【質問】10代男性
ここ最近真也さんの発信を見始めさせていただきました。自分はTwitterやYouTubeでよく情報収集をするのですが、最近の日本の状況に関して不安でネガティヴなことばかり目にします。
例えば、日本は今後数年の内に中国と戦争をする、憲法改正による余波で国民を縛り付けてより搾取出来るような体制を整える(マイナンバーカードで個人情報把握、預金封鎖でお金を取られるなど)、物価や生活コストがどんどん上がり続ける反面自分達の給料は上がらず国民がどんどん圧迫されていく等暗い情報をよく目にします。これらの情報のいくつかにはいわゆる陰謀論と言われるものも混ざってると思いますが、個人的には上記に記したような状態になる可能性は否定出来ないと考えています。
真也さんの以前の質問で答えていらしたグローバリスト達の凄まじい資産と権威性、各国政府や財閥との繋がりを考えればあり得る話です。私的には陰謀論そのものに対して興味はないのですが、日本を巻き込んでの戦争や憲法改正による圧政ひいては国民の奴隷化は自分の生活にも関わってくるので無視できない問題だと思ってます。
でも、陰謀論の大元や勢力図的なものを知っていく内に、どう考えても個人が何かして変えられるものではないという現実ばかり見えて来てしまいます。しかしこのような情報を知ってしまったのでここ最近は自分の人生はこれから暗いものになってしまうのかとネガティブな気持ちになってしまいます。
もちろん自分の解釈次第ではあるとは思っていますが、流石に戦争が起きたり、預金封鎖されて問答無用でお金を取られたりする圧倒的な専制政治下では明るく生きるのがかなり難しそうです。
このように自分ではどうすることもできない世の中や現実ばかり考えてしまうことに関して真也さんから助言を頂けたら幸いです。それとも、もしそういう暗い未来が待っていたとしても、それもまた自分に課されたカルマなのでしょうか。長い文章で申し訳ありません。
【回答】
ご質問ありがとうございます。
「人生はRPGそのものである」という点だけはご納得いただけていますでしょうか?それは例えではなくそのものズバリなのです。それはオンラインゲームの如く、ログインしている時点(自意識が存在していると自覚できる時点)で主人公なのであり、あなたが認識できる世界はあなたというたった一人の主人公の為に創られたRPGなのです。当然そのシナリオはあなただけにアレンジされたオリジナルのものです(だから他人との比較に意味はありません)。
認識者それぞれの物語で共通のフィールド(設定)が使われ、それがP2Pのようなメインサーバー(客観的世界)不在のネットワークにより重層しているために我々からすると世界は一つに見えているのですが、それによって自分を「他人と同じように客観的世界に生きている脇役の一人である」と錯覚してしまうところが、人間に与えられた無明(課題・愚かさ・迷い)の最たるものであり、それはまるで無数にあるアミダくじを真横から見て一本の線だ(自分がどんな選択をしようと未来は変わらない)と思い込むようなものなのです。
あなたの文章を読むと「自分は客観的・中立的な立場で情報を集めて適正に判断した上で暗くなっている」と思い込んでいるようですが、自分が主人公の世界に客観など存在しないのです。RPGはあなたという主人公次第に作られているということを決して忘れないで下さい。
RPGにおいて
情報というのは前に進みながら(経験を積んでレベルアップしながら)目的に対する必要性に応じて集めていくべきものです。そこはこの人生というRPGも同じであり、パソコンの前に座って情報を集めているだけでは物語(覚り・幸せ)が進んでいくわけがありません。
僕らは経験するために生まれてきたのであって、情報を集めるために生まれてきたのではありませんからね。
