2025年9月30日火曜日

意識覚醒体験の解釈

 【質問】男性 21歳 ペンネーム:オーロラ
こんにちは。一時期、意識の覚醒だけに集中していた時に、覚醒し自分を覆ってる意識のブロック(直感で警察のような気がした)を突破し、「世界を自分の愛で一つにしてみんなが幸せになれる世界を作るべきだ」という考えに全能感と共に取り憑かれた日に、親に追いかけ回され警察に保護され、様々な気に反応するかというテスト?を会話をするという体でされ強制措置入院にされるという出来事を体験しました。その日は自分が漫画の主人公になったような感覚を味わいました。狐の霊のような雰囲気を纏った刑事さんも何故か来て、煉獄と書いた巾着をつけていました。その後自分の前世が今と変わらない人間であった事に気づき、自分の願いが両親と共に永遠に幸せに暮らす事だったことを思い出しその強制措置入院は自分を見失いかけてた自分を救うイベントだったと考えているのですがこの解釈は合ってますでしょうか?それと自分は身体感覚が自由でない感覚がずっとあり、それが過去の自分がかけた呪いなのか他者にかけられた呪いなのかがわかりません。意識が覚醒していた時は身体感覚が自由で他人に向けられた気の性質とそれに対する防御も出来ていたのですが、今は気さえ感じません。私が体感していたあの世界はなんなのでしょうか?長文失礼しました。お答えいただけると幸いです。

【回答】
ご質問どうもありがとうございます。貴重な体験をシェアして下さり、僕を選んで質問して下さったことに心より感謝し、心して回答させていただきたいと思います。正しく伝わるかどうかはわかりませんが、いつも通り全力でトライさせていだきますね。

>一時期、意識の覚醒だけに集中していた時に、覚醒し自分を覆ってる意識のブロック(直感で警察のような気がした)を突破し、「世界を自分の愛で一つにしてみんなが幸せになれる世界を作るべきだ」という考えに全能感と共に取り憑かれた日
>その日は自分が漫画の主人公になったような感覚を味わいました。

それは幻覚剤などに頼らず、瞑想などのナチュラルな手段によって経験したのでしょうか?しかも21歳という若さで。だとしたらもの凄い才能ですね。

まずあなたに一番伝えたいことは、あなたが感じた通り、実際にあなたは主人公であるということです。実際に人生というのはRPGそのものであり、あなたがプレイヤー(主人公)なのです。それはネットゲームと同じで、ログインしている(この世界で自意識が存在している)時点でプレイヤー(主人公)であることは自明であり、ログインしてみたら自意識のないNPCでした、ということはありえないのです(笑)

僕らは「客観的世界が存在し、自分というのはそこにいる何十億人の中の一人である」と認識しています。自分の認識世界の中にいるみんなが同じようにそう思って暮らしているので、それを敢えて意識することさえありません。それが人生というRPGの初期設定なのです。

しかし実際の世界の様相は、まさに「一人一宇宙」なのです。それは量子力学が示唆している通りであり、また仏教における唯識論や哲学におけるモナド論など宗教・哲学も示唆している通りで、自分の意識が自分の認識世界を創り出しているのというのは事実なのです。


そう、自意識を持っている時点で一つの宇宙の主なのであり、自分という存在(人間というアバター)がその宇宙の主人公なのです。その一人ひとりの宇宙がネットゲームのように重ね合わせの状態にさせられているが故に、まるで自分もみんなも客観的世界に生きている住民だと思い込まされているのです。

この仕組みのお陰で僕らは一人ぼっちで暗い部屋でゲームをしているようではなくゲームの世界に没入してゲームのアバターになりきり、僕ら人間は自分と他者をお互い同等の存在(人間)として関わり、人生を実感しながら経験を積んでいくことができるのです。

さて、人生というRPGのシナリオというのは、主人公によって様々でも、その核は同じであり、人間が創る大半のRPGとも同じように、世界が魔物に支配される一歩手前からスタートし、主人公が世界を救うようになっています。そこに目覚めるかどうかが主人公とNPCを分けているわけです。あなたが「世界を自分の愛で一つにしてみんなが幸せになれる世界を作るべきだ」と感じたのは、まさに主人公として目覚めかけているということなのです。

そしてその「世界を愛で一つにする(救う)使命」とは、みんなも同じように主人公として目覚める連鎖を(自分の愛の実践によって)自分の認識世界の隅々まで連鎖させるということです。

その世界の救い方(愛の実践方法)にこそ、あなたという主人公の、他の主人公とは異なる個性が発揮されるのであり、それによってあなたという存在・個性に存在意義が生じ、それをあなたはあなただけの人生を通じて実感を通して経験することができるのです。それこそが本当の幸せであり、あなたが生まれて来た意味なのです。

しかしあなたの認識世界にいる他者というのは(人間であれ霊的な意識体であれ)殆どがこのこの世界の既存の常識(設定)を押し付けてきて、世界を救う主人公としての目覚めを妨げ、何とか彼らと同じNPCのままでいさせようとしてきます。それは人生というRPGの基本設定通りに動かされているNPCたちの役割なのです。映画「マトリックス」のエージェントたちと全く同じように。あなたはそれを刑事のように解釈し、それがイメージの世界において本当にそう見せられてしまったのでしょう。


まだ目覚めが中途半端な人というのは、この世界を「牢獄・監獄」「人間牧場」のように解釈し、自分たち人間はどこかの悪者によって閉じ込められて奴隷のように利用されて何度輪廻転生を繰り返してもこの世界から出られないというように被害者意識を頑なに持ち、その考えを連鎖させてみんなも被害者意識に陥らせようとしてきます。そしてやはり人間以外の意識体や宇宙人などもそのように語って我々を被害者意識に陥らせようとしてきます。だからあなたも「煉獄」という表記を見たのでしょう。

