【質問】男性 21歳 ペンネーム:オーロラ
こんにちは。一時期、意識の覚醒だけに集中していた時に、覚醒し自分を覆ってる意識のブロック(直感で警察のような気がした)を突破し、「世界を自分の愛で一つにしてみんなが幸せになれる世界を作るべきだ」という考えに全能感と共に取り憑かれた日に、親に追いかけ回され警察に保護され、様々な気に反応するかというテスト?を会話をするという体でされ強制措置入院にされるという出来事を体験しました。その日は自分が漫画の主人公になったような感覚を味わいました。狐の霊のような雰囲気を纏った刑事さんも何故か来て、煉獄と書いた巾着をつけていました。その後自分の前世が今と変わらない人間であった事に気づき、自分の願いが両親と共に永遠に幸せに暮らす事だったことを思い出しその強制措置入院は自分を見失いかけてた自分を救うイベントだったと考えているのですがこの解釈は合ってますでしょうか?それと自分は身体感覚が自由でない感覚がずっとあり、それが過去の自分がかけた呪いなのか他者にかけられた呪いなのかがわかりません。意識が覚醒していた時は身体感覚が自由で他人に向けられた気の性質とそれに対する防御も出来ていたのですが、今は気さえ感じません。私が体感していたあの世界はなんなのでしょうか?長文失礼しました。お答えいただけると幸いです。
ご質問どうもありがとうございます。貴重な体験をシェアして下さり、僕を選んで質問して下さったことに心より感謝し、心して回答させていただきたいと思います。正しく伝わるかどうかはわかりませんが、いつも通り全力でトライさせていだきますね。
>一時期、意識の覚醒だけに集中していた時に、覚醒し自分を覆ってる意識のブロック(直感で警察のような気がした)を突破し、「世界を自分の愛で一つにしてみんなが幸せになれる世界を作るべきだ」という考えに全能感と共に取り憑かれた日
>その日は自分が漫画の主人公になったような感覚を味わいました。
それは幻覚剤などに頼らず、瞑想などのナチュラルな手段によって経験したのでしょうか?しかも21歳という若さで。だとしたらもの凄い才能ですね。
まずあなたに一番伝えたいことは、あなたが感じた通り、実際にあなたは主人公であるということです。実際に人生というのはRPGそのものであり、あなたがプレイヤー(主人公)なのです。それはネットゲームと同じで、ログインしている(この世界で自意識が存在している)時点でプレイヤー(主人公)であることは自明であり、ログインしてみたら自意識のないNPCでした、ということはありえないのです(笑)
僕らは「客観的世界が存在し、自分というのはそこにいる何十億人の中の一人である」と認識しています。自分の認識世界の中にいるみんなが同じようにそう思って暮らしているので、それを敢えて意識することさえありません。それが人生というRPGの初期設定なのです。
しかし実際の世界の様相は、まさに「一人一宇宙」なのです。それは量子力学が示唆している通りであり、また仏教における唯識論や哲学におけるモナド論など宗教・哲学も示唆している通りで、自分の意識が自分の認識世界を創り出しているのというのは事実なのです。そう、自意識を持っている時点で一つの宇宙の主なのであり、自分という存在(人間というアバター)がその宇宙の主人公なのです。その一人ひとりの宇宙がネットゲームのように重ね合わせの状態にさせられているが故に、まるで自分もみんなも客観的世界に生きている住民だと思い込まされているのです。
この仕組みのお陰で僕らは一人ぼっちで暗い部屋でゲームをしているようではなくゲームの世界に没入してゲームのアバターになりきり、僕ら人間は自分と他者をお互い同等の存在(人間)として関わり、人生を実感しながら経験を積んでいくことができるのです。
さて、人生というRPGのシナリオというのは、主人公によって様々でも、その核は同じであり、人間が創る大半のRPGとも同じように、世界が魔物に支配される一歩手前からスタートし、主人公が世界を救うようになっています。そこに目覚めるかどうかが主人公とNPCを分けているわけです。あなたが「世界を自分の愛で一つにしてみんなが幸せになれる世界を作るべきだ」と感じたのは、まさに主人公として目覚めかけているということなのです。
そしてその「世界を愛で一つにする(救う)使命」とは、みんなも同じように主人公として目覚める連鎖を(自分の愛の実践によって)自分の認識世界の隅々まで連鎖させるということです。
その世界の救い方(愛の実践方法)にこそ、あなたという主人公の、他の主人公とは異なる個性が発揮されるのであり、それによってあなたという存在・個性に存在意義が生じ、それをあなたはあなただけの人生を通じて実感を通して経験することができるのです。それこそが本当の幸せであり、あなたが生まれて来た意味なのです。
