2023年8月30日水曜日

友人の生き霊

 【質問】20歳・女性
はじめまして。突然のメール失礼致します。個人的な相談で申し訳ないのですが、アドバイスをいただけると嬉しいです。

とある友人に最近すごく好かれていて困っています。その友人はニートでポンコツといわれるようなタイプで、私以外に友達がいないようです。あまり意志みたいなのがなく、全てのことに口だけで同調してくることに強い違和感を感じ、ひょっとしたら魂がないのでは?という感覚があります。ちょうど真也さんのnoteで人間は幽霊の集合体だという話を読んだ後だったので、その子自体が幽霊みたいに思えてきて怖くなりました。

友人は人格的に少し気になる部分があってもともと私が好きなタイプの人ではありませんでしたが、音楽の趣味なども合って楽しかったですし、私しか友達がいないと言うので私も仲良くしてあげたいと思っていましたし、悪い部分は指摘して直してあげようみたいな気持ちでいて、何度か一緒に遊びました。

しかしそれから私自身最近不安定な気持ちになることが多い気がして、もしかしたら友人の生き霊が取り憑いたりしてる(または今後取り憑かれたりする)のではないかと不安になっています。その友人と会うようになった期間で、私の付き合う直前だった恋愛が突然終わってしまったり、気分の波があり鬱っぽい状態になったり、大事なことに気をかけれなくなったりしました。

その友人は以前にも精神を病んで除霊を受けたことなどもあるそうで、それも気になります。私の元彼がすごくスピリチュアルに生きてるタイプの人でエネルギーなどに敏感なのですが、彼も最初からその子に違和感を感じていて触れたくもないと感じていたそうです。またその友人の元彼も付き合っていた期間は怒りのエネルギーが強くあって、おかしくなっていたそうです。

私は信心などはありません。

とりあえずその子とは会わないと決めたのですが、どうにかしてあげないといけないのかもという気持ちも少しあります。こういう場合はどうしたら良いでしょうか?ご教示いただけると嬉しいです。よろしくお願い致します。

※個人が特定されるような情報は真也側で省いて要約してあります。

【回答】
ご質問ありがとうございます。そもそもここは個人的な相談を受け付けるための場ですので、大歓迎です。

「困った人に依存され大変な思いをする」という経験は多くの人に共通してあると思います。もちろん僕もあります。ので、お気持ちはよくわかります。

あなたは誰も友達がいないような人から頼りにされ、たくさん嫌な思いをさせられてもう会わないことを決めてさえも、その友人のことを心配し、それで思い悩んでご相談までなさっているわけですから、きっととても心根の優しい天使なのだと思います。

かつての僕もその友人のような人たちに対して逃げ腰だったのですが、今の僕はそういう人たちこそ救いが必要だと考えていますし、覚悟を決めていて絶対に引きずられない自信もあるので、逃げることはありません。基本的に「去る者は追わず、来る者は拒まず」です。それはこの世界の本質(仕組み)を知れば、当然の帰結です。偶然は存在せず、全ての出会い・出来事には意味があって創造主より与えられているのですから。

まだ信心のないあなたに僕が信心を根拠にしてこの世界の仕組み(本質)について話すのはとても難しいのですが(そもそもあなたが神の存在は信じていないのに悪霊の存在は信じて恐れているというのは本来おかしな話なのですが)あなたは基本的には僕を信じて下さっているからこそ僕に相談して下さっているのだと思いますので、あなたの中に眠る信心の種を信じてお話しさせていただきます。今のあなたにはとても信じられない・受け入れがたい話ばかりになるかも知れませんが、どうか最後までついてきて下さいね。

あなたにはまず憑依体質の存在意義を読んでいただきたいです。そして宇宙の仕組みにも書いた通り、この世のすべては素粒子=波動=霊的思念=創造主の思念でできているのです。それはトランプを裏返せばみんな同じ柄であるようなものです。

すべての存在が霊(霊的意思)でできているのですから、あなたが霊を怖がるのは、霊が霊を怖がるようなもので、それも本来的に言えばおかしな話なのです。

人間の体は霊の容器でありクッキーの型の如きものなのです。そして霊障とはネガティブな霊(霊的穢れ)の現れなのです。それは霊というものの現れ方のごく一部であり、霊自体を単純に何か恐ろしい幽霊・怨霊のようにイメージして怖がらないで下さいね。

あなたもその友人も重いカルマを背負っているようです。ただカルマというのは前世の罰のようなものではなく、創造主の愛によって与えられている魂成長のための課題であり、誰でも例外なく背負っているものです。そしてそれが人生というシナリオの伏線を成しているのであり、僕らは成長・愛の物語を紡ぐために、カルマを乗り越え続けなければならないのです。

