2023年1月25日水曜日

原因不明の鬱状態から抜け出せない

【質問】
 ①失恋→哀しみ、喪失感、絶望感(当時は良く分からず、ただ不快でした)今振り返ると、当時は自他を激しく責める、自己肯定感の低さ等、真也さんのノートに記載されてる内容がかなりあてはまりまります。心身共に悪い状態でした。

このままで大丈夫だったはずが

②その後、私は大麻、特にインディカにハマっていきました。最初はなんだか楽しく、欲求も磨きが掛かった様に増加していきました。心身共に健康体に戻った気がしていました。

③その後、バットを経験したりするうちに、気づいたら、不安や焦りに呑まれていました。この頃から、自分が鬱だと思う様になりました。(大麻は悪いものではないと思いますが、鬱の引き金を引いた事は事実だと思います)大麻は気分を上げる為に使ってる事に気付いたのでやめました。

今の状態としては、[無]に近い感じがしています。欲がほぼ無く、感情が薄いと言う感じです。しかし昔の様に自他を責めたり、不快な気分に呑まれている事はありません。気になる事は①の状態は不快な感情に呑まれて、鬱状態だったのは分かるのですが、今は何で鬱状態にいるのか良く分からない事です。何となくインディカのせいか、お陰か内向性に磨きがかかりその興味の対処が自分の体調、気分に全てのベクトルが向いてしまっています。これは、心身の状態が大きな不安案件だから意識が向いてしまっていて、結局今は、[不安]と言った不快な感情に呑まれていると言う事でしょうか。

最近は、原因を知る必要が無いと言う真也さんのノートを参考に、この様な事は考えてません。今回は質問と言う事で、よく考えていた事を記載させていただきます。しかし、自分を内観する特に、心身の体調を気にする事は今でも続けています。今思うと③の段階から数年続けてる気がします。長く行いすぎて癖になっていました。最近、これは悪癖で、この行為含めて、今は自分で勝手に鬱状態にいる気がします。何か外部でのトラブルや、問題は無いのに、自分で自分の後ろ髪を引っ張っている気がします。書きながら、何と無く意味ないどころか逆効果な気もします。内観が悪い訳でも無い事を理解していますし、人生を豊かにする行為であるとと思います。ただ自分がやってる内観は病的なものなのでしょうか。真也さんに逆効果と言っていただければ頑張って止めたいのですが。

【回答】※1月27日更新
ご質問ありがとうございます。

僕もあなたと同じぐらいの歳の頃はあなたと全く同じような感じだったのでお気持ちはよくわかります。当時の僕には大麻のような自己逃避の手段が身近にありませんでしたが、自分自身も世の中も大嫌いで鬱だったので、もしその頃の僕にも何か逃避手段があったらきっとハマっていたに違いありません。

実際鬱の末期(自殺決行直前の1年間ぐらい)は心のタガが外れてドラッグにハマってしまっていましたし、今でも誘惑に負けそうになることはたまにあり(僕を聖人君子のように勘違いしないで下さいね)100%完全に克服したというわけではありません。人を救うという使命を投げ出したくないという思いがあり、またせっかく日々鍛えている体を失いたくないとの思いもあって、それが心の支えになっているので易々と誘惑に負けたりはしませんが、今後も戦いは続くと思います。それはもうカルマなので仕方がありません。だからこそ僕は誰の弱さも責めません。

僕は「反省してはいけない(より良い未来を掴むことに全力をかけるべき)」と書いていますが、原因を知る必要は無いとは書いてはいません。内観というのは瞑想などを通じて神我(ハイヤーセルフ)の視点から行うべきものであり、小我に捉われたネガティブな今現在のあなたの視点で自分自身の過去を眺めれば当然ネガティブな結論しか出ないでしょう。そして自分を守るためにそこにはブロックがかかっているので、結局内観したところで原因はよくわからないことでしょう。それは原因ではなく結果なのです。

あなたが大麻をやめたのは正解だと思います。大麻を全否定するつもりはありませんが、酒と同じで自己逃避の手段として癖になれば悪い影響が大きいです。気づかない間に自我を霊障に明け渡すことになってしまうからです。

いきなり完全にやめようとするのではなく、もっと大切なものを育てることに血心を注いで下さい。ダイエットや菜食などと同じで、死ぬまでずっと我慢が続くと考えると耐え切れなくなってしまいます。少しずつ減らしていって下さい。快楽・逃避行為に対する我慢は長く続かないように人間は作られています。我慢するのではなくもっと大切なものを育てることが大事なのです。蛇足ですが今の政府の麻薬対策は中毒者を社会から締め出すことで大切なものを育てさせないから厳しく取り締まるほど結果は逆効果なのです。

