【質問】
自分の人生に無関係な人がNPCなのは理解し易いのですが、身近にいる人々や真也さんも私の脳が作った幻で、実は存在しないのでしょうか?
「別々の自分の主観的世界にいるがP2Pのネットゲーム世界のように重なりあっているから一つの世界に見える」と言う説明が本当なら、真也さんや私が出会ってきた全ての人々は私の鏡で本当は存在せず(別の世界線にいる?)
コロナ禍というシナリオの中で学んでいるのは実は私ひとりだけなのでしょうか。それとも、このコロナに翻弄される世界がデフォルトでみんな似た様な世界線にいるのでしょうか?
もしも私だけの世界であるなら、コロナ禍を引き起こして私の世界にいる住人たちに迷惑をかけて申し訳なく思ってしまいます。
【回答】
ご質問ありがとうございます。
我々は世界の仕組みを理解できないように作られているのですから当然と言えば当然なのですが、まだあなたはほとんど理解されていません。僕自身、目覚める前に「宇宙の仕組み」について読んだとしても、ほとんど理解はできなかったでしょう。結局経験を通してしか理解できないものなのです。だから決してまだ理解できないあなたを見下しているのではありません。あなたがまだ理解できないのは、あなたの人生というRPGにおける現段階での進捗を遥かに超えた内容だからです。
大事なことは目の前の自分のRPG(覚り)を進めることです。僕がnoteで一番伝えたい内容は「誰でも自信満々になれる方法」であり、「宇宙の仕組み」はその論理的根拠のようなもので、「自分が主人公であること」さえ理解していただければ十分なのです。他にも「人の価値とは?」「反省してはいけない」「問題は解決しなくていい」あたりに書かれていることを日々その内容を実践していれば、無理に世界の仕組みを理解しようとしなくても、経験的に理解できるように導かれます。逆に実践・経験なしに深く理解しようと思っても無理です。
だから一応いつも通り全力でご説明しますが、今現在のあなたに説明してもきっとご理解はいただけないと思います。RPGにおいて必要なものは必要な時に必要なだけ与えられるのであり、今現在理解できないことは理解しなくても良いので、焦らないで下さい。僕の世界観をあなたの現段階で無理に全部理解しようとすると混乱して統合失調症のようになってしまうでしょう。
>>自分の人生に無関係な人がNPCなのは理解し易いのですが、身近にいる人々や真也さんも私の脳が作った幻で、実は存在しないのでしょうか?
関係があろうとなかろうと、実際に出会っていようといまいと、自分以外の人間は基本的にNPCです。そしてあなたも他人にとってはNPCなのです。
自分の世界は自分次第に作られていますが、そのような仕組みに作ったのは創造主であり、あなた個人の脳ですべてを作り出しているということではありません。既にある無数の可能性の中からあなたが人や出来事との出会いを選択している(引き寄せている)ということです。だから人生はRPGと同じだと再三お伝えしています。僕も他の人もあなた個人の脳が作り出した幻ではありません。統合意思(僕らの深層意識全体の総意)=創造主(クリエイター)が作り出したものをあなたという主人公の深層意識が引き寄せたのです。人はそのように自分が選択したシナリオの必要性に応じて必要な人に出会うのです。
あなたが出会う相手が完全自動で動いているAIの如きNPCなのか、それともそれをアバターとしてログインしている別のプレイヤーなのか、あなたには見分けることができませんし、見分ける意味もありません。それらは実質同じものであり、自分自身と同じように主人公として尊重し、愛する以外にないからです。
他人の存在が幻だというのなら、あなたが自分だと思っている自意識自体が幻に等しき仮象のものです。すべての存在は同一(ワンネス)なのであり、自意識(自分は自分である)分離意識(自分は他のものとは別の存在である)自己同一意識(自分はこういう人間である)この3つが「自分」という仮象を形成しているのです。
そしてそれぞれの存在には個性が与えられ、それは欠点や過ち(不完全性)と不可分なのです。個性=不完全性がなくては僕らは愛の物語を経験できません。しかし不完全性というのは幻であり、本当はすべてが完全なのです。愛(お互いが補い合い許し合うこと)を生むために完全たる創造主は個性・不完全性という幻を作り出したのです。
僕が全ては「幻」だというのは存在しないという意味ではなく、本来存在し得ないものが仮の形で実体化しているのです。ちょうど電源を落とせばデータだけ残してすべてが消えてしまうRPGと同じです。
このRPGは魂を成長させるためのものであり、そのために常に愛と勇気が試されています。そのためにあらゆる存在があらゆる手を尽くしてあなたを不安にさせ、怒らせてきます。しかし決してそれに屈してはいけないのです。
ゲームだから・相手はNPCだから何をしても構わないというものではありません。出会った人を自分自身のように愛し、大切にして下さい。ゲームは真剣になるほど楽しめるものですが、深刻になり過ぎては楽しめないものなのです。「しょせんゲーム、されどゲーム」です。そして「勇気なき愛は欺瞞であり、愛なき勇気は蛮勇である」と覚えておいて下さい。それは創造主からの大切なメッセージなので。
>>真也さんや私が出会ってきた全ての人々は私の鏡で本当は存在せず(別の世界線にいる?)
