2024年5月23日木曜日

秘薬による心霊現象について

【質問】
Amazonでコパイバマリマリという樹液を買って数ヶ月飲んだら、不幸の連続や心霊現象が起こるようになりました。3年経つ今も治りません。抗精神病薬も一切効きません。

コパイバを飲んだら、急に無能扱いされて職場で毎日怒鳴られるようになりました。店長からも首と言われましたが、コパイバが原因と気付きやめた途端に店長や悪口を言ってきた人全員が一斉に辞めたので現在もそこで働いています。その後周りからは「無口だけど仕事はちゃんとやる人」という評価で普通に働けています。

ですが、コパイバをやめてもラップ音現象や電化製品の誤作動や悪霊からの悪口があるのですが、どうすれば良いのでしょうか?因みに職場でも怪奇現象が起きるので、職場の人が気味悪がって入口に塩を盛っています。なので、自分だけの妄想とかでは無いです。

【回答】
ご質問有難うございます。それは大変ですね。

コパイバ マリマリというのはアマゾンの秘薬だそうですが、僕はブラジルに長く住んでいても名称さえ聞いたことがなく、それそのものについての具体的な回答はできません。

ただあなたの症状を僕の経験から察するに、それは恐らく脳の受信機であり人生という物語(現実)の映写機でもある松果体の受信周波数・感度を変化させるようなものであり、その点についてはアヤワスカやヨポなどの秘薬と同じようなものではないかと思います。それによって恐らくあなたは魑魅魍魎の蠢く次元の低い異世界と通じてしまったのでしょう。人生の難易度が急上昇した感じですね。

だとすればそれは精神薬などで治るようなものではないので、精神薬治療は早急に止めて下さい。それはスピリチュアル的には悪魔に魂を売るのと同じような行為です。

人生というのは愛と勇気を試すことで成長を促すRPGですから、世界というのはあなたをこぞって怒らせたり不安にさせたりしてきます。そうしないと愛と勇気は試せないからです。しかしそれは(人によってカタチは違えど)伏線上不可避のことなので、まずは覚悟して立ち向かう勇気を持って下さい。

ただ「覚悟して立ち向かう勇気を持って下さい」と言っても、今のあなたがそのままで立ち向かおうとしてもレベル1で魔物に対抗する武器も呪文も何もない状態でしょうから、まだ立ち向かう術はないでしょう。RPGでもレベルに相応しくない敵に出会ったらまずは逃げるのが得策です。しかしいつまでも逃げてばかりいてもゲームは進みませんから、今はまず「自分がレベルアップして、いずれは立ち向かわなければならない相手なのだ」という意識を持って下さいということです。

心霊現象というのは基本的に信心への導きであり、だいたい心霊現象に困っている人というのは心霊というネガティブな霊的存在は経験上疑いようもなく信じているのにも関わらず、神仏・天使のようなポジティブな霊的存在は全く信じていないんですね。そこが問題(課題)なのです。それを解決しないこと(信心を持たないこと)には先に進めないのです。

人生に偶然は存在せず、そのような怪しげな秘薬に手を出してしまったご自分を責める必要はありません。あなたの魂の成長に必要だから与えられている経験なので、自分も誰も責めないで下さい。決して神仏や運命を呪わないで下さいね。人生というRPGはすべて自分次第にできていますので、悪く解釈すれば悪い運命が待っています。

きっとあなたがいつまでも信心に目覚めないために、神仏がしびれを切らしてあなたにその秘薬を求めさせたというシナリオなのでしょう。その点については神への不敬で当たったバチの方と同じだと思いますので、ぜひご参照下さい。

僕個人としては、特定の宗教に所属せずに幅広く学んでいる身であり、どこの宗教が良いとか悪いとか言って特定の宗教に勧誘するようなことはしていません。あなたが縁を感じる宗教に顔を出して相談してみるのが一番かと思います。寄付や勧誘や奉仕など何かを無理に強制されるような宗教なら一目散に逃げて下さいね。

憑依現象(霊障)について」「浄霊効果の高め方」「第三の目の覚醒方法などに書いた通り、霊的な問題に対しては小手先の対処法(塩を盛るなど)では根本的な解決にならず、心からの信心・感謝というものが必要なのです。何か奇跡的な現象を目の当たりにせず心からの信心・感謝というものは生じにくいですから、ぜひそれを経験していただければと思います。

まずは浄霊(お清め・ハンドヒーリングなど手かざし系)をやってくれる宗教を試されることをお勧めします。日蓮系の仏教や修験道系も、寺社が家や会社に近い・身内に信者がいる・家が代々の檀家などなど、何かそういう縁があれば行ってみて下さい。そして人に奉仕し、もし「ここだ」と思う宗教があれば、そこで宗教的研鑽を積んで下さい。僕のようにフリーランスであちこち通って修行を積むのも良いと思います。

カルマというのは霊障(霊的な穢れ)という形で我々に与えられ、それが人を愚かにし、不幸に導くような様々な悪さをしてきます。

カルマ(因果)というのは前世や未来世も含めてどこでどうつながっているかがわからないがゆえに、自分のカルマ(課題)が何かを考えて、考え得る一つ一つのカルマ(課題)に立ち向かって解決していくことが尊いのです。

あなたにはきっと逃げ続けているがゆえに雪だるま式に膨らんでいるカルマ(課題)があるはずです。いただいたご質問だけではあなたがどんなカルマを抱えているのか推察することはとても困難なので、もしよろしければ電話にてご相談下さい。完全無料です。僕は微塵も怖いなどと思いませんので(決してナメているわけではありません)ご安心下さいね。そしてもし経済的・時間的に余裕があれば僕の所に来て一緒に解決を目指しましょう。

2024年5月15日水曜日

コミュ障を克服したい

【質問】30代前半・男性 ペンネーム:脳汁
真也さんこんにちは。最近Xやnote、質問箱を見させていただいてます。

真也さんの考えはとても素晴らしく自分に取り入れようとするのですが、なかなか理解力不足でうまくいかないです。私は昔からいわゆるコミュ障です。友達も少ないですし、職場の人間関係もあまり良いとは言えません。

後輩に話しかけるのも緊張するといいますか、ぎこちない感じになってしまいます。女性だけかなと思っていたら男性にも変な感じになってしまっています。

大勢の人がいる飲み会とかが苦手で、いつも途中でぼっちになってしまいます。最初の方で質問されて終わりなことが多いです。彼女いない暦=年齢で、色恋話になると何も話せず気まずくなってしまいます。

次第に飲み会に行くのも億劫になり、あまり参加しなくなりました。新人歓迎の飲み会にも参加せず、職場の新人の子には絡んでもいないのに嫌われてるんじゃないかと疑心暗鬼になってしまっています。後輩が男女関係なくキャッキャやってると羨ましい限りです。

話は飛ぶのですが、私は人生で彼女がいたことがないので、とにかく女性と絡みたい、ヤリたい気持ちが強いです。

このままだとまずいと思い真也さんにメールさせていただきました。コミュニケーションを円滑にとりたいです。飲み会で浮くことなくその場になじみたいです。 女性はもちろん男性ともうまく絡みたいです。性欲もなんとかしたいです。

まとまりなく申し訳ないです。私はまずどうしたら良いのでしょうか?ご教示いただけたら幸いです。

【回答】
僕もかつてはいわゆるコミュ障で、幼い頃からいつも周囲から浮いて仲間外れで、中学では全くモテずにバカにされて辛い思いをしましたし、高校は男子校で女性と絡むことすらできず(大学ではハジけましたが)、サラリーマン時代は職場の人間関係でとても苦労したので、あなたの辛いお気持ちはよくよくわかります。

悩んでいる時というのは、その問題で悩んでいるのが世界で自分一人だけであるかのように思えて孤独に感じてしまうものですが、あなたと同じように悩んでいる人は他にもたくさんいるのです。職場の人もあなたとうまく接することができず成長させられていないという時点であなたとそこまで大差はないレベルにいるということであり、きっとそれぞれ人間関係に悩んでいることでしょう。

日本では30歳での童貞率が30%を超えるという調査もあります。あまり統計などの数字に捉われるのは良くないことですが、同じ問題で悩んでいる人がたくさんいるということだけは認識しておいて下さい。そしていつか同じように悩んでいる人に心から同情して救える存在になって下さい。

