【質問】30代・男性 ペンネーム:ビタミンD
こんにちは。突然ですが真也さんに相談したいことがあります。
過去の人間関係(元彼女)のことが、ずっと頭から離れなくて苦しんでいます。
僕は過去に、強い不安やパニックに襲われることがありました。そういうとき、助けを求めても「なんでそうなるの?」「子供みたい」「もう嫌いになった」「帰って」と突き放されました。
でも、相手(元彼女)がパニックになったときは「ちゃんとケアしてほしい」「見捨てないでほしい」と求められました。僕が同じようにしんどくなったときは冷たくされるのに、相手がしんどいときは支えることを求められる――その理不尽さが受け入れられなくて、今でもずっと頭から離れません。
最後には「好きだった気持ちが壊れた」と言われて終わったのですが、僕の中では納得できなくて、何度もその出来事を繰り返し考えてしまいます。そのせいで「僕はクズだ」「何の価値もない」「消えたい」と思うことが増えました。でも、本当は「みんなに優しくしたい」と思っています。振り返ると、自分も防御しすぎて、相手とちゃんと向き合えなかった部分がありました。だから、これからは少しずつでも変わりたいと思っているのですが、どうすればこの苦しさを乗り越えて、人とちゃんと向き合えるようになれるのか分かりません。
現在、この相談について考え続けてしまい、仕事が手につかず、実家で引きこもっている状態です。外出や入浴もできず、毎日朝起きた瞬間から思考のループが始まり、寝るまで止まりません。睡眠中も夢の中でこのことを考えてしまい、心が休まる時間がまったくありません。
・元々躁鬱病を患っていること(今は通院しておらず)
・LSDの使用歴があること(躁鬱と憂さを晴らすため・遊び)
・LSD使用のきっかけはシャーマンRという有名詐欺師であること
・元彼女にも勧めて、一緒にLSDを使っていたこと
などを正直に告白してくれました。
【回答】
ご質問ありがとうございます。お気持ち、心よりお察し申し上げます。
この件に限らず、僕は僕に救いを求めて相談してくれる質問者の方を責めることは決してありません。欠点も過ちもない人は存在しませんので「何か落ち度がある人は自業自得だから救わなくて良い」みたいに考えたら、誰のことも救えませんからね。僕に救う使命のある人だけが、僕の元に訪れるのだと信じています。だからどんな悩みでも気軽にご相談下さい。
さて、あなたのその症状は典型的なLSDの後遺症であり、ほぼ統合失調症状態になっているのだと思います。あなたの元々の性格は直接的には関係ありません。そしてそれは元彼女の理不尽さが直接的な原因でもありません。もしあなたの元々の性格がどうだったとしても、もしその元彼女と出会っていなかったとしても、あなたはきっと何かをぐるぐる考え続けて苦しんでいたことでしょう。もう二度とLSDには手を出さないで下さいね。他の幻覚剤にも。
LSDの後遺症である「思考のループ」というのは、まさに目が覚めているはずなのに悪夢の中に閉じ込められるようなものです。その辛さは僕も何度も経験しているのでよくわかります。それは程度の差こそあれ誰にでもあるような「反芻思考(嫌な過去を選択的に何度も思い出して追体験して自分を責めてクヨクヨしたり他人を恨んで怒りを増幅する)」とはレベルの違うものなのです。あれがずっと続いている状態というのはさぞかし辛いことでしょう。
あなたはまず冷静になって、それがLSDの後遺症(悪夢)なのだということを認識して下さい。「これは元々の自分の性格が原因だ」とか「元彼女の理不尽さが原因だ」などと考えないで下さい。
そしてそのように「今の自分の考えは正しい」と考えるのを止めて「今は病んでいてまともな思考能力は無くしている」ということを自分で認めることです。それは夢の中でそれが夢だと気づくぐらい・酔っぱらっている人が酔っぱらっていると自覚するぐらい難しいことです。そして例えそれを自覚してさえも、醒めるまでは普段の思考回路には戻らないのです。
人は誰でも「自己防衛のプライド」があって、どうしても自分で自分を正当化してしまうので、「今の自分の考えは(LSDのせいで)おかしくなっている」などとは認められないものなのですね。しかしLSD以外の原因を探し、その今の自分の考えを「まともである」と正当化しようとすればするほど思考ループの深みにハマってしまうので、まずそれをやめることが肝心なのです。今の思考パターンを続けることでその回路が脳で固定化されるのは非常に良くありません。