あなたはまだ世界線について全く理解されていません。世界線というのはネットゲームにおけるインターネット回線のようなもので、それは他のログインプレイヤーと世界を共有させているものなのです。
しかしシナリオ上必要なプレイヤーとだけつながっていれば良く、存在するすべてのプレイヤー全員と常時接続するのは無駄でしかないのです。だから僕らは70数億人がみんな一つの世界を共有しているように見せられていますが、実は全員とつながってはいないのです。
深層意識が選択しているシナリオのゴール(目的地)が変われば、それに合わせてルートも変化します。それはちょうどあみだくじのような感じで、主人公であるプレイヤーが別の世界線に移動したりすることは(特に主人公に目覚めようとしているプレイヤーには)気づかない間にも頻繁に発生しているのです。
しかし僕らはこのあみだくじを真横からしか見れないような感じになっていて、まるで一本の線であるかのように世界を認識しているのです。ただ実際は頻繁にルートは変化しています。これはまさにRPGと同じ仕組みであり、僕らは深層意識によってシナリオを選択し、それに合わせてルートは常に変化しているのです。それによって未来だけでなく過去も(現実そのものが)変化するのです。(マンデラ効果)
過去・未来というのも僕らの意識が作り出す幻の如きもので、本当はすべてが「現在」として存在しており、それが変化し続けている(因果を更新し続けている)のです。DVDの映画で、リーダーの光を当てて作り出した世界を視聴者が「現在」として認識しているのと同じように、僕らは本当の世界(データ宇宙)の中のほんの一点を「現在」として認識しているだけであり、本当は世界・人生は既にデータ(可能性)として全て一度に存在しているのです。
そしてこのみんなの意識が重なり合ってできている世界には、宇宙人のように他のルールのゲームをしているプレイヤー(意識体)もたくさんいるのですが、それらとモロに世界線がつながったらゲームがめちゃくちゃになってしまうので、通常はつながらないようになっています。つまり直接的な干渉はできないようになっています。しかし物語を面白くするために別次元の存在が主人公であるプレイヤーのシナリオ上の必要に応じて(宇宙法則の制限内で)僕らの世界線のアバターにログインして干渉してきたりするのです。稀には完全に別なゲーム世界(世界線)のアバターがこちらのゲーム世界(世界線)に交錯して出てくることもあります。それが僕らが物質世界において認識する宇宙人ですね。それは幻のように現れたり消えたりします。
無限に重なり合って存在しているルービックキューブを想像してみて下さい。その縦横の分割線を世界線・時間軸だと思って下さい。出会いというのはその世界線・時間軸が他の人のルービックキューブとピッタリ同じに揃ったときに一つの面(フィールド)を共有するようなイメージです。(あくまでイメージであり、厳密に例えれば世界線の数・面の数は無限に近いほどあって表現不可能です)
ピラミッドなどはそのルービックキューブの回転の基準点として存在しているのであり、命が尽きた後に転生してまた会いたい人にもう一度会うための仕組みだと「宇宙の仕組み」でご説明させていただいた通りです。ピラミッドは「ワンネス=本当はすべてが一つである」ことに目覚めた上位次元の存在の愛によって作られたものなのです。我々の世界線上において奴隷への強制労働などによってあのような高度な建造物を作ることは不可能ですし、王墓などの今まで考えられてきた建設理由はこのとてつもなくコストがかかる大事業の動機として不十分です。宇宙人も存在しますし、レムリア・アトランティス・ムーのような幻の大陸も実在しています。それは僕らが通常認識できる世界線上にはないというだけで、それらの世界も僕らの世界線・時間軸と交錯し、僕らの世界のシナリオの伏線に影響を与えているのです。
