2022年8月14日日曜日

自然災害の予言

【質問】
富士山は最近爆発の兆しがあると聞きましたが、それは本当ですか?

【回答】
ご質問ありがとうございます。

まず僕は預言者(神の言葉を預けられている者)であって予言者(占い師・予想屋)ではありません。

災害の日時の予言なんてまったく意味がないのです。なぜなら人の寿命というのは生まれる前から決まっていて、せいぜい死因が何になるかの違いしかないからです。キリストも「あなたたちが何を心配しようとあなたがたのうちの誰が、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ他の事まで思い悩むのか」というように言っていましたが、まさにその通りなのです。

僕らがあらゆる病気や事故などで死ぬ確率を全部合わせたらとっくに死んでいます。というか確率で考えたら生まれていませんし、この世界自体が生じていません。信心を持たず、理由(使命・存在意義)があって「生かされている」ってことに対して感謝と信頼の念がないから不安になるのでしょう。

もちろん災害対策というのは必要なものではありますが、災害以外の理由で明日死ぬかも知れないわけで、当たるか外れるかわからないたくさんの占い師や予想屋を頼って恐れおののき右往左往しながら対策を講じるなどいうのは馬鹿げた話です。

僕は決して占いなどを否定しているわけではありません。ただ占いっていうのは本来人を幸せに導くためにあるべきもので、ネガティブな出来事を予想してそこに導かれるように暗示をかけるようなものは「呪い」であって占いではありません。もしその暗示通りに悪い出来事が起きたらその後は常にその人に惑わされるようになり、その人の思いつきのために振り回されることになるでしょう。そして開運グッズを買わされたりなど金儲けに利用されるようになるだけでしょう。

僕は天に対して災害の(具体的な日時や場所の)予言が与えられることを拒絶しています。なぜなら災害のようなネガティブな出来事の予言なんてしたら、僕自身は起きて欲しくないと願っているのに、実際にその願いが通じてそれが起きなかったら僕はオオカミ少年みたいに人々の信頼を失い、もっと大切な覚りの内容をみんなに伝えても信じてもらえないようになってしまいます。そうすると僕自身は災害など起きて欲しくないのに起きて欲しいような願いを深層心理で持つことになってしまいます。そしてそのような願いが実際にネガティブな出来事を具現化してしまうのです。この世界の全ては我々の認識・解釈により生じているのですから、僕はただただ災害などの惨事が起きないように祈っています。

僕は神通力によってではなく、覚りの連鎖によって世界は救われると思っています。浄霊以上の過度な神通力は、かえって人々を覚りから遠ざけます。それは奇跡ばかり求められて結局は弟子全員に裏切られたキリストの事例を見ればわかりますし、釈迦もいたずらに神通力を使うなと弟子をたしなめています。人々がみんな他人である覚者の神通力だけを他力本願的に求めるようになったら、当人の覚りに向けた魂の成長を妨げてしまいます。

神通力についてに書いていますが、例えば僕がキリストのように死者を生き返らせるような神通力を得てしまったら、今生きている70数億人がいつか必ず死ぬわけですから、大挙して人々が押し寄せて蘇生ばかりしなければいけなくなりますし、対応しきれなくて死んだ人全員が僕が見殺しにしたから死んだということになってしまいます。同様に僕が災害予言のような神通力を得てしまったら、僕が予言を伝えないことで被災した人は全員僕が見殺しにしたことが原因ということになってしまいます。そんなの僕個人で耐えきれるわけがありません。だから僕はそういう神通力を与えられることは拒絶していますし、例え与えられても人に言うことはありません。

僕の使命は奇跡によって一過性の命を救うことではなく、覚りによって永遠の魂を救うことです。死を過度に恐れるのは、魂の永遠性を信じず、命を一度限りのものだと思っているからでしょう。しかし死や何かに怯えながら「本当の幸せ」というのはありえません。

安心させることが天使側の仕事であり、不安に陥れるのが悪魔側の仕事です。人生は愛と勇気を試すためのRPGであり、ビクビクして恐れ波動を出すことは無自覚に悪魔側に加担することになり、本人を主人公としての地位から遠ざけてNPCにするのです。仏教では臆病を人間の最大の罪の一つとしていますが、それは人生というのが愛と勇気を試すためのRPGであり、主人公意識=菩提心(衆生を救う菩薩になる覚悟)を持つことがこの人生というRPGの本当のスタートだからです。

覚りが開けてくれば魂の永遠性を実感するので死ぬのはあまり怖くなくなります。僕らは真理(覚り)を求めて魂を成長させるために生まれてきているのですから、人々が自発的に自分の意思で覚りを求めて成長していくように人生はプログラムされているのです。だから僕は自分の覚りを勧め、人の覚りを手助けすることしか考えていません。

どうか自然災害などネガティブな出来事も神の愛により我々の魂の成長のため・愛と勇気を試すために与えられているのだと愛で解釈して下さい。全ては神から与えられたものであり、与えられたものに不平不満や恨みで返すとより悪いものが与えられ、既に与えられたものまではぎとられる人生になってしまいます。全てを愛で解釈して感謝の気持ちで受け取れば、より素晴らしいものが与えられることでしょう。

自然災害は我々がどれだけ祈ろうと遅かれ早かれいつか必ず起きるものです。もしそれが起きたなら、勇気をもって無償の愛によってみんなで助け合うことです。

覚りが開けてくれば死だけでなく老いや病や別れや失敗など何も恐れなくなります。恐れとは例外なくエゴ(我欲と保身)が根本原因なのです。

ですから最善の災害対策は、エゴに埋没して「いつ大災害が起きて巻き込まれるだろうか」とビクビクして伝聞情報に振り回されながら対策を講じることではなく、愛と勇気を発揮し、覚りを求めて魂を成長させ続けることであり、みんなで助け合い愛し合って最後の最後まで悔いなく幸せに生きることです。

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