目指すことは過去の自分を否定することではなく、過去の自分も成長を経験するのに必要な過程だったと愛することです。蝶を愛でることは芋虫を否定することを意味しません。

ただ単に現在のネガティブな自分の思い込み(常識)を守ってそれをより強化していくだけで更新することがない人生なんてつまらないですよ。この人生というRPGは愛と勇気を試し成長を促すためのものなのですから。

もしよろしければ他の質問生まれの格差について(陰謀論)」「未来に絶望したくなる」「ルックスに対する劣等感」「どうしたらモテますか?の回答もご覧いただけると幸いです。

それでは、あなたの幸せを心から祈っています。

2023年4月2日日曜日

ルックスに対する劣等感

 【質問】20代前半・男性
初めまして。

不幸自慢ではありませんが、自分は生まれつき体の線が細く、身長も160cm代と低く学生の頃からかなり揶揄われて来ました。中高生の時は自分が好きになった女子が陰で自分の体についてバカにしてたり、クラスの男たちからチビなのは男としてダサいwwみたいに言われたりしました。

こういう経験をしたからか、自分は今でも人から見下されるのがめちゃくちゃ怖いです。行動や意思決定の際に自分がしたいかどうかより人から見てどう映るのか、馬鹿にされたりしないか?ということばかり気にしてしまいます。気にしても仕方ないのは分かっていますが、どうしても人から見下されたくないという気持ちを改善することができません。自分の悪癖に対するシンヤさんのアドバイスをお聞かせ願いたいです。

また、男として〜〜みたいな意見に縛られるのは良くないと思いますか?


【回答】
ご質問ありがとうございます。僕もコンプレックスによって目覚める前までの人生の大半をスポイル(台無しに)してきた人間なので、お気持ちはよくよくわかります。

まず、特にあなたはまだ若いので、もう少し自身のコンプレックスというものに対して反発心を持ってもらいたいです。

コンプレックスに苛まれている時は、己の不幸をすべてそのせいにしてしまい、自然と孤独になって周囲が見えなくなるものですが、世の中にコンプレックスが何もない人間というのはいないのです。それはあなたがうらやましいと思うような世の成功者たちにも必ずあるのです。実際、政界・経済界・芸能界などを見ても、世の成功者というのは背が低い人がかなり多いですし、そうでなくても貧困など何らかの理由で恵まれない幼少期を過ごしてきた人がとても多いのです。

悪いカルマの解消法」にも書きましたが、コンプレックスは創造主が人それぞれみんなに与えているプレゼントであり、それがカルマ(=魂の成長のために与えられた課題)なのです。世の成功者の多くはコンプレックスに負けないようそれをエネルギー(原動力)に変えて努力を続けてきた人であり、逆にコンプレックスが弱くてそういう反発エネルギーがない人はきっと成功しないでしょう。コンプレックスは創造主から成長を期待されて与えられている宝物なのです。だから己のコンプレックスをポジティブなエネルギーに変えられず、バカにされる度に傷ついて気落ちし、我が身の不幸を嘆くばかりで努力しない自分をコンプレックスを理由に正当化し、最初から負けを認めて諦めているような人は、そういう人生になる定めなのです。


ボールは圧力をかけられることで反発して前に飛ぶものであり、凹んだまま穴が開いて空気が抜けてしまうボールの様になってはいけません。そしてあなたをバカにしてくる人はたいまつのように火をつけてくれているのであり、湿気ってばかりで全く燃えないのでは時代の暗闇は照らせません。

ポジティブさ・明るさってものすごく大事ですよ。あなたは無自覚にいわゆる鬱状態に陥っていて、自分が暗くてダメな人間だと思っているかも知れませんが(僕も鬱の頃は自分をそう思っていました)生まれつきネガティブで暗い人間などいないのです。もしあなたがネガティブで誤った考え方を積み上げてきたことに気づいてそれを乗り越えて赤子のように屈託のない明るさを取り戻すのなら、きっと同じようにネガティブで暗くなっている人を明るくして救えるメシアになれるでしょう。というか、そうなることが使命なのであり、今までコンプレックスにスポイルされ残念な青春を過ごしてきたのも、あなたなりに衆生を救うという使命を果たすために与えられたカルマ(課題・設定)なのだと愛で解釈して下さい。