心の苦しみを知っているあなたこそが、それを乗り越えて人を導く使命があるのです。あなたにしか救えない人がいるってことです。善人を救うのではなく、自分より悪い人を許して救うことでいつの間にかあなた自身が救われるのです。

まずあなたが理解しなければいけないことは、精神病は霊障であるということです。あなたは自覚がない間に深く霊障に犯され、本当の自分ではなくなっているのです。詳しくは「憑依体質の存在意義」に書きました。

自分が自分であることに耐え切れず逃げ出したくなる「自己嫌悪」と世の中が嫌になって逃げだしたくなる「厭世観」が強くなり、自分自身を許せないために内省することに対して無意識にブロックがかかっているのでしょう。そういうところに霊障はつけこんで「そんなに要らないなら私がもらってあげるよ」とあなたの自我を乗っ取ってくるのです。

夢の中で自分がいつもの自分ではなくなっていることには気づけませんし、気づいたところでいつもの思考回路には戻れません。しかしその「いつもの自分」というのも、夢の中の自分と同じで気づかない間に意識が顛倒しているのが無明という闇を与えられた人間という存在なのです。そうでなくては魂は成長・愛を深く経験できないのです。

確かに鬱になったその入り組んだ複雑な理由を深く分析することにあまり意味はありません。僕が「反省してはいけない」で伝えたかったことは、自分の罪も他人の罪も幻であり、すべてを霊障のせいにして許すべきってことです。実際それは事実ですからね。そう考えると心が楽になるでしょう?そして霊的な穢れを日々祓い、本来の自分(神我・ハイヤーセルフ)へと立ち返っていくことが大事なのです。反省することよりよりよい未来を掴むことに全力を注いで下さい。


悪いカルマの解消法」もよくよく読んで、書かれていることを実行してみて下さい。すべてはあなたの魂の成長に必要だから起きていることなので、誰のことも責めず感謝の気持ちを持つことが大事です。そしてまずは真光でも世界救出教でも良いので無料で浄霊してもらえるところに通って浄霊してもらって下さい。その効果がわかれば、自然と信心もわいてきてより神々の加護が受けられるはずです。

もし借金してでも40万円ほどの資金と10日ほどの休みが用意できるのであれば、ブラジルにアヤワスカの儀式を受けに来て下さい。きっと良い導きが得られると思います。途中で逃げ出さなければ、ですが。元気になれば40万円程度の借金はすぐ返せます。できるだけ消費者金融などを頼らず、身内に借りて下さいね。

実態が伴わない努力に効果はあるか?

【質問】22歳・男性
真也さん、初めましてこんばんは。ノート、特に鬱の記事やその他ツイートを参考にさせて頂いている者です。

最近、ポジティブな思考や、感謝する事、自分に自信を持つ事などを始めました。そこで,疑問に思ったのが、とりあえず上に書いたような行動を取るのは実態が伴わなくても効果があるのでしょうか?

説明が難しいのですが、例えば、会話で面白くなくても、なんとなく自分も笑う事。頭の中の思考がネガティブだったら,ポジティブを埋め込む様にする事などです。


【回答】2024年10月21日更新
ご質問ありがとうございます。参考にしていただいてとても光栄です。

>実態が伴わなくても効果があるのでしょうか?

いえ、実態が伴わなければ全く意味がないどころか逆効果だと思います。

そのように「心から納得してないことに無理やり自分を従わせること」自体が不幸の元凶なのです。あなたはまだ考え方(解釈方法・世界観)がネガティブな段階にあり(それも覚りの一過程なのですが)、ポジティブな考え方に心から賛同できていないわけで、自分の本心とは違う行動をすれば苦しくなって続かなくなるのが必然です。逆に魂レベルで腑に落ちていることなら、無理をしなくても自然とその魂を主として行動に反映され、自分の認識世界全体に反映されることでしょう。

体というのは感情の楽器(Organ:オルガン)であり、あらゆる部分に管楽器のように管が通っていて、また打楽器のように膜が張っています。この次元において実際にその音が聞こえなくても、体は感情のバイブレーションを起こしているのです。腹がむかついたり、胸にこみ上げたり、色々です。我々はそのように常に感情のバイブレーションを発し、それを全身でありありと感じるように創られているのです。我々は感情(愛)を経験するために生まれてくるのですからね。

