2024年8月30日金曜日

(再々質問)家族の統合失調症

【質問】20代男性 ペンネーム:まほ

元質問はこちら
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こんにちは。私もお金のない時代が来ればいいなと思っています。理由としてはバイトや就職の面接に全部落ちてしまったことです。睡眠時間も毎日長く、朝寝て夜起きるような昼夜逆転した生活を送ってしまいます。せっかく大学を出たにも関わらず、家に引きこもってパソコンをする時間が長いです。在宅で稼げる能力も何もありませんが、とりあえず本を読んだりして色々勉強してはいます。

お金のない時代が今後20年以内に来ると確定するために人の価値観を変えていきたいのですが、誰もそんな未来を信じてくれませんし、神仏を信じてもらうのも難しいです。

薬を使わずに精神病を治すには、他人が喜ぶことをする、許す、マッサージする、頼まれたことをする、一緒に行動する、マントラを聞かせる以外あるのでしょうか?

※質問文は読みやすくするためにこちらでかなり修正しています。

【回答】
あなたは精神科に通院歴があるわけですから、ご自身が精神病であること自体は自覚されているのですよね?病気の程度にもよりますけども、例えどんな学歴でどんな能力があっても、精神を病んでいたら仕事の面接で落ちるのはごく当たり前のことです。世の中に大卒なんて腐るほどいますし、業務への多大な支障が目に見えていますから、雇用前から精神を病んでいる人をわざわざ雇う理由がありません。世の殆どの仕事は、勉強ができるかどうかなどより、まともに話が通じてちゃんと働いてくれるかどうかの方がずっと大事なのです。あなたはあくまで病気のせいで面接に落ちているのであって、落ち込む必要はないですから、今はとにかく無理をしないことです。

あなたの質問文は今回もこちらでかなり修正させていただいていますが、毎回文章としておかしなところがいくつもあり、大変失礼ながらとても大卒の方の文章とは思えず、あなたの現在の状態はかなり悪いと思われます。だからあなたの姉のことは一旦お医者さんに任せて、あなたも精神科に行って診断書を書いて貰って、とりあえず生活保護を受けた方が良いかと思います。母子家庭で成人している子供が二人とも病んでいたらお母さんの負担も大変でしょうし、お母さんまで病んでしまいかねません(既に病んでいるかも知れません)。そうなったらあなたはヒキニートどころではなくなり、一家共々、より破滅的な状況に陥ってしまうでしょう。

そしてあなたは少し病気が良くなったら何かボランティアでもして、人に無償で奉仕し、人に喜ばれる経験を積んで下さい。利益を上げなければならない仕事では、どうしても上司・同僚とお客さんの双方からキツく当たられることが多くなり、元々ミスが多くてしかも精神が病んでいる状態では厳しいでしょうから、避けるべきです。

あなたは今までの僕からの回答に対して、その内容をほぼスルーして再質問をされているので、僕が今のあなたに何かを言っても正直全く伝わりそうな手ごたえがありません。再質問の前には必ず「前回の回答の感想」と「どう実践につなげているか」を教えて下さい。厳しいようですが、もしあなたが僕の話を聞いて受け入れる気も実践する気もないのなら、再質問にお答えする意味がありません。あなたのご相談の内容も、どこまでを事実として言葉通りに受け取っていいのかわからなくなっています。

>>お金のない時代が今後20年後に来ると確定するために人の価値観を変えていきたいのですが、誰もそんな未来を信じてくれませんし、神仏を信じてもらうのも難しいです。

僕も鬱の頃も睡眠障害があってまともに働けなかったので、あなたのお気持ちはよくよくわかるのですが、人の価値観を変えるというのは、まず自分の価値観が変わっているのが大前提であり、あなたはまだ霊障に犯されてエゴに埋没している状態なのですから、他人に新しい価値観を背中で語れるような状態にはないと思います。悪いのは霊障であってあなたではないので落ち込まなくて良いですから、自分の自尊心を守るというエゴのために、自分でもできてないことを他人を指導しようなんて考えないで下さい。それは傲慢であり、絶対反発を受けてうまく行かずにあなたが余計に落ち込むようになるのが目に見えています。

そもそも僕が言っている「お金の要らない時代」というのは、人と人とが無償で助け合って愛し合う時代のことです。その実現のために僕は全財産を放棄して修行生活に入ったのであり、お金を目的に働かず、愛によって人のために無償で尽くしているのです。この質問箱もnoteもその一環であり、愛によって完全無償でやっています。

僕は今のあなたのように単に「働きたくない(働けない)」というエゴを動機としてお金のない時代を目指しているのではありません。そのようにエゴが動機なのでは、人と人とが無償で助け合う愛を連鎖させる運動がうまくいくわけありません。ただでさえ資本主義・物質主義(無神論)に支配された今の世の中では受け入れられるのが難しい価値観なのに、まして今あなたは誰が見ても病んでいるとわかるような状態なのですから、誰からも聞く耳を持たれないのは当たり前のことです。余計に精神がおかしくなっていると思われるだけなので、今やるべきことではありません。それはあなたが愛(感謝・信心)に目覚めて病気をのりこえてからやるべきことであり、まだ先の話です。

そんなことよりもあなたはまずは日々霊障(エゴの穢れ)を清めて行くべきかと思います。それは前回の回答にも書いていますが、とりあえず世界救世教か真光か靈氣で手かざし浄霊を受けてみて下さい。入信する必要はありません。最初は効果が感じられなくても、暫く通って見て下さい。できるだけ毎日。あなたは精神病によって自己成長しようという気力さえない状態にあるのですから、まずはその状態から脱する必要があると思います。

あなたは神仏を信じ、他の人にも信心を勧めているようにおっしゃっていますが、あなたが具体的にどのような神仏をどのように信じ、どのように奉仕・修行しているか全く書いていないので、こちらからはあなたの信心のほどが全くわからず、どうしても口先だけの信心のように感じてしまいます。それというのは単に何かの本やネットでかじった程度の知識なのではないでしょうか?もし本当に心からの信心があって愛と感謝に生き、日々それを形に表している人が、何の加護も導きも受けれないということはありえないと思います。まず自分自身に心からの信心がないのに、他人に神仏を信じてもらおうなどと考えること自体がナンセンスです。

もしあなたが本当に神仏を心から信じる気があるのなら、どこかのお寺にでも頼んで修行生活に入らせてもらうのも良いかと思います。その不規則な生活も否応なく改善されるでしょう。あなたやご家族の霊的な問題も解決に導かれるかも知れません。

病んでいる今のあなたに自力での修業はおすすめできませんが、少し病状が落ち着いたら、とりあえず六波羅蜜を実践してみて下さい。そしてお金の時代の終わらせ方に書いたように、僕の提案の新六波羅蜜を実践してみて下さい。否応なく愛に目覚めると思うので。

>>薬を使わずに精神病を治すには、他人が喜ぶことをする、許す、頼まれたことをする、一緒に行動する、マッサージする、マントラを聞かせる以外あるのでしょうか?

僕は「薬を使わずに精神病を治す方法」としてそのように提案をした覚えがありません。そのうちのいくつかは僕が「人との接し方のヒントにして下さい」という意味で言ったのです。そしてマッサージとかマントラとかに至ってはあなたに言った覚えがないです。

あなたは現在ご病気なのですから仕方がないとは思いますが、あなたの僕の話に対する理解の仕方が非常に短絡的であり、まるで「薬を使わずに精神病を治す方法」であると僕が言ったような前提で話をされるのは、こちらすれば不本意です。そしてあなたが僕の提案したことを何も実践せずにただサラッと箇条書きにして流し、その効果も全くわからないうちからその他の方法を聞くのは失礼だと思います。何より「心から感謝し、それを形にする(=愛)」という肝心の部分が抜けていては何をやろうと話になりません。あなたの行動にはその動機に愛が感じられず、単にあなたがヒキニートを続けるために、姉がまともに戻らないと困るという動機のようにしか感じられません。

それと「頼まれたことをする」「一緒に行動する」「マッサージする」「マントラを聞かせる」などというのは誰に対してですか?あなたはまだ自分のカルマと立ち向かおうとせず、そこから目を逸らそうと姉の病気の方を直接どうこうしようと考えているのでしょうか?