「人の価値とは?」に書いた通り、あなたの価値は存在そのものにあるのであって、あなたの考えが正しいかどうかにあるわけではないのだと知って下さい。そして過去について考えることは止めてください。とにかく思考よりも感覚・感情を大切にすることです。自然や動物に触れたり、散歩程度から運動を始めたり、音楽や工作などの集中力が要るような・気が紛れるような趣味に没頭してみて下さい。
僕も自分で試さないと気が済まない性分のため、1年程LSDを修行目的で使用していましたが、もう既に必要な経験は得られて「LSDとは何か?」ということもよくわかりましたし、あなたのようになっている人たちからもう何件も相談を受けていて、今は完全に反対派です。
かつてLSD使用者を救い・悟りに導く目的で「アヤワスカとLSDの違い(※加筆修正中)」という記事を書いたのですが、思ったより反響が大きく、またそれによって使用を抑制するどころか余計に興味を引いてしまった部分があり、余計に「後遺症に苦しむ人たちを救わなければいけない」という因縁を自分で生じさせてしまった責任を強く感じています。だからこの記事が本当にLSD使用者の救い・悟りに繋がるように心から願っています。
あなたの過去の出来事はすべてあなたの悟りの過程として必要だから起きた必然なのであり、あなたなりのベストを尽くした結果なのですから、自分の過去について「何が悪かったのか?どうするべきだったのか?」などと自分一人で思い悩みながら、原因や解決策を探さないで下さい。特に病んでいる状態の時には、決していい考えにはつながりませんから。問題というのは別に解決などしなくても、自分も他人も許す事で乗り越えることができるのです。
だから決して自分を責めてはいけません。同じように元彼女のこと誰も責めてはいけません。まして自分の運命や創造主を責めて恨んでもいけません。誰を責めてもただ自分自身が苦しくなるだけです。あなたが自分や誰を否定しようと、それはそれを創った創造主の否定になるのであり、全部自分自身に返ってくるだけなのです。
あなたの人生RPGに起きることは全て必然であり、クリエイターがあなたの魂の成長のために必要だから与えている経験なのですから、誰のことも責めず、決してネガティブに解釈しないで下さいね。「問題の原因(犯人)探しをして誰かを責めることで思考と感情の整理をつけようとするのを止める(自分の経験を物語として愛する)」ということです。これはLSDとは関係なく、真理です。
そして以下の文章を読むのは、もう少し落ち着いて「思考ループ」が止んでからにして下さい。必ずです。
さて、前述したように、あなたは自分も誰も責めてはいけないのですが、しかしそれと同時に、あなたの人生の主人公はあなたなのですから、結局はあなたが変わらなければ何も変わらないということをあなたは知らなければいけません。「すべての因縁は今の自分を(超時空的に)起点としている」のです。そうでなければ自由意志を与えられた意味がありません。悪い因縁を断ち切ることができるのは主人公たるあなただけなのです。
人生というのは魂の成長プログラムなのであり、あなたが自分の因縁(カルマ・成長課題)を悪化させている理由は、究極的に言うと「自他に対する愛(慈愛・思いやり)の欠如」であり、「存在に対する(創造主への)感謝の欠如」です。
逆に言えば自他の存在に対して慈愛と感謝の心を持ち、生き方を通じてそれを示せるようになれば、あなたの悪夢は終わります。それが魂の成長(人生の目的)なのですから。
僕らはこの仮想現実世界において「自分は孤独ではない」という夢のように素晴らしい経験をさせて貰っているのです。「自分」が存在し、それと同等の「他者」が存在し、愛を経験させて貰っています。そしてまるで「孤独ではない」というのがデフォルトのように錯覚させられて貰っています。基本的にはみんな両親の愛によって生まれ、血縁という強い絆が存在し、周囲に愛されて育つのですからね。もし誰からも愛されていなければ、子供というのは育たないのです。あなたが育っているということ自体が、みんなに愛されてきたという証なのです。
