2022年6月20日月曜日

小さなことにイラついてしまう

【質問】
最近小さなことにイラついてしまうことが多いです。妬みや失敗、本当に些細なことです。

調子のいい時はイラつくこともなく、仰っているような「これも人生を楽しむ為の試練や経験」と捉えることが出来るのですが、調子の悪い時はその考えを押し殺すようにイライラしてきてしまいます。

抑える方法が分からずとても苦しいです。そしてその後はそれに反省し、辛く悲しくなります。他人にイライラしていることを悟られない様に抑えるのも苦しいです。考え方を変えなければいけないことは分かるのですが、非常に難しく感じます。どうしたら良いのでしょうか…?

【回答】
ご質問ありがとうございます。※9月7日更新

僕も鬱の頃は長年まさにそんな感じでしたよ。嫌な考えがどうしようもなく沸き起こってグルグル頭を巡って、どうやっても止められない感じでした。いつもイライラして、自己嫌悪で落ち込むことの繰り返しで(自分自身とその運命に対する苛立ちを他人に投影してイラついていたのですね)人を避けて孤独に陥っていました。そういう人は今とても多く、あなたが気づかないだけであなたの周囲にもたくさんいると思います。

しかしそれは本人が悪いのではなく、霊障の仕業なのです。鬱が治ったからこそそれがわかります。スピリチュアルなことを信じていない人にはとても信じられないことだと思いますが、本当に本当なのです。鬱=霊障です。

魂とは全て創造主の分け御霊であり、智慧の光そのもの如き善なる存在なのです。そのままではすぐ創造主と一つになってしまって簡単に成長ができないために、我々分け御霊達はこの世界に無明(愚かさ・迷い・エゴ)を与えられ、カルマ(課題・シナリオ)の中を生きているのです。

もともと一つの光だった我々の魂は無明の闇によって分けられ、個性・エゴを与えられ、簡単に一つに戻らないように同じ磁石のように反発するのです。簡単に一つになっては愛が生じず個性の存在意義がなくなるのでそのようにしているわけです。その反発力がエゴであり、それを乗り越えてまた一つになろうとする引力が愛なのです。エゴ同士は反発し合い、愛同士は引かれ合うのです。磁石の極と全く同じように、片側だけでは存在できません。基本的にこの世界の存在はすべてこのようにポジティブとネガティブの両極で二元的に作られています。そうでないと位置が確定できないので、価値(存在意義)も確定することができないのです。

無明(愚かさ・迷い・エゴ)というのは基本的に霊障(霊的思念の穢れ)によって構成されているもので、我々が考えるよりはずっとデジタルかつシンプルな存在であり、悪い思考・行動は全部霊障がもたらしているものなのです。あなたのイラつきもこれを原因としています。霊障はこの人生というRPG(愛と勇気の物語)において悪役を担ってくれているわけです。それはひとえにあなたに成長を願って与えられているものなので、決して恨まないで下さいね。

イラつきの直接的な原因は、お互いの個性(欠点や過ち)・エゴ同士が反発するからであり、基本的には自分が成長することなく、相手の側の個性を変えようとするために生じるものです。あなたの人生というあなたを主人公とするRPGはすべからくあなた次第に作られており、あなたが変われば(時間差はあっても)必ず相手も変わるのです。あなたの認識世界において他人はNPCのような存在であり、あなた自身を映し出した鏡であり、主人公の物語を盛り上げて成長を促すために、クリエイターのプログラムした通りに動かされているのです。(実はあなた自身も他の人にとってそうなのですけどね)

このあたりの話は他の方への質問「憑依体質の存在意義」に詳しく書きましたので、ぜひご一読いただけると幸いです。

あなたが「自分のせいだ」と思っていることでも、悪いことはすべて霊障がさせていることなのです。自我は幻の如きもので、人は霊の集合体であり、肉体は霊の入れ物のようなものなのです。そして人はすべて霊的意思によって動かされているのです。「人は常に無意識(霊的意思)によって動かされている」これは受動意思仮説における様々な実験でも明らかになっていることです。

これは当然と言えば当然の話で、もし意思が脳により作られるものなら、脳のない単細胞生物やウイルスがあれだけ意思をもって複雑な活動ができるわけがないのです。世界はすべて超弦でできており、それは波動を伝えるものであり、波動は霊的思念の乗り物であり、細胞はその塊なのです。血液細胞も腸内細菌もウイルスもみんな意思を持って宿主に影響を与えているのです。