あなたの姉は明らかに重度の統合失調症であり、今病んでいるあなたの手に負える状態ではないのです。そしてあなたの母にも手に負えないのは明らかです。姉のことはどうかまずお医者さんに任せて、その指示を仰いで下さい。何度僕が言ってもあなたの認識は甘いようですが、これは姉の一生に関わる重大な問題であり、母やあなたや他の人が深刻な被害を受けないとも限りません。事態は緊急を要するのです。手遅れになる前に専門医を頼って下さい。

泳ぎ方がわからず溺れている人は、今溺れている人を助けられません。そのような無理な努力をして共倒れになってはいけません。姉のことはひとまず専門家に相談して、あなたは少しずつでもこの世界の泳ぎ方を実践から覚えていくべきです。

繰り返しますが、あくまであなたの人生の主人公はあなたであり、あなた自身が変わらない限り何も変わりませんし、逆にあなたが自分のカルマに立ち向かって乗り越えて行けば、周囲の人たちのカルマも自然と解消されていくのです。あなたがそこから逃げては話にならないのです。

どうしても伝わらないようなので今回は大分言い方が厳しくなってしまいましたが、ここまで無償で時間を割いて真剣にお応えしているのですから、どうか無駄にせずにちゃんと受け止めて下さいね。

2024年8月26日月曜日

(再質問)家族の統合失調症

元質問はこちら
「家族の統合失調症」
https://salvadorshinya.blogspot.com/2024/08/blog-post.html

【質問】20代男性 ペンネーム:まほ
私自身は高校・大学では部活には所属せず、大学を卒業をしてからの就労経験は単発のバイトを年に数回ほど経験したのみで、定職についたことはありません。精神的に鬱になった時もありましたが、鬱が治って平和になったと思った時に姉が実家に戻ってきました。実は3年程前も同じように私の鬱が治って平和になったと思った頃にいとこが来て、それから2年ほど私の家でヒキニートをしていました。その後いとこは自分の実家に戻ったのですが、姉ほど私に対して何か言ってくるようなタイプではなく、私と同じようにただひたすら部屋に引きこもっているだけだったので、姉よりはまだマシでした。

私は朝に寝て、夜までスマホやパソコンを見て一日終わるか、散歩をして本屋くらいに行くというような生活を数年しています。

私がくしゃみをすると姉がとても怒るのは、大きい音に対して敏感だからなのでしょうか?それともくしゃみになにかあるのでしょうか?

姉の行動で特に問題なのは、家が汚いと言われ物を捨てられることと、母の行動に対して反抗してくることです。姉は家の1階に姉が住んでいて、姉の部屋はとても物が散らかっていて、脱いだ服も脱ぎっぱなしであったりごちゃごちゃしているのですが、姉の部屋以外は猫のためにものを捨てられまくって困っています。最近は猫が2階にも多く来るようになったので、今度は2階も姉が猫のために勝手にものを捨てまくってしまうのではないかと母が恐れています。

以前姉は一人では外出できないと言うので私が一緒に外出したりしていましたが、猫が来てからは一人でも外出できています。だから姉の統合失調症はまだ入院が必要なレベルにまではなっていないと思いますが、言われた悪口や幻想のようなことや理不尽に家のものを壊されたりすることを聞くのは本当に忍耐の要る修行です。

姉を普通に戻すために自分のできることは何がありますでしょうか?例えば、マッサージ、自分の浄霊力を高めるためにマントラを聞く、神仏を学ぶ。自分の時間を姉のためにできることに向けていきます。

※質問文は読みやすいようにこちらでかなり修正しています。

【回答】
ええとですね、あなた自身がかなり病んでいるようなので仕方のないことなのですけども、やはり前回僕が伝えようとしたことがほとんど伝わってないみたいです😅

夢の中でそれが夢だと自覚することは困難ですし、それが夢だと気づいてさえも、起きている時の意識を思い出すことさえできません。起きている時の意識に戻れるのは、目が覚めた後です。同じように、現在病んでいるあなたは、病んでいない時の思考を思い出すことさえできなくなっているのです。

あなたが現在も病んでいるということに劣等感や罪悪感を感じる必要はありません。まずは自分を許し愛し受け入れるところからです。すべては必然であり、なるべくしてなっているのですから、誰も責める必要はありません。それでも自分が何とかしなければどうにもならないのです。

夢の中で出会った人を変えようとして何か変わるでしょうか?この世界もあなたが見ている夢の如きものであり、変わるならまず自分自身からということです。姉の問題を直接的に解決しようとするよりも、まずあなたのカルマを解消することに主眼を置いて下さいってことです。

>>私自身は高校・大学では部活には所属せず、大学を卒業をしてからの就労経験は単発のバイトを年に数回ほど経験したのみで、定職についたことはありません。精神的に鬱になった時もありましたが、鬱が治って平和になったと思った時に姉が実家に戻ってきました。実は3年程前も同じように私の鬱が治って平和になったと思った頃にいとこが来て、それから2年ほど私の家でヒキニートをしていました。

ですからね、あなたが自分の人生を前に進めようとしないでひきこもろうとするから、そういう出来事がケツを叩くように必然的にどんどん悪化しながら起きているのだとわかりませんか?あなたがそのいとこの姿を見てもまだ自分のカルマと立ち向かおうとしないから、姉が統合失調症になってやってきたのでしょう。僕は「あなたが出会う人のカルマは、あなたのカルマの鏡であり、自分のカルマを乗り越えれば、出会った人のカルマも自然と解消される」と伝えたのですが、あなたはまだそれを受け入れる気がなく、理解することを拒絶し、まだ姉の問題を直接解決しようとしているのです。それではうまく行くわけがないのです。

あなたは「鬱が治った」と書いていますが、それはただ「(一時的に)気分が良くなった」ぐらいの意味であり、治ってはいないと思います。鬱というのは霊障が原因であり、霊障というのは成長のために与えられている課題なのですから、成長を拒否してヒキニート生活を続けながら霊障が解決するわけがないのです。

>>私は朝に寝て、夜までスマホやパソコンを見て一日終わるか、散歩をして本屋くらいに行くというような生活を数年しています。

なぜそこを何とかしようとは考えないのでしょうか?そんな生活を一生続けられると思いますか?成長を拒否して幸せにはなれないということがなぜわかっていただけないのでしょう?

>>私がくしゃみをすると姉がとても怒るのは、大きい音に対して敏感だからなのでしょうか?それともくしゃみになにかあるのでしょうか?

音に敏感になるのは既にお伝えした通りであり、統合失調症の症状の原因や対応を僕が全部解説するわけにはいかないので、調べてみて下さいね。くしゃみはゲップやおならと同じで生理現象です。くしゃみにもし何かスピリチュアル的な意味があったとして、あなたがそれを知ったとして、くしゃみをやめることができるのでしょうか?極力音を抑えるぐらいしかできることはないでしょう。

>>姉は一人では外出できないと言うので、以前は私が一緒に外出したりしていましたが、猫が来てからはたまに一人でも外出できています。だから姉の統合失調症はまだ入院が必要なレベルにまではなっていないと思いますが、言われた悪口や幻想のようなことや理不尽に家のものを壊されたりすることを聞くのは本当に忍耐の要る修行です。

それだけ被害があるのなら最低でも通院が必要なレベルであることは確実で、入院が必要かどうかはあなたが判断すべきことではなく、担当医が判断すべきことです。全く知識もないのに勝手な判断をしないで下さい。これはあなたの姉の一生に関わることであり、緊急性を認識して下さい。もし先日のように刃物を向けた勢いで人を殺したり自殺したりしたらどうするんですか?そして通院の際は必ずあなたも母も姉と一緒について行って、統合失調症患者とどう接すればいいのかを担当医から学んで下さい。

>>姉を普通に戻すために自分のできることは何がありますでしょうか?例えば、マッサージ、自分の浄霊力を高めるためにマントラを聞く、神仏を学ぶ。自分の時間を姉のためにできることに向けていきます。