しかしそれは人生というRPGのトラップなのであり、それは簡単に目覚めさせないため・ゲームのミッション途中で逃げ出さないための防御壁でなのです。そしてそれは人間であるあなたが忘れさせられているだけで、本当は上位次元のあなたの意識本体が自ら作ったものなのです。そんなに簡単に主人公であることに目覚められたら難易度が低すぎて経験機会として成立しないのです。人間であるあなたはその被害者意識トラップ(防御壁)を乗り越え、本物の主人公として真に目覚め、目覚めを妨げようとする憐れなNPCたちをも主人公としての目覚めに導き、救っていかなければならないのです。

人生=世界というのは、創造主の100%の愛によって創られ、あなたに与えられているものなのです。自分が存在し、他者が存在し、世界が存在し、その中で人生という物語が経験できるということは決して当たり前ではなく、奇跡であり途方もなくありがたいことなのです。まずそこに感謝の気持ちがなくてはいけません。人生=世界というものは、あなたの意識の本体がそれを創造主に願い倒してやっと与えられたものなのです。人間としてのあなたがそれを忘れさせられているだけで。

全知全能の創造主が、人間を自分に感謝するように創って感謝されても意味がありません。そして人間の誰もが貰っても嬉しいようなものを与えて感謝されても意味がありません。

創造主は人間に自由意志を与え、運命を呪いたくなるような苦難を与えた上で、「どんな苦難も成長のために与えられた試練である」と解釈することを自由意志で選択し、感謝して乗り越え続け成長し続ける人間の感謝にこそ価値があるのであり、そういう人間が幸せに導かれるように人生=世界を創っているのです。

だから人生というのは被害者意識に陥らせるように基本設定されているのです。運命への呪いなどに書いている通り、「被害者意識」というものは成長拒否の最たるものであり、成長を経験するために存在している人生というRPGにおいて不幸に導かれるのが必然なのです。

そのように人生というRPGの基本設定というのは必ず成長課題を含んでいるのであり、それを当たり前だとか真理だとか誤解してはいけません。基本設定(常識)が真理なら、プレイヤー(主人公)がすること(ゲーム要素・成長要素)はなくなります。だから常識というのは基本的に一見真理に見えて、覆すべき要素を含んでいるのです。

ただ「常識なんて全部間違っているんだから」と考え、闇雲に抗うことばかり考えて学ぼうとせずに常識はずれな行動ばかりするようでは、人格破綻者と見られてみんなとうまくやれず社会から排除されてしまいます。それでは主人公として愛を実践しようがありません。常識(コモンセンス)を共有できるからこそ、他者と愛し合うことができるのです。

課題というのは、「何が問われているか?」が正確に把握できていなければ、正しい答えを出す事はできません。常識というのは課題を含んでいるのであり、真理に照らし合わせて「何が課題なのか?」をよく考えて、「どうすれば自他共に幸せになれるのか?」を考えなくてはいけません。真理というのは「自他共に幸せにするもの」だということを決して忘れないで下さいね。誰かを不幸にする真理というのはありえないのです。そしてそれを実践してみんなに幸せを連鎖させていくということは、とても愛も勇気も智慧も要ることであり、そこにこそ魂の成長要素があり、生まれて来た意味があるのです。


>それと自分は身体感覚が自由でない感覚がずっとあり、それが過去の自分がかけた呪いなのか他者にかけられた呪いなのかがわかりません。意識が覚醒していた時は身体感覚が自由で他人に向けられた気の性質とそれに対する防御も出来ていたのですが、今は気さえ感じません。私が体感していたあの世界はなんなのでしょうか?

僕らの意識が人生いうゲーム世界から目覚めると、今まで自分がいた世界が夢のようなものであることに気づき、そして自分が創造主の分離意識であることに気づかされるのです。REMEMBER(思い出す)はRE(戻る)MEMBER(創造主意識を構成する分離意識のメンバーとして)ということなのです。


<創造主意識と分離意識>

覚醒レベルが究極にまで到達すると、自分が創造主自身であることに気づいてしまうのですが、それでは何も楽しめなくなるので、通常そこには絶対に至らないようにブロックがかかっています。それはもちろん創造主の愛ゆえであって決して意地悪ではありません。

これを理解してもらうには「なぜ自分と世界(RPG)は存在するのか?」というかなり根源的なところから説明しなければなりませんね。いずれnoteで詳しく説明しようと思っていますが、超長文になるので今回は簡潔にご説明させていただきます。

創造主というのは存在の全てなのであり、彼の外側・彼ではない存在というのは存在しません。創造主というのは全知全能なのであって、理屈的には全てを理解していますが、存在意義を感じられなかったのです。そして彼は己を「経験的に」知りたいと考えました。そしてそれは存在意義を感じることとイコールであると知っていたのです。彼が己(内側・存在の全て)を経験的に知るために、自分の意識を分離し(分け御霊)、創造主としての意識を忘れさせ、個性を与え、物語(シナリオ・カルマ)とその中での役割を与えているのです。


上の<創造主意識と分離意識>の図ではかなり簡略化して書いていますが、分離意識というのは創造主意識に至るまでに何層もあって、下位次元に行くほど意識が分化され、上位次元に行くほど存在の全てである創造主(ワンネス)意識に近づいて「全てが自分だった」と気付かされることになるのです。簡単に次元上昇し切って創造主意識になってしまったら何も経験できませんから、次元上昇というのは上位に行くほど困難に設定されています。有難いことに。

<創造主意識と分離意識>の図でオレンジ色で示した、上位次元にいる意識体であるあなたは、他の意識と混ざらないように、「自分と他者は別な存在である」という境界線をはっきりさせる分離意識を持っています。しかしこの遥か下位次元である物理次元においては、肉体という自他との境界線がはっきりしているので、他の意識たちとの分離をわざわざ意識してブロックするような必要性が生じないのです。有難いことに。