悲しみへの同情を伴わない愛は愛ではありません。悲しみというのは我々が同情し合い深く愛し合えるように与えられているものなのですから。

あなたには具体的な方法に入る前に説明しなければならないことがたくさんあり過ぎて長文にならざるを得ないのですが、どうか最後までついてきて下さいね。キツい部分も多々あるかと思いますが、あなたの幸せを願う100%の愛ゆえですのでどうぞご了承下さい。

>>真也さんの考えはとても素晴らしく自分に取り入れようとするのですが、なかなか理解力不足でうまくいかないです。
いえ、あなたが理解できないのは理解力の不足ではなく、何でも自分に都合よく解釈して経験せずに頭の中ですべてを自己完結し、言われたことを素直に試してみて経験を積む勇気を持とうとしていないからだと思います。僕らは情報を集める為ではなく、経験を積むために生まれたのです。厳しいようですが、あなたがもし理屈で己の臆病と怠惰を正当化するような感じを続けるのなら、僕が苦労してまた説明を重ねたところであなたが理解することはないでしょう。

誰でも自信満々になれる方法は僕からの究極のアンサー(愛)であり、僕は100mを10秒で走るように言っているわけではなく、覚悟さえあれば誰にでもできることしか書いていないのですが、あなたと同じように「自分には無理です」っていう感じの感想が結構多いんですね。なのでそのように主人公としての目覚めがまだ遠いNPC状態にいる魂の同志達に対して、もっと容易で実践的な上達方法を伝えておきたいと思います。

あなたはもう30歳を超えているということで(焦ってはいけませんが)今何とかしなければもう後がないのはあなたが感じている通りだと思います。そして僕以外であなたの悩みに的確な導きを伝えられる人にあなたが出会える可能性は、何度輪廻転生を繰り返そうときっと限りなくゼロに近いと思います。偉そうに思われるかも知れませんが、ラストチャンスだと思ってよくよく聞いていただけると幸いです。

あなたは異性からも同性からもモテたいようですが(人として当たり前ですが)、あなたが欲しいと思うものは、何も言わなくても全知全能たる創造主はみんな知っています。創造主がその人の欲しいものを知っていながら与えないのは、
1.まだシナリオの伏線の回収(課題の克服・カルマの解消)ができていないから
2.信心がなく、既に与えらえれているものへの感謝がないから
3.願望がエゴでしかなく、愛がないから
です。

あなたに必要なのは、まず己が今現在不幸であることを逃げずに認めること(自己正当化・言い訳=成長拒否をやめること)だと思います。考え方が正しければ人は幸せになるようにできているのであり、今現在あなたが不幸なのは根本的にどこか絶対に間違えていて、それを改めなければならないことに気づかせるためなのです。つまり成長を期待されているってことです。

今現在のあなたは広義では確実に鬱状態(霊障に憑りつかれ、無明の闇に閉ざされている状態)であり、不幸なのです。しかし幸せを実感するためには不幸の経験が必要悪であり、不幸は過程に過ぎないのです。不幸は乗り越えるべき課題を教えてくれているのであり、成長には必要なもので、それを欠点や神(運命)の意地悪のように考えて、恨みで返さないで下さいね。

いわゆるコミュ障の人というのは、コミュニケーション能力の問題以前に愛(思いやり)に欠けているんですね。エゴに捉われて自分の都合しか考えてなく、そしてそれを当たり前のように思っていてその自覚もなく、出会った人に対して関心があまりないのです。それで無神経に相手を傷つけたり怒らせたりするようなことを言ったりやったりしてしまい、そのことに気づきさえしないで嫌われてイジめられて被害者意識に陥っている人が多いです。それで運命を呪い自分自身・人生を愛していないために他人に対しての関心が更に薄くなり、常に自分の魂の成長にとってベストな出会いが与えられているというのに感謝の気持ちも湧かず、必然としてエゴが愛を圧倒的に上回り、人間関係がうまくいかないのです。

人生というRPGはすべて自分次第であり、人間関係は鏡ですから、エゴばかりで愛(思いやり)がない人というのは愛されないのです。エゴ(欲)とは何か?に書いた通り、エゴがなければ愛は存在し得ません。だからエゴ自体が悪いわけではありません。ただエゴ同士は反発するのが必至であり、自分のエゴを乗り越えて相手のエゴを少しだけ優先して愛で満たすことが良いコミュニケーションには必要なのです。

コミュニケーション能力などより愛(思いやり)の方が絶対に大切です。愛(思いやり)に欠けている人にいくらコミュニケーション能力があっても、エゴ(自己利益)のために他人をうまく利用する詐欺師のようにしかならず、それでは結局は誰からも愛されないのです。逆にどれだけ不器用だろうと、愛(思いやり)のある人間はみんなから愛され、コミュニケーション能力の低さなど障害にはならないのです。つまり世間にコミュ障だと思われているものは単に愛情不足であり、小手先のコミュニケーションスキルを身に着けることなどより、己の中にある愛(思いやり)を育てていくことがずっと大事だということです。

野球が下手でも野球障害とは言いませんし、ギターが下手でもギター障害とは言いません。でもコミュニケーションが下手な人はコミュ障と言われます。まるで自分には生まれつき脳に克服不可能な問題でもあるかのように。

しかしコミュニケーションだって野球などのスポーツやギターなどの楽器と同じで、毎日少しずつでも成長を楽しみながら続けていれば否応なく上達していくのです。

それなのに自分自身や他人への愛(思いやり)がなく、自分(プレイヤー・主人公)を条件(才能など)の違う他人(他プレイヤー・NPC)と比べ、自分自身ならいくらイジめても構わないかのようにイジめて愛さず、他者評価に依存して傷つきやすいままで、傷つくのを恐れて「コミュ障」を言い訳にして、いつも逃げ回って精神的に引きこもって成長を拒否し、自尊心が低いままでいつも「どうせ自分なんて・・・」と考えて悪い思考・行動が止められず、嫌な記憶を何度も反芻して追体験し、自身に対してネガティブなイメージを強く持ってしまって鬱状態に陥っていてエゴにまみれ人を思いやる余裕(愛)をなくしているから、いつまでもコミュニケーションが上達しないままなのでしょう。

何事もそうですが、できない理由を探しても、できない言い訳探しになりがちで、できるようにはならないものです。ギターを始めたばかりの人が現在自分が下手な理由を分析しても弾けるようにはならないでしょう。そしてできない状況を詳しく分析したところで現状のみじめさに落ち込むようになるだけで意味がないでしょう。できない理由・状況はできるようになった後で必然的にわかるものであり、できないうちにそれを知ってもしょうがないのです。

ですから反省してはいけないに書いた通り、反省して自尊心を下げることなく、まず自分を許して愛して下さい。ワンネスである創造主からすれば、あなたが自分を傷つけるのも他人を傷つけるのも同じことなのです。自分を嫌い他人を嫌っていたら、全ての存在の根源である創造主の愛を受け取れず不幸に導かれるのは必然なのです。

あなたの人生というのはあなたを主人公(プレイヤー)とするRPGであり、自分以外はすべてNPC(ノンプレイキャラクター)なのです。それはテキトーに扱っても良いという話ではなく、人・出来事との出会いはすべてシナリオに沿った必要なものであり、出会う人・出来事のすべてがあなた自身でもあるということです。だからエゴに捉われず、誰の事も責めずに許し、愛をもって他人と関わることが必要なのです。

人生は愛と勇気を試し成長を促すためのプログラムです。ですからあなたが出会うあらゆる人・出来事があなたを怒らせ、また不安にさせてきます。そうしないと愛と勇気は試せませんからね。プレイヤー(主人公)であるあなたは常にそれに打ち勝っていかなければならないのです。そうしないと成長はありえず、不幸に導かれますからね。

不安になる人は他人もその不安に巻き込みます。みんなそこに引きずり込まれたくないから臆病な人は人から避けられるのでしょう。

我々が事故や病気で死ぬ確率を全部足したらとっくに死んでいます。確率で考えるなら、僕らの人生もこの世も生まれていません。使命があって「生かされている」っていうことに感謝と信頼の念を持って下さいね。そこに対する信頼(信心)がないから不安になるのでしょう。もっと信心を持ち、神に仕え、神の分身たる人に奉仕し、いつも堂々として人を安心させられる存在になって下さい。