姉を普通に戻すためではなく、あなた自身のカルマを解消するために、自分に縁がある宗教施設(寺・神社・教会など)に通って、自分の犯して来た罪に許しを請い、そして姉だけでなくみんなの幸せを祈ってみて下さい。そして世界救世教や真光や靈氣などに行って無料で浄霊・お清め・靈氣を受けてみることをお勧めします。そしてあなたが姉に浄霊・お清め・靈氣ができるようになれば良いかと思います。神仏について学んで心からの信心を持つことは大事ですし、心を込めてマントラを唱えるなどの宗教行為によって良い方向に導かれることはきっとあるでしょう。

ただしそれがあなたの「自分のカルマから目を逸らしたい」という思いが主目的なのであれば、きっと何をしてもうまくは行かないでしょう。そのようにあなたが心からの感謝・信心を持つことなくご利益だけ期待して小手先で宗教行為をしたところで、神仏はきっとあなたの期待には応えないと思います。繰り返しますが、あなたの姉のカルマはあなたのカルマの鏡だということを認識して立ち向かって下さいね。ボランティアでもして、自分の時間をもっとみんなの役に立つことに使って下さい。

あなたは僕の言うことが頭で理解できないのではなく、心が理解することを拒否しているのです。理解したら己のカルマに立ち向かわざるを得なくなるから無意識に逃げているのです。逃げたくなる気持ちはよくわかりますが、そのように逃げ続ける限りあなたが幸せになることはあり得ません。あなたは20代でもう幸せを諦めているのでしょうか?僕はあなたの幸せを真に祈るがゆえに、厳しく言わざるを得ません。いい加減目を覚まして下さい。


自分と他人の愛し方

【質問】年齢不詳・男性
こんばんは。いつもnote拝見させていただいてます。ありがとうございます🙇‍♂️
自分と他人の愛し方がわかりません。愛とはなんでしょうか??

【回答】2024年10月23日更新
noteを読んでいただいてありがとうございます。

え~と、「愛とは何か?」っていうことはnoteや質問箱において再三回答させていただいているのですが、やはりなかなか伝わらないようですね。人生は「愛とは何か?」の自己表現のためにあるようなものであり、それは自らが経験を通じて覚るべきことで、直接的に他人から教わるようなことではなく、言葉では伝わらないのがきっと普通なのでしょう。
エゴ(欲)とは何か?
罪と恥の存在意義

愛の条件を外すには?
もしこの3つを読んでいただいてもわからないということであれば、きっとあなたの魂はまだ若く「自分も他人も愛せない」という苦しみが必要な段階にあるということなのだと思います。人間(人生)というのはそのようにプログラムされているので、実は世の中というのは基本的にそういう人ばかりであり、決してあなただけではないですし、あなたが悪いわけではないので落ち込まないで下さいね。

愛(真理)というのはそのようにエゴという無明の闇(課題・愚かさ)に隠されていて見つけ難いものだからこそ、人生は経験する価値があるのです。もし愛(真理)が苦しみもなく簡単に見つかるものだったら、成長努力は必要なく、見つけた時の喜びもなく、人生に価値はなくなります。

しかしそれで話を終わらせては、わざわざ質問して下さったあなたに対して不親切過ぎる(愛がない)ので、過去記事と内容が被りながらも、あなたが自分も他人も愛せるように、よりわかりやすく深堀りしてご説明差し上げたいと思います。

まず、多くの人は「愛」という概念に対して「恋愛」や「家族愛」などに限定されたイメージを持っていて、「好き」の強意の意味合いでしか考えておらず、愛という言葉を「めっちゃ嫌い」の反対の「めっちゃ好き」ぐらいの意味で使っています。相手が自分にとって好ましい存在で、何の努力をしなくても好きな気持ちが勝手に心の底から湧き上がってきて、好きで好きでどうしようもなくなってしまうような情熱的な気持ちを愛だと思っているのですね。究極的に言うと陰陽二元のこの世界の陽だけを愛して陰を嫌い、世界全体が創造主より愛で与えられていることに気づかず感謝していない、という感じです。

しかしそのような「無意識に対象を自分に都合の良いように捉え、都合の良い存在だけ愛そうとする(それ以外は愛さず嫌っても平気)」という意識は愛ではなくエゴなのです。そんな「エゴの愛」は成長努力を必要としないものであり、赤ん坊でもどんな悪人でも持っています。その「エゴの愛」こそが人間というアバターに初期設定として与えられた無明(課題・愚かさ)の根幹なのであり、それがなければ人生は成長の物語には成り得えないのです。

エゴとは人間に根源的に与えられた分離意識・自己保存欲求であり、これがないと「他者」と関わることができず、人生という物語は成立しないのです。そのエゴを良いとか悪いとか考えるのもまた人間のエゴによる解釈であり、エゴというのは人間にとってなくそうと思ってもなくせるものではないのです。だからエゴを嫌えば自分も他人もみんな嫌うことになってしまいます。

しかし「エゴはなくせないし、みんながエゴのままに生きているのだから、自分もエゴのまま我利我利に生きてOK」というのでは成長はあり得ないのです。愛というのはエゴという成長課題を乗り越えなければ辿り着かないように創られているからです。

人間はエゴのまま自分だけに都合よく(我利だけで)生きようとすると、深い部分で自分を嫌いになってしまうようにできています。それが鬱の根本的な原因であり、鬱になると自尊心を病んでますますエゴに埋没し(その自覚もなく)、ますます自分を嫌いになって自尊心を病む悪循環にハマるのです。世界は本当は一つ(ワンネス)なのですから、自分という個体にだけ利益になるように思考・行動すれば、必ず自分を嫌いになって不幸になるように創られているのは当たり前の話なのです。だから人間の脳は得をしても損をしてもダメージを受けるようにできています。損得勘定で生きれば不幸は必然だということです。しかし脳は得をした時に快楽物質が出てそのダメージに気づけないように創られているのです。

今の資本主義の世の中では損得勘定で我利のために生きることが肯定(むしろ推奨)されていますから、必然的に我利ばかり求めて愛を失う「エゴジャンキー」だらけになっています。そしてみんな思春期に失われた自尊心を回復するために富や名声や権力や正義を得てそれをアピールすることに必死になり、それでも自尊心が満たされず深い部分で自分も人生も嫌いになって鬱になっているわけです。しかしこのディストピアな舞台設定がなければ人生は成長の物語として成立しないのです。

人間には「世界を好き嫌いで二分することによって、それをしている主体者である自分(個性・アイデンティティー)を認識しようとする本能」があり、無意識に対象を何でも好き嫌いで判断してしまうようにできています。そしてこの世界は自分という個体(アバター)にとって都合の悪いものに溢れているのですから、すべての存在をエゴによって「めっちゃ好き」という感じで愛そうと思っても無理があり、逆にどうしても愛せないものだらけの人生が嫌になってしまうのは当たり前のことです。そして人間というのは例外なく欠点があり過ちを犯す存在なのですから、そのような「エゴの愛」によっては自分も他人も愛せなくなるのは当然なのです。特に自分自身については他人からは見えないような欠点や過ちも全部自分で知っているわけですから、自分というのは最も愛するのが困難な存在だと言えるでしょう。

だから自分に都合の良いものだけを愛そうとすると、いつかは自分自身さえも自分にとって都合が悪い存在だと認識するようになり、自分を消し去りたい=死にたいなどと考えてしまうようになるのが必然なのです。どれだけ富や名声や権力を得ようと、自分を嫌いな人生というのは地獄であり、幸せなはずがないのです。


本当の愛というのは「慈愛」のことであり、思いやりの心なのです。それは欠点や過ちに対する「許し」がなくては存在し得ません。「許せないけど愛してる」「許してるけど愛せない」というのは本来的にあり得ないことなのです。愛せないというのは、心の底で許し(和解)が成立していないということであり、自分も他人も心の底では許せていないのに愛そうとするから無理が生じるのです。それは許せない感情を無理やり抑え込んで「我慢」しているだけであり、それよって一時しのぎはできても、許せない気持ちがどんどんマグマのように蓄積していって、いつかは爆発することが必然なのです。

