【質問】40代・女性
子供時代、私の姉は意地悪で長年執拗に無視や嘲り馬鹿にされるなど嫌われたことがとても辛かったです。親は私の心を守ってはくれず、学校でも同級生とうまくいかず段々とノイローゼ・無気力・過剰な焦り・恐怖・憎しみなどに支配され自分をコントロールができなくなり成績もガタ落ちしてその後は本当に惨めな思いをしました。
具体的には良い大学に浪人しても行けなかった、正社員になれなかった、職を転々とニートばっかりやっていた、ご縁がなく嫁にもいけないどころか恋愛すらまともにしたことがない、もうそろそろ子供を産むこともできない、身体もあまり強くないのにこのまま独身で孤独であくせくと働いても貧乏なまま超低空飛行で生きていくしかないのかと思っています、、。こんな惨めな思いをするとは10歳の時の私は想像もしなかったでしょう。
一方で姉は勉強をしなかったから良い学校には行けませんでしたが、すんなり良い会社に入り、すぐに今の夫を見つけて子供も産んで楽な範囲でパートで働いて自分の小遣いを貯めるというという女性が一番楽に思われる人生を歩んでいます。私は姉の就職する迄を見ていますが彼女は勉強などの努力をしたことはありません。いつも彼氏と遊び呆けてました。姉の人生は正直全部運なんじゃないかと思えます。何でこんな人をいじめる裏の顔の汚い女が何の困難もなく幸せで私ばかり心を病んで苦労するのか、姉と自分を比べては落ち込み、姉を憎むことを長年続けました。姉さえいなければと何度も思いました。
スピリチュアルを勉強していく中で人生をRPGだとして姉のような悪役AIは本当は嫌われる悪役なんかやりたくないのに私を成長させるためにやっているんだ本当は愛しかないんだとかそんな学びもありますが、そうはいっても現実に戻れば自分が惨めだから姉を憎んでしまうのでした。姉を意識指数という物差しでみれば確実にかなり低い人だと思います。
姉を憎む時、子供の頃どれだけ悲しい辛い思いをしたか、その苦しみから心を病んでその後の人生でどれほどの悪影響があったか死んでからでもいいからちゃんと味わって欲しい、姉が生まれ変わったら私と全く同じ目にあって欲しい、いや罰としてもっと辛い思いをしろよと思ったのです。
だけどそう思った時一つの考察が浮かび上がりました。例えば姉が私に呪われて姉が生まれ変わり呪いが成就して私と同じような辛い体験をする時、それは私と同じような人間でなくては体験しようがないものです。私と同じ人が未来に作られるってこと?もしかして姉の生まれ変わった未来が私ってこと?私の過去が姉?と思ったのです。本来時間など存在しない、未来も過去もない時系列もないとしたら、つまり私が姉を呪うほどに今生きている私が辛い人生を歩むかもしれない?人を呪わば穴二つとはこういうことなのか?という考察です。分かりにくかったらごめんなさい。でももしこの考察が正しければ私は姉を憎む事を自分のためにやめられそうです。違っていたら小っ恥ずかしいですが訂正をお願いします。
【回答】2024年10月22日更新
ご質問ありがとうございます。
僕も子供の頃は姉や兄からよくいじめられましたし、同級生や先輩たちからも常にいじめられていましたし、親や先生や大人たちからも叱られてばかりで、とても自尊心が低く育ち、精神を病んで職場にも全くなじめず鬱が悪化して会社を辞め、40歳過ぎまで半ひきこもりでダメダメな人生を送ってきたのでお気持ちはとてもよくわかります。
>人を呪わば穴二つとはこういうことなのか?という考察です。
>もしこの考察が正しければ私は姉を憎む事を自分のためにやめられそうです。
まさにその通りかと思います。輪廻の仕組みについてもあなたの認識は概ね正しいと思います。
世界はワンネスであり、私もあなたも同一の存在であり、創造主(存在・事象の全て)と同一なのです。つまり我々は全員が同一人物のようなもので、それが分離意識を与えられ創造主意識・前世の記憶を失うことで、それぞれの配役を主人公とする見地から物語を経験し、シナリオを超時空的に上書き更新しているのです。
あなたがそこに既に気づきかけているのであれば、僕から言うことは何もないのですが、それだけでは回答にならないので、詳しくご説明させていただきますね。