他人の顔色を伺うのを止め、どうやったら自分が気分良くいられるか・笑顔になれるかを考えて実践して下さい。笑顔を幸せの副産物と考えるのではなく目的化するのです。自分が幸せで笑顔なら人も寄ってきます。今現在不幸な状態にあるあなたはきっと不幸な表情をして不幸オーラをまき散らしているために人が寄ってこないのでしょう。不幸な人の言うことは、どれだけ正論だろうと「こう考え・こう行動すれば不幸になる(自分は間違っている)」と教えてくれているようなものですから。

僕は「絶対に逃げてはいけない」と言ってあなたを追い詰めているのではありません。RPGでも自分が弱っている時やレベルに相応しくない強敵に出会った時は逃げるべきです。でもいつまでも逃げていてはゲームが進まず、永遠にクリアできません。人生というRPGにおいて苦手な相手も、いつかは対峙して乗り越えていかなければならない課題なのだと認識して下さい。

僕がいわゆるコミュ障の頃は、自分に対してだけ世界が閉じられているかのように感じていました。でも乗り越える過程で、世界は自分が心を閉ざしていたから閉じられていたのであり、自分が心を開けば世界のすべての扉が開かれて行くということに気づかされました。心を開くというのは、自分と他人をありのままに受け入れ、許し、人生という物語の共演者として尊敬し、存在に感謝し、愛することです。

人間関係は完全に鏡であり、あなたの苦手な相手は時間差のある拡大鏡です。宇宙の仕組みに書いた通り、あなたの認識世界のすべてがあなた自身の反映なのです。だから誰かを嫌うほど自分自身が嫌いになるのは当然と言えます。だから愛を無条件化していくことが大事だと常々僕は言っているわけです。

自尊心は幸せの根幹であり、あなたは自分自身を嫌っているから他人も嫌いになるのであり、あなたは相手が嫌な対応をしたくなるような態度を無自覚にしているのでしょう。そういう相手を嫌っていたら自分自身も嫌いになる無限ループに陥るのは当然です。すべての存在・事象は創造主なのですから、自分も他人も嫌いではすべての存在・事象があなたの敵になってしまいます。

人は「風の谷のナウシカ」の腐海の植物のように、己の心の水がエゴの毒で汚れているから、己の心の住民である相手は毒を生じるのであり、己の心を愛で満たして綺麗にしたなら、相手も毒を出さなくなっていくのです。

だからまずは自分も他人も責めず許すことです。あなたが嫌な人は嫌な人になるだけの心の傷を抱えているのです。あなた自身と同じように。本当は愛されたいのに止むに止まれず嫌な人になってしまっているのですから、その原因となっている心の傷にまず同情して思いやって下さい。

>>大勢の人がいる飲み会とかが苦手で、いつも途中でぼっちになってしまいます。最初の方で質問されて終わりなことが多いです。
コミュニケーションの基本は「質問」です。関心は愛の入り口であり、関心がないのに愛しているということはありえません。そして関心があるのに質問もしないということもありえません。関心→質問なしに愛は生まれないのです。

今までのあなたのように相手の質問に誠意を持って応えず、相手に関心がなくて質問もせず、相手を愛そうという試みさえしないようなら、コミュニケーションが成り立つわけがありません。もし経験に乏しい人間であることを自覚しているのなら、なおさら経験豊富な他人に関心を持って質問してたくさん吸収すべきだと思います。

あなたは恋愛経験がないことがコンプレックスになっているようですが、経験に乏しいことも一つの経験であり、モテる人にはモテる人の学びの道があり、モテない人にはモテない人の学びの道があるのです。

サブカルの教祖で女子にモテまくったみうらじゅんが今一番なりたいものは「童貞」だそうです(「童貞再生手術」ってネタを書いてます)。僕も結構そう思ったりすることがあります(笑)妄想は楽しいですからね。

すべてはあなたという魂の成長に必要だから与えられている経験であり、主人公(プレイヤー)なのに、条件が違う他のプレイヤー(NPC)と自分とを比べてその経験や能力や富や名声などに優劣をつけてひがんだり劣等感に陥ったりせず、もっと堂々としていて下さい。

あなたにはあなただけにアレンジして与えられている課題(カルマ・シナリオ)があり、あなたは他人とは違うあなただけのゲームをしているのです。あなたにはとても難しい課題が与えられているようですが、それは魂のレベルが高いからであり、課題を欠点のように考え、他人と己を比べて他人を羨み己を蔑んだり、運命を創造主の意地悪であるかのように呪ったり、被害者意識に陥って親や誰かを恨んだりせず、ただ己の目の前の課題から逃げずに立ち向かって下さい。

創造主は全知全能のままでは何も経験できず何も楽しめないので人間を創ったのです。あなたという存在は、全知全能たる創造主があなたという人生を経験したいと思ったから存在しているのであり、尊い存在なのです。そして人生の不幸を経験し、試行錯誤して乗り越えて成長して幸せになっていく過程こそに価値があるのです。自分の思い通りにならないのは人生のデフォルトであり、それによって自分に価値がないなどと思わないで下さい。


他人と比べ他人の評価ばかり気にして己の尊さに気づけなければ、あなたの認識する世界全体が暗いままになってしまいます。どうか己という存在の尊さに気づき、世界を救う主人公であることにいつか目覚めて下さい。(菩提心・天上天下唯我独尊)

あなたが何のお仕事をしていらっしゃるかわかりませんが、職場で浮いているのならあなたはその仕事に向いていない可能性が高いと思います。どんな仕事であれ周囲とコミュニケーションを取れないというのは致命的です。その状態でクビにならないのはあなたに余程それを補う能力があってまだ成長を期待されているかも知れませんし、あなたが今の仕事を本当に好きでその先に夢や目標があるのなら続けるべきかと思いますが、もしそのような周囲から浮いている状態を続けていたらあなたの自尊心は下がり続けてどんどん精神を病んでしまうでしょう。

例えば介護や清掃のように、能力よりも誠心誠意・一生懸命やることの方が喜ばれる仕事をした方が良いのではないかと思います。能力・利益重視の環境で、コミュニケーション能力が職場のみんなより圧倒的に低いという環境では出世するはずもなく、自尊心を保つのは難しいことでしょう。あなたは介護や清掃のような仕事を奴隷の仕事のように下に見ているかも知れませんが、そういう人に奉仕する仕事こそが神事なのあり、お金にしがみついて嫌な仕事の我慢代の駄賃にしがみついている人こそが奴隷であり、もしそのようになっているのなら早くやめた方が良いかと思います。

>>とにかく女性と絡みたい、ヤリたい気持ちが強いです。
性欲は必要があるからこそ健康なら誰にでも例外なくあるもので、本来その存在自体に罪悪感や羞恥心を感じる必要はありません。ただ、僕も経験があるのでお気持ちはよくわかるのですが、あなたの問題(課題)は性欲をどうすべきか以前に、あなたには愛(思いやり)が欠けていて、女性を性欲の対象としてしか見れていないことなのです。まぁ童貞なら無理もないことではあるのですが。

もしあなたに愛があるのなら、ご質問内容は「どうしようもなく好きな人がいるのですが、どうコミュニケーションを取れば良いかわからず悩んでいます」のようになると思います。なのにあなたの御質問内容からは「ヤりまくりたい(エゴのために他人を利用したい)けど、コミュ力が低くてできずに悩んでいます」という印象を受けてしまいます。それではコミュ力を手に入れたところで結局は誰とも心から愛し合えることはないでしょう。

あなたは自身の性欲(エゴ)に捉われて見えなくなっていると思いますが、あなたのモテたい・ヤりまくりたいという願望は、単なる性的な欲求だけではなく、誰かと深く結びつきたいという孤独感と、他者評価依存が根源なのです。自分で自分を嫌っていて、価値のない自分に評価されても嬉しくなれず、他者に評価されないと自分を評価できず、他者から評価されない自分には価値がないと思ってしまっているのでしょう。(だから風俗で性行為をしても決して満たされることはないのです。相手女性の目的は金であって、あなたを愛しているわけではありませんからね)

特に日本人は家庭でも学校でも社会でも、幼い頃から他者評価に依存して自尊心が低くなるように育てられています。自尊心の低い人間は権力に対して従順になりますからね。他人の評価というのは人それぞれで、気まぐれかついい加減なものであり、そんなものに自分の評価を委ねたら、必然的に些細なことでも他人からの評価に傷つけられて振り回されて、自分にも他人にも嘘をつくようになって、自尊心など育みようがないのです。

