【質問】20代・男性 ペンネーム:トレーダー
私は実家に住んでいて、在宅ワーク(ネットのみで収入を得る生活)をしていますが、自分の部屋のみが電磁波がとても強く、そして頭痛になり不幸な感情になっています。日々無料で浄霊をしていますが、いつもその部屋にはいると、とても電磁波を感じます。私以外の家族も全員電磁波を感じました。
浄霊を受け、寝る部屋はいつも別の場所に寝たりしていましたが、その部屋で寝ると原因不明の熱や頭痛により何も集中ができません。また、悪霊がつくような人形や物も置いていませんが、全てパソコンを閉じても強い電磁波を感じました。
浄霊を受けてから無意識にそこに仏壇を作り、よく線香をたいています。また、知識がなく仏壇を作ったため、庭の彼岸花をあげて祈ってしまい、それが原因でより悪化したと思い、すぐに捨てました。
これは神社などで磁場、地層、除霊の鑑定をしてジオパシックスの影響を考えるしかないのでしょうか?それとも私自身が浄霊、除霊力を上げて、霊が取り付かなくなるほど修行しないといけないのでしょうか?
【回答】
ご質問ありがとうございます。僕もかつては呪われてるとしか思えないぐらい不可思議で不幸な経験をたくさんして鬱になっていたので、あなたのお気持ちをお察しします。
>>これは神社などで磁場、地層、除霊の鑑定をしてジオパシックスの影響を考えるしかないのでしょうか?それとも私自身が浄霊、除霊力を上げて、霊が取り付かなくなるほど修行しないといけないのでしょうか?
いえ。ハッキリ言いますが、そんなことをしてもムダです。
人生というのはあなたをプレイヤー(主人公)とするRPGであり、あなたの魂成長のためのプログラムなのです。そして
カルマというのは成長課題・シナリオであり、それが霊障を通じて様々な形で現れるのです。この世界に偶然は一切なく、全てに理由があり、あなたのその霊障も理由があってもたらされているものなのです。その理由を無視して霊障・電磁波・精神病対策などしても意味がありません。
RPGで主人公がスタート地点に引きこもれば、そのケツを叩くために様々な災いがもたらされるのは当然でしょう。そうでなくては成長しませんし、物語になりませんからね。そのケツの叩き方がどのような形であろうとそれはクリエイターの愛ゆえであり、やるべきことは「己のカルマに正面から立ち向かうこと」以外にありません。己のカルマ(課題)と向き合わず目を逸らし成長を拒否し続けていれば、どんなにスピリチュアル的な対策をしようと効果はなく、どんどん不幸に導かれるのは必然なのです。そしてカルマは雪だるま式に大きくなりながらどこまでも追いかけて来ることでしょう(だからカルマに立ち向かうのは早いほど良いです)。
あなたがいつまでたってもカルマ(課題)と向き合おうとせず、冒険(愛・勇気・成長)の旅を始めようともせず、あなたの親もあなたを巣立たせようとしないので、魂の親たる創造主がかなり手荒な手段を使ってあなたのケツを叩き、家から巣立たせようとしているのでしょう。
「家族の統合失調症」を読んでみて下さい。この質問者さんはあなたと同じように僕から霊障・精神病対策を聞き出そうとしていますが、その動機が実家に引きこもって成長を拒否し逃げ続けること(臆病・怠惰)なのですから、霊障・精神病対策だけしても解決するわけがないとわかるでしょう。
僕のリアルの知人でもそうした人がいます。その人の家も霊障まみれで、しかも変電所が近くにあるせいか強い電磁波のようなものを感じました。その人は在宅で働いていて家にほとんど籠りっきりで、毎日法華経を(読みもせず)拝んでいますが、何も解決しません。人間関係という成長修行の場を拒否しているのですから当然です。本人自体が既に霊障に深く犯されているため、エゴに埋没し、自己防衛・自己正当化に必死で、僕の話(本質的なカルマ対策)には全く耳を貸そうともせず、こちらの腹が立つようなことをピンポイントで言って猛反発してくるので、今のところは祈る以外に何もできません。そういう人はだいたい家族も霊障に犯され精神病であり、家族同士でも衝突し合ったり避け合ったりして孤独なのです。それはとても残念なことで、特にまだ若いあなたには絶対にそのようにはなって欲しくないのです。だからあなたがこの記事の内容を創造主の代弁と信じ、素直に受け入れて実行し、幸せに導かれることを切に願い、心より祈っています。
あなたが実家に籠ろうとするのは、きっとそれだけ人間関係などで嫌なこと・傷ついたことがたくさんあった結果だと思いますし、僕はそのつらい気持ちに心から同情の念を持っています。さりとて人間は人間関係が修行の場なのですから、そこから逃げ続けて成長・幸せはあり得ませんし、今のあなたに霊障・精神病対策など後手の対策を伝えても意味がなく(既に十分やっているようですしね)、結局あなたが己のカルマ(課題)と立ち向かうべくヒントと勇気を与えて導けるように努める以外、僕に選択肢はないのです。