あなたは鬱状態にあるようですから、きっと人の話をまともに聞ける状態じゃないのは僕も経験があるのでよくわかるのですが、できるだけ元気な時に読んでいただけると幸いです。
まず人生というのは魂成長のためのプログラムであり、成長のベクトルに向かうほど幸せに導かれ、成長とは反対のベクトルに向かうほど不幸に導かれるシステムによって、我々は真理に気づいて自発的に成長していくように作られているのです。
成長課題を与えている創造主が課題を解決したり、答えを直接教えてしまっては誰も成長しません。人生は魂の成長のためにあるものですから、人間が自発的に課題に気づいて自分で乗り越えていけるようになっているのです。
そのために我々は成長とは対極に流されるように初期設定されています。そうでなくては成長に価値は生じませんからね。初期設定というのはすべて課題を含んでいるものであり、それを乗り越えることによって魂は成長するのです。そして当然そこには努力が要るのです。
人間、成長と逆のベクトルに進んでしまうのが初期設定(普通)ですので、あなたが悪いのだと責めようとしているわけではありません。だから自分を責めて落ち込まないで下さいね。自尊心を下げれば思考・行動もネガティブになる悪循環に陥ってしまうので。本当はあなたは創造主の子であり天使なのですから、常に自尊心は高く保って下さい。
僕は上から目線で説教しようとしているのではなく、同じ苦しみを味わい、そしてそこを乗り越えている人間として、あなたが自分の課題に気づけるようできるだけわかりやすく伝え、幸せに導こうと努力しているだけなので、どうか僕に対して怒ったりしないで下さいね。
学校ではそこの生徒のレベルに合わせた課題が出されます。生徒が絶対に解けない問題を出しても成長にはつながりません。人生という学校でもそれは同じで、乗り越えられない課題は与えられません。与えられた苦難が大きいということはそれだけ魂のレベルが高く、より成長が期待されているのです。
<成長と対極にある要素(課題)> には主に以下のものがあります。
1.怠惰
2.臆病
3.被害者意識
4.自己正当化
5.依存(逃避)
それぞれ、詳しく解説していきますね。
1.怠惰
僕らは人生という映画の主人公なのですから、怠惰な役者では使い物にならず、良い物語を経験できないのは当たり前だとわかりますね?
なぜ怠惰に陥るかというと、元々面倒くさがり屋という素養が課題の人もいますが、あなたはとても頑張ってきた人なので、きっとそうではないのでしょう。
多くの人が怠惰に陥るのは、努力してもうまくいかなかった経験の蓄積から自尊心が下がって思考・行動もネガティブになり「どうせ自分なんて何をどんなに努力したところで無駄だ」という諦めにより腐って怠惰に陥り、更に悪い運命を引き寄せる悪循環を起こしているからであり、それは「自己効力感の低さ」だと言い換えることもできるでしょう。
世界というのは自分という主人公次第に作られているのですが、多くの人は行動の選択・努力によってより良い結果を得ようとします。しかし僕らは自分の認識(解釈)が作り出す世界の中を経験しているのであり、当然世界をネガティブに解釈している人には、訪れる選択肢も自分が作りだしたネガティブな世界の中にあり、何を選んでもハズれしかないヤクザの夜店のクジの如く、何をどうしようとネガティブな結果になってしまい、自己効力感を感じられなくなってしまうのです。
だからどんなネガティブな人・出来事との出会いも創造主からの愛で与えられている課題なのだと解釈し、どんな意味・理由があるのか愛によってポジティブに考えて乗り越えて成長していかなければならないのです。もちろんあなたの姉や親との出会いもそうであるということです。
簡単に許せる人を許し、簡単に愛せる人を愛しても成長はありません。許し難きを許し、愛し難きを愛するところに成長があるのです。楽器の演奏と同じで今までやっていなかったことを最初からうまくできるわけがありません。それで心が折れて諦めてしまっては上達しようがないのです。しかし日々心掛けることでどんどん上達していきます。ベクトルが逃げ・諦めではなく許し愛するベクトルに向いていれば、途中でどんな障害があっても(時には逃げたりしても)乗り越えていけるのです。
