【質問】20代前半・男性
初めまして。
不幸自慢ではありませんが、自分は生まれつき体の線が細く、身長も160cm代と低く学生の頃からかなり揶揄われて来ました。中高生の時は自分が好きになった女子が陰で自分の体についてバカにしてたり、クラスの男たちからチビなのは男としてダサいwwみたいに言われたりしました。
こういう経験をしたからか、自分は今でも人から見下されるのがめちゃくちゃ怖いです。行動や意思決定の際に自分がしたいかどうかより人から見てどう映るのか、馬鹿にされたりしないか?ということばかり気にしてしまいます。気にしても仕方ないのは分かっていますが、どうしても人から見下されたくないという気持ちを改善することができません。自分の悪癖に対するシンヤさんのアドバイスをお聞かせ願いたいです。
また、男として〜〜みたいな意見に縛られるのは良くないと思いますか?
【回答】
ご質問ありがとうございます。僕もコンプレックスによって目覚める前までの人生の大半をスポイル(台無しに)してきた人間なので、お気持ちはよくよくわかります。
まず、特にあなたはまだ若いので、もう少し自身のコンプレックスというものに対して反発心を持ってもらいたいです。
コンプレックスに苛まれている時は、己の不幸をすべてそのせいにしてしまい、自然と孤独になって周囲が見えなくなるものですが、世の中にコンプレックスが何もない人間というのはいないのです。それはあなたがうらやましいと思うような世の成功者たちにも必ずあるのです。実際、政界・経済界・芸能界などを見ても、世の成功者というのは背が低い人がかなり多いですし、そうでなくても貧困など何らかの理由で恵まれない幼少期を過ごしてきた人がとても多いのです。
「悪いカルマの解消法」にも書きましたが、コンプレックスは創造主が人それぞれみんなに与えているプレゼントであり、それがカルマ(=魂の成長のために与えられた課題)なのです。世の成功者の多くはコンプレックスに負けないようそれをエネルギー(原動力)に変えて努力を続けてきた人であり、逆にコンプレックスが弱くてそういう反発エネルギーがない人はきっと成功しないでしょう。コンプレックスは創造主から成長を期待されて与えられている宝物なのです。だから己のコンプレックスをポジティブなエネルギーに変えられず、バカにされる度に傷ついて気落ちし、我が身の不幸を嘆くばかりで努力しない自分をコンプレックスを理由に正当化し、最初から負けを認めて諦めているような人は、そういう人生になる定めなのです。
ボールは圧力をかけられることで反発して前に飛ぶものであり、凹んだまま穴が開いて空気が抜けてしまうボールの様になってはいけません。そしてあなたをバカにしてくる人はたいまつのように火をつけてくれているのであり、湿気ってばかりで全く燃えないのでは時代の暗闇は照らせません。
ポジティブさ・明るさってものすごく大事ですよ。あなたは無自覚にいわゆる鬱状態に陥っていて、自分が暗くてダメな人間だと思っているかも知れませんが(僕も鬱の頃は自分をそう思っていました)生まれつきネガティブで暗い人間などいないのです。もしあなたがネガティブで誤った考え方を積み上げてきたことに気づいてそれを乗り越えて赤子のように屈託のない明るさを取り戻すのなら、きっと同じようにネガティブで暗くなっている人を明るくして救えるメシアになれるでしょう。というか、そうなることが使命なのであり、今までコンプレックスにスポイルされ残念な青春を過ごしてきたのも、あなたなりに衆生を救うという使命を果たすために与えられたカルマ(課題・設定)なのだと愛で解釈して下さい。
「宇宙の仕組み」に書いた通り、世界はP2Pのネットゲームのようなもので、ログインしている時点(自意識が存在する時点)で、自分が世界の主人公なのです。それがぴったり重なり合っているためにみんな客観的世界が存在すると錯覚し、自分をその世界のわき役のように思っていますが、その錯覚こそが人間に与えらえた無明なのです。そしてその無明による劣等感・無価値感を乗り越えて自分が主人公であること・自他の存在にとてつもない価値があることに目覚めるところが尊く素晴らしいのであって、それがこの人生というRPGのシナリオの核なのです。人生というRPGはすべからく主人公である自分次第にデザインされているのですから、変わるならまず自分からです。
