【質問】40代前半・男性
質問だらけで恐縮ですが、自殺も考える程に悩み、死ぬ前に後悔したくないので恥を忍んで色々と質問させてください。
1.時間の進み方について
物理的に針が進む時間と、体感的に感じる時間が明らかに違う時があります。時間とは本人の意識が感じるままに常に変化しているのでしょうか?もしそうなら同じ時間を生きていても、不老の人と早老の人の様に変化が異なるのでしょうか。
2.以前、世界線?の説明をしている時に、この世界線の偉大なる指導者が亡くなったから一部の者が違う世界線から、この世界線に導かれたと説明していましたが、その偉大なる者とは誰の事ですか?また、つまり並行世界は既に誕生しているのか、試験的段階なのか、または各自の視点が異なり主観的世界に映るこの世を並行世界と表現しているのか、教えてください。
3.我々はアヴァターラを通じて、この地球という仮想現実世界に繋がっていると思いますが、我々のこのアヴァターラを操作しているのはスピ界で言われる五次元の自分自身(ハイヤーセルフ)なのでしょうか?または創造者が用意した各アヴァターラに、分離した我々の意識がどの容器(肉体)に搭乗するか選択して乗り込み映画鑑賞のように予め決まった選択を、さも自分で選択している様に錯覚しているのでしょうか。
また、我々の本体は何処からこの仮想現実に繋がっているのでしょうか。創造者の内部(統合意思)で個に分離した幻を見ながら繋がるのか、真っ暗な部屋や何処かの惑星から地球仮想現実ゲームに繋がっているのでしょうか。
4.統合意思=創造者が作り出した物から、私の深層意識が引き寄せたと言う説明ですが、それは毎晩夢の中で必要な人や出来事を、私が選択し明日の物語の準備をしているのか、高次元の自分が誕生(分離)前に予め計画した物語なのか、創造者が私の為に引き寄せているのか、波が粒になる様に瞬間毎に私が意識で具現化しているのか、どれが1番適切な解釈だと思われますか。
5.各自が主人公である事は分かるのですが、真也さんが仰る様に世界を救い愛で地球を救う事が全プレイヤーの使命なのでしょうか。それとも各自で使命を選び、人の数だけ使命も異なるのでしょうか。少なくとも私の視点から見る世界では絶望的な位、不正、不自然が蔓延り、創造主のサポートも足りなければ自身の愛のレベルも低すぎて、とても今世で世界を救えるなどとは思えない程の闇が跳梁跋扈しています。何故自分如きにこれ程難易度が高すぎる設定が施されたのか疑問で仕方がありません。たまに創造者が愛とは思えず、むしろ闇の応援ばかりしているのではと勘繰りたくもなります。勧悪懲善的な。
死への恐れや生命の執着は無くなってきましたが、この救われていない世界は来世に引き継がれるのでしょうか。今世で学んでいる事を忘却しなければ良いのですが、また1から学び始めるとなると終わりは来るのか頭が痛いです。
真也さんが主人公の並行世界では既に世界は救われているのでしょうか、それとも誰もが同じ、この仮想現実世界の惨状を認識しているのでしょうか。
6.創造者が無償の愛を体現する者ならば、何故覚りを開いたり愛を体現するという条件が(最終的に)求められるのでしょうか。愛を体現し覚りを開いた人間を(結果的に)可愛がるのは全てを創造出来る者の無償な愛としては、何か物足りなさを感じます。それとも無償の愛を持つのが創造主で当たり前として勝手に人間が決めつけているだけなのでしょうか。
7.真也さんが創造主と会話した時のエピソードや、どんな風に語りかけてくるのか、また自殺企図した時の話も含めてお伺いしたいです。私も先にエゴが死ぬか、私の肉体が死ぬかぐらい追い詰められているので、話して頂けるのならば、その時の体験をどうしても聞きたいです。
【回答】
ご質問ありがとうございます。
まず、もし幸せになりたいのなら、自殺なんて考えるべきじゃないです。それは「自殺・安楽死したらどうなるか?」に書いた通り、退路を確保しようとする人間は、必ずその退路へと導かれる運命だからです。そして「悪いカルマの解消法」に書いた通り、カルマを解消するには、自分の役(使命)を最後まで全うするという覚悟が必要なのです。
絶望(鬱)は覚り(成長)に必要な過程であり、夜明け前が一番暗いのです。鬱の真っ最中にある時はとてもそれを信じられないでしょうが、僕は実際長年の鬱(絶望)を乗り越えて今があるので、どうか信じて欲しいと願います。
たくさん質問して下さるのはありがたいことなのですが、僕も同じ事の説明の繰り返しに少々疲れてきているので、事前に僕のnoteや質問箱をよく読んで下さいね。