ただそれは「愛」というものを僕らに経験させるため・実感を通じてその価値を知るために「創られた幻想」でもあるのです。本当は僕らは唯一の存在である創造主自身なのであり、絶対的に孤独な存在なのです。つまり本当は「孤独である」方がデフォルトなのです。
我々は創造主意識の分離意識なのであり、本当は絶対的に孤独な存在であることを敢えて忘れさせられ、人生の中で愛を経験させて貰いつつ、それとは相対にある孤独感を創造主と共有し、また「孤独ではない」という経験をさせて貰っていることへのありがたみを理解し、その感謝を通じて、創造主と繋がっているのです。
僕らは「孤独ではない」ということの方を「デフォルト(当たり前)である」と錯覚させられていて、自分がみんなに生かされているということを「当然である」と考えて意識さえできないものなのですが、その傲慢さを乗り越え、感謝できるようになることが魂の成長なのです。
人がLSDによって強い不安・パニックに陥る根源的な理由は「他人というのは全員が自分の鏡のような存在であり、本当は自分が唯一の存在である」という事実に、人間としての心が耐え切れなくなってショートするからなのです。
あなたは「自分と他者が存在することの本当の意義・価値」が全然わかっていないから、創造主がそれを悟らせるために、そのような経験を与えたのでしょう。全ての出会いは自分自身の反映なのであり、自分自身を覚らせるため、そして愛を経験させるために、創造主が派遣している存在なのだと知って、まずはそこに心から感謝することが大事です。
僕ら意識にとって人生を与えられるということは非常に稀なことなのであり、人生を与えられていない意識(霊)たちは常に人生(肉体)を欲しがり、人を被害者意識から自己嫌悪・厭世観に陥れて「そんなに要らないなら貰ってやる」と常に乗っ取りを狙っているのです。だから自他が存在することに感謝のない人間が「自我を手放させる幻覚剤」を使うことはその乗っ取り行為を助長することになり、非常に危険なのです。それは「憑依現象(霊障)について」に書いた通りです。
孤独に苦しむ人はみんな「誰も自分を理解してくれない」などと言いますが、当たり前です。何かを言葉で説明をしたぐらいで、自分という存在とその経験・感情とそこから築いた自分の考え方について本当に他人から理解されるぐらいなら、「自分」という「経験主体者」に存在意義はありません。それを本当の意味で理解できるのはあなたと一緒に人生を経験している創造主だけだからこそ、創造主には存在意義があるのです。
「孤独との向き合い方」に書いた通り、人は孤独感に苛まれていると、まるで「こんなに孤独を感じているのはこの星で自分だけなんじゃないか」みたいな感じに思ってしまうものですが、孤独感というのは人間に平等に与えられているものなのです。もし人間に孤独感が与えられずに、独りぼっちでも幸せになれるように創られていたならば、無理して人付き合いをする必要はなくなり、人間関係から逃げてしまう人ばかりになって、愛も成長も経験できないでしょう。「孤独感」こそが人生という愛と成長の物語を成り立たせているマテリアルなのであり、僕らをつないでいる接着剤なのです。
実際、僕が質問箱・電話相談をやっていても孤独に関する質問・相談はとても多いです。そしてみんな一様にそれをまるで自分だけのことのように思い込んでいます。しかしそれこそが孤独に陥っている根本的な原因なのではないかと思うんですね。
実に多くの人が「誰も私のことを理解してくれない」などと考えて、人付き合いをしていても心を開けずに精神的に引きこもっていて、他人の気持ちを全然理解しようとしないために傷つきやすいくせに平気で他人を傷つけ、他人からも自分の気持ちを理解されず、理解したいとも思われないのでしょう。他人の孤独を心から思いやれるような思いやりに満ちた人から、孤独に関する相談を受けた例がありません。
そういう人たちはきっと他人の孤独など全く眼中になく、孤独そうな人を見ても「この人は嫌な人で自業自得だから仕方がない」とか「この人はきっと孤独に強い人で、自ら孤独を求めているのだろう」などと考えて、自分がその孤独を救おうなどという考えは完全に思考の枠外なのでしょうね。まるで自分だけが救われようとして自ら地獄に落ちる「蜘蛛の糸」のカンダタの如くに。なぜ自分の孤独とばかり向き合って、周囲の人たちの孤独とは向き合おうとしないのでしょうか?