「なんでそんなことをしなくちゃならないの?」と思われるかも知れませんが、成長も愛も何も経験できずに存在だけが永遠に続くなどということがあなたに耐えられるでしょうか?あなたは間違いなく望んでこの世界を創り、すべてを忘れた上でこの世界に生まれてきたのです。

そのカルマを形成しているのが霊障(霊的穢れ)です。そして日々霊的な穢れを祓っていくことが魂の成長につながり、より良いシナリオを選択することにもなるのです。それは悪いカルマの解消法に書いた通りです。

バイオハザードでゾンビが出て来なくなったらゲームになりません。そして主人公がゾンビを恐れ、世の中と自分の境遇を嘆き、ゾンビウイルスを作ったアンブレラ社やゲームを作ったカプコンを責めてもゲームは進みません。人生というゲームも主人公である自分が霊障・生き霊などを恐れて逃げ回っていては進まない(魂が成長しない)のです。

人生は魂成長のためのプログラムですから、成長するほど人は幸せになり、成長と逆方向に進めば(与えられた課題から逃げ続ければ)不幸になるようにこの世は創られています。それは創造主の意地悪ではなく、自分で気づいて自発的に努力しなければ魂の成長はないからです。

人生は主人公である本人の解釈次第に創られていますから、与えられた苦難(カルマ・課題)を罰や意地悪のように解釈すれば、本当に罰ゲームのような人生になってしまいます。だからどうか恨まないで下さいね。そして創造主がいったいあなたに何を気づかせ(覚らせ)どのように成長して欲しいのか、出来事や出会いを通じて与えられる愛のメッセージに気づいて下さい。

「運命への呪い」に書いた通り、被害者意識というのは成長を阻害する最たるものであり、あなたが自分の不幸を「友人の生き霊のせいだ」と考えてその友人を避けるというのは得策ではありません。それは成長とは真逆のベクトルなので、不幸に導かれるのが必然です。因果というのは時空を超えて循環するものであり、その友人の生き霊のせいにするあなたの被害者意識が生き霊を本当に実体化させ、あなた自身を苦しめているのです。

人生という学校において、創造主は我々にそれぞれのレベルにあった課題を与えているのであり、その人に絶対に乗り越えられない課題というのは与えられないのです。そして課題を与えている側の創造主が答えを教えたり、課題を解決してしまっては意味がありません。あくまで我々が自発的に課題に気づいて、自発的に成長し、人生という自分だけの物語を作り上げていかなければ意味がないのです。

あなたに今言っても通じないと思いますが、すべての存在は一つ(ワンネス)であり、それゆえに人間関係というのは完全な鏡なのです。そして人生における課題というのはRPGと同じように常に人や出来事との出会いを通じて与えられるものであり、「自分に与えられている課題は何か?」というのを、自分に似た人と出会わされることでその人を鏡として気づかされるようになっているのです。

我々が最初からワンネス(相手も自分自身である)を完全に意識できてしまっては物語は生まれようがないので、我々には分離意識(自分と他の存在は別のものである)と個性(欠点や過ちを含む)が与えられているのです。

そして我々はお互いに欠けたものがあるからこそ、お互いの存在を必要とし、満たし合うことで愛は生まれるのです。欠点や過ちを許し、補い合うことが魂の成長であり、欠点や過ちを責めてそれを理由に人を嫌ったり避けたりするのは、成長とは逆のベクトルであり、不幸に導かれるのが必然なのです。

簡単に許せる人を許し、愛せる人を愛しても成長はありません。許し難きを許し、愛し難きを愛するところに成長があるのです。そうすることで自分を許し愛せるようになって幸せに導かれるように世界は創られているのです。

我々が嫌だとか許せないとか思う人は、必ず自分自身の嫌で許せない部分を投影した存在です。人間関係は完全な鏡なのは前述の通りですが、それは時間差のある拡大鏡であり、我々の本能(分離意識)は、相手が自分自身であるわけがないという証拠(違っている部分)を集め、そこを嫌って責めるように創られています。

しかし創造主はあなたにその友人との出会いを通じて、あなたの課題(カルマ)に気づかせようとしてくれているのです。その時間差と拡大率の高さゆえにあなたはその友人が自分の鏡だなどとは絶対に思いたくないと思いますが、よくよく考えてみて下さい。