そして宇宙の仕組み」「音と水の存在意義に書いた通り、世界は超ひものバイブレーションでできていているのです。それは言葉(コード)であり、思念と感情の乗り物であり、音楽なのです。だから僕らの人生はオーケストラの如きものです。

そのオーケストラにおいて、僕らは人生をかけて体という楽器の扱いを上達させなければならないわけで、実態が伴っていないのに(考え方がネガティブで、演奏も調律も下手なままなのに)無意識に出してしまっている音(ネガティブな感情)の方を無理やり押さえつけて、胡麻化すこと(態度だけポジティブにする=実態の伴わない努力)ばかりしていては、ムダどころかむしろストレスが溜まって逆効果になるのは目に見えています。

感情は「感受性」という言葉がある通り「受動的」なものではあるのですが、「能動的」に楽器の取り扱い方(演奏・調律)を実践から学んで上達していかなければならないのです。

ネガティブな感情が生じてしまってから無理やり頭で抑え込むこと(我慢)ばかりやっていても、「感情音痴」は決して治らず、出てくるのは不協和音(負の感情)ばかりで、自分も周囲も常に不快にし、その抱えたストレスはいつか暴発して「やっぱり自分はダメだ」と諦めるようになるのは必然なのです。

今の時代「意識高い系」の人がとても多く(僕もかつてはそうでしたが)、彼らは実際に意識が高くなってないのに、他者評価依存のために他者評価でもって自尊心を上げることばかり考え、他人に対して意識の高さを演じてそれをアピールするのですが、それで結局は必ず息切れしてしまうのは、実態の伴わない努力をしているからなのです。そのようにまだ思考がネガティブなのに感情や行動をポジティブにしようとしても無理なのです。そしてそのような「意識高い系」の人というのは劣等感から「自分は優れた人間である」と思い思われたいがために心に愛を失くし、他人を見下したり責めたりしてマウントを取ろうとして人から嫌われ、優れた人に会えば嫉妬して劣等感に苦しみ、本心では実態が伴っていない自分を嫌悪して余計に自信を失うことになるのが必然なのです。情報商材詐欺師みたいなものは、こういう「意識高い系」をカモにしていますね。もっともらしいことばかり言って成功者・金持ちを装えば釣れるんですからチョロいもんです。

だから我々は常に「能動的」に感情を発する楽器の取り扱い(演奏・調律=考え方・愛し方)を学び実践して、経験を積んで魂レベルで納得しながら上達していく必要があるのです。どんな苦難があっても悪い音(感情)が出ず常に前向きでいられるぐらいに。それは覚りを開いて行くということとイコールです。ポジティブな考え方・愛し方になるよう成長していく方法については自分と他人の愛し方をご参照下さい。

例えば「心から感謝」できるようになるには、心から感謝できるような考え方を日々学んで実践し、魂レベルで腑に落ちるように成長していかなければならないのであり、魂レベルで感謝できていないのに頭で無理やり感謝しようと思っても心が伴わず、無理が生じて苦しくなり、またその心から感謝していないということが態度に現れ、それを相手に見抜かれて、感謝を示そうと努力しているのにも関わらず嫌われるのです。

そして「誰でも自信満々になれる方法」に書いた通り、自分に自信がない人がいきなり何の根拠もなく自信を持とうなんて思っても無理です。だから心から自信を持てるような考え方を実践から魂レベルで成長させていかなければならないということです。それをしないで自分の能力や正しさ(意見)を根拠に自信を持とうとしても上手くいくわけないのです。

「魂レベルでポジティブになれるように考え方・愛し方を成長させる」ということを全く意識しないまま大人になると、感情を無理やり押さえつけてばかりになり、結局感情に振り回されるか論理的に暗くなるかしかなくなり、感情のコントロールというのが絶望的に難しいことのように思えてしまいます。しかしそれは日々意識して訓練していれば誰でもできるようになることです。それができていないのは、今までそれを意識すらしてこなかったというだけのことなのです。まさに楽器の演奏と同じで、意識して練習していないのでは、どれだけ才能が与えられていようとも上達しようがないのは当然のことです。

心の取り扱い方(演奏・調律)の最も基本は、自分に与えられているもの(才能、環境、人・出来事との出会い)が、自分の魂の成長にとって常にベストなのだということを信じ、少しずつでも感謝できるようになることです。何事も「なぜそれが与えられたのか(どんな成長を期待されているのか・何に気づかせようとしているのか)」を「愛」で解釈することです。実際それは創造主からの「愛」で与えられているのですからね。