そのように自分の孤独に埋没している人というのは、エゴの卵の殻に閉じこもってそこから出られず、その卵の殻が割れないように自己防衛に必死で、些細なことも悪く受け取っていちいち傷つき、人目ばかり気にして疲れ果て、自尊心を保つ為に誰かを見下したり責めたりして嫌われ、内心自分を責めて罪悪感と劣等感に苛まれ、どんどん独りぼっちになって心を病んでしまうのですね。鬱というのは自分のエゴに埋没することを原因としており、同時にそれを症状(結果)ともしている悪循環構造なのです。かつての僕もまさにそのようでした。
わかりますか?「他人から理解されたい」というのもエゴなのです。「エゴ(欲)とは何か?」に書いた通り、エゴはそれ自体が悪いものではないのですから、なくすべきではなく、なくそうと思ってなくせるものでもないのです。エゴを乗り越え続けるその過程にこそ成長があり、愛は生まれるものだからです。
自分が他人から理解されないことを嘆くより、ただただ他人を理解することに努めて下さい。それが愛なのです。そうすることであなたはより自分自身を深く理解し、自分も他人も愛することができるようになるのです。そういう人間こそが他人から理解され、愛されるのです。
愛は無償でなければ意味がありません。創造主は僕らに何も強制・強要せず、完全に自由にして(自主性に任せ)、ただありのままを愛しくれています。何の見返りも求めず、ただ与え続けてくれています。僕らも創造主の子供として、その「愛し方」を「自発的に」見習っていかなければなりません。
「私があなたを理解するので、そのかわりに私を理解して下さい」というのは「私が愛する代わりにあなたも私を愛して下さい」というのと同じであり、相手からの愛を交換条件のようにして強要していることになり、心は何かを強制・強要されると反発するようにできているのですから、反発は必至なのです。
「こいつは俺が辛い時に助けてくれようとしなかったクセに、自分が辛い時ばっかり助けを求めやがって。絶対に助けてなんかやるもんか」などと考えるのはあまりにも愛が欠如していると思います。それで相手からの愛を失って別れに至るのは理不尽ではなく至極当然のことかと思います。どうかあなたが辛い思いをした分だけ、あなたに助けを求めて当たるしかなかった元彼女の辛さをわかってあげて許してあげて下さいね。元彼女があなたを支えられなかったのは、その時は経験がなくてわからなかったのですから仕方がないですし、あなたもその時既に正常な状態ではなかったのですから、そのような愛に欠けた考え方をしてしまったのは致し方のないことなのです。
あなたの症状は本当に典型的であり(同じような状態で苦しんでいる人がたくさんいます)明らかにLSDのせいでおかしくなっているのです。「今の自分はおかしくなっている」と自分で認めることがどれだけ勇気の要ることなのかはよくわかります。きっとあなたは優しい人だからこそ、自分の思考ループや不安やパニックの直接的な原因がLSDだと認めると、元彼女のことを引きずり込んでしまったことへの罪悪感に耐え切れなくなるために、自分の元々の性格がダメだからこうなっているのだと考えたり、罪悪感を元彼女の理不尽さへの怒りに転嫁してたりしているのでしょう。
しかしLSDというのは厳しいもので、その「自己正当化」を許さず、思考ループに陥れて深みにハマらせるのです。だからその「自己正当化」を止めない限り(自他共に許さない限り)その悪夢から出ることができず、良くなりようがないのです。
全ての創造は、創造主が内なる己を知る(内観する)ため・愛を経験するために創造したものであり、「自己正当化」というのは深い内観・許し(愛)に反する意識であって、それに対してLSDはとても厳しいのです。だから深く内観し、自他を許す以外にないのです。