宇宙の仕組み」に書いた通り、世界はP2Pのネットゲームのようなもので、ログインしている時点(自意識が存在する時点)で、自分が世界の主人公なのです。それがぴったり重なり合っているためにみんな客観的世界が存在すると錯覚し、自分をその世界のわき役のように思っていますが、その錯覚こそが人間に与えらえた無明なのです。そしてその無明による劣等感・無価値感を乗り越えて自分が主人公であること・自他の存在にとてつもない価値があることに目覚めるところが尊く素晴らしいのであって、それがこの人生というRPGのシナリオの核なのです。人生というRPGはすべからく主人公である自分次第にデザインされているのですから、変わるならまず自分からです。

創造主は因果応報という法が支配している世界を作り、あなたの魂が自分に与えられた自由意志により自発的に成長しようとする姿を一秒も休むことなく見守っているのです。あなたのことを表面的にしか見えていない他人の評価を気にして自分を偽るのではなく、あなたのすべてを見ている創造主が自分をどう評価するかを考えて下さい。そして創造主があなたに移譲した「自分自身を評価する」という最も尊い権限を、易々と他人に譲り渡さないで下さい。

人生はRPGであり、また映画でもあります。主演の自分を勝手に端役だと勘違いし、自分に与えられた配役・シナリオに不平不満ばかり言って全力で演じようとしない俳優に、監督(創造主)がより良い配役・シナリオを用意してくれるなどということはありえないのです。

自分に都合の良いものは赤ん坊でも愛せます。真に大人になるということは、自分に与えられた困難も、自分の魂の成長に必要だから与えられたのだと感謝しながら乗り越えられるようになることなのです。他人が羨ましいと思うものが与えられなければ感謝できないという人の感謝に価値はありません。既に与えられているものに感謝できない人間に、創造主はもっと与えようとは思わないのです。それどころか既に与えられたものまではぎとられ続け、失うことでその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうことでしょう。まず何かを経験し、感じることができる主体者として人生を与えられていることに感謝できるようになって下さい。「そんなの他人にも与えられている当たり前のものじゃないか」と他人との比較で幸不幸を判断し、感謝するかしないか決めようとすることが不幸の元凶だと気づいて下さいね。「当たり前」は「有難い(感謝)」の対義語なのです。

あなたにはあなたという主人公だけにアレンジされた魂の成長のためのシナリオがあるのであり、自分を他人と比べて不平不満に思うこと自体が贈与者たる創造主への不義なのですから、それは当然その分身たる自分に返ってくるのです。

主人公のあなたにはそのシナリオ上で最もふさわしい外見が衣装のように与えられているのですから、それに文句を言うのではなく愛で解釈し、感謝しながら、未来に用意されているシナリオの中で、よりよいシナリオを掴んでいくことが大事です。「自由意志は存在するか?」に書いた通り、人生は行動の選択ではなく解釈の選択(世界観)により創られるのですからね。愛で解釈するか恨みで解釈するかでシナリオは全く違ったものになります。

外見を誰かにバカにされても、それは衣装のようなものであなた自身(魂)ではありません。与えられた衣装が面白いなら一緒に笑えば良いだけです。自分の人生を俳優目線ではなく創造主目線で見られるようになって下さいね。「詐欺被害に遭って悔しい」にも書いていますが、自分を笑う視点を持つことは幸せに生きる上でとても大切なことなのです。外見に対する他者評価ぐらいでいちいち傷ついているようでは幸せになりようがないです。

特に日本人は幼少期から常に他者評価に依存するように洗脳されています。「人の価値とは?」に書いていますが、世の中みんな他者評価依存で、人間の価値が「存在」にではなく「能力」にあると思って人の価値に序列をつけるような差別主義者だらけになっています。それがあまりに常識になり過ぎていて、誰もそれを疑う視点すら持てていないのです。そしてそれこそが我々に共通した乗り越えるべきカルマ(課題)なのです。