特に「未来に絶望したくなる」はぜひ読んで下さい。もしこれで通じないのなら、僕があなたに文章で説明するのは無理です。正直に言ってあなたにはこの世に絶望したい(そうすれば主人公に目覚めない・成長努力をしない自分を正当化できる)という動機ありきで、僕の言うことを本気で理解しようとしておらず、意図的に誤解しているのに、それを自覚することも無意識に拒否しているように感じられます。
質問をすること自体は全く恥だと思わないで下さい。ただ「自殺も考えている」などと言って質問攻めにして回答を急かすやり方は少しだけ恥ずかしいと思っていただけると幸いです。今回急いで回答しましたが、僕から見るとあなたの質問内容はどれも興味本位というか、緊急を要するような内容ではないように感じられましたので。
あなたはご自分の悩みが「この世のシステムがわからないこと」のせいのように考えているようですが、この世のシステムがわかったからといってあなたの悩みがなくなるわけではないでしょう。大切なのは使命を果たすことであり、魂を成長させることです。プレイヤーとしてRPGを楽しむのにプログラミングを学ぶ必要はないのと同じことです。
そもそも覚りというのは魂の成長(実践)と共にもたらされるものであって、ネットで情報として手に入れられるようなものではないのです。僕が言うことはあくまで僕の解釈であり、あなたという主人公にとってあくまでも参考(ヒント)程度にしかなりません。
あなたは「誰でも自信満々になれる方法」を読んで実践していますか?それはこの世のシステムを知るよりずっと大切なことであり、幸せに直結している(あなたの悩みを解決し得る)ものです。
1.時間の進み方について
これは既に「宇宙の仕組み」でご説明している通りです。時間は意識(認識)が作り出しているものなので、当然人によって感じ方は違いますし、基本的に歳を取るほど時間が経つのは早く感じられるようになります。パラパラ漫画をめくるように・DVDを読み書きするように・映画のフィルムを回すように、時間というものは意識が仮想的に作り出しているものなのです。
2.世界線について
残念ながらあなたはまだ自分が主人公だということの本当の意味が理解できていません。周囲を見渡して何が普通で何が常識かを意識し、また会ったこともない他人の不幸や悪事によって世を嘆いたりと、いつも他人(NPC)を基準にして物事を考えるNPC思考から抜け出せていないのです。それでは主人公は務まらないのです。
僕らは言わば全員が同一人物のようなものです。分離意識・個性・無明(エゴ・迷い・愚かさ)が与えられることにより、それぞれが別な存在だと思い込まされることで愛と成長の物語を生み出しているだけなのです。
この世界というRPGは「主人公に目覚めた者」こそが歴史を作るというシナリオになっています。だからただ「偉大なる主人公」として目覚めれば良いだけの話なのに「その偉大な主人公とは具体的に誰のことですか?」のように聞くのは、あなたはまだ主人公として目覚める気がなく、自分ではない誰か別の主人公の脇役NPCとして生きようとしているからでしょう。
あなたが目覚めさえすれば、例えばキリストも釈迦もあなたの一部であり、あなたがキリストや釈迦の一部でもあるのです。もちろんキリストや釈迦はわかりやすい例として挙げただけであり、本当は全ての存在があなたと分かれて存在しているわけではないのです。
この人生というRPGは、あなたが憧れのヒーローを目指すなら、ゲームをクリアした後にはあなた自身がその憧れのヒーローと同一人物であったことに気づかされるという素敵なシナリオになっているのです。ドラクエⅢで勇者ロトの伝説を追いかけて行ったら自分自身が勇者ロトだったのだと気づくように。
「ピラミッドの存在意義と仕組み」に書いた通り、僕らの主観的世界(4次元時空)が無数に重なり合って5次元宇宙を構成しています。オンラインゲームでログインしている全員が主人公のようなもので、それぞれの世界が重なりあっている(世界線を共有する者の世界が連動している)ということです。そしてRPGの如く、主人公の選択によりシナリオは変化します。それは言い換えれば、可能性の数だけ平行して存在している自分の認識世界を選択し続ける(一つに収束させ続ける)のが人生だということです。(前者も後者も無数の平行世界の重なり合いという意味では同じですが、軸が異なります)
3.アヴァターラ、ハイヤーセルフについて