どうしたらモテますか?に書いた通り、自信はモテに最重要な要素であり、モテることで自信をつけたくても、自信がなければモテるようにはなりません。現状モテていない人が無理にモテようとすると、益々モテなくなる(嫌われる)上に本物の愛も遠ざけます。

30歳過ぎまで全くモテてこなかったコミュ障の人が、何かしたからといって突然モテまくりヤリまくりになるなんてことはありえません。歩ける前に走ろうとすればケガをするのが目に見えています。

だからまずモテようとする前に、自分の中にある「人を愛する(思いやる)気持ち」の種を大切に育て、そしていつでも自分らしくあることを大事にして、みんなと一緒に幸せになることを目指して下さい。

前述した通りスポーツにしたって楽器にしたって、どれだけ才能がなかろうと、それをやること自体を愛して毎日楽しみながら続けていれば、必ず上達するのです。なのに上達を他プレイヤーである他人と比べて落ち込んで内心成長を諦めているから楽しくならないのでしょう。あなたが幸せになるためにはかなり長い過程が必要になるかと思いますが、どうか諦めずに目の前の乗り越えられるハードルを一つ一つクリアしていくことに集中して下さい。

あなたがどうしてもヤりまくりたいのならば、女性にも性欲はあるわけですから、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」で、己の性欲を恥ずかしがらずに堂々として女性に声をかけまくれば良いと思います(職場では今のあなたがやると総スカンを喰らう可能性が高いので、外でやって下さいね)。

「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」を実践する過程で痛い思いもたくさんすると思いますし、予後のことを考えるとおすすめはし難いのですが(自尊心を求めてキリなく女性を求め続け、いずれそれができなくなって鬱屈するか破綻することになるのは確実ですからね)、本当にヤりまくらなければ気が済まないのでしたら、無理に我慢して鬱屈するのは良くないことだと思いますし、ネガティブなエネルギーをポジティブなエネルギーに昇華させることは青春の必要な過程だと思いますし、それが仕事に活かされるってこともあると思うので。

それと清潔感はとても大事です。それは体だけでなく生活環境も心も所作も美しくしていくということです。

ただ多くの男性は「清潔感」というのを誤解しています。どれだけ衛生的に清潔にしてようと、内心はエゴまみれでヤること・相手を自尊心の踏み台にすることしか考えてなく、いつも他者評価に依存して自分でも自分を嫌い、恥ずかしがって傷つくのを恐れてビクビク・オドオドしてゴキブリみたいにコソコソ・カサカサしていたら不潔に見えてしまうものなのです。だから例え最初は虚勢であっても「堂々とすること(どんなことがあっても自分を愛し抜く覚悟・自尊心)」ってとても大事なのです。ゴキブリが気持ち悪いのはその生態であって、ゴキブリがいかに衛生に気を配ろうとも清潔には感じられませんし、人から好かれるようにはなりません。生態そのものを変えていく必要があるってことです。

人生は愛と勇気を試し成長を促すプログラムですから、ビクビク・オドオドはその愛と勇気(成長)と相反する心理状態であり、そういうオーラがどんどん不幸を招き入れてしまうのは当然です。

今のあなたは女性に声をかけるのも性欲ムンムンで恥ずかしくて過緊張して躊躇する状態でしょうから、まずは街で女性に道を聞きまくることから始めてみて下さい。きっと驚くほどみんな親切に答えてくれるはずです(そうでない人もたまにいるかも知れませんが)。教えて貰ったら丁重にお礼を言いましょうね。

あなたは職場で疎んじられているために世の人は冷たい人ばかりだと思っているのかも知れませんが、それはあなた自身に愛がなく冷たいからです。人間には「人の役に立ちたい・人を喜ばせたい」という根源的な欲求があるのであり、あなたが考えているよりも多くの人は愛(思いやり)を持っているのです。そのことに実践を通じて気づくことが大事です。

職場では「この人にはこう接するべき」という暗黙のルールみたいなのができあがってしまっていて、それに反するのは面倒なことが予想されるので、みんな無意識に同じような接し方をしてくるのです。あなたは現在職場で浮いた存在になっているのでしょうから、まずは職場の外で知らない人と積極的にコミュニケーションをとってみて下さい。あなたが変われば職場での扱いも変わってきます。

そしてどうか「六波羅蜜」を実践してみて下さい。六波羅蜜で重要なことは「見返りを求めず人に無償で奉仕する」ということです。それがあなたの中にある小さな小さな愛の種を育てることになるのです。

「布施」というのは何も金銭を寄付することだけを指すのではありません。人に笑顔で接し、話を否定せずに肯定的かつ真剣に聞き、親切にすることこそが大事な布施なのです。それが相手に承認欲求というエゴを満たすことになり、相手の存在を肯定し自尊心を上げることになるのです。相手は「自分は愛されている」「自分はここにいて良いのだ」という無言のメッセージを受け取ることになるのですからね。それ以上の奉仕・功徳というのは僕には思いつきません。

六波羅蜜には「八正道」というのがありますが、「何が正しいのか?」がわからなければ実践しようがありません。「何が正しいか?」は、その考え・行動が自分と他人を同時に笑顔(幸せ)にするものかどうかでわかるのです。いつだって人生のコンパスはみんなの心からの笑顔なのです。

そして自己嫌悪・厭世観・希死念慮で辛いにも書いてますが、是非ノートとペンを手にお年寄りにインタビューしてみて下さい。身近にいなければ公園や神社仏閣や老人ホームなどお年寄りがいそうなところに行ってみて下さい。何かの成功体験を聞かせてもらうためではないので、本当にどこにでもいそうな人で構いません。どっちみち今あなたに一番必要な人と出会いますから。

いきなりノートを取ろうとすると怪しまれるので、話しかけてある程度慣れてから「自分の人生勉強用に、何でもいいのでお話を聞かせて下さい。どこかに載せる訳ではありません」という感じでインタビューをお願いしてみて下さい。

まだ若く、しかも鬱で孤独に陥っている状態にあるあなたの人間関係はきっと狭く、付き合いがあるのは同年代の若い人が割合としては圧倒的に多いことでしょう。しかし若い時というのはどうしてもエゴが強く、それは反発し合うのが必然なんですね。それでお互いに責め合い、争い合い、奪い合い、マウントを取り合ったり意地を張り合ったりしてしまうものなのです。

もちろん歳をとってもそのまんまっていう魂のレベルの低い人も多いんですけど、全般的に見ればお年寄りというのは欲が下がって角が丸くなり寛容で優しくなっているものなので、あなたが好き嫌いなどのエゴを前面に出さなければぶつかる事は少ないでしょう。

お年寄りというのは往々にして周囲に話を聞いて貰えないことに不満を抱いているもので、もう死期が近づいているのにせっかくの自分の人生経験を若い人達に伝えられず、自分の存在意義に苦しみがちなのです。だからこそ、お年寄りというのはただ話を聞くだけでこちらを好きになってくれて、自分の経験を生かして貰いたいために話を聞いてくれた人を応援してくれるものなのです。

あなたには人を愛し愛されるという経験が圧倒的に不足しているために今の状況に陥っているのでしょうから、まずはあなたの心(仏国土)に、あなたを愛してくれる住民を増やすことが大事です。きっと彼らがあなたの大応援団になってくれることでしょう。魂は永遠ですから、彼らが亡くなったからといってあなたの心から消えるわけではなく、むしろ天界から応援してくれる存在が多い方が人生はうまく行くのです。

インタビューさせてもらう際に留意すべきことは、
『出会ったら心からの尊敬・感謝・慈愛を笑顔の挨拶で示すこと
(嫌われるかもなどと心配してビクビク・オドオドしないこと)
『感謝・尊敬・慈愛の念を持って真摯に接すること
(決して見下したり批判したりしないこと)
『聞きに徹して相手の話を一切否定せず、肯定的・共感的に話を聞くこと
(好き嫌い・良し悪し・正しい間違ってる・面白い面白くないなどを判断しないこと)
話を聞く目的をジャッジしたり改善したりすることから、経験と感情を共有することに置いて下さい。

相手は自分の鏡であり、悪い感情を向ければすべて自分に返ってきますからね。お年寄りを見下せば、自分が歳をとるのが苦しくなるだけです。必ず感謝・尊敬・慈愛の念を持って真摯に接して下さい。