行動しようとしない後ろ向きな姿勢で情報を集めていたら、更に後ろ向きになるような情報ばかりが集まり、行動する気が失せるのはのとても自然なことです。それは「エゴ(我欲と保身)のために生きる臆病で怠惰な自分を正当化するために世の中に絶望したい」という動機ありきで「自分みたいな大したことのない人間が個人で何をしたところで世の中が変わるわけがない。努力するだけ無駄だ」というネガティブな思い込み(常識)を強化するような情報ばかりを集めているわけですから、実際に自分の世界が絶望的になるのは当然でしょう。創造主は我々に自発的成長を促すためにそう人生をプログラムしているのです。
前述した通り、人間というNPCは皆とても(主人公として)目覚めがたく初期設定されているのであり、僕も目覚めるまではあなたと全く同じように思いっきりNPC思考で自分を社会のつまらない脇役の一人と考えて生きてきました。まして僕が10代の頃なんて鬱で超根暗で勉強も全くせず女と格闘技のことぐらいしか考えてないようなどうしようもないバカで自分と世界の未来に絶望していましたから、絶望することに逃げたい・目覚めを拒否したいあなたの気持ちもよくわかります。でもどうか、いつかは目覚めて大逆転劇を起こして下さいね。
結局のところ人生は何事もまず自分でやってみて、たくさん過ちや失敗も経験し試行錯誤しながら、自分なりに納得してストーリーを進めなければ意味がありません。答え(結果)に価値があるのではなく、過程(経験)が答え(結果)を価値ならしめるのです。そして絶望も人生には必要な過程であり、本当の希望は絶望の淵のほんの少しだけ向こう側にあるのです。きっとあなたには絶望の経験が必要だから与えられているのでしょうから、もし僕の言うことが全く理解できないのなら、今は無理に理解しなくて良いってことだと思います。
僕は常に質問者さんと読者の皆さんを覚り・幸せ・救いに導こうと全力で説明していますが、ひょっとしたらあなたは既に鬱で他人の話を聞いて受け入れられる状態じゃないのかも知れませんし、どれだけ一生懸命説明しようとあなたをただ傷つけたり怒らせたりしてしまうだけになるかも知れません。文章で伝えるにはどうしても限界がありますしね。
まぁただそれで話を終わらせては質問箱の回答にはなりませんし、僕は使命を放棄するのと同じことになってしまいますから、あなたと同じように「
生まれの格差について(陰謀論)」を読んでもまだ世の中に絶望し、主人公としての目覚めを拒否していてそれを自覚さえしない魂の兄弟たちに向けて、今一度よりわかりやすくご説明を試みたいと思います。
あなたが主人公であるRPGにおいて、家族や友人のような身近な人であろうと、どんなに有名人であろうと、またあなたが嫌いな人や価値が低いように見える人であっても、他人は例外なく全員があなたの世界のNPCであり、あなたが縁あって出会う人はみんなあなたの人生という物語を盛り上げるために天から派遣された共演者なのです。
クリエイターからプレイヤーに対するメッセージは基本的にNPCや出来事を通じて覚らされるのですから、NPCの言うことや起きた出来事をネガティブに解釈していたら物語が進むわけがなく、行き詰まるか事故るかしかなくなります。
そして人や出来事に出会ったら例外なく「創造主から自分のために贈られた出会いである」と信じて、例外なく愛する(許し・感謝し・尊敬する)ことが大事です。そしてあなた自身も他人の世界においてはNPCでありその人が主役の人生の共演者だということを忘れないで下さいね。
あなたが簡単に主人公であることに目覚めてしまってはゲーム性がなくなるので、あなたの周囲の人たちもマスコミなどもNPCはみんなこぞってみんなあなたの目覚めを阻もうとしてきます。様々な悲観的情報を与えてあなたを不安に陥れ、自分勝手な常識を押しつけてバカにして怒らせたり傷つけたりして、あなたの夢を「そんなこと無理だからやめておけ」と否定してきます。それは映画マトリックスのエージェント・スミスと同じなのです。エージェントというのは誰にでも成り代われるので、あなたの周囲の人はみんな「あなたが主人公などであるわけがない」「私もあなたもみんな同じように大した人間ではないのだから大人しく支配者に従い、社会の奴隷としてただ真面目に堅実に生きるべきだ」と脇役NPCのコピーにしてこようとしてきます。それはこのPRGの初期設定通りであり、主人公であるあなたはそれに立ち向かわなければならないという避けられない(inevitable)運命にあるのです。