鬱状態の時にあなたがLSDという気分を変えれるものと出会い、そのデメリットを良く知らずに良いものだと思って彼女にも勧めてしまったことは、カルマであり仕方のないことだと僕は思います。全ては運命であり、実際あなたも誰も何も悪くありません。もし僕があなたと同じように鬱まっ盛りだった頃にLSDに出会っていたら、きっと同じ事をしていると思います。欠点も過ちもない人はいませんし、罪を犯さない人間もいません。だからまず自分を許し、元彼女のことも許すことです。許すことが愛です。
あなたは自分を責めて落ち込んでいる場合ではありません。ただ自分が主人公としてその経験から学んで、他人の苦しみに心から同情して許し愛せるように成長し、その悪い因果のループを(愛を悟り・実践することにより)断ち切らなくてはならないのです。強くなって下さいね。
もう他人が自分に何かしてくれる(理解してくれる・辛い時に支えてくれる)などという期待は一切しないことです(もし相手が気持ちを一部でも理解してくれたり、自分に対して何か自発的に良いことをしてくれたら、心から感謝することです)。
そしてただひたすら「自他が存在すること」「人生という経験機会・世界という経験舞台が与えられていること」への感謝を、「出会うすべてをありのままに愛すること(相手が欲するものを与え続けること)」で示し続けることです。それは自分が理解されなくても相手を理解しようと努めることであり、どんな話にも共感・同情を素直に示せるようになることです。
そして何より、信心を持って下さいね。何の宗教でも良いので。何の神様であれ、それは創造主の分身であり、あなたが神仏とその教えに対して尊敬と感謝を示すなら、その存在を通じてあなたをきっと救いに導いてくれますから。
あなたに今まで信心がなかったとしても、それはあなたが悪いからではありませんから、それを神仏や誰かから咎められて救われないなどということはありません。むしろカルマに負けずに改心して信心を持ってくれたことをきっと喜んで迎えてくれて、救いに導いてくれることだと思います。それは聖書の「放蕩息子の譬え」や法華経の「長者窮子の譬え」が証明してくれています。どうか改心して「自発的に」信心を起こして下さい。誰かに強制されたりして信心を起こしても意味がないのです。
混乱が収まるまで「南無妙法蓮華経」を唱えてみて下さい。そして混乱が収まったら「般若心経の究極解説」をぜひ読んでみて、日々般若心経を唱えてみて下さい。きっとあなたを悪いカルマに引きずり込んでいる霊障が祓われますから。
それでは、あなたがそのようにしてLSDの後遺症である「思考ループ」の地獄から抜け出し、愛(慈愛・尊敬・感謝)に満ちた自分に目覚め、幸せ・悟りに導かれることを、心よりお祈り致しております。
※祈りが伝わりますように、ぜひ僕の読経動画も見てみて下さいね。
真也さん、お忙しい中、丁寧なお返事をありがとうございます。
返信削除こんなに長い文章を書いていただいて、本当にありがたいです。僕の悩みに真剣に向き合ってくれていることが伝わってきて、嬉しい気持ちになりました。
LSDの後遺症についてのお話、とても参考になりました。確かに、思考のループがLSDの影響なのかもしれないと考えると、少し納得できる部分もあります。とはいえ、それだけが原因なのか、それとも元々の僕の性格や考え方の癖が関係しているのか、自分の中でまだ整理しきれていないところもあって…。LSDをやっていなかったとしても、同じように悩んでいたのかな?と考えてしまう部分もあるんです。
あと、「他人を理解しようとしないから理解されない」というお話、とても考えさせられました。確かに、僕自身ももっと相手を理解しようとする努力が足りなかったのかもしれません。ただ、僕なりに元彼女のことを理解しようとしたつもりでもありました。でも、僕が苦しいときには彼女は支えてくれなかった…。そういう場合も、「もっと理解しようとすれば変わったのかな?」と、どうしても考えてしまって…。もしかしたら僕の理解の仕方が間違っていたのかもしれませんね。