だから誰かを許さず我慢して愛そうと努力するのは無駄な努力であり、不幸のフラグみたいなものです。すべての人間関係の問題の原因はここにあると言って過言ではありません。逆に自分も他人も許すことができれば、すべての問題は自ずと解決するのです。

「許し」というのは苦しみを伴うものであり、それを乗り越える努力が必要なのです。そしてそれこそが魂の成長をもたらすのです。簡単に許せる人を許しても成長には繋がりませんし何の価値もありません。人生にはいつも自分がギリギリ許せる人との出会いが用意されているのです。それをすぐ「許せない」と判断するのは成長努力の放棄なのです。そのように成長を拒否する人というのは創造主の愛に反していますから、例え生まれつき容姿に恵まれていても顔に夜叉の如く剣が出てどんどん醜くなり、愛を失って孤独で不幸になっていきます。

だいたい不幸な人というのは、許すことを努力とは認識せず、感情を無理やり抑え込んで我慢することを努力だと勘違いし、そればっかりやっているのだと思います。それは「自分が相手のことを我慢してやっていれば(傲慢)相手はいつか自分にとって都合の良い存在になってくれるだろう(ならなかったら相手が悪いのだから見放せば良い)」という、自分に都合の良い結果(見返り)を求めた努力(エゴ)なのですから、ワンネス(愛)が本質の世界で報われないのは当然のことなのです。

「許し」というのは「自分は正しい(善)」「相手は間違っている(悪)」という感じの上から目線では成立しません。それこそ心の底では許さずにただ我慢しているだけということなのです。すべての魂は同源であり、出会う人はあなたと同一人物のようなものですから、相手のことを自分自身の過去世や未来世のように考えて、完全に同じ目線に立って相手を許すことです。自分の過ちにやむにやまれぬ事情があるように、相手の過ちにもやむにやまれぬ事情というものがあるのですから、許す以外にないのです。答えはいつでも「誰も何も悪くない(許す)」であり、「でも自分が何とかしないとどうにもならない」です。バイオハザードで自分やゾンビやアンブレラ社やカプコンを責めてもゲームが進まないのと同じです。

「人を例外なく許し愛する」と言っても、実際に出会ってもない凶悪な犯罪者や価値観の違う時代の歴史上の人物などを許せるかどうかを考える必要はありません。あなたとは別の宇宙の住民でカルマが遠いのですから。そういう実際に出会ってもいない「悪い人」が世の中にいる(らしい)ことを、自分が人を許せないことの言い訳に使わないで下さいね。どんどん世の中が嫌になって自分が不幸になるだけですから。あくまでも実際に出会った人ひとりひとりを許し愛せるようになっていけば良いのです。

慈愛というのは我々の心に最初は見えないほど小さなからし種のように与えられているものであり、人生を通じて自分で苦労しながら大事に育てないなら決して育つことはないのです。「許す」のが苦しいからといって「許す」という成長努力を放棄し、その場しのぎの我慢ばかりして内心はいつでも「許さない」という選択肢を常に保留したまま、己のエゴによってすべてを「めっちゃ好き」という意味で愛そうとしても、世の中が許せない存在ばかりで苦しくなり、自分も他人もみんな嫌いになってしまうのは当然のことです。人生は「許し=愛」を経験的に知るために存在しているのですから。

ただ「許し」というのは他人から何をされてもOKという意味ではありません。自分がされて本当に嫌なことを我慢するのは自分への愛の欠如であり、本当に嫌なことはきちんと嫌だと伝えてそれを未然に防ぎ、それでも嫌なことをされたら注意するのは自分への愛です(もちろんその際には相手を傷つけないように気を配る愛が大切ですが)。

それでも自分が過去にされた嫌なことについていつまでもその相手を許さないのでは、自分の人生が恨みに満たされて自分が不幸になってしまいます。だから過去については「許さない」という選択肢はないと思って下さい。その場では怒ってしまってすぐには許せない自分も許しつつ、常に「許そう」というベクトルで考えるということです。

被害者意識(=許さない意識)というのは恐ろしいもので「自分は被害者であり、相手のせいで自分は不幸である」と、自分が「不幸な存在」であることを自ら認めてクリエイターに宣言しているようなものであり、クリエイターは「自分とはどんな存在か」に合わせて物語を展開しますから、どんどん許せないようなことが起きて、自分がどんどん不幸な存在になってしまいます。相手がどれだけ悪く、自分がいかに善良であっても、被害者意識を持ったら不幸になるのは自分なのです。

運命への呪いにも書いていますが、被害者意識というのは成長拒否なので、成長のために与えられた人生において不幸に導かれるのが必然なのです。幽霊というのは被害者意識の成れの果てだからこそ「恨めしや~」と出て来るわけで、もしあなたが幸せになりたいのなら、人を許さないこと(=被害者意識)で、そんな幽霊みたいな存在になってはいけないのです。※鬱や統合失調症になると被害妄想が強くなるのは、そういう霊障の仕業なのです。

今の世の中では、みんな「エゴの愛(条件付きの愛)」しか知らないのが普通です。親というのは子供が生まれた時には無条件で愛しているものですが、子供の物心がつく頃には教育期間が始まっていて、特に日本の親は将来子供が困らないようにという愛情を建前に、子供が間違ったこと(親が気に入らないこと)をすれば叱り、正しいこと(親が気に入ること)をすれば褒めます。しかし子供は無条件に愛されていた頃の記憶がなく、家族の愛ですら条件付きのものだと本能レベルで学習してしまうのです。

そうして自分に都合の良いものだけ愛し、自分に都合の悪いものは愛さないという「エゴの愛(条件付きの愛)」が当たり前だと思ってしまい、また相手に気に入られなければ愛されないと思って、本当の自分を隠したり偽ったりしてでも人に気に入られようとすることを生きる術として身に着けてしまうんですね。そしてそれを大人になっても続けてしまい「ありのままの自分」が何なのかさえわからなくなってしまうのです。そしてただ職場や家庭での役割をこなすだけで「自分らしさ」を深く考えることからも逃げ、自信がないために個性が邪魔になるような仕事を選んで嫌なことの我慢代で駄賃を稼ぐ奴隷のようになり、自分も他人も世の中もみんな嫌になってしまうのです。そして許す=愛するという努力を放棄して慈愛の心を育てていないために、自分も他人もありのままに愛するということができなくなっているのです。それが今の世の中では普通(舞台設定)なのであり、そのカルマを断ち切るのが主人公であるあなたの使命です。

多くの人は周囲に気遣って嫌われないように(社会から排除されないように)自分のエゴを無理くり押さえつけて我慢しているので、「自分らしく生きよう」と考えると、突然自分のエゴを解放しようとするのですね。そしてアドラーの「嫌われる勇気」みたいな感じで、嫌われても平気なフリをして心に愛を失くし、本当に嫌われて不幸になっていくのです。人に嫌われる幸せなんてありはしないのに。「自分に正直に生きる」というのは「自分の中の愛に正直になる」ということであり、普段から愛を育てずエゴを抑圧しているだけだけだから、「自分の愛に正直になる」と言われても多くの人はどうしていいかイメージすらできないのでしょう。ただ自分もみんなも愛して(許し、尊敬し、感謝し)幸せになるように生きればいいだけなんですけどね。

また愛というのを自己犠牲的なものだと勘違いして、自分自身に対して愛がなく、相手の愛を見返りとして請い願うような卑屈な「エゴの愛」になっている人もまた多いです。全てを創造した創造主から見れば、人間が自分をいじめるのも他人をいじめるのも、右手が左手をいじめるようなもので同じことなんですけどね。

愛の対義語は憎悪ではなくエゴなのだということをあなた(人類)は知らなければなりません。本物の愛というのは本質的に無条件のものであり、もし何か条件があるのならそれは愛ではなくエゴなのです。そして本当の愛というのは相手を最も自由にするものであり、何かを強制・強要・束縛したりするのは愛ではなくエゴなのです。もしあなたの愛が相手の反発を受けるなら、それは愛ではなくエゴであるということの証明なのです。