前述の通り因果というのは循環するものであり、過去が現在に影響を与えるように、現在は過去にも影響を与えているのです。それはまるでゲームやアニメで後からどんどん設定が付け足されるような感じで、つじつま合わせに無理が生じ、特定の世界線・時間軸上にいる僕らから見ると、矛盾点やミッシングリンクだらけになるのです。
宇宙や人間の出現もまさにそうで、我々の世界線でいくら過去を遡っても真実には辿り着きません。宇宙の全てを作っているのは世界線も時間軸も超越した上位次元の世界の存在なのです。ウィニングイレブンの試合時間をいくら遡ってもウィニングイレブンそのものが作られた時間には至らないのと同じことです。我々から見て上位次元の存在の時間は虚数なのです。宇宙も人間もピラミッドも、虚数時間軸・別の世界線で作られたものであり、我々の時間軸・世界線上において考古学的な調査をしたところで、研究が進めば進むほど後付けのつじつま合わせのような証拠が見つかるだけであり、矛盾点やミッシングリンクが多数見つかって、真実には辿り着けないのです。
>>もしも私だけの世界であるなら、コロナ禍を引き起こして私の世界にいる住人たちに迷惑をかけて申し訳なく思ってしまいます。
あなたはゲームのバイオハザードでゾンビが出てくるのは自分のせいだと思いますか?またウイルスを作ったアンブレラ社や、ゲームを作ったクリエイターを恨んで意味がありますか?
歴史や神話上のことであれ、あなたの身に起きたことであれ、過去に起きたことはすべてクリエイターがあなたの成長のために用意した伏線であり、乗り越えるべき課題なのです。それを自分のせいだと考えて申し訳なく思ったり、誰かを恨んだりしていてはゲームは進まないのです。
ただ、まだ主人公として目覚めてさえいない=レベル1にも達していないNPCであるあなたがいきなりダンジョンボスレベルを相手にしようとしても無理なのです。だからといって最初から諦めてNPC人生に逃げないで下さいね。
まず主人公として目覚めることです。つまり菩提心(真理を求め、衆生を救う覚悟)を持つことです。それがゲームの本当のスタートなのです。あとは神々に(自動的に)導かれるのです。今どんなにレベルが低くて何もわからなくても、世界を救うべく愛と勇気を持って突き進んでいけば大丈夫なのです。
それがなければあなたはただ「自分が選択している」という気分だけ味合わせてもらっているだけのわき役AIであるNPCに過ぎません。
繰り返しになりますが、人生はネットゲームなんですから、当然同じ設定・ルールでプレイしている人(意識)たちはいっぱいいます。世界線というのはネット回線のようなもので、それを共有するということは、同じゲームでなおかつ同じルームで共同プレイしているようなものです。
この世界とネットゲームとの主な違いは、モニターで見る目線ではなく、自分の意識がパソコンの中のアバターに入り込んでそのアバター目線でゲームの世界に入り切っているというところです。
あなたの認識世界(=あなたの仏国土)があなたのパソコンの中という感じです。あなたの認識できるすべてはそのパソコンの中にあって、その外側は認識できません。つまり他人のパソコンの中はわかりません。
あなたが出会う他のログインプレイヤーは、そのプレイヤーそのものではなく、お互いそれぞれのパソコンの中で連動して動くアバターなのです。
つまり他人はあなたの認識世界(仏国土)の住民であり、あなたは他人の認識世界(仏国土)の住民だということです。それは同時に両立するんです。カタカムナにある通り「カタチサキ」であり、物理的な大きさや距離などは関係ないのです。
だからあなたの仏国土の全員(出会った人の全て)が幸せになるように導き、他のプレイヤーと交錯する自らのカルマ解消(悪い因果の解消・課題クリア)に向けて正面から立ち向かい、NPCたちからの嘲笑・誹謗中傷などの抵抗に屈することなく、主人公として目の前の人から覚り・愛を実践によって連鎖させ、きっと世界を救って下さいね。
0 件のコメント:
コメントを投稿