孤独についてのお話も、とても興味深かったです。「本当は僕らは孤独な存在だけど、それを忘れさせられている」という考え方は、新しい視点をもらえた気がしました。ただ、もし本当に「孤独がデフォルト」なのだとしたら、愛を学ぶことがなぜそんなに大事なのか?という部分が、僕の中でまだしっくりきていなくて…。僕の理解が追いついていないだけかもしれませんが、もしもう少し噛み砕いて教えていただけたら嬉しいです。
それと、「信仰を持つといい」というアドバイスも、とても気になりました。確かに、信じるものがあると心が安定するのかなとも思うのですが、それが「信仰がないと救われない」という話になってしまうと、少しハードルが高く感じてしまって…。僕のように信仰を持たずに生きてきた人間でも、救われる道があるとしたら、どんな方法があるんでしょうか?
過去のことを考えすぎないようにする、ネガティブに解釈しないようにする、というアドバイス、とてもありがたいです。でも、今の僕は、それを頭で理解していてもなかなか実践できずにいます。もし、「こういう行動を試してみるといい」とか、「こういう風に考えると少し楽になる」といった具体的な方法があれば、ぜひ教えていただきたいです。
本当にお忙しい中、こんなに親身になっていただいてありがとうございます。いただいたアドバイスを少しずつでも取り入れていきたいと思います。
>ビタミンDさん
返信削除読んでいただいて、早速感想を下さってありがとうございます。
そうですね。あなたは今はまだ混乱状態にあって、自分ではまともなつもりなんだと思いますが、色々ちゃんと理解しようと思っても無理な状態にあるのだと思います。時間が要るのです。残念ながら今はまだ僕がいくらわかりやすく説明しても伝わるとは思えません。
あなたは今は色々考えるよりもまず休むことです。そして休んだら、できるだけ自然に触れて、思考よりも感覚(感じること)に集中して下さい。瞑想でも、運動でも、楽器の演奏でも、工作でも、何でも好きな事をして下さい。
あなたは明らかにLSDのせいでおかしくなっているのです。典型的な症状です。でもそれを自分で認めることがどれだけ勇気の要ることなのかはわかります。きっとあなたは本当は優しい人で、不安やパニックの直接的な原因がLSDだと認めると、元彼女のことを引きずり込んでしまったことへの罪悪感に耐え切れなくなるために、自分の元々の性格がダメだからこうなっているのだと考えたり、罪悪感を元彼女の理不尽さへの怒りに転嫁してたりしているのでしょう。
しかしLSDというのはその「自己正当化」を許さず、思考ループに陥れて深みにハマらせるのです。だからその「自己正当化」を止めない限り、良くなりようがないのです。全ては運命であり、実際あなたも誰も何も悪くありませんから、まず自分を許し、彼女を許すことです。
そしてあなたに今まで信心がなかったとしても、それはあなたが悪いからではありません。だからそれを神仏や誰かから咎められて救われないなどということはありません。むしろ環境に負けずに改心して信心を持ってくれたことをきっと喜んで迎えてくれて、救いに導いてくれることだと思います。どうか改心して「自発的に」信心を起こして下さい。誰かに強制されたりして信心を起こしても意味がないのです。
真也さん、お返事本当にありがとうございました。
削除何度も読み返してしまうくらい、心に残る言葉がたくさんあって…
正直、今の僕にはまだ全部を受け止めきれているか自信はないけれど、それでも、こうして真剣に向き合っていただけたことが、すごくありがたくて…言葉にできないくらい感謝しています。