人生というRPGにおいて、他人はすべからく脇役のNPCであり、タチの悪い常識を押し付けて、映画マトリックスのエージェント・スミスのようにみんなを自分のコピーのようにして脇役に引きずり下ろし、主人公として目覚めることを阻止してきます。そしてこのRPGはあなたの愛と勇気を試し、魂の成長を促すためのものなのですから、世界はありとあらゆる手段であなたを脅し、傷つけ、怒らせ、失望させ、堕落させてきます。しかし主人公であるあなたは、決してそれに屈してはいけないのです。思考・行動の選択肢があるのなら、常により愛と勇気が必要な方を選んで下さい。最終的には必ずそれが正解になりますから。

あなたは体が小さく華奢な男には価値がないかのように思い、自分を蔑むのが趣味みたいになっているようですが、それは世の中に山ほどいる体が小さく華奢な男みんなを蔑んでいるのと同じなのです。まずあなた自身が「能力などにより人に序列をつける考え方」をしている差別主義者になっていることに気づかなくてはいけません。あなたも他人も等しく創造主の分身であり、自分を蔑むのも他人を蔑むのも同じ事で、それは全部自分自身に返ってくるのです。

他人から評価されなければ価値がないと思って傷つき、自分を偽ってまで他人に評価されようとするのは社会病理です。このあたりの話は「嫉妬・劣等感で苦しい」にも書きました。特に日本人は幸せでさえもステータス(他者評価)と誤解し、見下されて傷つかないために幸せを装い、幸せそうに見られることで幸せを感じようとし、いつも他者評価を気にして自分を偽るために逆に本当の幸せからどんどん遠ざかっています。

どうかもっと自分自身も他人も無条件で許し愛せるようになって下さい。「反省してはいけない」にも書いてますが、人が良い思考・行動をし、悪い思考・行動に自ら歯止めをかけるのは自尊心が原動力なのであり、自尊心が高まれば自然と人は自分をもっと好きになるように思考・行動するようになり、嫌いになるような思考・行動は自重するようになるのです。だから自尊心を育てることが何よりも大事で、自分の自尊心も他人の自尊心も下げてはいけないのです。世界はすべてが同一の存在(ワンネス)なのであり、自尊心と他尊心は同時にしか上がりません。

あなたをバカにした同級生たちは誰かの欠点や過ちをバカにして相手の自尊心を下げることによって自尊心を上げようとし、いつかそれが自分に返ってきて傷つき不幸になることになるのが必然なのであり、他人をバカにする人は可哀そうなNPCなのです。人の価値に外見や能力で序列をつけるような考え方をする限り、幸せになることはありえないのです。あなたは嘲笑する側が最終的に幸せになるシナリオの物語を見たことがあるでしょうか?嘲笑は負けのフラグなのです。本当に自信があって幸せな人は他人をバカにして偽りの安心感にすがる必要はないのです。だからあなたは決して他人からの嘲笑に屈せず、また決して嘲笑する側にならず、あなたを嘲笑する人たちにも慈愛の気持ちを持って幸せに導いて救って下さい。あなたが主人公のRPGに、あなたの救いの対象でない人はいないのです。

コンプレックスというのは自分で受け入れられれば、相手を安心させる長所になるのです。逆に自分で受け入れられず身構え、バカにされたら傷つきビクつくようでは益々バカにしてくるような人を引き寄せてしまうことでしょう。これも僕はよく容姿をバカにされて傷ついてきたのでよくわかります。今はイジられても一緒に笑うだけで、バカにされているとは全く感じません。

自分のコンプレックスを自分で受け入れてありのままを愛せない人が、こちらのコンプレックスを受け入れてありのままを愛してくれるわけがないことは確実なので、自然と人から避けられて孤独に陥り、気づかない間に自分の人生の物語をどんどんつまらなくしてしまうのです。