そして自分の話は極力しない方が良いです。特に相手が鬱っぽい人の場合、自分と意見が違うというだけで、自分の意見が否定された=自分の存在が否定されたと感じてしまうものなので。あくまでもインタビューの主役は相手であり、相手と共感し肯定する時にだけ最小限自分のエピソードを話せば良いのです。

相手はあなたに替わってあなたにはできない貴重な経験をして、それを無料で共有してくれて気づき・学びを与えてくれているのですから、無条件で尊敬・感謝すべきなのは当然です。決して否定したり自分の意見で相手の話の腰を折ってはいけません。

そうして感謝・尊敬・慈愛の念を持って真摯に話を聞かせて貰えば、きっと素晴らしい気づき・学びが得られるだけでなく、人を許し愛することを覚えて、愛されて自尊心が高まることでしょう。

あなたがおばあちゃんたちの話を聞いてモテモテになれば、きっと若い女性からもモテモテになるに違いありません。逆に話を聞くだけで好きになってくれるようなおばあちゃんたちからモテないようでは若い女性にモテようと思っても話になりません。あなたがおばあちゃんたちから「人を愛し愛される経験」を積ませてもらえば、コミュ障の問題はいつの間にか解消されてみんなから愛される存在になっていくことでしょう。

そしてこの「人との接し方」はお年寄りだけではなく、あらゆる年代の人に対してもこうあるべき「人間関係の基本」であるということに気づいて下さいね。

次にこれも自己嫌悪・厭世観・希死念慮で辛いにも書いてますが、「自分大好きエピソード」を積み上げていって下さい。誰が見ていなくても、自分で「この人好きだなぁ」と自分を好きになれるようなエピソードです。

それは他人からの評価は一切関係なく、一切結果(見返り)を求めず、自分のエゴより少しだけ相手のエゴを優先して満たしてあげるというエピソードです。人のために無償で奉仕をすると、それを誰にも見られず評価もされず何の見返りがなくても、自分で自分を好きになれる「自尊心」という最大の見返りが即得られるのです。

人は深層心理ではエゴを醜いと感じていますから、エゴを動機に行動してばかりいると、心の深い部分に自己嫌悪がマグマのようにどんどん蓄積してどんどん自分を嫌いになってしまうのです。人間は得をしても損をしても脳にダメージを受けるようにできていることは科学的に証明されています。世界はワンネスなのですから当たり前なのですが。

しかし自己利益を得てエゴが満たされると、快楽物質が分泌されてそのことに気づけないようになっているのです。あなたは女性とSEXできればエゴを満たされて問題が全部解決されて自分を好きになって幸せになれると勘違いしているようですが、決してそうはならないのです。

いわゆるコミュ障の人というのは相手を都合よくエゴのために利用することしか考えていないのに、心の奥底ではそのことに罪悪感と羞恥心を感じていて、エゴのために人に嫌われることを恐れてていつも本心を隠さなければならなくなっているから、臆病になってうまく人と関われないのでしょう。ヤりたい(エゴまみれ)→恥ずかしい→本心を見せられない、嫌われるのが怖い、といった感じで。

「本当の自分を知られたら終わりだ」とビクついて必死に自分を隠しながら(自分も他人も欺きながら)人と接していては心を開けるわけがなく、コミュニケーションが楽しくなるわけがありません。心を誰に見られても大丈夫なように愛で満たしてみて下さい。どっちみち創造主には全部見られているのですから。いつも人に愛を与えることしか考えないようになったら、己のエゴによる罪悪感や羞恥心は小さくなり、むしろ本心を見て欲しいと思うようになり、楽しく堂々と人と接することができるようになります。

前述したように、人と人がぶつかり合うのは磁石の同極同士のようにエゴがぶつかり合うからなのです。だから人を愛し自分を愛することが大事なのです。つまり相手のエゴという極に対してこちらの愛という極を向けることです。

鬱というのは自尊心の病であり、人は鬱状態に陥ると、反芻思考で何度も嫌なエピソードだけを選択的に繰り返し思い出して自分も他人も世の中も全部嫌いになる高速回路みたいなものができあがってしまいます。その高速回路を断ち切って自分を救い出してくれるもの、それがこの「自分大好きエピソード」なのです。あなたの過去にそういうエピソードが一つもなくても、これから一つ一つ積み上げていけば良いのです。どんどん目の前の人に無償で親切にして、困っている人がいたら助けてあげて下さい。

誰でも自信満々になれる方法にも書いてますが、能力とその他者評価を高めることで自信を持とうとしても無理なのです。器の大きいポジティブな人間になりたいのなら、もっと人を無条件で愛することです。出会った人に対して例外なく慈愛・思いやりの心を持つことです。

次にこれは悪いカルマの解消法について詳しく書いていることなので省略しますが、カルマの浄化に努めて下さい。あなたはあまりスピリチュアルなものを信じない方なのかも知れませんが、半信半疑でもとりあえず信じてやってみる、という姿勢がなくては、今あなた自身を不幸にしているあなたの常識に捉われたままになり、成長する機会が一切なくなります。

とりあえず信じてやってみて悪い結果になっても、必ず経験は手に入ります。僕らは情報を集めるためではなく、経験するために生まれてきたのであり、経験(感情)こそが価値なのです。

人間は成長のために敢えてわからないことだらけに創られているのですから、何も信じずに生きるということは不可能です。何も信じていないという人は自分が自分の勝手な常識を信じているだけであることに無自覚なだけです。そしてその常識というのはスピリチュアルを配した唯物主義・資本主義(金拝主義)であり、それは人がエゴのために生きるのが当たり前だという考えであり、それは悪魔教を信奉しているに等しいのです。

カルマというのは霊障(霊的な穢れ)という形で与えられているもので、あなたの今「自分はこういう人間である」と思っているものは、霊障に深く犯されている人に共通する特徴であり、あなたの本当の性質ではないのです。でもあなたは「自分らしさを大切に」と言われても、「コミュ障」のようなネガティブな自己イメージしか持てず、本当の自分がどういう人間なのか想像する事さえできなくなっていることと思います。

「エゴ(欲)とは何か?」に書いた通り、エゴと愛は相反する要素であり、あなたはエゴに捉われ切っているように感じられます。それは憑依現象(霊障)についてに書いた通り、霊障に犯され切っているということでもあります。霊障に犯されるとカルマが雪だるま式に大きくなっていき、それが自分を追試験のようにどんどん追い詰めて、楽しい夏休みをどんどん目減りさせてしまうことになります。

人間には自意識があるために、自分を一つの意思で動いているかのように錯覚していますが、実際は複数の霊的意思に翻弄されているのであり、コミュ障の人というのは自分自身(霊的意思同士)とのコミュニケーションがうまく行っていないのです。それで常にエゴ(欲望)・ネガティブな感情に振り回され、流されているのです。

霊障に深く犯された人間というのは、エゴまみれになって愛がなくなり、まるで心に壁を敷き立てられたように他人の気持ちがわからず、相手の気に障るようなことをピンポイントで言って傷つけて嫌われて避けられるようになります。知らず知らず人から気持ち悪がられるような趣向になり、それが常態化して容姿までが悪化し、当然異性にもモテず、他者評価に依存しているために他人に振り回されて自分を見失い、人から何か言われる度に傷ついてひどく落ち込み、人に嫌われたり蔑まれたりして傷つけられるのを恐れて孤独で暗い性格になり、自分自身であればどれだけイジメても構わないかのように自分を蔑んで嫌い、そんな自分を何とか正当化して自尊心を保つために他人の欠点や過ちを責めて見下し、己の欠点や過ちを許せなくなってますます自分を蔑み嫌うようになります。そのようにして霊障に深く犯された人は精神を病んでいくのです。

それを自分のせいだと考えたくないために脳の障害だと考えて精神科に行って薬づけにされてますますおかしくされ、自我を霊障に完全に奪われ、霊障そのものみたいな人間になってしまうのです。そして最悪のケースは自死に至ります。

長年精神を病んでいると、自分も他人もそれが己の本来の性格のように考えてしまいますが、決してそうではないのです。それは霊障であり、その人の覚りに必要な過程であり、その人がその経験なく覚りを開けないから与えられている課題なのです。

千年暗闇に閉ざされた部屋を照らすのに千年分の明かりが必要なわけではありません。あなたは自分をコミュ障で暗い人間だと決めつけているのだと思いますが、目覚めれば本来の自分をきっと取り戻せると思います。生まれた時から暗い赤ん坊はいません。そしてエゴにまみれていない赤ん坊もいません。今のあなたの暗い性格はあなたが今まで自分の愛を育てることなくカルマを雪だるま式に積み上げて来たことが原因であり、それは覚りの一過程なのです。