その中で、ひとつだけ、ちょっと不思議に感じたことがあったんです。
もしかしたら僕の心の状態がまだ整っていないせいかもしれないし、勘違いだったらごめんなさい。でも、真也さんの語りの中に、「こういう視点じゃないと救われないよ」とか「今の考え方は病んでるから正しくないんだよ」っていうニュアンスを、少しだけ感じたんです。
もちろん、そう言ってくださるのは、きっと真也さんなりの優しさで、僕を本当に助けたいって気持ちからなんだろうなとも思います。
だけど僕としては、いま感じているもの――たとえば彼女との思い出とか、自分の中の後悔や怒りや優しさみたいなもの――も、どこかで大事にしてあげたい気持ちがあって…。
全部「幻覚剤のせい」って一括りにするのが、ちょっとだけ寂しく感じてしまったんです。
きっと真也さんが今の考えに辿り着くまでには、僕なんかが想像もできないような深い体験や苦しみがあったんだろうなと、文章からすごく伝わってきます。
だからこそ、もしよかったら、真也さんがそこに至るまでにどんな気づきや揺らぎがあったのか――そんなお話も、少し聞いてみたいなと思ってしまいました。
僕も、まだ混乱の中にいて、すぐには答えが出せないかもしれません。
でも、こうして対話をさせてもらえるだけで、自分の中の何かが少しずつ変わっていくような気がしています。
もしまた少し、お時間があれば、お話ししてもらえたら嬉しいです。
本当に、ありがとうございました。
あなたはまだ話を正確に理解し、ポジティブに解釈するのは難しい状態にあると思うので、もっと自然に触れたりして落ち着いて下さいね。色々と考えることよりもまず、身体感覚とそこからもたらされる素直な感情を大事にして。
削除>その中で、ひとつだけ、ちょっと不思議に感じたことがあったんです。
真也さんの語りの中に、「こういう視点じゃないと救われないよ」とか「今の考え方は病んでるから正しくないんだよ」っていうニュアンスを、少しだけ感じたんです。
もし僕が伝えた事を、あなたが心から納得していないのなら、何も実践する必要はありません。僕の考えを述べただけで、あなたの選択の自由を犯すつもりは全くありません。ただ僕の考えは試してみるだけの価値は十分あると思いますよ。
>だけど僕としては、いま感じているもの――たとえば彼女との思い出とか、自分の中の後悔や怒りや優しさみたいなもの――も、どこかで大事にしてあげたい気持ちがあって…。全部「幻覚剤のせい」って一括りにするのが、ちょっとだけ寂しく感じてしまったんです。
あなたがLSDのことを「覚醒剤」と言ってることからも、まだ大分混乱されているのだと思います。
そのように今正常な状態にない自分の考えを正当化しようとすると、どうしても相手を曲解してでも否定しなければならなくなるのです。あなたは今まだ何が正しいかなど判断できる状態にないのです。
あなたはLSDで彼女が自分と同じようにおかしくなってしまったことを受け入れたくないから、そのように僕があなたの元彼女さんとの思い出まで否定しているような、おかしな解釈が出て来てしまうのでしょう。僕はそんなつもりは全くありません。僕は「解決策や原因探しをせず、自分の人生を物語として愛すること」を伝えています。
あなたが躁鬱の苦しみから逃れるためにLSDに手を出してしまったこと、そしてそのデメリットを知らずに良いものだと思って彼女にも勧めてしまったこと、それは運命であり、あなたに罪は有りません。もしあなたと同じ歳の頃の僕があなたと同じ状況だったら、きっと同じようになっていたことでしょう。だから自分自身のことも元彼女のことも許してあげて下さいね。
僕はあなたと元彼女の人生をそのように変えてしまったLSDに、二度と手を出して欲しくないだけです。そして良くなって悟り・幸せに導かれて欲しいだけです。今はまだ難しいと思いますが、いつか理解していただきたいです。