ゲームというのは全ての存在が一つで、何の制約もなく全てが無制限では成立しません。制約の妙がゲームを成立させ、ストーリーを面白くするのです。ゲームを成立させているその制限・制約を「呪い」のように解釈するのは、前述の「被害者意識トラップ」であり、ひっかかってはいけません。世界は自分の解釈次第に創られているので、そのように解釈したら本当に人生が罰ゲームみたいになってしまいます。何もかも無制限では何も経験できず何も楽しめないからこそ、あなたは自ら望んでこの制約だらけのゲーム世界にプレイヤー(主人公)として生まれて来ているのです。


この上の図のように、僕らはこの下位次元において分化されていながら、それぞれが全てを内包しているのです。次元の上位下位というのは価値の優劣ではなく、全ての尊さに目覚めていくことが覚りなのです。

そして愛が引力・融和・調和へ導く力(ワンネス)であり、エゴが斥力・分離・不調和へ導く力なのです。エゴとは何か?に書いた通り、磁石の両極と同じでエゴがなければ愛は存在し得ないのです。そのように全てが陰陽二元で創られたこの世界を愛一元に還していくことが主人公の使命なのです。ただただワンネスに回帰するだけでは我々に存在意義はありません。自他の存在の一つ一つの個性を尊重し、エゴを愛に昇華し、その過程で生じる森羅万象・物語全体を愛し、個性を保ったまま数珠つなぎに一つになっていく経験・実感をあなたがすることで、存在の全てに意義が生じるのです。

あなたの意識がワンネスに究極に近い上位次元では、自他を別な存在だと認識する「分離=自他の境界線を築いていく・エゴの形成維持」が至上命題であったのに対して、分離が最初から究極に進んでいるこの次元においては「融和=自他の境界線を外していく=愛」が至上命題であり、そこが逆転しているわけです。それは愛を経験させるために必要不可欠な仕組みであり、それは決して「呪い」などではなく、創造主の100%の愛で与えられている制限・制約なのです。きっとあなたはそれを忘れてエゴに埋没して他者と分離のベクトルで生きていたから、創造主はあなたに強制入院のような象徴的な形で警告をして愛に目覚めさせようとしてくれたのでしょう。


>その後自分の前世が今と変わらない人間であった事に気づき、自分の願いが両親と共に永遠に幸せに暮らす事だったことを思い出しその強制措置入院は自分を見失いかけてた自分を救うイベントだったと考えているのですがこの解釈は合ってますでしょうか?

ここまで読んでいただけたらだいたいわかると思いますが、魂は永遠であり、あなたの本体の意識が納得するまで永遠にコンティニューできるのです。有難いことに。人間であるあなたはそれをすっかり忘れさせられているが故にいつも初心で人生を生きられるのですが、本来の願い・使命を思い出すように・それが叶うように・同じポイントで躓かないように、様々な形であなたの本体の意識が人間であるあなたにヒントを与えてくれているのです。

全知全能の創造主が直接課題を解決してしまったり、直接答えを教えてしまったら、人生に意義は生じません。学校のテスト中に先生が答えを教えたら生徒は成長できませんし、美術の課題を先生が全部やってしまったら意味がありません。それと同じで、あくまでも主人公であるあなたがやるからこそ意味があるのです。

人生のヒントは必ず事象(芸術)を通じて出されるのであり、自分で解釈して気づき覚れるようにしてくれているのです。人間に自由意志を与え、間違った解釈・覚り方を選択してしまう自由も与えた上で。その仕組み自体が芸術なんですね。創造主が森羅万象を通じて与えてくれているヒントに対する解釈の仕方・覚り方が「あなたは何者か?」という問いに対するあなたの答えであり、それがあなたという個性を形成し、人生を形成するように創られているのです。だから全ての人・出来事との出会いを愛で解釈できるようになって下さいね。

前述したように被害者意識は人を不幸に導く最大のトラップですから。その慣れの果てが「うらめしや~」と人に憑りつき、人を不幸に導く役割を得てしまった幽霊たちなのです。主人公は彼ら彼女らに自分の生き方を通じて悟らせ成仏させられるようにならなくてはならないのです。そのあたりは憑依現象(霊障)についてに書いた通りです。

生まれの格差について(陰謀論)」も必ず読んでおいて下さい。決して陰謀論にハマって被害者意識に陥らないで下さい。主人公であるあなたにとって「世界平和と幸福の実現」というのは究極の目標ですが、それは真夜中の航海における北極星のようなもので、目指すとはいっても目印のようにすべきもので、本当に北極星に到着しなければ意味がないというわけではなく、それを目指す人生という航海経験そのものに価値があるのです。それを目指さないというなら、人生はただエゴの暗い海を漂うだけになってしまいます。「世界平和と幸福の実現」が今生で達成されたらゲームがなくなってしまいます。魂は永遠ですから、何度生き直してもいつかそれを目指す揺るがないベクトルで生きてみて下さい。それが覚り=成長=幸せを目指すということですから。

疑問は解決しましたでしょうか?それではあなたのさとり(幸せ)を心から祈っています。


2025年9月7日日曜日

自分の天命を知りたい

【質問】16歳男性 半学生 ペンネーム:ペンシル

真也さん、はじめまして。いつもツイッターの投稿と文章を楽しく拝見しています。切れ味のある比喩と、現場の温度が伝わる言葉にたびたび背中を押されてきました。

私は昔から「自分の天命は何か」が気になっていました。ただ、仕事や学び、創作や人の相談にのることなど、関心の向く方へ手を伸ばしては続ける——ということを重ねるうちに、一定の手応えはあっても「これだ」と言い切れる芯が掴み切れないままでした。

振り返ると、何度か節目もあり、そのたびに方向を定めようとしては、また次の可能性が見えてくる。そんな逡巡を繰り返す中で、真也さんの言葉に触れ、「天命は肩書きではなく、内側で静かに続いている動きに名前を与えることなのかもしれない」と感じ、思い切ってご連絡しています。