あなたはきっと自分など大した存在ではないと思っているのかも知れませんが、あなたは宇宙の主の分身であり、見えないだけであなたの思考・行動は宇宙にとんでもない影響を与え、それが全部自分に返ってきているのです。
漫画家の井上雄彦さんが「キャラクター設定さえしっかりしていれば、物語は勝手に生まれていく」とおっしゃっていましたが、人生という物語も全く同じで、「自分がどんな存在であるか?」に応じてシナリオが自動的に更新され、その主人公に最もふさわしい出来事が起き、その主人公に最もふさわしい物語になるのです。
男はつらいよの寅さんの如く、映画の中ではしがない庶民役でも天界では超有名人であり、人生という物語の主人公であるあなたは行動だけでなく思考までもがすべて常に神々から見られ、そして導かれているのです。
だから世界・人生をネガティブに解釈をする存在になってしまっていたら、ネガティブな人・出来事を引き寄せ、ネガティブな経験ばかりを積み上げ、更にネガティブな考え方・世界観になるという悪循環に陥ってしまうのです(それも成長過程として必要だから与えられているの経験なのですが)。
あなたは受験に失敗したそうですが、自分自身を嫌っているのに、脳や体がその主であるあなたのために全力で働いてくれるわけがありません。それは僕も同じように鬱でまともに勉強できるような状態ではなくて受験に失敗したのでよくわかります。だから自分を嫌いなまま努力してもダメで、自分を許し愛することから始めなくてはならないのです。
そのためには出会った人一人ひとりを許し愛することです。人は自分を許せない・愛せない要素を他人に投影して憎んでいるだけなのですから、出会った人一人ひとりを許し愛することで「自分大好き」というパズルが完成していきます。そしてあなたに愛されなくても今日まであなたを支え続けてきた体をいたわってあげて下さいね。
そもそも結果(見返り)を求めて努力(善行)をすること自体が創造主の愛に反する考え方なのであり、不幸に導かれるのは当然なのです。すべてを与えている創造主に対して、我々は決して交換条件を出してはいけないのです。
>すぐに今の夫を見つけて子供も産んで楽な範囲でパートで働いて自分の小遣いを貯めるというという女性が一番楽に思われる人生を歩んでいます。
それを羨ましがるということは、あなたはそういうイージーな人生を見返りとして求めながら努力してきたのでしょうか?僕らは成長のために生まれてきているのですから、形は人それぞれ違えどどっちにしても死ぬその瞬間まで苦労するのです。だからラクをしようとして努力すれば報われるわけがありません。
筋トレだってずっと辛い思いをし続けなければ体が鍛えられることはありません。だから苦難を与えられていることに感謝し、どこにもラクな道などないと達観して人生の課題を他人と比べず正面から立ち向かって行けば怖い物なしなのです。
結局、与えられた課題を恨みで返し、恐れて逃げるから課題が雪だるま式に大きくなってしまうのでしょう。そしてどこかにイージーな人生があって自分は運が悪いなどと自分の課題を他人と比べるからみじめになり、世界観・人生観がネガティブになってネガティブな世界・人生になってしまっているのでしょう。僕は3年半もホームレス乞食をしていましたが、苦労をゲーム感覚で楽しんで感謝していたので、毎日が幸せで少しもみじめなどには感じていませんでした。もちろん今も幸せです。
努力することは尊いことですが、結果(見返り)を求め、(金稼ぎの)能力=価値と考え、人に序列をつけるような考え方によって努力するのは良くないことなのです。その考え方では自分を他人と比べてみじめになるのが必然です。
あなたは姉が「能力が低く努力家でもなく私をイジメたことを反省もしていないのに運によって幸せになっている」と考えているようですが、僕はそうは思いません。この創られた世界にRPGに偶然は存在しないのです。そして人の苦しみは全て自分自身の考え方によって生み出されているのです。
我々は結果のいかんに関わらず努力(善行)をすること自体を愛するべきなのです。結果次第で愛・幸せが左右されてしまうような考え方をしていては、幸せにはなりようがないのです。