ハイヤーセルフは高次元の存在であり、より全知全能の創造主に近い存在なので、人間(アヴァターラ)をダイレクトに操作できたら何の成長要素(ゲーム要素)もありません。
先ほど説明した通り、分離意識・個性・無明(エゴ・迷い・愚かさ)が与えられている人間というアヴァターラを、僕らの意識は「自分」だと思っているのであり、ハイヤーセルフはそれを導くことが使命なのです。
当然僕らの物語はハイヤーセルフ(RPGのプログラマー)の導き通りには進みません。だからこそ困難があり、成長要素(ゲーム要素)があり、物語(芸術要素・存在意義)が生まれているのです。
僕の言う「目覚め」というのは、人間(アヴァターラ)の意識からハイヤーセルフの意識に目覚めることだとも言えます。それは人生というRPGをプレイヤー目線ではなくプログラマー目線・クリエイター目線で見ることだとも言えます。
僕らの魂は創造主の分け御霊であり、光そのもののような存在です。創造主という一つの光を分離するには圧倒的な闇=無明(エゴ・迷い・愚かさ・分離意識)で包みこむことが不可欠なのです。それがなくては存在意義(物語・芸術)が生じないのです。
夜空を見上げれば、一つの光を分離するのにどれだけ圧倒的な闇が必要かわかるはずです。僕らの魂は星を経由して(宇宙の闇を経由して)この仮想現実世界にログインしているのであり、その仕組みがなければ僕らの「自意識」は存在し得ないのです。
それは僕らの自意識が星を経由することで仮に成立・存在しているということであって、魂は物理的に「体」を成しているわけではないので「本体」は「どこ」にあるのか?などと考えても意味がありません。
元々「存在」=「創造主」であって、我々も含めてすべての存在が創造主の一部であり、その外側というのは存在しません。僕らが僕らに与えられた闇=無明(エゴ・迷い・愚かさ・分離意識)によって、「自分」は創造主や他の存在とは別な存在であると認識しているだけで、本当は全ての存在が一つ(ワンネス)なのです。
4.誰が人生のシナリオを描いているのか
RPGはクリエイターによりシナリオが最初から用意されていますが、その中でいかようにも自由に選択することが可能です。この仮想現実世界もRPGなのですからそこは同じなのです。
しかし本当は世界に創造主でないものなど存在せず、僕らも創造主の一部なのですから、当然創造主は僕らが何を選択するかも創造主(≒統合意思)は全部知っています。全知全能というのはそういう存在なのです。
創造主はわざと僕らが何を選択するのか知らないかのように自ら思い込んでそう振舞わないと人生と言う物語・芸術が成立しない(退屈である)から、そのように自ら思い込んで振舞っているだけなのです。
そのために創造主は我々のハイヤーセルフ(我々の上位次元の存在)を創り出し、それをフィルターのように通してそれぞれの主人公のシナリオを描いているのであり、僕らアヴァターラは無明(エゴ・迷い・愚かさ・分離意識)ゆえにそのシナリオがよく見えず、自意識とその自由意志(解釈)によりそのシナリオを自由に選択させてもらうことで人生という芸術・成長・愛の物語を体験させてもらっているわけです。
全知全能ゆえに完璧な最適解以外を出す理由を持たない創造主は、次元を降ろした存在に自意識・分離意識・個性(欠点や過ちを含む)を持たせ、その存在に更に下位次元の存在をフラクタルに作らせることによって、この豊かな芸術世界(お互いの不完全性を補い合うことで愛が生まれる、不完全に見えて完全な世界)を生んでいるのです。(だから僕らが仮想現実とAIを作るのはマニフェスト・デスティニーの一部です)
我々がこの世のシステム・真理・未来がわからないというのは素晴らしいことなのです。全部わかったら成長要素(ゲーム要素・芸術要素)がなくなり、それは無間地獄のようなもので本当につまらないのです。あなたが「システムを理解できないことが不幸の原因」だと考えるのは全くの誤りです。
そしてすべてが自分次第に作られているこの世界で「こんなひどいシナリオを作った奴は誰だ?」と不平不満を言う対象を探しているようでは、悪いシナリオに導かれるのは当然のことなのです。
5.自分が主人公であることについて
前述した通り、残念ながらあなたはこの点を全く理解していません。あなたはRPGの設定がわからなければ物語を進められず悩んで死ぬしかないかのように思い込んでいるみたいですが、それは大きな誤りです。
