【質問】
こんにちは。夫と清掃業を生業にして3年目です。夫は26年目です。
一日中夫と一緒にいて、あまりにも愚痴不満、当たり前にある幸せへ目を向けない姿にこちらが苦しくなる時があります。対処法はありますか?
【回答】
こんにちは。ご質問ありがとうございます。
僕は母親がそのような人だったのでお気持ちは良くわかります。鬱で精神的に限界で帰省しているというのに、その度に愚痴と説教ばかり聞かされて余計に鬱が悪化して帰ったことを後悔していました。愚かにも自分の不幸の原因を親に求めていたのですね。
ただ配偶者は自分で選べるわけで、なぜあなたはそのような人と結婚したのでしょうか?それを帳消しにするような魅力があるのか、それともたった数年で別人のようになってしまったのか、いただいたご質問からは分かりません。
まぁ全てはカルマ(シナリオ・課題)であり、この世界に偶然は存在せず全て運命ですから、それを言っても仕方がないのですけどね。RPGの設定に文句を言ってもゲームは進みません。
この人生というRPGは自分を主人公とし、全ては自分次第に作られています。そして人間関係はすべからく鏡であり、夫婦は常に一番近くにして最大の鏡です。
「あの人は愚痴ばかり言う」という愚痴。「あの人は悪口ばかり言う」という悪口。・・・人は往々にして自分を除外して考えて被害者意識に陥るのが常ですが、相手を見て自分の課題解決に向けた気づきとしなくてはなりません。かつての僕も含めて大多数の人はそれが全く出来ていませんから、最初から出来なくても自分を責めて落ち込まないで下さいね。気づきさえすれば自然と出来るようになる事ですし、自分と他人を責めることを同時にやめることが真の幸せの必須条件ですので。
あなたは不幸の原因を旦那さんに求めて責めて(説得して考えを改めさせようと)対策を考えていらっしゃるようですが、そういう基本姿勢でいる限りはきっと上手くはいかないでしょう。旦那さんの人生観を否定しプライドを傷つけて益々意固地にさせて逆効果になる絵しか浮かびません。あなたが出会った人はみんな主人公であるあなたのカルマ(課題・物語の伏線)を映し出す鏡であり、全てはあなた次第なのです。
アドラーの言う「課題の分離」など信じないで下さい。相手の課題(カルマ)を自分の課題(カルマ)のヒントとして自分が成長していかなければならないのです。厳しい話ですが、創造主曰く人生とはそのように作られているそうですよ。
もしあなたが本当に与えられているものの価値に気づいて些細な事にも感謝して幸せに生きている人なのなら、旦那さんはそれだけで「自分は最愛の人を幸せにしている」と生き甲斐を感じて幸せなはずです。そうでないなら結婚などしないでしょう。
清掃、特にトイレ掃除などは、誰でもできる仕事でありながら、一般的にみんなが嫌がり人に押し付けたくなる仕事です。でもそれを決して罰ゲームのように考えてお金のために嫌々やっているようではいけません。清掃・介護こそが神事であり、最も神の意思に適った仕事なのです。
全知全能である創造主は、本来唯一の存在であり、全部完璧に自分でできるので、他の存在を必要としません。つまりそこに愛は存在しません。創造主は敢えて個性(欠点や過ち・罪と恥)のある人間というアバターをたくさん作ってその中に入り込み、敢えてお互い助けが必要なようにして許し合い補い合わせて愛を生み出しているのです。だから人に尽くすということは神に尽くすことなのです。愛で人に尽くさずエゴによって対価を貰うためにしか人に尽くさないというのは本来醜いことなのです。
あなたのRPG世界はあなたが主人公です。主人公は世間的に有名で評価されている人間ではありません。この世界にログインしている人間は例外なく自分の世界の主人公なのです。出会った人を次々に幸せにしてその連鎖で世界を救う=幸せにするのが主人公です。
どうか清掃業という仕事に誇りを持って下さい。私の仕事も広義では清掃のみです。常に環境だけでなく心身も含めて清掃しているのです。人の生む汚れ(欠点と過ち・罪と恥)が清掃に明け暮れる僕の存在意義を生み、愛を生んでくれているのです。汚れはありがたいものなのです。
多くの人は物質的にしかものを見れませんから、スピリチュアルな穢れ(悪い思念)の悪影響がいかに大きいかが全く分からず、穢れを祓うことを全く意識していません。そして魂に汚れを溜め、心が一度も掃除をしたことのないトイレのようになって不幸に陥っているのです。
物理的に綺麗にしても、その分だけかえって心に汚れを溜めているようでは不幸になるのは当然なのです。カルマ=穢れなのです。だから清掃で物理的に綺麗にすることを通じて、心も綺麗にしてカルマを浄化していかなければならないのです。他人の穢れを清めることで自分を清めさせてもらえる清掃という仕事はありがたいものであり、それを嫌々やって他人の穢れまで貰ってはいけません。
本当に清掃業という仕事に誇りを持って心から愛しているのなら、あなたは心身ともに清潔を保ち、身体や衣服や掃除道具や自分の家が汚れているということはあり得ないでしょう。清掃業に疲れて心も体も道具も環境も汚いままになっていませんか?それが世界を生み出すあなたの魂の光を汚して不幸に導いているのです。
清掃で対価を得ることを目的としてお金を愛するのではなく、お金に関係なくただ純粋に汚れたものがどんどん綺麗になって喜んで貰える事が嬉しいという過程を愛して下さい。そうでなければ清掃業は単に嫌な事を我慢して駄賃を貰うだけの辛くてつまらないものになり、人生そのものが罰ゲームのようになってしまうでしょう。あなたが清掃業という仕事に誇りを持って心身と環境を綺麗にして心から幸せになるのなら、旦那さんはきっと幸せになって愚痴などこぼさなくなるはずです。
そして心から信じられる宗教を見つけ、信心を持って下さい。またできれば世界救世教など手かざし浄霊をしてくれる宗教に通って浄霊を身に着け、お互いを清めあって下さい。特に清掃業をする人は穢れを貰いやすいので必要です。(医療・介護などの人もご注意下さい)。お経・マントラなどを唱えて神々の御名と偉業を讃えてその守護を受けることも大事です。
今回大分手厳しく説教臭い回答になってしまいましたが、あなたに本当に幸せになって欲しいという僕の愛が伝わっていると幸いです。
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