2022年6月20日月曜日

お金の要らない社会を作る基盤

【質問】
shinyaさん、いつもありがとうございます。2点お伺いしたいことがございます。

1.お金は我欲や保身、悪魔の手下の象徴としてお話しされていますが、お金で人を助けられることも事実ではないでしょうか?私はshinyaさんみたいに利他の精神を持ちながら働けているわけではないですが、何か人を助けられることに使いたいです。shinyaさんが言っていたような、お金がなくても生きていける世界の下地(コミュニティ社会)を作っていきたいと思います。

2.「日本で、無償で自己利益を求めずに生活し続けるなんて無理」というのは甘えでしょうか。


【回答】
1.僕はお金に良い使い方がないなんて全く思っていませんよ。もしなかったら資本主義は既になくなっているでしょう。悪魔は悪魔の顔をして近づいては来ません。悪魔は天使より一見魅力的だからこそ人を誘い出して虜にすることができるのです。だから麻薬と同じなのです。

僕は全財産を乞食に配り、日々の糧を乞食で得ながら人に無償で奉仕しています。その生きるのにギリギリの日銭すら3割強は乞食や宗教団体に寄付しています。だからもちろんあなたの「お金で人を助けられる」ということも十分わかった上で活動をしているのです。僕が寄付でやりとりするお金は金額としては小さいですが、ワンネスに向けて人と人とが無償で助け合うという価値観を連鎖させようとしているのです。

お金に良い使い方があるからといって資本主義を存続させるべきとは思いません。現代のお金は完全に詐欺的な搾取システムの道具になっていて、人も社会もどんどん醜くしているからです。

ちなみにあなたは現代のお金がどのように作られているか、その歴史から理解されていますか?現代のお金が「物々交換の代替手段としての便利なもので、国家が発行して厳重に管理している」みたいにイメージしてはいないですよね?世界各国(日本含む)でお金を発行している中央銀行のほぼ全てが政府機関ではないことを知っていますか?それを統括するBISがどんな組織か知っていますか?

みんなお金がないと生きられない社会システムの中で、エゴ(我欲と保身)を利用され、麻薬の如くお金の依存症にされ、気づかない間にどんどん搾取され続けて奴隷化が進んでいます。そして僕らが資本主義の音楽に酔いしれている間にどんどん椅子が抜かれ、支配者層は椅子を戻すのではなく人を減らすことでこの椅子取りゲームを存続させようとしていますが、それは無理な話です。僕の思いとは関係なく限界は見えています。そしてそれはこれから起きる革命の序章となるのです。

僕はそれが血の流れる暴力革命にはなって欲しくはないので、事前に我が身をもって警告し、誰も不幸にならないようソフトランディングさせるべく代替手段・代替システムを提案しようとしているのです。ただ我々の価値観が変わらなければシステムだけを変えようとしても無理だとわかっているから、今の価値観革命の活動をしているのです。

僕はお金がなくても(権力がなくても)生きていけるコミュニティーを世界中に連鎖させようと考えていますし、既に動いています。でもこれは価値観から変えていかなければ決して成功しません。分離意識があるうちは無理です。その前にワンネスへの目覚めの連鎖を広げる必要があります。

2.僕は自分と他人を責めるのを同時にやめることを実践しながら提唱している人間で、あなたやどこの誰かがどんな考えを持とうと甘えだなんて糾弾するつもりは一切ありません。現時点での考え方が違うってだけで責められていると曲解しないで下さいね。

ガンジーの非暴力・不服従運動と同じで、もし自分の考えが真理に根差したものなのなら、自ら実践する背中を見せるだけでみんなが自発的にそれに従う連鎖が起きるでしょう。誰かに無理に強制したり賛同しない人を批判して責めたりしなきゃいけないようならそれは真理ではありませんし、必ず反発が生じてきっとうまく行きません。

あなたはまるで僕が完全に自分を犠牲にしているように誤解されている感じがします。ワンネスっていうのは完全な自己犠牲ではなく、自分と他人がイコールの存在であることに目覚めイコールに扱うということです。エゴからできるだけ離れ、出会いを大事にして、みんなで無条件・無償で助け合って、出会ったみんなが家族のようになっていき、それが世界に連鎖していくというイメージです。人を幸せにすることでしか人は幸せにはなれないのです。

僕は確かに仕事を無償でやっていて、全く見返りがなくても奉仕させて貰えたことで純粋に嬉しくなります。ただそれはこちらからは見返りを求めないというだけで、奉仕活動に対して自発的に寄付される分は感謝していただいています。そして先に無償で寄付してくれた人に「こちらかも何かお返ししたいです」と言って奉仕することもあります。そして基本は駅などで純粋に知らない人から乞食をしてます。

ですから完全な自己犠牲・利他とは違います。「対価を目的に働かない」という点を大事にしているのであって、純粋に自己利益なしに生きている訳ではありません。あなたがイメージしているような完全な自己犠牲では生きられるはずがありません。

僕は一度死に、今は純粋に人を救うために生きているので、その自分が生き延びるために寄付に頼ることを自分のエゴ(我欲と保身)だと思って自己嫌悪する気持ちは生じません。誇り高く幸せに生きています。「いつか必ずお金の要らない社会を実現してみせる!」と心に強く誓いながら。

ちなみに今の僕のやり方で日本で生き延びられるかどうかは試したことがないので知りませんが、日本でも「こちらから(原価以上の)お金は要求せず、お金がなくて困っている人の為には無料でも喜んで仕事をして、自発的に寄付したいという方からは喜んでいただく」という感じのやり方でも、生活ぐらいは成り立ちそうな気がします。それを自分が本当に好きで得意な仕事でやるのなら、善意が連鎖して関係するみんなが幸せになるのではないでしょうか? そしてそういう趣旨に賛同できる人同士でコミュニティーを作れば良いと思います。

少なくともお金(我欲と保身)のために組織・権力に依存し、好きでも得意でもない仕事を奴隷のように嫌々させられたり、お客さんからも上司からも「金が欲しいなら私をちゃんと満足させろ!」と偉そうに文句をつけられて嫌な気持ちにさせられながら働かされるよりはずっと良い気がします。

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