もしよろしければ、第三者の視点から、私の天命について一言いただけないでしょうか。

方向性の仮説や、考えるための問いの形でもかまいません。必要であれば、これまでの経緯や現在の関心、日々無理なく続いていることなど、追加でお伝えします。ご負担のない範囲でお返事をいただけたら嬉しいです。

ちなみに、韓国出身です。

【回答】
ご質問ありがとうございます。そして僕の発信を受け取ってくれていてありがとうございます。16歳で僕の言葉の価値がわかるというのは、相当早熟な方だとお見受けします。そしてあなたは韓国のご出身とのことで、それなのにこれだけ自在に母国語ではない日本語が使えているのですから、きっと知性も高い方なのでしょう。僕は何かと韓国の方と縁があるみたいです。

>天命は肩書きではなく、内側で静かに続いている動きに名前を与えることなのかもしれない

それは誠に素晴らしい覚りだと思います。あなたが覚っている通り、本質的に天命・カルマというのは自分で名付けて(覚って)こそ意味のあるものなのです。それなのにあなたが他人にそれを求めてしまうのは自己矛盾ではないでしょうか?僕には会ったこともない他人の天命・カルマが見えるような特殊能力は与えられていませんし、あなたからどんなに詳しくお話を伺って答えたところでそれは他人の推測に過ぎません。天命・カルマは自分の人生のテーマでありタイトルなのですから、他人が「あなたの人生のテーマはこれでしょう」などと言えるものではないのです。

創造主がなぜ我々に直接天命・カルマ(人生のテーマ・タイトル)を教えてくれないかというと、それを教えたら答えを強制しているのと同じになって、人間に自由意志を与えた意味がなくなるからです。創造主は人生という芸術の素材を提供し、どんな作品にするのか?(どんな名前をつけるのか?どんな存在意義=天命・カルマがあるのか?)も本人次第で自由にしてくれているのです。それなのに他人にその答えを求めてしまうのは、厳しく言うと「天から与えられた主人公(主体者)意識の放棄」なのです。結果責任は本人が負うものなのですから、選択責任も本人が持つべきなのは自明でしょう。どんなに苦しくてもそこから逃げたら文字通りお話にならないのです。


>私は昔から「自分の天命は何か」が気になっていました。ただ、仕事や学び、創作や人の相談にのることなど、関心の向く方へ手を伸ばしては続ける——ということを重ねるうちに、一定の手応えはあっても「これだ」と言い切れる芯が掴み切れないままでした。

天命・カルマ(何のために生きているのか?)がわからず、迷い・苦しみ・悲しむ日々の経験にも意味・価値があるのであって(それも天命・カルマの一部です)、それを乗り越えるからこそ天命がわかる喜びもひとしおになるのです。そしてみんなに迷い・苦しみ・悲しみがあるからこそ我々は同情し合い・助け合い・愛し合うことができるのです。だからその過程をすっ飛ばして天命を求めても覚れないように人生は創られているのです。僕が天命を覚ったのは散々迷い・苦しみ・悲しんだ挙句40歳もとうに超えてからであり(それも突然)、あなたがまだ16歳で天命を覚ろうなどと考えるのは時期尚早だと思います。僕らは経験して実感を通して覚り、魂を成長させるために生まれて来ているのであり、「頭だけで覚ろうとしても無理」に創られているのです。天命も、経験から実感を通して覚らされるように創られているのであり、それは未来に見えてくるものではなく、過去の経験の蓄積によって見えてくるものなのです。つまり気づいたら「これが自分の天命だった」と過去形で覚らされるようにできているのです。自分の人生をズームアウトして見たら、その一歩一歩をドットとしていつの間にか一枚の絵の完成に向かっているのが見えるイメージです(まだ若くてドットが少ないうちはどういう絵になるか見えなくて当然です)。

例えば「運命の人との出会い」にしても、いきなり理想的な人を探しても出会えないのです。今の彼女との出会いを天より与えられた運命だと信じ、それを「当たり前」と考えてしまって感謝どころか意識もしなくなってしまう本能と日々戦って意図的にその存在と愛情に感謝しながら、一切見返りを求めず無償で相手に尽くし続けることを積み重ねる中で、後になって相手が自分にとって「運命の人」だったのだと覚らされる(名付ける)のであり、天より与えられた出会いを自分が自分の意思と行動で能動的に「運命の人との出会い」にするのです。天命とはそういうものなのです。

天命というのは例外なく誰でも最初から与えられているのです。それを覚れる人と覚れない人がいるだけで。人生はRPGなのであり、シナリオ・結末は当然クリエイターによって最初から用意されています(マルチエンディングシステム)。逆にクリエイターが用意していないシナリオ・結末のRPGなどは創りようがないのです。ましてこのRPG世界(物語)のクリエイターは全知全能なのですから。僕らはそのシナリオを選択し、どういう意義付けをするかの自由を与えられているのです。

世界は一人一宇宙であり、人生はRPGなのですから、プレイヤー(主人公)一人ひとりに「世界を救う」という本来的な天命があります(そこに目覚めている人は圧倒的少数ですが)。ただし「どのように(How)救うか?」は人それぞれ違い、その違い(個性)にこそ存在意義があるのです。そして「どのように(How)救うか?」は、人(世の中)を救おうとしている過程で見えてくるものなのです。この点は目標がないをご参照下さい。

とはいえ「ヒントだけでも」とおっしゃる気持ちもよくわかりますので、ヒントを差し上げますね。先に僕が「天命・カルマ」と書いた通り、それらは不即不離の関係にあります。天命を知りたいのであれば、自分のカルマは何なのか?を知ることです。そしてカルマは自分が一番目を背けたいところにあるものです。カルマの良化法をどうぞご参照下さい。そこに目を向けることこそが、あなたが天命を覚るヒントになることでしょう。

そしてあなたが一番自他を笑顔にできた時は、どんなことをした時でしょうか?それがまたあなたが天命を覚るヒントになることでしょう。いつだって自他みんなの笑顔が人生のコンパスなのです。