あなたという主人公と創造主の関係は一対一であり、世界に何十億人のNPCキャストが用意されていようと、彼らの言う事・やる事・考える事(常識)は創造主に対して一切言い訳には使えないのです。そして主人公であるあなたを捉えるカメラは常にオンであり、創造主はあなたの物語を一秒も休むことなく(心の中まで)常に記録しながら、神々と共に見ているということを忘れないで下さい。(映画トゥルーマンショーはまさに真実に気づかせるための創造主からのメッセージです)
もちろん僕もあなたの世界のNPCの一人です。ただし、あなたの世界においてみんながあなたのために自分の役を「無自覚に」演じているのに対し、僕だけが「意図的に」あなたを主人公として目覚めさせる役割(映画マトリックスのモーフィアスやオラクルの役)を演じているのです。
あなたがこの話を信じようと信じまいと、あなたが
他人に自意識があるかどうかを実際に確認することは永遠に不可能であることだけは確実です。他人に対して「あなたに自意識はありますか?」と尋ねても「あるにきまってるじゃないか?バカじゃない?」みたいに答えるようにプログラムされているAIだという可能性は決してゼロには成り得ませんからね。それは
「宇宙の仕組み」に書いた通り、夢の中で出会った人に「これは夢ですか?」と尋ねるが如くですからね。あなただけに自意識がある(主人公である)という仮説を否定証明することはあなたにとって不可能です。それはあなたが「水槽の中の脳」で仮想現実の中を生きているのだとしても、自分で気づくことは絶対に不可能なのと同じ事です。
実際、この世界は魂成長のための仮想現実プログラム(RPG)であり、創造主があなたという自分の分身(分け御霊)に対し
「愛と勇気」を試すことを通じて成長を促すようプログラムしているものなのです。もしこのレベルから納得ができないのなら話になりませんので、これ以上読み進める必要はありません。時間の無駄です。
人間というのは魂(=神・プレイヤー)のアバターなのです。あなたはドラゴンクエストのような(主人公が世界を救うシナリオの)RPGの世界において、生まれた街にひきこもってネットや本などでボスキャラたちの悪事の情報集めばかりして「自分ではまるで敵いっこない」と絶望してエゴ(我欲と保身)に埋没して生きているようなキャラクターを主人公としてプレイしたいと思いますか?そんなキャラではゲームにはなりませんから、そのように目覚めを拒否するのが常識だと信じて疑わないアバターたちは、自動運転状態のAI・脇役NPCとしての人生を繰り返すだけになってしまうのです。NPCの自由意志は幻であり「自分の道は自分で選択している」という気分だけ味合わせてもらっているに過ぎず、主人公に目覚めないNPCは他の主人公の脇役・伏線上の受動的な奴隷にしかなれず、大同小異のつまらない未来しかありません。ゲームの本当のスタートは「主人公として目覚め、世界を救う覚悟(菩提心)を持つところ」なのです。
このRPGの世界において、未来のシナリオも最初から既に存在しており、死の苦痛は幻で、死んでも永遠にリスタートがありますから、本当はすべてが大丈夫なのであり、何も恐れるべきではないのです。どっちにしても大丈夫なのなら、やりたいことをやるべきでしょう。
ただしアバター(プレイヤー)の目線で全部が大丈夫だと完全にわかってしまったら、いたずらに死を恐れなくなって自分や他人の時間・命・資源の全てを大切にしないようになり、成長の物語・芸術として成立しません。みんな「世界は創造主により勝手に救われるから大丈夫だ」ってことで、エゴに埋没して自堕落的・退廃的に生き、誰一人主人公として目覚めて成長努力をせず、祈りさえしないことになるでしょうからね。それでは我々がこの世界に生まれてきた意味がなくなります。だから創造主はあらゆる手段を通じて