例えば貧しい人に施しをするのは見返りを求めないからこそ創造主から愛される「心の美しさの発露」となるのであって、もし貧しい人に施しをすれば必ず報われると最初からわかっていたら、その施しは善行でも何でもなく結果を期待した「醜いエゴの発露」になってしまいます。貧しい人に施しをすること自体を愛すれば、見返りなど何もなくても幸せになれるのです。そしてそういう人こそすべての存在の根源である創造主に愛され、より幸せな存在になり幸せな人生になっていくのです。
あなたの姉はあくまであなたの認識世界内においての姉のコピーAIが努力もなくラクして幸せになっているようにあなたからは見えているだけで、あなたの姉を主人公とする彼女の認識世界においてはそうではなく、彼女なりの苦労があり、彼女なりの学び・経験・成長過程(シナリオ)があるのです。
「楽は苦の種、苦は楽の種」であり、人生は決してラクをして楽しくはなれないのです。あなたの姉が本当にラクをしているのなら幸せなはずはないのです。他人を見てラクをして幸せになっていると勘違いするのは人生のトラップであり、それを呪えば全部あなた自身に返ってくるだけです。
「音と水の存在意義」に書いた通り、世界は波動でできているのであり、それは思念の乗り物なのです。あなたの思念・波動を一番近くで受け取るのはあなた自身であり、その影響を一番受けるのもあなた自身なのです。それは相手がどんな極悪人であっても同じです。だから出会う全ての人に対して愛情は無条件化していかなければならないのです。
あなたが主人公なのに、NPCである他人と与えられたものの違いを比べ、自分に与えられている価値に気づかず、不平不満を言ったり呪ったりしては全部それが自分に返ってくるのは自明なのです。逆にあなたが他人と比べるのを止め、与えられた全てに感謝し、その恩返しに生きるようになったら、魂が成長し、鬱を乗り越えてより大きな幸せを感じられるようになると思います。
2.臆病
臆病ではチャレンジに消極的になりますから、成長に反した要素だとすぐにわかりますね?
しかし人間は基本的に臆病に作られています。そしてその臆病さにより成長より保守(自己保存)を優先してしまうようにプログラムされているのです。それは我々に共通した課題であり、最初から自信満々で何も恐れないようでは、愛と勇気に価値は生じないのです。臆病者が振り絞る一握りの愛と勇気にこそ価値があるのです。
人生は愛と勇気を試すためのRPGですから、怠惰・臆病を乗り越えなくてはいけないのは当然のことであり、怠惰・臆病に陥れば当然悪い運命に導かれるように世界は作られています。
愛と対極にある要素がエゴであり、それは主に我欲と保身で構成されています。臆病というのはエゴ(保身)由来であり、六波羅蜜のように見返りを一切求めず無償で人に尽くし続けることによって乗り越えることができるのです。このあたりの話は「エゴ(欲)とは何か?」に書いています。
そして自分に自信がなく、自尊心・自己愛が低ければ臆病になるのは当然です。自信の身に着け方は「誰でも自信満々になれる方法」に書いていますので、熟読をお願いします。あなたは以前の僕と同じように、能力によって自信を築こうとし、それがうまくいかずに自信を失っているのでしょう。そして子供の頃から人に嫌われることで傷つくことを恐れ、自分を愛してくれる人だけを愛し、自分を嫌いそうな人のあら捜しをして予め嫌い、必然的に人の顔色を伺わなければならなくなり、主体性を失って人に振り回されてきたのでしょう。実は世の中そんな人ばかりなんですけどね。
しかし出会う人は全員自分の鏡であり、自分さえ出会った人をあくまでも愛し抜く覚悟さえ持てば、相手の顔色を伺ってビクビク恐れる必要などないのです。どれだけ嫌おうと自分を愛してくれる相手を嫌いきれる人間などいないのですから。
この資本主義の世界ではエゴ(我欲・保身・虚栄)のために生きる臆病さが肯定(むしろ推奨)されていますが、それはこの人生というRPGにおける初期設定であり、本当は臆病こそが最大の罪(課題)なのです。このRPGは愛と勇気を試すためのものなのですから当然です。最初から最後まで臆病なままで成長しない主人公が最終的に報われるシナリオのRPGや映画などありません。
どうかあなたという存在が創造主に愛されて生まれてきたということを知って下さい。あなたはかつての僕と同じように与えられているものの価値がわからず、試練をすべて恨み・呪いで返すことによって不幸に導かれてきたのでしょう。しかしそれも愛と勇気、覚りと幸せを価値ならしめるために必要な経験だからこそ与えられているのです。