自分のエゴによって愛していると思っていた人も、後になって実は自分にとって色々都合が悪いところがわかってきたり、時が経つうちに相手側がこちらの都合が悪いように変わってしまったりします(それも自分側のエゴによる解釈ですが)。それなのに「めっちゃ好き」という「エゴの愛」を持ち続けようとすれば、必然的に無理が生じるのです。それで相手の欠点や過ちを許して愛さず、我慢ができなくなったらそれを全部相手のせいにして「愛が冷めた」などと考え、創造主より与えられた運命の出会いから逃げ出すようなら、成長はありえず不幸に導かれるのは必然です。(特に今離婚しようとしている方はよくよく考えて下さいね)

与えられたものに感謝しない人に、もっと良いものを与えたいと思う人はいないでしょう。そこは我々の統合意識である創造主も同じなのです。だから欠点や過ちを理由にして相手や自分自身の存在に感謝しない・愛さない人間の人生は、既に与えられたものまではぎ取られ続け、失うことでその価値に気づかされるような悲惨な人生になるのは必然なのです。

自分だけではなくみんなにも与えらえれていると思うものには少しも感謝せず、誰しもが受け取って喜ぶもの・他人と比べて良いものが与えられないと喜ばない・感謝しないという人の感謝に何の価値があるでしょうか?そのような人間がどれだけ価値を与えられようと、他人に与えられたものと比べて価値が低いと思い不平不満を感じて愛さないでしょうし、与えられているものの価値には気づかず感謝しないことでしょう。そのような人にいくら与えようと際限がなく、ただ成長努力を放棄するようになるだけで逆効果です(だから与えません)。

あなたが欲しいと思うものは、何も言わなくても全知全能たる創造主はみんな知っています。それなのに創造主がそれを敢えて与えないのは、
1.まだシナリオの伏線の回収(課題の克服・カルマの解消)ができていないから
2.信心がなく、既に与えらえれているものへの感謝がないから
3.願望がエゴでしかなく、愛がないから
です。

創造主からあなたに与えられた最大価値はあなた自身なのであり、創造主の価値(存在意義)というのはあなたが自分(人生)に価値(存在意義)を感じられるかどうかに依存しているのです。与えられた自分(人生)というものの価値に気づかず、本当は借り物である自分をまるで自分のものだからいくらぞんざいに構わないかのように考えて大事に扱わず、自分の欠点や過ちを責めてイジメるのが趣味みたいになって「どうせ自分なんて」と成長を拒否していたら、鬱(不幸)に導かれるのは当然のことです。それでそこから成長する気がないまま人生を終えたら、文字通り人生は地獄だったということになり、せっかく創造主から成長を期待されて授けられた自分を自分で台無しにしてしまったことになります。

あなたがもし著名な演奏家で、ストラディバリウスのような何億円もする高価な楽器を貸与されていたら、それはそれは大事に扱うことでしょう。しかし「そのストラディバリウスをタダであげるから、明日臓器提供のために死んで欲しい」と言われてもきっと死なないでしょう。つまりあなたは今まで何億円もする楽器よりも遥かに価値がある「自分」を創造主から貸与されていながらその価値がわからず、まるで自分のものだからどのように扱っても構わないかのように考えて少しも大事に扱わず、また同じように他人の価値もわからないために大切に扱わずに平気で傷つけ、お互いに傷つけ合ってきたのではないでしょうか?わかっていると思いますが、これは体よりもむしろ心の話ですからね。

人生が与えられているということは「自分とはどんな存在か?」を知り、更新(成長)していける機会を与えられているということです。その人生において「自己受容」というのは最大かつ最難易度の課題であり、そこには死よりも辛い苦しみがあるのです。だから人が自殺する原因のほぼすべてがいわば「自己受容の拒絶」だとも言えるでしょう。

しかしその「ありのままの自分を受け入れる=許し愛する」という苦しみから逃れるために「理想の自分になろう」などと考えても、それは自己否定が動機なので成長することは難しいのです。人は愛してもいない自分自身のために成長努力をする意欲は湧かないものだからです。自分をイジメてばかりの人というのは、自分(人生)という創造主からの最高の贈り物を感謝で受け取っていないのですから、成長意欲が湧かず不幸に導かれるのは当然と言えるでしょう。

だから例えば「今の自分は太っていて醜い」などという自己否定から痩せて美しくなろうと努力する女性は、例えその努力によって痩せて多くの人から美しいと言われるようになったとしても、今太っている人を「努力不足だ」と否定し見下してイジめて優越感を味わうようになって人から嫌われ、また表面的な部分ばかり見て体を目的とした男しか寄って来ず、そのうち自らが加齢で美しさが損なわれることも受け入れられずに不幸になっていきます。そのように愛ではなく自己否定から始まる努力(表面的な価値に捉われた努力)というのは魂の成長とは逆行したものなので、せっかく頑張っても不幸に導かれるのが必然なのです。

これは富や権力なども同じことで、貧しく権力のない自分を否定し嫌うことを出発点としてお金持ち・権力者になりたいと努力するような人は、それを手に入れたらこれ見よがしに力を行使し見せびらかして羨ましがらせ、貧しく権力のない人を「努力不足だ」と否定して見下し、服従させて優越感を味わうこと(エゴの充足)を喜びとし、表面的には尊敬され慕われて羨ましがられているようでも、内心では嫌われ、深い部分では自分でも自分を嫌いになっていきます。それでは自分を自己利益のために利用しようと考えている人間しか寄って来ず、内心は嫌われていて愛されてはいないので、お金や権力を失ったら本当に誰もいなくなってしまいます。そしてそうなることを恐れて富や権力に執着し、孤独でみじめで不幸な人生を歩むことになってしまいます。

「自己成長」というは「魂の成長」であって、決して「能力を高めてよりお金を稼ぎ、より他人から評価されるようになること」だと誤解しないで下さいね。エゴのためにいくらお金を稼いで他者評価を得ようと、深い部分で自分を嫌いになり、周囲の人間からも嫌われて愛を失うだけです。

自己成長(魂の成長)というのは「自分も他人も許し、全てをありのままに愛せるようになること」であり、「自分も含めてみんなに対して愛を実践して示せるようになっていくこと」です。真理というのはワンネスであり、それは自分も他人もみんなを幸せにするものであって、ネガティブな覚りは全部間違いなのです。

「生まれつき能力が低くて何の才能もなく、容姿にも恵まれてないから自分を愛せない」などと考えるような人は、己の境遇を憐れんでそれを言い訳に怠惰に陥ってるだけです。それはRPGで「最初からレベル99で装備も揃ってないとゲームしたくない」というようなもので、すこぶるナンセンスなのです。どうか誰しもがそれぞれ自分の魂の成長にとってベストな人生が与えられてるのだと知って下さい。それはガチャのように偶然与えられるものではなく、難易度が高い人生というのはレベルの高い魂に与えられるのです。それは優秀な生徒にはより難しい課題が与えられるのと同じです。そして今現在の未熟で愚かな自分も愛しながら次々と与えられる困難を乗り越え、より素晴らしい自分へとレベルアップしていくことがこの人生というRPGのシナリオの要であり楽しみなのです。

問題を先延ばしにせず、成長を目指して今日一日を精一杯生きれば気持ちよく眠れて、次の日にはきっと昨日より成長した自分に出会えます。そうやって「成長していく存在としての自分」を愛するのです。そうすれば、過去の自分の欠点や過ちも「自分が成長を経験するために必要だった」と許し愛せるようになります。

自分がどんな存在かを知るには、他者と関わる必要があります。他人と紡ぐ物語がなければ、自分(主人公)がどんな存在かはわかりません。だからこそ人生という他人と関わる機会が与えられているのです。一人で家に引きこもっているようでは「自分とはどんな存在か?」などわかりようがありません。

ただ人と関わる上で、自分が主人公であるということだけは決して忘れないで下さい。自分をNPCである他人(他プレイヤー)と比較するのは意味がありません。舞台設定が近いというだけで、シナリオが違う別なゲームをしているんですから。ゲームの価値は自分がどれだけ楽しめたかであり、どれだけ他人よりレアアイテムをゲットしてハイスコアを出して先にクリアできたかではありません。

