【質問】16歳男性 半学生 ペンネーム:ペンシル
真也さん、はじめまして。いつもツイッターの投稿と文章を楽しく拝見しています。切れ味のある比喩と、現場の温度が伝わる言葉にたびたび背中を押されてきました。
私は昔から「自分の天命は何か」が気になっていました。ただ、仕事や学び、創作や人の相談にのることなど、関心の向く方へ手を伸ばしては続ける——ということを重ねるうちに、一定の手応えはあっても「これだ」と言い切れる芯が掴み切れないままでした。
振り返ると、何度か節目もあり、そのたびに方向を定めようとしては、また次の可能性が見えてくる。そんな逡巡を繰り返す中で、真也さんの言葉に触れ、「天命は肩書きではなく、内側で静かに続いている動きに名前を与えることなのかもしれない」と感じ、思い切ってご連絡しています。
もしよろしければ、第三者の視点から、私の天命について一言いただけないでしょうか。
方向性の仮説や、考えるための問いの形でもかまいません。必要であれば、これまでの経緯や現在の関心、日々無理なく続いていることなど、追加でお伝えします。ご負担のない範囲でお返事をいただけたら嬉しいです。
ちなみに、韓国出身です。
【回答】
ご質問ありがとうございます。そして僕の発信を受け取ってくれていてありがとうございます。16歳で僕の言葉の価値がわかるというのは、相当早熟な方だとお見受けします。そしてあなたは韓国のご出身とのことで、それなのにこれだけ自在に母国語ではない日本語が使えているのですから、きっと知性も高い方なのでしょう。僕は何かと韓国の方と縁があるみたいです。
>天命は肩書きではなく、内側で静かに続いている動きに名前を与えることなのかもしれない
それは誠に素晴らしい覚りだと思います。あなたが覚っている通り、本質的に天命・カルマというのは自分で名付けて(覚って)こそ意味のあるものなのです。それなのにあなたが他人にそれを求めてしまうのは自己矛盾ではないでしょうか?僕には会ったこともない他人の天命・カルマが見えるような特殊能力は与えられていませんし、あなたからどんなに詳しくお話を伺って答えたところでそれは他人の推測に過ぎません。天命・カルマは自分の人生のテーマでありタイトルなのですから、他人が「あなたの人生のテーマはこれでしょう」などと言えるものではないのです。
創造主がなぜ我々に直接天命・カルマ(人生のテーマ・タイトル)を教えてくれないかというと、それを教えたら答えを強制しているのと同じになって、人間に自由意志を与えた意味がなくなるからです。創造主は人生という芸術の素材を提供し、どんな作品にするのか?(どんな名前をつけるのか?どんな存在意義=天命・カルマがあるのか?)も本人次第で自由にしてくれているのです。それなのに他人にその答えを求めてしまうのは、厳しく言うと「天から与えられた主人公(主体者)意識の放棄」なのです。結果責任は本人が負うものなのですから、選択責任も本人が持つべきなのは自明でしょう。どんなに苦しくてもそこから逃げたら文字通りお話にならないのです。
>私は昔から「自分の天命は何か」が気になっていました。ただ、仕事や学び、創作や人の相談にのることなど、関心の向く方へ手を伸ばしては続ける——ということを重ねるうちに、一定の手応えはあっても「これだ」と言い切れる芯が掴み切れないままでした。
天命・カルマ(何のために生きているのか?)がわからず、迷い・苦しみ・悲しむ日々の経験にも意味・価値があるのであって(それも天命・カルマの一部です)、それを乗り越えるからこそ天命がわかる喜びもひとしおになるのです。そしてみんなに迷い・苦しみ・悲しみがあるからこそ我々は同情し合い・助け合い・愛し合うことができるのです。だからその過程をすっ飛ばして天命を求めても覚れないように人生は創られているのです。僕が天命を覚ったのは散々迷い・苦しみ・悲しんだ挙句40歳もとうに超えてからであり(それも突然)、あなたがまだ16歳で天命を覚ろうなどと考えるのは時期尚早だと思います。僕らは経験して実感を通して覚り、魂を成長させるために生まれて来ているのであり、「頭だけで覚ろうとしても無理」に創られているのです。天命も、経験から実感を通して覚らされるように創られているのであり、それは未来に見えてくるものではなく、過去の経験の蓄積によって見えてくるものなのです。つまり気づいたら「これが自分の天命だった」と過去形で覚らされるようにできているのです。自分の人生をズームアウトして見たら、その一歩一歩をドットとしていつの間にか一枚の絵の完成に向かっているのが見えるイメージです(まだ若くてドットが少ないうちはどういう絵になるか見えなくて当然です)。