あなたが生まれたのは偶然ではなく、必然なのであり、確率で考えたらあなたもこの世界も生まれてはいないのです。すべての病気や事故で死ぬ確率を全部合わせたらあなたはとっくに死んでいます。どうかあなたが創造主の愛ゆえに使命を与えられて「生かされている」っていうことに気づいて下さい。
3.被害者意識
世の中で一番簡単になれるものは被害者です。自分の不幸を他人や運など自分以外のせいにすればすぐなれますから。ただ思うだけで誰でも簡単になれるということは、成長する必要がありませんから、成長とは逆のベクトルであるということがご理解いただけると思います。我々が被害者意識に陥れば不幸に導かれるのは当然なのです。
あなたが主人公のRPGにおいて他人はあなたのために用意された脇役NPCであり、あなたの鏡でもあるのです。それは時間差のある拡大鏡であるので、相手と自分の違い・欠点や過ちを探して、自分が嫌っている相手は自分自身などではないという考えにすがるように人間は初期設定されていますが、それこそが人間に与えられた無明(愚かさ)なのです。それがなくては合わせ鏡に映った自分に向かってしゃべり続けるようなもので、物語は生まれようがありませんからね。
出会った相手の問題はあなた自身の課題(カルマ)であり、それを相手の問題で自分の問題ではない→解決しない相手が悪い→自分に嫌なことをしてきた悪い人間なのに自分より幸せになっているのは憎い→だから呪ってやれという考え方は、成長とは真逆のベクトルであり、やはり不幸に導かれるのは必然なのです。
この世界はすべて自分次第に作られているのであり、相手を変えようとしても決してうまくいかないようにできています。しかしそれを自分に与えられた課題と考えて自分が成長すれば(許し愛すれば)、相手も世界も変わるのです。この人生というRPGはすべてが主人公次第に創られているのです。
あなたはご自分の不幸を姉や親のせいだと考えて被害者意識に陥っているようですが、それはあくまであなたが自分の認識世界において悪役にしているのであり、他の人の認識世界においてはそのようではないのです。あなたが姉を許し愛せるようになったら、姉も別人のように変わるでしょうし、それを鏡としてあなたも自分自身を許し愛せるようになり、きっと幸せに導かれることでしょう。これを僕は実体験で経験しています。本当に「出会った人を誰も嫌わない」と決めた瞬間からたった一か月ほどで、それまで嫌だった人がみんな良い人に変わりましたからね。
被害者意識というのは恐ろしいもので、それは「自分は誰かのせいで不幸である」と認めることであり、「自分は不幸な存在である」とクリエイターに宣言しているようなものなのです。前述のように出来事というのは「自分はどんな存在か?」に合わせて与えられるのですから、どんどん不幸な出来事が訪れて人生全体が不幸に満たされてしまいます。
幽霊(霊障)というのは被害者意識で誰かに恨みを持ち、成長を拒否し続けた成れの果てであり、だから「恨めしや~」と出て来るわけです。その被害者意識こそが不幸の元凶であることに気づかずに。そしてその霊障が自分に似た波動の人間に取り憑いて、同じ経験・感情を味あわせて強制的に同情を引こうとするのです。それは
「憑依現象(霊障)について」に書いた通りです。そのようにあなたはかつての僕と同じように自身の被害者意識によって霊障に深く犯されてきたのだと思います。しかし決してそれに屈してあなたも幽霊のようになっていはいけないのです。あなたはとても困難な修行中なだけで、本当は愛の天使なのですから、どうか愛情を無条件化し、出会った人をことごとく許し愛せるようになって下さい。そして日々霊的に自分を清めて下さい。その方法は
「悪いカルマの解消法」などに書いています。
4.自己正当化前述したように、人間というのは(個人差こそあれ)基本的にとても臆病に作られています。そしてとても傷つきやすく作られているのです。それ何か問題が起きた時には、自分を守るために「自分は正しい、相手は間違っている」と自己正当化します。それは人間の基本的な自己防衛本能であり、もちろん僕も含めて基本は誰でもそうです。夢の中で自分がどれだけおかしい考え方をしていても、目が覚めるまでは自分でそれを正しいと思っているでしょう。それはこの現実世界においても同じなのです。しかし自分を絶対正しいと考えればそれ以上の成長などあるわけがありません。