誰でも喜ぶようなものが与えられないと感謝できないのでは、その感謝に価値はありません。どんな苦痛・苦難も成長のために愛によって与えられているものなのだと気づいて心から感謝できるような人の感謝に価値があるのです。いつも言っていることですが、自分に都合の良いものだけ愛そうとする「エゴの愛」は、どんな悪人でも赤ん坊の頃から持っています。真に大人になるということは、自分に都合の悪いものも、自分の成長のために与えられている課題だと感謝して受け取りそれを乗り越えられるようになることです。

創造主の感情も基本は我々と同じであり、与えられたものに感謝できない人間にもっと与えたいと思わないのは当然のことです。現時点で価値に気づかず感謝できない人間なのなら、更にどれだけ与えても感謝されないことは自明だからです。そして既に与えられたものまではぎとられ続け、失うことでその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうのです。

人生という楽曲を自分で作り、その素晴らしさを体感できる機会を与えられているということは本当に素晴らしいことなのです。それを自らひどい曲にしておいて創造主(が与えた運命)に文句を言うのは筋違いであり、創造主の愛を受け取り難くなるのは当然です。

特に鬱の人はまず自分も他人も責めるのをやめ、許すということを意識すべきだと思います。鬱の本質は自分や他人を責めることであり、その解決の基本は自分も他人も許すことなのです。許すというのは我慢することとは違います。我慢というのは読んで字の如く、我(エゴ)で己の心を漫々にすることであり、「嫌だけど我慢してやっているのだ」という上から目線の傲慢な一時凌ぎを続けてどんどん心の中に不平不満を蓄積していたら、いつか爆発することは自明なのです。自利を考えず相手を許し相手のためを心から思って耐え忍ぶ「忍耐」が必要なのであり、それが愛なのです。忍耐を伴わない許し=愛に何の価値もありません。


note記事「誰でも自信満々になれる方法」でも、僕は「心から笑顔になれるように考え方(哲学)を変えていかなければならない」というように書いているのですが、なぜか多くの人が「鬱などで落ち込んで笑えない時でも無理に作り笑いをすべき」というような誤った解釈をしてしまうので困っています。

出会った人は例外なく、自分が主演の映画にボランティアで友情出演してくれている役者さんたちなのですから、たとえどんな悪役だったとしても出会いに心から感謝し尊敬し愛するべきであり、それをきちんと態度(笑顔)で示すべきです。

そしてその悪役たちも最終的には「本当はいい人たちでした」というシナリオを成就していくのです。そのように感情(音)そのものではなく感情(音)を生じる思考と行動(楽器の演奏・調律)を学んで実践し上達させていくのです。

人生はオーケストラであり感情のハーモニーですから、自分の感情(音)も他人の感情(音)も宝物のように大事に扱って下さい。それは当然それを発する楽器(その人)を大事にすることです。楽器を大事にする心なく、取扱い方も学ばずに人生が良い音楽(芸術・物語)になるわけがありません。

あなたがもし著名な演奏家で、ストラディバリウスのような何億円もする高価な楽器を貸与されていたら、それはそれは大事に扱うことでしょう。しかし「そのストラディバリウスをタダであげるから、明日臓器提供のために死んで欲しい」と言われてもきっと死なないでしょう。つまりあなたは今まで何億円もする楽器よりも遥かに価値がある「自分」を創造主から貸与されていながらその価値がわからず、まるで自分のものだからどのように扱っても構わないかのように考えて少しも大事に扱わず、また同じように他人の価値もわからないために大切に扱わずに平気で傷つけ、お互いに傷つけ合ってきたのではないでしょうか?(わかっていると思いますが、これは体よりもむしろ心の話ですからね)

嫌いな人・興味のない人・見下している人の感情ならどのように扱っても構わないかのような感じで大切に扱わず平気で傷つけていれば、相手からもこちらの感情をぞんざいに扱われて傷つけられてしまうのは当然のことです。

鬱の人は「自分は自分ものだから」と平気で自分を責めて見下してイジメて落ち込ませますが、それによって自分の心が毒で満たされ、心の住民(出会った人)みんなが風の谷のナウシカの腐海の植物のように毒を出すようになります。実際鬱の人というのは傷つきやすいくせいに平気で他人が傷つくようなことを言ってしまうのです。そのようなことを繰り返しているだけでは自分と他人の「心の扱い方」がいつまでも上手くならず、人生というオーケストラがいつまでも不快で悲惨なままなってしまうのです。