あなた自身もその友人と同じように霊障の影響を受けやすく(精神を病みやすく)、臆病でネガティブな思い込みが強く、若干ポンコツ気味(ADHD的)で意思が弱く、人に心を開けず、依存体質で被害者意識が強く、仕事や友人関係や家族関係や恋愛もうまくいっておらず、自己嫌悪感や厭世観が強いのかも知れません。

それはあなたの元々の性格の問題ではなく、霊障に犯されると人はみんなそのようになりますし、それは多くの人に共通した課題ですから、もしそうでも(そうでなくても)落ち込んだり怒ったりしないで下さいね。目覚める前の僕も思いっきりそうでしたし、スターシードはそのような兆候があるのが普通ですから。あなたや誰かが悪いのではなく、自分に与えられた課題だと認識して下さいね。

そして課題(カルマ)というものは、乗り越えるべきものであって、必ずしも解決すべきものではないのです。それは「問題は解決しなくていい」に書いた通りです。問題を許し、愛することができれば、問題は問題にならなくなります。苦手な相手は拡大鏡なんですから、許し愛することができればその倍率で自分自身を許し愛せることになるのです。

出会う人は自分自身の投影なのですから、その一人ひとり許し愛せるようになることで「自分大好き」というパズルが完成していくような感じになります。そのパズルが進むごとにどんどんカルマは解消されて幸せになっていくように人生は創られているのです。

霊障には時空は関係なく、物理的に逃げたからといって、逃れられるものではないことはあなたも実感しておられることでしょう。対抗手段なく放っておけばどんどん増殖しますから、愛と勇気を振り絞って早めに立ち向かった方が良いのです。夏休みの課題と同じで放置して逃げれば逃げるほど苦しくなり楽しいはずの夏休み(人生)が目減りしてしまいますからね。逃げ道があるかも知れないと考えるから怖くなるのであって、立ち向かう以外にないとわかれば腹が据わります。

ただ僕が「絶対に逃げてはいけない」とあなたを追い詰めているように勘違いしないで下さいね。ゲームでも自分が弱っている時に強敵と遭遇したら逃げるのが賢明です。実際そのご友人は今の状態のあなたに手に負えるレベルではない感じがしますしね。でもいつかは立ち向かわなければならないのだということだけ理解し、傷ついた自分をいたわりつつ成長を続けてさえいれば大丈夫なのです。ただ生涯逃げ続ける方向にベクトルを向けないで下さいってことです。それではいつまでたっても成長せずクリアできませんし、不幸に導かれるのが必然なので。

人生は経験を通じて愛とは何かを知るために与えられているものです。愛は経験を伴わなければ概念に過ぎません。いきなり自分を許そう愛そうと思っても許せませんし愛せません。出会った人を一人ひとり許し、愛していくことで、自分自身を許し愛せるようになるのであり、それは「罪と恥の存在意義」に書いた通りです。

あなたが恐れる幽霊というのは、被害者意識から逃れられず、誰かを恨み続け、成長を拒否することで不幸な人生を送り続けた魂のなれの果てであり、それが自分に似た波動を持つ人間に憑りついて、自分と同じように被害者意識に陥し入れて、誰かを恨ませ、自ら地獄に落ちる仲間を増やし、強制的に同情させようとしてくるのです。


主人公であり天使であるあなたはその幽霊(霊障)に負けて自分も幽霊のようになってしまってはいけません。人間関係は鏡ですから、その友人が幽霊のように見えるならあなた自身もそうなりかけているということです。だから霊障に犯された人に心から同情し許し愛することで真の幸せに導き、霊障ごと成仏に導いてあげてください。

日々心身を清めて魂を成長させ、心の波動を常に高く保ってその負の連鎖を断ち切り、ポジティブな(愛の)連鎖を目の前から起こしていかなければならないのです。

そして信心がなくては霊障とは戦えません。自力で霊障を解決などできるわけがないのです。あなたは対抗手段がないから恐ろしくなり、逃げるしかなくなっているのです。「悪いカルマの解消法」をよく読んで、信心を起こして霊障を解決して下さいね。

神々はあなたに信心を起こして頼って欲しいのですが、それは自発的でなければ意味がないので、あなたに霊的な苦難を与えているのです。あなたの周囲はきっと神を信じるなんて馬鹿げているという感じで信心のない人ばかりでそれが当たり前になっているかも知れませんが、そういう状況だからこそ信心には価値があるのです。そしてだからこそあなたはそういう状況にあるのです。その苦難に負けずにどうか信心を起こして下さいね。