どんなに自己否定的な人でさえも、その自己否定的な考えを「正しい」と思って生きています。鬱の人ほどその自己正当化本能は強くなり、他の人の話をまともに聞けなくなります。「同じ過ちを繰り返してしまう」に書きましたが、多くの人は今の自分の意見=自分自身になってしまっていて(意見のプライド化)、他人から違う意見を言われただけで自分を全否定されたと感じて傷つき、必死で「自分は正しい」と主張して相手を否定して傷つけ返してしまうんですね。
「誰でも自信満々になれる方法」に書いた通り、自信がない人ほど「自分は正しい=価値がある」と考えます。自信の根拠を能力(他者評価)に求め、それが得られないと自信を失って自尊心を病んで鬱に陥り、そして「正しさ」に依存するのです。正しさに能力も努力も要りませんからね。
ヤクザだって世間的には「悪い」人たちですが、その分「仁義」「筋」などに異様にこだわり、自己正当化しているのです。そして実際、彼らは彼らなりに人情があって筋も通っているのです。彼らは獲物や敵に対して容赦がないだけで、身内に対しては人情溢れる魅力的な人たちであり、またそのように周囲に慕われる人でなければ仁侠界であっても出世はできません。ただ単に悪い人というのはどこにいっても嫌われますから出世しようがありません。
正しさ(正義)は、必ず批判対象としての悪を必要とします。それで常に人のあら捜しをしては責めてばかりで人から嫌われ、人間関係は鏡なので当然自分のことも責めて嫌いになります。悪循環です。
世界はワンネスですから、自分と他人はイコールの存在であり、自分の自尊心と相手の自尊心は連動して上下します。それなのに自分の自尊心を保つため(傷つかないため)に、他人を見下したり責めたりして傷つけることで相手の自尊心を下げて、相対的に自分の自尊心を上げようとしてしまいます。そこれこそが人間に与えられた無明(愚かさ)であり、人間関係の問題というのは殆どがその無明(愚かさ)に起因しているのです。もしそれがなかったら簡単にワンネスが達成されてすぐ物語が終わってしまいます。
その悪循環(監獄・地獄)から抜け出すには、自分と他人を責めるのを同時にやめて許して愛し、お互いの自尊心を上げることです。それが鬱抜けのカギでもあります。
創造主は正義=エゴであると言いました。純粋な悪はみんなに嫌われて連鎖しないので巨悪にはなりえません。巨悪はいつでも表向きの正義の旗に隠されたエゴの連鎖によってなされるものなのです。だから常に正義より愛を優先することが大事なのです。何が正しいか・間違っているかより、自分がどう思考しどう行動するのが相手と自分に対する愛なのかを考えて実践して下さい。真理とは幸せとイコールのものであり、自分も相手も心から笑顔になる思考・行動ならきっとそれが真理なのです。
鬱の人は「自分は自分のモノだから、いくら虐めても構わない」といった感じで自分を責めて虐めるのが趣味というか癖になっていて、しかもそれを正当だと思っているのですが、あなたは創造主の分身(分け御霊)なのであり、自分を愛さないということは創造主(存在の全て)を愛さないということになり、それでは創造主(存在の全て)から愛を受け取れないのです。自分を愛することこそが、創造主(存在の全て)を愛することにつながり、幸運に恵まれるのです。欠点や過ちのない人間などいません。それを理由に人を嫌うことを正当と考えるなら、自分も他人も誰も愛せなくなってしまいます。どんな欠点・過ちにも屈せず自分を愛し、人を愛し、人生を愛し、世界を愛して下さい。
5.依存(逃避)
あらゆる依存は逃避行為であり、これも成長に反するベクトルであるとすぐにわかると思います。
あらゆる存在は支え合って関係性の中で存在しているので、自立より人を頼り頼られること(人を愛し愛されること)を我々は目指すべきなのであり、それがワンネスへの道なのですが、依存はその動機が逃避なので良い結果にはなりません。
特定の人に過度に依存すれば相手に負担になって関係性が悪化して嫌われたり共倒れになったりするでしょうし、人以外のものに依存すれば中毒になってしまうでしょう。成長に反するベクトルなのですから、不幸に導かれるのは当然と言えます。