これまでの人生・自分の個性を踏まえた上で、あなたは将来的にどんな存在になりたいですか?それがわかったら、その存在に既になったかのように思考・行動してみて下さい。スラムダンクの井上雄彦先生が「キャラクター設定さえきちんとしていれば、ストーリーは自動的に展開されていく」というようなことをおっしゃっていましたが、人生も物語(創作)なのであり、そのストーリーは「自分とはどんな存在か?」次第で天によって展開されるものなのです。そしてそれは自由意思によって自分で更新していける自由を与えられているからこそ、僕らは生まれた時から「自分とはどんな存在か?」がわからないのです。

我々には「自己受容」というとても難しい共通課題(天命)があるのです。それはつまり「自他をどう愛するか?」ということです。真に自分を愛するということは、自分を存在ならしめている全ての存在を愛することです(諸法無我)。どうか天命を職能(能力)とイコールのように考え、それによって自尊心を満たそうと考えないで下さいね。本当の自尊心は自他を許し愛する日々の中で満たされていくものなのです。天命は幸せ(自尊心)の特急券のようなものではなく、早く覚れるほど素晴らしいわけではないのです。だから焦って天命を求めないで下さいね。焦って良いことは何一つありませんから。

あなたに一番伝えたいことは、例え今あまり充実感がなくて本気で自他を愛せずそれほど幸せを感じられてなかったとしても、その理由を天命がわからないことに求めて焦らず、もっと自他を愛して欲しいということです。そして何かを生きる目的にしようとするのではなく、結果は天に預け、「今ここにしかないこの時」を全力で愛して欲しいということです。そうすればきっと幸せを感じられますから。そしてそれに対する心からの感謝報恩(愛)を動機に人に・社会に貢献したいという思いで生きられるようになって下さい。その積み重ねがきっとあなたの人生を素敵な天命の覚りへと導くに違いありませんから。

■創造主直伝「さとり四カ条」
1.偉くなろうとするな、(自他すべての存在が)尊いと知れ。
2.特別になろうとするな、特別(主人公)であると知れ。
3.日々愛を実践し、特別ではなくなること(ワンネス)を目指せ。
4.幸せになろうとするな、幸せであると知れ。

「ただありのままに見つめるだけでいい。ただありのままに愛するだけでいい。」

それでは、あなたの幸せ(覚り)を心から祈っています。


自分の浮気で失恋

【質問】23歳・男性

真也さん!こんばんは!23歳の大学生です。昨日彼女に振られてすごく悲しいです。交際歴は1年くらいでした。振られた原因は、僕のせいだと思っています。その理由は、僕が別の女の子とヤってしまったことです。その時、初めて彼女にめちゃくちゃ怒られて泣かれてすごく反省し罪悪感でいっぱいでした。彼女は、こんな未熟な僕をしっかってくれたりして、とても良い子だと思います。すごくこの1年で色々学びも楽しいことや悲しいことも沢山ありました。もうヨリが戻ることはないと思いますし、前を向かないといけないのは分かっているのですが、今はただただ悲しいです。こんな女々しい僕に何かアドバイスや喝を入れてくれたら嬉しいです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。回答が遅くなって申し訳ありません。

質問箱をしていると本当に人の悩みというのは共通で、僕らの魂は同源同一のものなのだと実感します。今回も「お前は俺か!?」って言いたくなるぐらい、僕も全く同じような経験があります。だから質問者さんの心の痛みはよくわかりますし、本当に心から同情申し上げます。 


誰でも若い時にはエゴまみれなのが普通です。僕もあなたと同じ歳の頃は完全にそうでした。僕は「みんな(程度の差こそあれ)同じだよ」とあなたに心から同情して元気づけたいのであり、偉そうに上から目線で喝を入れる(叱る?)ようなことをするつもりは毛頭ありません(ハゲなだけに)。だからどうか今回の失恋を自分だけのことのように思い悩まないで下さいね。大事な人からの愛を失えば落ち込むのは自然なことであって、それで落ち込まない方が問題であり、僕は女々しいなどとは全く思いません。逆に別れても全然落ち込まず「これ幸い」と女遊びをしまくるような人ではどうしようもないですからね。あなたが今感じているその痛みこそあなたが元来愛情深い人間であることの証しなのです。

この質問箱を客観的に見ている読者様(特に女性)は「自業自得だ」とあなたを責めたくなっているかも知れませんが、僕は決してそのようにあなたを責めたりはしません。他人に相談できずに孤独に苦しむ人というのは、自業自得だと思っているからこそ他人に相談できないのであり、そういう人たちを救いに導けなければ世界(全霊魂)は救いに導けません。

あなたが浮気して彼女を傷つけ、別れられて自分自身を傷つけてしまったのも、あなたの魂成長にとって必要な経験だったのであり、僕らはそのようにして「愛とは何か?」を人生経験によってより深く学んでいるのです。ネガティブな経験と感情も、幸せを感じるためには必要なことですから、逃げたり胡麻化したりせず、正面から感じ切って下さい。それも大事な人生の味なのです。別れがそんなにも痛いと感じるほど誰かと愛し合えたことはとても貴重な財産だと思います。 

きっと心の痛みは時間が解決してくれることでしょう。しかし時間が問題(課題)そのものを勝手に解決してくれるわけではありません。人生の全ての問題は全て創造主から与えられた成長課題なのですから、きちんと正面から向き合って乗り越えない限り同じ失敗を繰り返すばかりでいつまでも幸せにはなれないのです。

課題というのは何が問われているのかを正確に把握できなければ解決しようがありませんから、大変僭越ながらあなたが正確に課題を把握して解決できるようにお手伝いさせていただきたいと思います。それが幸せ(成長・悟り)に導くということですから。 

我々は愛を知るために生まれて来ているのですから、人生の問題は全て「愛の不足」が原因であり、逆に言えば全ての問題の解決策は「愛」なのです。

 