しかしあなたの認識世界にいる他者というのは(人間であれ霊的な意識体であれ)殆どがこのこの世界の既存の常識(設定)を押し付けてきて、世界を救う主人公としての目覚めを妨げ、何とか彼らと同じNPCのままでいさせようとしてきます。それは人生というRPGの基本設定通りに動かされているNPCたちの役割なのです。映画「マトリックス」のエージェントたちと全く同じように。あなたはそれを刑事のように解釈し、それがイメージの世界において本当にそう見せられてしまったのでしょう。
まだ目覚めが中途半端な人というのは、この世界を「牢獄・監獄」「人間牧場」のように解釈し、自分たち人間はどこかの悪者によって閉じ込められて奴隷のように利用されて何度輪廻転生を繰り返してもこの世界から出られないというように被害者意識を頑なに持ち、その考えを連鎖させてみんなも被害者意識に陥らせようとしてきます。そしてやはり人間以外の意識体や宇宙人などもそのように語って我々を被害者意識に陥らせようとしてきます。だからあなたも「煉獄」という表記を見たのでしょう。
しかしそれは人生というRPGのトラップなのであり、それは簡単に目覚めさせないため・ゲームのミッション途中で逃げ出さないための防御壁でなのです。そしてそれは人間であるあなたが忘れさせられているだけで、本当は上位次元のあなたの意識本体が自ら作ったものなのです。そんなに簡単に主人公であることに目覚められたら難易度が低すぎて経験機会として成立しないのです。人間であるあなたはその被害者意識トラップ(防御壁)を乗り越え、本物の主人公として真に目覚め、目覚めを妨げようとする憐れなNPCたちをも主人公としての目覚めに導き、救っていかなければならないのです。
人生=世界というのは、創造主の100%の愛によって創られ、あなたに与えられているものなのです。自分が存在し、他者が存在し、世界が存在し、その中で人生という物語が経験できるということは決して当たり前ではなく、奇跡であり途方もなくありがたいことなのです。まずそこに感謝の気持ちがなくてはいけません。人生=世界というものは、あなたの意識の本体がそれを創造主に願い倒してやっと与えられたものなのです。人間としてのあなたがそれを忘れさせられているだけで。
全知全能の創造主が、人間を自分に感謝するように創って感謝されても意味がありません。そして人間の誰もが貰っても嬉しいようなものを与えて感謝されても意味がありません。
創造主は人間に自由意志を与え、運命を呪いたくなるような苦難を与えた上で、「どんな苦難も成長のために与えられた試練である」と解釈することを自由意志で選択し、感謝して乗り越え続け成長し続ける人間の感謝にこそ価値があるのであり、そういう人間が幸せに導かれるように人生=世界を創っているのです。
だから人生というのは被害者意識に陥らせるように基本設定されているのです。「運命への呪い」などに書いている通り、「被害者意識」というものは成長拒否の最たるものであり、成長を経験するために存在している人生というRPGにおいて不幸に導かれるのが必然なのです。
そのように人生というRPGの基本設定というのは必ず成長課題を含んでいるのであり、それを当たり前だとか真理だとか誤解してはいけません。基本設定(常識)が真理なら、プレイヤー(主人公)がすること(ゲーム要素・成長要素)はなくなります。だから常識というのは基本的に一見真理に見えて、覆すべき要素を含んでいるのです。
ただ「常識なんて全部間違っているんだから」と考え、闇雲に抗うことばかり考えて学ぼうとせずに常識はずれな行動ばかりするようでは、人格破綻者と見られてみんなとうまくやれず社会から排除されてしまいます。それでは主人公として愛を実践しようがありません。常識(コモンセンス)を共有できるからこそ、他者と愛し合うことができるのです。
課題というのは、「何が問われているか?」が正確に把握できていなければ、正しい答えを出す事はできません。常識というのは課題を含んでいるのであり、真理に照らし合わせて「何が課題なのか?」をよく考えて、「どうすれば自他共に幸せになれるのか?」を考えなくてはいけません。真理というのは「自他共に幸せにするもの」だということを決して忘れないで下さいね。誰かを不幸にする真理というのはありえないのです。そしてそれを実践してみんなに幸せを連鎖させていくということは、とても愛も勇気も智慧も要ることであり、そこにこそ魂の成長要素があり、生まれて来た意味があるのです。
>それと自分は身体感覚が自由でない感覚がずっとあり、それが過去の自分がかけた呪いなのか他者にかけられた呪いなのかがわかりません。意識が覚醒していた時は身体感覚が自由で他人に向けられた気の性質とそれに対する防御も出来ていたのですが、今は気さえ感じません。私が体感していたあの世界はなんなのでしょうか?