例えば「運命の人との出会い」にしても、いきなり理想的な人を探しても出会えないのです。今の彼女との出会いを天より与えられた運命だと信じ、それを「当たり前」と考えてしまって感謝どころか意識もしなくなってしまう本能と日々戦って意図的にその存在と愛情に感謝しながら、一切見返りを求めず無償で相手に尽くし続けることを積み重ねる中で、後になって相手が自分にとって「運命の人」だったのだと覚らされる(名付ける)のであり、天より与えられた出会いを自分が自分の意思と行動で能動的に「運命の人との出会い」にするのです。天命とはそういうものなのです。
天命というのは例外なく誰でも最初から与えられているのです。それを覚れる人と覚れない人がいるだけで。人生はRPGなのであり、シナリオ・結末は当然クリエイターによって最初から用意されています(マルチエンディングシステム)。逆にクリエイターが用意していないシナリオ・結末のRPGなどは創りようがないのです。ましてこのRPG世界(物語)のクリエイターは全知全能なのですから。僕らはそのシナリオを選択し、どういう意義付けをするかの自由を与えられているのです。
世界は一人一宇宙であり、人生はRPGなのですから、プレイヤー(主人公)一人ひとりに「世界を救う」という本来的な天命があります(そこに目覚めている人は圧倒的少数ですが)。ただし「どのように(How)救うか?」は人それぞれ違い、その違い(個性)にこそ存在意義があるのです。そして「どのように(How)救うか?」は、人(世の中)を救おうとしている過程で見えてくるものなのです。この点は「目標がない」をご参照下さい。
とはいえ「ヒントだけでも」とおっしゃる気持ちもよくわかりますので、ヒントを差し上げますね。先に僕が「天命・カルマ」と書いた通り、それらは不即不離の関係にあります。天命を知りたいのであれば、自分のカルマは何なのか?を知ることです。そしてカルマは自分が一番目を背けたいところにあるものです。「カルマの良化法」をどうぞご参照下さい。そこに目を向けることこそが、あなたが天命を覚るヒントになることでしょう。
そしてあなたが一番自他を笑顔にできた時は、どんなことをした時でしょうか?それがまたあなたが天命を覚るヒントになることでしょう。いつだって自他みんなの笑顔が人生のコンパスなのです。
これまでの人生・自分の個性を踏まえた上で、あなたは将来的にどんな存在になりたいですか?それがわかったら、その存在に既になったかのように思考・行動してみて下さい。スラムダンクの井上雄彦先生が「キャラクター設定さえきちんとしていれば、ストーリーは自動的に展開されていく」というようなことをおっしゃっていましたが、人生も物語(創作)なのであり、そのストーリーは「自分とはどんな存在か?」次第で天によって展開されるものなのです。そしてそれは自由意思によって自分で更新していける自由を与えられているからこそ、僕らは生まれた時から「自分とはどんな存在か?」がわからないのです。
我々には「自己受容」というとても難しい共通課題(天命)があるのです。それはつまり「自他をどう愛するか?」ということです。真に自分を愛するということは、自分を存在ならしめている全ての存在を愛することです(諸法無我)。どうか天命を職能(能力)とイコールのように考え、それによって自尊心を満たそうと考えないで下さいね。本当の自尊心は自他を許し愛する日々の中で満たされていくものなのです。天命は幸せ(自尊心)の特急券のようなものではなく、早く覚れるほど素晴らしいわけではないのです。だから焦って天命を求めないで下さいね。焦って良いことは何一つありませんから。
あなたに一番伝えたいことは、例え今あまり充実感がなくて本気で自他を愛せずそれほど幸せを感じられてなかったとしても、その理由を天命がわからないことに求めて焦らず、もっと自他を愛して欲しいということです。そして何かを生きる目的にしようとするのではなく、結果は天に預け、「今ここにしかないこの時」を全力で愛して欲しいということです。そうすればきっと幸せを感じられますから。そしてそれに対する心からの感謝報恩(愛)を動機に人に・社会に貢献したいという思いで生きられるようになって下さい。その積み重ねがきっとあなたの人生を素敵な天命の覚りへと導くに違いありませんから。
■創造主直伝「さとり四カ条」
1.偉くなろうとするな、(自他すべての存在が)尊いと知れ。
2.特別になろうとするな、特別(主人公)であると知れ。
3.日々愛を実践し、特別ではなくなること(ワンネス)を目指せ。
4.幸せになろうとするな、幸せであると知れ。
それでは、あなたの幸せ(覚り)を心から祈っています。
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