だからあなたがやるべきことは、まず信心を持ち、それを形に表すことです。つまり神とその分身たる人間に無償で奉仕することです。どこかの信者になる必要はありませんが、浄霊は受けた方が良いと思います。それもできるだけ毎日。それが日々霊障を祓うことであり、霊的成長につながるのです。

創造主は言いました。「樹が鳥を愛するように人を愛せよ」と。大地と空から愛を受け取り、花を咲かせ、豊かに実り、何も結果(見返り)を求めず、鳥達が集い喜びに歌うのを我が喜びとするのです。そうすれば鳥たちがその実りの種(愛・覚り)を運んでいき、この世界は愛に満ちた幸せなものになっていくことでしょう。

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最後に、あなたの歳の頃の僕もまったくNPC思考そのものでしたから、あなたが今のような状況に陥っている苦しみはよくわかります。しかしそれも必要な経験だから与えられているのです。人とうまく関われない苦しみを知るあなたは、一刻も早くそれを乗り越えて、同じように苦しんでいる人たちに心から同情して救いたいと思って下さい。そして僕が創造主の代弁としてここまで苦労して書いたことをきっと無駄にせず、覚悟を持って実践し続け、いつかきっと主人公として目覚め、周囲の人も主人公として目覚めさせられる本物のメシアになって下さいね。そうなる覚悟を持てば、そう遠くない将来にきっと乗り越えられると思います。

2024年5月6日月曜日

継父との関係

【質問】20代・男性 ペンネーム:ラガー
真也さん初めまして、過去に匿名という形でご質問させていただいて、鬱に近い心の状態だったのですが、noteの記事を見させていただいたり、仏教の教えにとても救われました。今回は相談というか、今心の中ですごく悩みがあります。

自分の家は再婚で僕と兄は父親と血が繋がっていないです。記憶では僕が2歳〜3歳頃に母親と父親が出会っていたと思います。僕が5歳ごろに妹が産まれました。この記憶が正しい記憶なのかもわからないですが、妹が産まれて暫くしてから僕への教育(躾)がとても厳しくなりました。ほっぺを力一杯握力を使い締め上げ痛みで泣くほど締め上げられたり、朝起きないというだけで小学生の自分を真冬の外に肌着のまま放り出されたり、暴力を振るわれた記憶がたくさんあります。こんな家庭は腐るほどあるのはわかっています。何度も手を出された記憶があり、警察に通報したいけど小学生ながら家族の生活の事を考え出来ず、包丁で刺してやろうかと考える事もあり、正直追い詰められていました。

高校でラグビー部に入り見た目的にも実力的にも父親に力で勝てるようになり、手を出されなくなりました。本当に卑怯で気の小さく友達が過去にいないような奴だったんだろうなと思います。正しさでしか自分の価値を表現できない自己肯定感が本当に低いまま生きてきたんだと、真也さんの記事を見て感じました。

僕は本当に父親のことが嫌いなのですが、今家族内で父親の事を好きなのは妹と弟だけです。これが本当に不憫でモヤモヤします。

父親の事を救いたいです。僕がここで動かなければ家族仲はもう一生仲良くなれないと思いました。恐らく弟妹が成人したら母親は離婚したがると思っています。ですが仕事は超真面目で食事のマナーや常識的な事をきちんとしている人で、タバコも即禁煙(妹が産まれた時に。なぜ結婚した時にしなかったのかは謎、既に兄と僕がいるのに←これはエゴかもしれないです)

少なくとも父親がいなければここまで裕福に暮らせていないですし、とても感謝しています。子供目線で見たら嫌いですが、人間的にはとても尊敬しています。何十年も家族のために働いて頑張っているのにた、またま治せなかった性格のせいで孤立していくのが可哀想と感じてしまいます。

ここで父親を救えば、母親も兄も僕も、今中高生の弟妹も大人になった時にもっといい未来があるはずです。母親が父親の悪口(文句に近い)事をよく喋り、口喧嘩の多い現状も弟妹には聞かせたくないですし、父親の存在意義がお金だけになっていて、父親の事を好きな弟妹は僕や母親の父親への対応を見て、どちらの味方につけばいいのかと考えさせてしまうと思います。

文章を読む限り劣悪な関係に思われるかも知れませんが、僕が朝早い時には職場まで車で送ってくれたり一緒に出かけたり普通に会話して笑い合ったりする時もあります。ハリボテの関係に近いですが表面上は仲良くできています。

僕は父親に何を伝えてどんな話し合いをするべきでしょうか?是非アドバイスをいただきたいです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。noteを読んでいただけてとても嬉しいです。

何よりもまず、あなたの「過酷な運命」と「幼い日の心に刻まれた心の傷」に深く同情致します。心の傷というのは数値化できるものではなく、他人と比較はできませんし、比較する意味もありません。

ただ我々は似た経験を通じて相手の感情(痛み・悲しみ・苦しみなど)を察して同情し合うことができます。僕らはより深く愛しあえるように、痛み・悲しみ・苦しみなどが与えられているのです。

僕は親の離婚や継父・継母に育てられた経験、実子と比べて明らかに愛情薄く育てられた経験はありませんし、親には生み育てて貰ったことへの感謝と散々迷惑をかけてきたことへの罪悪感以外にありませんが、さりとて虐待としか思えない理不尽な折檻も結構ありましたし、嫌っていた時期も長かったので、あなたの心の傷を慮ることはできます。

そしてそれだけのことをした継父を救おうとしているあなたはとても魂のレベルの高い方だと思います。だからこそより大きな成長を期待され、より難しい課題が与えられているのでしょう。

悪いカルマの解消法に書いた通り、課題(カルマ)の大きさ・重さというのは意地悪で与えられるものではなく、それだけその人の'魂のレベルが高いということであり、より大きな成長を期待され、それを成し遂げた先にはその課題の大きさ・重さに応じた幸せが用意されているのです。ですから決して運命(創造主)を恨まないで下さいね。人生はすべからく自分次第に創られているもので、それを罰ゲーム・クソゲーのように解釈しては、本当にそのようになってしまいますから。

この人生というRPGは成長(覚り・ゲームの進捗)に応じてどんどん楽しく幸せになるようにできています。課題の大きさ・重さを理不尽と考えて自分を傷つけた相手やクリエイター(運命)を恨まず感謝して、いつか幸せになって下さいね。

あなたに何よりもまずお伝えしたいことは「自分が嫌っている・許せない相手を救うことはできない」ということです。世の中の問題の原因はすべからく愛の不足であり、逆に言えば全ての問題の解決策は愛なのです。愛なく問題が根本的に解決されるということはないのです。

許せない相手を愛そうとしても無理があります。「許し」とは「愛」の構成要素であり、許し(同情・尊敬・感謝)を伴わない愛は愛ではないのです。僕らは「愛とは何か」を経験的に知り表現するために生まれたのであり、それは「許しとは何か」を経験的に知り表現するために生まれたいうこととイコールです。どうか誰でも自信満々になれる方法に書いた僕の「嫌いな人ゼロ作戦」にあなたも参加してみて下さい。きっと幸せになりますから。

今のあなたはまだ継父に対し「嫌い」なのに「我慢」している段階にあり、「許し」は成立していないのです。「許し」とは心の底で和解が成立していることであり、「我慢」は負の感情を無理やり抑え込んでいるだけの状態です。その「我慢」はマグマのように蓄積し、遅かれ早かれいつかは噴火することが自明なのです。

あなたは今現在表面上は継父と良好な関係だと書かれていますが、人間の好き嫌いというのはどうやったって態度に出るもので、お互い常に心の内では嫌い合いながら疑心暗鬼になっている状態では、お互いに存在するだけで自尊心を削られ、あからさまに嫌い合うよりかえってストレスになったりするのです。そして嫌い合っている人同士が何を言い合おうと、お互い素直に聞くわけがありません。だから感情を押し殺して表面的にうまくやる努力などよりも、悪く思わない努力(心から許し愛する努力)が必要なのです。

被害者である自分を高い位置(正・善)に置き、加害者である相手を低い位置(誤・悪)に置いて上から目線で相手を許そうとしても、責める気持ちがなくなるわけがなく、「我慢」にしかなりません。それは相手に対するシンパシー(同情・共感=愛)ではなく、嫌悪・非難・侮蔑を無理やり押さえつけているだけなのです。