誤解している人が非常に多いのですが、何があっても(失恋しても)痛みや悲しみや怒りなどの感情を感じず(心の針が振れず)平然としていられるようになることが悟りではありません。「無執着」というのが傍から見ればそのように見えてしまうのでしょうけどもね。

 

僕らは経験を通じて実感を伴って悟る(成長する)ために生まれてきたのであり、それこそが人間の存在意義なのです。創造主というのは全知全能であり、真理など全部最初から知っているのであって、そのままでは経験ができないからこそ、創造主はわざと人間を無明(愚か)に創り、その人間に自らの意識を分離して宿し、創造主としての記憶を無明の闇に隠し、人間を通して成長経験を積んでいるのです。だから人間は経験・実感もなく頭だけで悟れるようには創られていないのです。

恋愛・人間関係の問題も全て自他への愛情不足(成長不足)が原因なのであり、それによって起きるネガティブな出来事と感情は、経験と実感を通じて成長課題を覚らせてくれているのです。それなのに精神薬や酒・ドラッグや瞑想などで負の感情を誤魔化して逃げたり我慢して無理に抑え込もうとしたりすることは実感・成長の拒否なのであり、悟りのベクトルとは逆行しているのであって、不幸に導かれるのが必然なのです。そのように負の感情だけを無理やり抑え込もうとすると、感情が鈍くなって「経験を通じて実感を伴って悟る(成長する)」ということが困難になってしまい、人生が無感動で空虚で不幸なものになってしまいます。だからどうかネガティブな経験・感情から逃げようとせずに、しっかり感じきって成長を目指して下さいね。それ以外に幸せになる方法はないのですから。 

決して自分を責めて自尊心を下げないで下げないで下さいね。あなたを浮気願望があるように創ったのも、あなたを気に入る浮気相手を創ったのも、浮気する機会を創ったのも、それによって傷ついて別れを決意してしまうように彼女を創ったのも、全て創造主なのです。そして人生はRPGであり、答えはいつでも「誰も何も悪くないけど、自分が何とかするしかない」です。すべては自分の成長課題なのですから。

男女というのは成長課題としてデフォルトですれ違うように創られているのです。もし男女がデフォルトで何の問題も生じず何の努力もなく死ぬまで愛し合えるように創られていたら、成長要素がなくなってしまうでしょう。だから男女が良好な関係性を維持するにはお互いのたゆまぬ成長努力が不可欠なように創られているのです。そのあたりがわかっていない人は、結婚をゴール(安泰)のように考えて成長努力を怠り、恋愛初期のラブラブ状態をデフォルト(基準)として考え、どちらかの(あるいはお互いの)恋愛感情が冷めたら関係性がすぐに破綻してしまうのでしょう。まるで自分の愛情に見返りを求めるように、義務のように愛情を強要して逆効果になるのですね。愛は無償で自由でなければならないものであり、相手の愛情を見返りのように求めて自分の愛情を押し売りして相手を束縛すれば(それは愛ではなくエゴ)、逆効果になるのが必然なのです。

離婚についてに書いた通り、全ては自分に与えられた成長課題なのに、問題を全部相手のせいにするのは成長拒否・主人公意識の拒否であり、魂成長のためにあるRPGにおいて不幸に導かれるのは必然なのです。実際、離婚する人はほぼ確実に相手側を変えようとしてうまくいかず、離婚原因が相手側にあると考えて被害者意識に陥っているものです。成長拒否は運命への呪いに書いた通り、怠惰・臆病・被害者意識・自己正当化・依存(逃避)で、分けて書くのが難しいほど全部繋がっているのです。

 

今回は男性からの相談なので男性主人公目線で書いていますが、女性の読者様は「やっぱり男が悪い」 などと考えないで下さいね。人生は自分が主人公のRPGなのですから、相手(設定)側を変えようとしても決してうまくいきませんし、相手(設定)側に文句を言ってもゲームは進みません。今回は男性の本能を良く知り、自分がどう成長していくべきかを考えるきっかけにしていただければ幸いです。女性向けには女性から相談があったら回答しますね。

男性がパートナーにすぐ飽きて次々に女性を求めてしまう播種本能も、成長課題として創造主が男性に与えたものであり、基本的にあなただけでなくみんなが持っているものです。だから浮気願望があること自体によって自分を責める必要はありませんが、だからといってもし開き直って欲望(エゴ)のままに次々に女性に手を出して良いわけではありません。それは課題の無視であり、成長とは真逆のベクトルで、不幸に導かれるのが必然なのですから。

次々に女性を求める人というのは、性欲・播種本能が異常に強くて常に性的に飢えているというよりも自尊心に飢えているのであり、次々に女性を踏み台にし続けないと自尊心を保てず、梯子を上るように次々と女性を求める病的状態なのです。そして自分が抱いた女性はすぐ用済みになって飽きてぞんざいに扱うようになり、また相手からの愛情を計り優位を感じるためにどんどん露悪的になったりもして、浮気して捨てたり捨てられたりするわけです。しかしそんなことを続けていてもキリがないのは予めわかりきっていることであり、永遠に満たされることなく、そのうち加齢などでそういうこともできなくなって、自尊心が壊滅的になり、悲惨な老後が待っているだけです。 「エゴとは何か?」に書いた通り、人はエゴで行動すればするほど深い部分で自分を嫌いになるのであり、浮気をすればするほど逆に自尊心は深い部分で下がり続けてしまうのです。その自尊心を無意識に埋めようとして浮気するのでは本当にキリがありません。