誰にとっても「一生の間全ての要素で誰が見ても世界一であり続ける」などということは不可能ですから、他者比較・他者評価に依存していれば劣等感に苛まれるようになるのは必然です。特に日本では他者比較・他者評価依存が当たり前になっていて、自分がそうなっている自覚さえない人が多いです。そして自分で自分を評価し愛する人を「独りよがりでいけ好かないナルシストのバカ」としか考えられず、無意識に嫉妬して攻撃してしまうんですね。そしてこのSNS全盛の時代、他人と自分を比較して劣等感と嫉妬に苛まれながら、一生懸命に他者評価を求めている人だらけなのです。

エヴェレット解釈の通り、世界は一人一宇宙なのであり、自分の認識世界は自分という主人公次第に創られているのです。ただそれは「行動の選択」ではなく「解釈の選択」が人生を作るということです。前述した通り、自分に起きる出来事は「自分はどんな存在か?」に対応して与えられているものです。自分自身と世界をネガティブに解釈している人は、何かを選ぶことで人生を良くしようと思っても、その選択肢は自分のネガティブな解釈で作り出した世界の中にあるのであり、何を選んでも悲惨な結果しか訪れません。そして自己効力感のなさに苦しみ、「どうせ自分なんて何をしても結局ダメな人間だ」などと落ち込んで、またそれを言い訳にして努力を怠るようになり、成長を拒否することでどんどん不幸に導かれてしまうのです。だからポジティブな自分観・世界観がとても重要なのです。

本当に価値があるものは、最終的にその価値を最もよく知り最も大切にする者の元に必ず辿り着くものなのです。優れた人物が必ず優れた師の元に辿り着くように。富や名声や権力など、この仮想現実における幻の如き価値に目を奪われて執着し、他人とそれらを奪い合い、自分と他人を比較して他者評価に依存し劣等感に苛まれ、手に入らないものを嘆き、それでも自分の自尊心を保つために誰かを責めて見下して人とぶつかり合ってばかりいるような人間の元に、愛という目には見えない本物の価値は辿り着かないということです。

どうかこの世界が創造主の100%の愛で創られていることを信じ、どんなに嫌な事・苦しい事・痛い事・辛い事・悲しい事も、成長のために(同情し合い・許し合い・補い合い・愛し合えるように)愛で与えられているものだと信じて下さい。そのようにポジティブに世界を解釈し、創造主の分身である自分にも他人にも愛を与えることができれば、どんな選択をしようと必ず幸せに導かれるのです。

誰でも自信満々になれる方法の冒頭に書いた通り、自分が嫌いなのに幸せという人もいなければ、自分が好きなのに不幸という人もいません。自分を好きでいられることが幸せであり、それが人生最大の価値なのです。

すべての魂は同源で、自分と他人は本来はイコールの存在であり、ありのままの自分を許し愛せなければ他人もありのままに許し愛せません。エゴ(分離意識・自己保存欲求・我利)を乗り越え、自分と他人の欠点や過ちを許して愛せるよう成長して行くなら、それは態度と行動に反映され、きっとみんなに愛されて幸せになることでしょう。あなたが人生を通じてエゴを乗り越えて愛を発揮するエピソードを積み重ね続けるなら、あなたはきっと自分も他人も揺るぎなく愛することができるようになるに違いありません。

自分を許し愛せるようになる最善の方法は、出会った人を一人ひとり許し愛していくことです。そうやって「自分(人生)大好き」というパズルを1ピース1ピース完成させていって下さい。決してエゴによって「この人がこうなれば(自分に都合よくなれば)愛せるのに」などと条件付きで人を愛さないで下さいね。相手を変えようとせず、ありのままに愛することが大事です。

あなたは人生というRPGの主人公であり、あなたが出会う人は全員、創造主があなたに何か大切なことに気づかせるためにあなたの元に派遣しているNPCなのです。それなのに「許せない」などと言って、NPCである相手の側を変えようとしても絶対に上手く行きません。その人・その言葉・その出来事との出会いによって、創造主があなたに何を覚らせようとしているかを愛で考えて下さい。

そして出会った人から何か嫌なことをされる度に「他にもっと愛せる人が現れるだろうし、別にこの人じゃなくてもいいや」などと考えないで下さい。それは目の前の人を全力で愛さないことに繋がり、結局は自分も全力で愛さることなく、必ず人生が不幸になります。すべての出会いを運命と信じ、人生という自分が主役の物語において常にベストなキャストが与えられていると信じて、常に目の前の人を全力で(自然に)愛を示して下さい。前述した通り、相手に反発されるようなものはエゴであって愛ではありませんからね。ただありのままを愛して下さい。お金で所有欲を満たそうとすれば限界がありますが、ただ相手をありのままに愛することができれば、その人はあなたの心の世界(仏国土)に写し取られ、全てあなたのものになったも同然なのです。

あなたも他人もみんな創造主とその分身たる神々のアバターなのであり、あなたは魂という「存在」を与えらえれ、そして肉体というアバターと共に人生という自分が主人公の貴重な経験機会を与えられている偉大な存在なのです。そしてあなたというアバターは自分の偉大さに目覚めたあなたの魂からの愛を一番に待っているのです。どこかの有名人や金持ちや権力者に価値があって自分には価値がないなどと考えないで下さいね。あなたというアバターは、あなたが価値がないと思って全力で愛さないから全力で働いていないだけなのに、あなたはそれを自分の実力だと思ってしまっているのです。

ただそのようにあなたが他者評価に依存し、自分と他人とを比較して劣等感と自己嫌悪に苛まれて自分を愛せないという経験も、成長の喜びを感じられるように愛で与えられた課題なのだと知って感謝して下さいね。そして自分に自信を持って、自分も他人も愛して幸せに生きて下さい。

創造主は言いました。「樹が鳥を愛するように人を愛しなさい」と。自分というものが存在して今を生きられていることに感謝し、天・地・人の恵みを感謝と共に受け取って豊かに成長して果実(愛・覚り)を実らせ、その実りをみんなに無償で分け与え、自分の元に集まる者たちが喜びに歌うのを我が喜びとし、決して己の自己正当化のために他人を批判・説教して傷つけたりせず、来る者拒まず・去る者追わずで、ただただ「存在」をありのままに愛することです。そして結果(見返り)を求めて被害者意識に陥らず、どんな運命も感謝と共に受け入れることです。そうすればあなたの愛(覚り)の種を鳥たちが運んで世界中に広がっていくことでしょう。そんなことができる自分をあなたが愛せないわけがなく、また愛されないわけもないのです。

それでは、あなたが自分も他人もありのままに愛せるようになって幸せになることを心から祈っています。

2024年8月20日火曜日

家族の統合失調症

【質問】20代男性 ペンネーム:まほ
現在、私は母・姉と家族三人で暮らしています。つい最近まで祖母も一緒だったのですが、パーキンソン病で身体が不自由なため今は入院中で、毎日母が祖母の病院に通いながら別の施設を探しています。私は生まれてからずっと実家暮らしです。そして大学卒業後から数年間一度も就職をせずに家に引きこもってニートをしています。

問題は現在30代前半の姉です。姉は20代から実家を離れて東京に住んでいたのですが、1年ほど前に連絡が途絶えました。それで警察に相談することも検討したのですが、2か月ほど前に突然実家に帰ってきました。失踪していた1年間は海外にいて日本に帰って来れなくなっていたと言い、状況をうまく説明してくれません。何かドリンクを飲んだ時に幻覚を見て怖い思いをしたそうです。

実家に帰ってきてからの姉は、すべての問題を自分以外のせい・家族のせいにしてきて、ちょっとしたことでもすぐ怒ってきます。話すことは妄想のようなことで、祖母を中国人だと言ったり(もちろん日本人です)、母や祖母に関して不可解なことをよく私に相談してきます。いつでも機嫌が悪いわけではなく、まだ暴力を受けたことは一度もないですが、大きい声で言い返したりすると更に大きい声で反発が来ます。

私は姉から何を言われても良いのですが、姉はいつも「自分の部屋に母が勝手に入った」と怒り、自分の住んでいる「家を燃やす」とか「毒を盛る」などの脅迫のような言葉を何度も言ってきます。これは悪霊が取りついているということなのでしょうか?姉はたまに目を瞑ったりすると目の前を通る霊が見えたりするそうです。私には見えません。これは創造主がわざと自分の人生の試練のためにこのような状況にしているのでしょうか?