>私しか友達がいないと言うので私も仲良くしてあげたいと思っていましたし、悪い部分は指摘して直してあげようみたいな気持ちでいて、何度か一緒に遊びました。

お気持ちはよくよくわかるのですが、相手を変えようと思ってもうまくいかないように人生はプログラムされているのです。常に「変わるなら自分から」であり、自分が変わればすべてが変わるのです。

「反省してはいけない」に書いた通り、悪い思考・行動をやめられない人というのは、それを悪いと知らないからやめられないのではなく、自尊心が下がっているから「どうせ自分なんて」と思ってやめられないのです。逆に自尊心さえ上がれば、思考と行動がポジティブになって自発的にネガティブな思考や行動は控えるようになります。

欠点や過ちを指摘して直させようとすることは相手を傷つけ自尊心を下げて逆効果になるだけです。人は自分なりに失敗もして試行錯誤して納得して前に進みたいようにプログラムされているのであり、尋ねてもいないのに他人から答えを教えられると反発するようにできているのです。答えに価値があるのではなく、答えに至る過程(経験)が答えを価値ならしめるということを覚えておいて下さい。

相手の自尊心を上げるということは、思ってもないお世辞を言ったりすることではありません。あなたが主演の映画に共演者として出演してくれているのですから、ちゃんとリスペクトして存在に感謝し、欠点や過ちを許し、愛することです。そしてそれを態度で表すことです。相手を避けることなく(無理に追いかけず)出会ったら決して嫌な顔をしないで心からの笑顔で挨拶することです。最初はぎこちない作り笑顔になっても、心から笑顔になれるように考え方を調律することが大事なのであり、作り笑顔をすることが本質ではありません。


笑顔というのはみんなが思っているより遥かに大事なものなのです。会った時に笑顔でいるだけで「この人に愛されている」「自分の存在が認められている」「自分はここにいて良いのだ」という愛・存在の承認・肯定が伝わるのです。心からの笑顔ほど、相手の自尊心を上げるものはないのです。

>あまり意志みたいなのがなく、全てのことに口だけで同調してくることに強い違和感を感じ、ひょっとしたら魂がないのでは?という感覚があります。

魂がない人はいません。まだお互いに心を開けていないだけだと思います。だからとにかく相手の話をよく聞いて下さいね。内容が正しいかどうか・重要かどうかではなく、創造主が何に気づかせたくてあなたとその言葉を出会わせたのかを考えて下さい。心が弱っている人というのは自分と違う意見を言われただけで自分を否定されたように感じてしまって傷ついて話を聞けなくなりますから、そういう人には自分の意見を言うことなく、ひたすら聞きに徹して下さい。

徳川家康の言う通り、人はつまらない話も真剣に聞いてくれる人に大事な話をするものであり、こちらがつまらないと感じるような話を相手がしてくれたら、その人と仲良くなるチャンスなのです。

正しいことを言えばいうほど相手は傷ついてこちらを嫌ってくるでしょう。みんな嫌いな人の言うことには逆らいたくなりますから、こちらの言うことが正しければ正しいほど相手をその正しさから遠ざけることになります。だから正論というのは悪なのです。

人というのは愛より正義(何が正しく何が間違っているか)を優先してしまって、それゆえに他者とぶつかるように初期設定されているのです。だから常に正義より愛を優先させて下さい。それが成長のベクトルなのであり、初期設定(常識)のままに思考・行動しては成長はないのです。

例え他人とぶつかっても、それは物語上(役上)のことであり、次に会った時は楽屋で共演者に会ったかのように笑顔で挨拶して下さい。相手は最初面食らうかも知れませんが、気まずい思いをしなくて済むようになって内心ホッとするはずです。どちらが正しいかなんていう議論は「巨人と阪神のどちらが強いか」みたいなもので、酒の肴にはなったとしても、それによって人間関係を壊すようなものにしてはならないのです。

その友人は友達が全然いないということは、自分の存在を肯定できていないということでしょう。あなたが肯定してあげないで、誰が肯定してあげるのでしょうか?天使であるあなたに与えられた偉大なる使命に気づいて下さいね。すべての出来事・出会いには意味があり、他の人がやらないことは、主人公であるあなたがやらなければならないということなのです。そしてあなたを必要としてくれる人が、あなたに存在意義を与えているのです。

それではあなたの幸せを心から祈っています。参照が多くて申し訳ありませんが、「誰でも自信満々になれる方法」は必ず読んで下さい。出会った人を一人ひとり例外なくリスペクトし、存在に感謝し、欠点や過ちを許し、心からの笑顔で承認して愛することで、「自分大好き」というパズルを完成させて幸せになって下さいね。

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