まるで大丈夫じゃないかのように敢えて我々を不安に陥れているのです。
そして創造主は因果(善因善果・悪因悪果)というルールによってこの世を支配し、良いことをすれば幸せになり、悪いことをすれば不幸になるよう人生をプログラムしているのです。これは因果は創造主の天地開闢以来の絶対不変(普遍)の法則であり、あらゆる魂に対して公平なのです。
ただあまりに善因善果・悪因悪果がダイレクトに反映され過ぎると、創造主が人間に善行を強制しているに等しくなり、自由意志を与えた意味がなくなってしまいます。それでは人々は善果を期待して善行をするようになり、動機がエゴになってしまいますからね。もし人に親切にすれば必ず見返りが得られるのなら、親切の動機がエゴになるのは容易に想像できるでしょう。見返りを求めない親切だからこそ美しいのです。それゆえ創造主は因果に時間差などのギャップを設けてわざとわかりにくくしています。
そのために今現在だけを見れば良い事をしていても全く報われず不幸な人がいたり、悪い事をしているのに得をしたりしているように見える人がいたりしますが、それはこのRPGにおける必要悪のトラップのようなものであり、設定の要なのだと気づいて下さい。
これらの仕組みは決して我々に対する意地悪や嫌がらせで作られたものではなく、あくまでも創造主がその愛により、我々の自発的な成長を願って作り上げたシステムなのです。自由意志とは自発的な成長のために与えられているものなのです。世界は自分の解釈次第に創らていますから、その創造主からの愛を悪く解釈すれば、本当に罰ゲームみたいな人生になってしまいますし、不安に捉われればきっと本当にその不安が実体化してしまうのは当然なのです。あなたは「もちろん自分の解釈次第ではあるとは思っていますが」とおっしゃっていますが、ご質問内容から察するに、まるで理解されているようには思えません。
僕らは創造主の分け御霊であり、彼自身でもあります。創造主が自分に対する意地悪や嫌がらせでこの世界を創るわけがないのです。もちろん創造主には全人類、全霊魂の救済計画・メシア(菩薩・仏陀)化計画のシナリオがあるのです。でもそのシナリオ通りに創造主が全てを直接やってしまったり、プレイヤーたちに直接答えを教えて半ば選択を強制したりしたら、ゲーム要素(成長要素・芸術要素)がなくなります。それは美術の先生が生徒の課題をやってしまうようなものですからね。だから創造主は世界を本人次第に創っているのであり、あなたが世界を絶望的だと思うのは、信心・感謝の気持ちを持たず不平不満や恨みで解釈しているから、実際にそのようになってしまっているだけです。
創造主が世界をその主人公次第に創っているのは、自分の分身である我々に「願いが叶った」「祈りが通じた」「努力が実った」という経験をさせたいからです。なぜならそれは全知全能の「思っただけですべてが実現する」創造主には直接的には経験できないことだからです。だからこそ創造主は人間の能力を大幅に抑制し、因果の法則をはじめとしてたくさんの法則(ルール=制約)を設けて、簡単には人間の思い通りにならないよう、願わない・祈らない・成長しない人間は不幸に陥るようにプログラムし、様々な人や出来事との出会いを通じて、我々に自発的に気づかせ成長努力をさせようと導いているのです。ですから当然ながら創造主は世界が救われるよう本気で願わない・祈らない(神を信じない)・成長努力もしない人間をその意思とは無関係に勝手に救って幸せにすることはありません。世界はあなたという主人公が救わずとも勝手に救われるようにはプログラムされていないのです。逆にあなたが救おうとしなければ世界は悪くなっていく一方になるでしょう。