自尊心というのは自他への無条件の愛によってしか満たされないものであり、本当の愛というのは対等に向き合うことでしか感じられないものなのです。女性を次々と性欲のはけ口と自尊心の踏み台にしている男性というのは性欲と自尊心の「餓鬼」なのであり、モテているつもりで永遠に満たされることがないのです。そして男性というのはなまじモテるとエゴのままに次々女性を求めても得られてしまい、男女が真剣に向き合えば当然生じるはずの成長課題から逃避し続け、相手を運命の人と信じて愛を育てる努力を怠りがちなので、不幸に導かれやすいんですね。だいたいこうなる人というのは、思春期に女性から相手にされないことで自尊心を傷つけられてきたために、大人になってもその心の隙間を埋めようとして彷徨い続けている場合が多いですね。それはより多くの女性から性的に求められることを通じてしか自尊心を感じられない病気であり、本物の愛を育てられるわけもなく、将来的な破綻は目に見えています。

我々はあくまでも魂成長のために生まれて来ているのであり、それが我々の存在に存在意義を生んでいるのです。それがわかれば、成長努力を怠ることによって不幸に導かれるように人生が創られているのは至極当然だとわかるでしょう。そして僕ら人間は、成長を経験できるように、わざと無明(愚かさ・迷い・エゴ・霊的穢れ・カルマなど)を与えられているのです。だから僕らはただ失敗経験から学んで、一歩一歩でも成長を目指していけばいいだけのことです。 もし人生というRPGが失敗経験なく初見でクリアできるような容易なものなら何も面白くなく、存在意義がありません。

僕らに与えられている無明の最たるものが「何でもすぐに『当たり前』と考えて感謝もしなくなる本能」です。 それが成長課題として与えられているからこそ、感謝には価値が生じるのです。「有難い」の対義語は「当たり前」なんです。当たり前だと思ってしまう本能と戦って、意図的に「有難い」と思えるように、日々感謝に生きられるようになっていくことが魂の成長なのです。

創造主は我々が生まれてから一秒も休むことなく我々の心の中まで見ているのであり(我々を通して人生を経験しているのであり)、誤魔化しは一切効きません。エゴにまみれているために深い部分で自分(人生・世界)を嫌っている人間というのは、心から感謝の気持ちなどわきようがないのです。そんな人間の感謝というのは「相手から嫌われないように」「常識に反して社会から排除されないように」「もっと自己利益を得られるように」というエゴによって形だけやっているだけなのであり、そんな感謝では魂が成長するわけがなく、幸せになれるわけがないのです。創造主は我々を、心から感謝できるように成長し続けることによって幸せを感じ続けられるように創っているのですからね。

 

いつも言っている通り、与えられたものに感謝できない人間に、より良いものを与えたいと思う人間はいないでしょう。 そこは創造主も同じなのであり、彼は世界をそのような原理(因果応報)によって創って運営しているのです。エゴにまみれた人間は、どれだけ与えられても他人と比べて不平不満に感じて感謝しないのが自明であり、既に与えられているものまではぎ取られ続け、失い続けることでその価値に気づかされるような悲しい人生になるのが自明なのです。

あなたは彼女の存在を(与えられた初期設定のままに)「当たり前」だと思い、日々意識して「有難い」と思う努力を怠り、「釣った魚に餌はやらない」という感じで本気で大切には扱っていなかったのでしょう。そして飽きて浮気願望が抑え切れず、別な女性に手を出したくなり、実際に手を出して「失うことでその価値に気づかされる」を実体験から実感を通して学んでしまったのでしょう。僕もあなたと同じ失敗を経験しているので、あなたの心の痛みはよくわかるのですが、どうか逃げずに正面から受け止めて成長に繋げて下さいね。恋愛に限らず、日々「当たり前」のように感じてしまうことに対して一つ一つ意図的に感謝し、日常を「あたりまえ体操」ではなく「ありがたい体操」に変えて下さい。

彼女のことを自尊心の糧にするタイプの自尊心の低い男性は、女性と対等に向き合おうとせず、常に優位を示そうとします。女性は自尊心の高い男性を好む(&他人が欲しがるものを価値があると思って欲しがる本能がある)ためにそういう男性がモテたりもするのですが、その自尊心は仮初めのものであり、その自尊心の土台になっている彼女と別れると、自尊心が壊滅的になって急にモテなくなったりします。あなたがもしそうなったとしたら、それはあなたが成長できるように覚らせてくれているのであり、もしそれでもモテモテだったら成長機会が失われて不幸に導かれてしまいます。誰でも自信満々になれる方法自分と他人の愛し方を参考に、自他をありのままに愛し、本物の自尊心(愛)を育てて下さい。 

この人生という創られたRPGの世界に「偶然」は一切存在しません。自由意志の仕組みと存在意義に書いた通り、人間に「偶然」が存在しているように感じさせられないと自由意志の存在意義がなくなるので、創造主は全力でこの世界に「偶然」が存在すると我々に思わせるように「演出」しているだけです。だから「因果応報」という宇宙の大原則に時間差を設けて、わざと因果を見えにくくしているのです。

わかりますか?「確率」は創造主による「演出」であり、実際「確率」によって(偶然・自然に)世界も我々の人生も生じ得ないのです。全てがそういうありえない奇跡を土台にして創られているのであり、その上にある「確率」によって世界と我々の人生が偶然・自然に(無意味に)存在しているなどと考えてしまうのは人間に成長課題として与えられた「無明」なのです。くれぐれも「たまたま浮気してしまった」「たまたまバレてしまった」などと考えて成長を拒否して不幸に導かれないで下さいね。


さて、あなたに用意された選択肢は二つだけです。

①今後も自他の存在を当たり前のように考えて心から感謝せず(意識もせず・成長せず)、失い続けることでその有難みに気づかされるような不幸な人生を選択するのか。

②今回の痛い失敗経験を糧にし、「何に対しても当たり前だと感じてしまう本能(無明)」と戦って有難みを噛みしめ、日々心から自他の存在に感謝し(=愛し)、それを実践し続けることで成長し続ける「信心と感謝報恩」の幸せな人生を選択するのか。