人を大切にするということの基本は、話を真剣に聞くということです。それは相手の意見を一切否定せず、その気持ちに同情すること・気持ちを共有することを目的化するということです。特に男性は「問題解決型」の脳をしているために、問題を解決しようという目的で相手の話を聞いてしまって、余計な提案なんてして相手を傷つけてしまうのですが、それを止めなければならないのです。

相手の話を否定せずに聞くというのは、相手の意見に従うということではありません。そのように考えるから話を聞くのが苦しくなるのです。我々の魂は本来同一・同源であり、同じ条件で同じ人生を歩めば必ず同じ感情・同じ考え方になるのです。相手は自分にはできない経験をしている貴いな存在なのですから、相手を自分の前世や未来世のように考えて完全に同じ視点に立って話を聞くことが大事です。「あなたはそういう経験をしたのですね。私は違う経験をしているのであなたと意見は違いますが、あなたがそういう意見になる気持ちには心から同情します」と、相手には直接言わずに心から思いながら、相手の話を愛を持って真剣に聞くことです。

つまらないと感じる話ほどむしろ真剣に聞いて下さい。徳川家康の言う通り、人はつまらない話を真剣に聞いてくれる人に大事な話をするものであり、つまらない話をされたらそれはその人と本当に仲良くなるチャンスなのです。人間関係はすべからく鏡であり、あなたが他人の話を面白くないと感じているようなら、あなたの周囲の人もあなたに対してそのように感じていることでしょう。(現在のあなたにいつもそんな面白い話をしてくれるような友人がいますか?)

お笑い芸人には面白いことが毎日のように起きていると思いますか?彼らは解釈の仕方(考え方・切り口)が面白いから芸人をやれているのであり、面白いことがなければ面白いことが言えないような人なら芸人などできません。彼らも僕らと基本的に同じ日常感覚がなければ共感が生まれず笑いなど取れないのです。あなたも日常を面白く解釈できるように日々努力してみて下さい。見方を変えれば世の中は驚きと笑いに満ちているものです。

人生というRPGにおいてクリエイター(創造主)は常に人や出来事との出会いを通じて導いてくれているのであり、人の話を聞けない人というのは必ず行き詰まるか事故るかしかなくなるのです。

最終的に話を聞ける徳川家康が成功し、畏怖されることで周囲に本音を言ってもらえなくなった織田信長が裏切られ、偉くなって頑迷になり周囲の話を聞けなくなった豊臣秀吉が晩節を汚して死後に家も没落したのは歴史の必然です。

どうか自分も他人も、人間という感情の楽器を宝物のように大切にして、うまく扱えるようになって下さいね。もちろん楽器といういうものは最初からうまく演奏できないのが当然です。だから最初から完璧にできない自分を許しながら、少しずつ、考え方(哲学)から体という楽器の音(感情)の演奏・調律が上手になるように頑張って下さい。学校の鼓笛隊や合唱と同じでみんなと一緒に毎日やってれば必ず上達しますから。

人生というオーケストラにおいて、演奏者は主体者である自分なのであり、他人の演奏技術の進捗は関係ないので、比較して劣等感に陥る必要はありません。自分と他人を比較してしまっているようでは自分を大切にできるわけがないのです。まさに楽器の演奏と同じで、他人と比較してどこまで上手になるかが大事なのではなく、自分が上達を楽しめればそれで良いのです。今超えられないハードルを自分の前に置かないで下さいね。

そしてどうか「覚り」というのを悲しみを感じなくなることのように勘違いしないで下さい。「覚り」というのは楽器の取り扱い(演奏・調律)が上手くなることであり、喜びも悲しみもありありと全身で感じ取れるようになることなのです。そうして楽器の取り扱いがうまくなれば、どんな曲(出来事)でも感情のタクトを自在に振れるようになり、人生を素晴らしいオーケストラのように楽しめるようになるでしょう。実際僕はそのようにして人生を楽しんでいます。



世界の救い方

【質問】 30代前半・女性 ペンネーム:Tipoo       職業:ピアノ・絵画講師 、アーティスト、フリースクールスタッフ              アヤワスカチャレンジャー 真也さん、こんにちは。 エゴによる悩み苦しみはかなり訂正されてきたんですが、今1つだけ願いがありま...