人生は「愛と勇気」を試して成長を促すためのRPGなのですから、このRPGの世界全体があらゆる手段を通じてあなたを怒らせ、また脅して不安にさせ、絶望させ、エゴ(我欲と保身)に埋没して堕落するように差し向けてきます。そうしなきゃ「愛と勇気」は試されませんから、至極当然のことです。
例えばあなたに巨大なプールの水を運び出すという課題が与えられたとしましょう。ところが最初はおちょこのような小さな器しか与えられていません。今のあなたはとりあえずその小さな器で水を運び出し始めるのではなく、一生懸命に情報を集め、プールの水の量と自分の現在の排水能力を計算・推測し「時間的にも労力的にも絶対に無理だ」と何も始める前から絶望しているようなものです。
しかし人間の器というのは成長と共にどんどん大きくなっていくものなのです。RPGというのは主人公の成長に合わせてシナリオ上必要な時に必要なものが必要なだけ与えられるようにできていて、それは人が冒険を始める前に計算・推測できるようなものではないのです。そしてドラゴンクエストと全く同じ様にあなたの人生というすべてがプログラムされたこのRPGの世界において、やり始めればいつか成長して目標を達成できることはシナリオ上最初から確定しているのです。
ドラゴンクエストだって初期設定のレベル1ではボスキャラとは途方もない実力差があるのは当前であり、最初からボスを倒せるだけの能力・アイテム・仲間・情報が与えられていて見込みが完全に立っていたら何の成長要素も芸術要素もなく何も面白くないでしょう。それらを冒険して経験を積みながら得て行き、その圧倒的な差を覆す大逆転劇を起こすところがRPGの醍醐味なのです。それなのにあなたは初期設定である「自分とボスキャラたちとの実力差」を嘆いて「自分が何をしても無駄だ」と勝手に絶望しているわけで、それがいかにナンセンスなのかってことに気づいて下さいね。
「自分なんて能力も価値もなく大した人間じゃないから世界なんて救えるわけがない」「最初から幸せな世界が実現されてないならゲームをしたくない」というのは典型的なNPC思考であり、そこを改めなければ決して主人公になれませんし、成長も覚りも幸せもないのです。RPGで課題を用意している側のクリエイターが自分で用意した課題を自分でクリアして、最初から平和で幸せな世界を実現してしまったら、ゲームの電源を入れた瞬間にエンドロールになるようなもので、ゲームとして成立しないのです。
どんなRPGも世界が悪者に支配される一歩手前の絶望的なディストピアから始まって、そこから主人公を起点に大逆転を起こすシナリオになっているのは当たり前のことであり、だからこそ面白いのです。そしてあなたの人生のシナリオもきっとそうなっているのです。あなたが主人公なのであり、すべてがあなた次第という点において、夢と現実に本質的な差はないのです。もちろん「信じる信じないはあなた次第」ですけども、自分を主人公だと信じないことが典型的なNPC思考なのです。
さて、ボスキャラの実力に絶望し、主人公としてどうやって世界を救えば良いか見当もつかないあなたに、重要なヒントを差し上げましょう。まぁこれも既に「
生まれの格差について(陰謀論)」で書いていることなのですけど、あなたは全く理解できずスルーしている感じなので、よりわかりやすく説明します。
世界は創造主により、すべてがフラクタル(相似形)に創られています。フラクタルというのは異分子の存在を許さず、すべてを自分と同じ型にしようとするフラクタル連鎖を起こします。ただし全部が最初から一つの型のフラクタルなのでは物語は生まれませんから、創造主はこの世界を陰陽二元的に作り、その覇権を争わせているのです。つまり天使と悪魔を作り、その代理戦争をこの次元においてやらせることで物語を生み出しているのです。それは磁石の両極のようなもので、この次元においてはどちらか一方がなくなるということはありません。RPGで敵がいなくなったらゲームにはなりませんからね。ゾンビの出て来ないバイオハザードはゲームになりません。だからこそこの世界のNPCたちはエージェント・スミスのようにみんなを自分たちと同じ脇役NPCのコピーにすべく迫ってくるのであり、それもフラクタル連鎖なのです。だから主人公であるあなたは決してそれに屈せず、みんなを主人公として目覚めさせるフラクタル連鎖を起こさなくてはならないのです。