姉は勝手に家の塗装や壁紙などあらゆるところを改装し、猫を飼うためにテーブルや机など様々な家具を捨てました。それに気づいた母はとても怒りましたが、それで姉が発狂してしまい、母に対してハサミを向けてきました。母は証拠を残すため私に録画するように言いましたが、姉は私のスマホを取り上げたのでできませんでした。それからも姉は私にラインで「家を燃やす」とか「母を殺す」などと脅してきます。

実家に帰って来たばかりの頃の姉は「一人で外に出れない」と言っていたのですが、2週間ほど前に猫を飼い始めてから買い物ぐらいはできるようになりました。そして姉はどうしようもなくネガティブで機嫌が悪いことが多いのですが、猫と遊んでいる時や、姉の話を肯定してあげた時や、家の改装などの手伝いをしてあげる時は少し機嫌が良くなります。

これはどのようにすればいいですか?お金がなくて引っ越すことはできません。

※質問文はこちらで読みやすいように修正させていただいています。

【回答】
ご質問ありがとうございます。私にもちょうど同じような姉がいて同じような経験をしているので、心中お察し致します。本当に大変ですよね。

僕は精神医療の有資格者ではないので断定まではできませんが、あなたの姉の症状から察するに、僕の姉と同じ「統合失調症」と見てほぼ間違いないと思います。恐らく最初は軽度だったものが、海外で幻覚剤を飲んだために重篤化したのでしょう。

まずはあなたもあなたの母も統合失調症について知識と理解を深め、それを実践する必要があります。例えば統合失調症になると音に過敏になるので、大きな音を立てたりしてはいけませんし、大声で言い返すなどはもってのほかです。その他にも色々接し方がありますから、ぜひ学んで実践して下さい。

精神病・精神医学についてに書いた通り、僕は個人的に精神科の薬物治療には否定的であり、霊的な方法を伝えることで解決に導いて差し上げたいところなのですが、あなたの現在の霊的知識・研鑽はきっとゼロに等しいでしょうし、重度の統合失調症のレベルまで行ってしまうと、とりあえずは症状が落ち着くまで精神科を頼る以外にないのが実情です。

当然ながらあなたの姉本人に自分がおかしくなっているという自覚はないでしょう。そもそも精神病というのは基本的に自覚不能なものであり、それは夢の中でそれが夢だと気づけないのと同じです。だから通院させようとしてもきっと反発を受けて拒否されると思います。なので先に評判の良いお医者さんを探しておいて、本人不在でもそのお医者さんに相談し、そのアドバイスに従って姉に通院するよう何とか説得してみて下さい。もし無理なら、発狂した時に録画するなどして証拠を残しておき(既存のラインの履歴だけで十分かとも思いますが)、施設の方や警察などの協力も得ながら強制的に入院させるという手段を取らざるを得ないかと思います。

>これは創造主がわざと自分の人生の試練のためにこのような状況にしているでしょうか?

はい、その通りです。あなたの姉のことだけではなく、あなたの人生で起きることの全てが試練(カルマ)です。決して恨みで返さず、自分の試練(カルマ)に立ち向かって下さい。

何よりもあなたが認識しなければならないことは、この世界はエヴェレット解釈の通り「一人一宇宙」なのであり、あなたはあなたが主人公の世界に生きていて、家族も含めてあなたが出会う全員がNPC(ノンプレイキャラクター)のようなものだということです。そしてそれはあなたの人生のシナリオ上必要だからあなたの人生に派遣されている共演者であり、それと同時にあなた自身でもあるということです。それはつまりあなたの姉の問題(カルマ)も、あなたが出会ったその他の人の問題(カルマ)も、あなた自身の課題(カルマ)に気づかせるための鏡なのだということです。カルマというのは一筆書きのように全てが繋がっていて、決して誰か個人に単独で与えられているものではないのです。そしてそれは主人公にとって更新可能なようにできているのです。そうでなければ生まれて来た意味がありません。人間というのはただカルマに翻弄されるだけの被害者ではなく、それを能動的に解消していける主体者なのです。

悪いカルマの解消法これは必読です。あなたのカルマが何なのか、僕はあなたに会った事がなく、あなたの質問文のみから僕が推察するのは困難です。しかし自分のカルマが何なのかわからないからこそ、自分で自分のカルマが何であるかを考え、一つ一つ試行錯誤しながら乗り越えていく人生というのは尊いものなのです。「鏡の法則」という本に「自分の親との関係を見直して感謝を伝えてみたら、自分の子供の学校でのいじめがぱったりとなくなった」という話がありますが、カルマというのはそのように人間から見てどこでどうつながっているかはわからないものなのです。あなたの姉の統合失調症も、祖母のパーキンソン病も、母の離婚(?)も、あなたが大卒で数年ニートであることも、全部見えない糸でつながっているのです。そしてそれをあなたが相手のカルマ(課題)だと考えず、自分のカルマ(課題)の鏡だと思ってそれを乗り越えて行くことで、全てが自ずから解消されていくものなのです。

運命への呪いにも書いていますが、人間は自己成長のために生まれてきているのですから、自己成長の拒否は不幸に導かれる定めです。怠惰・臆病・被害者意識・自己正当化・依存(逃避)は自己成長拒否の典型であり、不幸な人に共通している5点セットみたいなものです。

大変失礼ながら、あなたにはまさにその成長拒否の5点セットが文章の端々に見受けられ、それゆえに不幸な現状(カルマ)にあるのだと僕は推察します。怠惰・臆病・依存(逃避)ゆえに社会に出られずニートで、特に姉のことで被害者意識に陥り、自分は何も悪くないと自己正当化しているわけですから(僕もそうした時期が長くあり、決してあなたを責めているわけではありません。それも必要な経験なのです)。人生は成長の物語(RPG)であり、自己成長を拒否すればそのケツを叩くため次から次と成長を促すように不幸が訪れるようにできているのです。

あなたは姉が「何でも自分以外のせいにする(被害者意識)」と憤慨しているようですが、憑依現象(霊障)についてに書いた通り、霊障というのはそのような被害者意識(成長拒否)の成れの果てであって、だからこそ「恨めしや~」と出てくるのです。そして創造主はその霊障に憑りつかれた姉の姿を拡大鏡として、被害者意識に陥っているあなた自身の姿を見せてくれているのです。霊障というのはそのように憑りついた人を通じてカルマ(課題)を鏡のように見せてくる一方で、それでも負けずに愛されると気まずくなってそそくさと去って行く(成仏する)ものなのです。だから霊障に犯された姉も自分自身も負けずに愛して下さいね。浄霊の本質は愛であり、霊的な知識・研鑽というのは補助的なものなのです。愛という動機なしに霊的な知識や研鑽を積んでも意味がないどころか害悪です。

反省してはいけないに書いた通り、あなたは「自己成長を拒否してきた」ということを理由に自分自身を嫌って自己嫌悪に陥ってはいけません。人はそのように「自分自身であればいくら嫌ってイジメても構わない」という感じで自分を嫌ってイジメるからこそ、「そんなにいらないなら私がもらってあげるよ」と霊障に憑りつかれ、心を病むのです。自分で自分を責めて嫌うというのは、あなたにあなたを与えた創造主への最大の不敬であり、不幸に導かれるのは必至なのです。すべての経験は成長のために必要だから与えられているのであり、あなたには成長を拒否して不幸に苦しむところから成長して幸せになり、その経験を生かして他人の成長・幸せを促していくというあなただけのオリジナルのシナリオが与えられているのです。だから他人と比べて落ち込む必要はありません。でも自分の課題に気づいたのなら成長を拒否してはいけません。

すべての努力は自分への愛が起点でなければならないのです。己の欠点や過ち・罪や恥を許して、それでも自分が自分自身の一番のファンでいることです。自分への愛を起点とするというのは、決してエゴに陥るということではなく、自分を心から愛し、より愛せるように成長していくということです。そのためには自分とみんなを同じように愛し、自分にもみんなにも愛を発揮していくということです。