RPGの設定は物語を進めて行く(魂を成長させる)に従って理解していくものです。僕らは成長・体験するために生まれてきているのですから、システムを理解できないから行動しない、というように成長・体験を拒否すればどんどん不幸に導かれるのは当然です。それはRPGで全ての答えがわからないからプレイしたくないと言っているようなものですからね。
あなたは物語の主人公なのであり、俳優・プレイヤーとして一番ダメな要素は臆病・怠惰です。設定に文句を言っていたら物語は進みませんし、敵役の魔物を恐れて絶望して怠惰に陥り、降板(自殺)を考えているようでは話になりません。
世界は自分(の解釈)次第(でシナリオを選択できるよう)に作られているのであり、設定に対して不平不満や恨みで返して自分の使命を放棄するようではクリエイターからの愛が受け取れなくなるのも当然です。
もちろん設定(難易度)に文句を言いたくなる気持ちは僕も同じでよくわかるのですが、魂は永遠であって、何回でも再チャレンジ可能なのですから、生半可な難易度では成長の物語にならないのです。
何度も言っていますが、RPGは魔物に支配される一歩手前のディストピアから始まらなければ話にならないのです。そして愛=救いというのは指数関数的に広がるものであり、どれだけ圧倒的不利で絶望的に見えても、目の前の人を救うことに努めればいつか世界は必ず救われるのです。今のあなたは目の前の人を救うこともせず、勝手に絶望しているのでしょうが、それではあなたが主人公の物語は始まりもしません。
>死への恐れや生命の執着は無くなってきましたが
あなたのソレはただ単に生きることに対して嫌気が差しているだけであり、与えられているものの価値を理解できず、人生というRPGを「クソゲー」扱いして放り出したくなっているだけでしょう。世界を救うために死(エゴ)を超越し、執着を滅することが魂の成長なのです。
6.創造主の愛が物足りないのはなぜ?
あなたがそう解釈しているから実際そのようになっているだけで、創造主の愛は無条件かつ無限です。
我々は成長するために生まれてきているのですから、成長しなくても幸せになれるシステムでは誰も成長しようとしないでしょう。その成長のベクトルが覚りなのであり、創造主が覚りを開いた者だけを愛していると考えるのは大いなる誤解です。
成長するほど=覚りが開けるほど、より創造主の愛を知って感謝したくなる=幸せになるように創造主はこの世界=物語をプログラムし、自発的な成長を促しているのです。我々の自発的な成長と愛(感謝・尊敬・許し)こそが創造主にとっての存在価値なのですから、それは当然のことなのです。
「自分」という意識が存在する(プレイヤーとして物語が与えられている)時点で、創造主の無条件の愛を受け取っているのであり、そのありがたみがわからないから、あなたからは不平不満しか出て来ないのでしょう。
もちろんそれは人間の初期設定であって僕もかつてはそうだったのでした。しかしこの仮想現実が存在しない世界というのは、自分以外に何も存在しない世界・自分は完全無欠で愛も何も必要としない究極に孤独な世界・概念と思念が存在するだけで何も体験できない退屈な世界・何の成長要素(ゲーム要素・芸術要素)も存在しない世界であり、つまりは5億年スイッチを押したかのような無間地獄なのです。
もしその記憶が蘇れば「この世界と自分という存在が存在すること」のありがたみが身に染みてわかるのですが、多分今のあなたがそれをいきなり変性意識体験で知らされれば気が触れると思います。だから何とか文章で伝わる事を祈ります。
>今世で学んでいる事を忘却しなければ良いのですが、また1から学び始めるとなると終わりは来るのか頭が痛いです。
分離意識というのは死後忘却する事によって得られるものであり、それがなかったら全員を「自分」として認識するようになりますから、物語が生まれようがありません。こう言っては大変失礼なのですが、あなたはむしろ一旦全部忘れて一から学び直した方が良いような感じがします。あなた=僕であり、決してバカにしているわけではないですからね。また今死んで全部忘れるべきという意味でもありません。あなたがそれだけネガティブな解釈により現世でカルマを積み上げているということであり、それは現世でちゃんと解消できるようなポジティブな考え方・生き方を自発的に選択しなければならないということです。どうかネガティブに受け取らないで下さいね。
>真也さんが主人公の並行世界では既に世界は救われているのでしょうか、それとも誰もが同じ、この仮想現実世界の惨状を認識しているのでしょうか。