・・・です。よくよく考えて、あなたに与えられた自由意志によって選択して下さいね。


それでは、あなたの幸せ(成長・覚り)を心から祈っています。 

2025年9月1日月曜日

身内がガンで余命宣告

【質問】20代男性・大学生 ペンネーム:たかゆう

真也さんお疲れ様です。今、僕の叔母が癌で、いま昼寝してたら叔母が出てきてすごい悲しい夢を見ました。叔母は、闘病中で医者から余命宣告を受けています。僕の母や祖母は西洋医学以外の治療を勧めているんですけど、叔母の家族がすごく医者を頑なに信じていて、他の治療法を伯母にやらせるのを止めているんです。どうにかして叔母の家族を説得して他の治療法を受けてもらいたいと思っています。今の夢ですごく悲しかったからこのまま何もせずに見ているだけでは、何か後悔する気がしたから、真也さんに相談させてもらいました。何かアドバイスいただけたら嬉しいです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

かなり前の話ですが、僕も学生時代に叔母を交通事故で突然亡くしました。人の死はとても悲しいものですよね。

生は死と表裏一体で不可分のものであり、命あるものは必ずいつか死にます。でも魂というのは永遠のものなのです。もし死が存在せず、生命が永遠に続いて終わりのないものなら、人生は芸術(物語)として成立しません。魂の成長要素も感動要素もなくなってしまいますからね。終わりのない物語は芸術にならないのです。

もちろんそうは言っても人の死は悲しいものです。もし人が死を全く悲しまず、またそれを恐れないように創られていたら、やはり人生は芸術として成立しません。人の死が悲しいのは、そういう尊い感受性が与えられているということであり、それにより人生という素晴らしい物語の経験機会を与えられているということなのであって、まずそこに感謝の気持ちを持たなくてはいけません。

命=必死 魂=永遠 なのですから、本来的に我々が救うべきは命よりも魂の方なのです。それはつまり愛するということです。その愛し方(表現)が人生という芸術なのです。

世の中は一人一宇宙であって、あなたの叔母が夢の中に出てくるということは、その叔母は既にあなたという主人公(経験主体者)の認識宇宙(仏国土)の住民になっているということであり、ただのNPCとは違う尊い存在なのであり、きっとあなたの魂という永遠の存在の中に永遠に生き続けるのです。どうか人生を通じて、家族だけでなく、出会う人みんなを愛し、あなたの心(仏国土)の住民をたくさん増やしていって、あなたの心(仏国土)・人生を豊かにしていって下さいね。そしてあなたも出会った人の心(仏国土)の住民として、彼らの心(仏国土)もまた豊かにしていって下さいね。

キリストは「あなたたちが何を心配しようとあなたがたのうちの誰が、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ他の事まで思い悩むのか」というようなことを言っていましたが、まさにその通りで、人の寿命というのは生まれる前から決まっていて、せいぜい死因が何になるかの違いしかないのです。

実際、末期になってからどんな治療法をしようと大概の場合は手遅れで、場合によっては逆効果になってしまい、かえって苦しめて(死期を早めたように見えて)しまうことさえあります。もちろん末期のガンから奇跡的に回復する例も稀にありますが、そうなるのはその人がそこで死ぬ運命ではない時だけです。それにもしあなたの勧め通りに治療法を変えて逆効果になったりしたら、あなたは叔母の家族の恨みを買い、責任を感じて心の荷物を余計に背負うことになってしまうでしょう。

だから叔母に別な治療法を勧めても叔母の家族が受け入れないなら、残り少ない時間を叔母の治療法をめぐってその家族と揉めるすることに使うべきではないと僕は思います。そんなことをしてもその家族との愛が失われ、叔母は余計に悲しむだけでしょう。叔母の責任を本当に負っているのは叔母の家族であり、彼らに「やれることはやった」という納得感(慰め)を与えてあげることも救いです。どうか悲しみを誰かへの怒りや恨みに転嫁せず、愛に昇華して下さい。

あなたの叔母との残りの時間は、僕の叔母のようにもし交通事故などで突然亡くなっていたら与えられていない貴重な時間です。どうかその時間に感謝して、決して叔母の家族と揉めることに使わず、叔母に愛を示すこと(話を聞くこと)に使って下さいね。

基本的にガン細胞というのは「風の谷のナウシカ」の腐海の植物と同じで、生命体(全ての生命が一体)における自浄作用なのであり、「不調和」を逆説的に覚らせてくれているのです。実際ガンは基本的には食物の過剰摂取などによる血の穢れを原因としているのです。だからガンは早期なら断食⇒玄米菜食によって解消されるそうです。しかし末期だとトドメを刺すことになる可能性があります。人間の食べ物を食べて肥満に陥った猿も、ダイエットをさせるとすぐ亡くなるそうです。あなたも若くしてガンにならないよう、全ての存在との調和を考えて、節度ある暮らしを心がけて下さいね。

現代医療はガンを「悪性新生物」と呼んで「異常・異物」とみなして退治しようとしていますが、それはクシャナが巨神兵を使って蟲を焼き払おうとした如くで、とても愚かなことです。現代医療はガンを金儲けの道具にするために、敢えてガンを創り出し、治らないとわかっている延命で稼ぎ続けているフシがかなりあると思います。だからあなたが叔母の治療法を変えて欲しいと願う気持ちも僕にはよくわかります。

ただそういう現代医療を信奉してしまう愚かさも、人間に成長を経験させるために与えられた無明(愚かさ)であり、我々はまず自分からエゴを愛に昇華させ続け、成長していかなければなりません。それが世界に遍く連鎖してみんながワンネスに目覚めれば、いずれ全ての魂が救われるのです。

それでは、あなたとあなたの心(仏国土)の住民の方々みんなの幸せ(魂の救済)を心から祈っています。







意識覚醒体験の解釈

 【質問】男性 21歳 ペンネーム:オーロラ こんにちは。一時期、意識の覚醒だけに集中していた時に、覚醒し自分を覆ってる意識のブロック(直感で警察のような気がした)を突破し、「世界を自分の愛で一つにしてみんなが幸せになれる世界を作るべきだ」という考えに全能感と共に取り憑かれた日に...