相手は自分のコンプレックスゆえにあなたをバカにしてくるのでしょうから、あなたがバカにされてもあなたがいつも自分のコンプレックスを受け入れ、堂々としていてバカにされても気にせず、むしろ乗っかって笑いに変えれるような人間になれば、相手も自分のコンプレックスが気にならなくなるでしょう。それが救いなのです。

体が小さいことをバカにされたら「時代は省エネなんだよ」「長生きするのはみんなチビや。200まで生きたるわ!」「誰がリトルグレイやねん?お前アダプションしたろか?」って感じで、いっぱい持ちネタを増やしていって下さい。それができるようになれば、ずっと周囲から愛され、また幸せにもなるでしょう。逆にせっかく容姿や能力に恵まれ、たゆまぬ努力によって世間的に成功している人でも、それをひけらかして周囲をバカにするような人間は愛されませんし、不幸に吸い寄せられる定めなのです。

人生というRPGにおいて常識というのは初期設定であり、必ず過ちを含んでいます。常識(初期設定)がそのまま真理ならそのRPGにプレイ要素はありません。間違った常識に立ち向かって真理に向かうところにこのRPGのプレイ要素はあるのです。ただ我々は常識(コモンセンス)があるから他人と気持ちを共有できるのですから、闇雲に常識に逆らえば良いというものではありません。真理というのは人を幸せにするものであり、ある常識があなたの心を苦しめ不幸にするのなら、その常識はあなたが乗り越え覆すべき課題なのだと理解して下さい。容姿で人の価値を判断しようとすること自体が人間に与えられた無明なのであり、たった数人にバカにされただけで「背が低く華奢な男はダメ男」などと勝手に常識化して己を蔑むようでは自分の魂のレベルを下げるだけです。

世界はあなたの解釈(世界観)が創っているのですから、もっと素敵な世界観を持って下さいね。今はあなたがネガティブな解釈によりネガティブな世界・物語を創り出しているために、人からも神様からも愛されず、みんなが無意識にあなたの世界の住民になりたくない・あなたの物語には出演したくないと拒否されている状態なのでしょう。それはあなたのルックスが原因なのではなく、あなたの解釈がネガティブさが原因なのです。ですからみんながあなたに会いたい(あなたの世界の住民になりたい・あなたの物語に出演したい)と無意識に感じて引き寄せられるぐらいに、すべてを愛で解釈し、素敵な世界を創り出して下さい。

リンクが多くて恐縮なのですが「誰でも自信満々になれる方法」は必ず読んで欲しいです。そこに書いたようにあなたが出会った人を例外なく許し、尊敬し、感謝し、愛せるようになっていけば、どんどん自分を許し、尊敬し、感謝し、愛せるようになります。欠点や過ちがない人間はいませんから、それを理由に自分や他人を愛さないというなら、誰も愛することはできません。欠点や過ちは許し合い・補い合い・助け合うことで愛し合えるためのマテリアルだということを忘れないで下さい。

というわけで、不幸自慢は不幸を乗り越えて幸せになってからにしましょう。

>また、男として〜〜みたいな意見に縛られるのは良くないと思いますか?

ここまで書けば言わずもがなと思いますが、他人の意見・常識に縛られること自体がナンセンスです。そんなことをしているから人生が自分のものではなくなり、脇役NPCとしてつまらない人生を送らなければならなくなるのです。早く主人公であることに目覚め、タチの悪い常識を覆し、大逆転劇を起こして人生を素晴らしいものにして下さい。

最後に、クドいようですが最も大切なのは自尊心なのですから、今までの自分を責めて落ち込んではいけません。あなたの魂の成長の為に必要な過程だったのだと愛しながら、よりよい自分に既になったかのように思考・行動し、より良い未来のシナリオを選択することを心がけて下さいね。

世界の救い方

【質問】 30代前半・女性 ペンネーム:Tipoo       職業:ピアノ・絵画講師 、アーティスト、フリースクールスタッフ              アヤワスカチャレンジャー 真也さん、こんにちは。 エゴによる悩み苦しみはかなり訂正されてきたんですが、今1つだけ願いがありま...