【質問】
もっと愛すればよかったと後悔するのは嫌だからと、こちらに興味がない相手に対してもしつこく食い下がってずっと好きでいてしまいます。でも私からの愛を必要としていない人に、愛し足りないからと押し付けるのは愛じゃないと気付きました。これはただの執着で、手放せたなら愛でしょうか。
いつも気付きをありがとうございます。何度救われたかわかりません。そして何度教えていただいてもまだ間違ってしまいます。どうかお許しください。
【回答】いつも読んでいただいてありがとうございます。
お気持ち、よくよくわかります。程度の差こそあれ、特に男性はみんな結構そういうものなのではないでしょうか?
僕は出会う前から人を許すと決めていますので、出会って許して欲しいと言われた瞬間に既に許しています。まぁ僕はあくまでも代理の人間ですし、あなたから何一つ実害を受けていないのであなたを許す・許さないという立場にはありませんが、あなたが僕に許されることで心が救われるのであれば幸いです。
僕が書くことはあなたを責めて説教しているように思われるかも知れませんが、あなたの幸せを純粋に心から願っての事であり、誤解のないようにお願いします。あなたの人生はあなたを主人公とするRPGであり、あなたに起きたことはすべて必要だから起きている「設定・伏線」であり、そこを起点に未来をどうするか、このRPGはすべてあなた次第に作られているのです。だからあなたは何も悪くないのですが、結局自分が変わらなければ何も変わらないのです。
まず、他の方の質問への回答をぜひご参考下さい。「片思いの存在意義」
愛というものは与えられる前に自分から無償で与えるのが基本であり、そこに関してあなたは間違ってはいないと思います。ただ自分に都合の良いものだけを偏執的に愛そうとするから相手から拒否される力が働くのでしょう。元々すべての存在は一つですからね。自分にとって外見や性格が愛らしい人とか能力が高い人とか自分に都合の良い人だけを愛そうとしていませんか?出会った人をみんな無条件で愛していたら、相手が鬱陶しく感じるほど一人に愛情を集中する余裕はないはずです。
自尊心が低い人間は愛され難く、そういう人間からの愛情(親切)は、本人は見返りを求めていないようでも相手からすると愛や尊敬や感謝などの感情を見返りとして強要されているように感じられ、受ければ受けるほど追い詰められていくような息苦しい気持ちにさせられるのです。自尊心の低い(自分を愛していない)人間は相手も価値が低いと感じますから、そういう人間の愛情というのは価値が低く、むしろ鬱陶しくさえ感じられるのです。野良犬や野良猫に「ホラ、このエサをやるから私に懐きなさい」と残飯を与える感じで人に愛情を与えてはいけません。それはあなたにとっては愛情でも、相手にとっては感情の強要であり、相手をバカにした行為なのです。
僕は経験上あなたの気持ちもあなたの周囲の人の気持ちもよくわかります。そしてあなたも冷静に相手の立場に立って考えればわかるはずです。鬱状態の時は他人が見えなくなりますから、相手の立場に立って考えるというのがひどく難しくなるのですが、瞑想や読経でもして冷静になって考え直し、日々できるだけ我執から離れる修行を積んで下さい。焦らなくても大丈夫です。しっかり自分を見つめて課題に気づくことさえできれば、ごく短期間で自然にわかるようになります。
とにかくもっと無条件で出会った人・出来事を愛することです。そうすれば人に愛され、自尊心も自然と上がっていきます。人間関係は完全に鏡ですから、自分で自分自身を価値が低いように見ていたら、相手からも価値が低いように扱われるのは当然です。自分の人生というRPGの主人公として、神の子としての自尊心を手に入れて下さい。また同じく神の子である他人を尊敬して下さい。
そして例え何があろうと、例えどれだけ相手から嫌われても、ひたすら愛し抜くことです。それは相手の気持ちを無視してストーカーのように執着することではありません。相手の気持ちを大事にし、お互いに心地よい距離感を保って下さい。決して相手から求められてもいない親切を無理強いしませんように。そっと手を貸す感じで相手から求められたことだけを自然・素朴に無償でしてあげればいいのです。そして先に相手の方から求められるような人間になって下さい。
多分この記事は既に読んでいただけていると思いますが、ご質問の内容から察するにまだまだ自分に都合よく解釈してしまっていて内容を深く理解されていないと思います。あなたの問題の根源は自尊心の欠如であり、他者評価依存に陥っていることだと思います。この記事の内容は心から信じて実践を続けることでしか理解できないものですから、ぜひ信じて実践を続けてみて下さい。
0 件のコメント:
コメントを投稿