創造主は因果応報という法が支配している世界を作り、あなたの魂が自分に与えられた自由意志により自発的に成長しようとする姿を一秒も休むことなく見守っているのです。あなたのことを表面的にしか見えていない他人の評価を気にして自分を偽るのではなく、あなたのすべてを見ている創造主が自分をどう評価するかを考えて下さい。そして創造主があなたに移譲した「自分自身を評価する」という最も尊い権限を、易々と他人に譲り渡さないで下さい。
人生はRPGであり、また映画でもあります。主演の自分を勝手に端役だと勘違いし、自分に与えられた配役・シナリオに不平不満ばかり言って全力で演じようとしない俳優に、監督(創造主)がより良い配役・シナリオを用意してくれるなどということはありえないのです。
自分に都合の良いものは赤ん坊でも愛せます。真に大人になるということは、自分に与えられた困難も、自分の魂の成長に必要だから与えられたのだと感謝しながら乗り越えられるようになることなのです。他人が羨ましいと思うものが与えられなければ感謝できないという人の感謝に価値はありません。既に与えられているものに感謝できない人間に、創造主はもっと与えようとは思わないのです。それどころか既に与えられたものまではぎとられ続け、失うことでその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうことでしょう。まず何かを経験し、感じることができる主体者として人生を与えられていることに感謝できるようになって下さい。「そんなの他人にも与えられている当たり前のものじゃないか」と他人との比較で幸不幸を判断し、感謝するかしないか決めようとすることが不幸の元凶だと気づいて下さいね。「当たり前」は「有難い(感謝)」の対義語なのです。
あなたにはあなたという主人公だけにアレンジされた魂の成長のためのシナリオがあるのであり、自分を他人と比べて不平不満に思うこと自体が贈与者たる創造主への不義なのですから、それは当然その分身たる自分に返ってくるのです。
主人公のあなたにはそのシナリオ上で最もふさわしい外見が衣装のように与えられているのですから、それに文句を言うのではなく愛で解釈し、感謝しながら、未来に用意されているシナリオの中で、よりよいシナリオを掴んでいくことが大事です。「自由意志は存在するか?」に書いた通り、人生は行動の選択ではなく解釈の選択(世界観)により創られるのですからね。愛で解釈するか恨みで解釈するかでシナリオは全く違ったものになります。
外見を誰かにバカにされても、それは衣装のようなものであなた自身(魂)ではありません。与えられた衣装が面白いなら一緒に笑えば良いだけです。自分の人生を俳優目線ではなく創造主目線で見られるようになって下さいね。「詐欺被害に遭って悔しい」にも書いていますが、自分を笑う視点を持つことは幸せに生きる上でとても大切なことなのです。外見に対する他者評価ぐらいでいちいち傷ついているようでは幸せになりようがないです。
特に日本人は幼少期から常に他者評価に依存するように洗脳されています。「人の価値とは?」に書いていますが、世の中みんな他者評価依存で、人間の価値が「存在」にではなく「能力」にあると思って人の価値に序列をつけるような差別主義者だらけになっています。それがあまりに常識になり過ぎていて、誰もそれを疑う視点すら持てていないのです。そしてそれこそが我々に共通した乗り越えるべきカルマ(課題)なのです。というわけで、不幸自慢は不幸を乗り越えて幸せになってからにしましょう。
>また、男として〜〜みたいな意見に縛られるのは良くないと思いますか?
ここまで書けば言わずもがなと思いますが、他人の意見・常識に縛られること自体がナンセンスです。そんなことをしているから人生が自分のものではなくなり、脇役NPCとしてつまらない人生を送らなければならなくなるのです。早く主人公であることに目覚め、タチの悪い常識を覆し、大逆転劇を起こして人生を素晴らしいものにして下さい。
最後に、クドいようですが最も大切なのは自尊心なのですから、今までの自分を責めて落ち込んではいけません。あなたの魂の成長の為に必要な過程だったのだと愛しながら、よりよい自分に既になったかのように思考・行動し、より良い未来のシナリオを選択することを心がけて下さいね。
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