プレイヤー(主人公)に乗り越えられないカルマ(課題)というのは与えられません。逆に簡単に乗り越えられるようなカルマ(課題)では成長しないので、カルマ(課題)にはならないのです。創造主はいつでもあなたの魂の成長にとって必要でギリギリ乗り越えられるカルマ(課題)を与えているのであり、できないことは期待されていません。カルマは誰にとっても自分が一番向き合いたくないと思っているところにあるものなので、逃げたくなるのは当然なのですが、ただ「自分には絶対無理だ」と諦めて逃げ続けるだけなのでは文字通りお話(物語)にならないのです。
あなたは「除霊」という言葉を使っていますが、霊障も必要だから存在しているのであり、あなたの一部なのです。「除霊」という考え方はガン細胞を切り取ればガンが治ると考えるが如くであり、根本的な解決にはなりません。そのように根本的な解決を目指さず、ただ霊障を憎んで取り除こうとすれば、逆に大暴れさせてしまうことの方が多いのです。実際あなたはそのようになっているのでしょう。あなた自身が物語(覚り)を先に進め、悪しき霊たちを自ら覚らせ浄化すること(浄霊)が大事なのです。
どうか人を恐れないで下さいね。全ての魂は同源で元は一つであり、本当はみんな同一人物のごとき・鏡のごとき存在なのですから、何も恐れる必要などないのです。あなたが心を開き、無条件で愛する努力を止めなければ、きっと全ての扉があなたに開かれます。悪霊とて悪役をやっているだけで、本当は一つの存在なのであり、それぞれの役割であなたを覚り・幸せへと導いているのですから、(注意は必要ですが)恐れる必要は全くありません。それを「呪い」のように解釈して、過度に恐れないで下さいね。
どんな行為も良し悪しは動機次第であり、信心も霊障・精神病対策も他のどんな努力も、動機が良くなければ意味がないどころか逆効果になり得るのです。だから僕は浄霊などの方法論をあなたに語るつもりはありません。あなたが知るべきはもっと本質的なことです。それはつまり動機をエゴから愛(感謝報恩)に改めていくことです。僕はnoteや質問箱において幸せになるための様々な方法を述べていますが、本質的な部分を全く無視し、単なる方法論のようにして自分(エゴ)に都合よく読んでしまっては何の意味もないのです。
人生というRPGにおいて、プレイヤー(主人公)は「愛と勇気」が試されているのであり、主人公として一番ダメな要素は「臆病と怠惰」です。主人公が終始臆病で怠惰なままではRPGが物語にはなりませんからね。それではクリエイターがせっかく主人公のために用意した素敵なシナリオが全部無駄になってしまいます。主人公であるあなたが創造主から既に贈られたものの価値に気づかず、霊障(ケツ叩き)を恐れて不平不満ばかり言い、実家に籠って冒険の旅に出ようとしないのなら、気づかない間に創造主が未来に準備している「経験(物語)」という素敵な贈り物の受け取りを拒否してしまっているということです。それは創造主からの愛を裏切っているということであり、不幸に導かれるのは当然のことなのです。
人間はデフォルト設定(レベル1)ではほとんど誰でもエゴまみれで怠惰・臆病に作られています。最初から何も恐れない人の勇気に何の価値もないからです。臆病な人が振り絞る一握りの勇気によって成長していくところに価値があるのです。だからまだ若いあなたがエゴにまみれ臆病で怠惰な自分を責める必要はありません。少しずつでも愛と勇気を発揮して成長していくベクトルで生きて行けば良いだけです。
「エゴ(欲)とは何か?」にも書いてますが、どうかエゴを乗り越えて愛(感謝報恩・思いやり)に生きて下さい。
RPGで現在のレベルが低いことにコンプレックスを持ち、冒険を恐れてスタート地点に引きこもるような人はいないでしょう。「RPGで人は死なないし、コンティニューもリセットもできるのだから当たり前だ」と言われるのでしょうが、魂というのは永遠ですから、本当は人生もゲームと同じように何も恐れる必要はないのです。死の苦痛さえ、生きる意志を強めるため・容易にリセットボタンを押さないため(自殺しないため)に与えられている幻なのですから。それを信じられないのは、あなたにまだ心からの信心(感謝・信頼・愛)がなく、単に自分ができるだけ傷つかず・できるだけラクして生きたいというエゴ(成長拒否)のための偽りの信心しかないからです。そのような信心は人を覚り(真理・愛)に導こうという神仏の思いに反しているので、ご利益など何もなくて当然なのです。
全ての病気や事故で死ぬ確率を合わせたらあなたはとっくに死んでいます。そもそも確率で考えたらあなたも人類も世界も生まれていません。どうか「人生という経験機会が与えられ、使命があって生かされている」ってことに感謝と信頼の念を持って下さいね。