我々の目には見えないだけで、世界は本当に天使(光・愛・智慧・真理・ワンネス)と悪魔(無明の闇・エゴ・愚かさ・迷い・我欲・保身・分離意識)の戦いの場なのです。そしてそのフラクタルの覇権争いが、それが我々の心や体の中でも地球上でも全宇宙でもフラクタルに行われているのであり、まさにそこに「このRPGのシナリオの核」があるのです。
オンラインゲームのように、あなたは他の人と重ね合っているフィールドは共有していても、別な世界に生きています。ただしそれはフラクタルに創られており、あなたが出会った人はみんなあなたの世界の住民であり、あなたは他のログインプレイヤーの世界の住民なのです。だから
あなたが主人公として目覚め、自分の中の悪魔と闘い、自分の世界の住民たちも目覚めさせて幸せに導くことができたら、それはフラクタルに連鎖していつか世界が目覚め、必ずみんなの世界が救われる時代が来るのです。
このフラクタル連鎖というのは指数関数的に広がるもので、最初はゆっくりに見えても、果てはとんでもないスピードで広がっていくものなのです。この指数関数的な倍々ゲームの増え方というのは我々の感覚と全く違い、例えば新聞紙を50回折るとその厚みは月に到達し、100数回も折るともう観測宇宙の限界460億光年すら軽く超えてしまうのです。(細菌・ウイルス・がん細胞などの増え方も倍々ゲームだから凄まじいのです)
あなたはどこか遠くに巨悪が存在して自分にはどうしようもない存在だと思っているようですが、巨悪というのはすべからく我々みんなの心に住む悪魔(無明の闇・エゴ・愚かさ・迷い・我欲・保身・分離意識)がフラクタル連鎖することによりなされているものなのです。
あなたが現在恐れて絶望している巨悪もまさにそのように一人ひとりの悪魔が連鎖して生まれているものなのであり、もし我々がイメージするような純粋な悪が存在するならそれはみんなに嫌われて連鎖せず基本的に単独犯になり、巨悪には成り得ないのです。
この世界の巨悪はとてつもなく強大に見えてとても太刀打ちできそうになく絶望的なように感じますが、元々は一人ひとりの心に住む悪魔(エゴ)がフラクタル連鎖してできたものですから、一人一人が自分の心に住む天使(愛)をフラクタル連鎖させていけばいつか巨悪も必ず倒せるのです。そしてその大逆転劇の起点となるのが主人公であるあなたの使命なのです。
例えばあなたという主人公がゴミを拾えば、それが最初は全然見えなくても世界にフラクタル連鎖するのです。寄付などもそうです。現時点でお金をいくら出せるかは関係ありません。現時点で持っているお金から何パーセント出せるかというのが大事で、それが世界にフラクタル連鎖するのです。わかりやすい例を挙げましたが、実際はあなたのありとあらゆる思考・行動が、最初からは見えないだけで必ずフラクタル連鎖するのですから、今現在のあなたのネガティブな思考・行動がどれだけ世界に悪影響を与えているか考えて、ポジティブな思考・行動に切り替えて下さいね。
この戦いはとてもスピリチュアルであり、すべてが他人事ではなく主人公である自分の戦いなのだと理解して下さい。自分が成長せずに他人を変えようとしても変わらないようにこの世界はプログラムされているのです。そして物質世界において権力(強制力)でもって権力者(他人)に立ち向かおうとしても、相手の力は強大ですから必ず潰され、余計に権力者は権力を増してしまうのです。