自分を嫌って懐かない連れ子2人を含め、4人も成人まで育てるってきっとすごく大変なことだと思います。それも仕事で毎日嫌なことを我慢しながら(あなたにできますか?)。

もちろん幼かったあなたが母の再婚相手である継父に懐けなかったこと・実子に嫉妬してしまったことは無理のないことだと思いますし、継父があなたに対して実子に対するよりも厳しく当たってしまったことも無理のないことだと思います。物事にはすべてそのように止むに止まれぬ事情というものがあるのであり、誰が悪いというわけではなく、お互い許し合う以外にないかと思います。

世界というのは一つ(ワンネス)であり、我々は分離意識を与えられることで自分と他人とは別の存在だと思い込み、愛憎劇を経験させてもらっているだけなのです。あなたの継父もあなた自身の一部なのであり、また鏡でもあるのです。僕らはすぐ他人の非を責めて「自分だったらそんなことはしない」と短絡的に考えてしまいがちですが、僕らの魂は同一・同源であり、同じ時代に同じ環境で同じ遺伝子で生まれ同じ経験をしたら同じことをしてしまうのです。

だから本当に相手と同じ目線に立って考えるということは、想像力をフルに使って相手のことを自分の過去生や未来生として考えるということであり(実際、僕らは自分がしてきたことを逆の立場で経験させられます)あなたが継父のことを自分の過去や未来の自分自身のように、まるで実子に対するように、大いなる愛を持って許すということです。相手は自分自身の鏡なのですから、相手と目線を同じにして自分自身のこととして考えられるようにならなければ、本当の意味で「許し」は成立しないのです。

人間の歪んだ思考や行動というのは、すべからく心の傷が原因であり、自己防衛によりもたらされるものです。あなたは継父から受けた心の傷の深さ・恨み・嫌悪感から、まだ継父の経験と心の傷を深く知って理解し、心の底から同情して許し、ありのままを愛そうとするところにまでは至っていないのでしょう。あなたのご質問内容は全体を通じて継父を嫌うご自分を正当化しているように感じられます。

ですからあなたのやるべきことは「話し合うこと」ではなく「相手の話をよく聞くこと」です。相手の話に対して、良い悪い・正しい間違っている・面白い面白くないなど、あらゆるジャッジをせず、「同情・共感し、経験を共有すること」を目的として、決して否定せず「肯定的に」話を聞くことです。

「肯定的に」というのは相手の意見にこちらが従うことではなく「あなたはそういう経験をして、そういう気持ち・そういう考え方になったのですね。私と考え方は違いますが、気持ちはよくわかります」という感じで、ありのままを受け入れ、相手の気持ちにそっと寄り添うことです。

あなただって自分の話を聞いて気持ちを理解しようとしない人からでは、何を言われても心が反発してしまって聞き入れる気がしないでしょう。それはみんな同じなのです。まず何かを伝えるよりも、相手の話をよく聞いて気持ちを理解し、心から同情することを目指して下さい。そうすれば相手は自尊心が上がり、こちらから直接何かを教えなくても、相手は自分の課題に気づいて自分で乗り越えて行く力を得るのです。だから人間というのはわかりあえた時点で、もう問題が解決されているに等しいのです。

決して「ああ、だから親父はこんなダメな人間になったのだ(自分は正しい=価値がある)」などという己を高みに置きつつ己の被害者意識を正当化するための理由探しをするのではなく、自分の過去生の記憶を蘇らせるように、かつての自分自身の話だと思って話を聞き、例え心の中であっても決して相手を否定したりせず、心からの同情・共感に努めて下さい。あなたが察している通り、きっとその継父には計り知れない心の傷があるのだと思います。

「許し」というものは、創造主より人間に与えられた最大の権限移譲であり、逆に相手を責めるのは最大の越権行為なのです。あなたが許した罪が大きければ大きいほど、あなたは自分自身が知らず知らず犯してきた罪(今生だけではない)を許せるようになり、成長し幸せに導かれていくのです。

もちろん人間というのは何か実害を被れば被害者意識に陥ってしまい、相手を簡単に許すことができないのは誰にとっても初期設定であって当り前のことです。だから僕はあなたにひどいことをしてきた継父を許せないあなたを責めているのではありません。でもいつかそれを乗り越えて自分に害を成した相手を許し愛せるようにならない限り、成長・幸せというのはあり得ないのです。

人生というのはあなたをプレイヤー(主人公)とする仮想現実RPGです。ネットゲームを想像すればわかるかと思いますが、あなたが出会う人はすべて本人そのものではなく、あなたのパーソナルコンピューターの中のゲーム(認識世界・夢)に、ネットを通じてやってきているコピーAIのようなものなのです。それは本人の意思で動いているように思われますが、本当は見えない糸でクリエイターによりあなたの人生の設定・シナリオに沿って動かされているのです。あなたが愛(許し)とは何かを経験的に知り、それを表現するために。人生というのは「許せない」を素材にした「許し(愛)」を表現するための芸術なのです。

この人生というRPGにおいて、プレイヤー(主人公)であるあなたはNPC(自分以外のノンプレイキャラクター)を直接的に変えることはできない設定・シナリオになっています。あなたはゲームで出会ったNPCが自分に対して何か嫌な事をしてきたからといって、その相手(NPC)に対して本気で怒ったり嫌ったりしますか?そんな愚かな人はあまりいないでしょう。プレイヤー(主人公)である自分とそのキャラクターとの出会い・絡みはあくまでシナリオに沿ったものであり、クリエイターの「プレイヤーに自己成長を楽しませたい」という愛情により与えられた、乗り越えるべき課題なのだと誰でもわかりますからね。

バイオハザードでゾンビが出てくるのはプレイヤーが悪いからではありません。ゾンビやゾンビウイルスを作ったアンブレラ社やゲームそのものを作ったカプコンを恨んでもゲームは進みません。結局、己に与えられた目の前の課題(カルマ)を一つ一つクリアして成長してクリアを目指す以外にないのです。それは人生というRPGでも全く同じだということです。

「自分が出会うすべての人・出来事は自分の成長のために与えられた課題である」それが人生というRPGでも全く同じということには人はなかなか気づけず、「課題を解決(成長)すべきは相手(NPCやクリエイター)である」と考えて愚痴を言い(僕も気を付けていてもすぐそうなります)、結局は何も解決されずに「理不尽だ」と、己の不幸を誰かのせいにして恨んでしまうものです。

しかし運命への呪いに書いた通り、それはゲームクリアに向けた成長のベクトルとは真逆(被害者意識・自己正当化・怠惰・臆病・逃避)であり、クリエイターの愛に反した思考なので、そのままでは人生というRPGは進まず行き詰まるか事故るかしかなくなり、必ず不幸に導かれる定め(設定・ルール)なのです。

人生というRPGはすべてプレイヤー(主人公)次第にプログラムされているのですが、何でも思い通りになったらゲームは成立しませんので、基本的には思い通りにならないように作られているのです。だから自分の思い通りにならないのは当たり前であり、プレイヤー(主人公)である自分とNPCである他人とを比べたりして、NPCやクリエイターが用意したゲームの設定・シナリオに「理不尽だ」と文句をつけるのはナンセンスなのです。

そしてそのナンセンスさは人間に初期設定された無明(愚かさ)であり、無明(愚かさ)がないと成長のシナリオは描けないのです。その無明(愚かさ)を乗り越えてすべての存在を許し・感謝し・尊敬し・愛せるように自己成長していくこと以外に考えなくなるようになることが覚りの過程において必須の要素であり、人類のマニフェスト・デステニー(明白なる使命・シナリオ)なのです。

僕らが自分にとって嫌なことを言ったりやったりしてくる相手(NPC)に対して怒ってもゲームは進みません。クリエイターがどういう意図を持ってその人・その出来事と出会わせたのか、我々は愛で解釈しなくては課題が正確に見えてこないのです。あなたがどれだけ理不尽に感じることでも、きちんと理由(縁起・カルマ)があり、それはクリエイターから愛によって与えられた課題なのです。クリエイターのメッセージは、物語中のキャラクターや出来事を通じて伝えられるものです。だからどんな人・出来事との出会いも無碍にせず、クリエイターの真意を愛で解釈することが大事なのです。

