【質問】
鯨も霊感が強いですか?私は昔、鯨肉を食べてしまいました。
【回答】
海の生き物の霊感は、彼らと日常的に一緒に過ごしているわけじゃないので僕はわかなんないです(笑) まぁかなりざっくりと言って霊性と知能は比例します。だから人間や猿は霊長類なのです。
人間は菜食のみでも健康に生きれるのですが、敢えて動物の肉を食べるならば、霊の長として生態系全体のバランスを考えた上で、自分たちからできるだけ遠い種族で知能が低く、放っておくと増えすぎてしまうものを選んだ方が良いでしょう。具体的には魚介類や鶏などです。その意味では昆虫食も良いのですが、個人的には大の苦手です(笑)
現代の工場制畜産は効率的大量生産の為に大量の畜産動物をモノ以下に扱い、生命の尊厳を完全に奪っています。それは病気の蔓延や環境破壊などの形で自分たちに確実に返ってきています。地球は一つの生命体でありホメオスタシスがあるのですから当然です。現代の工場制畜産で生み出された肉を金さえ出せば手に入るモノのように考えて毎日食べるのと、生きる喜びを味わった動物たちを自然の恒常性の範囲で適度に捕獲したり養殖したりして動物と自然と神々への感謝・慰霊しながら食べるのとは訳が違うのです。
我々は肉食そのものに罪悪感を持つことよりも、今の経済システムの中で必然的に生じた悪魔的な工場制畜産を排することを考えるべきで、そのためにはまず自分の価値観から考え直さなければなりません。肉食への罪悪感から無理に菜食主義を徹底し、肉食主義を責めて自分の考えを他人に押し付けたり、それに対して「菜食主義は体に悪い、肉は健康に必要だ」などと科学的根拠のない話で菜食主義者に反発したりで、人間同士お互い責め合っているのは愛がなくバカバカしい話です。
鯨はあなたが殺したわけでもなく、虐待的に養殖されたものでもなく、むやみに乱獲されたものでもないでしょう。その肉の一部を昔食べたことがあるっていう程度で悪影響はまず考えられません。基本的に人から出されたものは神様がくれたものだと思って感謝と共にいただけば良いのです。好き嫌いを言って自分を喜ばせようとしている人をガッカリさせてはいけません。
釈迦は出家後死ぬまでほぼ托鉢(乞食)のみで生活し、自分で選択できる時は基本的に菜食主義だったようですが、人様から頂く時は肉でも何でも感謝して食べていたと聞きます。僕もそれにならっています。
罪悪感を行動の動機とすると必ず自分も他人も傷つけます。だから罪悪感ではなく慈愛を動機として人間にも動物にも自然にも神々にも慈愛を発揮することです。
肉食の是非そのものよりも、一方を悪者にして自分が正義の立場に立ち、自分自身や他人を嫌ったり傷つけることが愚かなのです。そういうことをすることで人や動物に宿る霊を怒らせ、許し・感謝・尊敬・愛の心なく、創造主の愛に自ら背を向け、霊障を溜めてカルマを悪化させてしまってはいけません。出会った存在・出来事を例外なく許し尊敬し感謝し愛することの方がずっと大事です。そして霊障をためないように心と体と生活の場を常に清く保つ努力をすることです。
カルマとは我々を罪に誘い出して罰する意地悪の為にあるのではなく、自ら過ちに気付き、自らの意志で成長を目指させるためにある課題なのです。創造主が直接強制しては人間に自由意志を与えた意味がありません。
そしてあなたが克服すべき課題は、昔に食べた動物のことでいまだに気に病んでいるその罪悪感の強さと、報復を恐れるその臆病さです。
すべては創造主の愛によって与えられたものであり、罪悪感が存在しなければ許しに価値はありません。罪悪感が強い分だけ、そこを乗り越えて人を許し自分を許し運命に感謝することに価値があるのです。
臆病さがなければ勇気に価値はありません。生まれた時から何一つ恐れない人間の勇気に価値などあるわけがありません。臆病さを乗り越えて愛のために勇気を発揮するからこそ勇気には価値があるのです。
人生は物語であり、あなたが主役です。役者として一番ダメな要素は臆病と怠惰です。そして与えらえれた役・シナリオに感謝せず監督に恨みで返していたら主役を降ろされて悪い配役・シナリオを掴むのは当然です。そしてそんな役者は共演者にも感謝がなく人の気持ちがわからずに人間関係で失敗を重ね、苦手な人を恐れたり嫌ったりして避けるでしょうから、どんどんシナリオが悪化するのは自明なのです。ですからやはり、出会った人や出来事に例外なく感謝し愛することの方がずっと大事なのです。
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