お金は権力(強制力)の分譲券であり、今の世の中みんなお金という見返り・強制力によって安易に他人を動かす権利を得ようとして、それが常識(仕方のない事)として正当化されています。それはこのRPGの初期設定であり乗り越えるべき課題ですから。そしてお金を多く得てエゴ(我欲と保身)を満たすために嫌な事・悪い事でも平気でやる悪魔になります。でもそこまでしてみんながお金を欲しがれば欲しがるほど、お金とお金を牛耳っている人たちの権力を増してしまうだけになるのは当然でしょう。だからまず自分からエゴを乗り越えて、お金の為に働くというのをやめ、ミニマムな生活をして、本当に人の役に立ててお互いに嬉しくなれることを、どれだけ収入が低くてもやるべきなのです。そしてお金に困っている人と出会ったらどんどん無償で助けてあげることです。お金を取ったら愛は伝わらないのです。セックスでお金を取ったら売春になって愛が伝わるわけがないのと同じ事です。
だから僕は常に無料で人助けをしています。いくらお金がなくても生活なんてどうにかなるのがわかってますからね。もちろん今の社会のシステムの中では最低限お金がないと生きることは非常に難しいのですが、僕は断食・乞食・ホームレスをして過ごしましたから、お金がまるで空気のように必要不可欠なものであり一番大切なものであるという金拝主義的(悪崇拝的)な価値観からは脱しています。最低限の収入で僕は幸せに生きてますし、もし国民の大半がその最低限の収入以下になるほど体制側が国民を圧迫するのなら暴動が起きて支配体制は転覆するでしょう。資本主義は限界を迎えており、みんながワンネスに目覚めて完全な共存共栄の世界が実現する日を楽しみにしているぐらいなので、僕は何も心配していません。
キリストが「神と富の両方に使えることはできない」と言った通りで、お金というのは悪魔が人を悪魔にするフラクタル連鎖を起こすためのツールであり、悪魔そのものともいえるものなのです。もちろんそれは磁石の片極のようなものであり、このRPGにおいてはゴールに至るまで完全になくすことはできませんが、だからといって主人公であるあなたが最初から諦めて、エゴ(我欲と保身)のために生きる脇役NPCとして生きてはいけないのです。
あなたが世界の平和と幸福を願い、神を信じて祈り、そして
六波羅蜜を行じてエゴを乗り越えて目の前の人を無償で助け、許し・尊敬し・感謝し・愛することができるよう日々実践を通じて成長努力を続けるなら、それは指数関数的にフラクタル連鎖し、いつか強大な悪魔にも勝てるのです。(仏教の修行を全て出家が必要な厳しいものであるかのようにイメージしないで下さい。人生そのものが修行なのです)
楽器の演奏と同じで最初からうまくできないのは当たり前ですから、最初からうまくできないからといってすぐ諦めないで下さいね。どんな困難に直面しても、ゲームクリア(真の覚り・アセンション・地上天国実現)を簡単に諦め、ベクトルを後ろに向けてはならないのです。
世界を救うのに最初から権力者や有名人になる必要はありませんし、最初から高い能力は必要ありません。それぞれにシナリオがあって、能力や富や名声などはそのシナリオ上必要な時に必要なだけ与えられる副産物のようなものであって、主人公が課題クリアする上での絶対条件ではありません。むしろそのように能力を価値だと勘違いし、権力を目指せば必ず他人を見下すようになり、より大きな権力と能力を持つ者のエゴの餌食にされる(フラクタル連鎖に取り込まれる)だけです。権力(強制力)そのものが悪魔だとも言えます。世の中を良くしようと理想に燃えて政治家や実業家になった人たちはほとんどが権力欲(金銭欲・名誉欲)という悪魔に憑りつかれるのです。そうでなければ世界はとっくに救われているでしょう。今の世界が不幸なのはあなたが主人公の物語の伏線なのだと気づいて下さい。
大切なのは実際に出会った人の許し難き罪・欠点・過ちを許し、補い、愛し難き人も愛することです。あなたはただ目の前の人と愛により無償で助け合う連鎖を目の前から起こしていけばいいのです。エゴ(我欲・保身・分離意識)を乗り越え、日々実践を通じて愛(真理・ワンネス)に目覚めて行く連鎖です。それを起こした人間は、例え世間的にまるで何の権威・権力もなく有名人ではなくても、世界を救うメシア(主人公)なのです。