いわば1~4の全てが依存・逃避であり、あなたの場合は人(家族・友人・医者など)やもの(酒やドラッグや精神薬など)には依存していないと思いますが、1~4に挙げたようなネガティブな思考・行動に依存している状態と言えるかも知れません。
成長というのは能力を上げることではなく、覚りに向かうことです。それは逃避しないということです。どんな時も絶対に逃げてはいけないと自分を追い詰めるのではなく、本当に辛い時は逃げて良いのですが、いつかは立ち向かわなければならないのです。RPGでもレベルが高い敵に遭遇したら逃げるのが得策な時がありますが、いつまでも逃げていては永遠にクリアできません。休憩して体力を回復し、レベルアップして再び難敵に立ち向かえば良いわけで、人生というRPGもそこは同じだということです。
覚りの道は愛・真理を覚り、自分という尊い存在の価値に目覚め、出会った人・人生・世界(つまり森羅万象とそれを創りし創造主)の価値に目覚め、自分も他人も許し、感謝し、尊敬し、愛せるようになっていくことです。
夢を見ている時に夢を見ているという自覚はありません。自覚できるのは目が覚めた後です。よしんば夢の中でそれが夢であることに気づけても、目が覚めている時の思考に戻る事はできません。それと同じように現在鬱であるあなたは、鬱であることを自覚してさえも、鬱でない時の思考に戻ることはできません。それを自覚するのは鬱が治った(乗り越えた)後です。
幼少期から鬱気味だと、鬱をもう自分自身の性格(存在)そのものと思ってしまい、鬱ではない思考というのがどういうものなのか想像さえできなくなってしまいます。しかし生まれた時から鬱の人などいませんから、心配しなくても大丈夫です。あなたはいつかきっと鬱を乗り越え目を覚まします。そして鬱も自分の成長のために必要だから与えられた経験なのだと気づくことでしょう。そうしたら今まで辛い思いをした分だけ、人に優しくなれる菩薩になるでしょう。
あなたは常識・他人の考えを基準にして考え、結婚や出産を幸せの条件だと思っているようですが、そうではありません。僕は実際独身で今年46歳ですが、目覚めてからはいたって幸せにしていますし、むしろ結婚しなくて本当に良かったと思っているタチです。僕には主人公として家族だけでなくみんなを幸せに導く使命があり、それはあなたもきっと同じなのだと思います(だからあなたは僕に導かれたのでしょう)
僕はあなたに結婚を諦めるべきだと言っているわけではなく、執着すべきではないということです。人それぞれ学びの過程(シナリオ)は違うのですし、結婚・出産しないから不幸ということはないのです。幸せを条件化すること自体が不幸の元凶だと気づいて下さい。
ただどうしても結婚したいというのであれば、今までのあなたはかつての僕と同じように解釈によって自分の世界を地獄にし、またネガティブオーラで人を遠ざけ不幸に導かれていると思うので、まず「誰でも自信満々になれる方法」をしっかり実践して、ポジティブな世界観を手に入れ、恋愛対象だけでなく出会うみんなを愛し愛されるようになって下さい。そうすれば自然と良い縁に結ばれると思うので。
そして宗教を毛嫌いせず、色んな宗教を学んでみて、信心を持って下さいね。エゴのために何かを願うのではなく、与えられているものに感謝の気持ちを示すために行ってみて下さい。無理に勧誘してきたり寄付や奉仕を強制してくるようなところからはすぐ逃げて、良い宗教に通ってみて下さい。信者になる必要はありません。やはり何かしらのご利益を目の当たりにしないと信心は芽生えにくいものなので(信心がご利益目当てになるのも良くないのですが、それはその後の問題です)。あなたにお勧めなのは本門仏立宗で無心にお題目を唱えることか、世界救世教や真光などで浄霊・お清めを受けることです。きっと運命が良い方向に導かれると思います。
なかなか僕の言っていることを感覚的に理解し受け入れることは難しいかも知れませんが、もしできたらアヤワスカをしにブラジルに来て下さいね。そうすればきっとわかって貰えると思いますし、鬱も良くなると思うので。
おつらい中、長文を読んでいただいてありがとうございました。あなたの幸せを心から祈っています。