僕らの意識が人生いうゲーム世界から目覚めると、今まで自分がいた世界が夢のようなものであることに気づき、そして自分が創造主の分離意識であることに気づかされるのです。REMEMBER(思い出す)はRE(戻る)MEMBER(創造主意識を構成する分離意識のメンバーとして)ということなのです。
これを理解してもらうには「なぜ自分と世界(RPG)は存在するのか?」というかなり根源的なところから説明しなければなりませんね。いずれnoteで詳しく説明しようと思っていますが、超長文になるので今回は簡潔にご説明させていただきます。
創造主というのは存在の全てなのであり、彼の外側・彼ではない存在というのは存在しません。創造主というのは全知全能なのであって、理屈的には全てを理解していますが、存在意義を感じられなかったのです。そして彼は己を「経験的に」知りたいと考えました。そしてそれは存在意義を感じることとイコールであると知っていたのです。彼が己(内側・存在の全て)を経験的に知るために、自分の意識を分離し(分け御霊)、創造主としての意識を忘れさせ、個性を与え、物語(シナリオ・カルマ)とその中での役割を与えているのです。
上の<創造主意識と分離意識>の図ではかなり簡略化して書いていますが、分離意識というのは創造主意識に至るまでに何層もあって、下位次元に行くほど意識が分化され、上位次元に行くほど存在の全てである創造主(ワンネス)意識に近づいて「全てが自分だった」と気付かされることになるのです。簡単に次元上昇し切って創造主意識になってしまったら何も経験できませんから、次元上昇というのは上位に行くほど困難に設定されています。有難いことに。
<創造主意識と分離意識>の図でオレンジ色で示した、上位次元にいる意識体であるあなたは、他の意識と混ざらないように、「自分と他者は別な存在である」という境界線をはっきりさせる分離意識を持っています。しかしこの遥か下位次元である物理次元においては、肉体という自他との境界線がはっきりしているので、他の意識たちとの分離をわざわざ意識してブロックするような必要性が生じないのです。有難いことに。
ゲームというのは全ての存在が一つで、何の制約もなく全てが無制限では成立しません。制約の妙がゲームを成立させ、ストーリーを面白くするのです。ゲームを成立させているその制限・制約を「呪い」のように解釈するのは、前述の「被害者意識トラップ」であり、ひっかかってはいけません。世界は自分の解釈次第に創られているので、そのように解釈したら本当に人生が罰ゲームみたいになってしまいます。何もかも無制限では何も経験できず何も楽しめないからこそ、あなたは自ら望んでこの制約だらけのゲーム世界にプレイヤー(主人公)として生まれて来ているのです。
この上の図のように、僕らはこの下位次元において分化されていながら、それぞれが全てを内包しているのです。次元の上位下位というのは価値の優劣ではなく、全ての尊さに目覚めていくことが覚りなのです。
そして愛が引力・融和・調和へ導く力(ワンネス)であり、エゴが斥力・分離・不調和へ導く力なのです。「エゴとは何か?」に書いた通り、磁石の両極と同じでエゴがなければ愛は存在し得ないのです。そのように全てが陰陽二元で創られたこの世界を愛一元に還していくことが主人公の使命なのです。ただただワンネスに回帰するだけでは我々に存在意義はありません。自他の存在の一つ一つの個性を尊重し、エゴを愛に昇華し、その過程で生じる森羅万象・物語全体を愛し、個性を保ったまま数珠つなぎに一つになっていく経験・実感をあなたがすることで、存在の全てに意義が生じるのです。