わかりますか?あなたが継父(NPC)の解決すべき問題だと考えていることは、あなた個人にクリエイターから愛で与えられたメッセージであり課題なのです。そして問題は解決しなくていいに書いた通り、課題を乗り越えるということは、必ずしも無理に問題を解決することではなく、相手を許しありのままに愛することができればもはや問題は問題ではなくなっているのです。

あなたは継父を「正しさでしか自分の価値を表現できない自己肯定感が本当に低いまま生きてきた」と考えているようですが、それは非常に多くの人に当てはまることであり、あなた自身もきっとそうなのであって、相手側を自分に都合の良いように変えたいというのは愛ではなくエゴなのです。創造主は継父を鏡としてあなたにそれを気づかせようとしてくれているのでしょう。

エゴ(欲)とは何か?に書いた通り、正義というものはエゴであり、エゴは斥力(反発力)なので反発し合うのは必至で、あなたの正義を相手に押し付ければ押し付けるほどあなたの期待とは逆の結果になるのは目に見えています。まして「正しさ」を価値として生きているような相手に直接間違いを指摘したり正解を教えようとするのは、必ず相手のプライドを傷つけ反発を招く愚行なのです。

<メシア三原則>
1.指摘せず気づかせる
(相手のプライドを傷つけない。問題は自ら気づけば勝手に直る)
2.教えず覚らせる
(真理・愛は教えるのではなく実践して背中を見せて覚らせる)
3.自らの学びとする
(主人公は自分であり、出会った相手の問題は自分の課題)

とても忍耐の要ることですが、忍耐を伴わない愛は愛ではありません。

反省してはいけないに書いた通り、人というのは他人から間違いを指摘されて責められれば責められるほど自尊心が下がり、「どうぜ自分なんて・・・」と、行動の悪化に歯止めが効かなくなり、更に自尊心が下がるという悪循環を繰り返すものなのです。

あなたはまだ継父に対して、悪い所を指摘して反省と改善を求めることで救おうとしているようですが、それは逆効果にしかなりません。欠点や過ちは誰にでも例外なくあるもので、それを責めては相手も自分自身も決して自尊心が上がることはありません。

自尊心と他尊心というのは連動するものなのですが、人は往々にして自分の自尊心を保つために他人を責めたり蔑んだりして自尊心を下げようとしてしまいがちで、それが人間関係がうまくいかない根本的な原因なんですね。正義を主張し、間違っている相手を見下し、反省と改善を求めて責めることで自尊心を保とうとしてしまうのです。それもまた人間に与えられた無明(愚かさ)なのですが。

その無明(愚かさ)を乗り越え、ただ相手の自尊心を上げることだけ考えて実行して下さい。相手は自尊心さえ上がれば自ずと良い方向に導かれるものなのです。相手の自尊心を上げるには、心にもないお世辞をいったりこびへつらったりすることではなく、「心からの笑顔(許し・愛)で相手の存在を肯定すること」であり、前述したように「相手の話を肯定的・同情的に聞くこと」です。この2つはとても重要なので絶対に忘れず実行して下さい。相手を変えようとするのではなく、相手を深く理解して同情して許し、ありのままを愛することが救いなのです。

人生というのはまさにRPGであり、プレイヤー(主人公)はあなたなのです。しかしその継父の人生においては継父がプレイヤー(主人公)なのです。あなたがゲームをしている時に横で友人に逐一答えを教えられたらどう感じるでしょうか?きっと心が反発しますよね?そこは人生というRPGにおいてもまったく同じなのです。

あなたが自分の答えを教えたり押し付けたりして相手側を変えようとするのは、相手のゲームのコントローラーを奪う行為であり、相手から反発されるのは当然なのです。人は何でもあくまで自分の力でやって失敗もして試行錯誤しながらゲームを進めたい生き物なのですから、相手に答えを教えるのではなく、相手自身に考えさせ気づかせなければなりません。そうでなくては人生というRPGに存在価値はないのです。

人にはそれぞれプライドがあり、自分は正しいと考えています。まして嫌いな相手の言うことには逆らいたくなるのが人間の性であり、そこはあなたも同じだからわかるはずです。ですからあなたが正しいことを言えば言うほど相手から嫌われてその正しさから遠ざけてしまうことになるのです。

だから決して相手の側を変えようとしてはいけないのです。上から何かを教えることで相手を救おうとするのではなく、話を聞くこと・実践を通じて背中を見せることで相手に自ら覚らせることを大事にして下さい。

人生は自分を主人公とするRPGであり、すべからく自分次第に創られています。あなた自身が変われば、自ずと相手も変わるのです。自分が認識している相手は自分のゲームのNPC(コピーAI)なのですから当然です。

憑依現象(霊障)についてに書いた通り、人間には複数の意思が存在しているのであり、あなたの継父はあなたに対して罪悪感を感じている意識がきっとあるはずです。その意識では「何であんなことをしてしまったのだろう」と後悔していることでしょう。でも罪悪感が強く「許されるはずがない」と考えているからこそ、あなたへの接し方を自らを改めるということができず、意地になって悪役を続けてしまっているのだと思います(あなたにも経験ありませんか?)。もしあなたが継父に対して許し・愛を態度で示すなら、きっとその継父も自分の愛に素直になって自らを改められるに違いありません。

でも決して結果を期待せず、ただただ与えられた経験と自分のする行為を愛して下さい。つまり継父の人生を深く知り同情し愛すること自体を目的化して愛して下さい。ただ継父に奉仕して態度で許し・愛を示して下さい。「父親を救いたい」と思うこと自体は素晴らしいことです。しかし「救われる」という結果を期待するということは、すべてを与えし創造主に対して見返りを求めることなのです。これをしたからあれをして下さいというように。

真理に適った思考・行動は期待せずとも(期待しないからこそ)自ずと良い結果がついてきます。それを信じる事が創造主たる神を信じるということです。

相手に何かを話す(教える)ことで、相手を自分の都合の良いように変えようとしないで下さいね。それは傲慢であり、クリエイターの愛に反するのです。

あなたが今現在嫌っている継父は、あなたの解釈(世界観・人生観)が創り出す認識世界においてあなたにとって好ましくない人なのであり、妹さんや弟さんの認識世界では別人であって、そこではきっと本当に良き父親なのでしょう。それなのに彼らが父親の悪い所が見えていないとか騙されていて哀れだなどと考えるのはあなたのエゴであり、人間観・世界観の押し付けであり、余計なお世話であり、やってはいけないことなのです(カルマを深めます)。

それとあなたの母親と継父の関係は長年連れ添った男女間の話であり、他人には知り得ない愛憎の入り混じった複雑な感情があるのは当然で、あなたに愚痴を言ってはいても、あなたと同じように継父を見ているわけではないと思います。

あなたは誰かが言っていた悪口を(「私はあなたの味方だから」と親切を装いつつ)わざわざその相手本人に伝えてしまう「人間関係クラッシャー」に会ったことはありませんか?あなたの今までの考え方だとそれと同じ愚行をしかねない感じがするので、どうぞご注意下さい。

もしあなたが継父を許し愛することができれば、継父の人生も夫婦仲も勝手に改善されることでしょう。本当です。あなたがいる世界はすべてがあなた次第の認識世界なのですから。一か月でもやってみればわかります。人「間」というのは関係性によって創られるものなのだと如実にわかることでしょう。そしてここまで僕が書いてきたことがあらゆる人間関係に通じる真理であることに気づかれることでしょう(他の人にも同じようにして下さい)。

自分に都合の良いものなら赤ん坊でも愛せます。それがエゴなのです。真に大人になるということは、自分に都合の悪いものも「自分の成長に必要だから与えられた課題なのだ」と愛し感謝しながら受け取って、乗り越えていけるようになることなのです。

簡単に許せる人を許し、簡単に愛せる人を愛しても価値はありません。許し難い人を許し、愛し難い人を愛せることに価値があるのであり、もしそれができたあなたは、きっとより自分を許して愛することができ、より大きな幸せを感じることができるようになることでしょう。

それでは、あなたとご家族の幸せを心より祈っています。

世界の救い方

【質問】 30代前半・女性 ペンネーム:Tipoo       職業:ピアノ・絵画講師 、アーティスト、フリースクールスタッフ              アヤワスカチャレンジャー 真也さん、こんにちは。 エゴによる悩み苦しみはかなり訂正されてきたんですが、今1つだけ願いがありま...