そして常に正義より愛を優先させることです。みんながそれをしたなら世界が救われるのは容易に想像ができるでしょう。逆に真理(愛)の実践の連鎖を通じてしか世界は決して救われないのです。実際に出会ってもない人の不幸や悪事を言い訳にして絶望して諦めないで下さいね。
ガンジーの非暴力・不服従運動と同じで、真理(愛)というのは他人に強制しなくても、自ら実践するだけで連鎖してくものなのです。
この世界は魂の成長プログラムなのですから、成長方向と逆のことをすればどんどん不幸になっていくようにできています。そういう世界で創造主は我々に自発的に気づいて思考と行動を改めて成長して欲しいと願っているのです。創造主はそのために我々に自由意志と無明(愚かさ・迷い・課題・試練・カルマ)を与えているのですからね。だから成長すればするほど、真理に近づけば近づくほど自分も周囲も幸せになるように創造主は世界を作っているのであり、今あなたが不幸なのなら、それはどこか考え方が間違っていることに創造主が気づかせようとしているということなのです。
あなたが僕の言うことを創造主からのメッセージだと信じて受け入れてくれるかはわかりませんが「
信じる信じないの基準」に書いた通り、その思考・行動によって自分も周囲も幸せになるかどうかでそれが真理に近いかどうかは判断できるのです。
覚りとはまず与えられた人や出来事との出会いを縁(運命)だと信じ、自分の成長にベストなものが与えられていると心から感謝し、全力で愛することです。もっと良い人・出来事と出会えるのでは?とか縁に対して不平不満に思っって目の前の人を全力で愛さなかったり、今までの自分がしてきたことや自分に起きたことを「自分の成長に必要な過程だった」と愛せずに後悔し、また誰かを恨んだりしているようでは幸せにはなりようがないのです。
何かを感じ、愛し、そういう経験ができる「存在」として「現在」が与えられていること。そういうことに心から感謝できるようになることです。あなたはそれが他人にも与えられている当たり前のものだと考えているのでしょうが、それが他人に本当に与えられているかどうかは究極わかりません。そしてすべてを与えし創造主にとって、そのように他人と比較してより良いものが与えられなければ感謝できないという人の感謝には価値がないのです。今与えられているものに不平不満ばかりで感謝できない人間にもっと与えたところで不平不満しか返ってこないのは目に見えていますしね。「当たり前」は「有難い」の反対であり、何事も意識して当たり前だと考えないことが大事なのです。
臆病さ・怠惰さというのもエゴ由来であり、自己保存本能(保身)ゆえなのです。分離意識を乗り越えて愛に目覚めみんなが無償で助け合い補い合い愛し合うワンネス連鎖が世界の隅々まで行き渡れば、戦争・貧困など世界の大きな問題はすべて解決して地上天国が実現(ゲームクリア)するのです。
決してあなただけでなく、人間というのはみんなとても臆病かつ怠惰に初期設定されています。なぜなら最初から何も恐れずどんどん前に進めるような人の勇気には価値がないからです。臆病者が振り絞る一握りの勇気にこそ価値があるのです。そして創造主はあなたが愛と勇気を振り絞って前に進み成長するところが見たいのです。
「勇なき愛は欺瞞であり、愛なき勇は蛮勇である」真也(創造主の代弁)
彼女を愛してると言いながら彼女が暴漢に襲われている時に一目散に逃げ出すような男性の愛は欺瞞であり、しかるべき準備もなく名声目的で冬季のエベレスト登山にチャレンジするような単に無謀で愛が動機ではない勇気は蛮勇だということです。
もし今後何かの選択肢が目の前に現れたら、常に「より愛と勇気が必要な方」を選んで下さい。必ずそちらが正解ですから。そのことに経験的に気づいていければ、あなたはブレーキが壊れたかのようにものすごい勢いで前に進めるはずです。
それでは、あなたの目覚めと幸せを心から祈っています。