あなたの意識がワンネスに究極に近い上位次元では、自他を別な存在だと認識する「分離=自他の境界線を築いていく・エゴの形成維持」が至上命題であったのに対して、分離が最初から究極に進んでいるこの次元においては「融和=自他の境界線を外していく=愛」が至上命題であり、そこが逆転しているわけです。それは愛を経験させるために必要不可欠な仕組みであり、それは決して「呪い」などではなく、創造主の100%の愛で与えられている制限・制約なのです。きっとあなたはそれを忘れてエゴに埋没して他者と分離のベクトルで生きていたから、創造主はあなたに強制入院のような象徴的な形で警告をして愛に目覚めさせようとしてくれたのでしょう。
>その後自分の前世が今と変わらない人間であった事に気づき、自分の願いが両親と共に永遠に幸せに暮らす事だったことを思い出しその強制措置入院は自分を見失いかけてた自分を救うイベントだったと考えているのですがこの解釈は合ってますでしょうか?
ここまで読んでいただけたらだいたいわかると思いますが、魂は永遠であり、あなたの本体の意識が納得するまで永遠にコンティニューできるのです。有難いことに。人間であるあなたはそれをすっかり忘れさせられているが故にいつも初心で人生を生きられるのですが、本来の願い・使命を思い出すように・それが叶うように・同じポイントで躓かないように、様々な形であなたの本体の意識が人間であるあなたにヒントを与えてくれているのです。
全知全能の創造主が直接課題を解決してしまったり、直接答えを教えてしまったら、人生に意義は生じません。学校のテスト中に先生が答えを教えたら生徒は成長できませんし、美術の課題を先生が全部やってしまったら意味がありません。それと同じで、あくまでも主人公であるあなたがやるからこそ意味があるのです。
人生のヒントは必ず事象(芸術)を通じて出されるのであり、自分で解釈して気づき覚れるようにしてくれているのです。人間に自由意志を与え、間違った解釈・覚り方を選択してしまう自由も与えた上で。その仕組み自体が芸術なんですね。創造主が森羅万象を通じて与えてくれているヒントに対する解釈の仕方・覚り方が「あなたは何者か?」という問いに対するあなたの答えであり、それがあなたという個性を形成し、人生を形成するように創られているのです。だから全ての人・出来事との出会いを愛で解釈できるようになって下さいね。
前述したように被害者意識は人を不幸に導く最大のトラップですから。その慣れの果てが「うらめしや~」と人に憑りつき、人を不幸に導く役割を得てしまった幽霊たちなのです。主人公は彼ら彼女らに自分の生き方を通じて悟らせ成仏させられるようにならなくてはならないのです。そのあたりは「憑依現象(霊障)について」に書いた通りです。
「生まれの格差について(陰謀論)」も必ず読んでおいて下さい。決して陰謀論にハマって被害者意識に陥らないで下さい。主人公であるあなたにとって「世界平和と幸福の実現」というのは究極の目標ですが、それは真夜中の航海における北極星のようなもので、目指すとはいっても目印のようにすべきもので、本当に北極星に到着しなければ意味がないというわけではなく、それを目指す人生という航海経験そのものに価値があるのです。それを目指さないというなら、人生はただエゴの暗い海を漂うだけになってしまいます。「世界平和と幸福の実現」が今生で達成されたらゲームがなくなってしまいます。魂は永遠ですから、何度生き直してもいつかそれを目指す揺るがないベクトルで生きてみて下さい。それが覚り=成長=幸せを目指すということですから。
疑問は解決しましたでしょうか?それではあなたのさとり(幸せ)を心から祈っています。