人間は霊の集合体であり多面的な存在なのに、常に自意識によって「全部自分である」と自動的に自己統一化するので、自分の中に意識が多数あることを自覚できません。霊障のせいであっても「自分のせいだ」と自責の念にかられます。そして鬱になると悪いことだけを選択して思い出して「ダメな自分」で自己統一化しようとし、良い部分があっても全く見えなくなります。鬱になると何でも出来事を悪く解釈し、その「悪い」出来事を何度も何度も反芻して嫌な気持ちを追体験するような高速循環回路が頭の中にできあがってしまうんですね。そしてどんどん自己嫌悪・厭世観に陥ってしまう悪循環から抜け出せなくなるのです。しかしあなたが自己嫌悪に陥れられる時点で、自分の中の意識とは一つではないことに気づいて下さい。

我々は冷静に自分の良いところ・良い思い出を思い出し「ダメな自分の自己統一化」を一つ一つ外していく必要があります。もし自分の良いところ・良い思い出が一つも思い出なくなっているとしても、これから作れば良いだけです。宇宙の仕組みに書いた通り、時間は幻で因果(過去と未来)は常に更新されているものなのです。今あなたが変われば過去も未来も変わるのです。

単に悪いものを排除すれば良くなるという発想は短絡的過ぎます。善に価値を与えているのは悪なのです。この世界のすべては二元的(陰陽)で相対的にできているのです。腸内の悪玉菌を全部排除したら人はかえって病気になるのです。心も同じです。この世界は絶妙なバランスで成り立っているのです。悪は排除するのではなく、許すことなのです。許しは愛そのものであり、我々は許しを経験するために生まれてきたとも言えるのです。

悪い考えを「自分自身のせいだ」と考えて一度深い自己嫌悪に陥ると、自分が自分であることに耐えきれなくなり、自意識が乖離しはじめて無数の霊を魂でコントロールできなくなり、どんどん自我の主体者を霊障に明け渡してしまうことになります。そして鬱を通り越して統合失調症や多重人格症など様々な重い精神病を患うことになります。

だから悪い考えを無理に抑えたり排除したりしようとするのではなく、まず自分と他人を責めるのを同時にやめて「悪いことは全部霊障のせいだから仕方がない」と許して下さい。もし悪い考えが浮かんでイライラしたり、過去にした悪いことを思い出したりしたら、「これは私の魂ではなく霊障がさせていることなのだ」と客観的に見て許すのです。

そしてただただ霊的に清めることを考えて実行し続ければいいのです。過去の自分を自分で責めたり他人から責められたりしたら「ごめん、悪霊に憑りつかれてたから」ということで自分を自分で許せればいいのです。相手に許されるかどうかは重要ではありません。あなたが自分自身と相手を許せるかどうかが大事です。

霊障によってエゴに埋没して不幸なまま亡くなった人の霊的思念の塊というのは、同じように霊障としてネガティブな思念体として憑りついて、同じ痛み・苦しみ・不幸を味合わせようとしてきます。そしてエゴに埋没して他人の気持ちがわからないようにして、周囲から嫌われて自己嫌悪・厭世観に陥るように仕向け、自我の主体者としての地位を自発的に明け渡させて乗っ取ろうとしてきます。主人格であるあなたは主人公としてそれを止めなければなりません。

だからあなたがエゴを手放し、他人の痛み・苦しみ・不幸に心から同情できる優しい人間になり、出会った人を例外なく尊敬し感謝し許し補い愛せる主人公・メシアとして目覚めたら、悪霊たちはお役御免で成仏して去っていきます。逆にいつまでも主人公・メシアとして目覚めないなら、これでもかというほど霊障があなたに不幸をもたらすことでしょう。

霊障(霊的な穢れ)というのはトイレと同じで毎日汚されるものであり、毎日心身と環境を清め続ける必要があるのです。どうすれば霊的に清められて悪いカルマを解消できるかは、こちらをご参照下さい。「悪いカルマの解消法」まずは信心を起こして日々霊的浄化・成長に努めることです。

悪いカルマの解消はとても大事なことです。冒頭に書いた通り、カルマ(人生のシナリオ・課題)は霊障によって作られていて、それを乗り越えることで我々は成長できるのです。

人生というRPGは愛と勇気を試すためのものであり、そのために世界はありとあらゆる手段であなたを怒らせ、そして怖がらせてきます。決してそれに屈してはいけないのです。愛と勇気を試すためのRPGにおいてエゴ(我欲と保身)による選択が最終的に正解だというシナリオはありえません。エゴは愛・勇気とは対極にあるものだからです。どんな選択・試練も愛と勇気を試されているのだとわかれば、ブレーキが壊れたかのようにひたすら前に進めるはずです。

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