【質問】
真也さんの思う臆病、怠惰は何だと思いますか?
【回答】
ご質問ありがとうございます。
人間にとって最大の臆病・怠惰、それはやはり「世界を救う主人公として目覚めず、脇役NPCとしてエゴに埋没した人生に逃げること」ですね。
目覚めさえすれば、主人公でない人間なんていないんですけどね。みんなどうしてもそれを信じたくないみたいです。僕のnoteや質問箱をいつも見てくれて応援してくれている方々でさえも。「頑張って下さい。応援しています」と言われるのは嬉しい事ではありますけども、一番嬉しいのは「一緒に頑張りましょう」と言われることです。
小さい頃は誰でも世界を救うヒーローに憧れていたはずが、他者評価に依存し、このマトリックス内で次々に現れる「お前なんか大した存在ではない。大人しく社会の奴隷(脇役)になれ」というエージェント・スミスに簡単に屈して自尊心を失い、自分をつまらない社会の脇役のように考えます。
仏教は菩薩(覚り・真理)を目指す心、つまり菩提心を起こすのがスタート地点です。菩薩って何ですか?辞書で調べれば「仏の位の次にあり、悟りを求め、衆生を救うために多くの修行を重ねる者」とあります。つまり世界を救うメシアとして修行するってことです。(仏教に携わる人たちでもこの菩薩=メシアっていうことをあまり理解していません)
人生というRPGの本当のスタートもそこ(菩提心・衆生救済への決意)にあるのであって、世界を救う覚悟を持たないならレベルアップ(覚り)もゲームクリア(彼岸・解脱)もあり得ないのです。
魔物を恐れ、自分の力を見限り、町に引きこもって我欲・保身のために金もうけに勤しみ、いつも不安で何かにおびえながら、他人や社会問題に対してネットで批判を書いて「自分も正義のために戦っているのだ」という気分だけを味わっていても、レベルアップはありえず意味がないのです。
それどころかそうやって自分が正義の立場に立つためにいつも誰かを批判し、争いばかりになってしまいます。実は世界中の争いというのはそういうエゴ同士の反発の連鎖上で起きているものなのです。(だから常に正義より愛を優先することが大切で、それが万能の解決策なのです)そしてそのネガティブな言葉・思念によってそれを発した自分が本人が汚れ、鬱状態になって霊障に侵されまくるようになります。
そしてどんどん嫌な人間になり、他人の幸せに嫉妬し、まるで社会は暗いから社会問題について真剣に悩んで暗くなるのが同然でそうならない人は能天気で現実逃避のバカであるかのような・幸せになってはいけないかようなプレッシャーをかけて引きずり下ろすという、悪霊そのものみたいな存在になってしまうのです。
繰り返しますが、この人生という世界救済RPGの本当のスタートは世界を救う主人公(メシア・菩薩)として目覚める覚悟(菩提心)を持つところにあります。あなたの世界にNPCである他人が何億人いようと、その言う事やる事(つまり常識)は一切言い訳には使えないのです。「他人が全員脇役だから自分も脇役でいいや」は通用しません。どうか脇役NPCとしてつまらない・エゴにまみれて愛のない人生を送らないで下さい。主人公に目覚めて下さい。創造主と一対一で向き合う勇気を持って下さい。
宗教を利用した詐欺師がいることを理由に神を信じる勇気を持たないことは愚かなことです。現代の日本人の人生の多くはカルマにより神を信じないように初期設定されているのです。しかしそういう状況があるからこそ信心には勇気が要るのです。その状況を乗り越えて信心を持つところにより価値が生じるということです。
この人生というRPGが愛と勇気を試すためのものであることを忘れないで下さい。選択肢があるなら、愛と勇気がより必要な方が必ず正解です。我欲と保身ゆえの選択が最終的に正解だという主人公のシナリオは一切あり得ません。
そして僕や誰かを嘲笑して、主人公から逃げている自分が救われた気にならないことです。嘲笑は常に負けのフラグなのです。嘲笑する側が最終的にヒーローになるシナリオを見たことがありますか?それは絶対にありえないのです。
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