人生というのは「自分とはどういう存在か?」を自分で決めるため=成長して更新していくために与えられたものであり、「自己受容(自分を許して愛し、より愛せる自分に成長していくこと)」が最大のテーマ(課題)なのです。最大の課題なのですから、それは人それぞれに最も高い難度に創られているのです。それゆえ自分を自分で受け入れるというのは、人生全体を通じて取りかからなければならないほど難しい課題であり、そこには死よりも辛い痛みが用意されているのです。しかしそれを乗り越えることこそが魂の成長であり、人生というのは自己成長のためにあるのですから、もしその課題から逃げ続けるなら、人生は確実に不幸なものになる定めなのです。それは創造主の意地悪ではなく、自発的に気づいて自発的に成長努力して欲しいからそうしているのです。答えを直接教えてしまっては「自発的」ではなく強制していること(主体性・自由意志を奪うこと)になり、それでは我々を創った側からすれば意味がないのです。

自己受容できているかどうかは、他人にバカにされた時に一緒に笑えるかどうかでわかります。他人からバカにされたくない、バカにされたら傷つく・腹が立つといううちはまだまだなのです。人は他者評価に依存する限り幸せにはなりません。他者評価依存は日本の社会病理だと知って下さい。

出来事というのは創造主と人間のコミュニケーションツールであり、すべての出来事は創造主が我々に何かを「自発的に」気づかせて学ばせるため・成長させるためにあるのです。ゆえに世界に偶然は一つもなく、すべては必然なのです。それを必然だと思わず偶然だと解釈し、自分は何も悪くないと正当化し、誰かや創造主を恨んで被害者意識に陥っても何も解決せず成長せずゲームが進みません。あなたは自分の問題から目を逸らすために、姉の問題にばかりフォーカスして「姉のせいで今自分は不幸である」と考え「もし姉の問題がなかったら自分は平和で幸せにニート生活を続けていられるのに」という感じに思っているのかも知れませんけども、そうはいかなくなるのが必然なのです。人生の課題は「自分とはどんな存在か?」を受け入れ更新していくことなのに、あなたは自分自身から目を逸らし続けて成長を拒否し、自分で自分をネガティブな存在にしようとしているのですから。RPGでゲームの進捗を拒否すれば何も面白くないだけでなく、進捗を促すためにケツを叩くように不幸な出来事が次々に起き、逃げることもできない状況に陥るのは当たり前のことなのです。

もし放置すれば気づかないうちにあなた自身が統合失調症になってしまうかも知れませんし。そしてなったとしてもあなたはきっとそれを自覚できません。実際、大変失礼ながら、上記の質問文はかなり僕が修正したものであり、あなたの文章の乱雑さからは鬱傾向と思考のまとまらなさが感じられ、既に軽く統合失調症的な兆候が見て取れます。もしあなたが姉を見て統合失調症には絶対になりたくないと思うのであれば、立ち止まらずにあなたのゲームを前に進めることです。

>姉はどうしようもなくネガティブで機嫌が悪いことが多いのですが、猫と遊んでいる時や、姉の話を肯定してあげた時や、家の改装などの手伝いをしてあげる時は少し機嫌が良くなります。

どうかこれがあなたの人生経験で得た重要なヒントであるということに気づいて下さいね。ただ何気なく幸せな時間を共有し、相手の話を一切否定することなく肯定的に聞いて気持ちを共有し、困ったことがあればそれを自分の問題であるかのように共有して助けてあげる。それが愛(共有)なのです。あなたは愛が不足していてうまく人と時間や気持ちや問題を共有できないから、相手も自分自身も受け入れられずに嫌い、その隙を狙って霊障に犯され、お互い病的になってしまうのでしょう。それこそがカルマ(課題)なのです。決して姉に対してだけでなく、みんなに対してあなたのその愛を捧げて下さい。きっと愛されますから。

統合失調症の人の言うことは妄想的で意味不明なことが多く、どうしようもなく理不尽でネガティブで、被害者意識でこちらを否定するようなことを色々言ってきますが、そもそも統合失調症とはそういう病気なのであり、それは猫が「ニャー」と鳴くぐらい自然な事です。それに対して反対意見を言うのは猫に「ニャーって鳴くな、ワンと鳴け」と強制するようなもので、反発は必至なのです。病んでいる人というのはこちらが自分の意見を言うだけでも否定されたと感じて反発してくるのですから、聞きに徹して下さい。相手からの否定的な話をこちらが否定せず一方的・肯定的に聞くというのはとても難易度の高い魂修行ですが、相手を肯定するというのは相手の「存在」を肯定し気持ちを共有することであり、ただ話を否定せず肯定的に聞いて心からその気持ちに同情できれば良いのであって、ネガティブな相手の意見に実際に自分が従う必要はないのです。

人間の問題の全ては自尊心の不足(自己受容の拒否)なのです。ですからどうか誰でも自信満々になれる方法を読んで、自分も他人も心から受け入れられるようになって下さいね。エゴを乗り越えて、自分を好きになれるようなエピソードを積んで下さい。

あなたが外に出てあまり人と関われないのは、きっとあなたが傷つきやすいからでしょう。でも他人は直接あなたの心を傷つけることはできません。あなたは自分を受け入れて許し愛することができていないために、傷つけるようなことを言う相手の言葉を使って自分自身を傷つけているのです。自分を確信的に許して愛し、同じように出会う人を確信的に許して愛せるようになっていれば、誰からも傷つけられることはなくなり、傷つけようとしてくる人に同情して許すことができるようになります。だから自己受容(ありのままの自分を愛すること)というのはとてもとても大切なのです。

僕も長年ニートみたいなものですから、あなたが働いてお金を稼がないことが悪いとは全く思いませんし、それを責めるつもりも毛頭ありません(ハゲなだけに)。でもあなたは女手一つで家族を養い、大学まで出してあげて卒業後も何年もニートをさせて養ってくれている自分の母に対して、あなたは感謝の気持ちを態度・言葉・行動で伝えられているでしょうか?そしてもしあなたが外に出て人と交流して愛によって貢献せず、ゲームを進捗させて物語を紡いでいく気がないのなら(与えられている経験機会を放棄するなら)、これからもあなたのケツを叩くように様々な不幸が訪れることでしょう。僕はあなたにそうはなって欲しくないのです。

人生は成長のための修行ですから、死ぬまで苦労するのが宿命なのです。同じ苦労をするのなら、まず自分を許して愛し、より自分を愛せるように努力していくことです。同時に人を許し愛せるよう努力することです。そして自分の好きなことで人に貢献して下さい。そのための苦労というのは幸せなものなのです。

あなたの姉もその他の人も、それぞれが「自分が主人公」のRPGをプレイしているのであり、直接的に相手の課題をクリアしようとしないで下さい。それは当然反発されるだけになりますから。あくまでもあなたが自分の課題(カルマ)をクリアしていくことに主眼を置いて下さいね。そうすれば自分に関わる人たちもあなたの背中を見て学び、お互いに絡み合ったカルマも自然と解消されていくのです。

だからもしあなたの姉が通院を始めて状況が少し落ちついたら、どうか外に出てたくさん人と交流して下さいね。全くお金を稼げないボランティアで良いので、どんどん人に無償で貢献して下さい。そうすれば自分のことも他人のことも好きになって受け入れられるようになり、きっと幸せに導かれますから。

人間のすべての問題の根本的な原因は「愛の不足」であり、逆に言えばすべての問題の解決策は「愛」なのです。

今回大分厳しかったかも知れませんが、僕もまったく同じような経験があり、お気持ちは本当によくわかります。だからこその厳しさであり、決してあなたを責めているわけではないので、どうぞご容赦下さいね。これは僕からの100%の愛なのです。

それでは、あなたの幸せを心から祈っています。

世界の救い方

【質問】 30代前半・女性 ペンネーム:Tipoo       職業:ピアノ・絵画講師 、アーティスト、フリースクールスタッフ              アヤワスカチャレンジャー 真也さん、こんにちは。 エゴによる悩み苦しみはかなり訂正されてきたんですが、今1つだけ願いがありま...