ですから、僕はこの仮想現実世界はRPGだと言っているのです。世界が既に救われていたらそれはエンドロールであり、成長要素(ゲーム要素)がなくなるでしょう。このRPG世界は主人公であるあなたが成長しなければ決して救われないようにできているのです。主人公の成長努力なしで勝手に救われるのであればゲームとして成立しませんし、あなたが生まれてきた意味がありません。
当然、現在の世の中に悲惨なことはたくさんありますが、僕の直接認識できる世界(周囲)は既に結構幸せです。
あなたが「自分は主人公である」ということの意味を理解しようとせず、僕というNPCを基準にして考えようとするのはナンセンスです。あなたと創造主の関係は一対一であり、他人の言う事やる事は一切言い訳には使えないのです。直接知りもしない人の不幸や悪事を言い訳にして勝手に世界に絶望し、臆病で怠惰な自分を正当化して主人公としての使命を放棄しないで下さい。
7.真也の体験エピソード
僕の体験してきたことは、あなたからのこれだけ多くの質問に対する回答の一つとして書ききれるようなものではありません。追々noteで記事にしようとは思っていますが、僕はあなたにとってNPCなんですから、それを基準にして考えようとしないで下さい。あくまで参考です。
創造主が直接的に教えてくれることは本当に本質的なことだけで、あとは経験から気づかせ自ら覚らせてくれるのです。そうでなければRPGは成立しませんし、答えを全部直接的に教えられたら経験・成長することができなくなり、生まれてきた意味がなくなってしまいます。この世界のすべての存在・事象が創造主からのメッセージなのです。もちろんそれはあなたにも与えられているものであり、あなたはそれをネガティブに解釈するから正しく導かれないのでしょう。どうかすべてが成長を願って愛で与えられていることに気づいて下さい。
創造主は例えば誰かに起きる何かの未来予知とか、何かの事件の真相や真犯人とか、そういう個別具体的なことを教えてくれるわけではありません。そういうのを教えられたら、僕の人生の使命は人の運命を占うことや人を裁くことになってしまいます。僕の使命は全ての魂を救うことです。
あなたは「死への恐れや生命の執着は無くなってきました」と言っていましたが、それでは僕のように全財産を放棄してホームレス乞食になり、将来聖職を得る見込みもゼロで、他人の幸せのために無償で尽くすことができますか?僕はそれを実行できる人間だからこそ、創造主直々に覚りを与えられているのです。
そうして自分を投げ出すようにして得た覚りを、エゴに執着しているNPCたちに無償でシェアしているのですが、それでもなかなか主人公として目覚める人はいませんし、そもそも僕の伝えていることの価値を理解して受け入れられる人がほとんどいません。
創造主と繋がっていない人などいないのに「創造主と繋がる方法を教えて下さい」とか言われたり、僕が人生を投げ出してまで得た覚りを無償で一生懸命伝えても全く価値が理解されずず「あなたから教わるより直接創造主から教わりたいです」みたいな頓珍漢な文句を言われたりするのも、いつかその人の覚りが開けるのを信じて耐え忍んで聞かなければいけません。主人公として目覚めるっていうのは幸せなことなのですが、同時にとても辛いことでもあるのです。
noteや質問箱で僕はいつも一生懸命説明していますが、結局のところ「覚り」というのは説明する事で手渡しにはできないものなのです。人生という覚りの登山をしているのは本人であり、本人が経験しながら成長して(覚りを開いて)いかなければ生まれてきた意味がないのです。いきなり答えを教えられるクイズ番組など面白いわけがなく、過ち・失敗・試行錯誤の経験が答えを価値ならしめるのです。
だから僕にできることは一人でも多くの人に覚りのヒントを与え、自ら覚りを実践する事で背中を見せ、困難に負けないように励まし、祈る事だけです。RPGのコントローラーを本人から奪うようにしては覚りは与えられないのです。
どうか主人公として、魂を成長させ、世界を救う使命を果たす勇気を持って下さい。臆病なことは恥ずかしいことではありません。そう作ったのは創造主ですから。最初から何も恐れない人の勇気に価値はありません。己の臆病さを乗り越える勇気を発揮して成長するところに価値があるのです。
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