あなたは他の多くの人と同じように、自分を他人と比べてばかりいるから、それができないのでしょう。他人と比べて良いものが与えられないと感謝できない人の感謝に価値などありません。どんな苦難も「自分の成長のために与えられている」と愛で解釈して喜んで受け取って成長していける人の感謝にこそ価値があるのです。
あなたの人生というRPGは、あなたという主人公だけに与えられたオリジナルのシナリオがあるのですから、シナリオ(諸条件)の違う他のプレイヤーと自分を比べる意味はありません。主人公として自分の成長の物語を思い切り楽しむことだけを考えて下さい。
厳しい言い方をせざるを得ないのですが、あなたは「ネットのみで収入を得る」という「どこででも楽しく生きていける翼」を与えられているにも関わらず、それが己の才能・努力・運によるもので自分の手に入って当然のように思い、感謝の気持ちを持って神仏や人(社会)に恩返しをしようせず、人間関係の煩わしさから逃げてラクに生きることばかり考え、世界に羽ばたいて行こう・冒険し成長して行こうなどとは微塵も考えず、実家から出ようさえしないのでは、その翼を与えられていない人たちよりもずっとカルマが深くなるのは当然のことですし、それで人生を楽しむことさえできずに心を病んで不幸に導かれるのも当然のことです。キメラの翼があっても生まれた街から出ないのでは意味がありません。
そういう理由であなたは霊障に振り回されているのにその理由を無視し、臆病で怠惰な自分を改めることもなく、ビクビク恐れながら被害者意識で神仏を頼って霊障や電磁波の対策をしようと、医者や薬を頼って精神病対策をしようと、うまくいくわけがないのです。
この人生というRPGはすべてが主人公次第に作られていて、それはすべての問題の原因が自分に置かれているということです。それはあなたが悪いという意味ではありません。だから自分を責める必要はありません。いつも使っている例えですが、ゲームのバイオハザードでゾンビが出てくるのは主人公が悪いからではありません。ゾンビになった人やゾンビウイルスを作ったアンブレラ社やゲームそのものを作ったカプコンを責めてもゲームは進みません。ただ目の前の課題をクリアすることで自分が主人公のゲームを前に進めて下さい。
あなたの不幸はあなた自身が引き寄せているものであり、あなた自身が世界観をポジティブに改めず・成長ベクトルで生きようとせず、起こる不幸に対して後手で対策しても、ひたすらキリなく不幸が訪れ続けることになり、その対策に一生を費やしてしまうことになるでしょう。つまり楽しいはずの人生という成長のゲームが、ただの罰ゲームみたいになってしまうことでしょう。
被害者意識で誰かを責めて恨んだり、まるで自分ならいくらイジメてもかまわないかのように責めて落ち込んで自己イメージを下げないで下さいね。どちらもエゴであり、成長拒否であり、創造主の愛を裏切る行為なのですから。
もし僕があなたならノマドワーカーとして世界中を巡って色んな景色を見て色んな人に会って色んなことを体験してみたいですけどね。スピリチュアルな話を全く抜きにしても、あなたはものすごくもったいないことをしていると思います。実家に籠ったまま若さを失い続けるなんて僕には耐えられないです。
何かに対してものすごく興味ややる気が出てから行こうとするのではなく、ちょっと興味が出た程度の事にも前のめりで突っ込んで行ってみて下さい。その対象がそれほど面白くなく好きになれず自分の進むべき道ではなかったとしても、必ずその経験が人生の糧となり、その前のめりの行動力があなたの人生をどんどん面白く楽しく素敵な方向に導いてくれるでしょう。
どうか「ラクをしよう」などという動機で努力をしないで下さい。絶対に報われませんから。実際あなたはラクな道を選ぼうとして結局不幸になっているのでしょう。人生は魂成長のプログラムなのですから、死ぬまで苦労するのが定めなのです。どっちにしろ死ぬまで苦労をすると決まっているのなら、トレーニングのように自発的に・自分が好きで得意な分野で苦労した方が楽しく幸せに決まっています。
あなたのペンネームからトレードにハマっていることが察せられますが、厳しく言うとそれは「ラクをして稼ごう」という考え(エゴ)の典型であり、例え儲かっても人間的成長につながるどころか退化でしかなく、スピリチュアル的に最低なので、早めにその虚しさに気づいて足を洗われることを願っています。
どうか主人公として、愛と勇気を持って明るく生きて行って下さいね。僕も頑張ります。
それでは、あなたの幸せを心から祈っています。
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